【男前受け,半ファンタジー,やや暗め】

 ***1『血だまりの楽園』***

真夜中であっても明りが決して消える事が無い繁華街から一歩でもわき道に逸れればそこは地獄だった。 強盗、強姦、殺人、何でもありの無法地帯がそこにはある。


入り組んだ細い路地は格子状に広がり、あらゆる場所へと繋がっていく。
下水から地下通路へ、そして高級住宅街まで繋がっているのだ。 もっとも、高級住宅街へと足を踏み入れた者は未だかつて存在しない。
彼らの世界はもっと異常なレベルにあり、繋がっていると言えど現実的には全く隔離された別世界であった。


母親が選べないのと同じように、生まれも選べるものではない。
そこで生まれた者たちは徒党を組み、日々争いの中でゴミを漁るように生きていくしかなかった。
集団を作る事でしか身を守る術は無いのである。


勿論、その生活には旨味もあった。
酒、ドラッグ、同姓間セックス、全てが許された世界では個々人の自由が最大限に尊重され、力さえあれば何でも好きなように出来た。
究極を言えば、いつでもそこから抜け出す事さえ可能であった。
その後に真っ当な人生を送れるかは別にして、その路地裏から脱出する事はいつでも可能なのである。
彼らがそれをしないのは自分の身分という物を身に染みて実感しているからだろう。

そこから出て。
一体何があるというのか。

貧しく身分証すら持たない彼らは結局、他の都市では生きる価値が無いのである。
見知らぬ土地で野たれ死ぬくらいなら、生まれた地で自由を謳歌して死んだ方がマシだとの考えの方が圧倒的に多い。


そんな死と隣り合わせの路地裏を彼らは愛を持って、こう呼ぶ。
『血だまりの楽園』と。



そして。
この路地での生き方を知らぬ者には死しか待ってはいない。



*****************************************



月さえ隠れた暗い夜に、怒声が響き渡った。
明りが無ければ顔の判別さえ難しいだろう。呻き声と共に血を吐き出す音が空気を揺らす。

「どうしてもというなら考えてやってもいいぜ」
血の付いた顔に歪んだ笑いを浮かべる。力なく地べたに横たわる男の顔を思いっきり踏み付けた。
「ほら、命乞いしてみろ。無様に泣いて喚けよ」
踵のある靴で何度も男の顔を蹴る。行為の激しさの割りには冷静な声で、まるで虫けらを見るかのように見下ろしていた。
鈍い音が暗い路地に響き、その度に血が飛び散って汚れたアスファルトを汚していく。
「…る…、さい…」
「あぁ?」
「屑が何か言ってんぜ?」
血と共に吐き出される小さな声に、辺りを囲む男達から嘲りの笑い声が上がった。 両腕で顔を覆って男からの攻撃に耐えていた彼が、再度同じ言葉を口にする。

震える呂律の回らない声で、
「許し、て…下さ、い」
搾り出すように吐き出した懇願は必死なものだった。
その言葉を聞いた男達がまるで勝利を得たかのようにいきり立つ。
「おねが、…い、しまっ…」
続く言葉を最後まで聞く事なく、男の背中を蹴った。
呻く彼に追い討ちを掛けるように、
「身包み全部剥いじまえ」
冷たい命令口調が言う。

顔面が蒼白になり震えだす彼だ。 痛む体に無勢の自分では勝ち目が無い。
大人しく為すがまましかなかった。


乱雑に衣服が剥ぎ取られていく。
素っ裸になった彼の体にライトを当てて何かを調べていった。
それを後ろで見ていた集団の一人が、
「なんだ、『白猫』じゃないじゃん」
一際明るく言った。
居合わせた男達が一斉にその声の主に道を譲る。
白い面に美しい白銀の髪が輝く。 その顔はまだ少年といっていいほど幼く、明るい無邪気な笑みが柔らかな印象を見る者に与えた。
慈愛に満ちた眼差しが優しく男を見下ろして、
「解放してあげなよ。一般市民を苛めちゃ駄目だよ」
透き通った声で彼らに言う。
まるで一筋の光が差したかのようにそれは優しいものだった。


「頭、でもこいつノコノコと俺らの…」
「無印は放っておけばいい。迷子を苛める程僕らは落ちぶれちゃいないだろ」
柔らかく優しい声が男の言葉を遮る。
頭と呼ばれたこの少年こそがこのグループのリーダーなのである。


裸にされ恐怖で震える彼が驚きの表情で少年を見つめていると、彼があろう事か屈みこんで顔を覗き込んだ。
「どういう経緯で君がここに来たのかは知らないけど、この辺は僕らの縄張りだからね。こんな所を歩いてる君が悪いんだよ。今後は気をつけてね」
にっこりと微笑んで優しい風に助言した。
「行き場に困ってるなら僕らのグループに入れてあげてもいい。どうする?」
口調はあくまでも優しく。けれどその目は全く笑ってはいなかった。

咄嗟に首を横に振る。
何故か後戻りできない恐怖が男を支配していた。
「そう…残念だな。
迷子なら繁華街まで送ってあげたい所だけど、僕のファミリーにならないならどうでもいいね」

少年が好奇心で虫を殺すような残忍さが。 いや、それ以上の無関心という残酷さがそこにはあった。
興味を引く存在ですら無い。それが無印という存在だった。

「間違っても猫の刺青をしたグループには入らないようにね。
君、殺すから」
背筋が凍るような脅し文句を付けて、彼らが去っていく。


所持品を全て奪われ、全裸で真夜中の路地に置いていかれる恐怖は計り知れないものがある。 例えそれが今まで暴行を加えていた相手であっても、未知の恐怖に比べたらまだマシな気がしてしまう。
「ま、待って…くれ…」
小さく震える声が彼らを呼び止める。


だが。


それに応じる者は誰一人なく、その声はまるで届いていないかのように暗い夜道に集団が消えていった。
一人残された彼が、これからどうなるのか分からない恐怖に震える。

寒い夜が恐怖を更に増長させ、陽が昇るまで彼は震え続けていた。





*****************************************





「んで?これ、どうしたんだ?」


震える彼がゴミ袋を衣服代わりにして徘徊するようになって2日目の事だった。
妙に明るい見知らぬ男から声を掛けられる。
『俺も無印なんだ!おいでよ』
気軽な、そんな言葉に気を許すのも無理はない。
『無印』という単語はたった2日の事でも彼にとって物凄く意味のあるもので、それだけがここでの絆を結び付けるものになっていた。


