【総受け,男前受け,冷血】

 ***21***


ギエンが僅かに一歩、足を踏み出す。

途端、ゼレルの周囲で黒い火柱が上がり、凄まじい衝撃がゼレルを襲った。
地面が揺らぎ、ゼレルの動きが僅かに止まる。そこに追い打ちを掛けるようにギエンの剣が襲った。
それは先程の比ではない速さと正確さを併せ持った流れるような剣技だ。刃の光が残す残像が火花と共に青い煌めきを宙に描き、ゼレルの視界を惑わせる。

襲いくる刃を辛うじて防ぐのが手一杯になり、何度か刃を弾いたところで、かつて人々がギエンの剣技を『芸術』と評した理由をすぐに理解したゼレルだ。

非情な剣が放つ軌道は、相対して分かる事だが、とにもかくにも美しい。

押されながらもゼレルの放つ精霊魔術を、一瞬の躊躇もなく真っすぐに断ち切り、重い攻撃をいとも容易く弾いていく。
「ぅぐ…、ぅ…!」
「俺が左手も使えるってのがそんなに意外か?右手が潰されて、そうでもしなきゃ奴隷生活、生き残れねぇだろ」
刃がかち合う度に上がる青い火花がギエンの瞳に反射し、より一層と美しい蒼に輝かせる。


立場は完全に逆転していた。


ゼレルには未だかつてないほどの焦りが生まれていた。精霊魔術を繰り出す暇も無くなり、ギエンの繰り出す圧倒的なテクニックに押され後退を余儀なくされる。額から汗が流れ、金属がぶつかり合う音が激しくなるにつれ、呼吸は乱れ動きが荒くなっていった。
「ほら、しっかり踏ん張れよ!」
止めの一撃を放つように、ギエンが一際大振りでゼレルの正面を狙う。それを両手で耐えるように剣で受け止めたゼレルの腹に瞬時に蹴りを入れ、
「ぐ…ッ!」
呻くゼレルに休む間も与えずに、鋭い回し蹴りを食らわした。

ふらりとゼレルの身体が傾ぐ。
さすがの巨体も側頭部に激しい衝撃を食らい、平衡感覚を失い動きを止めた。それを狙いすましたように二度三度と反動を付けた重い打撃を繰り返す。

一方的な攻撃がしばらく続く。
それでもゼレルの両足はしっかりと地面を踏み締めたままで、肩で大きく荒い呼吸を繰り返しながら、剣をがっちりと握ったままだ。その倒れまいとするゼレルの気迫は大したものだった。

「さすがの副団長だな。その頑丈さは褒めてやる」
目を細めたギエンが冷淡な口調で言う。

口元から血を流すゼレルが揺らぐ視界に抗うように目をこじ開け、ギエンを強く見据える。剣を固く握るゼレルの両手が小刻みに痙攣し、受けたダメージの強さを物語っていた。

対するギエンは息一つ乱してはいなかった。熱すら宿らない蒼い瞳が、冷めた色でゼレルの状態を観察する。
そうして、残酷にも、
「倒れないのがプライドだと思っているなら、足を切断するまでだ。そうすれば立ってられずに降参するしかなくなるだろ?」
「っ…!」
視線を交えたまま、何の感情も浮かべることなく平然と言い放った。

先程までとは質の違う黒い炎が纏わりつくように刀身を覆っていく。禍々しい青い火花が不気味な音を立て、勢いを増していった。

涼しい顔のまま視線を一切逸らす事なくゼレルを見つめるギエンの目は脅しではなく真剣な目だ。
「…!」
ゼレルの顎を汗が滴り落ちる。
本気でそれをしようとしていると知って、恐怖が足元から湧き上がり、身動き一つ取れなくなっていた。荒い呼吸を繰り返し、心臓が激しく音を立てる。

口を開くが言葉が出ない。
降参の声すら出ず、一歩、足を踏み出すギエンの挙動を見ているしか出来なくなっていた。
「ッ…!」

騎士団に入団し、既に7年は経っていた。
今まであらゆる人間や魔獣を相手にしてきた。獣人族と戦った経験も数えきれない程あり、そこらの人間には負けない自信もあった。
だが、目の前で涼しい顔をしている男にだけは到底、勝てる気がしなかった。
むしろギエンが纏う神々しいオーラに気圧され、凄まじい恐怖の念と共に。

一つの感情が全身を駆け巡り、身体が勝手に震え出す。


ギエンが剣を振り出そうとして、
「そこまでだ」
冷静な声が、二人の間にあった異様な空気を破り乱入した。
「これ以上は意味がなかろう」
動きを止めた二人に、いつから見ていたのかゾリド王が終了の合図をする。
歩み寄ってきて、
「勝敗は付いた。決闘は終了で双方問題ないな?」
二人に視線を送りながら有無を言わせない強さで言った。

ゾリド王を見たギエンの空気が、がらりと変わる。荒ぶる炎を治め小さな溜息をついた後に、そうだなと返事をした。
対するゼレルはわなわなと震え、崩れ落ちるように地面に片膝を付いた。

興味本位で集まっていたギャラリーの大勢が同じように胸を撫で下ろしていた。二人の会話の詳細まで聞こえていた訳ではないが、彼らの間に流れた只事ではない気配だけは濃厚に察していた。
空気を震わせるほど冷酷なギエンの黒い炎は、恐怖そのものだ。彼の無感情な黒魔術は心の奥底が凍りそうなほど鋭く、冷淡だ。
皆一様にじわりと冷や汗を掻き、無意識に汗を拭っていた。

「ゼレル…、問題ないか?」
傷心したように俯き、項垂れるゼレルにゾリド王が視線を投げる。
顔を覆い隠すようにして、片膝を付いていた男がしばらくそうした後、唐突に顔を上げ、
「…ギエン殿」
背を向けるギエンに声を掛けた。
「まだ文句でもあるのか?」
振り返るギエンの瞳を見つめ、ゼレルが姿勢を正す。

王に対し忠誠を誓う時のように、剣を地面に突き立て、片膝を付いたまま頭を下げた。
「数々の無礼をどうかお許しください。無知な自分がいかに滑稽で愚か者だったか、思い知りました」
「は…?」
突然の事に呆然とするのはギエンだけではない。
ゼレルの行動は、集まっていたギャラリーにも予測不可能だったようで、一息ついて安堵の言葉を交わしていた彼らが、今度は別の衝撃を受けてざわめき出す。

そのざわつきなど気にもせず、ゼレルが仰々しく低姿勢で謝罪をした。
「バーテ!君もいい大人なら自分の行いをちゃんと謝罪しなさい!」
呆気に取られるギエンの元へ、弟のバーテを呼びつけ、同じように深々と頭を下げさせた。
「…」
どう対応したらいいのか分からなくなるギエンだ。
決闘を申し込んできたと思えば、突如、この低姿勢の謝罪だ。
これだけのギャラリーがいる中で恥も外聞もなく、よくここまで出来ると感心すら覚えていた。
ましてや騎士団の副団長ともあろう者が、プライドが無いのだろうかとすら思ってしまう。

そんな事を思っていると、
「どうか愚かな私を許すと仰ってください」
先程までの激情はどうしたのかと思うほど、恭しく傅いたまま許しを請う。

ちらりとそばで成り行きを見守るゾリド王を見る。ゾリド王がギエンの視線に気が付き、好きなようにしろとでも言うかのように僅かに頷いた。
「…お前の心情はよく分かんねぇけど…、許すって言えばいいのか?」
「っ…!!!ありがとうございます!!ギエン殿!お手を拝借しても宜しいでしょうか?」
地面に頭を擦りつける勢いで喜びを表し、何故か手を求めた。
「…?」
相手の行動が益々理解できず、言われるがまま右手を差し出す。

「失礼いたします」
ゼレルが言うと同時に、
「っ!」
ギエンの手の甲にそっと口付けをした。

ギャラリーのざわめきが、瞬時にどよめきに変わる。
突き刺す視線を感じながら、さっさとこの場を去りたい心境に陥るギエンだ。

騎士団が王に忠誠を誓う際に、似たような儀式を行う事はある。
要はゼレルはギエンに忠誠を誓うという事だろう。
「…もういいか?お互い、今回の件は水に流すという事でいいな?」
口付けされた甲をさり気なく手の平で拭ったギエンが相手に問えば、ゼレルが満足そうに頷いて、
「今度、是非お詫びをさせてください」
顔をあげ、何故かそんな言葉を吐いた。
「…気にしなくていい」
絡まれると厄介そうだと思い、断って背を向けた。
歩み寄ってきたパシェがギエンの肩に上着を掛け、軽傷を負い僅かに血が滲む箇所を布でふき取る。

「終いだ。皆、持ち場に戻るように」
ゾリド王が声を張り上げ、ようやくざわめく場が収まりそうだった。
「パシェ。行こう」
背中に感じる視線を気付かない振りで過ぎ去ろうとした所で、
「ギエン」
ゾリド王に呼び止められる。

何かと肩越しに振り返れば、
「傷を治してやろう」
言いながら、止める間もなく額から鼻、唇まで淡い光を放つ人差し指を這わせていった。そのまま胸の前で止まり、一際大きな光を放つ。その光が吸い込まれるようにしてギエンの中へ消えていった。
「…助かる…」
大した傷でもないが、負った傷がみるみる内に塞がっていくのを見て礼を言った。
抉られた心の傷が僅かに緩和した気がして、胸元が熱を帯びる。
「パシェ、行くぞ…。これ以上、ここにいたら何を言われるか分かったもんじゃねぇ」
ゾリド王と視線を交わすことなく背を向けた。

ギエンの目元が僅かに赤く染まる。
褐色の肌でなければ更によく分かっただろう。

しばらく進んだ後に、
「どうかされたんですか?」
パシェがギエンの態度を不思議に思って、そう訊ねた。
「いや…、別に…。よく見てんなと思っただけだ」
鼻先を手の甲で触れて、ちらりとゾリド王を振り返った。
気まずそうにパシェを見て、
「俺に怪我が無くて安心したか?」
小さく片笑いを浮かべ、訊ねた。
「えぇ。今日は鶏料理にしましょう。シェフに頼んでおきます」
朝の落ち着きの無さとは正反対の冷静さで頷いた。

「ふっ…お前はそうでなくちゃな」
流し目で笑う。

先程の決闘で見せたギエンの雰囲気とはまるで別人だ。冷血なギエンと、人間味溢れるギエン、どちらもギエンという一人の男だという事をパシェは既に知っていた。
どれが本当のギエンなのか、ではなくどれも本当のギエンで、殊更、戦闘に関しては徹底的に冷酷なギエンもまた当然の事なのだろう。

思い悩む姿と相まって、すんなりとその事実も受け入れられる。
ギエンの戦う姿を見ても一ミリも恐怖など感じてはいなかった。




2021.03.09
パシェがよき理解者になりそう…(笑)BLとしては美味しいですな…♡
そろそろ、BとLをしていくよう頑張ります(#^.^#)ハハハ!

