【総受け,男前受け,冷血】

 ***11***


 
「ギエン様、朝ですよ」
声を掛けるのは三度目で、目覚めの悪いギエンに些か慣れつつあるパシェだ。
迷う事なく窓へと歩み寄りカーテンを開ける。壁一面が窓になっている客室は1階部分にあり、窓からは多種多様な草花と深い緑の木々がざわめき、心癒される風景が一望出来た。

陽の光を一面に浴びて室内がさっと明るくなる。
いつもならこれで目覚めるギエンも今日は無言だった。窓に背を向ける身体が身動き一つせず、まるで死んでいるかのように静かで、
「…」
僅かな焦りが浮かぶ。死んでいるという事は無いだろう。一瞬、浮かんだ愚かな疑念を否定して、ギエンに歩み寄っていった。


明るい室内で見るギエンの身体は傷が目立ち、見ていて益々痛々しい。これが騎士達のような戦闘要員なら誇らしく思うのかもしれない。パシェはただの世話役であり、戦闘とは無縁存在だ。ただ、ただ傷だらけの身体が気の毒で、今までギエンの歩んできた道がどれほど壮絶なものだったかを考えると、ギエンという男がどんな男かも知らないのに胸が痛んだ。

今度は躊躇わずに肩に触れ、
「朝ですよ」
強い口調で揺り起こす。
「ん…」
僅かに声を洩らしたギエンが横向きから、仰向けへと寝がえりを打つ。シーツの心地よさを味わうように頬を擦り付けて、静かになった。

起こす事がこれほど大変な人物も早々いないだろう。
パシェがどうしたものかと動きを止め、気持ちよさそうに寝入るギエンを見下ろした。

ギエンの長い指が陽の光を遮るように目の上に被さる。顔の半分が隠れていても、通った鼻筋に唇の形で、ギエンの容貌がいかに整っているかがよく分かる。改めてそれを認識させられるパシェだ。

それを認識した途端。

訳もなく、心臓が早鐘を打った。
顔立ちの整った男などいくらでも見て来た筈だ。いや、男だけではない。女主人の時だって、これほどまでに動揺した経験は一度も無い。
この感覚は気のせいだと念じ、再度ギエンを揺り起こそうと手を伸ばし、ふと視線が身体へと引き寄せられていた。

ギエンの寝相の悪さも相まり、肌蹴たシャツから引き締まった肉体が剥き出しになって、無防備に寝転がる。鍛えられた胸筋に、胸から腰へと流れるラインがやけに色気に溢れ、パシェを惑わせる。
知らず喉が鳴り、視線が釘付けになっていた。

跳ね上がる心拍数を抑える術も知らず、物凄い早さで鳴る心臓に半分パニックに陥る。
相手は男だ。何を考えているんだと自分を叱咤して、気持ちを落ち着かせるように無理やり背を向けた。

窓から見える汚れない風景に視線を移し、雑念を消すように大きく深呼吸を繰り返す。
そうして、脳裏を目の前の緑で一杯にして、バッと振り返って、
「ギエン様っ!朝です!」
ギエンの耳元で怒鳴った。
「ぅッ…!」
突然の音に驚いたように不愉快そうに眉間に皺が寄る。
目を開くと同時に相手の顔を認識して、
「つ…、もう少し…まともな起こし方は、出来ないのか?」
掠れた声で苦言を吐いた。
自分の寝起きの悪さに自覚の無いギエンだ。パシェを不機嫌そうに睨んで、強張った身体の力を抜くように溜息を付く。

寝起きの気だるい気配と相まって、ギエンの不機嫌な低音ボイスはやけに股間を直撃するもので、文句を零したいのはこっちだとパシェが心の中で愚痴を呟いた。
それでも、
「おはようございます」
外面だけはさすがのパシェで、その動揺も心の内も全く微塵も感じさせない無表情で、ギエンをあしらった。

上半身を起こしたギエンが、
「…最悪の寝起きだ」
言いながら、条件反射のように目を瞑り顔を上向かせる。
それは、2日間連続でパシェがギエンの顔を拭いたことへの反応だったが、パシェにとっては未だに慣れない行為だった。
子どものように、何の疑いもなく素直に瞳を閉じるギエンが、まるでキス待ちのようでどうしても動揺してしまう。それは先程のあられもない姿態を見た後となっては余計に、理性を揺さぶった。

持っていたタオルをテーブルに置き、
「ギエン様。ギエン様は朝湯なさる方ですよね?浴室を用意して参りますので、そちらで顔もさっぱりしてきたらどうですか?」
そう勧めた。
「確かにな」
閉じられていた瞳が開き、鮮やかな蒼い色が光を反射する。
「それもそうだ。無駄な手間を取らせたな」
のそりと寝台から足を下ろして、今更のように脱ぎかけのシャツを正した。
パシェが用意した履物に足を通し、
「今日は街を一通り見た後、少し遠出しようかと思う。馬を用意しておいてくれ」
そう告げる。
遠出とは珍しい。
「どちらまで?」
パシェの言葉に、
「それは知っておく必要があるからの質問か?」
ギエンが問い返す。
一瞬、詰問の強さにたじろいだパシェが、すぐにいつもの冷静さに戻り、
「はい。何かあった際にはすぐに対応できるようにするためです」
返答をした。
短い思案の後、
「城下街を抜けた先に、ハラヌ平原があるだろ?そこから更に先に進んで、森を一つ抜けると、オール家があるだろ?まだ挨拶してないからな」
要するに父親に会いに行くと宣言した。

オール家。
その単語に、パシェは何と返すべきか頭を悩ませる。
素直に伝えるのが一番だろう事は分かっていた。

まだ帰還して日が浅い。
情報も色々と行き届いていない。

表情が暗くなったパシェの様子に、些かのギエンも気が付く。
「…どうした」
「ドリド・オール様は、お亡くなりになりました」
神妙な顔になったパシェが小さな声で伝えた。
「今は、代々王族に仕えている魔術の名家、トラス・ダ・ゼク様があの一帯を守護しております」
「…いつ」
「…っ申し訳ありません」
「いいから言え。いつだ」
怒っているでもないのにギエンの発する気配が鋭く尖る。切れ長の目が鋭い光を宿して、パシェを問い詰めた。
「聞いた話によりますと、ギエン様がお亡くなりになられたと伝えられた5年後の事でございます。病死されたと…」
ぐっと、パシェの胸倉をギエンが掴み、激しい苛立ちの視線でパシェを睨む。

それから、
「ッくそ…ッ!何故…」
掴んでいた襟を払って、顔を背けた。
「オール家は、…家督を継ぐ者がいなくなった為、トラス様が買い取られ、現在は前当主であるルイト様が療養に使われています」
背を向けたギエンの全身が怒りに溢れていた。

それは自分自身への怒りであることが容易に分かる。
世話役を任命された段階で、ギエンの生い立ちや事柄は一通り調べたパシェだ。血の繋がらない親子であることも知っていた。
恩に報いることが出来なかった自分を悔やんでいるのだろう。

そっと手を伸ばし、 ギエンの怒りで震える背中に手を置いた。

掛けるべき言葉が見つからない。
何を言っても、響きはしないだろうことが分かっていた。


ただ。
言葉も無く震える背中が、痛々しく、そうするしか出来なかった。




2021.01.24
更新が順調すぎてコワイ(笑)!なんちゃって…(笑)!!!
拍手ありがとうございます(*ノωノ)キャ☆彡


    


 ***12***

午前中に街の中を見て回った後、軽い昼食をとって、ギエンは宣言通りにオール家の前に来ていた。

かつて、自分が育った場所だ。
自分の背丈よりも高い黒い門が、まるでギエンを拒むように立ちはだかる。石の塀に四方を囲まれた邸宅は、郊外である事もありダエン家に比べ2倍は大きいものだった。

馬から降りたギエンが門の前で邸宅を見上げていると、門番が歩み寄ってくる。
名乗れば、慌てたように敬礼をして少し待つように伝えられた。

そのつもりは無かったが、どうやら屋敷の主を呼びに行ったようで、待つこと数分後にこちらに向かってくる馬が見えてきた。
「久しいな。ギエン。そろそろ来る頃合いだと思っておった」
門を開き、ギエンを中へと招き入れながら、ルイト・ダ・ゼクが懐かしそうに馬上からギエンを見下ろした。年は60歳半ばくらいか現役を退いたとは思えない凛々しさで、その姿は以前と変わらない威厳に満ちていた。

「お久しぶりでございます。ルイト様。療養中と伺いましたが、ご迷惑でしたか?」
王にすら敬語を使わないギエンが、彼には礼儀正しく紳士式のお辞儀をし、再会の挨拶を述べる。
「療養中という名の余生を楽しんでいるだけだ。気にするでない」
そうして、ギエンに近寄って、
「ふむ…」
顔を見つめたまま僅かに眉間に皺を寄せる。
それからまるで何もなかったように、
「茶でも入れよう。上がるといい」
ギエンを招いた。
彼の一瞬の表情の変化を問い正すでもなく、ギエンが大人しく付いていく。

邸宅内に入れば、当時のままだった。ところどころに修復された部分はあれど、構造や間取りは同じだ。家具すらそのままのものがあり、如何にルイトがオール家を大切にしているのかが分かる。

ギエンが懐かしそうに周囲を見回すのを見て、やや表情を和らげた。
「ドリドは立派な男だった。墓は行ったか?ここから南に行った丘の上にある共同墓地だ。亡き妻と一緒に眠っている」
「…ありがとうございます」
応接室に案内し、席に座る。給仕の男がやってきて、花の香りのする紅茶を入れた。
小さな窓から差し込む光が、丸テーブルを照らし、穏やかな気持ちを呼び起こす。ここはギエンの父親であるドリドが最も力を入れた部屋で、周囲には緑の植物が溢れ、心安らぐ場所となっていた。

「維持…して下さったんですね」
ギエンの言葉に、ふっとルイトが笑う。
「私も…、この応接室は気に入っていたんでな。ドリドに頼まれなくとも、私がこの邸宅を買取り、維持しようと思っていたのだよ」
小さな窓から手入れのされた庭が見渡せる。
ギエンが窓の外を見つめる様を、じっと見つめるルイトだ。

それから、
「魔術は、もう使っていないのかね?其方は確か4層魔術までは使えていたな」
唐突にそう投げかけた。
ギエンには、ルイトが何を言いたいのか既に分かっていた。

会ってすぐに表情を曇らせた意味も。

視線を戻したギエンがルイトの青い目をジッと見つめ返す。
「敢えて訊くんですか。精霊の声が聞こえる貴殿にはお見通しの筈ですが…。ご想像通り、俺はもう精霊魔術は使えません」
「其方が来た途端に、精霊が怖がり出したのでな。力で強引に黒魔術をするものではない。精霊も誠意を持って頼めば使わせてくれるものだ。きちんと互いの信頼関係を築き、丁寧に接しなければ」
ガチャンと激しい音を立てながら、ギエンが乱暴に持っていたカップを受け皿の上に置いた。
「再会して早々の説教は止めてください。
力で精霊をねじ伏せるしか方法が無かった。一度精霊との関係を壊したのだから、今更もうどうしようもない事です」
ギエンの開き直った態度に、ルイトが軽く溜息を付く。
「次の世代で6層魔術まで使いこなせる者が現れるとしたら、それは其方かと思っていたが、精霊との関係が破綻したのであれば、残念だが期待は出来まい」
「期待されていたとは露ほども知らなかったですね」
ふっと方笑いで嘲りを返すギエンの挑発的な態度に、ルイトが乗るという事は無く、
「…あれだけの才能だったのだから、期待して当然であろう」
むしろ、本当に残念そうに呟いた。
「…」

無言でカップに残る紅茶を一気に飲み干す。それから唐突に席を立って、
「俺はそろそろ帰ります。オール家の現状を見れて良かったです。
父も…喜んでいると思います」
感謝の言葉を伝える。
ルイトがギエンに合わせ立ち上がり、
「ギエン。
ドリドは死ぬ直前まで其方を誇りに思っていた。何があろうとそれだけは忘れてはならない」
真っすぐにギエンの蒼い目を見つめたまま、伝えた。
まるでドリドの代わりのように。

昨日、ドリドの最後を看取ったのはルイトだとパシェから聞かされていた。
父の最後がどんなだったのか、訊ねる言葉を発する事は出来なかったが、最後の最後で言われた言葉が鋭い刃となってギエンの胸を貫く。

「随分と…、厳しい言葉を仰られる」
ふっとギエンが弱った笑いを浮かべ、ルイトから視線を逸らす。背を向けるギエンに、
「甘えるでない。これから先、更に辛いことがあるかもしれないが、其方はドリドの息子であろう?しっかりと受け継いだ責務を果たしなさい」
そう叱咤した。

「…」
握り拳を作り、肩を震わせるギエンだ。
無言のまま、歩み出し部屋を出ていく。

傍で控えていた給仕がどうしたものかと主を見て、何もしなくていいと首を振った主に従った。

勝手知ったるかつてのオール家を進んでいく。
ルイトの言葉は最もだ。オール家の名に恥じないように名誉を取り戻せというなら、そうしようとも思う。だが、既に死んでしまった父のためにどんなに頑張った所で、父は帰っては来ない。一体何の意味があるというのか。
残るのは虚しい想いだけだ。

玄関を出て、すぐ傍で大人しく待っていた馬の手綱を解き飛び乗った。そのまま勢いで馬の腹を蹴り、走り出す。
屋敷を後にする姿を、ルイトが部屋の窓からじっと眺めていた。



*******************


ギエンが王城へ戻ってきたのは既に暗くなった夜の時分だった。
「おかえりなさい。ギエン様」
王城へ戻ってくるなり、出迎えたのはパシェだ。

まだ傍で使えるようになって日が浅いとはいえ、仮にも世話役だ。主人の状態が分からないようでは話にならない。
少し気が立ったギエンの様子に、パシェも言葉を発するのを控える。