そうして連れてこられたのは人気の無い静かな場所にある洋館で、今にも崩れ落ちそうな大広間に明りの付かないシャンデリア、所々軋みを立てる床が歴史を感じさせる古い建物だった。
かつては名高い娼館として使われていたその建物も今ではただの廃墟だ。
もっともそこが彼らの住処となっているのだから廃墟とは呼ばないのかもしれない。


「ネコ、そんな冷たい言い方しないでよ!一人でうろついてたから連れてきたんだよ。彼も無印だからさ」
ネコと呼ばれた男が呆れた視線を投げた。
「お前の探知力には驚嘆する。よくもまぁ度々無印に出会えるな。この楽園だってそう狭くも無い筈だろ」
そう言って男がソファから立ち上がる。
ネコという愛称とはおよそ似付かぬ風貌で、歩けば床が抜けるのではないかと思うほど重く厳格な雰囲気を持っていた。
「ネコが引き付けてるんじゃない?」
彼の迫力に怖気る事もなく、明るい声が答える。
後ずさり逃げの姿勢を取った男の衣服、もといゴミ袋を引っ張って強引に自己紹介した。
「俺はケセ。君と同じで無印なんだ。つまりどこにも属さないグループだね。
こっちの男は通称ネコ、『白猫』のヘッドだよ。君の名前は?」
思わず聞き逃しそうになった単語は、ゴミ袋を羽織った男を更に暴れさせるに十分だった。
それを気にした風でもなく、掴んだ袋を巧みに縛り袋で暴れる男を拘束する。
「君…。名前は?」
にっこりと微笑みながら訊ねる声が僅かに低くなる。
ケセと名乗った彼もやはりここに慣れている者なのか見掛けとは違う裏側を持っていた。


袋で身動き取れない彼の背中に冷たい汗が流れる。
そうして意を決したように、緊張で強張る口が小さく開いた。

「っ…ス…」
「え?」
「ライ…ス」
小さな声が囁くように呟く。
「へぇ。ライス…」
軽い声が反復した。
それから大きな声で笑い声を立てる。
「ネコっ、ネコっ!ちょ、聞いた?ライスだって!ネコにライス!なんだかネコマンマみたい!」
腹を抱えて身を捩る。よく分からないツボに完全に入ってしまったケセが言葉にならない笑い声を上げていた。

クスリとも笑わないネコが冷めた目でそれを見下ろす。
「お前、マジで死ね」
地を這うような低い声に殺気が篭った。
それだけで全身から血が噴出すような恐怖を覚えるライスだ。
だというのに、ケセの笑いは一向に収まらなかった。

「こいつ、最低で悪かったな。まぁ無印同士仲良くするといい」
そう言って二人の間を通り抜けるネコを呼び止めるケセだ。
「ネコどっか行くの?」
ピッと小指を立てて答えるネコに、涙を拭きながらのケセがニヤリと笑った。
「なんだ、いつもの見回りね」
「うるせぇよ」
ケセのからかいの言葉に素っ気無い声が答える。
一見いがみ合いのような二人が、本当は信頼しあっているのが僅かな会話からでも窺い知る事が出来た。



艶やかな黒髪に刺すような鋭い黒目、白猫というよりは黒豹のような彼が音も立てずに階段を降りて行く。
その背中が見えなくなって、ようやく息を抜くライスだった。

「ネコはあー見えて優しいから安心していいよ」
笑っていたケセが真剣な眼差しで彼に言う。
縛った袋を解きながら、
「無印でも匿ってくれるのはネコだけだ。他のどのグループも無印には無関心だからね。それが救いだけど…」
そう言って小さく笑った。
「何かあったら無印である事を言い訳に逃げるといい。まぁこの界隈はネコの敷地だから余所者は来ないし安心していいよ」
解き終わったケセがライスをその場に置いて廊下に接するいくつもの部屋の一つに入っていった。
どうしたらいいか分からず袋の端を引いて包まる。

しばらくの後、部屋から出てきたケセの手には綺麗に折り畳まれた洋服があった。
「サイズが合うか分からないけど、どうかな?」
驚くライスにそれを差し出した。
中々手を出さないライスに、
「袋のままがいいなら無理強いしないよ」
ケセが笑いながら言う。
その揶揄は彼の緊張を和らげるには十分で…。


ライスの腫れた目に涙が浮かんでいく。
訳も分からずここに来て、いきなり酷い暴行にあって。
右も左も分からずに一人で生き抜くには全てが怖すぎる出来事だった。
恐怖の感情しか無かった心が解れていく。


嗚咽を零して泣くライスをからかう事なくそっと抱き締める。
傷が痛くて苦しいのか、涙で苦しいのか分からなかった。


■━━━━━━後記━━━━━━■
 2014.05.29




 ***2 『路地裏』***

『無印』という仲間になって1週間が経つ。
洋館に住んでいいという事で部屋を1室貰ったライスだったが、自分が何をすればいいのか分からずにいた。

慌しく出たり入ったりするケセに付いて行けばいいのか、それともネコに従うべきなのか。
そんな事を思いながら、部屋の前を掃除していた時だった。


ドアが軋みを立てて開くと同時に大きな話し声がライスの耳に届く。
吹き抜けになっている廊下から下を覗けば、ネコとケセ、それに見知らぬ男たちが数人一緒に入ってきていた。

「いい加減、あいつらどうにかしないと図に乗るぞ」
ズボンのポケットに両手を入れた男がイラついた声で言う。
ネコがチラリと振り返って視線を送った。
「あいつはこっちの敷地には来ないから放っておけ。見た目ガキみたいだが冷静なんだよ」
まるで興味が無いかのように軽く答える。それを黙って受け流す余裕が無い男だ。
「ふざけんなっ!てめぇは被害にあってねぇからッ…!」
強引にネコの腕を引いて振り向かせる。

その男の手を払いのけるのはネコではなくケセだ。
「ネコに乱暴な態度は許さないよ」
手を叩かれた男が怒りも露わにケセを睨む。
「無印がっ!」
胸倉を掴んで凄めば、ケセより上背のある男の方が体格的にも遥かに有利に見えた。
耳に幾つもぶら下がるピアスが金属質な音を立てて激しくぶつかり合う。今にも殴らんばかりの勢いで睨む男に対し、ケセは至って冷静だ。
「俺は無印だけど、ネコをヘッドとして尊敬してるし友達だからね。
友達に乱暴な態度をする人は許せないんだよ」
優男風のケセは見掛けによらず強情だった。決して脅しが通じる男ではなかった。
「本当に不愉快な奴だな」
掴んでいた胸倉を放り投げるように離す。

