【総受け,男前受け,冷血】

 ***31***


酔ったギエンが厄介な存在は身をもって分かっているつもりだった。

陽気に絡んでくるギエンを適当にあしらって、上着を脱がせる。
酔い覚ましの飲み物を取りに行き、戻ってきた頃には寝台の上で中途半端な位置で寝転がるギエンがいた。
無理やり起こしてカップを手渡せば、瞳を和らげて笑んだ。


こういう時のギエンは、本当に普段とのギャップが凄まじい。

本人に全くその気などないのは分かっていても、好意を抱かれていると誤解させるモノで、耳元が酔いのせいでほんのり赤くなっているのも余計に、勘違いを呼び起こした。

意図的に無視して、浴室の準備をする。
戻ってきた頃には既に飲み終わっており、寝台の脇に置かれていた。それを片付けようとして唐突に袖を引かれ、バランスを崩す。
「っ…!」
倒れ込むように寝台の上に押し倒されていた。

片膝を寝台に乗せたギエンが熱の宿った目で人の悪い笑みを浮かべる。
「相変わらず…、隙だらけだな」
パシェの両手を顔の横でがっしりと固定し、逃がさないように指を絡め恋人繋ぎをした。
「ギエン様!酔っ払いも大概にして下さい!」
パシェの懸命な叫びも、ふふっと鼻で笑われ、そればかりか、恋人繋ぎをされた両手にギエンの体重が乗り、尚更抜け出せなくなっていた。
「お前、ほんっと可愛いよな。小動物みてぇで、撫で回したくなる」
照明が一つ付いただけの薄暗い室内で、ギエンの蒼い目が甘い色で誘った。
口でパシェのタイを解きながら、上目遣いでからかいの目を向ける。それから、舌と歯を使って、襟元のボタンを巧みに外していった。
その度に、形の整った桜色の唇が薄く開き、赤い舌が繊細にボタンに触れ、パシェを誘う。

ギエンの性質の悪い所はこういうところだろう。自分がどれだけ魅力的な存在かも分からず、平気で人の心を試すようにからかってくる。
反応するなという方が無理な話で、
「…っ!」
パシェが視界を遮るように強く目を瞑った。

それを見たギエンが、
「ははっ。可愛い反応!」
間延びした感想を口にして、笑いを零す。その拍子に吐息が首筋に掛かり、
「ご冗談は、そのくらいに…!」
声を荒げて行為を咎めれば、言葉を封じるように柔らかなモノが唇に当たった。
「ぅ…!?んぅ…!」
それが何か理解するよりも早く。
ねっとりと熱い舌が口内を貪り、甘い刺激を呼び起こす。

キスをされていると知り、ギエンの指を振り解こうと力を入れてもびくともせず、ろくな抵抗も出来ずに終わった。

ギエンのキスはとにかく巧い。キス慣れしている男のもので、強引にパシェをその気にさせる。
男に今まで興味すらなかったパシェにとって、ギエンは特別な存在だが、それを引いても、パシェの経験を遥かに上回るテクニックで、キス一つで簡単に下半身を刺激した。

「ふ…、っン…」
舌を絡め、音を立てて唇が離れていく。
それを名残惜しく感じるくらい、パシェの頭の中は今のキスで蕩けていた。白い肌が上気し、欲を宿したグレーの瞳が日頃の冷静さを失い、緩む。
呆けた顔でぼんやりとギエンを見つめていた。

「そんな顔して…やりたくなってくるだろ」
ギエンの言葉に、ハッとするパシェだ。
口角を上げ、唇を舐めるギエンの表情は、さながら獲物を前にした肉食獣のように興奮状態で、蒼い瞳を爛々とさせていた。
「ッ…!駄目です!」
咄嗟に出た言葉に、ギエンが可笑しそうに笑い、
「なんで?」
首を傾げて瞳を覗き込んだ。
パシェの反応を面白がるように見て、
「お前、フリーだろ?問題ねぇじゃん」
首筋に唇を付けながら、そう誘う。
「そういう問題では…、痛…!」
鎖骨に噛み付き、パシェの否定の言葉を奪った。
声を立てて笑った後、恋人に向けるような笑みを浮かべ、
「なぁ…、いいだろ?」
否定を許さない甘い声音で優しく囁く。

もしこれが本当に恋人だったら。
有無も言わず従うだろう。

だが、そうではない。
ギエンにとっては酔った末の遊びに過ぎなくても、パシェにとっては一大事だ。
「っ…駄目に決まってるでしょう」
ギエンを見つめたまま、言葉を絞り出すようにして口を開く。
その言葉に、驚きの表情を浮かべたギエンが何故か嬉しそうに笑んだ。

自分の笑みが相手にどんな影響を与えるかも考えず、
「お前のそういうとこ、好きだけどな」
蒼い瞳がパシェを愛おしそうに見つめ、甘く揺らいだ。

前髪がはらりと下へと流れ落ち、全身から匂い立つような色気が立ち上がる。
ギエンにとっては、ただの言葉遊びだ。それなのに頭の奥隅で凶暴な願望が頭をもたげ、ギエンを穢す。それを追い払うように目を背けると、
「邪魔したか?何度かノックしたが…」
「ッ…!」
ドアに寄りかかって二人を見つめる男がいた。

通路の明るさとの逆光で顔が見えなくとも、それが誰だか声で分かる。
焦るパシェに対し、ギエンは平然として、
「遊んでただけだ」
入口を振り返って答えた。
「ふむ…。遊んでただけか」
言いながら歩み寄ってくるゾリド王から、言い得ぬ気配が湧き上がり纏わりつく。
その変化を敏感に察知するパシェに対し、
「っち。興ざめだ。俺が誰と何しようが別にいいだろ」
ギエンは酔ってるせいか思考回路が鈍い。平気で彼の怒りを煽り、火に油を注いだ。
「なら私も混ぜて貰おうか。構わんだろう?ギエン」
ぎょっとするギエンが握った手を振り解こうとした所で、
「パシェ。ギエンの手をしっかり握っていろ」
そう命じた。

「っ…!」
命じられ、ギエンと王を天秤にかける。悩むまでもなく、従わざるを得ない。
きゅっと指の力が強くなり、ギエンが驚きの声を上げた。
「パ、シェ…、離…ッ…」
背後に歩み寄ったゾリド王がズボンのボタンを外し、簡単に下着の中まで指が入ってくる。
「ッ…!」
既に軽く濡れて反応しているモノを擦り、
「私という者がありながら、こんな悪さをしているとはな」
呆れた声音で煽った。
「や、めろ…ッ!パシェは、そんなんじゃッ…、ぅァ…!」
手つきが荒々しくなり、簡単にギエンを濡れさせる。
蒼い瞳に先程までは無かった欲情が宿り、目の前にあるパシェの視線を避けるように横を向いた。
「くッ…!ふざけ、んな…!」
ズボンを脱がされ、濡れた指がためらいも無くするりと後ろへと回っていく。

ギエンの頭の中にあった余裕は急速に失せ、警鐘が鳴っていた。
本気でこんな状況で最後までする気かと、ゾリド王の正気を疑う。

そんな不安も、
「っぁ…ッ!」
難なく中へと侵入した指で確信に変わった。
「ま、…て…。パシェを、下がらせろ…!」
荒い息を付いて、ギエンがゾリド王の動きを止める。それも一瞬で、
「…ッぅ!」
易々と侵入した指が本数を増やし、中を探った。
「パシェには見られたくないか。自業自得だ、ギエン」
既にギエンのいい所を把握しているゾリド王だ。容赦なく攻め立て、簡単にギエンの抵抗を奪っていった。
「よ、せ…ッ…!」
拒絶の言葉すら濡れて、淫らな気配がより濃厚になっていく。

室内に濡れた音が響く度、パシェの見ている目の前で蒼い瞳が力を失い甘く蕩けて、淫靡な表情へと変化していった。
「…ふ…、っ!」
カチャカチャと耳障りな音がした後、十分に解れた後ろを指で押し広げたゾリド王が、硬いモノを宛がう。
その感触にビクッと全身を震わせたギエンが、切羽詰まった声で制止の声を上げる。
「ッ…!やめろ、…パシェが…っ」
それも、
「うァ…ッ!」
強引に押し入っていくモノに全身が総毛立ち、喉の奥が引き攣れて小さな悲鳴に変わった。
身体を支えていた腕が力を失い、パシェの肩口に力無く崩れ落ち、快感に肩を震わせる。
ゾリド王が動く度に、パシェの耳元で甘い吐息を洩らしていた。

男の低い声が、何故こうまで色っぽいのか理解出来ないパシェだ。
懸命に声を抑え、それでも漏れ出る甘い声が余計に理性を煽り、繋いだ指がじっとりと濡れる。

「んァ…、ッぁ…!」
緩く抜き差しを繰り返す。その度にギエンの瞳が快楽に溺れ揺らぐ。
「少しは反省したか?これに懲りたら二度としないことだ」
ゾリド王の言葉に、
「ァ…、くっ…そ!」
悪態を付くも、身体は甘く痺れゾリド王のモノを歓迎するように締め付けた。
「パシェ。巻き込んですまないが」
「いえ。大丈夫です」
最後まで言うまでも無く、ゾリド王が言わんとすることを察する。それから握り締め強張った指をそっと解き、重たいギエンの身体から抜け出した。
「…ッ、ぅァ…!」
弾みでギエンの熱に浮かされ蕩けた瞳と視線が合う。パシェに向かって僅かに指を動かすギエンの手を見なかった事にして、身なりを整え寝台から抜け出した。
「失礼いたします」
声を掛け、熱を冷ますように額の汗を手のひらで拭った。

扉を閉める直前に、ギエンの抑えられない掠れ声が耳をくすぐる。それを無理やり振り払って、ドアをしっかりと閉めた。

「…」
まだ明かりの灯る回廊に、唐突に現実に引き戻された気分だ。
興奮した身体すら意のままにならず、鼓動が早鐘を打ち、呼吸が早くなる。
それを落ち着かせるように深呼吸をし、
「痛…」
握っていた指が今更、痛みで悲鳴を上げた。
ギエンの指は自分よりも長く、がっしりとして男らしい手だ。関節が痛いのは自分だけだろう。
手のひらを見下ろして、何故か無性に寂しい思いをさせられた。

あの手を離したくない。

今まで、漠然としていた想いが明確になっていた。


自分がギエンに対し、何をしたいのか。
視線が合った途端に湧き上がった欲望に、その事実を認めざるを得ない。
ギエンの乱れた姿態を思い出して、ぞくぞくと凶暴な本能が背筋を駆けあがる。

小さく溜息を吐き、
「あんな男に惚れるなんて…、本当にツイてない」
熱を冷ますために自室へと向かうのだった。




2021.04.27
相変わらず不憫なパシェ萌えです(笑)。そして突然ぶっこむ3P的展開( *´艸`)笑
ちょっとこの展開でやりたかったことが2つほど諸事情で叶わなかったので、どこかでまた3P的展開あれば、ぶっこみたいです(エ?笑)。
ギエン程、3Pが似合うキャラもいない気がする(笑。エ…?)

拍手コメントをありがとうございます((ノェ`*)っ♡
90話大歓迎のお言葉大変うれしいです(笑)。とことん付き合って下さると嬉しいです(#^.^#)!!!
一応、頑張って総受け展開にしていく予定…ではあります(笑)。お待ちください…(笑)。


    


 ***32***


翌朝のギエンはパシェの予想通りだった。
今更、乱れた服装くらいで動揺はしない。普段と違う点をいえば、これ見よがしに首筋や鎖骨に付く鬱血の跡があるくらいで、無防備に寝るギエンの煽情的な姿は見慣れた姿だった。
それでも、鬱血の跡は昨夜の激しさを推測させるには十分で、思わず視線を逸らせる。

それと同時に数日前の出来事を思い出していた。
あれも虫刺されではなく、あの晩もそうだったのだろう。ギエンの様子がややおかしかったことに納得がいく。
あの日、眠りが浅かったのもそれが原因かと知り、意外な一面を見た気分だった。

カーテンを開ければ、声を掛けるまでもなく呻き声を上げたギエンが目を覚ます。
「…」
無言で上半身を起こして、
「ぅ…」
腰を抑えて僅かに眉間に皺を寄せた。

用意しておいた飲み物を手渡す。
「…悪い」
パシェの顔を見た途端に、昨日を思い出したのか気まずそうに視線を逸らせた。

軽く口を付け、一口飲む。
それから立てた膝に肘を乗せて、考え込むように額に手を当てた。

お互いに気まずい沈黙が流れる。
それを破ったのはギエンの呼び声だった。
「パシェ」
落ち着いた声にパシェが伏せていた顔を上げる。
視線を合わせれば、迷いの無い瞳が真っすぐにパシェを見つめていた。
「昨日は幻滅したろ?もし世話役を辞めたいなら引き止めない」
唐突に、そんな言葉を吐いた。
「何を言ってるんですか。またそうやってギエン様は私の仕事を奪おうとする」
「そうは言っても、いきなりあんなの見せられて気持ち悪いだろ?」
ギエンの言葉に、この人は何を言っているんだと怒りが沸いた。
今まで散々色仕掛けをしておいて、今度は手のひらを返したように、今更、常識ぶった言葉を吐く。

自分にあんな顔を見られた事が余程、想定外なのか。
ギエンにとって、自分はその範疇にすら無い気がして、湧き上がる怒りを抑えるように後ろに組んだ手のひらを硬く握った。

「ギエン様は、私がそんな事で貴方を軽蔑するとでもお思いですか。私の世話役としてのプライドを見くびらないで下さい。主人がどんな嗜好だろうと、私はそんな事で主人を軽蔑したりはしないです」
努めて冷静に返せば、
「今後、似たような場面に遭遇しないとも限らないぞ。それでもいいのか?」
ギエンの言葉に昨日の事を思い出し、胸に刃で抉られたような痛みが走った。