拍手・訪問ありがとうございます!!m(__)m
少し誤作動起こしてる箇所など修正しました(笑)。
ちまちまと、より見やすいサイト目指して修正入れていくかもです(笑)。


    


 ***22***

二人が去った後、訓練場に集まっていた訓練生たちは興奮に包まれていたが、訓練長や副団長であるゼレル、他、日頃は滅多に見かける事もない重役の面々がいる中で、露わにそれを表に出す者はおらず、皆、静々と日常の訓練へと戻っていった。
数人がミガッドを囲んで会話を始める。ミガッドがやや困った顔でそれに相槌を打ったり、軽く2,3言、返事をしていた。

今回の事がいい方向に進めばいい。
ミガッドの様子を視界に入れたハバードが既にこの場にいないギエンの姿を追いながら、切にそう願っていた。
以前のギエンと空気が違う事は分かっていたが、黒魔術に手を染めているとは思いもしないハバードだ。正統な魔術かと言ったらやはりそれは否定せざるを得ない。精霊を崇めるこの国では禁忌の魔術にも等しく、それがゼク家のような代々、有名な魔術師を輩出してきた家門ならまだしも、ギエンはそうではない。
変な火種にならなければいいが、と無言で去って行く重役たちの後ろ姿を見送った。


***********************


ギエンとパシェはその日の午後、当初の予定通り街へと買い物に出かけていた。
ギエンの格好はいつもよりもラフな服装で、厚手の白いシャツに軽い素材のズボンを履いただけのシンプルな格好だ。
パシェが用意する日頃の格好は畏まった物が多かったが、平民の普段着のようなその格好は何かの為に用意しておいた唯一の一着で、これなら街中でもそれほど目立つことはない。

にも関わらず、ギエンが大通りを歩けば人々の視線があちらこちらから刺さった。
一歩、下がって付いていきながら、人々がギエンに見惚れているのを肌身に感じるパシェだ。
頬を染めた女性が見惚れたようにギエンを見送る。時折、男ですらギエンが通り過ぎるのを見送っていた。
どんな格好をした所で、やはりこの端正な顔ではどうしても目を引く、という事を改めて実感していた。

まだ決闘の行く末に関しては噂が回っていないようで、歩いている男の正体がギエンだと気が付いた者が興味本位で視線を送っていたが、あくまでも好奇心の視線に過ぎなかった。

「パシェ。この店はどうだ?」
唐突に足を止めたギエンが、洒落た外観の店舗の前で足を止めて、パシェを振り返る。パシェとは異なり、ギエン自身は周りの視線に無頓着で、気にしている風もない。
昔からこれだけ人の目を集めていれば、既に慣れて気が付かないのかもしれないと思い、ギエンの問い掛けに頷いて答えた。

中に入れば、外界から遮断されたように、落ち着いた空間に満たされた。客層は大人の男が多く、入ってきた二人に好奇の視線を向けるという事もない。静かでゆったりした空間に、パシェが安堵の溜息を付くと、
「世話役のくせに街が苦手なんだな」
溜息を聞き逃さなかったギエンが、小さく笑ってパシェの目を覗き込んだ。
「そういう…訳では…」
ギエンに刺さる視線のせいだとは言えず、言葉を濁す。
パシェの対応を特に気にした風でもなく、
「俺は前からお前に黒い服を着せてみたかったんだよ」
言って、店主に黒のシンプルなシャツを持ってくるように指示した。
「お前の世話役の格好は見慣れてるけど、お前のプラチナの髪には絶対、こういう服だと思ってな」
4,5着両手に揃えて持ってきた店主から2着受け取り、パシェに合わせる。
ギエンが選んだ服は流行を取り入れた尖った服だ。形が斬新で、飾り物の小さなチェーンが付く。かといって派手過ぎず、清潔感は残すデザインとなっていた。

「いつも俺の苦情は聞かねぇだろ?俺もお前の苦情は聞かねぇからな」
楽しそうに言って、パシェの肩を押しながら個室となっている試着室へと強引に連れて行った。
早く脱げ、と有無を言わさずせつかれ、
「ギエン様、自分は…」
断ろうとするところを、抵抗する間もなく強引にボタンを外されていった。
「偶には脱がされる俺の気分を味わうのもいいだろ?」
ニッと口角をあげて悪戯な笑みを浮かべる。

手慣れた動作で、上着のみならずベストも脱がし、呆気なくシャツ一枚になった。
更にシャツのボタンを外されていくのを見て、顔が熱くなるのを感じるパシェだ。
素肌に僅かに触れる指を意識しないようにして、余計にギエンの指を意識してしまう。間近にギエンの吐息を感じ、尚更、鼓動が激しくなっていった。

ギエンにばれないように平静を装っていると、
「はは。すげぇ動揺してんな」
パシェの胸に手を置いたギエンが声を立てて笑った。
「ッ…!ギエン様!!からかうのは止めてくださいっ!」
パッとギエンの手を払う。
勝手に赤くなる顔と、うるさく音を立てる鼓動がどうにも制御できず、恥ずかしさのあまり、穴があったら入りたい気分に陥っていた。


赤くなったまま俯くパシェをギエンがじっと見つめる。
それから強引に身を寄せて、
「お前の困った顔、病みつきになりそうだな」
パシェの肩を壁に押し付けた。
「…なんですか…」
ギエンの行動を不安そうに見上げるパシェに、
「っ…!」
更に嫌がらせをするかのように、今度は素肌の胸の上へと手を置いた。

ひやりと。
ギエンの冷たい手が胸を撫でる。

間近にある蒼い目が愉快そうに煌めき、パシェの反応を楽しむようにジッとグレーの瞳を見つめていた。

そのあまりに冷たい手にぎょっとするパシェだ。
まるでずっと氷水に浸していたかのような手に、
「…どこか、…具合が悪いのですか?」
先ほどまでの動揺は嘘のように引いていた。代わりに湧き上がったのは純粋に心配の気持ちだ。
「…」
ギエンが驚きの表情を浮かべた後、
「あぁ。黒魔術を使ったからな」
何てことないように言った。
視線で問い返すパシェに、
「知らねぇ?黒魔術は気力を使うから、血の巡りが悪くなるんだよ。体力も奪うしな」
世間話でもするように軽く答えた言葉の威力に、パシェが大丈夫なのかと不安げな顔を浮かべた。
「んな顔すんな。平気だから出かけてんだろ?」
子どもにするようにパシェの頬を撫でた。

普段のギエンの手はどちらかといえば温かい。それが尋常でないほど冷たく、思わずその手を掴み、暖めるように両手で握りしめる。
「本当に大丈夫なんですね?」
念押しすれば、ギエンが弱ったように小さく笑みを浮かべ、
「お前って本当に…、俺を煽るのが上手いよな」
何故かそう言った。
「…?」
言葉の意味を問うよりも先に、ギエンがパシェの掴む手ごと自分の方へと引き寄せる。動揺するパシェの手の甲に唇を落とし、まるで艶事にでも誘うかのように強い視線で、パシェの目を見つめ返した。

間近で無言のまま見つめ合う。


その間、数瞬か数秒か、
「お客様、いかがでしょうか」
ノックと共に店主に声を掛けられ、ハッとさせられた。

ギエンが小さく舌打ちを打って、ノックされた扉を振り返る。
「もう少し待ってくれ」
冷静な声でそう返し、
「ほら」
パシェに持っていた服を手渡した。

それに着替えながら頭の中は完全に別の事に囚われていた。ギエンの言葉に、胸が落ち着きをなくし、甘い期待をする。
一体、何に期待してるのだと叱咤し、妙な思考を追い出そうと懸命になっていた。

黒いシャツを羽織れば、ギエンが襟元を立てるために両手を首の後ろへと回してくる。その拍子に柔らかな髪が間近に迫り、爽やかな香りがパシェの鼻腔をくすぐった。
ギエンの何気ない動作の一つ一つに劣情を刺激され、自分の心だというのに困惑していた。

今まで、これほどまでに心を掻き乱されたことは一度もない。
いついかなる時も冷静沈着に対応する。
それが世話役として成功してきた秘訣でもあったパシェだが、自分を律することが出来ない事態に、余計に動揺を深めていた。

視線を泳がせるパシェをギエンがちらりと窺い見る。
それから、ひっそりと小さく笑いを浮かべ、瞳を和らげるのだった。



2021.03.14
ホワイトデーですね!(^^)!
もうちょいイチャコラさせたかった(笑)‼
ギエンはこういうタイプには弱めだと思う(笑)。なんというか感情がストレートで、分かりやすいタイプ? 裏切らなそうなタイプというか(笑)
パシェがギエンにドギマギするのと同じく、ギエンも割と、こういうタイプはほんわかさせられて、ついその気になっちゃうんだと思う(^^*)ムフフ♥

拍手・訪問いつもありがとうございます‼そろそろセインの方を書かねば…とは思ってはいます(笑)!
最後の更新から1か月経ってしまう…!というか経ってる…(゚ω゚;A)笑
    


 ***23***


翌日のギエンは特に予定も無く暇を持て余す予定だったが、案外そうでもなく、午前中は昨日の決闘の感想を伝えに来る客対応で無駄に時間を取られていた。
重役の中には昔からの顔見知りも多い。適当にあしらうには位が高く、古くから自分を知っている人間とあっては尚更、雑な対応も出来ず苦慮していた。
さすがに訓練生がギエンを訪れにやってくるという事はなかったが、時間の隙間を縫うようにやってきたハバードがミガッドを連れて訪問してきた時には、対応疲れも相俟って、余計な事をと頭の片隅で思うくらいであった。ミガッドにとってはいい迷惑だろう。

これがハバード一人ならわざわざ感想を言いに来たのかと罵る事も出来たが、ミガッドが一緒とあっては露わに言うわけにもいかない。

何度目か知れぬ来客の用意をし、他愛無い会話を数分して、訓練に戻って行った。


以前よりも、互いの関係はマシになっているのかもしれなかった。
ミガッドが他人を見るような目なのは相変わらずだが、若干表情が和らいだような気がして、僅かに古傷を抉られた決闘にも、それなりの意味があったのかと思う。

今更、世間的な親子関係になるのは無理だろうことはギエンにも分かっていた。
何より、ダエンとは違い父親としての自覚が足りない認識はあった。実際のところ、父親でいられたのはほんの数年で、それ以降は一人の男として生きてきたといっても過言ではない。
二人が大切な存在であることに変わりないが、家族がいるという感覚すら年々薄れ、根っこの部分で、『家族』というものへの認識がずれている自覚はあった。

それでも、たとえそれが別の形であったとしても、いつの日かミガッドと分かり合えることが出来れば十分だった。

それにはもっと時間が必要なのだろう。
互いを知るにはまだまだ圧倒的に時間が足りていない。
それを思うと今の関係も仕方がない事だと納得していた。


そんな事を考えながら、出かけるために回廊を歩いていると、見知った男が通路の壁に寄りかかり腕を組んだまま立っていた。
この通路を歩くのは客人か、ギエンしかいない。

そしてその男がつい先日に決闘したばかりの相手となると、彼が待っているのは自分だとすぐに分かった。
素知らぬ顔で通り過ぎようとして、
「ギエン殿」
案の定、呼び止められる。
嫌そうな顔を露わに振り返れば、満面笑顔の男が全く意に介せず、すっと両手を差し出してギエンの片手を握った。
「良かったら一緒にスイーツでも食べに行きませんか?」
「…」
あれだけ徹底的に叩きのめされた後に何故、この笑みで誘い文句を言えるのか全く理解できないギエンだ。
胡乱な瞳で見つめ返せば、
「お詫びをさせてくださいとお願いしたじゃないですか」
ニコニコと笑みを崩すことなく図々しくもそう言った。

呆れた顔で溜息を付いたギエンが、握られた手を払いながら、
「気にしなくていいって言っただろ。迷惑だ」
はっきりと断りの言葉を告げれば、傷ついた顔を浮かべる事もなく、
「私の名誉をあれだけ傷つけたんですよ。少しは付き合ってくれてもいいではないですか」
今度は逆に脅し文句を吐いた。
「…」
思わず反論の言葉を無くす。

騎士団に関しては腹の底から忌々しいとは思っているが、今の王族騎士団に憎しみがある訳でもない。
ガレロにしろ、ゼレルにしろ、生真面目で一途に国民の平和を願っているのは確かだろう。だからこそ騎士団の名誉を損なわないようにしようと思ったのであって、そうでなければとっくに潰していた。

ゼレルが笑みを絶やすことなく、払われた手を再度手に取って忠誠を誓うように口付けた。
まるで貴族の令嬢を相手にしているかのように、色男が恭しくギエンに畏まる。
ゼレルほど名声も地位もある男が、そのような下手の対応をすれば、自尊心が擽られ悪い気分はしないだろう。
だが、ギエンは別だ。
「てめぇのそれは馬鹿にしてんのか」
苛立った声で、頭を垂れるゼレルを見下すようにして訊ねる。顔を上げたゼレルが緑の瞳を輝かせて、
「貴殿を大切に思うからこその態度です。不快にさせてしまったのなら謝罪します」
あろうことか、平然とそんな言葉を吐いた。
「…頭おかしいのか?」
尚更、馬鹿にされているのかと青筋立てたギエンが壁に手を付いて、ゼレルを睨み上げる。遥かに上背のあるゼレルが、ギエンを愛おしそうに見ろしていた。

その視線は本物だ。
特にからかいの色が浮かぶでもなく、これが演技だとしたら相当のものだった。

何故、そうなったのか皆目見当もつかない。
普通に考えても、決闘で負かされた相手にそんな感情を抱く方がどうかしてる。

諦める気が無さそうな相手に、
「何を企んでるのか知らねぇけどな、今回だけだ。それでチャラだからな」
興味が失せたように視線を外し、素っ気なく言ったギエンに対し、
「ありがとうございます!店はもう見つけてあります。確か、貴殿は紅茶がお好きですよね?紅茶とケーキが美味しいと評判の店があるので、そちらに行きましょう!」
意気込み、矢継ぎ早に言うと共に、ギエンの肩を強引に引いた。
「っおい…」
文句を言う隙も無く、大股で進んでいく。
高身長の男の歩幅はギエンよりも大きく、半ば引き摺られるように連れて行かれた。