上着を脱がせ、ハンガーに掛けていると、
「今日は一緒に夕飯を取る予定だったろ?少しやけ酒に付き合え」
そう言って、意味も無く笑った。

覚えていたのかと僅かに驚く。
階級が上の層は気まぐれな主人も多く、世話役を気に掛けない主も少なくはない。ギエンもてっきり気まぐれで言っただけで忘れているだろうと思っていただけに、ギエンの言葉に僅かに動揺していた。
「酒も用意させますので、少しお待ちを。食事は今すぐお持ちしましょうか?」
「あぁ。やけ酒でドンチャン騒ぎをして、そのまま寝よう。それがいい」
まるで素晴らしいアイディアでも発見したように手を叩いて、パシェを指さす。

余程、やけ酒をしたいらしいという事を察した。
いや、やけ酒をしないとやっていられない精神なのだろう。
ギエンにとっては辛い一日だったのは確かだ。大切な家族と言える義理の父が既に亡くなっていたという事実に直面したのだから。それも今までの感謝の言葉も言えず、最後を看取る事すら出来ずにだ。

辛い心境はよく分かる。


食事を運び、長テーブルに置いた。
ギエンの正面に座り、どうしようかと躊躇っていると、
「気を遣わなくていい。いつも通りに食べて貰って構わない」
言いながらギエンが首元のボタンを胸元まで外し、片足を膝に乗せてリラックスの姿勢を取る。
王との食事会で見せた優雅さとは正反対の態度で、並べられた料理にフォークを突き刺した。
パシェがギエンの空のグラスに酒を注げば、それを一息で飲み干して、
「俺は鳥料理の方が好きだ。パシェ。お前は?」
唐突にそんな質問をした。
「私ですか?私はやはり肉の方が好きですね」
決して主人の意見に合わせるという事はしないパシェの答えに満足したように、ギエンが口角を上げる。
「肉ならやっぱり牛だな。鹿は好かん」
「そうですか?料理長の腕の見せどころですね。私は鹿も好きです」
「この辺だと鹿は西の森産か?」
「昔は生息地が限られていたみたいですが、今は西の森だけでなく南の平原の方にも出るようですよ。あちらの方が色々な動物の狩猟が盛んみたいですね。
あの近辺はウサギ狩りもよく行われるので、シーズン時は狩猟犬の鳴き声が煩いというのは頻繁に耳にします」
「…」
考え込むように無言になったギエンがテーブルに置かれたボトルから酒を足す。
それからそれを口にして、
「お前も飲め」
パシェの空のグラスに注いだ。
「いえ、私はこの後も仕事が…」
「うるせぇ。命令だ。一緒にバカ騒ぎするんだよ」
強引にパシェを黙らせて、乾杯させた。

口に含めば芳醇な味わいが広がり、大層美味な酒だ。だが決してアルコール度が低い訳でもない。
平然と飲み進めるギエンに僅かに驚いた。


他愛無い会話をしながら食事が終わる頃には、すっかりとボトルを1本は開け終わっていた。職業柄、酒に付き合わされる事も無くはないパシェだが、特に酒に強いと言うわけでもなく、僅かに酔いが回り身体が火照る。

ギエンの空になったグラスを手に取り、
「そろそろお開きにしましょうか?」
そう勧めれば、
「ばーか。これからだろ」
特に酔った気配もないギエンが言って立ち上がった。ガタガタと戸棚を探って、中から取り出したのはチェス盤だ。

長テーブルとは別にベッド脇にあるローテーブルにそれを置き、
「お前とやろうと思ってな。用意させておいた。チェスは出来るか?勝負しようぜ」
上機嫌にパシェを誘う。
かなり頭が働いていない気がしたが、ギエンの誘いを無下に断る訳にもいかず、仕方なく対面の椅子に腰かけた。

大股で座るギエンが、小さなローテーブルを挟むように座り、前かがみになって駒を並べ始める。
「昔、よく父とやったよ。チェスでは一度も勝ったことがない」
唐突に思い出話を始め、当時を思い出したかのように小さく笑った。
「いいお父様ですね。私は平民出なので幼い頃の思い出はあまり良くありません。親に売られるような形で住み込みで働き始めたのが、世話役をやり始めたスタートです」
パシェの言葉に、
「悪い…」
ギエンが謝罪した。
それに驚いて、
「ギエン様が謝ることは何一つないでしょう」
そう否定しながらも意外な思いを抱いていた。

ギエンは一見、粗暴に見えて、きめ細かな気遣いがある。乱暴なようで本当の意味で強引に何かを強いたりはしなかった。そこにギエンの性格の本質が垣間見える。

僅かな沈黙の後、
「お前は好きな相手とかはいないのか?」
ギエンが明るい話題に切り替えた。
からかう魂胆が目に見えて分かっていたが、ギエンとの会話に楽しみを感じ、素直にそれに乗るパシェだ。
「南街に花屋があるんですが、そこの娘が凄くいい子で気になってますね」
「へぇ。お前がねぇ。恋なんて無関係ですって顔してる癖に」
案の定、ギエンが揶揄の言葉を返す。肘置きに肘を付いて、得意の方笑いでニヤニヤと笑った。
「素直で可愛い子ですよ」
パシェの言葉に、ふとギエンが真顔になって、
「誘えばいいじゃねぇか。休みをやるから気にせずデートしろよ」
真剣にそう言う。
「…私はそういうのは…」
彼女が気になっているのは本当だ。ただいつもそこで花を買って終わってしまう。仕事柄、自由な時間も取れず、満足させてあげられないという経験が多く、どうしても尻込みしてしまう弱気が根付いていた。
その戸惑いを読み取ったように、
「今、出来る事は今しておけよ。いつでも出来る事なんてねぇんだから」
ギエンが背中を押す。
「そう…ですね」
答えながらも、やはり重い腰は上がりそうもなく。
視線を逸らしたパシェに痺れを切らしたように、
「チェックメイト。
じゃ、明日行こうぜ。行く言い訳が欲しいなら俺が一緒に行ってやるよ」
駒を倒された。
取った駒でパシェを指し、
「時間は有限なんだからさ。もう少し気楽に生きればいいんじゃねぇの?お前は柵なんかねぇだろ?」
落ち込んでいるのはギエンの筈なのに、逆に慰められる。
「確かにそうかもしれないですね」
ギエンに笑いを返しながら、空になっていたグラスに2本目のボトルを注いだ。
「二戦目な」
グラスを煽りながらギエンが駒を並べ直す。

不思議なことにギエンという男を知れば知るほど、中毒になっていく。
酒のせいか、何故か愉快になって笑いが零れていた。



2021.01.28
1月最後の更新ですね(笑)。
次回更新はおそらくセインの方を…1か月くらい空いてしまう…(笑)

拍手、沢山ありがとうございます(*´∀`)‼行けるところまで突き進むゾ〜(笑)

    


 ***13***


チェスに熱中しながら、既に何杯目か分からない状態になっていた。

ギエンのグラスに酒を注ぎ足せば、
「そんなに注ぐな。飲むしかなくなる」
表情に変化の無いギエンの声音にいつからか熱が宿っていた。実は結構前から酔っているのかもしれない。やけに淫らな色気を振りまいて、鮮やかな蒼い瞳が誘ってくる。
ぼけた頭でギエンを見つめていると、お返しのようにパシェのグラスにも酒が注がれた。

「あ…」
短いパシェの声と共に、
「5敗目な。ふふっ…弱ぇな」
勝利を得たギエンが眉を下げて笑った。それはこの数日間で、パシェが初めて見る笑いだ。
ギエンの笑い方は大体が片笑いか、皮肉の混じったものが多いが、これは違う。

鮮やかな蒼い瞳が潤み、深い優しさに満ちる。
これがかつての、ギエン本来の笑い方なのだろう。

そう思うと。
自分だけに向けられたこの笑みに勘違いをしそうになった。


「賭けでもするか。お前が勝ったら欲しいものを何でも手に入れてやるよ」
そんなパシェの思考を知る由もないギエンが、笑ったまま誘う。
一方のパシェはその言葉を脳内で反芻していた。

『欲しいもの』

目の前には身を乗り出して駒を並べていくギエンがいる。大きく開いたシャツから覗く褐色の肌は臍まで丸見えだ。剥き出しの身体から立ち込める色気に、心拍数は上がりっぱなしで、更に酔っているせいか頭が上手く働かないでいた。

「貴方が…」
口をついて出そうになった言葉を、頭の中で否定する。
酔っている自分を自覚し、愚かな思考に勝手に笑いが零れた。
「ん?なんだって?」
聞こえていないギエンが、頬杖を付いて訊き返してきた。
答えを待つように笑みを浮かべながら、唇を親指で触る。
淡い桜色の唇が薄く開き、無自覚に劣情を煽ってくるギエンの表情は恋人に向ける顔のように優しい笑みを浮かべたままだ。

まるで時が止まったように感じるパシェだ。
照明に照らされたギエンの表情を惚けたように見つめ続けてしまう。
「ほら。お前の番」
駒を並べ終えたギエンが、椅子に仰け反って座り盤上を指さした。

頭は全くと言っていい程、回っていない。
6戦目も呆気なく惨敗し、ギエンに笑いを提供するに終わった。
圧勝し尽くして気を良くしたギエンが満足したように大きく伸びをして、
「そろそろ寝るか…」
ローテーブルを支えにするように腰を上げる。
そのまま身を乗り出して、
「おやすみ。パシェ」
ちゅっとパシェの唇にキスを落とした。

ギエンにとっては深い意味は無いのだろう。
酔った勢いのただの挨拶に過ぎない。
そんな事は分かってはいても、何をされたのか理解できずにいるパシェが、動きを止めたまま椅子の上で固まっていた。
それに気が付きもしないギエンが、
「今度、やる時までに賭けの内容考えとけよ」
笑いを含んだ声で言いながら、ベッドにうつ伏せで倒れこむ。
当初の予定通り、ドンチャン騒ぎをしてそのまま寝るつもりらしい。
いくら酔っているとはいえ、世話役としてそんな事は断固として認められないパシェだ。固まっていた思考を慌てて奮い立たせ、
「っ…、ギエン様…。今お風呂の準備を…」
怪しい足取りで立ち上がって浴室へと向かう。部屋の向こうから聞こえてくる水の音に、
「真面目過ぎだろ…」
瞳を閉じたギエンが楽しそうに笑いを零した。

流れる水音を聞きながら、うつらうつらと眠りに落ちていく。
その心地良さも束の間で、
「ギエン様。起きてください」
気持ちいい微睡みを無理やり引き起こされた。パシェがギエンの腕を持ち上げるようにして叩き起こし、そのまま抱えるように浴室へと連れて行く。

慣れた手付きで、てきぱきとシャツを脱がしズボンのボタンを外していった。
「私が世話役である以上、そんなだらしがない生活は許しませんからね」
頬を赤くしたパシェが酔いを醒ますように頭を軽く振って、バスタブに溜めた湯で自身の顔を洗う。
服を脱がしたギエンをバスタブに押しやって、石鹸を泡立て始めた。
「お前のその、…世話役根性は尊敬に値する…」
温かな湯気が立つ湯船に肩まで浸かりながら、眠そうに瞳を閉じたギエンが言えば、
「当たり前でしょう。私の仕事です」
あれだけ酒を飲んだ後にも関わらず、まだ仕事モードで言い切った。

頭皮をマッサージしながら髪の毛を丁寧に洗い流し、ギエンの歯を隅々まで磨いていった。
乳白色の色が付いた湯からは甘い香りが立ち込め、心地よさに拍車を掛ける。
大人しく瞳を閉じたまま、もしかしたら寝ているのではないかと思うほど、大人しいギエンが赤子のように為すがままだ。
まるで人形を相手にしているようだと思い、自身の服が濡れるのにも気付かず腕や足を熱心に洗っていった。

そうしてふと。
ギエンの鮮やかな蒼い瞳がいつの間にか開き、じっと自分を見つめている事に気が付く。
眠そうな気だるい瞳は訳もなくパシェの心臓をどきりとさせた。

「…なんですか?」
パシェの言葉に、
「疲れてんのか?抜いてやろうか?」
つと下半身に手を伸ばされ、ハッとする。
「っ…気にしないで下さい」
慌てるパシェの言葉にギエンが揶揄の言葉を放つという事は無く、むしろ、
「来いよ」
首元まできっちり留めたシャツの襟元をくいっと引き寄せた。

崩れた身体のバランスをバスタブの縁に手を付いて支えれば、ギエンが躊躇わずにパシェのズボンのチャックを下ろす。
「ギエン、様っ…!ご冗談を…!」
パシェの焦りなど何のそので、易々と中へと手を差し入れて、
「目を閉じてろ。お前は好きな女でも想像してればいい」
言いながら、既に反応しているモノを緩く刺激した。
ギエンの水に濡れた蒼い瞳が目の前に迫り、思わず言われた通りに瞳を閉じる。
与えられる刺激にいとも簡単に昂ぶっていく自身のモノに、理性を呪いたくなるパシェだ。

突然の状況に混乱するパシェを他所に、ギエンの手がするりと首の後ろに回った。
そのまま、
「…っ!」
唇が触れ合って、
「ん、ぅ…」
深く、深く舌が絡まり合っていく。

触れる唇が柔らかくて心地良い。
清涼感溢れる味が熱い舌から伝わってきて、それが誰のモノか忘れそうになった。
それでも頭を引き寄せる力強さはやはり男のもので、
「ッ…」
口づけの合間から漏れるギエンの低い声に、どういう訳か異常なまでに気持ちが高揚していた。

キスをされたまま、それも男の手で呆気なく果てる。
離れていく唇と共に閉じていた瞳を開けば、目の前には鮮やかな蒼い瞳があった。
戸惑うパシェの顔を覗き込みながら、
「スッキリしたか?」
酔いが色濃く残る熱い声でそう訊ね、湯船に浸かるように身を沈めていった。