ギエンが他の誰かとしている場面を目の前で見せつけられたくはない。
それでも、ギエンの傍にいたいという想いの方が強かった。
「私は貴方の世話役です。何があっても動じたりはしません」
パシェの言葉に、ギエンが僅かに驚きを浮かべる。
「そうか…」
立て膝に肘を置いたまま髪をかき上げ、パシェに小さく笑い掛ける。
「お前はもう分かってると思うが、俺は、奴隷生活が長かったせいで男と寝る事に抵抗はねぇ。というより…」
言葉を切ったギエンが自嘲の方笑いを浮かべる。
「もう男相手じゃねぇと無理で、あながち俺の噂話もある程度は当たってる。噂にあるように、奴隷生活の間、何人も相手にさせられたこともあるし、毎晩のように抱かれたりもした。身体がそういう風に出来ちまってる。それでも本当に、俺を主として仕える事が出来るのか?」
「…」
あまり過去を話したがらないギエンにとって、その言葉は自分を傷つける言葉の筈だ。それでも敢えて伝えたギエンの誠意に、想いをぶつけたくなり、ぶつけられない自分をもどかしく感じていた。

ギエンに歩み寄って、
「貴方を馬鹿にする下賤な彼らと私を一緒にしないで下さい」
手を取って両手で握った。
「ギエン様はギエン様でしょう。貴方がどんなに男と寝ようと、だから何なんですか?」
「…!」
蒼い瞳が驚きで見開く。その美しい蒼に吸い寄せられそうになった。
パシェの手に力が入る。
「私はあの程度で主人を見限ったりしません。それと貴方の心配は今更です。ギエン様はいつもそんな気配を晒している事に自覚が無かったんですか?そちらの方が驚きです」
辛辣なパシェの言葉に、
「そんな気配って…なんだ」
ギエンが苦笑を浮かべて言葉を返した。
「自覚なさっているから、私をからかったりしてくるのかと思ってました」
「だからっていつも晒してはいねぇだろ…。お前は面白い反応するから、つい悪い癖が出ちまう。昨日はタイミングが最悪だったけどな」
思い出したようにしかめっ面をし、パシェの手をそっと解く。
ギエンが吹っ切れたように髪をかきあげ、
「今後は気を付ける。お前に迷惑掛けたな」
何の邪気もない笑みを向けた。

いつもの片笑いでもない。
かといって甘さのある笑みでもなく。

「…そうしてください」
答える言葉に覇気が無くなるのを、
「そういえば、ご自身の噂話を御存じだったんですね。耳に入らないように気を付けていたつもりですが…」
別の質問で無理やり誤魔化す。
「そりゃな。自分の噂話っつーのは自然に耳に入ってくるもんだろ。詳細は知らねぇけど、大体、何を言われてるかくらいはな」
特に気にした様子もないギエンが相槌を打った。
「ダエンがミガッドを会わせたがらないのも、まぁ何つーか…、理解は出来る。いい影響とは言えねぇしな」
「私はそれに関しては、何もお答えしません。考え方ですから」
「お前らしいや」
短く笑って、そのまま浴室へと向かっていった。

「昨日は本当に悪かったな。二度と無いようにする」
ちらりと振り返って謝罪を口にした。
「朝食の用意をしておきます」
手をひらひらと振って、そのまま振り返る事なくドアの向こうへと消えて行った。


ギエンにとって、自分がただの世話役に過ぎないことは重々、分かっているつもりだった。
それでも、胸にずしりと重しが乗ったように、ショックを受けている自分を自覚する。

いや。

これが最良だと、無理やり重苦しい感情を飲み込んだ。



***********************



ギエンは久しぶりに訓練場に出向いていた。
いつもならすぐに気が付くハバードが今日はやけに熱心に稽古を付けていて、何気なくそれをしばらく眺めていたギエンだったが、ふと視線が武術稽古をしているグループに引き寄せられていた。

以前、見かけた青年の動きに吸い寄せられるように視線が釘付けになる。
かつてのハバードを見ているかのように洗練された動きで、感心していた。

あの時と同じように後ろで束ねた金髪が彼の俊敏な動きに合わせ揺れ動き、毅然とした性格が垣間見えた。
切れあがった瞳は他者を寄せ付けない力があり、まだ若いというのに、他を圧倒する独特の気配を既に持っていた。

見つめていると、
「ギエン、さん」
突然、見知った声がして意識を唐突に戻される。

「…ミガッド」
目の前で所在なさげに立っている予想外の人物に驚いた。
ハバードに連れられてでもなく一人でやってきたミガッドに、
「どうした?何かあったのか?」
逆に心配になって、そんな言葉を掛ける。
琥珀色の瞳が驚きを表した後、言葉を選ぶように視線を横に流した。
「昨日、父さんと話をしてて、…良かったら空いてる日にうちで夕食でもどうかって…」
予想外の誘いで、返す言葉を失う。

ダエンにどんな心境の変化があったのだろう。
何を企んでいるのか。

咄嗟に浮かぶ疑心を否定し、
「俺はいつでも空いてる」
折角の機会だと快諾すれば、ミガッドが僅かに笑みを浮かべた。

それは見慣れないモノだった。


ミガッドが父親の顔を覚えていないのと同じように、ギエンにとっても、今のミガッドが昔のよく知っているミガッドと一致してはいなかった。

面影があると言われればあるような気がする。その程度の感覚で、サシェルによく似てるとは思ってはいたが、もし仮に別人がなり替わっていたとしても分からないだろう。
そのくらい、見知らぬ青年に育っていた。

15年も経っているのだから当然の結果だろう。
食の好みも、性格も、何もかも。
ダエンの影響を受けて育ったのだから、別人といってもおかしくない。

それでも、
「こないだは本当に失礼な言葉を言ってしまってすみません」
大切な息子であることには変わりない。
「もう気にしてねぇって」
何気なくミガッドの頭を撫でる。サラサラした髪がサシェルと同じ柔らかな猫っ毛だ。懐かしさが込み上げて、数束を指ですくって流す。

ギエンを見上げるミガッドの目に強い戸惑いの感情が宿った。
はっとして、手を引っ込めるギエンだ。

ミガッドは子どもじゃない。
もう、あの頃とは違うのだと認識を改めた。

僅かに見つめ合った後、
「ギエンさんは、明日は空いてますか?」
「あぁ」
他人行儀の控えめな言葉に即答した。
「そしたら、明日、僕の家に来てください。父さんに伝えておきます」
「分かった…ダエンによろしく」
ギエンの言葉を最後に、話す会話が無くなり沈黙が続いた。

しばらく突っ立ったあとで、お辞儀をして去ろうとするミガッドに、
「なぁ、ミガッド」
ギエンが呼び止める。
何かと足を止めたミガッドに、
「息子に、さん付けされるのは気持ちわりーから、せめてギエンにしてくれないか?」
困ったようにお願いした。
「…わかりました…」
ミガッドが地面に視線を落とし、それからギエンの目を真っすぐに見つめた。

その視線は以前、ギエンに向けられていたものとは違う。
どうでもよさそうな他人を見る目から、僅かに好意寄りの色が浮かぶ。その些細な変化を感じ取ったギエンが意外な思いを抱く。

「じゃ、またな」
いつまでも引き留める訳にもいかないだろう。
ギエンの言葉にぺこりと頭を下げて去って行った。

「…」
去って行く背中を目で追っていると、こっちを見るハバードと視線が合った。
それに片手をあげて答える。

ダエンの突然の行動を考えたところ仕方が無い事だ。
その場を後にするのだった。



2021.05.03
パシェが…、メインCPっぽい…|д゚)こりゃイカン(笑)。
何というかギエンが救われる気がしない今日この頃です…(;^ω^)ハハハ笑。
あ、バッドエンドだけは無いので大丈夫です(笑)。そこは安心を(笑)。
まぁのんびりと追々にでも…(;‾3‾)
攻めキャラ共もっと頑張れと応援したくなる(笑)。

拍手、訪問ありがとうございます‼
    


 ***33***


その日は以前に依頼されたモデルの仕事をして、その後、正装に着替えダエン家に向かっていた。

城下街を出た後、木々の生い茂る小路を進んでいく。
この道はかつて何度も往復し、非常に慣れ親しんだ道だ。その筈なのに、見知らぬ場所のように見覚えが無く、戸惑いを感じていた。

つい先日、生活には慣れたかと聞いてきたゾリド王の言葉を思い出す。
彼は彼なりに強引ながら、物凄く気を遣っていることが分かった。
ゾリド王は本来、そんなタイプの男では無い。それでも、気を遣わせるだけの罪悪感があるのだと思うと何ともいえない気持ちになった。

行為の最中も彼の気遣いを感じるギエンだ。
白魔術のせいでもあるが、心の奥が僅かながら癒されているのは確かだろう。

少しずつ、日常を取り戻しつつあった。
仕事をして、人と話をし他愛ない事で笑い合う。

これが正常なことだと改めて感じ、知らず肩を撫でていた。
服の上からでも分かる小さな窪み2つに指先が引っ掛かり、思わず重たい溜息を洩らす。


あの15年間は何のためにあったのだろうかと。


何も得るモノもなく、ただ失うばかりの15年間だった。
多くのモノを無くし、時間だけが過ぎていった15年だ。
何かを願ったところで、いまさらその事実が変わる訳でもない。


この虚無感を一体、どこにぶつければいいのか。
獣人族だけのせいでもない。
騎士団を憎んだところで、既に全員死んだ人間だ。


無意識に歯を食いしばり、手袋を嵌めた拳を強く握りしめる。
ドス黒い感情が腹の底から湧き上がって、何もかも破壊したい衝動に駆られていた。何も知らず平和に生きている彼らを妬んだところで、何の意味もないことは分かっていた。
それでも、頭の中を激しい感情の嵐が吹き荒れていく。

ギエンの発した殺気に木々がざわめき、精霊が逃げ出したかのような風が吹き荒れた。


感情を落ち着かせるように、
「ザゼル…」
彼の名前を口にする。


途端。
すーっと頭の芯が冷え、全身を支配するように渦巻いていたドス黒い感情が消えていった。
ザゼルの無表情に秘められた熱い感情を思い出し、胸が熱くなる。


荒れ狂っていたやり場のない虚無感が、別の感情で埋め尽くされ、ぽっかりと空いた心を塞いでいった。


彼との日々を思い出し、空を見上げる。
失うだけの15年間では無かった筈だと思い直した。

辛く絶望だけだった日々に、生きる意味を与えたのは彼の存在だ。ザゼルの考え方や想いに惹かれ、彼と共に生きていこうと決意した。あの環境の中で、前を見て進むことが出来るようになったのも、彼がいたからに他ならない。
彼と出会えたことは、最悪な出来事の結果だったとしても、かけがえない大切な出来事の一つだ。

得るモノが何一つなかった訳ではない。
そう思っても。

やはり失ったモノの方が圧倒的に多く、彼との記憶を思い出すと同時に、彼の最後も鮮明に蘇っていた。

彼が戻ってくることはもう二度と無い。
血塗れの冷たい身体の重みが、その感触が、今でも手にずっしりと残る。

あれは底冷えするような寒い朝の出来事で、手足が勝手に震えるほど冷えた日だった。獣人族の習わしに従い、彼の遺体は毛皮に包まれ川へと流された。
静まり返り嗚咽の聞こえる中、弟のルギルが何の感情も見せずに流されていく兄を見送っていたこともよく覚えている。


夜の澄んだ冷たい風がギエンの頬を撫でていく。
陽も沈み切った夜にも関わらず、王都の街明かりで空の星も光が弱い。
西の山脈ではよく見えた青い星を無意識に探し、濡れた頬を拭う。


会いたいという言葉すら吐き出せず、
「…」
感情を殺すしか出来ない。


とめどなく濡れていく頬を幾度か拭い、緩い坂道を登っていった。


彼が死んで既に3年が経つ。
未だ癒えることのない傷が、虚無感と共に大きく広がっていくのだった。


***********************



ダエン家に辿り着いた頃には、既にいつも通りのギエンに戻っていた。
出迎えたダエンが少し戸惑った顔で、ギエンを迎え入れる。
「お前が夕食に誘ってくれるなんて珍しい」
ギエンの冗談に、
「昔はいつも、一緒に取ってたよ」
ダエンが笑いながら答えた。

お互いに喧嘩をしていたことは無かったことにして昔の関係のように抱き合って挨拶をする。
ハバード家に出向いた時のような堅苦しさは無く、すぐに中へと招き入れテーブルへと案内した。
そうして、
「ごめん…、僕はもっと早くに、こうすべきだったよね」
ギエンのために椅子を引きながら、申し訳なさそうに謝罪した。
「…いや、…」
なんて言葉を返すべきか悩み、否定したまま言葉が止まる。
そんなギエンを気遣うように肩に手を置いて、
「いいんだ、本当に僕が悪かった。ミガッドを大事に思うのは僕も同じだから…、ギエンは親友なのに取られてしまう気がして…。君が父親なんだから当たり前なのにね」
今まで口にしなかった素直な言葉を吐いた。

ダエンの意外な言葉に、益々返答に困っていた。
「突然…、どうしたんだ」
苦笑して訊ね返すギエンに、
「僕は…、ギエンと、もう一度親友としてやり直したい」
昔のダエンを思わせるような、素直な言葉を言った。
それは特に深い意図は無い筈の言葉だ。

途端、
「ッ…!」
ギエンの中で、身に沁みついた疑心が湧き上がっていた。ざわりと総毛立ち、一瞬で全身が強張る。
奴隷生活で何度となく人の言葉に裏切られた経験がギエンを縛り付ける。認めたくない感情に、テーブルの上に置いていた手を強く握り締めた。

何のために。
出そうになった言葉をかろうじて飲み込んで、無言を返す。

今更、親友面して何の意味があるというのか。
ダエンとはもう歩む道が違う。騎士団として活躍しているならともかく、ギエンは少なくとも、もうその道に進むつもりもない。
人々を守るような仕事もうんざりで、ダエンと上辺だけの交流関係を繋ぐつもりもなかった。