二人の言い争いを冷ややかに見つめるネコだ。
「喧嘩するなら外でやれ。
ワン…、お前の周辺が被害にあったのは聞いたよ。それに関しては気の毒だったと思う」
ワンと呼ばれた男に右手を差し出す。
思わず手を出すワンの手を掴んで引き寄せた。


ふわりとネコ独特の気配がワンの身体を包み込む。
強引に抱き締められる形になって、ワンの体が咄嗟に強張った。
「お前の妹なんだってな。悪かった」
ネコの声に変化はなく、表情もいつものような無表情なのかもしれない。
なのに耳に当たる吐息がやけに熱くて、不思議な感覚に陥る。

「俺らの敷地外では特に注意して行動した方がいい。

最近は『赤虎』の勢力も強くなって『猫』狩りが激しいからな」
スッと身を離したネコが居合わせた彼らを見てそう忠告する。
「お前ら、ちゃんと下に通達しておけよ」
突然無くなった熱に困惑するワンだ。
そんなワンの動揺を他所に、
「弟だから遠慮してるんですか?」
小さな声がそうネコに訊ねた。


ネコより10は若いだろう。
少年から青年に差し掛かった彼の目にはワンと同じように僅かな怒りが混じる。
ネコがお手上げのように両手を上にあげた。
「別に否定しない。
あいつは俺を殺したいんだろうけど、俺はそうじゃないからな。気に入らないなら『猫』を抜けろ。それだけの話だ」
突き刺すように、彼の胸を人差し指で突いた。

勢いで後ろによろめく。
途端、泣きそうに顔を歪めた。


キッと睨んだ彼が唐突にシャツのボタンを凄い勢いで外していき、胸をネコの眼前に晒す。
「俺は…!

ずっと付いていくって決めたんだ、絶対に抜けたりはしないっ!この猫に誓って!」
自分の胸を指差す彼が大きな声で宣言する。
そこには猫の刺青がまるで生きているかのように刻まれていた。



静かな沈黙が流れる。
それを破るように、
「悪かった」
小さな謝罪の言葉がネコから返ってきた。

驚く彼らの前で、ゆったりした動作で屈み込み彼の胸元にキスを落とす。
開いたシャツのボタンを止めていきながら、
「お前の覚悟には敬意を表するよ」
静かな声がそっと感謝の気持ちを示す。
それだけでウルウルと潤んだ目を向ける純粋な男に、参ったように首の後ろを触っていた。

「何なら私もアオイと同じように猫の刺青見せましょうか?」
からかいの言葉を投げるのはずっと静観していた男だった。
年は40代前半くらいで、丁寧な言葉遣いと同様にいつでもスーツという変わった身なりの男だ。
「勘弁しろよ」
ネコにとっては頭の痛い一人でもある。
『白猫』の頭脳とも言える存在で有能な男には間違いないが…。

「だってネコはそういうのがお好きなんでしょう?」
言いながらズボンのベルトを外す。
「シノ…」
「おい、シノ!」
見守る面々の制止の声も聞かずにチャックを下ろし始める。
ボタンを外そうとする男の手を強引に止めるワンだ。
「何を見せる気だ!変態!」
ワンの文句も尤もで、
「何って、決まってるでしょう。ネコにだけ見せたい所ですが皆さんも特別にいいですよ」
ニッコリと満面の笑みを浮かべてそう言い切る彼は確かに変態そのものだった。


ネコがいつの間にか、僅かに距離をとっていた。
「シノ、お前の忠誠心は十分知ってる。だからズボンを履いていつもの格好いいお前でいてくれ」
「そうですか?ネコがそう言うなら」
大人しくチャックを上げてシャツを仕舞う。
ベルトを巻き、いつもの紳士然とした男へとあっという間に戻っていった。
「満足ですか?ネコ」

これがシノなりの場の和ませ方なのかもしれない。
が、ネコのひっそりとした溜息を見逃さないケセが同情するように肩を軽く叩いた。


それから唐突に、
「あぁ、そうだ。彼を紹介しておいた方がいいんじゃない?」
パッと階段の方を見上げる。
そこには固まったまま、成り行きを見守るライスの姿があった。


その後。
再び言い争いになった事は言うまでも無い。




*****************************************



「水の場所と主要の道路だけはしっかりと覚えとけ」
言い争いになった場から逃げ出すように連れ出されたライスは、ネコに道案内をされていた。


洋館を出て、右左へと道を曲がっていく。
塀に囲まれた古い道が延々と続き、どこを歩いても似たような景色だった。
たまに大きな建物を通り抜けて裏口からまた別の路地裏に入ったりする。

そうして行き止まりに到着してようやくネコが止まった。
「覚えたか?」
振り返ったネコの第一声はそれだった。


正直に言って、ライスは全く覚えられなかった。
最初の数分は問題ないだろう。
洋館から1本に伸びる道を真っ直ぐ来て、突き当たりを右に曲がっただけだ。
そこからは2本,3本と分かれる細い路地を行ったり来たりで、戻っているのか進んでいるのかさえ怪しくなる。一見交わるように思える道も、急にカーブを描き逸れていく。
これで迷子になるなという方が無理だった。

素直に首を横に振るライスをネコが驚きの表情で見下ろした。
「このくらい簡単に覚えられるようになれ。じゃなきゃ一生金魚の糞だぞ」
ライスの横を通り抜けたネコが来た道を戻っていく。
進行方向が変わるだけで、分からない道が更に分からなくなった。
いや。ライスにしてみればどこを通っても同じ風景で変わりがない。

印象的なのは途中の大きな工場を通った事くらいだった。それも、内部構造が複雑でよく分からなかった。

「路地で迷ったら帰れなくなる。一発で覚えろ」
ネコは簡単に言う。
それもそうだ。『白猫』のリーダーである最大の理由はそこにあると言ってもいい。
ネコの空間認識能力の高さは普通じゃない。
一度通った道はほぼ完璧に覚え、ネコが道に迷うという事は皆無といっていい。
たとえ知らない道でも引き返せば完全に帰る事が出来るネコは迷子の末、命を落とすという事はあり得なかった。
実際の所、この楽園を一人でウロウロして繁華街まで行ったり来たり出来るのはネコくらいかもしれない。そのくらいネコはあらゆる道を把握していた。