些かのパシェも、ぼんやりした頭で悟っていた。
「ギエン様…。実はかなり酔っぱらってますね?」
パシェの言葉に、
「ふっ。今更何を…。酒に弱い俺にあれだけ飲ませたのはお前だろ?」
ギエンが妖艶に笑いながら答えを返す。

表情に出ないだけで、最初から酔っぱらっていたのかもしれない。
日頃はしないような艶美な笑みで誘うようにバスタブの縁に顔を乗せる。それすら本人は無自覚で、
「お前、可愛いなぁ」
無邪気にそんな言葉を吐いた。

大の男をとっ捕まえて、どこがどう可愛いと思うのか、ギエンの感覚が理解出来ないが、今はそれよりもこの無自覚過ぎる男の方が問題だと、クラクラする頭を振って自分を戒める。

今にも眠りそうなギエンを無理やり起こして服を着せ、無駄に陽気に絡んでくるギエンをあしらって、何とか寝台まで運んだ。
一連の作業は、今まで世話役してきた経験の中でもかなり精神を削る重労働だった。女主人ですらこれほど厄介な相手はいない。

「おやすみなさい」
既に静かになったギエンに言って、部屋の扉を閉める。
何とか乗り切ったと安堵の溜息を付いて、その場にズルズルとしゃがみ込んだ。
「相手は男だぞ。しっかりしろ…」
両膝の間に顔を埋めて、酔いのせいだけではない顔の火照りを醒ます。
自分を叱咤して、気持ちを入れ替えるように毅然と立ち上がった。
「明日はいつも通り」
暗示を掛けるように何度も口内で小さく呟く。
回廊を進む間にも、脳裏に宿るギエンの柔らかな笑みが消えそうも無かった。




2021.02.03
今月はバレンタインですね〜( ^)o(^ )
美味しいチョコを食べたい…❤

さてさてパシェとラブラブ…(笑)。
本命パシェでもいい気がしてきた…(#^.^#)
    


 ***14***


「頭が痛ぇ…」
朝、ギエンの開口一番の言葉はそれだった。
目頭を指で抑え眉間に皺を寄せる。パシェを見上げて、
「お前は何とも無いのか?」
意外そうに訊ねた。
ギエンの目の前にはいつもと全く変わりないパシェが二日酔いなど無縁のような顔で立っている。
「えぇ。何とも」
皺ひとつ無い正装姿のパシェがギエンに歩み寄り、いつも通り乱れたシャツのボタンを留めた。
「既に浴室の準備は出来てます。朝湯なさっている間に、二日酔いに利く飲み物をお持ちしましょうか?」
しっかりと朝の準備も終え、仕事モードだ。

「…そうだな…。今日はお前と出かける予定だから頼む」
頭を振って寝台から抜け出すも、足元がふらついて寝台の上でよろけた。
「くっそ…、俺だけ二日酔いか…。平然とした顔しやがって、つまんねぇ」
最後には悔しそうに愚痴を呟いて、のろのろと浴室へと向かっていった。
それをため息交じりに見送って、飲み物の用意をするために部屋から退室する。

ギエンと街へ出掛けるのは初めてのことで、内心では高揚感を抑えるのに苦労するパシェだ。
主人に付き従って買い物に行くことは決して珍しい事ではない。基本的には財布を持つのも、荷物を持つのも世話役の仕事で、主人の為に買い物をしてくるのも世話役の仕事だが、どうしてか、ギエンと出掛けると思うとそわそわと心がざわめきだす。

気を引き締めるように自分の姿を見下ろして襟を正し、早く仕度しなければと、知らず早歩きで薬を取りに行くのだった。


***********************


さすがの世話役とあって、街を案内するパシェの知識は長年この街に住んでいたギエンよりも博識だった。15年の月日で変わってしまったこともあるが、それを除いてもギエンよりも人間関係や状況などをよく知っていて、
「詳しいな…」
ギエンが呻くように褒めた。

馬の乗り入れが許されるのは四方にある城門から街の入口へと繋がる城壁までのメイン道路4箇所のみとなっており、そこから東西南北の四街区含めた中央街へは徒歩が義務付けられている。馬は必ず中央街へ入る前に専用の預け所へ預ける必要があった。
そのため、道楽な主人を持つ世話役は相当の苦労を強いられる。
荷物は全て彼らが持つことになり、時には世話役の前が見えない程の大量の荷物でも気にもせず買う主人さえいた。
幸い、ギエンはその類の主人ではないため、パシェは密かに安堵していた。


ギエンとパシェが何気なく道を歩いていると、ちらほらと街の人々がギエンの顔を見ては、その姿を見送る。
褐色の肌に、目を奪われる鮮やかな蒼い瞳、極めつけはその容貌にスタイルだ。長身でこれだけ端正な顔の男は普通に歩いていても目立つ。それだけでなく、かつて『英雄』とまで言われた男の帰還は、既に街の人々の間で噂になっていた。

中にはギエンの事を覚えている店の主がわざわざギエンの元までやってきて、再会を祝うようにそっと腕を回して労うように背中を叩く者までいる始末だ。本来のギエンの地位で言ったら考えられない事ではあるが、それだけギエンが街人と近い距離で接していた証でもあった。
「本当に良かったです」
涙ながらにそう伝える人もいて、思わずパシェも感激して胸を打たれていた。

こういう時のギエンは大概、苦笑いを浮かべ彼らの背中を軽く摩った後、
「…すまない」
やや小さな声で申し訳なさそうに謝罪の言葉を返していた。

それが不思議でならないパシェだ。ギエンが謝る事など何一つ無い筈で、その思いは街人も同じなのだろう。
ギエンの謝罪に首を振って、
「ご無事で何よりです」
そう返して去って行く。

そうこうして何人かと挨拶した後、当初の目的である南街へと辿り着いていた。
「随分様変わりしたんだな」
南街は表玄関と言われるだけあって、流行ものの商品が多く、店の入れ替えも激しい。城から遠ざかれば遠ざかる程老舗の店は減っていき、若者が経営する斬新な店が増えていった。
曲がりくねった南街の石畳を進んでいくと、周辺を草花で飾った小さな店が見えてくる。
パシェが言うまでもなく、そこが目的地だとすぐに分かった。

「ここは私が主の為の花を買いに来る常連の店です。他国の花などもあって、真新しい物が多く、アレンジも洗練されていて評判高い店ですよ」
パシェの評価通り、店の入口には季節物の可愛らしい植木鉢がいくつも置かれ、ドアには女性が好みそうな華やかな色合いのドライフラワーが飾られていた。
花の香りに誘われるように店内へと客が入っていく。
二人が中に入れば、既に数人の客がいて賑わっていた。全体で見ると女性客が多い。

以前、ギエンがサシェルに買っていった花束は高級志向の花々だったが、この店は庶民派の店だった。値段も抑え気味で、貴族御用達というよりは万人受けするような価格設定でありながら、品揃えはありふれた物から、品質の良さを感じさせる一品物のような花まで扱っていた。
「確かにな」
ギエンが言いながら、1つの植木鉢の中で密集して咲く小さな花々を見下ろしていると、
「パシェ様。3日ぶりですね」
店主の女性がすぐさま、パシェの来店を発見して歩み寄ってきた。
それからすぐにギエンの存在に気が付き、ハッとしたように見つめる。
「お久しぶりです。アリネ様。
ギエン様。こちらが店主のアリネ様です」
そう紹介すれば、ギエンが僅かに口角を上げてパシェをちらりと横目に見た。対するアリネは紹介を受けたギエンを食い入るように見つめる。

周りにいた客達が、『ギエン』の名を聞いてザッと振り返って二人に視線を投げた。それからギエンの姿を認識して、やはり同じようにハッとしたように口元を覆った。

「…」
その視線を敏感に察するパシェだ。
思わず周りに視線を巡らせる。すると彼女らがパシェに見られている事に気が付いて、慌てて視線を逸らせて無関心を装った。
「俺はギエン・オール。新しいパシェの主人だ。よろしく。
ここはいい店だって、パシェから色々聞いてる。早速だが女性が好みそうな花を一つお願いしたい。
そうだな…。白基調がいい。値段はこの店の標準的な物で頼む」
一瞬、ざわめいた視線に気が付いていない態度で、アリネに注文して花を作らせる。
ギエンに見惚れたように惚けていたアリネが慌てて花を切り、手慣れた作業でアレンジ花を作り上げた。

「こちらでどうでしょうか。女性向けとの事なので可憐なイメージで清楚な花を用いてみましたが…」
手で束ねて、ピンクのラッピングを巻き、最終的な仕上がりイメージをギエンに問う。
幾重にも重なる透き通るような白い花弁の大輪が一つ中央にあり、周囲を小さな淡いピンク色の花が囲んでいた。淡い黄色の葉がアクセントとなり、落ち着いた白基調の花束に華やかさを与える。
「凄くいいな…それで頼む。
ところで、来週のどこか空いているか?パシェがいつも世話になってるから礼に茶でもしたいと思ってるらしい」
本人を目の前にして、唐突に切り出した。

「ギ、ギエン様…!」
焦るのはパシェだ。突然飛び出した言葉に動揺してアリネとギエンの顔を視線が往復する。その様を見たアリネがクスクスと笑いを零し、
「パシェ様がそんなに動揺されるなんて珍しいですね。私で宜しければ勿論、喜んでお受けします」
花束を綺麗にラッピングしながら、快諾した。
「良かったな。パシェ。
そしたらいつが空いてる?パシェに休みをやるから」
「今度の礼拝日はいかがでしょうか。水の精霊様をお迎えする日は店をいつもお休みにしてますので…」
彼女の言葉に、
「すみません。お忙しいのに…」
パシェが謝罪した。それをアリネが笑って、
「いいえ。私もパシェ様とは長い付き合いなので一度お話したいと思っていたのです」
そう答えた。

ニコリと微笑む彼女は決して美人の類ではないが、素朴で優しさに溢れ、内面の美しさがにじみ出ていた。仕草や態度がおしとやかで、下手な美人よりも余程好感が持てる。
ギエンが畏まるパシェを見て、僅かに視線を和らげた。

出来上がった花束を受け取って、パシェの肩を軽く叩く。
「俺は南街をブラブラしてから帰るから、お前はもう少しゆっくりしていったらどうだ?」
そう言って慌てるパシェに手を振って、店を出て行く。
それを咄嗟に引き止めるパシェだ。折角の機会だ。ギエンと一緒に街を見て歩きたいという気持ちが勝っていた。

「すみません。アリネ様。私も失礼します。また来週、こちらに迎えに来ますので、よろしくお願いします」
礼儀正しくお辞儀を返して、ギエンの後をついていくのを、アリネが笑顔で見送る。

二人が出て行った後、店内が黄色い声で騒がしくなったのは知る由も無い二人だった。




2021.02.07
月日が本当に瞬く間…(;'∀')。ギエンの世界ではまだ数日しか経ってないです(笑)。
パシェとは順調に交流を深めております(笑)。

なんというかパシェは別に男に興味は無いんだけど、
ギエンの全てがパシェにとってツボというか、そういう感じ…?(笑)
何となく、全てがドタイプ。みたいな(笑)。
    


 ***15***

離れとはいえ客室を自宅代わりに生活しているギエンは、必然的に城内をうろつく機会も多かった。城内には訓練場の他にも書物館や兵たちの宿舎、庭園などがあったが、重役などの居住用邸宅などもあり、意外に多くの人と出くわす機会もあった。

中でも兵や訓練生は頻度が高く、ギエンが城内を歩いているとしょっちゅう、誰かしらと出会う。その度に好奇な視線が向けられ、些かのギエンもやや面倒くさくなっていた。
後ろ盾でもあればまた違ったのだろう。現状で言えば上下関係などもなく、彼らからしてみればただの異邦人に過ぎない。

そうしてその日も、ギエンが何気なく回廊を歩いていると、訓練生が3人、大きな声で会話しながら向こうからやってくる。
ギエンが彼らに気が付いたのと同じように、彼らもギエンに気が付き、それからすぐに、聞こえよがしに声を張り上げた。
「腹立つなー。何の仕事もしないで王城に住めるってどういう特権階級だよ」
今風の髪型の男が大きな声で、誰の事を指しているのか容易に分かる文句を言う。
「奴隷だった奴がよく平然と表を歩けるよな。恥を知れって感じだよな」
連れ立って歩くもう一人が合わせるように同意した。
集団がゲラゲラと笑いを零す。
素知らぬ顔でその脇を通り過ぎようとするギエンに、
「ミガッドも下手くそな剣術の癖にやたらと上官に受けがいいよな。親の七光りってか?」
「違うだろ、どうせお偉い様方にケツでも振ってえこ贔屓されてんに決まってる」
あまりに酷い侮蔑の言葉を放った。
「あの技術で認められるとは到底…、ッ…!ぐあッ!!!」
彼の言葉は途中で途切れ、悲鳴に変わる。

ギエンが通りすがる瞬間に彼の足を引っ掛け、尻を蹴り飛ばしていた。
吹き飛ばされる彼を見て仲間たちが、
「お、…前…っ!」
「こんな事してタダで済むと思ってるのか!」
脅し文句を吐きながらギエンを睨み上げる。拳に力を入れ一斉に殴り掛かっていった。
その挙動を蒼い目が瞬き一つせず、見つめる。そして目にも止まらぬ速さで、彼らの腹と横っ面を殴り返していた。
倒れ込む彼らに追撃するように容赦ない蹴りを加え、呻く彼らからヒキガエルのような悲鳴が上がる。
「ぅ…!っぐあ…!…す、すみま…、ッ!」
「ァア?!聞こえねぇな」
謝罪の言葉を発する事すら許さず、蹴りを加えるギエンの靴が血に塗れていく。