テーブルの上で拳を握り締めたまま、無言になるギエンにダエンが眉を下げる。
「ごめん…。僕は勝手な事を言ってるよね。最初に、…背を向けたのは僕なのに」
「いや…、悪い。突然でびっくりしただけだ」
実際のところ、ダエンの言葉を疑ったところで何の意味も無いだろう。

去ろうとする腕を掴み、引き止める。
「よく…、わかんねぇけど、夕食に招いてくれた事には感謝してる」
感謝を伝えれば、ダエンが安心したように小さく笑いを浮かべた。


その表情はつい最近、見かけたものだ。
先日、ミガッドが浮かべた小さな笑みと同じで、どこか頭の片隅に諦めにも似た思いが湧き上がった。
ミガッドはもうダエンの息子なのだろう。
どんなに足掻いたところで、それは否定できない事実だと認めざるを得ない。

「サシェルと、ミガッドを呼んでくるよ」
笑んでそう言う顔には、何の邪気も無い。

扉の向こうへと消えていく後ろ姿を見送った後、無意識に握り締めていた手のひらをそっと開いた。
重い溜息を付く。

唐突に、ハバードの顔を思い出していた。
彼にはダエンと同じような疑心が沸かない。元から裏表のない性格を知っているからか、それとも、あの真っすぐな目のせいだろうかと考え、そもそも、ハバードとは何の利害関係もないせいかと思い至る。
それでも。

何故か、ハバードの傍は同胞の暖かみのようなものを感じ、ダエンには無い安心感があった。
ダエンとはスタートが悪かったせいかもしれないと思い、親友だった男まで疑ってどうすると自分を諫める。

若かったあの頃とは違う。
今の自分に利用価値は無い。

手のひらを再度、握る。


丁度、扉が開きミガッドとサシェルがやってきて、ギエンに挨拶をした。
それからダエンを振り返り、仲睦まじく笑い合った。

ミガッドの信頼しきっている笑いを見て、ミガッドが幸せなら誰が父親であろうと関係ないことだと考え直す。ミガッドからしてみれば、ダエンを遠ざけようとする自分はよそ者に他ならない。
ダエンが不安に思う感情も普通のことで、何一つ間違った事ではないと頭では分かっていた。

こんな下らない感情さえどうでもいいことだと割り切った。


食事会は彼ら家族の輪に迎え入れられるような形で、終始、和やかなものだった。
ギエンが抱いていた疑念や悪感情、虚無感も緩和され、一般的な幸せな家族とはこういうものだという認識を改めてさせる。

それでも、その平和で優しい空気は、ギエンを一時的に癒すだけのものに過ぎなかった。



2021.05.08
いよいよ本格的に闇落ちしそうなギエンです(笑)。
まぁ私は主人公闇落ちは大好物です(*´∀`)笑‼‼‼
いや、大丈夫!ギエンはそうならない筈…!(笑)
一応、小説紹介でタグ(?)的に「闇落ち」も入れてるけど、闇落ちっていっても幅広いから闇魔術な時点で闇落ち、OKOK(^^)!みたいな軽い感じ?(笑)

まぁそっち方面は考えてないけど、もし闇落ちさせるならとことん落としたいところ…(;'∀')??!

メモ書き、一緒にアップしちゃった…(笑)誰の目にも触れてないといいけど…(笑)ハハハ!

応援する!
    


 ***34***

翌朝のギエンは至っていつも通りで、特に変化がある訳でもない。
落ち込むでも浮かれるでもなく、普段通りだった。

朝食を取り終わった後に、ギエンが皿を手渡しながらパシェに今日の予定を伝える。
「街に行った後、ベギールク様の所に出掛けてくるな。夕飯には戻ってくる予定だから、お前が空いてたら一緒に取ろう」
小さく笑って誘った。
こういう所が、ギエンに惹かれる要因の一つであることには間違いなかった。
「お待ちしております」
パシェの言葉に満足そうに瞳を和らげ、部屋を出て行く。


ギエンの態度は普段と同じで、何の戸惑いも無い。
一つ、今までと異なる点といえば、あの一件以来、ギエンがパシェを無意味にからかうという事は無くなった。普通の主人と世話役の関係のように一定の距離を保ったまま、接していた。
ギエンが、気を付けているのを肌身に感じるパシェだ。

それを心のどこかで残念に感じている部分もあるが、それがギエンの思いやりなら一概に悪い事ばかりではなかった。
どうでもいい人間に気を使ったりはしないのだから、それだけギエンにとって大切な存在だということの現れだろう。

そう思うと、事前情報通り人情に厚い男だと実感していた。
地位のある人物からしてみれば、世話役は大した価値が無い存在でもおかしくない。

夕食のメニューは何にしようかと期待が高まる。
旬の食材をヒアリングしに行こうと決めるのだった。



****************************



一方、ギエンは出掛けるために城内の回廊を進んでいた。
そうしてすぐ、視界に目立つ大柄の人物が目に入り、連動するように定例パーティでの会話が頭を過った。

デジャブの光景に、男の休みが丁度今日だったことを思い出していた。
「生憎、今日は仕事だ」
「…そういえば、パーティでベギールク様とそんなお話をされてましたね」
ゼレルがやってきたギエンの横に並び、歩調を合わせて歩き出す。
「ですが、午前中はお暇でしょう?ベギールク様は朝が非常に弱い方だ。あの方が午前中に仕事をする訳が無いですからね」
ずばりと言い当てて、ギエンの断りの言葉を奪った。
「…お前…」
恨めしい声を出すギエンを愛おしそうに見つめ、
「近くに射的場が出来たんですよ。興味沸きません?その後、お昼がてら、こないだお話したパン屋はどうですか?」
意に介せず満面の笑顔でギエンを誘う。
ゼレルの強引さには呆れるが、この眩しいばかりの笑顔には悪い気もしないギエンだ。

この15年間で、あまり目にする事の無かった笑みだ。
「っち。仕方ねぇな」
舌打ちをして渋々了承する。
「決まりですね」
年の近い友人同士がするように強引に肩を抱いて、ギエンを誘導していく。

「お前のお気楽さはある意味、羨ましい」
小さく零すギエンの本音に、ゼレルがくすっと笑った後、
「貴殿もそうすればいいじゃないですか」
「お前は若いからそんな言葉を言うんだよ」
ギエンの言葉に、声を立てて笑った。
「そうやって年を言い訳にしては駄目ですよ。とりあえず深く考えずに、私と付き合ってみたらどうです?」
ずいっと唐突にギエンの瞳を覗き込んだ。

蒼い瞳が驚きに見開かれるのを、興味深そうに見つめる。
「お前の冗談には付き合いきれねぇ」
相手の肩を押しのけて、視線を避けるように横を向けば、
「ギエン殿のそういう顔…、物凄く好みです。わざとですか?」
頓珍漢な事を言って、更に顔を近づけてきた。
「何言ってやがる…!」
肩を押す手に力が入り震える。
「この、…っ馬鹿力…」
歯を食いしばったギエンが絞り出すように文句を言えば、ゼレルが突然、力を抜いて大きく笑った。
「貴殿のそういう所が本当に愛おしいです」
爽やかな笑みでそう言ってギエンをぎょっとさせた。

どうしてこの男は、こうまで言葉がストレートなのかと腹立たしい思いすら抱く。
僅かな隙間から滑り込むようにゼレルの存在が心の奥へと入ってくる。
「…勝手に言ってろ」
ゼレルを邪険に扱えなくなるギエンだ。

彼を知ってからそんなに経っていないが、最初の印象とは違い、根が明るく悪い人間じゃない事だけは分かる。
何においても感情がストレートなだけだ。

こういうタイプを嫌いか否かで言ったら、嫌いではない。

ゼレルの一方的な会話を適当に流しながら、気が付いたら新しく出来たという射的場へと辿り着いていた。
「本当に近いのな」
ギエンの驚きの声に、ゼレルが受付を済ませながら相槌を打つ。
「これは新しい技術が盛り込まれた最新ゲームらしいですよ」
一区画ずつ仕切られた囲いの中へと入り、先端の尖った細長く筒状の物をギエンに手渡し、説明した。
「中に魔術を籠めると、魔弾が出る仕組みになっていて、それをあの的に当てるゲームです。これの凄い所は魔術が使えない人でも、ここのレバーを引くと魔弾が出る仕組みです。一応一人でも出来ますが、点数が高い方が勝ちといった競い方も出来ます。
勿論勝負しますよね?」
ニッと笑って誘うゼレルに断る理由は無い。
「いいぜ。お前が負けたら、今までの人生で一番、恥ずかしい思い出を話して貰おうか」
勝負事は好きなギエンだ。
思わずそんな言葉を言えば、ゼレルの笑みがあくどいものへと変わった。
「待て」
ギエンの言葉に、
「私が勝ったら、貴殿は何をくれますか?」
にやけて言った言葉に、呆れた溜息を返す。
「何もやらねぇに決まってるだろ」
「唇はどうですか?私の恥ずかしい思い出の対価としてはそのくらい貰ってもいい筈です。勝負事は、このくらいじゃなければ本気にはなれないでしょう?」
冗談ではなく本気で言っているようで、尤もな意見でもある。
「…お前、このゲームは初めてだよな?」
承諾する前に、念のために確認すれば素直に頷いた。
「分かった。乗ってやる。その代わり条件変更な。お前が負けたら、強引な待ち伏せ禁止な」
「それは勝負したくなくなりますね。ですが、私も男。一度した内容を覆したりはしません」
潔い男だ。

不本意だが、ゼレルに対する好感度が上がる。
腹の中で舌打ちをして、受け取った筒状の物を標的に向けた。
「外側の枠が1点、中心部が5点、ど真ん中が7点だそうです」
受付で渡された紙を見ながらゼレルが説明するのを聞きながら、何気なくレバーを押し下げる。

途端、
「っ…!」
ぼっと炎の音がして、小さな火の玉が飛んで行った。
それがぽとりと地面に落ちて、土の上で僅かに燃えて瞬く間に消える。
「ギエン殿…。今のも勿論、1カウントとなりますからね」
ゼレルの言葉を呆然と聞くギエンだ。
「て、め…、…」
「勝負は勝負ですよ」
「ぐ…!」
異論を認めないゼレルの口元には笑みが浮かぶ。
「5回戦で1ゲームですね」

ギエンの失敗を見ていたせいか、ゼレルの一投目は、的の外側にヒットして焦げた跡を付けた。
「っち…。魔術と同じ考えじゃ駄目ってことか…。これじゃ魔術を直接、的に当てた方が早いだろ…」
文句を言いながら放つ二投目も重力で予想外に下へと流れる。
「お前に八つ当たりしたい」
思った通りの方向に飛ばず、ギエンの眉間に不機嫌そうに皺が寄った。
「どうぞ。お好きなだけ。私は勝負事は何があろうと手を抜いたりはしませんからね」
言いながら、二投目も外枠に当たり、そればかりか中心に寄りつつあった。

にやりと口角を上げるゼレルに、
「お前、本当に初めてなんだろうな?」
疑いの言葉を掛ける。
「愛おしいギエン殿に嘘を付く訳が無いじゃないですか。私は昔からこの系の遊戯は得意です」
自信満々に答える男に、素直に負けてやるつもりは毛頭ないギエンだ。
「てめぇ、調子に乗んな」
まだまだ十分、挽回できる点差だ。

標的に合わせ、位置を調整する。
それから3投目を放った。それと共に、風が吹いて火の玉が煽られた。呆気なく、外枠を掠って地面へと落下する。
「…魔術で狙った方が早いんじゃねぇのか?」
呆れた口調で愚痴を零すギエンに、
「なまじ魔術理論が根強くある方ほど、下手かもしれないですね」
珍しくゼレルが苦笑を浮かべて筒を構える。
「私は貴殿が大好きですからね。この勝負、絶対に勝ちますよ」
ボシュッと綺麗な音と共に火の玉が弧を描き、飛んでいく。
「これ、間違いなくレバー引く方が難しいだろ?」
中心部にヒットしたゼレルの3投目に、怒りすら通り越して諦めの声を洩らした。

結局、ギエンが的に当てることが出来たのは5投目で、そこで初めて中心部にヒットした。
目を輝かせるギエンにゼレルが満足そうに笑みを浮かべる。
「賭けは賭けですけどね」
冷静な突っ込みに、
「…」
ギエンが無言で批難する。

結果を言うまでもない。
ゼレルが嬉しそうな笑みを浮かべたままギエンの視線を受け流し、頬に優しく触れた。
「…っち」
舌打ちをしたギエンが、大人しく上を向いて瞳を閉じる。その潔さに、ゼレルが僅かに驚いた後、ひっそりと口角を上げた。
するりと頬を撫でる手が首元へと下がっていき、立襟から指を差し入れ、首の後ろを撫でる。
「っ…おい」
その感触にギエンが目を開いて文句を言えば、目前にある緑の瞳と間近でかち合った。
「ゼレ…」
「折角の機会なので、報酬は次回に頂きます。こんな所ではゆっくりキスも出来ませんからね」
指を襟の間から引き抜きながら、耳の後ろに手を添えて顔を近づけ、そんな言葉を吐く。
「今やれ。ゆっくりやらせるつもりはねぇぞ」
ギエンの文句に笑い声を上げ、呆気なく離れて距離を保った。
「敗者のギエン殿に拒否権は無いですよ」
ゼレルの強かさにしてやられた気分になる。

「お前がどんなに努力しようと、俺がお前を好きになることはない」
はっきりと告げれば、
「私は貴殿が大好きですよ。ギエン殿が振りむくことがなくても、この気持ちは変わらない」
気にもしないぜレルが淀みない強い言葉で返してくる。

その言葉は、ギエンを大いに戸惑わせた。
ここまではっきりと自分の言葉を押し通す男も相当珍しいだろう。

思わず、
「…」
まだ若々しいゼレルの力強い顔を見上げる。

晴れた空の下で金髪が太陽の眩しい光を浴び輝く。見ているだけで爽やかな気分にさせる緑の瞳が真っすぐにギエンを見下ろしていた。

「…俺はお前をよく知らねえし、人の言葉は信じねぇよ」
視線を逸らせ、ゼレルの横を通り過ぎる。
区切られた一画から出ようとして、唐突に腕を掴まれ引き止められる。
「……なら、私がいつの日か貴殿に信じさせましょう」
振り返るギエンに慈愛に満ちた笑みを浮かべ、
「貴殿を愛してる。その場の一時的な想いではない」
何の恥じらいも無く、強い声で告げた。
さすがのギエンも、拒絶しきれなくなり、
「…勝手にしろ」
短く返す。

掴まれた腕を払って、
「お前、本当に変な奴だな」
方笑いで流し目を送る。
「褒め言葉ですか?」
笑いを含んだゼレルの言葉に、
「…そうだな」
珍しく、ふっと笑って肯定した。


鮮やかな蒼い瞳が柔らかな色を浮かべ、ゼレルを映し込む。
無自覚に優しく笑うギエンの表情は、初めて見せるモノだ。

「貴殿は…、本当に…」
受付へと向かうギエンの背中を見つめながら、熱の宿る声で小さく呟いた。
抱いていた想いが更に膨れ上がっていく。
今すぐ後ろから抱き締め、ギエンが何も考えられない程、甘やかしたくなる。外聞も何もかも、どうでもいいくらい気持ちが昂ぶっていた。


それを理性で無理やり押さえこみ、ギエンの後を付いていくのだった。



2021.05.12
ゼレルの押せ押せ攻撃にギエンもたじたじな構図がスキ(笑)
このまま押されて色々流されちゃえばいいと思います(^^ポッ💕

拍手・訪問ありがとうございます‼(*´ω`*)ムフ‼

そういえば、そろそろセインを更新しなきゃですよね?!ハッ…!!