再び洋館まで戻ってきたネコが再度方向を変えてやり直す。
「突き当たりを右だ。ここまでは分かるだろ?」
申し訳なくて、ライスが小さく縮こまって頷く。
両脇を塀に囲まれた細い道を進み、古びた小さな店の手前で左に曲がった。
「分かりやすいだろ?」
塀の切れ目を叩いて、かつてはタバコ屋だった店の看板を指差す。
「この店を通り抜けて塀を越えると隣の路地に出るから、その正面の建物が第2の給水場所だ。そこも水が使えるからな」
簡単な説明をして、次へと進んでいった。
次に現れる最初の分岐を真ん中へ、そして右、右、建物を通り、分岐を…。
後は訳が分からなくなり、頭の中は混乱の渦だった。

「あ、あの…」
ライスの呼び声に、ネコが不思議そうに立ち止まる。
見つめてくる黒い目に恐縮しながら、
「無理です」
素直に言った。
「…」
無言になったネコが弱ったように耳たぶに触れて摘む。
しばらく考え込んで、
「慣れだ、慣れ。がんばれ」
出てきた言葉はそんな無責任な励ましだった。
「あの、でも俺…」
生まれが楽園ではないライスが複雑な地形をすぐに覚えられないのも無理はない。
だが、ネコは甘やかしたりはしなかった。

「何度も通れば特長が見えてくる。同じように見える塀も汚れや欠けが違うだろ?
建物も同様だ。お前にもいずれ分かるよ」
再び歩き出した。

さっきと同じように工場の正面から入って別の路地裏に出た。
「もし誰かに追われたら、無闇に建物には入らない方がいい」
まるでライスの考えを読み取ったような言葉だった。
「建物内部は一見分かりにくいし身を隠しやすいように見えるだろ?でも閉鎖されてるドアも多いし、実際に通れる所は限られてるんだ。塀もな、出口が無かったりする。お前が確実に逃げ道を確保出来るので無ければ路地を逃げた方が懸命だ」
何も知らないライスにしてみれば、ネコの言葉は絶対だった。素直に頷くしかない。


再び行き止まりまで来る。2m程の高さのある塀はとても越えられそうにない。どうする気かとネコを見つめていれば、立ち止まったネコが振り向いてライスを見た。
「このくらいなら2人いれば乗り越えられるが、一人の時は詰みだ。

楽園じゃこういう行き止まりは珍しくない。だから俺らの敷地内でも絶対に一人では行動するなよ」
壁に寄りかかって忠告する。
それから珍しくニッと笑って、
「ここからは下を移動するのが便利だ」
地面を指差す。
「下?」
ライスの疑問の声にネコが小さく頷く。
屈みこんで、地面にある四角い鉄製の蓋を開けた。
「ここを通ると向こう側に出れる。初心者のお前には安全かつ無難な道だ」
入れと言わんばかりに親指を下に向けて暗い穴を指差した。
「む、無理、無理!」
「いいから」
背中をぐっと押される。

それ以上駄々を捏ねる訳にもいかず、壁に服が付かないように錆びた梯子を伝って何とか下まで降りた。


昼間にも関わらずそこは暗闇の世界だ。
ネコが持っていた小型ライトを付けて左右を照らす。明りの中、ライスの目前に円形に切り抜かれた道が照らし出された。


想像以上に広く綺麗な通路だった。
地面は濡れておらず、嫌な匂いも無い。かつて水が通っていた跡だけが残っていた。
「こっちだ」
手招きするネコに付いて歩くこと、3分程度だった。降りた時と同じように梯子を昇って地上へと出る。そこは先程とは違い僅かに開けた道路で、ゴミ捨て場が道端にあり人の気配のする路地だった。
思わずライスの口から安堵の溜息が出る。それを聞き逃さないネコだ。
軽くライスの頭を叩く。
「痛っ!」
「人がいるって事は用心しろって事だ。楽園じゃ人のいない道の方が安全だったりするものだ」
そう言って歩き始めてすぐの事だった。


脇道から突然、柄の悪い集団が現れ進路を塞ぐ。
鉄パイプを持った男達がタバコを銜えたまま、二人をジロジロと見回した。
「洋館の無印か?」
集団の中でもリーダー格っぽい男がネコに訊ねる。
それに頷いて、
「すみません、後ろのは無印の新入りです。ネコさんに頼まれてA地区の薬屋に行く途中なんです」
ネコ本人があろう事か身分を隠して申し訳なさそうに頭を下げた。
後ろに隠れるライスが驚きの表情をするも、彼らからは見えていないから幸いだ。
「わりぃけど、ハイそうですか、で通す訳にはいかねぇんだよ。ここはネコの敷地だからな、何かあったらネコに申し分が立たねぇ」
ネコ本人を知らないのに、ネコを守る子分というのは奇妙なもので。

それだけ『白猫』にカリスマがあると言える。
彼らは『白猫』を作ったネコ自体を尊敬し、ネコの側近である男たちの言葉を忠実に守っているのだから大した忠誠心だった。

「ですね」
ネコが軽く答えてライスを彼らの前に押し出す。
呆気に取られるライスを促すように顎をしゃくって、
「全部脱げ」
短く命令した。
すぐにネコの意図を察するライスだ。早い話、無印かどうかチェックするという事だろう。
シャツの合わせを開き、躊躇う事なく下着一枚になった。
両手を広げたライスが、
「下着も脱いだ方がいいですか?」
彼らに訊ねる。
中々肝の据わった態度にネコが感心したように頷いた。
「分かった。通っていい」
金髪の男が服を着るよう指示して道を譲る。



ライスが服を着ている間の出来事だった。
男がネコの腕を引いて、
「…」
軽くキスをした。
思わず着替えの手が止まる。

よく。
あのネコが大人しくしているものだ。
驚いていると、
「ニコ、帰りでいいからたまには一杯付き合えよ」
「そうですね、暇だったら寄らせて頂きます」
そんな二人の会話が耳に届く。
ネコが当たり障りの無い会話を交わし、彼らに丁寧にお辞儀した。