通りかかった別の者が騒ぎに気が付き止めに入って、ようやくギエンの攻撃が収まった。倒れたままの彼らからは嗚咽塗れのうめき声しか出ず、顔からは血を流し散々な状態だ。

あまりの騒々しさに人々が何事かと集まって悲惨な事態を知る。
血を流し呻くまだ若い訓練生三人と、それを見下ろしたまま息すら切らさずに立つギエンのあまりにも冷徹な眼差しが、どちらが悪かを容易に想像させた。

すぐに警備隊がやってきて、三人を治療室へ、そしてギエンを尋問室へと連れて行った。
知らせを聞いてパシェが飛んできたのはそれから僅か10分後の事だ。
尋問室で長い両足を投げ出すようにして座るギエンに対し、警備隊の男は怒り心頭にやってきたパシェを見る。
それから、
「隊長殿を呼びましたので覚悟してください。訓練生に手を上げるとは何事ですか。どんな理由があろうと許されない事です」
机を拳で叩いてギエンを力強く非難した。
それすらどこ吹く風で、表情一つ変える事なく、
「何が隊長殿だ、勝手に呼べよ。下らねぇ。
許されないから何だ?罰でも下すか?大した怪我でもねぇだろ」
あっけらかんと答え、警備隊の神経を逆撫でした。
実際のところ、攻撃を加えた本人だ。相手が負った傷がどの程度のモノか容易に分かる。
ましてや戦闘能力に関しては人より遥かに長けているギエンだ。自分の攻撃がどの程度かは十分過ぎる程、把握していた。
それに加え、すぐに医務室へと連れていかれたのだから、思う以上に大事には至っていない筈だ。

ギエンの反省しない態度は彼の怒りを更に煽る。
「貴方は何を考えているんですか!いい年した大人が!」
再度、机を拳骨で2度叩く。
「過去の栄光があるからって何でも許される訳じゃないですよ!!」
男の言葉に、状況を見守っていたパシェが一歩前へと進み出た。
「警備隊殿。口を挟んで申し訳ありません。ギエン様は何故、このような行動をしたのか理由をお伺いしても?」
その言葉に沈黙が走った。

ギエンの言い分も聞かずに一方的にギエンが悪いと決めつけて、騒ぎ立てているのだとすぐに悟る。
「例えギエン様の過剰防衛だとしても、ギエン様は無闇に手を挙げる方ではありません。何か理由があるのでは無いですか?」
「結果が全てですよ。貴方はその場にいなかったから!
訓練生が3人も血を流して倒れていたんですよ!止める者がいなかったら殺していたかもしれない!そんな危険人物を野放しに出来る訳ないじゃないですか!」
「面倒くせぇな…。だから牢にでもぶち込めばいいだろ」
ギエンがどうでもよさそうに言うのを、
「いい加減にして下さい」
パシェの冷たい声が遮った。

思わずパシェの顔を見るギエンだ。
ギエンだけじゃない。
警備隊の男もパシェの顔を見上げて驚きの表情を浮かべる。
「ギエン様。貴方に言ったのではありません。
いいですか?警備隊殿。ギエン・オール様の権利は昨夜の時点で復権されております。今こちらにおられるのは特位の位にいるお方です。ギエン様が手を挙げた事に関しては、非があるとしても、正当な理由なく貴方が責め立てていい身分の方ではありません。
また、喧嘩に至った理由に関してもちゃんと調査をしてからお願いします。最悪の場合、貴族に対する不敬罪で処罰されるのはそちらになりますよ。分かりましたか?」
淀みなく伝えるパシェの言葉に、警備隊の男が気圧されたように唾を飲み込む。それから怯えたように小さく頷きを返した。
「ギエン様。行きましょう」
尋問室の扉を開き、呆気に取られるギエンに声を掛ける。
「あ、…あぁ」
パシェの意外な側面に驚いたようにギエンが大人しくパシェに従った。


訓練生にも事情を聞き、処罰が決まるまでは自室で待機となる。
パシェが入れたお茶を飲みながら部屋で寛いでいると、ノックが鳴り、すぐにダエンが躊躇いがちに部屋へと入ってきた。
「災難だったね。訓練生たちもギエンに侮辱的な言葉を言ったことを白状してて、そもそも喧嘩を吹っかけたのは向こうだと証明されたから、幸い罰金だけで済みそうだよ。
喧嘩っ早いのは昔から変わらないね」
いい知らせに対し、
「……尤もらしく昔の話はやめろ」
ギエンが返した言葉はそれだった。

ダエンの表情が曇り、視線も合わせず紅茶を啜るギエンを見つめる。
しばらく突っ立ったままそうした後、つかつかと歩み寄って、
「こないだの事は謝るよ。僕が悪かった。ギエンはただ、サシェルに会いに来ただけだったのに…僕は君に酷いことを」
「今更そんな事はどうでもいい」
謝罪の言葉を言おうとして、ギエンに遮られる。
「僕は、」
それでも続けようとするダエンに、
「お前の中で、親友だった俺はもう死んだんだろ?なら無理に俺と親友面する必要もねぇだろ」
特に怒っているでもなく会話を終了させるように淡々と言った。

放たれた言葉に、ダエンが口を引き結んで視線を床に落とす。
そのまま出て行くでもなく。
食い下がるダエンは、カップを持つギエンの手を掴み無理やりテーブルの上に置かせた。
「……そういう意地悪はやめてくれ。僕はギエンをそんな風に思ってない。君が生きてて本当に嬉しく思ってるし、サシェルのことだって君が死んでよかったなんて思ったことは一度も無い」
語りかけるような静かな声で訴える。

そこでようやく2人の視線が交わった。
切実な想いで真っ直ぐに見つめるダエンに対し、ギエンの目は特になんの感情も宿してはいない。ただ鮮やかな蒼い瞳が穢れ無き美しさで、ダエンを映す。

心の内まで見透かされそうなその美しい瞳に、ダエンが負けじと瞬きせず見つめていると、
「もうどうでもいいって言っただろ?」
掴まれた手をそっと剥がしたギエンが静かな声で返した。

零れた紅茶で僅かに濡れた指を傍らにあるナプキンで拭く。
視線を落とすダエンの目に映るのは、ギエンの手にある生々しい傷跡だった。

「15年だ。お前がどんな苦労をしてきたのかは知らないし、お前も俺がどんな想いで生きてきたのか知らないだろう?俺らは親友って呼ぶには距離があり過ぎた。親友だと思うから話がややこしくなる」
ギエンの動きに合わせ、両手首に残る手枷の跡がチラリとダエンの視界に入る。
ギエンが言うように、15年という月日は確かに長過ぎる期間だったのかもしれない。改めて言われると、ギエンがどんな人物だったかも分からなくなる。
両手首に残る枷の跡すら見慣れぬモノで、それが本当に自分の知っているギエンなのか、そもそも親友だったのかと揺らぎそうになった。

それでも。
「じゃあ、…僕がしてきた苦労を今から君に話せばいいのか?そうすればギエンは満足するのか?」
ダエンは折れなかった。

「今更、何を拘ってるんだ?最初に俺の存在を殺したのはお前だろ。気を使って無理をする必要は無いと言ってるんだ」
ギエンの何となしに言った言葉に、ダエンが過剰反応をして、
「君が死んでよかったなんて一度も思ったことはないって言ってるだろ!ハバードと同じ事を言わなかっただけで子どもみたいに拗ねるのは止めてくれ!」
声を荒らげてギエンの肩を掴んだ。
「っ……」
痛みで声を挙げるギエンにも気付かず、激情を宿す目がギエンを睨む。
「…分かったから落ち着け。別にハバードと同じになれって言ってるんじゃ」
「言ってるよ!なんでハバードなんだ…君はずっと悪態付いてた癖に!」
「いい加減にしろ!」
バッと肩にかかる手を振りほどき、ダエンの手を振り払う。
「ハバードと比べられて怒ってるならお門違いだ。出直せ」
「っ…!」
払われた手を押さえ、堪えるように唇を硬く結んだ。
「なら、もし君が逆の立場だったら?自分の妻に他の男が会いに行くのを見て、何も感じないと言えるのか?君だって僕と同じように怒ってた筈だよ。僕だけを責めるのは間違ってる」
真剣な眼差しでギエンを非難した。
それを蒼い瞳が冷静な色で見つめ返していた。

「そうじゃねぇだろ。頭に血が上ってどうでもよくなっちまうくらい、お前にとって俺の存在が軽いんだろ?だから無理すんなって言ってんだ」
「ギエンッ!」
名前を強く呼ぶと同時に、ダエンが机を思いっきり平手で叩いた。
その勢いで紅茶の入ったカップが揺れ、食器の擦れ合う甲高い音が部屋に響く。
「君は僕に何を期待してるんだ!
僕が君の事を…、サシェルよりも愛してるとでも言えば満足するのか!」
「ッ…!てめぇ…!」
その言葉に一気に怒気を強めたギエンが立ち上がって、ダエンの胸板を押しやった。
「なめてんのか?馬鹿にすんのもいい加減にしろや」
二度、三度とダエンの胸を叩いて、押しやる。
「ミガッドに関しては感謝してる。サシェルの事もな。俺は今でも二人を家族だと思って大事に思ってるけどな、現実はそうじゃねぇことも分かってんだよ。それにな、サシェルに関しては昔のような気持ちも抱いちゃいねぇし、お前が勝手に邪推してるだけだ。俺に無理やり勝手な妄想を押し付けんな!」
強く胸を突かれよろけるダエンに対し、部屋から追いやるように手で払った。
「話は終わりだ。罰金の件は、後でパシェに処理させる。お前に手間かけたのは悪かったが、…」
恨めしい目でじっと見つめてくるダエンに気が付いて、
「文句あんなら言え」
問い返せば、
「昔の君とは別人みたいだ。15年で何があったのか知らないけど、僕の親友は本当にいなくなったみたいだ。
昔の君は、…そんなじゃなかった」
呪いの言葉のように吐き捨てた。
「…っ」

二人のやり取りを黙って見ていたパシェが、ちらりとギエンに視線を投げる。
僅かに目を見開いて驚きの表情を浮かべたギエンが、次の瞬間にはいつもの顔になり、
「そうだな」
短くそう答えた。
「用は終わっただろ。じゃあな」
ギエンが静かに言えば、そうだね、と短く返したダエンが背を向ける。

振り返ることも無く静かに閉まる扉を見送ったギエンが、疲れたように椅子にどっかりと腰を下ろす。
額に手を当てて、
「あいつは本当に…。嫌なことを思い出させやがる…」
呻くように呟いて瞳を閉じる。

パシェはギエンがこの15年間で何を経験したのかは知らない。
また15年前のギエンがどんな男だったかも知らなかった。

それでも、今自分の目の前にいる男は苦悩を抱く一人の人間に過ぎない事は分かる。ギエンが時折浮かべる暗い瞳に気が付いていれば、ダエンもそんな言葉を言ったりはしなかっただろう。
15年間の事は触れてはいけない事柄だ。ギエンの中では何一つ、消化できていない。まだ過去にすらなっていないのかもしれない。

心苦しい想いを抱きながら、それでも掛ける言葉もなく、俯くギエンを見ているしか出来なかった。



2021.02.12
拍手、訪問ありがとうございます!(^^)!
そろそろイチャイチャさせたい〜(笑)
ダエンは中々、ギエンになびかん…(゚ω゚;A) 笑
    


 ***16***

その翌日の事だ。ギエンが訓練生3人を怪我させた事態は更に複雑なことになっていた。
怪我を負った一人が、副団長ゼレルの弟であった事から、ギエンに対し決闘が申し込まれていた。

副団長ゼレルは元々ギエンを嫌っており、ギエンに対する待遇自体、快く思ってはいなかった。それに加え、弟をあんな目に合わせた上に罰金だけで済んだギエンを何としてでも懲らしめたいようで、法執行官の元に乗り込んできた彼は今すぐにでもギエンを切り殺したい勢いだった。

もっとも決闘の全てが闇雲に認められる訳ではない。
それなりの理由も必要で、今回に関しては血縁者であることや負った怪我の度合い、身分など総合的に判断され、その上でゼレルの申し出も尤もだという事になった。ギエンが負けた場合は、その場で謝罪する事になり、決闘自体は3日後に訓練場を借りて行なわれる事が発表される。
広場に張り出された連絡に、城内外は大騒ぎとなっていた。

ギエンがその事を知ったのは張り出された連絡よりも後のことで、部屋へと届いた封書によるが、実際、申し込まれた方には拒否権は無いため、事後だろうと前だろうと大差はなかった。
知らせを受けた時もギエンの表情は1ミリも変化が無く、いつもと同じようにパシェにお茶を頼んでいた。


その日の夕方、およそ5日ぶりとなる訓練場へと足を運べば、早速ギエンの姿を見つけたハバードがやってきて、
「ゼレルと決闘するんだってな。あいつはでかいからお前とじゃリーチの差があって、やり辛そうだ」
心配そうに口にした。
それをチラリと横目に見たギエンが鼻で笑う。
「別に負けたって謝罪するだけだろ?死ぬ訳でもねぇ」
何も感じていない瞳が、どうでもよさそうにハバードを映す。

夕焼けの赤い色とギエンの蒼い瞳がぶつかり合ってハバードに形容しがたい気持ちにさせた。寂寥感とも懐かしさとも言えない気持ちに、何故かやるせなくなって、
「…ギエン。お前だけの問題じゃない」
そんな言葉で縛りたくは無かったが、そう言葉を返していた。


案の定。
ギエンの視線が鋭く尖る。それを見つめたまま、
「ミガッドの為にも、お前は負ける事は出来ないぞ。それくらい、分かるだろう?」
息子の名前を出せば、
「ミガッドは関係ねぇだろ!」
語気を強めたギエンが否定する。
「お前が負ければミガッドが何を言われるか考えたのか?そもそも喧嘩の発端もゼレルの弟が、お前に喧嘩を吹っ掛けたんだろ。バーテは元々、ミガッドを嫌ってる。父親ならしっかりと状況を考えろ」
ハバードが起こり得る可能性をハッキリと口にすれば、ギエンも黙らざるを得なかった。