肩をがっしりと掴む男の手を無理やり払いのけて、
「分かったから、もう少し落ち着け!」
相手の服を引っ張れば、ようやくゼレルが歩調を緩めた。
「すみません。ギエン殿と出掛けると思ったら嬉しさの余り…」
「…あぁ、そうかい…」
金髪に緑眼の美男子が爽やかに笑うのを見て、言葉を返すのも面倒臭そうにギエンが答える。
真っすぐに向けられる明るい緑の瞳は慈愛に満ち、相手が女性だったらその眼差し一発で心酔してしまうかもしれない。

ギエンの中で、益々懐疑心が膨らんでいた。
ゼレル自身は男に興味が無い筈だ。むしろ、どちらかといえば同性間の恋愛は嫌悪の対象だろう。王と寝たのかと聞いてきた時も、明らかに軽蔑の色を浮かべていたくらいだ。
それが何をどうしたらここまで、思考が変わるのか。

ちらりと視線を上げる。
ギエンの視線に気が付いたゼレルが、女誑しの笑みでギエンに微笑んだ。
「まじで何を考えてやがる…」
ぼそりと呟くギエンの愚痴ですら愛おしいかのように、満面の笑みを浮かべ、
「ギエン殿の美しい剣技に、心底惚れてしまったんです」
なんてことないように返してくる言葉に、げっそりとしながら後を付いていった。


連れてこられた店は女性には恐らく大評判の店だろう。
センスだけは上等なものだった。

店内は予想通り女性客が多く、入ってきたゼレルとギエンを見て黄色い悲鳴が一斉に上がった。

「ゼレル様ー!!」
「こっち見て〜!」

ゼレルの顔を知っている若い女性らから悲鳴にも近い掛け声が上がる。
それを手を振って答えるゼレルは、女性扱いに長けていた。王子様さながらの優美さで彼女らに答え、かたや、ギエンに大しては甲斐甲斐しくも椅子を引いて、まるで侍従のように対応した。

途端に周囲から悲鳴が上がる。
そのあまりの騒々しさに思わず眉間を押さえるギエンだ。
「すみませんが今日は大切な方とご一緒なので、お静かにお願いできますか?」
いち早くギエンの様子に気が付いたゼレルが、好奇心旺盛に見つめてくる彼女たちにそう伝えれば、
「はい〜!ゼレル様〜!」
まるで子分のように一斉に彼女たちが大人しくなった。
皆、それぞれの会話に戻り、目の前のデザートに熱中する。
その統率感に、したくもない感心をさせられた。

ゼレルが片手を挙げれば、すぐに給仕の者がやってくる。慣れた手付きで注文を取る頃には、すっかり周囲の視線も和らいでいた。

待つこと数分後、香り豊かな紅茶と共に運ばれてきたのはメルヘンな飾り付けの施された可愛らしいケーキだ。赤い色と白いクリームが華やかに調和し、ハート型のチョコが柔らかそうなクリームの上に添えられるように刺さる。細かな飴細工が美しいフォルムでふわりと乗り、フォークを入れるのを躊躇うほど綺麗な見た目のケーキは一種の芸術品だった。
甘い香りと共に酸味のある爽やかな香りが漂い、食欲を刺激する。
女性なら手を打って大喜びしそうなケーキの登場に、
「お前の感性…、どうなってんだ…」
ギエンが押し殺した声で呻く。
「私の一番のお勧めです。この時期の限定ケーキですよ」
「へぇ…そう…」
大した興味もなくそう答えれば、それすら嬉しそうにゼレルが頷いた。
「ギエン殿も食べたらきっと納得されますよ。次期受賞候補とも言われるパティシエが作ったケーキです。今はまだそこまででは無いですが、この店は近々、予約しなければ入れないほど大人気になりますよ」
絶対の自信で勧めてくる。

そこまで言われると気になるというのが人間というもので、
「ふーん…?」
特に甘いモノに興味も無かったが、ゼレルが絶賛するスイーツがどの程度のものか見定めてやろう、という気持ちになり、軽い気持ちで口に含んだ。
たった一口で、
「っ…」
思わず、目を見開く。
鮮やかな蒼い瞳が確認するようにゼレルを見つめた。
「確かに…。これは美味ぇな…」
驚くほど調和の取れたケーキだ。甘過ぎず、酸っぱ過ぎず、かといって無難でもなく独創的だ。口内で広がっていく様々な香りと柔らかな食感がマッチして、軽く二口、三口と進む。
ギエンの好みも聞かずに連れてきて、勝手に注文したのも納得の逸品だった。

「美味しいでしょう?」
ギエンが食べる様を満足そうに眺め、ゼレルが誇らしげに言った。
素直に頷くのも釈然としないが、
「…あぁ」
頷かざるを得ない。

これほど口に合うケーキを食べたのは初めてで、思わずゼレルの食選びの良さに惚れそうになっていた。
「私と一緒に出掛ければまた、このような店にお連れしますよ」
ギエンの心を読んだようにゼレルが誘う。
知らず見つめていた視線をパッと逸らせ、
「…気が向いたらな」
興味が無い振りを装う。
だが、それも振りであるのがばれているのだろう。

顔を挙げなくても分かる。
ゼレルが甘い顔で見つめているのを感じていた。



2021.03.18
ケーキが食べたくなってくる回です…(笑)
ゼレルはこうって決めたらとことん追求するタイプだと思う(笑)。
二人の身長差もツボ(*´∀`)。

    


 ***24***


「…」
黙々とフォークを進め、最後の一口まで辿り着く。
紅茶に口を付ける瞬間まで、ゼレルの視線が外れる事は無かった。

「…いつまで見てんだ。そこまで露骨に見られると、気持ち悪ぃし、失礼だろ」
さすがに放置できずに、視線を合わせ相手の行動に嫌悪を示す。ゼレルが一瞬、目を丸くした後、また嬉しそうな笑みを浮かべた。
「貴殿と一緒に出掛けられる自分が誇らしいですね」
ギエンが食べ終わったのを確認し、ようやく自分のケーキに視線を落とした。
綺麗に飾りつけされたケーキを見ても、躊躇うことなくフォークを入れ真っ二つに分ける。そのうちの一つをフォークで突き刺し、大胆にも一口で食べた。
大男がスイーツを食べている様は、意外にも様になっていた。単純に一口が大きいだけで、意地汚い食べ方でもなく、スマートで上品だ。
「お前は大食いとか出たら強そうだな…」
豪快なゼレルの食べ方に呆れたように呟けば、
「私がそんな食べ方をするとお思いですか?美味しい物を少量ずつ食べるのが、グルメ家でしょう?」
心外だとでも言わんばかりに、ナプキンで口の周りを拭いて上品な所作で食器を置いた。

そうして、
「ところで、ギエン殿。
ゾリド陛下とは恋人同士ですか?」
突然、空気も読まずに訊ね、
「う…ッ…!!」
ギエンを盛大に咽させる。
飲んでいた紅茶を危うく吹き出しそうになり、無理やり飲み込んでゼレルを睨んだ。
「て、めぇ…!ふざけんな…!」
咳き込みながら苦しい息で文句を返せば、ゼレルの目がやけにいやらしい目付きになり、にやけた笑いを浮かべていた。
「っ…、何考えてやがる。んな訳ねぇだろ」
視姦されている気分になって、ぞわりと背筋に鳥肌が立った。
頬付をしたゼレルが、にこりと笑みを浮かべる。
「なら良かったです。私がギエン殿をこうしてお食事に誘ったりしても何の問題もありませんね」
「問題も何も、何言ってんだ…」
口元をナプキンで覆ったギエンが涙で滲む目でゼレルを睨めば、その目を真っすぐに見つめたゼレルが、
「そういう目で、ゾリド陛下も誘うんですか?恋人じゃなくても肉体関係なんですよね?」
場所もわきまえずに、まるで世間話でもするかのように笑みのまま言った。

こんなところでする会話ではないだろう。
ちらりと周囲を確認したギエンが、声のトーンを落として言葉を返す。
「…まじで、何考えて…。てめぇには関係ねぇだろ。大体そういう目って何だ」
呆れを通り越して怒りすら沸いてこない。変わらぬ笑みで不躾にそんな質問をしてくる男の脛を蹴り付けて、ふざんけんなと返せば、
「私も貴殿と寝てみたい」
慈愛に満ちた笑みのまま、瞳の奥には本気の色を浮かべて言った。
ストレート過ぎるその言葉に、
「…頭でも打ったのか?」
驚くよりも、心底、心配になってくるギエンだ。
確かに頭部への攻撃をした。その後、ゾリド王に怪我の治療は受けている筈だが、脳へのダメージは残ったままなのかもしれない。
国を担う王族騎士団の副団長が自分のせいで、使い物にならなくなったとあっては後味が悪すぎる。
そんな事を考えていると、ギエンの表情の変化に気が付いたゼレルが、
「貴殿は、本当に不思議な方だ」
年相応の笑い声を上げた。
「ご心配なく。からかっているのではありません。
あの時のギエン殿があまりに勇ましく美しかったもので…。あんな衝撃、人生で初めてでした。あれが惚れるという事なのですね」
「…へぇ」
適当な相槌を打ちながら、それは脳が起こした誤作動ではないかと思うも、このまま勘違いさせておくのも面白そうだと、よからぬ事を企む。
「要はお前は俺に惚れたってことか?」
訊ね返せば、真っすぐに純粋な目を向けたままのゼレルが大きく頷いた。
その躊躇いの無さは、ギエンの中にあった邪気を損なわせるには十分で、からかう気も失せてしまった。
放っておけばそのうちに勘違いも収まるだろう。

「まぁ、好きにしろよ。俺には関係ねぇし、どうでもいい」
カップに残る紅茶を飲み干して、席を立つ。
「俺がお前を好きになる事はねぇよ。義務は尽くしたから帰る」
冷たく答えれば、特に落ち込んだ様子もなくゼレルが合わせて席を立った。
「送ります。そのくらいは許して下さい」
慌てて残っていた飲み物を空にして、給仕を呼ぶ。手慣れた動作で会計を済ませ、店の入口で待つギエンの隣に立った。

「何だかんだ…、ギエン殿は優しい方ですね」
帰ると言いつつも、待っていたギエンを意外に思ったのか、やはり嬉しそうに笑う。
本当に何を考えているのか分からず、調子を狂わされるギエンだ。
「…お前、今日は休みなんだろ?男とケーキを食べて帰るって虚しくないのか?」
思わずそんな質問をしていた。
事実そうだろう。10歳近く年の離れた男と出掛けるくらいなら、自分を好いてくれる可愛い女の子と遊んだ方が余程楽しい筈だ。
「私はギエン殿とお話をしたい。こうして一緒に歩いているだけでも十分、楽しいですよ」
見下ろしてくる緑の目は爽やかな色を浮かべ、一切の揺るぎもない。真っすぐな視線には嘘も誤魔化しも感じられず、それが不思議でならなかった。
「…変な奴だな…」
ポツリと本音が零れる。

帰り道はほぼ一方的にゼレルが身の上や世間話をし、ギエンが適当に相槌を打つという状態が続き、呆気なく城内まで戻ってくる。
ギエンが自宅代わりに使用している客室付近まで来れば、人気は段々と無くなり二人っきりになっていった。
「いつまで付いてくる気だ。この辺でいい」
立ち止まって言ったギエンの言葉に、ゼレルの足が止まる。
「次回もまた誘ってもいいですか?また美味しい店に連れて行きますよ」
爽やかな笑みで誘う言葉を、
「…気が向いたらって言っただろ」
無下には断れないほどには、存外、居心地が良かった。
御馳走になったスイーツも美味で、雑に扱っても文句ひとつ零さないこの男を振り回すのも悪くない。

そんなあくどい事を考えていると、
「ギエン殿。貴殿をこんなに深く想っているのは私だけですからね」
恥じらいもなくそんな台詞を真顔で吐いた。
「あぁ、そうだな」
僅かに驚いた後に、適当にそう返す。

ふと。
先日の戸惑いを露わにしていたパシェの赤くなった顔を思い出す。この男とは正反対だと思って小さく口角を上げた。

その表情の変化を見逃さないゼレルだ。

唐突に。
両頬をがしっと掴み掛かり、
「いッ…!」
強い力でギエンを壁に押し付けた。

「なんっ…」
背中を打ち付け呻き声を上げたギエンが、文句を言おうとし、
「私といるのに、他の男のことを想うのは許さないです」
目の前で鋭い色を浮かべる緑の瞳に圧倒され、押し黙った。