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 ***35***

ギエンはゼレルと別れた後、城へと戻っていた。そもそも街へと出掛けた目的はこれから赴く場所への手土産を買いに行くことだったが、ゼレルと一緒に出掛けることが何の苦痛にもなっていない自分にやや新鮮な驚きを感じていた。

何よりゼレル自身が非常に目立つ男だ。大柄な彼に人々の視線が自然と流れる。どこか部外者のような気分が、人々の視線一つで別物へと変わり、居心地がいい。加え、道行く人がゼレルに軽快に声を掛け、それに答えるゼレルの人当たりの良さは、街の人々を巻き込み、何ともいえない爽やかな気分へとさせた。
ゼレルを見かけ黄色い声を発する女性陣の存在すら、微笑ましい気分にさせる。

それだけでなくゼレルの何一つ気にしない豪快な性格は、どんな暴言を吐こうと右から左に素通りで、むしろギエンに対し笑みすら浮かべて頷いていた。その豪胆な精神には、荒み気味だったここ最近のギエンの悪感情を丸ごと飲み込み、浄化するような強さを持っていた。

別れ際を思い出して小さく笑う。


城内を抜け、裏庭を通り抜けていく。
小さな庭園を抜けた先に、大きな白い塔が見えてきた。

重役の一人、魔術研究の第一人者であるベギールク・ウェスターの研究塔だ。
先日の定例パーティで仕事の誘いを受けたギエンは、正式に彼の助手、兼研究素材として訪れていた。

彼と会うのは初めての事ではない。
変わり者ではあるが、研究熱心で悪い人間ではないことはよく知っていた。自分の黒魔術が仕事として成立するならいいかという軽い気持ちで誘いを承諾していたが、実際に研究塔にやってきてその選択をやや後悔していた。

見上げる先には、塔の周りを囲うように四方に精霊の守りが施され、七色の輝きを放つ支柱が4箇所に立つ。守護精霊が好むと言われる宝玉が支柱の先端に付けられ、明るい陽射しの中、神々しい輝きを放っていた。

これだけの6層魔術を扱える人物は国でも数少ない。
言うまでもなくトラス・ダ・ゼクの張った魔術だ。鉄壁の要塞のように研究塔を隔離する。


簡易的な鎖の囲いの中へと足を踏み入れた瞬間に、ざわりと全身が総毛立ち鳥肌が立った。
首の後ろが敏感になり、ゾクゾクと身体が勝手に震え出す。
見える訳でもないのに、強い精霊の気配に心臓を鷲掴みされたような気がして、
「っ…」
思わず、その気配を振り払うように全身に気力を籠めた。

ふっと軽くなる圧に、深い溜息を付く。
精霊殺しの黒魔術を扱う存在は、精霊たちからすれば敵と認識されても仕方がないことだ。それでも彼らは人間を攻撃してきたりはしない。そういう意識があるのかさえ、よく分からない存在であることは確かだ。
ただ、太古から存在する秘境にはエネルギーの吹き溜まりがあり、そこは大精霊が守護していると伝えられていた。実際に見た事がある訳ではない。遭遇したという話も聞いたことはないが、それが本当なら精霊にも何らかの意思があってもおかしくない。

木の扉をノックすれば、しばらく経った後に、開襟の白いシャツを羽織った男が出迎えた。
無言で入るように示して、本の詰まれた狭い通路を進み、扉を開く。
「ベギールク」
彼の呼び声に、
「あぁ、ギエン」
試験管を覗き込んでいた男が顔を上げ、入口を見遣って目を輝かせた。

白銀の髪には寝ぐせが付き、目の下には慢性的なクマがある。
「突然、悪かったね。遠慮せず入り給えよ」
手招きして、座っていた椅子の横に掛けられた白い服をギエンに手渡す。
「はい。君の作業着。その恰好じゃ動き辛いし、薬剤が付いた時に大変だからね」
皺ひとつない、ギエンの仕立てのいい服を見て着替えるように勧めた。
「こっちは助手1号のペル」
「よろしく」
ギエンの挨拶に男が無言で小さく頷く。それから特に言葉を発する事なく部屋を出て行った。
「…」
「ペルは気にする必要ないよ。勝手に色々やってるから」
彼の出て行った扉を見送っていたギエンが、小さく相槌を打った後に、思っていた疑問を口にした。
「随分、仰々しい防壁魔術がされてるが、何かやらかしたのか?」
「あぁ。4,5年前に研究塔を爆発させちゃって、トラスが神経質になっちゃったんだよ」
返ってきた言葉にぎょっとするギエンだ。

研究塔を外から守る防壁ではなく、城を守るための防壁かと知り、トラスの力の入れように妙な納得がいく。

床に散乱する山積みの本や資材を避けながら、ソファまで辿り着き、来ていた上着を脱いだ。シャツ一枚になって、作業服を羽織る。
「パーティでも思ったけど、あんなに若かったギエンが随分と太々しくなっちゃって。お父さんは悲しいね」
「お父さんじゃねぇだろうが」
10歳程度しか変わらない男の言葉に、ギエンが厳しい突っ込みを返せば、ベギールクが子どもみたいな笑い声を零す。
「昔はあんなに可愛かったのに。僕が魔術を教えてあげたのを忘れたのかい?」
「やめろ。気持ちわりぃ」
「満更でもない癖に」
試験管を振りながら、ギエンに手渡した。
「…?」
「新薬。君、精霊に嫌われてるんでしょ?手に塗ってみてよ」
言われた通りに手の甲に中身の半透明な緑の液体を垂らす。粘性のあるそれがトロリとギエンの肌を流れ、緑の光を零しながら皮膚へと吸い込まれていった。
「…これ、大丈夫なのか?」
「精霊が寄り付きやすくなって、魔術が下手な人でも扱いやすくする薬なんだけど…どう?」
「どうって言われてもな…」
擦ってみても、光に翳してみても何の変化もない。魔術を使える気はしないギエンだ。
「ギエンは黒魔術を使うからやっぱり無理なのかもしれないね。そうそう」
唐突に部屋の奥に行き、カーテンを開けた。
「僕の助手をしながら、君にはこれを協力して欲しいのさ。尤もこれが本命なんだけど」
カーテンで隠された向こう側には、大きな透明の球体が現れる。
ガラスのパイプが周囲から伸び、いくつかの媒体となる容器へと繋がっていた。
「…これは?」
透明の球体が時折、ひび割れるような音を発して今にも不気味な気配を醸す。
「黒魔術のエネルギーを捉える装置だよ。君に黒魔術を放出して貰って、そのエネルギーを再活用しようっていう研究さ」
「…」
無言になるギエンに瞳を輝かせて、技術的な部分を説明する。
それから、
「今は他国も黒魔術研究に目を付け始めているからね。特に軍事国家のシュザード国には負ける訳には行かないのさ」
力強く頷きながら言った。
「俺は軍事的な事には協力しねぇぞ。何も生まねぇよ」
ギエンの言葉に、お茶らけた彼の瞳が鋭さを増す。
「ギエン。もっともらしい理想論は止めたまえ。じゃあ君は国が攻められた時に、どう守るつもりだね。トラスの守護精霊だけで国が守れると思ってる訳じゃないだろう?他国が黒魔術研究に力を入れている中で、我が国だけが遅れを取る訳にはいかないのだよ」
「…っそれは…」
反論を許さない口調でギエンの言葉を封じる。そうして笑みを浮かべ、
「とはいえ、これはただ単に黒魔術のエネルギー量を調べるための装置だ。君が協力したからってすぐにそんな兵器が作れる訳じゃないから安心するといい。僕だってそんな事は望んでいない。
もしかしたらこの技術応用で、トラスの守護精霊を超えるような防壁が作れるかもしれないし」
ギエンの身体の力を抜くように肩を叩いた。

「…よくトラス様がこんな研究に賛同したな…」
呆れた口調で呟くギエンに、
「トラスが賛同する訳ないよ?僕はこれでも研究成果を出してるからね。認めざるを得ないのさ」
あっけらかんと言い放った。
「僕は昔からこの性格のせいで煙たがれる事も多いけど、僕の研究成果の前では誰もが頭を下げざるを得ないのさ。人は裏切るけど、研究は裏切らない」
続くベギールクの言葉に衝撃を受けた。
「あぁ、ごめん。ギエン。君には刺さっちゃったかもね」
つらりと吐き出された毒に、ハッとしたようにギエンが口元を手の甲で覆った。
「っ…、なん、で…」
動揺するギエンに、にやりと笑って、
「決闘の後、僕は君に興味が沸いて、色々調べさせてもらったんだ。全然、気が付かなかった?僕の精霊ペット」
そう言って天井を指差す。
視線でその先を追えば、目を凝らしてようやく視認出来るほどの小さなモノが空中を漂っていた。
「世間では風の精霊と言われるモノに、強制的に僕の精神魔術で視覚・聴覚を共有させてる。君を追っかければ、君の変化を突き止められるかなと思ってさ」
薄い膜を張ったような透明の丸い入れ物に翼のような白い光が2つ付いた謎の物体が、ベギールクの言葉に合わせぐるりと宙を一回転した。
「…ッ!てめぇ…!」
胸倉を掴むギエンの手を気にもせず、宥めるように手の甲を叩く。
「怒るのも当然だよ、今はもう何もやってないから安心するといいよ。勿論、君のプライバシーだ。誰かに口外するつもりもない」
悪びれもせず、怒りで震えるギエンの手を包み込み、優しく剥がして言った。

「ま、無防備な君も悪いよね。それに、あの客室は要人用じゃないんだからさ、せめてカーテンはしっかり閉め給えよ。着替えも何もかも、丸見えだよ」
「…!」
ギエンの瞳が大きく見開かれ、その直後、珍しく耳だけでなく目元までさぁっと赤くなった。
「…どこまで…」
顔半分を手の甲で隠して、小さく呻く。
恥ずかしくて死にそうなギエンを気にもせず、ベギールクが続けた言葉は更にギエンを羞恥の底へ陥れた。
「年甲斐も無く僕の息子が反応して驚いたけど、ついでに利用させて貰ったよ。どう考えても、あんな痴態を晒す君が悪いよね」
「こ、の…、クソ野郎…ッ!」
全く謝罪する気もないベギールクを目を眇めて睨む。羞恥のあまり潤む瞳が、余計に嗜虐心を煽っているとは思いもしない。
「全く…。しばらく会わない間に、こんなにエロい顔をするようになっちゃって」
羞恥で震える睫毛に色気が滲む。

「っち…。最悪だ」
ベギールクと視線も合わせられなくなったギエンが、舌打ちをして顔を背けた。
剥き出しの首筋に力が入り、ギエンの動きに合わせ動く。褐色の肌から匂い立つような色気が放たれ、無自覚に男を誘った。
「本当に、君は性質が悪いねぇ」
呑気な声で言ったベギールクが間近に置かれたカップに口を付け、中の液体を飲み干す。
「はい!いつまでもウジウジしてないで仕事するよ」
空気を入れ替えるように両手を叩き、声を張り上げる。
「っ…、ウジウジしてねぇ!」
「はいはい。苦情はまた後でね」
文句も言わせず、大きな球体の前にギエンを押し出す。

ベギールクの強引さは今に始まった事ではない。
腹の中で何度も悪態をついて、言う通りに従うのだった。



2021.05.16
ちょっと曲者なベギールク登場(笑)。魔術に関してはトラス同等レベルだと思いますが、方向性は違います(笑)。
あまり人物増やさないよう気を付けてるけど、ギエンの地位を考えるとある程度は仕方ない…?とか言い訳〜(笑)
小説紹介ページに人物紹介を近い内に追加しておきます〜(笑)。忘れた時にでも…(笑)
そういえば、ギエンは日頃は超男前キャラだけど、ポジションはお姫様です(#^^#)!←ん?(笑)

コメントありがとうございます(*ノωノ)‼‼‼2つも貰って舞い上がってます(笑)‼
ギエンを気に入ってくれてありがとうございます(*´∀`)‼
総受けも万々歳みたいで調子乗っちゃおうかな(^w^)笑‼