ライスが着替え終わるのも待たずにさっさと先へと進んでいく。
角を曲がり、また人気の無さそうな道へと来て、ようやく追いついたライスを振り返った。
「お前のせいで最悪な目にあったぞ。だからあそこを通るのは嫌なんだ」
怒りの矛先は何故かライスで。
「すみません」
謝るしかない。
唇を袖で拭ったネコが心底嫌そうに目を細めた。
「とりあえずこれでお前の顔をあいつらも覚えたと思うし、あの道は安全だからお前は今後A地区に行く用があればあそこを使え。俺は二度と使わないけどな」
吐き捨てるように語気を強めて言う。
「正体を隠さなければいいんじゃ…?」
ライスの素朴な疑問も尤もで、更にきつい視線がライス目掛けて飛んでくる。
「色々面倒なんだよ。ヘッドの顔が知られるのは一人歩きするのに邪魔になるし、すぐに他のグループに目を付けられるからな」
髪をイライラしたように掻き上げた。

ライスが納得の頷きをした。


いつものネコは前髪を全部後ろに流すオールバックのスタイルだが、今日のネコは顔を隠すように前髪はストレートに下へと落ちていた。鋭い目が斜めに分けた前髪の隙間からチラリと覗く。
これもヘッドの顔を覚えられないようにする一つの手なのだろう。
だからニコと呼ばれていたのかと知った。
「大変ですね」
そう慰めるしかない。
本当にそう思ったからなのだが。
ネコの軽い膝蹴りがライスの尻をヒットした。

「気にくわねぇ…」
呟いたネコからスッと熱が消える。
「ほら、目的地だ」
顔を上げるライスの目に小さな広場が映る。


A地区と呼ばれるそこは少し町っぽい雰囲気を残す場所だった。
廃墟ばかりの洋館エリアとは違い、こちらは民家のような建物があり小さな商店が並んでいた。どれも廃屋のような建物だが、形が綺麗で使えそうな建物も多くあった。
「住みたいなら住めばいい」
その感想を口にすれば素っ気無く返ってきた。
「夜は色んなモンがここに集まるから楽園かもな。女、酒、娯楽をしたきゃここにくればいい」
何の事は無いようにそんな単語が出る。
「あとここは共通エリアだから、絡まれないようにな」
更に驚きな言葉をネコは平然と言った。
「え?…共つ…」
「誰の敷地でもない地区、グループ間の小競り合いも度々ある場所だよ」
僅かに声のトーンを下げる。

基本的に人に会わない事が一番なのだろう。ネコが民家を抜けて、路地から路地へと抜けていく。中には家の中で眠りこけている者もいた。
「日中はこんなものだ。ヤク中もここには多い」
足の踏み場も無いようなゴミ屋敷を通り抜けて一際大きな館が目前に現れた。
扉をノックして、出てきた女の子に紙切れを渡す。
女の子もいるのかと不思議な気持ちでいるライスの腕を引き、人目を避けるように中へと入っていった。



■━━━━━あとがき━━━━━━■







 ***3 『ワンの妹』***

ネコが部屋のドアを開けると同時に、女の子が飛び付いた。
「てっ」
反動で後ろによろめくネコの後頭部にライスの額が当たって鈍い音を立てる。
「あれぇ?後ろの子はだぁれ?」
大きな目をした可愛らしい女の子だった。
茶色の柔らかそうな髪が緩くウェーブを描き、彼女の動きに合わせて揺れる。
純真そうな目がライスを真っ直ぐに見つめていた。
「無印。路頭に迷ってた所をケセが拾ってきたんだよ」
「ふぅん」
すぐに興味を無くしたように視線を外す。
それからネコの腕に手を回して、
「ネコぉ。兄貴、怒ってた?酷い事されなかったぁ?」
懐くようにすりすりと顔を擦り付ける。
特に嫌がる素振りも見せず、され放題のネコだ。
彼女の全身を一通り見回して安堵の笑みを浮かべる。
「大きな怪我が無くて本当に良かった」
ネコのその言葉に答えるように彼女からも笑みが返った。

「今日は薬を貰いに来たんだが、ドクターいる?
こいつも怪我人だからさ、予備を蓄えとこうかと思って」
「待ってねぇ」
ぱっと離れた彼女がベッド脇にある棚を弄り部屋の細工を解除する。大きな本棚が音を立てて移動していった。
棚の裏から現れた通路に入っていった彼女が、ものの1分もしない内に大きな袋を持って戻ってくる。
「今日、ドクターは出張なの。大きな暴動があって、そっちに掛かり付けだよ。
これ、持って行って。消毒薬とか10日分は入ってるから。
ドクターに伝言があれば伝えとくよぉ?」
白い袋を手渡されたネコが中身を確認する。
それから彼女の髪を軽く撫でて、
「また来るよ」
恋人にするかのように優しく言った。

「うん、待ってるねぇ!」
手を振る彼女が外まで見送るという事は無い。


「あの子は彼女なんですか?」
余韻も無く屋敷を後にしたネコに、小声でそう訊ねる。
ネコの白けた目がライスを見遣った。
「ご、ごめんなさい」
「あれはワンの妹だ。仮に俺の恋人だったらワンがキャンキャン煩いのが容易に想像付くだろ?馬鹿言うな」
「すみません」
ライスの謝罪に。

何を思ったか、ネコが急に立ち止まり振り返った。
顔を伏せて目を合わせないライスの顎を持ち上げて、強引に視線を合わせる。
必然的にライスがネコを見上げる格好になった。
「お前さ、どこから来たのか知らねぇけど…。例えばさ」
言いながら。
ネコの顔が唐突に近づいていく。

「こうやって、お前にキスするだけで恋人になるのか?」
唇が触れそうな距離でそう訊ねる。
「ッ…あの、お、おおっ…俺ッ、…」
突然の出来事に、心臓が早鐘を打って頭が混乱し始める。
何を言えばいいのか分からず、口が上手く回らなくなっていた。
冷静な黒い目が余計にライスを惑わせる。

「…野郎相手にドキドキしてんじゃねぇよ」
簡単に心情を見破られて、大きな羞恥がライスを襲った。
「す、すみませんっ!」
目を強く瞑ってネコの視線を避ける。恥ずかしさをやり過ごそうと懸命になっていると。

ぷにっと柔らかいモノが唇に触れた。
それはすぐに離れていったが、ライスの混乱を更に深めるには十分だ。

目を見開くライスの視界に可笑しそうに口元を抑えるネコが映る。
「ここで生き抜くなら純情なんて捨てた方がいいと思うけど、まぁいいんじゃねぇ?」
合間に笑い声が混じる。
ネコの楽しそうな笑い顔を初めて見るライスだ。
余程の失態だったのかもしれない。顔がどんどん熱くなるのを感じ、どこかに隠れたい気持ちに襲われた。