つい先程まで草食獣のように穏やかな色を浮かべていた瞳が、捕食者のそれへと変わる。
間近にある瞳の変化に驚いていると、
「うっ…?!」
あろうことか、唇を奪われていた。

ハッとした時には既に遅く、
「ン…ッ!…く…っ」
力強い腕ががっちりとギエンの顔を固定し、より深く口内を貪る。強引に上を向かされ、歯列をなぞり易々と喉の奥まで侵入した甘い舌が、ギエンの舌を大胆に捉え絡めとっていった。
口だけでなく舌まで常人より大きいゼレルとのキスは、まるで捕食されているかのような錯覚をギエンに呼び起こす。
「…ぅ…!はッ…」
胸倉を掴み引き剥がそうとするギエンの抵抗を強引に封じ込めたまま、長いキスが続いていた。
荒い呼吸が唇の合間から零れ、濡れた音が響く。

しばらく後、ようやく唇が解放される頃には既に強い眼差しはなく、
「てめ…、はっ…、ッ…何しやがる…!」
息も絶え絶えに、色気の滲む瞳でゼレルを睨んでいた。
「はぁ、…貴殿がですね…、私といるのに、…そんな顔をするから」
ゼレルも同じように肩で息をして、
「私はずっと、理性を働かせていたというのに」
欲望を宿した目でギエンを煽るように、言った。
「ッ…」
僅かに反応したギエンの下半身を密着している太ももで刺激していく。
「っぅ…ァ…」
ゼレルを引き剥がそうと襟元を引っ張るも、これだけの体格差ではびくともせず、
「く、そ…ッ!」
悪態ばかりがギエンの口を付いた。

更に刺激され、背筋をゾクゾクと甘い痺れが這いあがっていく。
男と寝る事に何の抵抗もない身体が勝手に昂ぶっていくのを感じて、さすがのギエンも焦りを感じていた。
「いい加減に…、しろ!ここをどこだと」
「あぁ…、皆にギエン殿がいかに甘く魅力的か見せ付けたい」
悦に浸った表情で、ギエンの瞳を覗き込む。ゼレルのその表情は好きだの何だのを通り越して、狂気に近いものを感じて、激しい欲情を映し込む瞳に尚更、身体が勝手に反応を返していた。
「っち…!」
自分の身体だというのに心とは裏腹に制御が出来ず、腹立たしさの余り舌打ちを打つ。
言葉の乱暴さとは反対に、睨む蒼い瞳が欲を宿し、ゼレルを誘うように淫らな気配を醸し出す。
そんなギエンの表情が余計にゼレルを煽り立てていた。
「そんな反応を返されると、私も抑えが利かなくなる」
ゼレルの言葉に、ぱっと視線を外したギエンが、再びゼレルを引き剥がそうと手に力を入れる。
その拍子に、背中がずり落ちて、
「っ…、ンッ…!」
咄嗟に甘い声が洩れた。
ゼレルとの密着度が更に上がり、
「本当に…、貴殿は…」
ゼレルがギエンの耳元で荒い呼吸を繰り返した。
弱ったように熱い溜息を吐いて、大きく息を吸う。そうして、するりとギエンの足の間にあった太ももを引き抜いた。

間近にあった熱い身体が唐突に離れ、身体が急激に寒く感じるギエンだ。それを無かったことにして批難を籠めてゼレルを睨めば、熱を宿したままのゼレルが、
「さすがにここでは、互いの名誉のためにも止めましょう」
大きく深呼吸をして、乱れた襟元を正しながら言った。
「…当たり前だろ!」
ギエンが口元を手の甲で覆いながら文句を返す。身体の熱を冷ますように頬から首元に手の甲を押し当てて、
「さっさと行け。二度とこんな真似はするな」
ゼレルと同じように呼吸を整えながら、手で追い払う仕草をした。

丁度、向こうからパシェがやってくるのが見えて、尚更、安堵の溜息を吐いていた。
いつも自分が部屋へ戻ってくるとパシェは必ずやってくる。恐らく門番から世話役の長に報告がいって、パシェが律儀にやってくるのだろう。
あのまま、続けていたらとんでもない醜態をパシェに見られていたところだ。

ギエンの視線が背後へ流れた事に気が付いたゼレルが、ふと後ろを振り返って再びギエンに熱の残る視線を向けた。
「なるほど…」
口角を上げ、何かを察したように呟く。
爽やかな新緑の瞳が真っすぐにギエンを捉える。それから額の汗を拭うように金髪をかき上げ、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「ギエン殿。また来ます」
「二度目はねぇぞ」
睨むように視線を返すギエンを満足そうに笑って、深々とお辞儀をして背を向けた。
悪びれもしない背中を思わず見送るギエンだ。

回廊を進むパシェがゼレルに気が付き、道をあけて恭しく頭を下げる。
それからギエンの元へとやってきて、
「…」
すぐにギエンの常とは違う気配に気が付いた。

回廊を去って行く大柄の男の背中を思わず振り返る。
すれ違いざまにゼレルが何故か自分を見て笑みを浮かべていた気がしたが、やはり気のせいではなかったのだろう。
どういう意図の笑みかも分からないが、釈然としない想いを抱く。
「大丈夫ですか?」
ギエンに歩み寄り、手を差し出そうとして、
「大丈夫だ」
珍しく手を払われた。

ギエンに余裕が無いのが見て取れた。視線を合わせる事なく歩み出し、部屋の扉を開ける。上着を脱いで椅子の背もたれに乱暴に掛け、暑そうに首元のボタンを外した。

パシェの中で、ぞくりとよく分からない感情が湧き上がる。それを無理やり飲み込んで、
「何か冷たい飲み物を持ってきます」
視線を逸らせて背を向けた。
呼び止められるかと思いきや一言も声を掛けられることなく、代わりのようにギエンの深々とした溜息が聞こえた。

僅かに後ろ髪を引かれる思いでその場を後にする。
すれ違った大柄の男の存在がちらりと脳裏に過り、パシェの歩みを無意識に早めるのだった。



2021.03.24
ゼレルは押せ押せだからギエンとは何気に相性がいいと思います!(^^)!エ?
ところで、この話、総受けを謳ってるから大丈夫よね?ちょっと不安になってくる(笑)。と言っても好きなようにしか書かないけども…(ーー笑)。
あとギエンは、まぁ普通に快楽堕ち、流され受け、モラル欠如、的要素満載なのでご注意を…?(笑)
私のサイト、あるある設定盛りだくさんですよ〜(´q`*)ジュル…。
    


 ***25***

翌日は、青い空に白い雲がよく映え清々しい陽気だった。街は水の精霊を迎える準備で朝から落ち着きが無く、城内もいつもよりも人の行き来が多い。

ギエンは朝早くからデートへと出掛けたパシェを見送った後、書物館に足を運んでいた。
特定の目的があった訳では無いが、賑わいのあるこんな日は書物館のような静かな場所で過ごすのも悪くない。
館内の螺旋階段を登りながら、本の背を撫でる。

ここは王都だ。
あらゆる本が集まる。ありきたりな王都の歴史から、経済・政治、魔術理論など様々な分野のものが区分けされ、綺麗に並べられていた。

何気なく、一冊の本を手に取って窓辺の席へ腰を下ろす。
街では祭りだというのに、書物館で勉強する者も何人かおり、世間の騒々しさとは無縁のように静かな場所だ。

欲しい物は簡単に手に入り、柔らかなベッドで安心して眠る事が出来る。
血を見る事も、殺しを見る事もない。裏切りも無ければ、憎しみもない優しい世界だ。

こうして平和な世界に一人でいると、まるで夢の中にいるかのように現実感が薄れてくる。

ほんの2週間前までは冷たい石床の上で寝るような生活のギエンだ。手枷を嵌められ、自由の利かない時間を強いられていた。何日、何年経ったかすら曖昧になるほど、メリハリの無い生活で、出来る気晴らしといえば、ただ身体を鍛えることと精神統一をすることくらいだ。
突然の環境変化にギエンがついていけないのも何ら不思議ではない。

助けを期待していたのは、囚われてから1年程度の短い期間で、以降は誰も助けには来ないという認識が頭の片隅で常にあり、王都に帰れることなど期待してはいなかった。
そのため、救出されたことに感謝してはいても、突然、別の世界へと放り出された気分になっていた。


自分を支配していたあの男も殺されたという事なのだろう。その事実を何度、頭で反芻してもいまいち理解できずにいた。
そんなに簡単に殺せるような相手なのだろうかと。
頭の片隅で、いつでもその疑念が浮かんでは消える。

実の兄を殺し、部族を乗っ取った弟のルギル。
力が全ての獣人族において、それが例え兄弟殺しであろうと現族長はルギルだ。それまで兄のザゼルに従っていた者はみな、ルギルに忠誠を誓った。
一時、回復したギエンの扱いがガラリと変わったのもそれからだ。


本を開いたまま、窓の外へと視線を移す。
獣人族と過ごした年月は15年にも及ぶ。下手したら人間社会よりも密な時間だったかもしれない。
彼らにも彼らなりの流儀があり、特に集団での規律には厳しい一面もあり、人々が噂する程の暴虐無人な野蛮人でもない。人間と同じような苦悩もあり、ギエンは意図せずそれを間近で見てきた。

居場所を求め転々とし、先々で略奪を繰り返す。
一見、野蛮な彼らの行動にも一定の理由が見えてくるもので、共に生活をしていると否が応にもその目的に突き当たった。
彼らはただ安住の地を求めているに過ぎない。
ギエンがそのことに気が付いたのは比較的早い段階で、囚われの身になってから僅か2,3年ほど経った頃だ。


そもそも獣人族とは、欲に眩んだ人間が、狼神と強制性交した末に生まれた人間の末裔と言われ、特徴的にも獣の要素を強く残し人とは姿形が異なる種族のことを一般的に言うが、迫害に合ってきた理由は、人の業を具現化したようなその姿が、悪しき人間の子孫と一目で分かるからだ。
尤も、これはあくまでも伝承の話であり、実際のところは何が真実かは分かってはいなかった。魔獣が似たような理由により、排除されるのと同じようなことだ。


窓の外を眺めたまま、考えても仕方が無い事だが、獣人族の行く着く先を憂慮している自分がいた。ザゼルが為したかったものが最終的にどう行き着くのかと。彼の意志はどこへ受け継がれていくのかと。
彼らのことを深く知らなければ、これから先も何も感じることは無かっただろう。

かといって獣人族にいい感情を抱いているということは決して無かった。
実際に、弟のルギルは殺したいほど憎んでいた相手だ。自分の欲するままに、邪魔な存在がいれば例えそれが肉親であろうと手に掛けるような男だ。
あの男がどうなろうと知った事ではなかった。
何度、その胸に刃を立てた所で気が済むものではない。

それでも。
兄譲りのあの容姿だけは、ギエンを複雑な想いにさせた。

彼は死んだと言い聞かせても、胸が晴れるということはなく、ただ自分がすべきだった復讐の機会を奪われたという想いの方が強い。
どんなに考えたところで、もう叶うことはない。
「あいつは死んだ」
既に終わった話だと、無理やり自分を納得させる。


ふっと。
影が差す。
「誰が死んだって?」
「っ…!」
驚き、景色を見つめていた視線を上げれば、本を2,3冊手に持ったハバードが笑みを浮かべて立っていた。
「…お前か。別にいいだろ」
「暇だからお前の所に行ったらもぬけの殻だったんでな」
目の前に腰を下ろしたハバードがギエンの開き途中の本のタイトルを確認して、
「…」
やけに真剣な目を浮かべた。
それに気が付いたギエンが、
「適当に取っただけだ。深い意味はねぇ」
弁解する。


『王国の滅亡と獣人族の繁栄』
決して穏やかなタイトルではない。
何気なく取った本だが、タイミングが悪すぎたとさすがのギエンでも思う。

沈黙の後に、
「洗脳でもされたか?」
吐き出されたハバードの言葉に、
「てめぇ!ふざけんなッ!」
拳で机を叩いて批難していた。
突然、館内に響いた大きな音に周囲の視線が何事かと二人に刺さり、すぐに彼らの正体を知って視線を逸らす。
厄介ごとに巻き込まれたくないかのように、何人かは席を立ち出て行った。