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 ***36***


「ギエン、居る?」
ノックと共に、明るい声が中の人物に声を掛ける。
珍しくテーブルに書物を積んで読書をしていたギエンが、その声に僅かに驚きの表情を浮かべて扉を振り返った。

一瞬の思案の後、パシェに指示を出す。
開いたドアから顔を覗かせるのはダエンだった。
「ごめん…、今、大丈夫?」
朝の仕事前だろう。紺色の警備服を着て、腰には剣がぶら下がる。それを引き抜いて壁に立てかけた。
「昨日から働き始めたって聞いたから、お祝いでもと思って」
手に持っていた紙袋をテーブルへと置きながら、笑みを浮かべる。
「…気を遣う必要ねぇのに」
立ち上がったギエンが紙袋の中を覗けば、お洒落な包装紙に包まれた品のいい箱が入っていた。
ダエンが自分で選んだとは思えない品に、思わず内心で笑いを零す。

包装を丁寧に開いていくギエンに、
「今、若者の間では人気らしいよ」
そう付け加えたダエンは何故か誇らしげだ。

箱を開ければ、美味しそうな焼き菓子が10個ほど入っていた。
「俺一人じゃ食えねぇし、何個か持って帰って食べたらどうだ?」
ダエンが言葉を返すよりも早く、ギエンが数個、箱から取り出しダエンの手に握らせる。それから思い出したように、
「あ、お前、これから仕事か。なら帰りに寄れよ」
手をひっこめながら言った。

ギエンの何気ないその言葉は、ダエンを驚かせるものだった。

親友でいることを、許されたと思ってもいいのだろうかと。
そう思うと、胸がじんわりと熱くなるダエンだ。


以前、ここに来た時は強制的に追い返されたようなもので、それ以来、ギエンにはもやもやとした気持ちを抱いていた。
サシェルとミガッドに関しては結果としてギエンから奪ったも同然の出来事であり、根底にある想いは常に、ギエンに対する申し訳ない気持ちだった。


サシェルの事は出会った頃から好きで、一目惚れと言っても過言ではない。
その時には、既に隣にはギエンが常にいて、一目でギエンにべた惚れである事が分かる程、サシェルの瞳はギエンしか映していなかった。そんなサシェルの一途さも含め、彼女のことを大切に思っていた。たとえサシェルがギエンと結婚しようと生涯、見守って生きるつもりだった。
友人であるギエンから奪い取ろうとか、そういった感情を抱いたことも無い。
ギエンという男自体も尊敬していたし、友人であることが誇らしいことだと感じていた。

大事な友人だ。
彼の死を望む訳がない。

ギエンが獣人族の討伐に行ったまま帰ってこない期間は、夜も眠れず胃痛を抱える日々だった。毎日、サシェルと共に風の精霊に祈りを捧げ、ギエンの無事を祈る。
そうしてギエンの死を伝えられた日には、目の前が真っ暗になり足元が崩れ落ちるような錯覚に陥っていた。この世の全てが死んでいくような感覚に溺れそうになり、ギリギリの精神で何とか日々を過ごす。

そんな中で、サシェルの絶望はもっと深いものだった。

言葉も無く、涙も無く。
ただ呆然と窓から見える景色を見つめて過ごす日々が増えていた。食事も碌に食べずに呼びかけにも虚ろな瞳を返す。

同じ悲しみに突き落とされながらも、絶望のどん底にいるサシェルをどうにか救いたいという想いが、ただそれだけがダエンの支えになっていた。
状況を把握していないミガッドの無垢な瞳が、尚更、ダエンを突き動かす。

彼の。
大事な友人の、たった一人の息子だ。

今、彼らを守ってやれるのは自分しかいない。
そう決意して、忙しい職務の合間に足繁く通い、夜も面倒を見た。

次第に生気を取り戻していったサシェルが、大粒の涙を零したのはギエンの死が伝えられてから1か月も後のことで、当時、ギエンが騎士団の正装に付けていた団長を意味する金バッチを握り締め、一晩中大声で泣き叫んだ。
何度も、ギエンは死んだのかと訊ね、その度にそうだと答える日々が続いた。
あれほどの苦痛は未だかつてない。

言葉というものは想像以上に、重く、深く、心に刻み込まれる。

ギエンの死に同意すればするほど、胸に刃を突き立てられ苦しい思いをした。それでもサシェルを現実に呼び戻すためには必要なことだった。

何度も頷き、泣き叫ぶ身体を抱き締める。
お互いのぽっかりと空いた穴を埋めるように、そんな夜を過ごした。

そうこうしている内に、夜はサシェルの家で食事をすることが常となっていた。
サシェルとの会話は大体がギエンとの思い出話だ。最初の1年は涙ながらにギエンの事を話していたサシェルが、次第にギエンの話をしなくなり、笑みを交えながら世間話をするようになるまでには2,3年を要した。

お互いにギエンを失った悲しみが強すぎて、どちらかといえば共依存関係にも等しい。


次第に三人で過ごす日が増え、気が付いた時には結果としてサシェルと結婚という形で落ち着いていた。
サシェルやミガッドを大切に想う気持ちに偽りは無いが、決して自ら望み、率先して手に入れたものではない。

二人を守っていくことがギエンに対する想いでもあり、ダエンの生きる目標だった。


当時の想いを思い出して、
「…っ」
突如、涙が溢れ出す。

サシェルもミガッドも。
支えてきたのは自分だ。決してハバードではない筈だと八つ当たりにも近い想いを唐突に自覚する。
目の前のギエンを見て、腹立たしさと共に当時の辛い様々な想いが感情の嵐となってぶり返した。

「っ、なんだ…!?」
ぎょっとしたギエンが慌てたように菓子をテーブルに置く。
ハラハラと涙を零すダエンを見て、どうしたものかと手を空中に持ち上げたまま止まり、すぐにパシェをちらりと見て視線で出ていくように促した。
意図を察したパシェがそっと部屋から出て行くのを確認した後、溜息混じりにダエンに声を掛ける。
「いきなり泣くな…、びっくりするだろ」
「…ごめん。僕は君になんてお詫びをすればいいのか…」
涙ながらにそう訴えた。

ギエンにとっては、もう今更のことだ。

戻ってきた直後は確かに衝撃を受けていたが、既にどうでもいいことで、ミガッドが全く自分に懐いていないことも、何もかもが仕方の無いことだった。

「…別にお前のせいじゃねぇだろ」
戸惑った声で言いながら、どうしたものかと視線を落とす。
「もう済んだ話だ。俺もお前に酷いことを言ったし、お互いだから気にすんな」
俯いて涙を零すダエンの顔を覗き込んだ。
鼻を啜りながら涙で顔を濡らすダエンを見て、苦笑を浮かべ、
「いい大人が、涙でぐちゃぐちゃだぞ」
まるで子どもにするように両手の袖で、ダエンの頬を拭う。

柔らかな生地が優しく頬に触れ、この何年間かどこか穴が空いたままだった心がすっぽりと塞がっていくような気がし、何故か心の底から安心した。

泣き笑いを浮かべ、恥も何もないダエンの顔に、
「ははっ。こうしてると昔のお前みてぇ」
両頬を包み込んだまま、昔と同じようにギエンが笑った。

その笑い顔を見て、思わずギエンを強く抱き締めていた。
「っ…!」
「生きてて、良かった。僕は本当に…、心からそう思ってる」
痛いほどきつく抱き締められ、ギエンが小さく呻き声をあげる。

その想いの強さは、ギエンがここ最近で抱いていた疑念を払拭させるものだった。
抱き締められたまま無言になるギエンの耳元に、ダエンの涙に滲んだ小さな吐息が掛かる。
「ギエンが帰ってきた時に、僕はこうして抱きしめるべきだった。君をもっと歓迎すべきだったのに」
今更、後悔の言葉を吐くダエンに苦笑を返す。
「もう終わった事だ。気にすんな」
慰めるように肩を叩いて、ダエンを引き剥がした。
それから、ダエンの顔を覗き込んで、
「落ち着いたか?」
再度、袖で頬を拭う。
「ごめん、あの時の事を思い出したら突然涙が出てきたよ」
弱ったように笑いを浮かべ、頬にあるギエンの手を取る。

その拍子に。
手のひらの深い傷と、赤黒く残る手枷の跡が袖の合間から見えた。
「突然過ぎてびっくりしたけどな」
笑うギエンがいつもとは異なり、素肌にシャツ一枚羽織っただけのラフな格好だ。
褐色の肌が透けるシャツは胸元が大きく開き、いくつもの傷がダエンの視界に映る。鍛えられた身体に残る傷は決して醜いものではなく、ギエンの褐色の肌と相まって一層、劣情を刺激した。

ギエンが無意識に纏う気配は、この15年間を深読みさせるに十分で、
「っごめん、いい歳して、僕は本当に駄目だね」
唐突に、目の前のギエンに動揺して慌てて身を離す。
それを悟られないように平静を装ったダエンに気付く事もなく、
「いや、俺も悪かった。二人のことも、お前には感謝してる」
ギエンがそう謝罪した。
そのまま右手を差し出し握手を求める。
「もう一度、やり直しだな」
そう言ったギエンの手をがっちりと握り返し、
「ありがとう。ギエン」
ようやく胸のつかえが取れた気がして礼を言えば、ギエンが小さく方笑いを返した。
それは15年前にはあまりしなかった笑いだ。

それでも、何故かその表情にどきりとして、そんな自分に尚更、動揺していた。


以前と変わらない関係の筈なのに、以前とは違う。
ギエンの纏う気配がそうさせるのだと気が付き、そのことを意図的に意識の外へと追い出す。親友としてギエンと接するためには、気が付いてはいけない部分だ。

何も気が付かなかった振りをして、
「じゃあ夜にまた来るよ。留守だったら世話役の彼から貰うから気にしないで」
別れの挨拶をした。
「あぁ、またな」
対するギエンは、全くいつも通りだった。

ダエンと入れ違うように室内へと入ってきたパシェに、紅茶を入れるようにお願いする。
それから中断していた読書を再開するのだった。



2021.05.21
更新、ちょっと遅くなりました…💦。2,3日前に更新したかったんですが、頭痛と睡魔で無理でした(笑)。
ヒラヒラの格好で無防備のギエン大好物です(^^*!
一番のポイントは袖で涙をぬぐうギエン(笑)。

訪問・拍手ありがとうございます‼
コメントもありがとう(*ノωノ)‼お返事遅くなりスミマセン…💦
美味しく頂いてくれて嬉しいです(笑)。バリバリ総受け目指し頑張ります( *´艸`)。

あ。次回更新がちょっと空きそうですので、一応ご連絡…m(__)m。セインの方で時間が掛かりそうです…(;^ω^)‼

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 ***37***

それからというもの、ダエンは度々、ギエンの元を訪れるようになっていた。
ギエンが読書をしている機会が増えたということもあるが、合間を見つけては他愛無い話をして帰っていく。
また、ついでのように夕食に誘っていった。

その日もダエン家での食事会となり、回数でいえば3度目のことだった。初回の時とは異なり、ミガッドの幼少期の頃やサシェルの話など、話題は二人のことにも及んでいた。
三人しか知らない昔の思い出話をギエンに語りながら、彼らが笑い合う。それが不快でもないギエンだ。
彼らの会話を笑って聞いていた。


食事が終わった後、頬杖を付いたまま会話に参加していたギエンが、ふと思い出したように時計を見る。
ダエンがすぐにその様子に気が付き、
「良かったら泊まって行けばどう?僕の服を貸すよ」
何の躊躇いもなく誘った。

驚くのはギエンだ。
「…いや、パシェに」
「彼が気になるなら連絡しておくよ」
泊まるのは違う気がして断ろうとしたギエンの言葉をダエンが途中で遮り、いい提案だと目を輝かせる。隣に座るサシェルが笑みを浮かべたまま小さく頷くのを見て、
「…じゃあ、迷惑じゃなければ」
自分の考えを改めた。

親友なら相手の家族の家に泊まることも普通なのかもしれない。
隣に座るミガッドに視線を送れば、やはり何の感情も見せずお茶を啜っていた。


言われるがまま客間に案内され、ミガッドや二人の寝室まで案内される。
かつてサシェルと住んでいた家にも関わらず、全く見知らぬ家を歩いている気分に陥っていた。
内装一つでこれだけ印象は変わるのだろうかと、案内されながら通路や室内を見て、15年という月日の経過を実感させられていた。
ここはかつて自分が住んでいた家ではなく、もう既に他人の家なのだろう。


「説明するまでもないけど、浴室は下の階の通路奥だからね」
ダエンの言葉に曖昧に頷けば、
「準備できたら呼ぶよ。それまでのんびりしてて。後で明日の着替えも持ってくる」
そう言って夜着を手渡される。
ふわりと清潔な香りがして、何となく不思議な気分になった。

去って行くダエンに礼を言って、客間の奥へと入っていく。
その部屋は、以前は物置き場として使用していた場所だ。それが今では埃一つ無く綺麗にされ、床には毛足の長い絨毯が、壁には洒落たタペストリーが飾られていた。
いつ突然の来客があっても恥じること無く招き入れることが出来る状態になっていて、窓に掛かるカーテンもまた品のいい代物になっていた。
それがサシェルの好みなのか、ダエンの好みなのかは知らないが、感心させられていた。

閉じられていたカーテンを開き、窓を開ければ心地よい風が入り、ギエンの頬を優しく撫でていく。眼下には、計画的に配置されたレンガ調の通路と咲き誇る花々が柔らかな光を放つガーデンライトに照らされ、心が洗われるような美しさが広がっていた。


その美しい光景は、ギエンを唐突にやるせない思いにさせる。

見覚えがある訳でもない。
ただ、その美しさが寂寥感を呼び覚まし、訳もなく孤独感に苛まれた。世界中でただ一人、自分だけが存在しているかのような錯覚がして、何気なく肩の噛み跡に手を滑らせる。