しばらく無言の後、
「…俺がわざと負けるとでも思ってるのか?」
腕組みをしていたギエンが腕を解き、ハバードと正面から向き合う。
ギエンの台詞にハバードが一瞬、目を見開いて、それから夕日を背に浴びるギエンを眩しそうに見た。
「お前が過去の自分と比較されたくない気持ちは分かる。人の評価なんてどうでもいいっていうのもな。だが、人の評価はどこまでだって付いてくる。
ミガッドだってそうだ。幼い頃からずっと父親であるお前と比べられて生きてきた。たとえダエンが父親代わりだと言っても、血の繋がりはお前だ。天才と呼ばれるお前とずっと比べられて、それがどんなに生き辛いか…、そのくらい分かる筈だ」
意見を押し付けるでもなく静かな声で言うハバードの言葉に、ギエンが溜息混じりに同意した。
「そうだな…。まぁ俺はゼレルを知らねぇし、どうなるかは分からねぇけどな。ミガッドの為にもみじめに命乞いなんて真似はしねぇから安心しろ」
そう言うギエンの瞳は闘志が宿るでもなく、冷ややかなままだ。
それこそ、この世の全てがどうでもよさそうに淡々とした口調だった。

鮮やかな蒼い瞳の美しさだけが、昔のギエンと変わらない。

「…」
諭すのは無理なのかもしれない。
ハバードの中に、僅かに諦めの気持ちが宿る。

無意識に昔のギエンの面影を追っているのは、確かなのだろう。
考えまいとして、唐突に思い出したように、
「そういえば、明後日の夜は暇か?ダエン家と食事会を取り付けたからお前も来い」
食事に誘った。
唐突過ぎるその誘いに、ギエンが胡乱な顔を向け、
「俺がダエンと喧嘩してるのを知ってて誘ってんのか?」
低い声がうんざりしたように言葉を返す。
「…また喧嘩したのか?だがこうでもしないと、ミガッドと話す機会が無いだろ?」
「何かあれば、ミガッドの名前を出しゃいいと思ってやがる…」
「事実、そうだろ?」
間髪入れずに返ってくる言葉に、言い返す言葉が無い。

実際、ミガッドとここ数日は全く会話をしていないギエンだ。
姿を見るのさえ、訓練場に赴いてようやく見る事が出来る程度だった。
向こうからの訪問がある訳でもなく、ダエンから誘いの言葉がある訳でもない。

身分が復帰したところで、何一つ変わらない。

「明後日だな。どこに行けばいい?」
「俺の家だ。昔と同じだ」
「…手土産は持って行かないからな。場の空気が重くなっても知らねぇ」
先手を打つギエンに、ハバードが小さく笑った。
「好きにしろ。失敗したらまた場を設けてやる」
「…礼は言わねぇぞ」
ふっと片笑いして、ギエンがその場を離れていく。

あの時よりも広くなったギエンの背中を見送りながら、ふと昔を思い出していた。
訓練校時代のいがみ合いはしょっちゅうの事だ。その後、ギエンが特級で騎士団に入った後も、会う度に喧嘩紛いの状態だった。当時を考えると今の関係の方がおかしいのだろう。

ギエンも今となってはいい大人だ。気に掛けなければいけない程、やわな精神でもない。
ただ。
何故か今のギエンは放ってはおけなかった。
今、何かをしなければギエンが壊れてしまう気がして、どうしても何かをしなければと焦りにも似た気持ちを抱いていた。

「馬鹿なことを…」
自分の考えを首を振って否定する。
去って行くギエンの遠くなっていく背中を心配そうに見つめるのだった。



***********************



ハバードの予測通り、ギエンにとって決闘は心底どうでもいい事柄だった。
獣人族に囚われていた期間、命をかけた闘いは嫌という程してきた。彼らが行うそれは正に死闘でどちらかが死ぬまで終わらない。

それを考えれば、今回の決闘は真剣を用いるとはいえ、傍では治療師が控え、途中で降参も認められていた。
一番の目的は名誉のためであり、決闘は勝つことでその正当性を訴えることが出来る手段である。

ゼレルの場合は、勝利を治める事で合法的に弟の復讐を為せるのであって、目的はギエンの命ではない。とはいえ、真剣を扱う以上それ相応の危険も認められていたが、傷だらけの体に傷が一つ増えた所で、今更何も感じはしない。
例えるならば、今日の晩飯は何か、それくらいギエンにとって軽い。

だが、ハバードの言葉も一理あった。
負ければミガッドが何を言われるか、分かったものじゃない。普段は父親らしい扱いでもないのに、こういう時だけはそれが顔を出してくる。とにかく何でもいいから突ける弱みがあればそれが何だろうが構わないのだろう。

人間の性根の腐った部分を見せつけられた気がして、
「どこに行っても同じだ」
思わず一人ごちる。

ふと。
15年前を思い出しそうになって、追い払うように頭を左右に振った。


誰かが昔の自分の話をする度に、愚かな自分を悔いる。
二度と人を信じたりはしない。
そう誓った筈だと、左肩に残る歯型を無意識に指で触りながら思う。


やたらと青い星が恋しくなって、既に暗い夜空を見上げるのだった。



2021.02.16
もう16話です(笑)。早い…(笑)。
気が付いたら2月も半ばだし、驚きですね(゚ω゚;A) バレンタインはどこに消えた…?!

コメントありがとうございます(*´q`*)デヘヘ♥
むっちゃ喜んでます(笑)
反応があると萌えを分かち合える感があってイイですね(笑♥)
今回、ギエンは無自覚系なので、エロ格好いい+ギャップで
その他大勢をメロメロにしていく…ハズ…(´∀`*)…。
人間関係の再生物語とは一体…?(≡ε≡;A)...笑
    


 ***17***

幼いミガッドが緑生い茂る庭で寝転がりながら、明るい笑い声を上げる。
何が面白いのか分からないが、楽しそうにお父様、お父様と呼び掛けて手を伸ばした。

柔らかな白い頬に繊細な茶色の髪、琥珀色の瞳は世界中で誰よりも可愛い子どもだ。淡い紅色に染まった頬を突けば、きゃきゃと声を立て、一層楽しそうに笑った。

庭で遊ぶのが大好きなミガッドは読書をしている間も、隣にずっといた。
ただひたすら愛おしくて、この子の為なら何だって出来る。例え、自分の命を失う事になろうと、この命だけは守り抜こうと思っていた。


その笑みが突如、歪んでいく。
赤い色が世界を燃やすように染めていき、戦争中のように甲高い悲鳴が周囲から上がった。
駆け寄ってくる見知った顔の仲間たちが次々と無残に殺され、ミガッドにも毒牙が迫る。必死に手を伸ばし、救おうとするのに手は一向に届かず、そればかりか無数の手があちらこちらから伸びて、体中を雁字搦めにして動きが取れなくなった。

重苦しい世界に呼吸すら出来なくなって、急速に意識が覚醒した。
真っ暗な室内で、ギエンの荒い息遣いが響く。
「…夢か…」
安堵の溜息をついて、汗を掻いた首元を手の平でぬぐう。
逸る呼吸を落ち着かせるように何度か息を付いて、
「ッ…!!」
唐突に人の気配を察して飛び起きた。

肘を立て頭を支えるようにして寝転がるゾリド王が、ギエンの様子を見つめていた。
「な…にして…」
相手の正体を知って、飛び出そうになった心臓を落ち着かせるように手で抑える。
ギエンの問いかけに、
「夜這いに決まっているだろう?」
何を言っているんだと言わんばかりに、平然と答えた。
正装の上着を脱いだだけの格好でギエンの姿を見つめるゾリド王の姿は、夜遅くまで公務をし、そのままここへ足を運んだ事が分かる。
寝るでもなく横たわったまま、ギエンの寝顔を見つめていた男が、
「随分とうなされていたようだ」
事実を言えば、バツが悪そうにギエンがしかめっ面をした。
「見てたなら起こせ…。大体、隣で寝るでもなく見てるだけって何なんだ…」
相手の行動を咎めれば、ゾリド王が小さく笑って、
「夜這いに来たと言っただろう?無防備に寝ているお前を眺めるのも中々いい」
悪気もなく返した。
呆れて、
「そういうのは悪趣味だろ」
返せば、ゾリド王の笑みがより深まった。

寝転がったまま、ギエンの頬に手を滑らせ、
「決闘をすると聞いたが、厄介事に巻き込まれたようだ」
僅かに真剣な色を浮かべる。
「あんたまで、昔の俺ならどうこう言うつもりじゃねぇだろーな」
「昔のお前なら?」
「どいつもこいつも昔話ばかりだ」
吐き捨てるように言ったギエンの言葉に、
「当たり前だろう。昔のギエンを知っているのだから」
さも当然だと言わんばかりに返事をした。
それをうんざりした顔で聞く。
「俺は昔とは違う。あんたもいい加減、昔の俺を追うのは止めたらどうだ」

実際にそうだろう。
昔の自分とは違う事を感じながら、壁を作れば、
「何を言っているのか分からんな。ギエン。お前を愛していると言っただろう?」
平然と。
恥じらいも無くそんな言葉を真顔で返してくるゾリド王だ。

その対応に呆気に取られる。
彼にとってはなんてことない言葉なのだろうかと頭の片隅を過る。その直後、そんな訳がないと自分の考えを否定した。
今まで一度も、ゾリド王のそんな対応は見た事が無い。

「…とち狂ってる」
小さく呟いたギエンの言葉に、珍しく声を上げて笑った。

ギエンの顔を覗き込むように身を起こし、
「好きなようにやるといい。大怪我さえしなければ構わん」
夜の静けさの中、囁くような静かな声で言った。
耳に掛けていた長い赤髪がギエンの肩にさらりと掛かる。
カーテンの隙間から差し込む星の明かりに照らされ、赤い瞳が宝石のような輝きを宿し、真っすぐにギエンを見下ろしていた。
「仮に世界中がお前の敵になろうと、私だけは味方でいてやろう。だから周りの声など聞く必要はなかろう」
言って、するりとギエンの右手に指を絡めた。ぎこちないギエンの指を開き、そのままベッドに縫い付けるように圧し掛かる。

「本当に…、どうかしてるぞ」
戸惑いの口調でゾリド王の行動を咎めるギエンの言葉に、
「どうかしてなければ、王などやってられん」
鼻で笑った後、首筋に唇を落とした。熱い舌が冷えた首に触れ、やけに熱を帯びる。

ゾリド王の行動は予測不可能だ。
およそ王らしからぬ行動を平然とし、ギエンのリズムを乱す。通常であればそんな事はしないだろう。言葉の全てを信じる訳ではないが、それだけゾリド王の想いも本気なのかもしれない。
僅かに彼の言葉を信じる気持ちになって、
「後悔しても知らねぇからな」
ギエンが言葉を返せば、その返事のように絡まる指が一層深くなった。

首筋から唇へと移動してくる唇を今更拒む気にもなれない。
迎え入れるように唇を開けば、熱い舌が躊躇うことなく侵入してくる。

閉じられた心を無理やりこじ開けるように、精神の奥へとゾリド王の存在が入っていく。
繋がる指からじんわりと暖かい光を感じて、芯まで冷えた身体が中から暖められていくのを感じていた。
それすら心の深い奥底では、まやかしのようで。


ゾリド王の暖かい身体を感じながら、どこか夢現にされるがままだった。



***********************



翌朝、パシェがギエンを起こしに来た時には既にゾリド王の存在は無く、いつも通り熟睡するギエンがいるだけだった。
特に疑問を抱くことなくギエンを起こそうとして、首筋に赤い跡を見つける。一瞬、それに気を取られ手が止まるも、すぐに虫刺されかと結論付けてギエンを起こした。

いつも寝起きの悪いギエンにしては珍しく、一度の揺すりで瞳を開く。鮮やかな蒼い目が一瞬、揺らぎ、すぐにパシェを認識した。

「おはようございます」
朝の挨拶をしながら、何となくギエンの調子が悪いのを察した。
怠そうに上半身を起こしたギエンが何気ない動作で、肩口の歯型に手を這わせる。まるで形が残っているのを確認するように、長い指が4箇所の穴を探った。
それから考え込むように僅かに動きを止めて、一点を見つめる。

小さな溜息を零した後、のそりと寝台から抜け出し、パシェの用意した履物に足を通した。そのまま特に言葉を発するでもなく浴室へと向かっていく。


ギエンが帰還して既に10日近くが経とうとしていた。
一番、ギエンの近くにいる人物は間違いなくパシェだろう。パシェの存在に慣れてきているギエンも、パシェの存在が気にならなくなっていた。

まるでパシェの存在を忘れているかのように、時折、無意識の内に素のギエンが顔を覗かせる。世話役とは本来そういうものであるため、特にその事を気にしたりはしないパシェだが、やはり時折見せるギエンの物思いに耽る姿はやけに胸をつかれる想いにさせられた。

パシェが知る限り、歯型をなぞる癖は、一日で何度か目にする仕草だ。正装をしている時は服の上から肩を触る事もある。その時のギエンは決まって、一か所を見つめたままいつになく真剣な目で何かを考え込んでいた。

自分では何の力にもなれない事は重々、分かっていた。それでも、いつの日かそんな表情をさせないで済むようになればいいと思う。
浴室から聞こえる控えめな水の音を聞きながら、ざわつく胸を宥める。

少しでも気分が晴れやかになるようにと、香りの強い飲み物を用意しに退室した。


次にパシェが部屋へと戻ってきた時には既にいつも通りのギエンがいて、
「おはよう。パシェ」
蒼い瞳にいつもの明るさが戻っていた。
「北部で有名な柑橘の紅茶を持って参りました。飲みますか?」
既に用意された紅茶一式を見たギエンが小さく笑みを浮かべ、
「頼む」
そう返すのを聞いて、何故か安堵していた。