「本当に適当なら別にいい。怒る事でもねぇ筈だろ?」
「…本当に適当だ。別に王国の転覆を企んでるとかそんな事は絶対ねぇよ」
開いていた本を閉じて背表紙を表にする。

真っすぐに見つめてくる黒い瞳を見つめ返すのが、しんどくなって、
「っち…。何なんだ」
視線を逸らせて席を立とうとする。
引き止めるように、机に置いた手の上に手を重ねられ、
「俺は無理に過去を話せとは今まで、言わなかったけどな」
立つに立てなくなった。
右手の引き攣れを指で撫でられ、手首に残る枷の跡を確認するように指が袖を捲った。
「よせ…。ハバード!」
指が手首の跡をなぞるように触っていく。
背筋がぞくぞくとして、相手の手を払い除けていた。
非難の視線を向けるギエンに、
「お前がもしも…、既に獣人族側に落ちてるのだとしたら、俺は迷わずお前を断つぞ」
ハバードが刺すような視線を向けたまま言った。
「そんなんじゃねぇって言ってんだろ」
ギエンの言葉を探るように黒い目が細まり、
「…ならいいけどな。15年も経ってるんだ。お前が奴等に洗脳された所で何の不思議もない」
疑いの言葉を投げかける。
「そんなんじゃ…、っねぇって…!」
机の上で握った拳が怒りで小刻みに震える。

洗脳という言葉一つで、片付けられたくはないギエンだ。

彼らとの年月は。
そんな簡単な関係では無かった。

「何も…、知らねぇ癖に…!」
ギエンの絞り出すような低い声に、ハバードの黒い目が驚きで見開く。
「っ…!」
唇を引き結んで苛立ちを耐えるように力を籠めるギエンの表情は、この数日間で初めて見るもので、それはいつもの余裕の片笑いを浮かべる態度からは思いもしない顔だ。
「…言う通り、俺は何も知らない。お前が話さなきゃ、知りようが無いだろ?」
至極真っ当な答えを言って、ギエンの苛立ちを深めた。
「だろうよッ!てめぇはどうせ、他人事だ。てめぇになんか言うつもりもねぇけどな!」
勢いで席を立つ。

表情の変わらないハバードを睨み、背を向けようとしたところで、
「騎士団に裏切られたんだろ?」
その場に縫い付けるように毒を吐いた。
「あれだけお前を慕ってた騎士団が裏切るとは考えにくかったが、お前のその態度、それしか考えられん」
「…いい加減にしろ」
つかつかとハバードの目の前まで歩み寄って、それ以上言うなと言外に態度で示せば、
「獣人族に売られでもしたか。無い話じゃない。金や名声欲しさに獣人族と手を組む奴もいるしな」
土足でギエンの心の内に踏み入った。
「ッ…うる、せぇ…!」
胸倉を掴むギエンを見上げたまま、
「抵抗できないように剣も封じられて、お前がその後どういう扱いを受けたかなんて想像に容易い」
一番抉られたくない所を抉った。
「ッ…!!ざ、けんなッ!」
咄嗟に手が出る。

握った拳が、ハバードに届く前に易々と胸倉を掴む手を捻り上げられ、振り上げた拳ごと机に叩きつけられていた。
「ぅ…、くッ…!」
「お前より俺の方が武術が上なのは分かりきってんだろ?」
立ち上がったハバードが余裕の態度でギエンに現実を突き付けた。

再び、起こった大きな音に残っていた人々が二人に視線を投げる。
それからどうしたらいいのか不安そうにそわそわと周囲を見回し、その場にいた数人も館内から慌ただしく出て行った。
誰もいなくなった館内を見回したハバードが目の前のギエンに視線を移す。その表情はいつになく真剣だった。



2021.03.28
そろそろ本格的に本筋に入っていこうかと…思ってはいます(笑)。
全然総受け度が少なくてヤバイ…(笑💦)。
でもこの世界ではまだ半月くらいしか経ってないから…。うん…(笑)。

いつも拍手ありがとうございます(^^*励みになってます(^^*!更新頑張ります〜(笑)
ふと他に夢中になると更新が突然ストップするという悪癖があるので気を付けてます(笑)!
    


 ***26***

背中で両手を拘束され、身動き取れないように上半身を机に押し付けられる。
ハバードの手が肩甲骨の溝に掛かり、更に体重を掛けてギエンを逃さないように圧迫した。
「…ハバー…ッド!」
苦しい息で名前を呼べば、
「獣人族に心の隙間でも付け入られたか。それとも…」
言葉を切ったハバードがするりとシャツをたくし上げた。
「ッぁ…!」
突然の事に、思わず声が漏れたギエンを可笑しそうに笑って、
「身体で誑かされでもしたか?お前の身体、随分と敏感だもんな」
そう揶揄した。
嘲りを強く宿す声に、カッとなる。
「っ…、て、め…!」
恨めしい声を出すギエンに対し、鼻で笑ったハバードが脇腹を撫で、へそ辺りを指が彷徨った。
「悔しいなら否定してみろよ。ギエン」
「…っぅ…ッ」
小さく震えて反応を返す。
歯を噛み締め、苛立ちの籠った視線をハバードに向けていた。

僅かな刺激一つで疼く身体に。
認めたくも無いが、事実を認めざるを得なくなっていた。

「っ…!…否定は、…しねぇ」
絞り出すような震えた声に、ぴたりとハバードの手が止まった。
大きく息を吐いて、
「否定しないんだな」
残念そうに言葉を返す。
その失望感の溢れた声音に、何故か僅かな罪悪感を抱いた。言い訳のように、
「連日のようにやられてみろよ。流されたくなくても流されちまう…」
ギエンが諦めの言葉を吐く。

それを聞き拘束を解いたハバードが、呆れた溜息を吐きながら椅子に腰掛けた。
「それで?それが洗脳じゃないって言うならなんだ?まさか、愛だとでも言うつもりじゃないだろうな?馬鹿らしい」
「…っ!」
拘束されていた手首を摩っていたギエンの手が衝撃を受けたように止まる。


殺意の宿る視線で睨むギエンと、それを真っすぐに見つめ返す黒い瞳が真向からぶつかり合った。
しばらく睨み合った後、先に口を開いたのはギエンだった。

「お前に俺の苦しみが分かってたまるか。何度、人に裏切られたと思ってる!俺からすりゃ人間も獣人族も、どっちも獣以下だ!それでもザゼルは」
「ザゼルか。随分と親し気に名前を呼ぶんだな」
ハッとしたように口を噤むギエンを、座ったままのハバードが見上げる。三白眼の瞳が逃さないように鋭く切れあがっていた。
「身体だけじゃなく、心までドロドロにいかれちまった訳か」
「馬鹿に…ッ!」
言い返そうとして、言葉が止まった。

今。
もしハバードが剣を持っていたら、間違いなく柄に手を掛けていただろう。
それほど、ハバードから放たれた気配は敵意に満ちたもので、
「…!」
思わずギエンが後ずさった。

「お前の中では、…」
静かな館内で、ハバードの呻くような声が響く。
「俺もお前が言う最低な人間の一人で、その獣人族よりも信用できない獣以下ってことなのか?」
鋭い瞳がギエンの戸惑いを宿す瞳を捉え、視線を逸らす事も出来なくなる。

ハバードの、らしくない真剣な眼差しに。
「…それは…」
否定の言葉も出てこず、何と返せばいいのか分からなくなっていた。
ハバードの事は昔からよく知っている。信用していない訳ではなかった。
だが、過去の出来事が足枷になり、本当に信用しても平気なのか、本当に裏切られることが無いと言い切れるのかという想いが頭をもたげて、即答できずにいた。

しばらく見つめ合ったまま言葉を探る。


丁度その時。
入口が騒がしくなった。

館長と数人がやってきて、二階部分にいる二人を指差しながら何か話していた。
すぐに二人の元へとやってきて、
「喧嘩と聞きましたが…」
相手がハバードとギエンだと知ると、畏まって訊ねてきた。

「いや。問題ない」
ハバードが机に置かれた本をまとめて手に取って脇に抱え、席を立つ。
「もう出るところだ」
ギエンの横を通り過ぎ、そのまま棚へと本を戻しながら出口に向かっていった。

館長が、ギエンを振り返り、どうすべきか迷ったように再びハバードの背中へと視線を送る。
「…っ」
ハバードの背中を見送っていたギエンが、拳を強く握り、意を決したように去って行く背中の後を追った。
心配してやってきた館長に大丈夫だと声を掛け、館内を出る。

書物館から伸びる道を抜け、真っすぐ進むと森林浴が出来そうな小さな広場が見えてくる。曲がりくねった小路の合間合間にベンチが置かれ、癒しの空間が続いていた。その道を突き進めば、昔と変わらない訓練場へと繋がっていた。
更にその先はハバードが宿所にしている場所だ。

「ハバード!待て!」
声を張り上げて呼び止めた。

振り返るハバードが、どこか懐かしくて。

「…っ」
15年前を唐突に思い出していた。
西の山脈へ討伐に行く前日に、ハバードと同じように会話をした。胸に拳をあてて見送ったハバードの言葉が何だったかは覚えてはいないが、その顔は今と似たような表情を浮かべていた。

心配をさせたのは確かなのだろう。
ハバードが怒るのも無理もない。

歩み寄り、何の用だと眉間に皺を寄せるハバードの腕を掴む。
「…お前を信じてない訳じゃない。再会してすぐ言っただろ。お前は信用できると…。お前があいつらと一緒だとは思ってねぇ」
「…」
ハバードが短い髪を掻いて、小さく溜息を付く。
「そうは言うが、お前の心は獣人族に傾いてるんだろ?西の山脈は討伐したが、また次の獣人族が現れた時に、お前はどっちに付く気なんだ?
俺は獣人族には敵意しかない。この十何年、あいつらをずっと憎んで生きてきた。お前がそちら側なら、お前だろうと容赦しない」
媚も遠慮も一切ないハッキリとした意見に、
「違うって言ってんだろ!」
ギエンが短く即答した。
「ザゼルは以前獣人族の族長だった男で、好意を抱いてたのは認める。俺が本当に辛い時に、あの場所で安息を与えてくれたのはあいつだけだ。ザゼルだけが特別なのであって、獣人族だからじゃねぇ」
「今まで散々言いたがらなかった癖に、どういう風の吹き回しだ」
黒い瞳が刺すようにギエンを見下ろす。それを見つめ返して、
「お前が誤解して…」
そう言ってから、
「いや…。お前にはちゃんと話したいと思ったからだ」
言葉を言い換えた。

先程と同じように見つめてくる黒い瞳を、今度は受け止めて、想いを伝えた。
「…ギエン」
名前を呼ぶハバードの表情にいつものからかいの色はなく、ただ真摯な想いを宿す黒い瞳が、瞬きせずギエンの目を見つめ返す。
それから、
「俺はお前の言葉に嘘は無いと信じる。いいのか?」
再度、確認をした。

たとえ言葉であろうと、裏切られれば傷付く。
裏切りに慣れなどありはしない。何度だって同じくらい傷を負う。
それを身に染みてよく分かっているギエンだ。

「俺のいる場所はここだ。嘘じゃない」
ハバードの想いに、強い意志で答えを返した。

安堵したように表情を和らげたハバードが、苦笑を浮かべながら眉間を押さえ、
「話さなくていいと言いながら、お前に無理強いをして悪かった。俺も頭に血が上って、お前の人格を無視したよな…」
珍しく真面目に謝罪しながら、ギエンの目を窺い見る。
「お前は救われたかもしれないが、俺にとっては仲間は殺されたし、友人だって何人も死んでる。お前も死んだと思ってたしな。あいつらの事を考えると腹の底から殺意が沸いて仕方が無い」
瞳をぎらつかせ、忌々しげに本音を吐いた。ハバードの殺意に満ちたその表情は、長年、彼が抱いてきた苦悩を知るには十分だ。

自分だけでなく。
多くの人間があの事件で何かを失い、また人生を狂わされたのだと今更ながら思い知る。

「…悪い」
「いや、謝罪すべきなのは俺だ。その手枷の跡はどう見ても合意な訳がない。ギエンの負った傷はもっと深い筈なのにな。お前が今も悪夢の中にいるのなら救いたいと思いながら、一方的に疑っちまって、本当に悪かった」
ハバードの率直な言葉は、ギエンを大いに戸惑わせた。ハバードとはあまりこういう話はしない。武術にしろ剣術にしろ、議論的なこと、戦術的なことで言い争うことはあっても、胸の内を語り合うような関係ではなく、ましてや弱っている姿を見せたりするような関係ではなかった。
今までの関係でいえば、どちらかといえばマウントを取り合う関係であり、常にどちらの立場が上か、会話の基本にあるのはそれだった。