全く別物だというのに、山脈から望む朝日を思い出していた。
そこから見る陽の光は嫌な事も何もかも、全てを洗い流していくかのような荘厳さで、澄んだ空気が全身を駆け巡り、身も心も浄化していくような絶景だった。
隣に立つザゼルが、珍しくも小さく口角をあげる。
一緒に望む朝日の時は、常に同様の表情を浮かべていた。それだけでも胸が暖かくなっていた。


指先で歯型を確認し、『まだ』それがちゃんとそこに存在していることに、安堵の溜息を洩らす。

ザゼルの遺品は何一つ持ってはいなかった。
彼が存在した証は、自分の肩に刻まれたその歯型のみだ。


窓枠に手を掛け、思い出に耽る。
しばらくそうしていると、
「ギエン…今よろしいですか?」
控えめな優しい女性の声がノックと共に問いかけた。

ふと現実に戻される。

気持ちを入れ替えるように、頭を緩く振ってドアの前まで行った。
それから深呼吸して、
「どうかしたか?」
ドアを開いて相手を迎え入れた。

訊ねるギエンはいつも通りの顔だ。
何の苦痛も悩みも無さそうな強い表情に、サシェルへの気遣いの色が宿る。

ギエンの顔を見たサシェルが一瞬、戸惑いの表情を浮かべる。それからすぐに安心したように笑みを浮かべ、
「貴方に謝らなければと思って…」
両手に持った宝石箱をぎゅっと握り締めながら小さな声で言った。
「…?」
何のことか分からないギエンに対し、
「こないだ貴方が来て下さった時に、私は酷い言葉を言ってしまったから…、それをずっと悔やんでいました。貴方に言うべき言葉ではなかったのに、本当にごめんなさい」
ひと月ほど前の出来事を改めて謝罪してきた。
見上げてくる瞳には深い後悔が宿る。穢れを知らない美しい琥珀色が記憶にあるものと同じで、それがギエンを不思議な感覚にさせていた。

言葉の内容以上に、その瞳に囚われる。

しばらく見つめ合った後、
「あの時は、お前ら二人の気持ちも考えずに会いに行っちまったからな。悪かった。俺は気にしてないからサシェルも、もう忘れろ」
そう言って、サシェルの長い茶色の髪を耳に掛けた。
「…!」
琥珀色の瞳が見開かれ、ギエンを驚きの顔で見つめる。
その驚きを理解できないギエンだ。
「…?」

その行為は、ギエンがサシェルによくしていた癖で、何かある度に髪を耳に掛けた後、頬に手を添えていた。
ギエンにとっては何気ない行為の一つでも、サシェルにとっては大事な思い出の一つで、ギエンの真意を問うようにじっと見つめていた。

目を逸らせなくなり、再び意味もなく見つめ合う羽目になる。

見つめ合うこと数瞬後、唐突にサシェルが思い出したように、
「あ!ギエン、貴方にこれを返そうと思って…」
両手で握り締める宝石箱に視線を落とした。
「ん?何だ…」
覗き込むようにサシェルの手元に視線を落とす。

宝石箱だけでも高級だと分かる代物に、何が入っているのかと軽い好奇心がギエンに芽生える。
煌びやかな装飾がされた箱が、ゆっくりと開いていき、
「ッ…!」
そうして中から出てきたモノに、息が止まった。


思い出したくない過去が脳裏を一気に駆け巡る。


一瞬で表情を変えたギエンに、
「っ…ごめんなさいッ…、ギエン!そんなつもりじゃ…!!」
サシェルがすぐに気が付き、慌てて箱を閉じた。
血相を変えたギエンに手を伸ばし、頬に指先が僅かに触れる。

その瞬間に、
「ッ…!触るなッ…!」
激しくその手を振り払った。
「きゃっ…!」
サシェルの短い悲鳴と、宝石箱が床に落ちた激しい音が響き、
「っ!」
ハッとしたようにギエンが動きを止める。
咄嗟に、よろめいたサシェルを受け止めて、今にも泣きそうなサシェルを見遣った。

「…悪い」
ギエンの言葉に、サシェルが堰を切るように涙を零し始め、
「ごめんなさい…、ギエン…、私、よかれと思って…。本当にごめんなさい…」
震える声で謝罪を繰り返した。
「いや、俺が悪い」
抱き寄せた身体が細くか弱い女性のものだ。思わず手を振り払ってしまった自分を恥じていた。
「本当に悪かった…。大丈夫だったか?」
ギエンの申し訳なさそうな言葉に、サシェルがさめざめと涙を流しながら何度も頷く。
「ギエン、ごめんなさい…」
再び謝罪したサシェルの言葉に、ぽつりと小さな声でギエンが本音を吐露した。
「俺は、…団長だったことを今でも後悔してる。…あれは見たくもない」
高級そうな宝石箱と共に、紋章入りの金バッチが床に転がっていた。

それに視線すら向けないギエンの瞳に、痛みが走る。その変化に気が付かないサシェルではなかった。
「私にとっては大切な物だったから…、貴方にとっても大事な物かと勝手に思ってしまって…、ごめんなさい」
「…悪い」
視線を逸らせ謝罪するギエンにおずおずと手を伸ばす。今度は振り払われることなく、両頬に届いた。
「貴方が見たくない物なら、処分します」
「っ…!」
あれほど、大切そうに仕舞っていた物を呆気なくそう言った。
「そんな表情をさせたくないもの」
「…そんな表情って何だ」
苦笑混じりに返すギエンに、美しい琥珀色の瞳が笑みを浮かべた。
世の中の穢れに惑わされることもなく、他の色に染まることもなく、昔と変わらぬ純粋さだった。

床に落ちた物を拾い上げ、ギエンの視界に入らないようにハンカチで包み込む。
「箱、大丈夫だったか?」
ギエンの気遣いに笑みを浮かべ、
「えぇ。ギエン、また夕食を食べに来て下さいね」
既に涙は引っ込んでいた。
「あぁ」
何も無かったように、ギエンが軽く答える。
それに安堵の表情を浮かべ、サシェルが部屋から出て行った。


閉まるドアを見送った後に、疲れたようにベッドに身を投げ出すギエンだ。
過去から逃れられはしない。

誰であろうと。



思い出したくない記憶に蓋をして、瞳を閉じる。
深々と溜息を漏らすのだった。



2021.06.02
お久しぶりになってしまいました(笑)。
そろそろサシェルとの絡みも(笑)。
女性に酷い態度をしてしまうギエンの余裕の無さがスキ(笑)。

そういえば、ふたつの黒の方の拍手ありがとうございます!!(^^)!以前からちょこちょこ貰うので、こちらにお礼を(笑)。
それでふと見たら、アンザスとギエンって容姿の特徴が同じかも…?とか思ったり…?(笑)全然意識してなかったけど、自分の脳みそが進歩してなくてコワイです(;´艸`)笑
あぁうぅ〜…
で、ネタが暗いのでアップせずにそのままになってるエリス視点の後記みたいなのがあるんだけど、拍手を沢山貰うので、ついでにアップしようか迷い中です(笑)。ただ暗いのとアンザスは出てこないからウーン?BL的に?と悩む所…(笑)。
そろそろ短編も整理したいなーとは思ってはいる…んだが…(;^ω^)ホホホ!


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 ***38***

温かな湯に浸り、客人待遇の浴槽は想像以上に心地良いもので、ギエンの頭をスッキリさせていた。
室内に漂う柑橘系の香りが尚更、脳裏に染みわたり心身共に癒していく。
ふかふかのタオルが柔らかで、本来なら水気をふき取るだけのモノが、荒波だった心を正常に戻す。
渡された夜着を身に付ければ、僅かに袖が余る大きさだった。
「…」
完全に客人用の夜着なのか、ダエンの服なのか、判断できず首を傾げる。

決してギエンは背が低くはない。体格もいい方だ。
ダエンの方が僅かに身長が高いのは把握していたが、それでも袖が余る事には納得がいかないギエンだ。

袖のボタンを留めながら通路を歩いていると、庭の外灯に照らされ、窓の外で人影が動いた事に気が付いた。
思わず警戒して、窓の外を覗き見る。


既に外は真っ暗の時分だというのに、ミガッドが懸命に剣を振っていた。
基本の型を一通りこなしているのだろう。

つい、気になり外へと出向く。
ギエンがやってきたことにすぐに気が付いたミガッドが、怪訝な顔をして動きを止めた。
「…迷惑か?」
「別に…」
言葉以上に態度はあからさまで、眉間に皺をよせ不機嫌そうに唇を尖らせる。見た目以上に精神年齢が若いのかもしれない。ミガッドの子供っぽさに心の中で小さく笑う。
「練習相手になろうか?」
相手の態度に気がついているものの、敢えて素知らぬ顔で問いかければ、
「その格好でですか?」
予想外に強い言葉でやり返された。

ダエンに渡された夜着は白地の素材でシミやシワ一つなく、新品同然のような綺麗さだ。それに加え、ゆったりめに作られた洋服は体格の良いギエンが着てもゆとりがあり、手足に遊びのあるだぼついた状態になっていた。
「少しくらいは大丈夫だろ」
ギエンの軽い返答は、ミガッドの神経を逆撫でしたのは確かで、
「後で父さんに怒られても知らないですからね」
やや剣の交じった声で言った後、練習用として立て掛けてあった木刀を投げて寄こした。

『父さん』

ミガッドがダエンをそう呼ぶのに慣れたかと言えば、全く慣れずにいる。
だが、考えたところでどうしようもないものだ。割り切って、ミガッドに軽く攻撃を仕掛ければ、予想外の反応で受け止められる。
そればかりか難なく弾き返され、容赦ない反撃を食らった。
僅かに驚きの表情を浮かべるギエンを見て、
「そりゃ、貴方にしてみれば僕相手は余裕かもしれないですけど…」
言葉を切って、予想外の乱撃を繰り出す。日頃、訓練場で練習している姿からは想定できない動きだった。

ギエンの顔にあくどい笑みが浮かぶ。
「おもしれぇじゃん!」
剣で人を守るような仕事はうんざりだが、剣術自体が嫌いかというとそうでもない。特異な技ほど好奇心が刺激され、余計に打ち負かしたくなる。
強弱を付け打ってくるミガッドの乱撃を避けるでもなく、その自信を潰すように一つずつ打ち払っていく。焦りを見せるミガッドの懐に、深く踏み込んで距離を詰めた。
「ッ…!」
間近に迫ったギエンに慌て、斜め上から振り下ろされた力任せの打撃は、ギエンに難なく流され不発に終わる。勢いでバランスを乱したミガッドの片足を払い、
「ぅわっ…!」
「悪くねぇけどな」
余裕の笑みを浮かべたギエンが、倒れそうになったミガッドの腰に手を添えてふんわりと支えながら言った。
「…どうせ、俺の剣技じゃあんたの足元にも及ばないですよ」
こうまで軽くあしらわれると、がっくりとする。ミガッドが不貞腐れたように視線を逸らすのを見て、ギエンが小さな子どもにするように頭を撫でた。
「そこまで軽々扱えるのは大したもんだ、自信持てよ」
赤子を捻るように簡単に制圧しておいて何を言っているのかと、ミガッドの機嫌が益々悪くなる。

気にもせず頭を撫で続けるギエンの手を払い除けて、
「あんたのそれは何なんだよ!男に頭を撫でられて嬉しい訳ないだろっ!」
思わず声を荒らげていた。
「…」
唐突の剣幕にギエンがぽかんとした後、表情を和らげて口角を上げる。
「悪い、お前はもう子どもじゃねぇよな」
何がおかしいのか笑みを見せるギエンに、
「あんたのことを父親だとは思ってない!勝手に子ども扱いすんな!」
二度目となる台詞をはっきりと告げた。苛立ちを浮かべる琥珀色の瞳がサシェルと同じようで別物だ。その強気の態度に益々ギエンが愉快そうに声を立てて笑った。
「っ、何笑って…!」
ミガッドの眦が吊り上がり食って掛かるのを、
「お前、そっちのがいいぞ。無理して敬語使って俺と話してるお前って白々しくて気持ち悪ぃしな」
「っ…!」
これだけ露わに怒っているにも関わらず、ギエンに軽くあしらわれて終わった。こういうのを子ども扱いというのだと益々目くじら立てるミガッドに、
「一つ、アドバイスとしてはな、お前はやっぱ体格的に言ったら小柄だからさ」
全く意に介さず、ミガッドの木刀を握る手を掴む。
「相手がこう来た時に、どうしても押されちまうんだよ。俺が本気で振りかかったら多分、お前じゃ支えられねぇ」
言って、木刀をぐっと後ろへと押し込む。ギエンの言葉通り仰け反り姿勢が苦しくなった。
「まぁ体格差をカバーするテクニックは色々あるけどよ、お前の場合、強弱が上手いから、力の抜き方を覚えるとぐっと楽になると思うぜ?」
ふっとギエンの気配がより近くなり、ミガッドの頬に相手の髪がかかる。
入浴直後の華やかな香りが鼻をくすぐり、半乾きの髪が艶やかで意識がそちらに奪われた。
「力抜いてみ?」
目の前にある涼しげな瞳と視線が合う。
押されたまま、力を抜けばそのまま後ろに倒れ込みそうになり、ミガッドの身体を支えるように背中に手を回したギエンが足を一歩踏み締める。
「こんな感じになるから俺もバランス崩すだろ?そこを切り崩す。大体、体格差がある相手はこれで隙が生まれる。まぁゼレルみたいなタイプには通じねぇんだけどな」
説明しながらミガッドを引き起こし、カツンと木刀同士を打ち鳴らした。
「簡単だろ?」
ふっと片笑いで言ってのけた。
「…」
どこが簡単なんだと心の中で悪態を付く。それが簡単に出来てたら苦労はしないだろう。