「いつまで固まってんだよ、帰るぞ」
袋を肩に担ぐ。
見返って視線を投げるネコがあまりにいい男で。


「は、はいッ!」
つい見惚れた自分を振り払うように声を大きくした。
慌ててネコの後ろに駆け寄る。

帰り道は誰一人として会う事は無かった。




*****************************************




どうやらネコの寝床は複数あるようで、洋館は複数ある寝床の内もっとも良く利用する一つのようだった。
だからかケセや仲間の多くは洋館で寝泊りする事が多く、そこはグループの方針などを話す大事な場でもあった。


零時を回った頃にドアの軋む音がライスの部屋まで届く。そのまま無音が続き、唐突に隣のドアが閉まる音が耳に入った。
ネコが帰ってきたのだろう。相変わらず歩く音を感じさせないネコは、白猫っぽくは無いがネコ科っぽい男だった。

本を読んでいたライスの手が思わず止まる。
道案内をされてからここ数日は一度も会話をしていなかった。



何となく。
ネコと話をしたい気分になって、どうしようか逡巡する。

そうしていると。



「っ…だろーがっ!!」
隣から怒鳴り声と共に、壁に何かが思いっきりぶつかる音がした。
ライスの肩が驚きの余り大きく震える。
それと同時に。

部屋を飛び出していた。
「大丈夫でっ…、っ!」
ノックもせずに部屋のドアを押し開ける。


ライスが思ったような状況にはなっていなかった。
「おぅ…、まだ起きてたのか?」
平然としたネコの声が逆に訊ね返す。
床にうつ伏せ状態でワンを抑え付けたネコが彼の背中に座ってワンの頭を叩いた。
「最近のお前、気が立ち過ぎだ」
「ってめぇ、どけよっ!」
青筋立てて暴れるワンの両腕を上から押さえて、ネコがライスに向かって顎をしゃくった。意味が分からず呆然としていると、
「ロープ持って来い」
ネコが命じる。
慌てて部屋を出て行くライスと入れ替わるようにケセが入っていった。

「ワンってばどうしたの?」
欠伸交じりの声で訊ねるケセは寝ていたのだろう。
ずるりと着たパジャマが半分脱ぎかけで、バサバサの黒髪があちこちに散らばっていた。
「お前の態度、マジで腹が立つっ!!」
ワンがケセを睨んで怒鳴る。
「無印は何の責任も背負わなくてお気楽だなっ!標的にされる事もねぇ!」
更に激しくもがく。顎が床に何度も当たるのもお構いなしに暴れた。
「ッ…ワン!」
ネコが威嚇の声を発するもワンの抵抗が収まる気配は一向に無い。
痺れを切らしたように、ネコが暴れるワンの髪を後ろに引いた。
「痛ッ…う!」
強引に上を向かせられたワンから苦悶の声が漏れる。
抵抗が弱まった頃に、
「いい加減、落ち着けよ」
静かなネコの声が冷静を促した。


その言葉に。
ワンから嗚咽が零れる。


「っぅ…、落ち着いて…られるかッ…!」
涙が光って、床に落ちていった。
ロープを片手に戻ってきたライスの耳に、
「…んだ、また…襲われたんだぞッ!リンが…!」
怒りで震える声が苦しげに吐き出すのが届いた。
その言葉に驚愕するのはライスだけではない。

「俺の妹がッ…!!」
搾り出すように怒鳴る。
ふっとネコの力が緩んだ瞬間を見逃さないワンだ。
あっという間に形勢が逆転していた。

驚く面々が止める間もなくネコの首に両手を掛けて、
「お前がッ…お前のせいでッ…、ネコッ!」
憎々しい目で呪うように吐き出した。
「ッワン!離せっ!」
ケセが引き剥がそうとワンを肩を引っ張る。
二人の力の差は歴然としていて、ワンが思いっきり腕を振り払えばケセは簡単に後ろによろめいた。

「殺してやるっ…!あんなッ…」
ワンの低い声が呟く。
首を絞める手に力が篭り小さく小刻みに震えた。
「ワンッ!」
ケセの怒声に被さるように、
「ぅウっ…!?」
ライスが持っていたロープでワンの首を括った。力いっぱい後ろに引いてワン諸共倒れこんだ。

解放されたネコは激しく咳き込むワンとは対照的に静かだった。
軽く息を荒げて横たわったままだ。
ケセが駆け込んで、ネコの顔を覗き込む。無事を確認するように頬に優しく触れれば、ネコが答えるように瞬きをした。
それからゆっくりと身を起こし、
「お前らは出て行ってくれないか?ワンと話したい事がある」
そう静かに告げた。

たった今の状況を見て、なぜそんな事が出来るのか。
動こうとしない二人をネコが追い立てるように見つめる。
そして、
「頼む」
申し訳なさそうに言った。
そうまでされて、聞かない訳にはいかない。




力が抜けたように放心状態で床に座り込むワンを見て、二人がそっと部屋を出て行った。



その晩。
二人は一睡もする事なくドアの前に居続けていた。



■━━━━━後記━━━━━━■
2014.06.06





 ***4 『猫』のルール***

翌日のワンは憑き物が落ちたように落ち着いていた。
短い茶色の髪が寝癖で飛び跳ねる。
ドアの前で眠る事も出来なかった二人とは対照的に当の本人はしっかりと睡眠を取ったようで、
「昨日は悪かった」
二人の姿を発見すると同時に殊勝な態度で謝った。
思わず目を見合わせる二人だ。それに気が付いたのか、気まずそうに髪を掻き視線を泳がせる。
それからドアを指差して、
「…俺はちょっと妹の様子を見てくるから出かける。
ネコはまだ寝てるから…」
早口で言って、そそくさと逃げるように階段を降りていった。