ハバードに素直な想いをぶつけられ、ギエンが答えに困ったように俯く。


一瞬の沈黙の後に、
「辛気臭くなっちまったな。折角の礼拝日だし、暇な二人同士で街にでも出掛けるか?」
空気を切り替えるように軽快に言ったハバードが、ギエンの肩に腕を回して方向転換した。
「…そうだな。精霊祭りは俺にとっちゃ、あんま意味ねぇけど」
「それ、信仰深い連中の前では言わない方がいいぞ」
ハバードがすかさず笑いを含ませてギエンの言葉に釘を刺す。
「分かってる。ゼク家の面々の前でも下手な事は言えねぇなって思ってるよ」
その台詞にハバードが声をあげて笑った。

ギエンがちらりとハバードの顔を見上げる。
それは昔と同じく真っすぐで偽りのない笑いだ。


不思議なことに。
ダエンでもサシェルでもなく。
昔と変わらないハバードの存在が、現実感の湧かないこの場所へギエンを繋ぎ止めていた。

自分がいるべき場所はここだと再確認する。
大切な思い出が沢山あるのは、決して獣人族と過ごした日々ではない。


肩に感じるがっしりとした腕に、何故か安堵していた。




2021.04.01
いやぁ…、ここ数日、眠くて眠くてヤバかったです。
仕事終わって即寝る、みたいな…
もうお歳ですな…(゚ω゚;A)
体力が心底、無くなって来てる気がする〜(笑)

    


 ***27***


パシェがアリネとのデートから戻ってきたのは日が落ち、辺りはすっかりと暗くなった時分だった。
特に浮足立つとかもなく、いつもの冷静なままで、ギエンが使用している客室を覗く。
それから主がいない事に気が付いて、すぐに門番の元へギエンの行方を聞きに行った。
そうして、相手がハバード・ハンと知り安堵していた。

昨日の今日で、騎士団の副団長、ゼレルがやってくることはないだろうとは思っていたが、昨日のギエンの様子が余りに平静さを欠いていたため、心のどこかで心配していた。
デート中にもそのことが気になり、気がつくと頭の中はギエンのことで一杯になり、アリネとどんな会話をしたかすら、曖昧な状態だった。

いつからそうなってしまったのかと自問する。
彼女を好きであることには変わりない筈だ。だが、ギエンと出掛けたような胸の高鳴りは無く、その事実に自分自身が驚いていた。
ほんの少し前までは、確かに彼女に惹かれていた筈なのに、いつの間にか妹を見ているような穏やかな気持ちになり替わり、その代わりのようにギエンがそこに居座る。
いや。
以前、アリネに抱いていた気持ちよりも遥かに人間らしい欲を伴ってパシェの心を支配していた。

そのことをまざまざと自覚させられ、やや憂鬱な気持ちと共に、アリネへの申し訳なさで一杯になる。

折角一緒に出掛けてくれたアリネを精一杯持て成し、彼女の好きそうな所へと連れて行く。
そして別れ際に、
「パシェ様は、ギエン様が大好きなんですね」
笑みのまま言われた時には、更に申し訳なくなって、平謝りしたくなっていた。
特に気を悪くした様子もないアリネが、
「またお店にいらして下さい。ギエン様もとても素敵な方なのでぜひご一緒に」
そう言って今までと変わらぬ関係を約束する。それに感謝を述べて別れたが、そんなに自分はわかりやすいのだろうかと自己嫌悪にも陥っていた。

この想いは、ギエンにだけはバレる訳にはいかない。
何がなんでも平常心を装って、今まで通りに接しなければと心に決める。

そう思いながら部屋の掃除をし、ギエンがいつ戻ってきてもいいように仕度をしていると、唐突に部屋の扉が開き、パシェをドキッとさせた。

「ギエンはまだ留守か」
意外な人物に驚き、慌てて頭を深く下げる。
パシェの姿をチラリと見たゾリド王が、主のいない部屋を残念そうに視界に映し、
「明後日に定例パーティがあるから参加するように伝えておいてくれ」
一言告げて背を向けた。
「畏まりました」
そのまま去っていく王は身一つの単身だ。護衛もつけずにギエンに会いに来た事実に、僅かに胸がざわついた。
こないだの食事会でもそうだが、二人の関係は思う以上に距離が近い。親しいとか、そういう事ではなく、見ていて思わずぎょっとさせられる身体的距離の近さだ。
そう感じさせるのは一重に王のせいだろう。ギエンに対する態度が明らかに他の者とは違う。
だが、それは見て見ぬふりすべき事柄であり、余計な詮索をしてはいけないであろうことは何となく分かっていた。見たくない部分まで見えてしまうのは、世話役の職業柄、仕方がない部分ではあるが、やや憂鬱にもなった。

悶々とした想いでギエンを待つ。

それからギエンが帰ってきたのは2時間ほど後で、ハバードと一緒に陽気に会話をしながらだった。
「あれは笑えたな」
「うるせぇな!」
二人が笑いながら部屋の扉を開ける。それからパシェに気が付いて、
「今戻った」
僅かに驚いた後に、小さく笑みを浮かべた。
もう夜も遅い時分だ。
「お茶を入れましょうか?」
パシェの言葉に、ギエンがハバードを振り返り、
「どうする?もう帰るか?」
そう訊ねれば、ハバードが意外なことに、
「1杯だけご馳走になるかな」
言って、椅子に腰を下ろした。

優雅に足を組み頬杖を付いて、パシェの顔を見上げる。
「パシェと言ったよな?こいつの世話は大変だろ」
口元に笑みを乗せて訊ねた。
「とんでもございません。ギエン様にはよくして頂いています」
パシェの社交辞令に、ハバードが上機嫌に笑った。
「っふ…」
ギエンが釣られたように笑いを零してハバードの正面に腰を下ろす。
「パシェ。黒茶を。特にプラド産があればそれがいい」
「プラド産か…あれはいい。一番渋いんじゃないか?」
ハバードが顎髭を摩り、記憶を探るように上を見た。
「お前、好きだろ?あーいうの、好みだもんな」
何気なく言ったギエンの言葉に、ハバードが笑いをこぼす。
「確かあったと思いますので、すぐにお持ちします」

二人から濃厚な酒の匂いが漂った。
柔らかに笑うギエンにある種の納得をする。
街ではちょっとした祭りだ。二人で酒場をハシゴしたのかもしれない。女物の香水の匂いと、酒の匂いが混ざり、パシェの気分を僅かに不快にさせる。
気分を入れ替えるように部屋を出た。

二人の仲を見せつけられた気分になっていた。
自分の想いを自覚した途端に、身分の違いを突きつけられ、落ち込んでいた気分が更に落ち込むのを感じた。
ハバード・ハンと同じように、ギエンと対等に言葉を交わすということは一生やってこないだろう。

ギエンの周りは意図せずそんな人物ばかりだ。
地位や名声に無頓着な筈なのに、不思議とギエンの周りには、何もかも備え持った人物ばかりが集まる。
自分がギエンと接点が持てたのすら本当に偶然のことで、この関係だっていつ終わるかも分からないのだ。

ギエンの心を手に入れる事は不可能でも、可能ならずっとギエンの傍で世話役をしたいと、今まで思ったこともないような願いを抱く。
愚かな考えだと否定しても、一度浮かんだ想いは早々消え去りもせず、いつまでも胸に宿っていた。

いつになく弱気な自分を自覚しながら、目的の物を棚の奥から引っ張り出す。
客人の為に茶器一式を揃え、足早にギエンのいる客室へと戻るのだった。




2021.04.07
不憫なパシェ萌え(笑)。こういうへたれな攻めキャラは割と大好物です(笑)。
別れてしまうかもしれない恋人より一生傍に居られる世話役のが立場がいい気もする…(‾◇‾;)エッ

さて今日も絶賛眠いです(笑)。
春のせいか夜が眠すぎていけない…(;^ω^)…

拍手・訪問ありがとうございます‼
夜眠い事が多いのでちょっと更新が若干、遅くなるかもです(笑)。この更新ペースをキープしよう、…とは思ってますが(笑)、睡魔には敵わんです…(;'∀')エ?!
    


 ***28***


「で、あの時のお前の理論が俺にはどうしても納得出来ねぇんだよ…」
「そうか?結果的には俺のいう通りだったろ?」
「それがまた腹立たしいんだけどな」
ノックの後に客室へと足を運べば、ギエンが珍しく多弁に会話をしていた。
「実際、あの時、魔獣の討伐数では俺のチームの方が勝ってただろ」
「前から疑問なんだけどさ、お前、どうやって魔獣の魔術を防ぐ訳?俺にはそもそもそれが理解出来ねぇ」
パシェが戻ってきたのも気付かないくらい話に夢中で、身を乗り出すようにハバードと話をしていた。

テーブルにお盆を置いてようやくギエンが顔をあげる。
「悪い。後はやるよ」
茶器を受け取り、ポットの中に山のように茶葉を入れ熱湯を注いだ。
透明の液体が黒々とした色へと変わっていく。見るからに苦そうなそれをハバードのカップに注いだ後、自分のカップにも入れた。
「ギエン。俺が魔術を使えないからって馬鹿にしてるだろう?」
黒々とした液体を口に含んだハバードがその苦さを味わうようにゆっくりと嚥下する。
「そんなつもりじゃねぇけどさ…。魔獣の陣も馬鹿に出来ねぇだろ?偶にすげぇ強力なのを吐き出すやつもいるし、魔術も使えねぇお前が武術だけでどうやって防ぐのか本当に不思議なんだよ」
「お前、それ、どうやって黒魔術使ってるんだ?っていうのと同じ事だぞ。俺にしてみれば、ただの気合だ、気合。4,5層魔術が気合で防げるのと一緒だ」
「はぁ?何言ってんだ、お前…」
呆れた声で返して、注いだ黒茶を口にし、苦そうに眉間に皺を寄せた。
「よくこんなクソ不味ぃの飲めんな…」
黒い液体を覗き込んで、ハバードのカップを確認する。ギエンの視線を面白そうに見た後に、カップを揺らして美味しそうに口に含んだ。
「酔いが取れていいだろ?」
「…まぁな。とりあえず真面目に答えろ。気合だけで防げる訳ねぇだろ」
問われたハバードが僅かに考えた後に、首を振った。
「いや、やっぱり気合だと思うがな。気力で精霊を殺すのと理屈は同じことだろ?魔獣が陣を組んだ瞬間に、気力をぶつけるような感じだ。そうすると発動せず霧散する訳」
「発動済みのやつだって、お前、昔見た時は普通にぶっ潰してたじゃねぇか…」
「ははっ!」
唐突にハバードが声を立てて笑った。
「よっぽど不思議なんだな。俺は精霊が見える訳でもねぇけど、どんな精霊魔術でもそれぞれは小さなもんで、切れ目みたいなのがあるだろ?分かりやすく言えば、そこに武術の衝撃波を与えれば分解する、って感じか?お前だって剣で断ち切ったりするから、似たようなもんだろ」
「…意味わかんね…」
「だからお前は武術の才能が無いんだろ」
口元に笑みを乗せて言ったハバードの言葉でギエンの機嫌が悪くなるという事も無く、再度、カップに口を付けて渋い顔で飲み込んだ。
「…俺は4,5層魔術も気合で破れねぇんだよな…」
「…マジで言ってんのか?」
意外な告白に、ハバードが驚きで目を丸くする。
「昔はもう少しマシだったんだが…、ちょっとトラウマになっちまって…、あーいう精神系の魔術はどうも苦手なんだよな。気力は関係ねぇのかも…」
「…」
ハバードの瞳に真剣な色が宿る。酔いが回っているギエンよりも遥かに酒に強いハバードだ。意識はハッキリしており、それほど酔ってもいない。
「それはゼク家に相談してどうにかした方がいいんじゃないのか?4,5層魔術を破れないってなると相当やばいぞ。普通の生活をするならいいが、お前の地位を考えると、さすがに放置出来ない問題だと思うが…」
「やけにハッキリ言うじゃねぇか。お前は魔術が使えなくて残念だな」
ふっと笑いを零したギエンが首を傾げハバードを見る。鮮やかな蒼い瞳に悪戯な笑みを乗せた。その冗談をスルーしたハバードが真剣な口調で言葉を返す。
「4,5層魔術は難易度が高い割に、重要視されないのは戦闘じゃ通用しない事が多いからだろ。僅かに動きを止めるとか弱いやつには有効だが、格上には全く通じないような魔術を破れないって、お前、変な奴に知られたら悪用されるぞ」
「…この事はお前にしか言ってねぇよ」
ちらりとハバードがパシェを見る。パシェが傍らで彼らに視線を向けるでもなく立っていた。
「パシェは平気だ。世話役としての意識が高いから、俺の事を言いふらすような事はしない」
ギエンのフォローに、ハバードがそうかと小さく相槌を打った。残っていたカップを飲み干して、
「…とにかく、早い内にどうにかした方がいいと思うがな。訓練すりゃ元には戻るものだろ?」
心配そうに口にする。
カップの縁をなぞったギエンがやや考え込んで、小さく唸った。
「ゼク家にはあんま…知られたくねぇんだよな。
こないだルイト様に会ったんだが、黒魔術の件もあってか、よほど失望したように見える」
珍しく弱気なギエンの発言にハバードが目を丸くして、すぐに大笑いした。
「んなわけあるか。ルイト様はお前を孫みたいに思ってるから。なんなら俺から伝えるか?」
「まぁ平気だろ。4,5層魔術自体、使えるやつが早々いねぇし」
特に気にした風もなく苦い茶を口に含む。
釈然としない顔のハバードが短い相槌を打ち、
「俺は魔術は使わねえからよくわからんけどな、お前が問題ないと思ってるなら口は出さない。何か困ったことがあったら言えよ」
それ以上深くは追及しなかった。