「…副団長に通用しないのは何で?」
思った疑問を口にすれば、
「あいつは図体と力が強すぎるから一緒に押しつぶされちまう。あと意外にテクニックあるからカウンター食らうかもしんねぇしな」
顎に手を置いて思案した。ゼレルを思い出したのか、面白そうに瞳を輝かせる。
「意外にって、仮にも副団長に」
「いいだろ。俺の方が強いんだから」
あっさりと言い切って、誇るようにミガッドを見て瞳を細めた。ギエンのその表情に、
「…俺は別にあんたの息子でもねぇし、自慢だとか思わないから!」
視線を逸らせてそっぽを向けば、ギエンが可笑しそうに声をあげて笑った。
「お前がどう思おうと、俺の血を引いてるなら俺の子だろ。残念だったな」
面白がる台詞を吐いて、
「…!」
さらりと。
ミガッドの淡い茶色の髪を指ですくい、耳に掛けた。

髪から耳朶に触れた指がゆっくりと頬から顎に掛かり、離れていく。
笑みを浮かべるギエンの瞳は甘い色を浮かべ、ミガッドを愛おしそうに見つめていた。

「…っ、あんたは、そんな態度ばっかしてるから変な噂が立つんだよ!」
思わず苦情を言えば、ギエンが不思議そうな顔をして首を傾げる。腕を組んで思案する態度に、ギエンの今しがたの行為は驚くべきことに無意識のものだと知るミガッドだ。

尚更、性質が悪い。
子ども扱いのみならず、女扱いでもするつもりかと詰め寄れば、
「あぁ、なるほどな。俺が今の地位にいるのは、色目を使って取り入ったとかそういう噂のことか」
あっさりと、侮蔑以外の何物でもない下賤な噂話を口にして、あろうことか、
「まぁ、男だろうと簡単に寝るっていうのは当たってるけどな」
衝撃的な発言をしてミガッドを驚かせた。
「どうせその類の噂話も流れてんだろ?」
大して気にもせずギエンが口にするのを聞いて、わなわなと唇が震えるミガッドだ。
「…っそんな話を告白されて尚更、父親だなんて思える訳ないだろ!あんたのそんな態度が噂を助長するんだよ!」
尤もなミガッドの言い分にギエンが小さく笑い、
「しょうがねぇだろ。息子のお前に隠したって仕方がねぇし」
開き直った言葉に、益々返す言葉を失った。

呆れて深々と溜息を吐くミガッドに、
「お前、そんな噂に怒るって、…意外に俺のことを認めてんのな?」
顔を覗き込むように首を傾げ、柔らかに言った。僅かに、はにかみの混じった笑みを浮かべ、にやける口元を手の甲で隠す。


それが無意識の行為だとは分かっているミガッドだ。


手の甲まで隠れる長い袖から形の綺麗な指先がちらりと覗き、やけに庇護欲を掻き立てられる姿だ。

隙一つ無い男前の正装姿に見慣れているせいか、ゆったりとした夜着一枚の姿は心許なく、加え、日頃は整えられている長めの前髪が、半乾きのまま乱雑に目に掛かり、蒼い瞳をより甘く引き立てていた。
夜の弱いガーデンライトの明かりが尚更、ギエンの瞳に光を宿して誘うように揺らぐ。


その姿に。
思わず視線を奪われ、時が止まる。


頭の片隅で恐らくこういうことなのだろうと、噂の本質を感じ取っていた。
本人にそんな意図は全くなくとも、相手の心だけを無駄にかき乱し、同性だというのに妙な本能を悪戯に刺激する。
その癖、本人は全く興味もなく無関心なのだ。

これ以上、ギエンを見ていると何かがまずいと本能が警告する。


パッと視線を逸らしギエンに背を向けながら、
「俺は下らない噂話が嫌いなだけ!」
木刀を片付けて、会話を終わらせるように語尾を強めた。
「まぁ、お前が気にすることじゃねぇから」
「だから気にしてないって!」
ギエンが柔らかく笑ったのが、背を向けていても分かった。

懐柔されるつもりもないのに、懐柔されそうになっている自分を自覚せざるを得ないミガッドだ。
ギエンを父親だとは思っていない。父親はダエン一人だ。それは変わりないが、ギエンに気を許しつつあった。

最初は得体の知れない男に過ぎなかった筈なのに、ギエンという男を知るにつれ、彼がかつて『英雄』とまで呼ばれ、人々に親しまれていた事実に納得させられる。
見惚れるほど凄まじい剣技だけでなく、その見目麗しい容姿に、会話から滲み出る性格、ギエンの全てが人々を引き寄せるだけの力があった。


自分よりも上の世代が、ギエンに憧れを抱き尊敬を示すのにもある意味、納得がいく。
それでも、
「俺はあんたを父親だとは思ってないからな!」
視線を合わせてそう強く伝えれば、ギエンが驚きの顔をした後、可笑しそうに笑った。

「じゃあな、おやすみ。ミガッド」
全く気にしていないギエンの言葉に苛立ちを深めつつ、
「…、おやすみなさい」
挨拶は挨拶だ。小さく言葉を返さざるを得ない。


背を向け手をひらひらと振りながら、階段を上っていく。
意図せず、それを見送る羽目になるミガッドだった。




2021.06.06
ミガッドとちょっと距離が近づいてます(^^)♥
ぶっちゃけ、総受けサイトなので近親〇〇もどんと来いサイトです(笑)
苦手な方はいるのかなー?💦まぁミガッドxがあるかどうかは別にしても、ちょっと心配…(笑)
まぁ私のサイトは基本、兄弟ラブ、親子ラブ、デフォルトだから大丈夫かな〜とは思うけども(笑♥)美味しいです(笑)。
あ。今回37話に若干、修正入れてます(笑)。日頃アップ後に加筆修正は誤字以外しないんだけど、ちょっと文体が気になってしまったので…(;^ω^)汗汗。内容は同じなので気にせず(笑)

いつも拍手・訪問ありがとうございますm(_ _"m)
コメントもありがとうー(^^*)‼私もギエンスキーなので嬉しいです(笑)‼これからもどうぞヨロシクです(^^♥)‼

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 ***39***

ギエンの朝が酷いことはパシェにとっては今更のことだが、それはパシェが世話役だからに他ならない。

日頃の畏まったギエンの姿からは到底想像できないもので、あそこまで酷いとは誰も思いもしないだろう。ましてやギエンを昔から知っている人物なら尚更、思いもしない。


翌日、朝の時分になっても一向に起きてくる気配のないギエンを呼びに来たダエンは、まずノックの後に無言が続くことに首を傾げた。
室内へと入ればカーテンを締め切ったままの状態で薄暗く、ベッドには一人の男が死んだように熟睡していた。
「?…ギエン、朝だよ?」
ダエンの声にも全く反応せず、ダエンの中に疑問が浮かんでいた。

ギエンは、決して朝に弱くなかった筈だと過去の記憶を思い返す。記憶違いかと思うも、そんな訳がないと否定した。
少なくとも騎士団だった男だ。人の気配に敏感で無ければ務まらないような仕事の筈だ。
若い頃に一緒に寝たことも何度かあるが、朝は常にギエンの方が早く、寝起きであっても清々しい顔をしていることの方が多いくらいだ。

「ギエン?」
何度か呼びかけてみても一向に目を覚ます気配がなく、心地良さそうに睡眠を貪る。
ギエンの安眠を妨げるのは悪い気がしつつも、カーテンを開き室内に眩しい陽の光を入れた。さすがに起きるだろうというダエンの予想に反し、変わらずの熟睡っぷりだ。
乱れた上掛けが中途半端に身体に被さった状態で、片手を頭の上に置き仰向けで寝る姿は、起こすのが気の毒になってくる無防備さだった。

ベッドに腰かけて、再度呼びかける。
まるで聞こえていないギエンの頬に触れれば、それを避けるように顔を横に背けた。
「…」
ダエンの胸の内に、ぞくりと得体の知れない感情が頭をもたげる。
白い夜着を身に付ける褐色の肌に猛烈に触れたくなって、ギエンの首筋に手を添える。浮き出た筋に沿って鎖骨まで撫でれば、ギエンが身じろぎ小さな声を洩らした。
「…ン」
緩く指先を丸めた手を顔の横に置く。

ゆったりとした夜着はダエンの好みで、ギエンが今着ている服も備え持つストックの一つだ。
自分の服に包まれたギエンが目の前で心地良さそうに寝ているのを見て、妙な独占欲が生まれていた。しどけない姿に萌え袖が余計に無防備に感じさせ、まるでギエンが自分のモノかのような錯覚に陥る。
危険な思考を自覚しつつも、褐色の肌に滑らせた手は緩く下へと降りていく。

ボタンが外れ大きく開いた胸元から鍛えられた胸筋が呼吸に合わせ波打っていた。均整のとれた身体は男のモノだというのに、溢れんばかりの色気を放ち、ダエンの心拍数が勝手に跳ね上がっていく。
夜着の合間から覗く、淡い桜色の胸の突起に無意識に指が触れ、
「ふ…っ」
ギエンから漏れた甘い声に、息を止めた。
「っ…!」
自分の行動にハッとしてギエンの顔を見つめるも、ダエンの心配は杞憂に終わる。
変わらず、すやすやと寝息を立てていた。
「…」
安堵すると共に、ふと唐突に定例パーティのことを思い出していた。

ハバードと会話をしながら自分の唇をなぞっていたギエンの姿を思い出し、つと唇に手を伸ばす。
桜色の唇は酷薄な印象を与える薄い唇だ。それであるのに、艶やかで甘い気配を醸す。人差し指の第二関節で唇を撫でれば、迎え入れるように薄く唇を開いた。
それに驚きつつ、好奇心に誘われ、
「…っ」
中へと指を差し入れていた。
熱い舌が指へと触れ、ダエンを更に誘う。
「ァ…」
小さな声を洩らすギエンの舌を人差し指と中指で挟み取れば、
「…ぅ…、ン…っ」
眉間に皺を寄せて、悩ましく呻いた。
柔らかな舌が逃れようと蠢き、ダエンの指を濡らしていく。健康的なピンク色がちらりと唇の間から覗き、ダエンに異様な興奮を齎す。
指で口内を犯すダエンの耳に、
「父さん」
唐突に呼びかける声がして、肩を激しく揺らした。
「ッ!!!」

遅れてノックの音が響く。
扉を振り返ったダエンの視界に、開けっ放しのままの扉の横でミガッドが立っていた。
動揺するダエンに対し、
「母さんが朝飯、用意出来てるから早くって…」
ミガッドは冷静なままだ。
「…あぁ!すぐ行くよっ!」
努めて普段通りに返せば、特に疑った様子もなくミガッドが去って行った。

思わずほっと胸を撫で下ろすダエンだ。
何をしているんだと自分を叱咤して、濡れた指をふき取る。それからギエンの肩をがっと掴み、激しく揺すり起こした。
「ぅ…ん」
荒々しく揺さぶられて、ようやくギエンが緩く瞳を開いていく。
不機嫌そうに眉間に皺を寄せた後、
「…!」
濡れた唇を手の甲で拭った。

ドキリとさせられ、食い入るように見つめるダエンに、
「…悪い。よだれ垂らしたかもしんね…」
勘違いしたギエンがやや気まずそうに謝罪する。

自分のせいだとは口が裂けても言えない。
益々動揺し、所在なさげに挙動が怪しくなる。
「気にしなくていいよ!それよりも、ほら、朝食出来てるから早く着替えて降りてくるといいよ」
ばっと立ち上がって急かすダエンの様子に、ギエンが首を傾げ曖昧に頷いた。
「先に下階に行って待ってるから」
「あぁ、すぐ行く」
寝ぼけ眼で欠伸を零し、乱れた髪を手で直す。慌ただしく去って行くダエンの後ろ姿を見送りながら、パシェがいない不便さを実感していた。
「やっぱ世話役は必要だな…」
ぽつりと洩らして、のっそりと寝台から抜け出す。
待っているであろう彼らのためにのろのろとした動作で、急ぐのだった。


ギエンが身なりを整えた後、食卓へと向かえば既に全員が席に付いていた。
「おはよう、ギエン。遅いよ」
冷静さを取り戻したダエンが軽い調子で声を掛ける。
「おはようございます、よく眠れましたか?」
入口を振り返ったサシェルが笑顔を浮かべる正面で、ミガッドが軽く会釈した。


こういうのも悪くない。
朝からこうして誰かと食卓を囲むというのは久しぶりのことだった。

空いてる席へと向かいながら、ミガッドの柔らかな猫っ毛を乱雑に撫でる。
「っ…!」
通り過がりにしたギエンの何気ない動作は一瞬の出来事で、ミガッドがムッとしたように視線を送った時には既に椅子を引いて座ろうとしていた。
「よく眠れたよ。朝食までご馳走になっちまって悪いな」
ギエンの感謝にサシェルが笑みを深める。その姿を見たダエンが嫉妬を浮かべるでもなく、同じように笑って、
「また来るといいよ」
そう誘った。
「…そうだな」
短く答えた後、小さく口角を上げてギエンが笑みを浮かべる。

ミガッドがちらりとその顔を横目に見て、次いで窺うようにダエンを上目に見た。

ダエンとギエンの関係を疑っているという事はない。
だが、ダエンがギエンに抱く感情が何なのか分からずにいた。ついこないだまではあんなに苛立った視線を送っていたのに、今は穏やかな目をして見つめている。
昔の友情にしては行き過ぎてる気がしてならないミガッドだ。先ほど見た光景も、遠目では何をしているのかまでは分からなかったが、ギエンに何かをしていたのは確かで、ダエンの動揺ぶりからも、見てはいけない何かだったのだろうことは分かる。
ダエンに限ってそれは無いと思いつつ、見てしまったものは見てしまったもので変えられない事実だ。

世間話をする彼らに再び視線を向ければ、ダエンの行動に全く気付いた素振りもないギエンがパンを手に取り口に運んでいた。

こうして食事をしている所を見ると、紳士然としており昨夜の雰囲気とはまるで別人だ。
方笑いを浮かべる姿すらどこか品性があり、魅力あふれる大人の男だった。

男ですら惑わされてしまうのも、この男の場合は普通のことなのかと奇妙な事を思う。
二人のことは気にするのを止めようと目の前の食事に視線を落とすも、意識は二人の気配を探ってしまうのだった。



2021.06.09
早いですね!もう39話です!(^^♪
バレてないつもりでダエンの行動をしっかりと目撃していたミガッドです(笑)

拍手・コメントありがとうございます‼沢山頂いて有頂天です(*'V’*)ノ♡♡
近親〇〇も無問題みたいで何よりです(笑)。調子に乗って更新頑張りますね(*´艸`)エ??
ハバード気に入って下さった方、ありがとうございますm(_ _*m)‼嬉しいです♡ハバードは今後も普通に出てくるキャラなので今後とも宜しくお願いします(笑)←?