パシェの用意した黒い服を身に付けて椅子に腰掛ける姿は優雅な紳士そのものだ。
見習い騎士団の服装でもなく、似た形のシンプルな服装だが、それでも襟元に加工の入ったシャツに光沢のある上着はそれだけで洗練された高級品と分かる。また着ている男が見目麗しい男とあっては、相乗効果でより品の良さが漂っていた。

紅茶をカップに注げば、甘酸っぱい華やかな香りが部屋を満たし、一面の窓から差し込める明るい日差しが、より爽やかな朝にした。
「熱いのでお気をつけて」
テーブルにそっと置けば、ギエンが上目にパシェを見る。
その目が僅かに和らいで、
「お前はセンスがいいよな」
言って、カップに口を付けた。

香りを味わうように瞳を閉じて、匂いを嗅ぐ。
深い藍色の髪がはらりと目に掛かり、整った顔に影を落とした。

差し込む明るい日差しの中、足を組んで何気なく紅茶を飲む姿が余りに優雅で思わず見蕩れる。じっと見つめていると、瞳を開いたギエンが、
「今日は、街中を見ながら職探しでもしようかと思ってる。夕食はお前が空いていれば一緒に食べよう。明日はハバードと食事をする事になったから不要だ」
パシェの視線を、スケジュールの共有を求めているものだと勘違いしたギエンが、今日の予定を告げた。
「ハバード・ハン様ですか?」
ギエンの口から出た名前にパシェが意外そうに反応を返す。
そういえば、先日にダエンと会話していた時もそうだったと思い出した。調べた記憶では二人は訓練校からの同期だが、それほど親交深かったとは聞いていない。

ハン家は古くから王家に仕える一族として有名な家門だ。ハバード・ハンはその次期当主として名高い。
特に王家に近い血筋でも、何か特別な貢献をした訳でもないが、昔から代々、王家のすぐ傍で王族を守ってきたという歴史があった。国が危機に瀕した際には常に、ハン家の協力があったとさえ言われていた。
実際、ハン家の勢力は貴族の中でも特に抜き出ており、ハン家に従う者はかなり多い。その勢力の規模からクーデターを警戒する重役もいるくらいだ。

「…ミガッドと食事の場をお膳立てして貰った」
言いにくそうに答えるギエンに、パシェがやや複雑な表情を浮かべる。
「何か手土産を用意しておきましょうか?」
パシェの言葉に手を振って断るギエンだ。
「ハバードに気を遣う必要はねぇからな。あいつが勝手にやっただけだ」
あのハバード・ハンを存外に扱うギエンに納得とも何とも言えない気持ちを抱く。
ただ、気心の知れた間柄なのだろう。

ダエンとの関係よりも余程、親友のように思えて僅かに不思議な気持ちになっていた。



2021.02.21
ちょっと揺らいでる自分がいます(笑)。
こないだふと思ったんですけど、私のサイト、圧倒的に頭のおかしい攻めがいない気がする…(☉∀☉)え?
いないよねぇ?あれ?いるかな??いないよね??
もうちょい頭のおかしい攻めがいてもいい気がするの…。もっとぶっ飛んだヤバイヤツ…(笑)。
そんなで軌道修正しそうです(笑)。
もうこうなると何が本命の攻めキャラか分からなくなりそうだけど…(笑)、まぁ個人サイトだしいいよね(笑♥)。総受けだし…ウンウン(笑)。というかメインCPどうしようかなぁと未だに考えてます(‾◇‾;)エッ?
パシェも美味しいけど…(笑)。どうしようかな(笑)

    


 ***18***


ハバードが住む家は北街を出てちょっと進んだ所にあり、南のゼク家、北のハン家とも呼ばれる二大名家で、その屋敷も大豪邸だ。門は厳重に警備され、何頭もの馬や武器庫まであり、小国の王にも匹敵するような規模で、その存在感も他家に比べ圧倒的に目を引く。

尤も、ハバードが好んで寝泊りしているのは城内にある簡易的な宿所であった。木で出来た安物のベッドに布切れのような上掛けがあるだけのような部屋で、風呂は公衆浴場で済ませ、適当に食事を取る。世話役もいないような生活だが、ハバードはそれを好んでいた。

わざわざ家に招いてまで食事会を設けた事はハバードなりの誠意の表れで、ハン家の前に辿り着いた時に仰々しく迎えがやってきたのを見たギエンが、眉を寄せ、
「…あいつ…」
思わず口内で愚痴った。

庭を進めば数人の使用人がやってきて、ギエンの乗っていた馬を受け取り、ギエンが歩く先の扉を開いていく。邸宅内にあるもう一つの門をくぐり、更に進むと先程の比ではない兵達がいて、ギエンを姿を見つけるや否や整列し敬礼をした。

そのまま使用人についていき、建物内へと入る。
歴史を感じさせる内部は建築から五百年以上は経っているが、太い木造の柱は頑強で艶があり、まだまだ現役のままだ。
案内されるまま進めば、雅かな彫刻の施された一際大きな扉の前で使用人が一度止まる。
「失礼いたします」
一声掛けてから、ギエンの服の埃を拭い、僅かに乱れた髪を耳元へと掛けた。
襟元を正しギエンの服装をもう一度見直してから、再度、扉を開く。

中からは眩しい光が漏れ、テーブルに飾られた燭台と豪華なシャンデリア、室内の装飾の煌びやかな色に、目が潰れそうな程だった。


招いた本人が立ったまま、使用人と話をしていたが、すぐにギエンに気が付き歩み寄ってくる。
「悪かったな。こんな場所で」
目を細めるギエンの心の内を読んだように苦笑した。


ハバード・ハン。


いつもは固い素材のシャツに、ズボンに黒のベルトを巻いただけのラフな格好だ。出掛ける時でさえ、質の悪い外套を肩に羽織るだけの流れ者のような出で立ちだが、今日は本宅に戻るとあって、そういう訳にもいかないらしい。

王に謁見する時のような正装で、仕立てのいい上着を羽織り、中に着るシャツはシルクのような光沢を放っていた。宝飾品の嵌め込んだベルトに、皺ひとつないズボンはどこから見ても上流階級の貴族だ。

顎髭だけが変わらない。
だが、それもハバードの精悍な顔によく似合い、より男らしい姿で様になっていた。

「馬子にも衣装だな」
下から上まで見たギエンが、意外そうに呟く。
ハバードの正装を見るのが初めてではないが、それでも年に数回あるか、それも前回見てから、何十年も経っている。最近は訓練場のハバードしか見ていなかっただけに、尚更、別人のように見えて感心した。
「ここに帰ると周りが煩いんでな」
言うと同時に、何気ない動作でギエンの後頭部に手を伸ばし、引き寄せる。
そのまま軽く頬に口づけを落とし、親密な者同士がする歓迎の挨拶をした。
「…」
されたら返さない訳にもいかない。
仕方なく、同じように挨拶を返せば、
「その嫌そうな顔、癖になる」
笑いながらそう言った。

そのまま、既に席に付いているダエンの斜め前、ミガッドの正面へと案内して、椅子を引いた。
ダエンがギエンをチラリとみて、ぱっと視線を逸らせる。隣に座るミガッドは初めて来る場所にそわそわとして落ち着き無さそうに周囲を見回していた。対するサシェルは、両手を膝の上に置いたまま、唇を結んでじっとテーブルに視線を落とす。

ハバードと特に親しいという程の交流がある三人でもない。
よくこれで食事に招いたなと逆に感心していると、
「昔の馴染み同士、食事でも楽しもう」
ハバードが明るい声で言って、給仕に料理を運ばせた。

乾杯酒としてグラスに注がれた果実酒は城に卸している貴族の物と同じ物だろう。
一口飲んですぐに、
「お前までこれか…」
ギエンが苦言を吐いた。
「飲み慣れると癖になるぞ。ダエンも確か好きだっただろ?」
どこから聞いた話なのか、唐突にそう振った。

案の定、驚いた顔をしたダエンが戸惑ったように小さく頷く。
「以前、あまりに旨くてか、何杯も飲んでベロベロに酔ってたのが可笑しくてよく覚えてる」
ハバードが思い出したように声を立てて笑った。
「あの時のお前の醜態ったら、珍しいからしばらく話題になってたぞ」
「恥ずかしいな…。僕は酔ってたから全然覚えてないよ…」
その時の二の舞は踏まないようにしているのか、チビチビと加減しながら口にしていた。
「私も覚えてます。警備隊の方々が家にやってこられて何事かと思ったら、あなたが空の瓶を2本抱えて、土産だって大騒ぎして…」
サシェルがクスクスと笑いを零す。
その笑みは昔のままだ。可憐な花のようで守ってあげなければすぐに散ってしまいそうな透明感のある笑い方はいくつになっても変わらない。
年齢を重ねると人は図太くなっていくものだが、サシェルは以前と同じように繊細で、美しい。
それもダエンがしっかりと家を守ってきたからに他ならない。

ギエンが、見つめ合って笑う二人に視線を投げる。
何故か、胸の辺りがほんのりと暖かくなった。
「…?」
胸に生じた違和感に、無意識の内に手を当てる。

二人を見つめ表情を和らげるギエンの様子を見て、ハバードが笑みを深めた。
「そういえば、ダエンが珍しいといえば、警備隊長に選ばれた時も酷かったな」
「あぁ、あの時の!」
ダエンも同意して苦い声をあげる。
ミガッドが何かと問うようにダエンを見上げれば、
「当時、もう一人候補がいてな、そいつとずっと険悪な仲だったから大喧嘩して、あまりダエンはそういうイメージないだろ?凄い騒ぎで二人とも謹慎になって、別の候補者が隊長になるべきだって話も出るくらい、とんだ騒動だったんだ」
代わりに答えるようにミガッドに教えた。
「へぇ…父さんが?」
意外そうにミガッドが視線を投げる。隣のサシェルが苦笑いを浮かべていた。
「相手もぶち切れて、こんな国出て行くって言って、その後、本当に出て行ったけどな」
思い出したようにハバードが笑い声をあげる。
「すげぇ自由だな…。誰だ?」
平民出身は縛られるような家が無い。そういう部分は憧れでもあるが、相当の苦労もする。
ギエンの質問に、
「お前は多分知らない奴だな。今まで知名度が無かった奴なんだが、一時期トスト地区に魔獣の集団がやたらと出没する時期があって、それで一気に名が売れて隊長候補になったんだよ」
記憶を探るように宙を見て言った。
「そいつに興味あったのに残念だ」
ギエンの言葉に苦笑を返し、
「気が合わねぇと思うぞ。あいつの気性の荒さったら相当だからな」
残念だったなと茶化すように付け加えた。

「結局、父さんが隊長に選ばれたのは、候補の相手がいなくなったから?」
「いや、違う。その後、ダエンが関わった人全員に謝罪して回ったんだが、その事後対応の良さが評判になって、それで隊長に相応しいってなったんだ。
決して運じゃない」
ミガッドの心配を払うように、ハバードが言葉を足した。
「実際、ダエンの実力も剣、武術だけでなく魔術もオールラウンドに何でも使いこなせるし、騎士団の上層部は別にしても、その辺の騎士団じゃ太刀打ち出来ないんじゃないか?」
さらりとダエンを褒め契った。
それを聞いて嬉しそうにするミガッドだ。

やはりというか、ギエンはハバードという男を感心していた。

昔はあんなに厄介でうざったい男でしか無かったというのに、随分と立派な男になったものだ。こうも躊躇いもなく褒め称えられるという事は、余程自分にも自信があるのだろう。そうでなければ出来ない事だ。

ハン家の次期当主と呼ばれるだけあって、周囲との調和力や相手への言葉選び、それだけでなく、その地位に相応しい所作は目を瞠るものがあった。

「全然だよ。君に褒められると照れるよ…」
ダエンが運ばれてきた料理を切り分けながら、恥ずかしそうに謙遜した。
その様をじっと見るギエンの視線に気が付いたように、ダエンも視線を返す。

「…」

お互いに睨むように見つめ合ったまま、僅かな時間が過ぎた。
二人の睨み合いに気が付いたハバードが軽く咳払いをして、
「そういえば、ミガッドは彼女とは上手くいってるのか?そろそろ結婚話が出てもいいだろう?」
唐突にミガッドに話題を振った。
ぎょっとしたミガッドが、
「いや、…ティアは、…その…、…」
しどろもどろになって、俯く。
「前に言ってたユイの娘?」
ギエンの言葉にハバードが頷いた。
「ユイの娘なら美人だろ。懐かしいな」
何気なく言ったギエンの言葉に、
「君は美人が好きだからね」
ダエンが貶すように相槌を打つ。
「…」
無言になるギエンに冷たい視線を送って、
「事実じゃないか。僕が知る限りでも、君の彼女だった子は全員美人だろ。特にサシェルと同じ淡い茶色の髪の、大人しい感じの子がタイプじゃないか」
はっきりと遠慮も無く言った。
サシェルがドキッとしたようにギエンの顔を窺い見る。それから心配そうにダエンに視線を送った。
「…別に選んだつもりでもねぇけど…、何か問題でもあるか?生憎、人妻には興味ねぇから安心しな」
乱雑に鶏肉料理にナイフを入れる。それをフォークで刺して口に入れた。
ハバードがちらりとギエンを見た後に、ダエンに視線を投げ、所在なさげに縮こまるミガッドを見遣る。

この二人のどこが『親友』なのかと頭痛がしてくるハバードだ。
喧嘩なら他所でやれと心の中で愚痴って、ひっそりと溜息を付く。

「どうだか…!昔から君は女関係がいい加減じゃないか。ユイだって結局すぐに別れて」
「うるせぇ!ユイはてめぇの彼女でもねぇだろうが!」
大型犬同士が縄張り争いでもするかのように、二人が視線を絡めたまま火花を散らす。
「僕は!サシェルがその度にいつも泣いているのを見て来たんだ!
君が帰って来て、また荒波が立ちそうで嫌なんだよ!サシェルが悲しむような事を君はいつもしでかす!それが嫌なんだ!」
「…またそれか」
うんざりしたように呟いたギエンが無表情になる。先程までの熱は嘘のように下がり、鮮やかな蒼い目が興味を失せたようにダエンから視線を外した。
鶏肉を一切れ口に入れ、特に何の感情も籠らない顔で咀嚼して飲み込む。