見送る二人に、ふと下階から上を見上げて、
「本当に迷惑掛けて悪かったよ、もう二度としねーから」
再度の謝罪をした。

心底反省しているのが目に見えて伝わってくる。
ケセがそれに答えるように手を振り、
「後でね」
見舞いに行く事を告げれば、ワンが小さく答えるように頷いた。

笑みで見送るケセも昨日の事は無かったかのように穏やかだ。
釣られたようにライスもワンの背中に向かって手を振る。
それからふとケセの顔を見れば、
「ネコ、あー見えて説得上手だし、二人の信頼も厚いからね」
二人の関係を弁解するようにそう説明した。
よく分からず曖昧に頷きを返せば、
「付き合いも長いしね」
そう言うケセの表情が僅かに寂しそうな顔をしている事に気が付いた。
一体何故なのかその理由が無性に気になり、つい見入ってしまう。
するとすぐに元の明るい顔に戻って、
「俺も出かけるけどライスも来る?」
そう誘った。
「お、俺、道も分からないし、全然、…足手まといだと思いますけど、…」
途切れ途切れの言葉を可笑しそうに笑って、
「無印ってそういう存在だよ、平気平気。市場あるからそこに案内するよ」
肩を叩いて強引に肩組みをした。
「ネコは自分一人で何でも出来るからあまり色々教えてくれないでしょ」
同じ高さにある目が悪い笑みを浮かべた。
「その分、俺が教えてあげるからね!」
ケセの意気込みは弟分を得たかのような元気さだ。

肩を組んで。
むしろ引きずられるように館を後にする。
まだ寝ているらしいネコの存在が気に掛かって、後ろ髪を引かれていた。




*****************************************




ネコが起き出したのはそれから僅か30分後の事だったが、すっかりもぬけの殻の洋館を見て、行動に移るまでは早かった。
手早く身支度したネコが向かったのはA地区と呼ばれる共通エリアで、以前にライスに案内した道とは間逆方面からの最短距離を行き、あっという間に目的地に辿り着いた。

その足でワンの妹に会いに行くのかと思いきやそうでもない。
まるで誰かを待つように、人の住んでいない小さな民家の窓から行き交う人々を見つめていた。


夜には賑やかな色を見せるA地区も日中は静かなものだった。
変色した石像の土台に腰を掛けて酒を飲む者や、食事を取る者が目立つ。共通エリアといえど目が合うだけで喧嘩になるほど無秩序でもなく、互いに我関せずのスタンスの者が多い。また日の出ている時間帯は子どもが駆け回っている事も多く、楽園の闇の部分は上手く隠されていた。


広場を見渡すネコの視線が1箇所に止まる。
坂道になる小さな路地から2人組みの男達が顔を覗かせていた。
キャップを深く被って顔を隠す銜えタバコの男が、誰かを探すように頭を動かし、すぐに建物の影に身を隠す。
その僅かな動きを見逃さないネコだ。
目的の人物を見つけて、そっとその場を後にした。



彼らの視線に入らないようにそっと近づいていき。
再び顔を覗かせた男の襟首を引っ張って引きずり出した。
「ッ!」
驚く相手に、
「俺をお探しか?」
ネコが笑みを浮かべて問う。
相手の怒りを意図的に誘うような見下した言い様に、
「…なんでおめぇがここにいんだよ」
簡単に乗る相手でもない。
声のトーンを落とした男がネコの手を強引に引き剥がして伸びた襟を直す。
「言っとくけど、ドクターんとこの子を襲ったのは俺らじゃねーからな」
ネコに先手を打って立ち去ろうとするが、そうはさせないネコだ。
背を向ける男の肩を掴んで無理やり振り向かせた。
「何コソコソ急いでるんだ?俺目当てで見張ってるんじゃないなら誰だよ。怪しいぞ」
「…」
「カガヤさん、行きましょう!」
カガヤと呼ばれた男の腕を引く手を叩き落す。
「腰巾着は引っ込んでろ」
完全におまけ扱いされた男が、あからさまにムッとした顔で睨み、
「カガヤさんはネコと遊んでる暇なんて無いンすよ!」
ネコの胸板を両手で力一杯押しのけた。
「相変わらず幼稚なヤローだな。弟もよくこんな単純馬鹿を相手に出来る」
「な、なん…、何だとー!」
ネコより頭1つは低い位置にある小さな身体が怒りに震えるのを平然と見下ろすネコだ。
彼の頭を上から抑えて、
「で?誰を見張ってるんだ?」
満面の笑みをカガヤに向けて再度訊ねた。
脅迫めいた空気を纏うネコに一瞬、たじろぐ。
その凍てついた空気を全く読めない男が非難の声を上げた。
「大体、あんたが頭の男を寝取るからこんな…、痛ッて…!」
頭を掴むネコの手に力が篭った。
「こいつ、地下通路に埋めていいか?弟だってこんな馬鹿、要らないだろ?」
笑みを浮かべたままカガヤに訊ねる。
冗談とは思えない迫力で、暴れる男の横っ腹に蹴りを入れた。
「ッてぇ…!」
「サクを離せよ、一応そんな男でも頭は気に入ってるから」
仲裁に入るカガヤがネコの手を引き剥がそうとして、なぜか手を止めた。

「…」
互いに僅かな沈黙が走る。


ネコから笑みが消えた。
「…お前ら、マジで信じてんのか?俺が寝取って、んで用済みだから殺したって本気で思ってるのか?」
相手の距離感を敏感に察したネコだ。
ネコの視線を避けるでもなく、真っ直ぐに見つめ返すカガヤは真剣だった。
「少なくとも頭はそう信じてる。それが全てだろ」
その返答はネコを沈黙させるに十分なものだった。


既に。
二人の間には大きな溝がある事を示す答えだ。
リーダーのネコよりも、その弟に従う事を決めたカガヤには何を言った所で無駄だろう。



ネコの沈黙を見てカガヤが溜息を洩らす。
「昔のよしみで答えてやるよ、リンをやったのは誰か知らねぇけど、俺らが張ってるのは浅黒い肌に髭面の新顔だ。やたらうちにチョッカイ出してきて参ってんだよ。だから今はネコと遊んでる暇はねぇ」
「…お前まで馬鹿になったのか」
親切心から答えてやったというのに、ネコが間髪を入れずにした返答は呆れた言葉だった。
「んだとッ!」
語気が荒くなり、ネコを見る目がきつくなる。
それを平然と見つめ返すネコは、全くの無表情だ。
「うちに喧嘩売っといて、忙しいから、じゃ筋が通らねぇんだよ。お前、分かってんのか?『赤虎』は『猫』に宣戦布告してんだ、報復されたって文句言えない立場だぞ」
冷めた目が見知らぬ他人を見るようにカガヤを見下ろす。
「お前は昔のよしみって言ったけど、もう『猫』じゃねぇんだよ。
今までは弟のグループだから多少の事は見逃してきたが、今後は気を付けた方がいい。

俺は誰より路地裏を把握してるからな。その気になりゃ、一人ずつ『赤虎』の奴らを殺せるよ」
まるで情事に誘うようにカガヤの首筋を撫でて、ふっと笑った。
「弟によろしくな」
手を上げて背を向ける。