渋い顔になりながら何口か飲むギエンの様子を見て、
「さて、そろそろ戻る。パシェ、酔っ払いの相手は面倒だろうが後は頼む」
小さく笑んで席を立った。
ギエンの肩を叩き、
「今日は楽しかった。また暇な時に出かけよう」
さらりと誘った。
肩に掛かるハバードの手がやけに熱く感じるギエンだ。

「ハバード」
思わず引き止めるように名前を呼んでしまう。
「…」
僅かに見つめ合った後、
「ありがとう」
ギエンが小さな声で礼をいうのを可笑しそうに笑った。
「…よくわからんが、突然、礼を言われると照れるな」
ぐっと強く肩を握られ、二度、慰めるように軽く叩いた。
「じゃ、またな」
するっと肩から離れていく手が、昔よりも遥かに男らしい無骨な手だ。

扉が閉まるまで見送るギエンをパシェがそっと窺って、それからハバードの飲み終えたカップを片付け始める。
浴室の準備をした後、衣服を片手に戻ってきたパシェの視界に、飲みかけのカップの縁をなぞりながら考え事をしているギエンの姿が映り込んだ。
頬杖を付いたまま、ぼんやりと自分の指先を見つめる様は憂いを帯び、どことなく危うげだ。それでいて、室内の淡い照明がギエンの鮮やかな蒼い瞳に宝石のような煌めきを宿し、まるで名画のワンシーンかのように麗しい。
思わず見惚れていると、
「…、パシェ」
視線に気が付いたギエンが、悪戯な笑みを浮かべ名前を呼んだ。
手招きされるまま歩み寄れば、飲みかけのカップをパシェに差し出して、
「お前も飲んでみな。すげぇ苦いから」
ふっと楽しそうに方笑いをする。
一瞬の躊躇いの後、飲みかけのカップに口を付ければ、
「…!」
口内に広がる圧倒的な苦さに吹き出しそうになった。そんな失態は絶対にする訳にはいかないパシェだ。
意地でも飲み込めば、
「ははっ!やべぇだろ」
パシェの珍しい顔にギエンが声を立てて笑った。
「ハバード様は、これを平然と飲んでられたのですか?」
パシェの呆れた声に、ギエンが頬杖を付いたまま口角を上げて優しい笑みを浮かべていた。
「あいつ、味覚おかしいよな」
言いながらどこか嬉しそうで、パシェの胸がほんわかと暖かくなる。

今日は余程、楽しかったのかもしれない。
ふと、先ほどまでの気分の落ち込みが一気にどうでもよくなった。

ギエンが、元気なら何よりだ。
何故か無性にギエンを驚かせたくなって、持っていたカップを再度、口元へと運ぶ。
それから一気に飲み干して、
「ハバード様には負けてられませんね」
先ほどとは打って変わって、なんてことないように無表情のまま、ギエンに返す。
驚きの表情を浮かべたギエンが、すぐに小さく笑って、
「お前ってホント…、予測出来ないことをしでかすから面白いよな」
立ち上がってパシェの頬をさらりと撫でた。

ギエンの目は見る者を誤解させるに十分だ。
日頃は力強く鋭い目が、柔らかに笑むだけで甘い色へと変わり、蒼く煌めく。
その瞳の変化だけでなく、真っすぐに見つめてくる瞳は、まるで、彼にとっての特別な存在は自分だけかのように思わせる。

パシェがドキリとして、心臓の鼓動とは正反対に無表情に見つめ返せば、
「今日のデートは楽しめたか?」
視線を合わせたまま横を通り過ぎたギエンが、浴室へと向かいながら言った。
「…はい。お休みをありがとうございます」
本心を悟られないように、遠ざかっていく背中に礼を言った。

もしも今日、アリネと出掛けていなければ、ギエンは自分と一緒に祭りに行ったりはしたのだろうか。
ふとそんな事を思い、それは彼女に失礼だと即座に否定した。
そんな事を思っていると、
「疲れたろ?俺のことは気にしなくていいから、もう休んでいいぞ」
ギエンがパシェをちらりと振り返って、労いの言葉を掛けた。

シャツのボタンを外し、躊躇いもなく脱ぎ捨てる。
人前に出る時にはあまり肌を見せないギエンも、パシェの前では平然と傷だらけの肌を晒した。

引き締まった背中に走る大きな刀傷は、何度見ても見慣れるものでもなく、見る度に痛々しい気持ちにさせる。
どれだけの痛みだっただろう。
ギエンが負った心の傷も同じくらい深いのだろう。

いや、もっと深いのかもしれない。
まるで、何もなかったかのように普通に生活をするギエンが、余計にその傷の深さを感じさせる。

「浴室で眠られても困りますので、ここで待ってます」
パシェの返答に、ギエンが背を向けたまま声を立てて笑った。
そのまま扉が開き、静かに閉まる。

椅子に腰かけて、浴室から聞こえる控えめな水音に耳を澄ませるのだった。



2021.04.11
人間不信のギエンだけど、何気にパシェへの信頼が厚かったり…(笑)
これでパシェに裏切られたら多分、ギエンはもう立ち直れない気がする(笑)。

ところで前から思ってるんですが、メインCPって宣言した方がいいのか、それとも秘密にしておいた方がいいのか悩む(笑)。BLは基本固定CPが多いからか、お相手がこの人って初期から分かる作品が多いかと思うんだけど、どうなんですかね?
この話は総受けって宣言してるからまぁ誰でも美味しいし別に、って感じなのかな〜?(笑)
ちなみにパシェは常にメインでもいいんじゃ、と思うけど、でもやっぱり違います(^^笑!

拍手、訪問ありがとうございます‼(^.^*)‼こないだ沢山拍手貰っていそいそと更新してます〜(笑)‼
各小説ページでそれぞれ設置してるお礼小説が違ったりするので、気になった方はそちらもぜひ(笑☆)。
というか、28話か…やばいですね…(;^ω^)
    


 ***29***


月に一度の頻度で開かれる定例パーティは、貴族の娯楽というよりは様々な分野、思想の者たちとの交流会の意味合いが強く、王を支える重役の面々だけでなく、その時々で王都で話題になっている人物が、幅広い層から招待される。

貴族は勿論のこと、騎士団の面々や業績を残した研究者なども集まる大規模なパーティとなっており、身分やジャンルを越えて日頃は接点がないような層とも交流できるのが一番の魅力でもあった。

パシェを伴って参加したギエンはそれぞれの名家へ一通りの挨拶を済ませた後、用意されていた軽食に手を伸ばしたところで、後ろから声を掛けられ動きを止めた。
「お久しぶりです。ギエン殿」
騎士団の正装を着た清潔感溢れる男が目の前に立っていた。
「ガレロ。久しぶりだな。こないだお前の噂を聞いたが、一人で大牙獣を倒したらしいな。あれは素早いし毛皮も厚いから、一人で倒すのは大したもんだ」
ギエンの誉め言葉に、ガレロが照れたように視線を僅かに泳がせた。
「貴方には及びません。決闘では素晴らしい剣技だったと噂を聞きました。うちのゼレルが大変失礼なことをして申し訳ありません」
「あれはお互い様だしな、もう済んだ話だ。気にするな」
持っていたグラスを重ね、挨拶をする。それから一口、軽く飲んだ。

パーティでは挨拶をしたら酒を口にするのが習わしになっていた。ギエンのグラスは既に2杯目になっており、傍で控えるパシェが心配そうにちらりとギエンの顔を窺う。
「ギエン殿。今度いつ一緒に出掛けてくれますか?私の休みは3日後と、10日後となってます」
すかさず、ガレロの後ろにいたゼレルが身を乗り出してギエンを誘う。
強引にグラスを合わせ挨拶をした。
「お前とは出掛けねぇよ」
乾杯させられたグラスを見て、ギエンの眉間に皺が寄る。不機嫌露わなギエンの表情に、ガレロが意外そうに目を見開き、次いでゼレルを見上げた。
「またどんな失礼をしでかした?決闘を申し込んだだけでも無礼極まりないというのに」
「それはギエン殿に聞いてください。私はケーキを奢っただけです」
しれっと答え、口元にはにやついた笑みを浮かべていた。
益々ギエンの眦がきつくなり、その時を思い出したように手の甲で唇を覆った。
「次はもっと南街に行きましょう。新しく出来たパン屋が凄く美味しいんですよ」
ギエンの機嫌など気にもせず、手袋をした手を取って素早い動作で指先にキスを落とす。
「バターと小豆の生地は、貴殿なら間違いなく気に入る筈です」
あまりに自然にされた行為を振り払う事も忘れ、むしろ甘言に惑わされるギエンだ。
「バターと小豆か…。確かにこないだのケーキは美味かったしな」
味を思わず想像する。ゼレルの食選びのセンスだけは一流品だ。

食べてもいないのに、そのパン屋の香ばしい匂いまで想像して、ぐらつく。
出かけるくらいなら悪くもない。
思わず同意しようとして、
「ギエン殿」
別の所から声が掛かり、危うく出そうになった言葉を飲み込んだ。
「お初にお目にかかります」
突然、会話に割り込んできた男は初めて見る顔だ。金縁の眼鏡を掛けた若い男で、茶色と白のメッシュが入る髪は、左右で長さが異なり耳の横は刈り込みが入った斬新な髪型だ。着ている服も襟元が非対称に斜めカットされ、柄物の大きなボタンが一つ、胴辺りで止まっているだけの奇抜な格好で、中のシャツも目を引く深い赤色で独特な衣装の男だった。

何の用だと視線をよこすギエンに、持っていたグラスを持ち上げ挨拶をした。
「街で貴方を見掛けてからずっとお話をしたいと思っておりました。こうしてお会いできて光栄です。
申し遅れましたが、自分はホル・ミレと申します。南街で2年ほど前から洋裁店を営んでおります。よろしくお願いいたします」
「…よろしく。俺の自己紹介も必要か?」
右手を差し出したギエンの手を握り、強く握手を返す。
「いえ。よく知っているので大丈夫です」
断言され、ギエンが警戒心を露わにする。
その表情に、ホル・ミレが商売人特有の白々しい笑みを浮かべた。
「驚かせてしまいましたね。貴方が仕事を探していると小耳に挟んだものでして、その依頼をしたくて声を掛けさせて頂きました」
男の言葉に、ガレロやゼレルが興味深そうにギエンを見やった。
先を促すように、ギエンが男に視線を返せば、男の笑みが深まる。
「ギエン殿に服のモデルをやって頂きたいのです。あまりに目を引く方だったので、是非お願いしたいとその時からずっと思い描いていたのです」
「俺にそんな派手な服を?」
ギエンの嫌そうな声に、満面の笑みで男が大きく頷いた。
「…俺には似合わないと思うが」
「そんな事はありません。絶対似合います!」
謎の確信を抱いて強く断言する男に、渋っていると、
「モデル代とは別に、売れた金額の15%でどうですか?もっとシンプルな物もありますし、何よりギエン殿は着て歩くだけです。破格の報酬だと思いますが…」
そんな言葉で誘ってくる。金額の問題でもないが、仕事もなくいつまでも王城にずるずると住む訳にもいかない。例え一時的な仕事にしろ、何かしら始めた方がいいのは間違いないだろう。
顎に手を置いて思案するギエンを後押しするように、
「ギエン殿なら何を着てもお似合いですよ。今日の服装もとてもお似合いです」
ガレロがすかさず褒め称え、それに被せるようにゼレルが同意した。
「…何事も挑戦と言うしな」
一つ溜息の後、男に了承した。
「ありがとうございます!ギエン殿が着てくれれば、店の評判も必ず上がります!」
「下がっても知らねぇけどな」
男の高すぎる期待に期待するなと釘を刺せば、ギエンの空いた手を掴み、再度がっしりと固く握手をする。
「後日、正式な契約書をお持ちいたします。そちらに控えていらっしゃる方にお渡しいたしますね!」
何度も礼を言って、興奮した面持ちで去って行く。