そうして。

顔をあげて、
「ダエン。俺はお前に言ったよな?お前の妄想を押し付けんな。
誰かが悲しんでるとしてもそれは俺のせいじゃねぇし、俺が今日この場にいるのはミガッドと話をするためだ。お前とじゃない」
冷静さに欠くでもなく、ダエンを見つめたまま静かに告げた。

場が静まり返る。
食器の音すらせず、重たい沈黙が支配した。

重苦しい空気の中、
「なんで…、今更、…」
ミガッドが耐えきれないように、小さく呟く。
「何で今更、帰ってきたんだっ!俺の父親はダエンであんたじゃない!」
フォークを握り、ギエンを見つめ叫ぶように言い放つ。
「あんたが帰って来てから家族の空気が悪くてうんざりするっ!!」
全ての言葉を言ってから、ハッとしたように口を噤む。
対するギエンの表情は先程と同じように変化も無く、何の感情も宿してはいなかった。
「あまり強く言いたくはないけどな。空気が悪いのは俺のせいじゃない。ダエンやサシェルがそうさせてるだけだろ?俺はお前に面会を求めたでもない。昔みたいに一緒に出掛けようと誘ってもいない。お前に俺の息子であれ、と強要したこともないだろ?もう結婚も出来る年齢だ。よく考えて発言しろ」
空になった皿をテーブルの端に置いて、口直しをするように果実酒を飲み干した。
ナプキンで口を拭い、
「関係修復を期待してる訳じゃない。書類上、ミガッドはダエンの子だ。血の繋がりがあってもオール家でもなければ、俺とは何の関係もない。だから好きに生きればいい。
ただ俺にとっては大事な息子だから顔を見たいと思うし話をしたいと思う。それだけだ」
「…」
ただただ素直なギエンの言葉に、ミガッドが俯いた。
しばらく無言が続いた後、小さな声で、
「すみませんでした…」
謝罪した。

一方的な酷い言葉だった事は重々承知していた。
言う通り、ギエンのせいではないだろう。
上目遣いでギエンを見るも、ギエンの視線は既にミガッドには向いてはいなかった。

粛々と食事を進め、食後のデザートを食べ終わる頃に、
「さっきは酷い事を言ってすみませんでした。俺のただの八つ当たりです」
ミガッドが初めて、自分からギエンに声を掛けた。
「よくある事だ」
ギエンの短い返事に、
「明日は決闘だと聞きました。俺は何を言われても大丈夫なので、怪我の無いように気を付けてください」
ミガッドは勝って欲しいとは言わなかった。

喧嘩の発端も既に噂になって聞いている筈だ。
それでも、ただ怪我の無いように、と言った。

それが僅かに意外で、
「…ありがとう」
答えに困り、無難に礼を言う。


二人のやり取りを、ダエンやサシェルが黙って見守っていた。
食事が終わり席を立ち、帰る段階になるまでに、ギエンとミガッドが交わした言葉はそれだけだったが、
「良かったな」
ハバードがギエンの肩を叩きながら、自分の事のように嬉しそうに笑みを浮かべる。
「…感謝はしねぇって最初に言っただろ」
帰り支度をしながら照れ隠しのように呟くギエンの肩に手を回し、
「旨かったろ?鶏料理。黒鶏で有名な産地から取り寄せた。あの独特の歯ごたえはあの鶏ならではだぞ」
自分が調理した訳でもないのに誇らしげに言った。
「馬鹿らしい。ハン家の財力は俺の為にでもあんのか?」
鼻で笑って答えるギエンに、ハバードが大きく笑う。
「お前にいい物を食わせてやろうと思ってな。次は嫌いな鹿を出してやるから期待してろ」
「勝手にしろ。そういえばパシェ、…俺の世話役が言ってたな。鹿料理こそ、料理人の腕前が分かるってな。お前の自慢のシェフがどれ程の腕前か、見てやるよ」
二人がまるで親友のように、肩を寄せ合って冗談を言い合う。

ダエンが使用人から渡されたコートを羽織りながら、そんな二人を見つめていた。
決して仲が良かったとは言えない二人の筈だ。
それなのに。

あれから15年も経っているというのに、今でも色あせる事なくギエンの好みを覚えているハバードに何故か胸がざわつく。
ギエンと知り合ったのは自分の方が後だが、その後ギエンといた時間はハバードよりも長い筈だ。ギエンの事はハバードよりも余程、知っている。
なのに何故。

ハバードがそんな風にギエンと接しているのか。


二人を見る視線に僅かに苛立ちが宿る。
それを不思議な気持ちで見つめるミガッドだった。



2021.02.25
あらぁ。気が付いたら18話…。
いまだに誰かと引っ付く気配もないって逆にスゴイ…(笑)BLサイトにあるまじき事態…(笑)

ところでストーリーに書いてないけど、ミガッドの「勝って」とは言わない台詞は深読みするとただ単にギエンの力を信じてないという心の表れ(笑)。ギエンは捻くれつつも素直だからポジティブに受け取る(笑)。
それに対してハバードの「負けるわけにはいかない」はギエンの強さへの信頼の表れ、だったりするのだ!(^^)!本当はもう少し二人の対比をハッキリさせたかったですが、まぁ匂わせ程度がいいですよね(笑)。
ダエンだったら何だろうな。強いギエンをすぐそばでずっと見てきたのがダエンだから、言うとしたら「相手を怪我させるようなことは止めてくれ」かもしれない(笑)。
でも右手の事を知ってるから、ちょっとギエンの強さへの信頼は揺らぎそう…。
ギエンを理解してるつもりで何も分かってないのがダエンなのだ(笑)。(ーー;)

拍手・訪問ありがとうございます(*ノωノ)‼‼‼励みになります(*ノωノ)‼‼‼

そろそろセインの方も更新したいと思ってます(笑)。
    


 ***19***

翌日の朝は指定された決闘の日であったが、ギエンの様子はいつもと同じで特に気負っているでも、怖気づいているでもなかった。
パシェの用意した服を普段と同じように着て、優雅に椅子に座り紅茶を啜る。

傍らに立つパシェに、
「俺の世話ばかりしてるが、自分のデートの支度は出来てるのか?」
逆に心配の声を掛けるくらい、いつも通りだった。
約束の日は明後日だ。十分に時間はあったが、
「そうですね、まだ何もしてません」
そう答えれば、
「なら、…今日か明日にでも一緒に出掛けるか?俺がいたら買いにくいなら休みを…」
「いえ、一緒にお願いしてもよろしいですか?」
ギエンからの誘い言葉に対し、食い気味にお願いをしていた。
珍しいパシェの反応にギエンが視線を上げる。それに気が付いたパシェが、言い訳でもするかのように、
「私は女性に個人的な贈り物をするのが苦手で、一緒に選んでいただけると助かります」
言葉を付け加える。

決闘を前に一番、落ち着きを無くしているのはパシェかもしれなかった。
テーブルの上に置かれたお盆の縁を意味もなく触ったり、ミルクピッチャーや砂糖の入ったガラス瓶の位置を直したりしていた。

ギエンがパシェのせわしない手元を見てから、お盆に視線を落とすグレーの瞳を見上げる。
いつもはしっかりと整えられて耳の後ろに掛かる白銀の髪が、はらりと目元に掛かり、まるで寝起きのように横髪が跳ねていた。蝶ネクタイが僅かに曲がり、気もそぞろなのが露わで、
「ふふっ…」
思わず笑いを零すギエンだ。

きょとんとするパシェを見つめたまま立ち上がって、
「パシェ。俺は大丈夫だから落ち着け」
跳ねた髪を手で撫で付けて押さえる。それから乱れた前髪を耳に掛けてやって、
「じゃあ今日、午後は俺とデートな。お前に似合う服を買ってやる。俺の財産も戻ったし気兼ねなく買えるだろ?」
あの夜と同じように、ふんわりと優しく笑った。
「…っ」
その表情にドキッとさせられるパシェだ。
別の意味で落ち着きを無くす心臓が、うるさく鳴り響く。

そんな心情を知る由もないギエンが、何気ない動作でパシェの顎を持ち上げ、宥めるように軽いキスを頬に落とした。
「怪我はしねぇから安心しろよ」
耳元で落ち着いた低い声がそう囁く。
「くれぐれも、お願いします」
囁かれた耳を手の平で押さえ言葉を返せば、ギエンが僅かに寂しそうにほほ笑んだ。

ギエンの力を信じていない訳じゃない。ギエンの事は信じていた。

だが、ゼレルは仮にも王族騎士団の副団長だ。決して、勢いだけで決闘を申し込んでくるような口だけの男ではない。
パシェ自身は騎士団の実力がどれほどのものかはよく分からないが、それでも魔獣狩りや野盗狩りに出向き、常に無傷で帰ってくるような集団だということは知っている。

城内だけでなく、城外でも決闘に関しては噂になっていた。
今回の決闘に関しては、いくら過去に名を馳せたギエンでも彼には敵わないだろうという見立ての方が強かった。ギエンがその実力を持て囃されたのは15年も前の事だ。あれから剣術にしろ魔術にしろ進歩し、当時とは様々な面で技術力が違う。
ギエンが英雄だったのは『過去の事』であり、今の時代では騎士団のトップクラスの実力ではあっても、トップにはなれない、というのが大多数の意見だった。

古くからギエンを熱狂的に信じていた人も中にはいて、彼らはギエンの勝利を信じて疑わない。だが、それも盲信故の発言とされ相手にもされずに終わる。
裏では勝敗に関する賭けまで行われ、穴場狙いでギエンに多額を払う輩までいた。

パシェにとって、街の人々のギエンに対する評価はどうでもいい事だったが、その評価は不安を煽るのは確かだ。勝敗はどうであれ、これ以上傷を増やすような事態にだけはならないで欲しいと願っていた。
ゼレルの怒気は凄まじく、未だに彼の怒りが治まる気配は無いと聞く。何かあれば軽い怪我では済まないだろう。

知らず、ギエンの服の裾を掴み強く握る。

パシェの取った無意識の行動にギエンが視線を移し、それから何かを考えるようにパシェの目をじっと見た。

小さく溜息を付き、
「そろそろ時間だな。行くか」
短く言って、パシェの掴んだ裾の手をそっと外す。
「あ、…申し訳ございません」
無礼な行為に気が付いて謝罪するパシェに流し目を送って、
「お前って…、意外に思ってることが分かりやすいのな」
ふっと小さく笑む。

歩み出すギエンの後ろ姿には何の躊躇いも無かった。何があっても折れる事の無いギエンの強さが滲み出る。
その姿に、勇気づけられるパシェだ。

例え何があろうと、主人であるギエンを支える。
それが自分の仕事だと気を引き締めて、後を付いていく。ギエンが堂々としているのだから世話役の自分が心配してどうするんだと、心を入れ替えた。


ギエンが決闘の場として指定された訓練場に辿り着いた時には、既に大勢のギャラリーがいる状態で、ほとんどが訓練生であった。中にはミガッドやハバードもいて、場の結末を見守ろうと来ている高官もいる。
白魔術に関しては王族の右に出る者はいないため、治療師2人とは別に、第一王子が待機していた。

先日の喧嘩で怪我を負った三人が、対戦相手となるゼレルのすぐ傍でやってきたギエンを睨むように視線を送る。ゼレルも彼らの視線に気が付き、ギエンを見た。

「パシェ。見たくなければ部屋に戻っていろ」
付いてきたパシェに短く伝え、上着を脱ぐ。
褐色の肌が透けるシャツは、普段からギエンが着るシャツで決して戦闘用でも何でもない。動きやすいように首元のボタンを外し、胸元を開く。袖を捲り上げ、嵌めていた手袋を外してパシェに手渡した。
ギエンの上着を畳みながら両手で渡されたものを抱えたパシェが、先ほどまでの動揺は嘘のように真っすぐにギエンを見て、
「大丈夫です」
そう返事をした。
「そうか」
その眼差しを見たギエンが満足そうに小さく笑って視線を外した。

ゼレルの目の前まで行けば、ギエンが見上げる形となる。
ギエンを馬鹿にしたような半笑いで見下ろす男は身長190cm越えの筋肉隆々な体躯で、全体的にどっしりとしたでかい男だ。鮮やかな金髪に新緑を思わせる爽やかな瞳は甘いマスクに良く似合う色で、街では人気の美男子だろう。年の頃は20代後半でまだまだ若さ故の勇ましさがあった。
ギエンが決して軟弱な訳ではないが、ゼレルがでかすぎるせいで、二人が並べば二回りほど体格に違いがあった。

「立派な世話役まで付けて大層なご身分ですね。身の程というモノを教えてやりますよ。ギエン殿」
口元は半笑いを浮かべたまま、その視線には嫌悪が混じる。
嫌味の言葉を吐いて、ギエンを煽った。

決闘の仲介役となる男が剣を2本、持ってくる。
用意されたそれを受け取り、右手で持ったギエンに対し、
「その手でまともな剣が振れるんですか?」
目敏く傷の存在を視認したゼレルがそう指摘して、口角を上げた。
「君が心配することでは無いだろう」
言って、軽々と剣を振って8の字を描く。
「この手でも十分扱えるさ」
彼の挑発を聞き流す姿勢のギエンに腹を立てたようにぜレルが剣を強く握りしめた。滑り止め加工の施された革手袋がミシミシと音を立てる。
「随分と馬鹿にされたものだ。訓練生への暴行に対してもそうです。誇り高き騎士団の候補生をなんだと思ってるんですかね。貴方みたいに権力を振りかざす人がいるから、いつまで経っても平民が認められにくい」
「…誇り高い騎士団か」
ポツリと反復したギエンに、
「私は貴殿のような貴族が嫌いだ。特に特別待遇が当たり前だと思っている貴族には心底虫唾が走る。これはそれを証明するための名誉ある決闘です」
吐き捨てるように言って、距離を保った。
睨むような鋭い視線でギエンを見る男と、特に感情を露わにすることも無いギエンが相対する。