さりり様へ☆ちょっとギエン以外の話やら長くなりそうなので別ページにお返事書きました(笑)。お手数ですが【こちらのページ】(新窓)です☆(*^.^*)☆

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 ***40***

着慣れないダエンの服はやはり袖が僅かに余る。
「…あいつの方が手が長いのか?」
ダエンらと別れたあと街へと足を運びながら、小さく独り言を零した。

これほどラフな格好で街を歩くことは余りないギエンだ。きっちりとした恰好の方が落ち着くというのもあり、紐で結んで留めるだけのラフなズボンを気にしつつ歩いていた。

ミガッドとした会話を思い出し、無意識に口角を上げる。

自分に似てるか否かでいったら似てはいないが、それでもミガッドを失わずに済んで良かったと思っていた。
獣人族に囚われている期間、王都に戻ってくる日が来るとは思いもせず、ミガッドやサシェルに再び会う事も二度と無いと思っていたくらいだ。
たとえミガッドが自分に懐いていないとしても、会えただけでも十分なのだろう。

それだけでなく、こうして普通に会話をすることが出来、まるで家族のように彼らと接することが出来る。
通常なら、どんなに親友だったと言っても妻の元旦那を迎え入れたくはない筈だ。

ダエンにはもっと感謝すべきなのだろう。

何かお礼にプレゼントでも買うかと思い立ち、南街へと向かう。
街の中をふらつきながら露店を眺め、商品の品定めしながら歩いていると、丁度、服のモデルを頼まれたホル・ミレの店の前まで来ていた。
ついでに顔を覗かせれば、
「あぁ!ギエン殿!」
すぐに店の主が気が付いて声を掛け、歩み寄ってくる。
ギエンの目の前まで来て、足元から頭のてっぺんまで視線を素早く巡らせた。
「今日はいつもと雰囲気が違って、また色っぽいですね」
金縁の眼鏡を指で押し上げて、口元をだらしがなくさせて笑った。
「はぁ?」
思わず胡乱な瞳を向ければ、
「あぁ、失礼を…」
口元を引き締めてよそ行きの笑みで謝罪する。
「そういえばこないだ着て頂いた服が、中々評判で有り難いです。うちのロゴ入りなので、巷でギエン殿が着ていたあの服はどこのだと噂になってるとか…。あと融資してくれるお得意様も見つかりまして…、ギエン様様ですよ」
両手を擦り合わせて世辞を言う姿に、ギエンの視線が益々鋭くなっていった。
「てめ、嘘くせぇな。とりあえず売れた分の手数料はちゃんと書面送っておけよ」
口調の荒さとは違って、態度はいつも通りで別に怒っている訳でもなく、店内をぐるりと見て飾られた服を手に取る。
縫製を確認するように布の繋ぎ目を見て、
「お前の所、腕がいいよな」
ホル・ミレを振り返って言えば、彼が大きく頷いた。
「長年、自分の所で働いてもらってますからね。自分はデザインは得意ですが、仕立ては彼に任せるのが一番なので。
そうそう、これは新作なんですよ!次回、またギエン殿にモデルをお願いしようかと思ってまして」
飾られていた服を手に取り、ずいっとギエンの体に合わせる。

襟元がシンプルな開襟シャツで、袖にはボタンが3つ縦に並び、二本線で刺繍模様がされている。ホル・ミレの商品の中では非常に地味な部類に入るが、胸元にはしっかりと店のロゴが施されていた。
「まぁこのくらいの服ならいいかもな…。着やすそうだ」
素材に手を滑らせ、率直な感想を言えば、
「ターゲット層を広げようかと思ってまして。カフスとシャツテールを長めにして従来の商品との差別化してみました。ロゴのラフさがまたアクセントでいい味かなと」
嬉しそうに両手を組んで、商品の説明を始める。
ギエンの肩幅に合わせ、今にも服を脱がして着させる勢いだ。
「ふーん」
関心の無いギエンの言葉に、
「貴方は本当に服に興味が無いですよね。着せ替え人形としては最高ですけども」
「失礼な奴だな」
ハッキリとそんな言葉を言って、咎めるギエンの視線を気にもせず笑った。
「今日はもうお戻りになる感じですか?良かったら一着プレゼントしますので、ぜひ着て下さい」
飾られていた服を元へ戻し、店の奥から別の一着を取り出して包装し始めた。
「…モデル代も無しに着させるつもりか?」
ギエンの揶揄に、バレましたかと笑って包んだ物に印を押す。
「あとで別の物に届けさせます」
彼の言葉と同時に店の扉が開き、何人か客が入ってくる。
ギエンがそれに視線を送り、
「邪魔して悪かったな。また時間がある時に寄る」
そう告げるのと共に入ってきた彼らがギエンに気が付いて、途端にそわそわと視線を泳がせた。
肩を竦めるホル・ミレと視線を交わせ苦笑を浮かべるギエンだ。
「じゃあな」
彼らの脇を通り過ぎ、店を出る。

直後、ホル・ミレが彼らから質問責めにあったのはいうまでもない。
それを適当に交わしながら、あわよくば新作を売りつける算段を練る彼だった。



***********************



ギエンの心は王都へ帰還したばかりの頃に比べ、だいぶ落ち着きを取り戻していた。あの直後に感じていた現実感の無さも薄れ、今ではこの平穏が心地良くもあった。
日の光にすら生を実感し、人との会話にもそれなりの楽しみを見出すようになっていた。

ふとした瞬間に蘇る過去が全て嘘だったかのように思え、活気ある街が尚更、ギエンを前向きにさせていた。
過去に酷い裏切りにあったが、全ての人が憎むべき対象ではないと実感させられる。

そんな事を思いながら、南街から西街へと差し掛かった時、
「…!」
ふと、道角で野犬の尻尾が見えた。

整備された南街では滅多に見かけないものだ。
こんな所に野犬がいるのが不思議で、つい後を追う。

西街自体、あまり来ることのないギエンだ。西の門は以前から封鎖状態が続いており、つい先日ようやく解放されたばかりだと聞く。都市間の商いも南か東門をよく利用し、ほとんどが西には寄り付かなかった。それは西門が西の森へと繋がる事とその先の西の山脈へと通じるからに他ならない。

中々行くことのない西街は古くからある石造りの住居が多く、活気ある南街に比べるとやや人気の少ないエリアになっていた。所々に店があるくらいで、通路も曲がりくねった細い道が多く手入れされていない昔のままだ。
そんな中、まるで慣れた道かのように進んでいく犬の尾を追い掛ける。


中型のそれは茶色の毛にみすぼらしい姿で、痩せ細っていた。この辺では残飯を漁って生きているのだろう。
彼らの寝床がどこかにあるのかもしれない。野犬とはいえ人を襲う可能性もあり、保護するなり野生に戻すなりの対処が必要だろう。
今まで警備隊の目に付かなかったのだろうかと疑問を抱きつつ、角を曲がった直後の事だった。

「ッ…!」

突如、感じた圧力に右手を素早い動作で腰に回す。
咄嗟に剣を抜こうとした手が空を切り、自分が帯刀していないことに気が付いた時には既に遅く、
「…ぅっ、…ぁ!!」
ギエンの目の前に大きな魔術陣が浮かび上がり、燦々と5層の円陣を描き赤い光を放っていた。
金縛りにあったかのようにその場に縫い付けられ、赤い光がギエンの全身を取り巻くように吸い込まれていく。


嫌な予感だ。
いや。予感も何も頭の片隅で、既に何が起こったのかを察していた。


動きを封じられたギエンの目の前で、野犬が振り返る。
その瞳は赤く光り、みすぼらしい体からは想像も付かないほど強い視線でギエンを見つめていた。
「ここにいたか。ギエン」
その野犬の奥で。

フードを目深に被った一人の男が、積みあがる木箱の上から飛び降りて言った。口角をあげ、被っていたフードを脱げば、現れるのはアッシュグレーの長い髪と獣の瞳だった。

歩み寄ってくる男は大柄で、190cmは優に超える。彼の頭上には小さな魔術陣が漂い、外部からの認識阻害の役割を果たしていた。


力強いその姿は胸の奥を刺激し、苦しい想いを呼び起こす。
「ッ…、ザ、ゼ…」
彼の名前を呼ぼうとしたギエンに、
「まーだ、兄貴、兄貴言ってやがる。自分が誰のもんか未だに理解出来てねぇみてーだな」
ザゼルと同じ容姿の、ルギルが片笑いを浮かべて言った。
「っ…、生きて…!」
懐かしい容貌は何度見てもザゼルを思い起こさせるもので、その想いを振り払うようにギエンの視線が鋭くなり、ルギルを睨み付けた。それを見たルギルが嘲りの笑いを浮かべ、
「そんなに俺に会いたかったか?この顔が大好きだもんな」
動けずにいるギエンの顎を指で持ち上げ、瞳を覗き込んだ。

間近で見つめ合う瞳は深い金色だ。
見れば見るほど魅入られるその金は獣特有の瞳で、瞳孔は人間の物とは完全に異なる。

「ぅ…!」
指から逃れようと呻くギエンに、
「俺が別の地区に出掛けてる間に人間どもめ、よくもやってくれたぜ。お前がどこに逃げたか探すのにも時間も掛かるしよ」
忌々しく呟き、頬を長い舌で大きく舐め上げた。

獣が獲物を食する時のように愛おしそうに目を眇め、耳を甘噛みする。
「っ…!」
その刺激は、何度も経験してきたもので、
「あそこからだとリッシュ国か、ここしかねぇが匂いを辿るのにも限界があるし、苦労したぞ」
犬歯が耳たぶに当たり大きな手が首筋を撫でる、それだけの刺激で、思い出したくないモノが蓋をこじ開け身体を意図せぬ興奮状態へと陥らせた。

「離、っせ…!」
歯を噛み締め、唸り声を上げるギエンを鼻で笑って、
「この僅かな期間でもう他の男の匂いか」
首筋の匂いを嗅いだ後に、ギエンの体を抱き締めるように体を密着させ下部を擦り合わせた。
「うっ、く…」
思わず、身体を震わせるギエンだ。

頭が霞み掛かり、力が抜けていく。赤い光が脳裏の奥をちらつき、居座ろうとしていた。
身体拘束と精神弛緩はルギルがもっとも得意とする魔術の一つで、精神魔術でいったら相当の腕前に入る。

纏わりつく赤い光から逃れようと全身に気合を籠める。ハバードの言葉を思い出し、出来る筈だと思った矢先に、
「ギエン。会いたかったぞ」
耳元でザゼルと同じ声が、甘く囁いた。
途端、
「…ぁッ…!」
ギエンの全身を甘い痺れが駆け抜けていく。
相手がザゼルではない事は分かり切っているのに、ルギルはザゼルと同じ気配を漂わせ、ギエンの中に眠る感覚を容易に呼び覚ましていった。

ぬるりとした舌が唇を舐め、心の隙を付け入るように僅かな隙間から奥へと入っていく。
「む…、ぅ…ッ」
簡単にシャツの中へと入った指先が背筋を下から上へと撫で上げ、自由の利かない体が容易に男の侵入を許していく。
「よ、…っせ」
拒絶の言葉すら甘く、相手を無駄に喜ばせるだけに終わる。

彼とのキスで下手な抵抗は怪我をするだけだと身をもって知っていた。鋭い犬歯が舌に当たり、無意識に防衛に走る。
益々拒絶できなくなり、口づけが深くなればなるだけ与えられる刺激に、蒼い瞳から抗う力が失われていく。それと共に、身体に纏わりついていた赤い光が瞳に吸い込まれ陣を刻み、淡い光を宿した。

途端に力が抜けるギエンの身体を壁に押し付け、更に深く口付けをすれば、
「…ッぁ…」
キスだけで蕩けた表情へと簡単に変化していった。

ズボンの中へと手を入れたルギルが、既に反応を示すギエンのモノを緩く扱く。
「自分が誰のモノか思い出させてやるから安心しろ」
「く…そが、ッ…!」
汚い言葉で罵る声すら、
「そんな物欲しそうな顔で言われてもな」
簡単に流され、ルギルの卑屈な笑いを深めただけだった。

そればかりか、ルギルが触れた箇所からぞくぞくと痺れが走り、浅ましい考えに囚われる。
何年も抱かれた身体は、簡単には元には戻らず、
「っ…!」
これだけ憎い相手の筈なのに、甘い刺激に震え、声を洩らさないように耐えるしか出来なくなる。

それすら。
虚しい努力に過ぎないことを経験から知っていた。




2021.06.16
訪問、ありがとうございます!更新が遅くなりスミマセン…。
ちょっと会社で腹立つこと連発で小説書く余裕なかったです(゚ω゚;A)笑。
あぁ腹立つー(笑)

さてさて40話でようやく登場のルギル。私はどこかでザゼルとルギルの名前を書き間違えてるかもしれない…(;'∀')?!
兄弟だから名前を似せたのがそもそもの間違いかもしれない(笑)。

コメント、ありがとうございます(*ノωノ)‼ぜひ沼って下さい(笑)‼嬉しいです(笑)‼ダエンx万々歳の方も今後をお楽しみに(笑)←?(笑)

応援する!
    


*** 41〜 ***