「商売人はたくましいな」
次から次へと声を掛けていく彼の後ろ姿を眺めながらぽつりと言ったギエンの言葉に、ゼレルが大口を開けて豪快に笑った。
「ギエン殿は、本当に押しに弱い方ですね」
ビスケットを口に放り込み、失礼な発言を平然と口にした。
「俺のどこが」
ゼレルを睨むように見て視線で咎める。ゼレルにとってはギエンと目が合うだけでも嬉しいことのようで、緑の目が反省すら浮かべずただひたすら愛おしそうに見つめ返してくる。
「っち…。お前は本当に懲りねぇよな」
どんなに邪険に扱ってもへこたれもしないゼレルに呆れの溜息を返せば、ゼレルが何故か誇らしげに胸を張った。
「てめぇには何を言っても無駄か」
思わず品の無い言葉で悪態を付く。

「ギエン」
それを咎める訳ではないが、再度、他の男が歩み寄ってギエンに声を掛けた。
「っ…、トラス様」
突然、声を掛けられたギエンが驚いて、頭を下げる。先ほど挨拶をしたばかりだというのに、わざわざやってきた相手に敬意を示せば、それを手で制し二度目の乾杯の挨拶をした。

ゼク家の現当主、トラスはルイトの息子で年はギエンよりも10近くは上になる。代々、金髪碧眼の見目麗しい血筋は、彼も引き継いでいて、年を重ねても凛々しいままだ。

「こないだの決闘で扱っていた黒魔術は感心しないが、力強い魔術だったな。父は否定的だが、私は大した力だと感心している」
「…」
なんと返せばいいのか迷う言葉で、ギエンが曖昧に礼を述べ頷いた。
「ところで、旧オール家の購入提案の書類を送ったが、見たか?」
わざわざそんな申し出までしてくれるのは大変ありがたい話ではあったが、あそこに再び住んで、以前と同じように生活することは想像できないギエンだ。
「えぇ。ですが、お断りする予定です。既にあの家はルイト様の物ですし、気を使って頂かなくても大丈夫です。自分の住む場所は自分で用意します」
「…そうか。気が変わったらいつでも言うといい。父にもそのように伝えておく」
「ありがとうございます」
気が変わるという事はないだろう。

そのまま去るかと思いきや、彼らに混ざって世間話を始める。
ゼレルやガレロが答え、ギエンも二言、三言と言葉を返す。その輪にハバードが加わり、そうこうしている間に、幾人かの重役や別の商人が加わり、それぞれが挨拶をし始めた。


ダエンが遠目にその様子を眺めていた。
ギエンの姿を発見した当初から挨拶に行くか迷っていたダエンだが、中々話しかける隙が無く様子を窺うだけに終わっていた。
自身も何人かと挨拶をしながら、合間にギエンに視線を送る。
「ギエンは相変わらず人気者ね」
サシェルがやや寂しそうに言ったセリフに相槌を打ちながら、心の中で否定する。
昔のギエンもよく人を集めていた。だがそれは騎士団の仲間内や黄色い声を上げる女性が圧倒的に多かった。
今とは毛色が違う。

決闘の後、街ではギエンに対する噂で持ちきりだった。いい噂も悪い噂もどちらもある。
ダエンが決闘の行方を聞いたのも噂話からで、ギエンの勝利を聞いた時には大して驚きもしなかった。昔から戦闘に関しては、誰にも引けを取らない。
王族騎士団の副団長にすら忠誠を誓わせたと聞いた時には、友人としてギエンの戦闘力に誇らしくもあった。
だが、決闘するほど険悪な二人が、いつの間にか普通に会話を交わすレベルまで関係修復しているのが不思議でならなかった。街の噂話ではギエンがゼレルに対し、強引に服従させたとも、いやそうではなく心酔したゼレルが服従を誓ったとも言われ、真反対の噂が流れて、何が真実かも分からない。
だが、ゼレルの態度を見る限り後者が正解なのだろう。

昔のギエンには無かった妙な気配が、そうさせるのかもしれない。

グラスを傾け軽く挨拶を交わした後、そっとグラスに唇を付け小さく嚥下する。その些細な動きにすら、やけに品のいい色気が漂う。

以前は女性だけに向けられていたモノが、今では男相手にもダダ漏れなのではないかと妙なことを思う。今までには無かった独特の気配が胸の奥をくすぐり、ギエンの内に秘めた何かを暴き立てたい衝動に駆られていた。

喧嘩していたことも忘れ、ギエンの挙動を魅入る。

そんな視線に気付く素振りもなく、瞳に艶を乗せてハバードを見上げていた。
唇を人差し指でなぞった後、思案するように首を傾げて方笑いを浮かべる。まるで色目を使う娼婦のように、斜め下からハバードを見上げ、ふっと瞳を和らげた。

ハバードに対するその目線だけでなく、やたらと男ばかりが集まるギエンに、理由も無く苛立ちを覚えるダエンだ。
それが何なのかも分からない。
ただ無性に腹立たしくなり、吸い寄せられるように見つめていた視線を無理やり引き剥がす。
苛立ちを飲み込むように、手に持っていたグラスを一気に飲み干し、ギエンに背を向けた。

それでも、一度意識した存在は早々簡単に消せはしないのだった。



2021.04.16
酒に強そうで、本当はめちゃくちゃ弱いギエンがツボです(笑)。

拍手、沢山ありがとうございます(*´ω`*)ッポ!
中々展開遅いですが(笑)、付いてきて下さると嬉しいです(笑)

    


 ***30***

結局、ダエンがギエンに話しかけたのはそれから大分経った後で、パーティも終盤近くだった。
ギエンの表情に目立った変化は無い。喧嘩していた事も忘れているかのように、
「二人とも久しぶりだな」
グラスを交わした。
「ミガッドは元気か?今度、一緒に出掛けたいが、借りてもいいか?」
蒼い目を煌めかせたギエンに戸惑い、言葉を失うダエンだ。グラスを煽り、隣に立つハバードに寄りかかるギエンは、どう見ても酔っ払いの体だ。
「お前、もう飲むな」
横からハバードがグラスを奪い取って、給仕の者に渡した。
ハバードの行動にギエンが俯いて笑いを零す。何が可笑しいのか、肩を揺らして口元を手の甲で覆った。
「ギエン、大丈夫?」
ダエンの言葉に、
「大丈夫に決まってるだろ」
返ってくる言葉だけはまともでしっかりしている。

「飲み過ぎるなと最初に伝えた筈だが…」
後ろから歩み寄ってきたゾリド王がギエンの肩を抱くように引き寄せて、顔を覗き込んだ。
顎を持ち上げ瞳を覗き込むゾリド王をおかしそうに笑う。
「完全に駄目だな」
呟き、ギエンの乱れた髪を後ろに流し、しゃんとさせるように立てた襟元を引いて形を整えた。
そうこうしていると、瞳に面白がるような笑みを浮かべたギエンが、唐突に両手をゾリド王の首の後ろへと回し、気配を変えてしだれ掛かった。

途端にざわつく周囲だ。ぎょっとしたのはダエンだけではないだろう。
ハバードが呆れの溜息をひっそりと零す。

「挨拶されたら断れねぇだろ。この風習をどうにかしろ」
言葉だけは真っ当だ。
「ふむ…考えておこう」
答えたゾリド王が周りの目を気にもせず、腰に手を回し耳元で小さく何かを囁く。
「ふっ…」
小さく鼻で笑ったギエンの背中を2,3度軽く叩いて、
「パシェ。部屋に連れて行け」
傍で静かに控えるパシェに命じた。
「畏まりました」
「はいはい。仰せのままに」
特に抵抗する様子もないギエンがパシェに大人しく従う。
「気を付けて戻れよ」
ハバードがちらりとギエンを見て、片手を上げる。
それに対し笑いで答えるギエンだ。いつもよりも陽気なのは完全に酔っぱらっているからに他ならない。

ゾリド王が去って行くギエンの背中を見送り、
「相変わらず酷い酔っ払いだな」
どこか嬉しそうに呟いた。
「あればかりは治りませんね」
ハバードが苦笑を浮かべて相槌を打つ。
「お言葉ですが、ギエンのああいう態度は良くないかと思います。若い頃ならともかく、一度しっかりと伝えた方が宜しいのでは無いでしょうか?」
「それはつまりどういうことだ?」
不思議そうな表情を浮かべ先を促すゾリド王に、ダエンが一瞬たじろぐ。
「…ギエンは余り良くない噂もありますので、あらぬ誤解を招くかと…」
思っている事を率直に伝えれば、赤い瞳に険しさが増した。
「良くない噂というのは奴隷だったことか?下らん内容だ。ギエンが何故そうなったか、その理由を考えたのか?この国の犠牲になった者に対する言葉とは思えんな」
血の色のように真っ赤な赤い瞳が、冷たい印象を宿したまま咎め、
「それと、私は誤解されても一向に構わん」
たじろぐダエンを真っすぐに見つめ、そう告げた。
「…」
ハバードがちらりと視線を上げ、王の顔を窺う。年を重ね一層、精悍さを増した力強い顔には一切の冗談も無く、その場にいる誰もが、王のギエンに対する信頼がそれだけのものだと悟る。
また、何があろうとギエンを支えようという決意の深さを思い知るに十分な言葉だった。
「余計な心配をし、申し訳ありません」
ダエンの言葉を受け入れるように肩に手を掛け、
「構わん。率直な意見は大事だ」
そう言った王の言葉に何人かいた重役が諦めたように笑い、会話を再開させる。
ハバードが落ち込むダエンを慰めるように、目の前にスイーツの乗った盆を差し出し、
「旨いぞ」
苦笑いを浮かべて勧めた。
「…ありがとう」
一つ、口に含んで目を輝かせる。それをそのままサシェルに勧め、二人で笑い合った。

「…」
それを見つめながら、らしくないダエンの態度に疑問を抱いていた。ギエンが絡むと少し変になるのはサシェルを取られたくない想いからかと思っていたが、それだけでは無い気がしているハバードだ。ギエンという存在への嫉妬かもしれない。
自分の築いてきた地位が、ギエンによって揺るがされるとでも思っているのか、やたらとギエンの行動を敵対視している気がして、不思議に思っていた。ダエンとギエンでは分野が違う。ダエンは警備隊長として成功している人間で、既に揺るぎない地位を得ている。
かたやギエンは、かつては英雄と呼ばれていたとはいえ、現状は何の貢献もしておらず、どちらかといえば、心情的に焦りを感じるべきなのはギエンだろう。
もっともギエンがそんな肝っ玉ではない事は分かっているが、ダエンのギエンに対する拘りはどこから来るモノなのかよく分からずにいた。
一見、何もかも得て順風満帆なダエンが、ギエンに嫉妬する、その構図がどうにも納得がいかず、つい二人の関係を探ってしまう。

そんな事を思っていると、
「ハバード様。ようやくお話する機会が出来ましたね」
一人の背の高い女性がハバードに歩み寄って来て、挨拶をした。
「ミラノイ様。元気でしたか?」
一筋一筋が絹糸のように艶やかな黒髪が彼女の動きに合わせ揺れる。頭頂部で一つに纏めた長い髪が流れるように肩から滑り落ちた。
東のマルト地区にある大貴族の令嬢で親同士が決めたお見合い相手だ。

ハバード自身は彼女に対し、何の感情も抱いてはいないが、彼女は違う。会う度に積極的に声を掛け、毎回ハバードと出掛ける約束を取り付けていた。
丁重に見合い話は断っているにも関わらず、全くめげない彼女はやはりそこらの女性とはレベルが根本的に違う。彼女自身の精神の強さに加え、大貴族かつ資産家である家門だけに無下にする訳にもいかず、ハバードも丁寧に接していた。

手を引かれ、強引に輪から引き摺りだされる。
「すみませんが、失礼します」
一言、声を掛けてミラノイに付いていく。またどこか休みを作らなければ、と頭の中で考え、それからすぐに、ダエンと話をしたかったが断念せざるを得ないことを残念に思うのだった。




2021.04.23
更新がちょっと遅くなっちゃった…。何とか1週間以内?!(笑)
今日で30話とか汗。何か60話くらいいきそうで怖い(笑)。
イメージ的に、全体の半分も進んでる気はしない…(;^ω^)。下手したら90話くらいいくのか…???
いや、長くならないように気を付けてはいます(アハ…笑)。

訪問ありがとうございます‼(#^^#)更新がんばります〜☆(笑)
    


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