「お二人共、よろしいですか?」
仲介役の男が2人に声をかけ、集まったギャラリーにもっと距離を取るように指示を出す。二人を中心に、十分に安全な距離を保ったのを確認し、
「では、ぜレル・トーマ様から、ギエン・オール様への決闘を正式なものとし、双方これにより生じた事には何ら責任を負わない事を納得の上とし、執り行います」
右手を振り上げ、真っ直ぐに断ち切るように振り下ろす。
対峙する二人の真ん中を一直線に風が走り、開始の合図となった。


先に仕掛けたのはぜレルだ。筋肉で盛り上がった太股が踏み込んだ一歩は、物凄い速さの瞬発力を生み出す。二人の間には確かに距離があったはずなのに、一瞬でその間合いを飛び越え、ギエンの目前に迫った。
そのまま、横に薙ぎ払うように放たれた一閃をギエンが剣で滑らすようにして受け流す。それも予測済みのように立て続けに、ぜレルの猛攻が続いた。
「凄い…」
「さすがゼレル様だ…」
見ている訓練生の誰かがそう呟く。

力で圧倒するぜレルに対し、ギエンは柔らかな剣さばきでそれを防ぐスタンスで、傍から見ると防戦一方を強いられていた。
金属同士の擦れる不快な音が響き、時折甲高い音が鳴っては、二人が間合いを取り直すという状態が続き、数分は過ぎる。

巧みに剣を操り素早い動作で攻撃を繰り出すゼレルに対し、ギエンは特にこれといって目だった技は無い。ただ受け流し、ゼレルの攻撃を交わすのみだった。
ゼレルの一閃を受け止めた後、二人が同時に後ろへ飛びのいて何度目かの間合いの取り直しをした。
「逃げの一手ですか?それでは貴方の体力が持たないでしょう?」
互いに相手の小手調べの状態ではあったが、歴然と違うのはその筋力で、ゼレルはあれだけの猛攻をしても息一つ乱してはいない。
そればかりか、
「何か技があるなら出してみたらどうです?」
反応を見るように剣先を真っ直ぐギエンに向けて、挑発をした。

余裕の笑いを浮かべ、上から見下ろすように視線をよこすゼレルをギエンが見つめ返す。
その瞳には何の焦りも浮かんではいなかった。



2021.03.02
ね、…眠いです…。
おやすみなさい…(笑)

ハッ‼‼‼
拍手・訪問ありがとうございます(*ノωノ)
引き続き更新がんばります(笑)
    


 ***20***

二人が間合いを取り直す度に、息を殺すようにして見守るギャラリーが一息付く。
ぜレルの実力は当然のものとして、ギエンもやはり伊達ではないと改めて感じていた。防戦一方だとしても、あのぜレルの攻撃を防ぎきっているのは、さすがとしか言い様がないものだった。仮にギエンが負けを喫したとしても、皆が拍手でその健闘を称えるレベルだ。
逆に言えばゼレルの実力はそれほどまでに、評価が高いとも言えた。
大柄な身体から放たれる攻撃はやはり常人のモノとは異なり、一振り一振りに重みがある。それだけでなく、手足の長さやその体躯に反して俊敏な動きは郡を抜いているとも言えた。恵まれた身体能力に慢心することなく、鍛錬を欠かさない努力家でもあり、溢れんばかりの自信があるのも当然の結果であった。

「ギエン殿は精霊魔術と剣技の連術が巧みで、ある種の芸術だと聞いたことがあります」
言いながら、ギエンの顔目掛けて剣を突く。
それを横に避け逆に突き返せば、力強い腕が難なくギエンの攻撃を弾き返した。
「生憎、もう精霊は使えない身だ。諦めるんだな」
崩れたバランスを一瞬で立て直したギエンが姿勢を正し構え直す。劣勢にも関わらずぶれない剣先に、ゼレルの視線が鋭く尖り、表情から笑みが無くなった。
「いつまでその余裕が保てますかね。見物ですよ!」
最後には叫ぶように言って、突きの連撃を繰り出した。

本来なら槍で行う技だろう。長い手を活かした攻撃に、虚をつかれ、
「…!」
ギエンから僅かに驚きの声が上がった。
多少の怪我など無視する事にしたのか、ゼレルの攻撃に激しさが増していく。
「ッ…、ぅ…!」
剣先でそれを流しつつ避けるギエンから苦悶の声が漏れた。

突きを剣で流すには相性が悪い。弾き返すには腕力の差があり過ぎて、全てを流しきれずに二の腕に軽い切り傷が出来ていく。
後退しながら防ぐギエンの視界にチラリとミガッドが映り込み、それと同時にハバードの言葉を思い出していた。

「っち…!」
舌打ちと共に、大きく後ろに飛び退き、追い縋ってくるゼレルの一撃を、
「…ッ!」
横に構えた剣の柄で抑え込む。衝撃で地面を踏み締める身体ごと後ろへ押しやられ、手に重たい痺れが走った。
それを気力で抑え込み、踏み込んだ足で逆に押し返せば、
「ぅ…ぐ…」
さすがのゼレルも大きく両足を開き、動きを止めた。
「ふっ…、力比べだな」
剣を両手で押し込むギエンが僅かに乱れた息を整えるように息を吐いた後、片笑いを浮かべ言った。

その顔を見たゼレルの目に殺意が宿り、額に青筋が入る。
「小癪なッ…!」
叫んで力任せに横に払った。
勢いでよろめくギエンに、上から大きく振り被り切り掛かっていく。それを予測していたかのように両手で構えた剣で受け止め、踏み堪えるギエンだ。

一瞬。
二重層の魔術陣がゼレルの目の前に現れ、消える。
次の瞬間、
「っ…!」
ギエンの足元の砂が舞い上がり地面がひび割れるように足場が崩れた。バランスを崩すギエンに畳み掛けるように再度、ゼレルが剣を振り下ろす。二度目の陣が現れ、今度は振り下ろした剣から鋭利な水の斬撃が発生し、受け止めたギエンの頬を二筋、三筋と掠めていった。


自然の四元素を操る術は精霊魔術と言われるもので、人にもよるが発動の瞬間、空中で陣を描く者が多い。その規模は描く円の層が多い程、高度で強力な魔術となっていた。
個々人で得意な四元素というのはあるが、ほとんどの王族騎士団が剣術と共に精霊魔術を使いこなす。

ゼレルも例外ではなく、
「精霊魔術が使えないなど嘯いていないで、そろそろ本気を出したらどうですか?」
擦れ合う剣が互いの力でガチガチと金属質の耳障りな音を立てる。
ギエンの蒼い瞳を間近で見つめたゼレルが、怒りの籠った視線を向け更に押し込むように、剣を握る両手に力を篭めた。
「っく…!」
身長差を生かし上から地面に押さえつけられるように圧し込まれ、ギエンから苦しい息が洩れる。
抉れた地面が砂を巻き込み、足場が緩くなっていた。

「この程度の実力で…、やはり貴殿に特別待遇はふさわしくない。
我々が日々どれほどの苦労をしているか貴殿はご存知か?それでも特位の階級にはなれない。何故ギエン殿は復権し今の地位にいるのか全く理解出来ません。精霊魔術も使えない、剣技はこの程度で、尚更、親衛隊など許される訳が無い!」
余程、王が言った言葉が許せないらしい。ゼレルの緑の瞳にはあの時の事を思い出したかのように鋭い敵意が宿っていた。

それから唐突に軽蔑の色を浮かべ、
「ゾリド陛下と…、寝たんですか?」
ふっと鼻で笑った。
「ッ…!!」
ぐらりとギエンの足元が崩れ、膝を付く。
動揺を露わにしたギエンに驚きの表情を返した。
「まさか…、図星ですか。だからか…。
貴殿の葬儀もそれは盛大に行われて、まるで一国の主が亡くなったかのようでした。その後も拠点を度々変える獣人族の痕跡を熱心に探し続けて、今回の獣人族討伐です。かつての騎士団への仇討ちだとは思っていましたが…。
まさか陛下がそこまでギエン殿に執着していたとは…」
「王に…、無礼だぞ」
今まで涼しい顔をしていたギエンが眦をきつくして、言葉を返す。膝を付いたまま押し返そうとして、
「情人がッ…!」
「っ…!」
上から更に圧し掛かるように押され、身動きが取れなくなった。

「息子もですか。来年には騎士団入りが噂されている。でなければあれだけ精霊魔術が得意なバーテよりも評価がいい訳が無い。親子揃って、誑しのテクニックだけは立派なものですね」
「ッ…ミガッドは、関係ねぇだろーがっ!」
途端、蒼い目に怒りの炎が揺らいだ。
いつになく怒気を含む声がゼレルの言葉を遮り、
「何が…、誇り高き騎士団だ」
苛立った声が小さく呟く。

ゼレルが言葉を返そうとし、
「…!!!」
すぐに異変を察した。

彼が飛び退くよりも早く、ギエンの足元から黒炎が渦巻くように巻きあがり、ゼレルの身体を弾き飛ばす。
咄嗟に身を守るように胸の前で両手を組んだゼレルから苦悶の声が漏れた。衝撃で臓腑が痛み、悲鳴を上げる。呻くようにして片膝を付くも、瞬時の判断で防御の姿勢を取ったおかげで軽傷で済んでいた。
何事かと目を瞠るゼレルの視界に、黒い煙を纏ったギエンが今までとはがらりと気配を変えて立っていた。

「騎士団の誇りの為に穏便に負けてやろうかと思ったが、止めだ」
「何を…」
ゼレルの言葉に答えることなく、ギエンがだらりと右手で持っていた剣を左手に持ち変え、
「この右手でまともな剣が振れるのか聞いたよな?振れる訳ねぇだろ」
握った剣を斜め上から振り下ろした。
風圧でギエンの周囲を取り巻く煙が消え、その代わりのように再度、黒炎が大気を燃やすように立ち上がった。


黒い炎。
その正体を誰もが知っていた。
彼らの決闘を見守っていたギャラリーから、悲鳴にも近いざわめきが起こる。

俗に黒魔術と言われ、忌み嫌われる魔術だ。
その所以は実にシンプルで、精霊魔術が自然界に存在する精霊の力を借りて魔術を操るのに対し、黒魔術は精霊そのものの命を燃やす事によりエネルギーを発生させるためだ。

精霊自体の命を力に変えるため、そのエネルギー量は精霊魔術の比ではなく莫大な威力を生み出す。一方でその残酷さ故に神への冒涜とすら言われる魔術だった。
もっとも、全ての者が黒魔術を使える訳ではない。仮に使いたいと思ったとしても、ほとんどがその境地へ辿り着く事は出来なかった。
事実、黒魔術を扱える者は国でも魔術名家のゼク家、ほか数名が確認されている程度で、その具体的なメカニズムも判明してはいなかった。
精霊との余程の信頼関係か、余程の負の感情か。巷ではそれらが発動条件とも噂されていた。

ギエンに至っては、黒炎と共に青い火花が激しく散る。それは、強制的に精霊の命を燃やすが為の火花だ。
その禍々しい炎を纏いながら、
「精霊魔術を使えるから何だっつーんだ?」
驚愕するゼレルを見つめ冷めた口調で言った。
ゆったりと歩み寄りながら、素早い動作で剣を十字に切る。その途端、黒炎が爆発し黒い斬撃がゼレル目掛けて飛んだ。
「ッ…ぅ…!」
それを咄嗟に張った精霊魔術で打ち消そうとするも、放った水の斬撃は蒸発するかのように大気に霧散する。そればかりかそこから忽ち黒炎が上がり、爆風が吹き荒れた。
飛んできた斬撃を横っ飛びで避け、態勢を立て直す。

吹き荒れる黒煙の中、まるでギエンだけが無関係の世界にいるかのように、爆心地に立っていた。
「下らねぇ。何が精霊様だ。こんなもん只の燃料だろ」
黒い炎を映し込む蒼い瞳が無感情な色を浮かべ、呆然とするゼレルに言い放つ。
「何と…、罪深い…」
ゼレルの戦慄く言葉に、
「そうさせたのはお前らだ」
間髪入れずに返した。
「っ…、貴殿は、何を…ッ!こんな残酷な魔術は、我々、騎士団には似つかわしくないっ!」
歩み寄るギエンに刃を向け、迎え撃つ。
ゼレルの周囲に二層の陣が幾つも浮かび、水の斬撃と共に激しい突きを繰り出す。ギエンの懐に突っ込みながら繰り出す攻撃を、まるで赤子でも相手にしているかのように、軽やかに身を翻しながら軽く弾いていった。
「少しは本気で相手してやる」
冷笑を浮かべ、青い瞳に残忍な色が宿る。

ギエンの周囲を取り囲むように火花が連続音を立て、竜巻のように渦巻く黒いエネルギーが足元から巻き上がって全身を覆った。

その炎は普通のものではない。
発火の瞬間、一瞬だけ赤色が発生し、直後どす黒い炎が悲鳴を上げるように爆発的に巻きあがる。黒い煙と共に青光りが走り、炎の中を駆け巡っていった。
禍々しい炎の中でギエンが悠然と立ち、ゼレルを見つめる。深く濃い藍色の髪が風に煽られ顔に掛かり、ギエンの表情をより際立たせた。鮮やかな蒼い瞳が光を反射してより一層、鮮やかさを増す。

その美し過ぎる瞳が、まるで死を告げに来た使者のように、無感情で残酷な色を浮かべていた。




2021.03.06
決闘はサクッと1話くらいでまとめる予定だったんですが、なぜかこんなに長く…(笑)。
まぁ男らしいギエンをここらで魅せておかないと(笑)。主にミガッドに(笑)!

    


*** 21 ***