「っネコ…!」
思わず引き止める。


カガヤの呼び掛けに、振り返るネコはいつもと同じだ。
それはカガヤが『白猫』に居た時と同じネコの表情だった。

「リンをやったのは『赤虎』じゃねぇ!」
弁解めいた言葉を言ってしまったのは、一重にネコの本気に気が付いたからだろう。
カガヤの真剣な叫びも。
「犯人を連れてきてから言え。俺とお前の間にはもう超えられない壁があるんだよ。その言葉を無条件に信じる理由もないだろ?」
ネコの表情を1ミリも変える事は出来なかった。


ネコは本気で。


『赤虎』を敵として認識したのだろう。



カガヤの目に焦りが浮かぶ。
隣で成り行きを見守っていたサクがどうしたらいいのか分からず、去って行ったネコとカガヤの顔を交互に見やっていた。


■━━━━━あとがき━━━━━━━■

2014.06.28





 ***5 『裏切りという言葉』***

「ライス、ちょっと」
ケセに案内されて帰って来た頃には夕方になっていたが、買ってきた物をテーブルに置くと同時に、ネコからそんな声を掛けられた。
階段の柱に寄り掛かるネコの元へと歩み寄れば、腕を引かれて強引に誘われる。
「今、暇なら一緒に来い」
「えっ、あの、…!」
返事も待たずに出口へと向かうネコの背中が僅かに怒ってるように感じて、思わず抵抗を止めてしまう。
「ケセ!Zの所に行って来る!」
奥の部屋にいるだろうケセに大きな声で告げて、ライスを引きずるように連れ出した。


洋館を後にしても、ネコが引く手を離す事は無かった。
振り返る事なく先へと足早に進んでいくネコに訳が分からず、声を掛ける事も出来ない。
力強い手が腕に食い込んで痛みを伴っていた。

無言な状態が10分ほど続いて、ようやく足を緩めたネコが唐突にライスを振り返る。
それから厳しい眼差しを向けて、躊躇い無く訊ねた。
「うちのグループに入る気があるか?」
それは冗談でも何でもなく。
黒い目が真っ直ぐにライスへと突き刺さった。


唐突の質問の意図が分からず思考が固まる。
一体、ネコは何を訊いているのか。
そこに何の答えを得ようとしているのか。


ライスの気持ちはそのまま口に出ていた。
「無いです。俺にはよく分からないし」
率直な言葉だ。
ネコと一緒にいたいとは思う。ネコにも感謝している。
だが『白猫』というグループに入りたいかといえばそうでもなく、そういう感情は一切持っていなかった。


日頃は、どこかおどおどとしたライスだが、その時ばかりは真っ直ぐに相手を見つめ返していた。ネコからの刺すような視線を逃げる事なく受け止めて、淀みない言葉を返す。


それが不思議な事にネコを安堵させたようで。


ふっと、ネコから力が抜ける。
ライスの耳に手を当てて、髪を掬った。
「なんだろうな…、」
顔を近づけるネコが小さな声で耳打ちする。
「お前は信用できるよ」
微笑みを浮かべて意外な言葉を囁いた。

それから何事も無かったかのように離れて、ライスとの距離を置く。
「最近は無印の振りをした輩も多くてな、仲間のつもりでいると痛い目に遭う。だから無闇にグループには入れない事にしてるんだ。
第一、すぐに入れてくれなんて言う奴は禄でもないからな」
「そう…なんですか?」
歩き出すネコの背中が肩を揺らして笑った。
「そうに決まってる。裏があるか他力本願かのどちらかだよ」
目の前に高い塀が現れると、そこに散らばるドラム缶の上に飛び乗った。
それからライスに手を差し出す。
「塀を越える。ここから先はZの敷地だから余所者なのを自覚して行動しろよ」
ライスの手を引いてドラム缶の上に導いた。
そこから塀の割れ目に手を掛けて壁を蹴り、よじ登る。一番上で腰を降ろして、
「簡単だろ?向こうで待ってるから来い」
無邪気に笑って姿が向こう側へと消えた。


唐突に不安に駆られるライスだ。
何故か置いていかれる気がして焦った。ここではぐれたら確実に路頭に迷う事が目に見えている。そして、その気になればネコにはそれが可能なのだ。


そんな不安が一気に押し寄せ、慌てて壁にしがみ付いた。
力任せに登れば焦って滑り、余計に上手くいかなくなる。
それでも、これすら出来なければ今後ネコの足手まといにしかならないだろう。
いくらライスでもそのくらいの事は既に認識できるようになっていた。


手を狭間に入れて力いっぱい壁を蹴り付ける。その反動で塀の頂上に手を掛けた。
後は根性だった。
「くっ…」
決して腕力に自信がある方じゃない。
足を掛けて何とか上まで這い上がる。塀の上で腹を乗せて息を吸い込めば、下から笑い声が耳に届いた。
「っお前…、ッはは!力無さ過ぎだろっ!」
思わずムッとしてネコを睨む。

ライス自身、華奢なつもりは毛頭無かった。
あくまで標準体型の標準身長だ。
筋力に自信があるとは言えないが、ネコが標準よりでかくて俊敏なだけだろう。

木箱に飛び降りて、まだ笑っているネコの肩を軽く叩く。
「悪い、だってお前、…か弱いからさ。必死に頑張ってるのみたら笑えてきた」
口元を抑えて笑いを堪えるネコの頬を摘む。
「頑張ってて悪かったですね!どうせ俺は運動音痴ですよ!」
「怒るなって」
鼻で笑いを零して何気なくライスの髪の毛を掻き混ぜる。
「初めてにしては頑張ったと思うぜ?」
そう言ってスッと先を行くネコを訳もなく見送ってしまう。
ぐちゃぐちゃにされた髪を整えて慌てて後を追うライスだった。





*****************************************




「ネコ!お前一人なら見逃すが、そいつ誰だ!」
人に会わないようにこれでも気をつけているのだろう。
ネコを呼び止める声が掛かるのはそれで3度目だった。

「無印のライス」
短いネコの返答に勿論満足する訳もなく。
「ふざけんな、てめぇ!ここは『Z』のエリアだぞ!無印なんて引き連れて来るんじゃねぇよっ!」
「ヘッドが許してるからって図に乗んな!クソがっ!」
他の男からも罵声を浴びせられ、ライスが縮こまる。
ネコの背後に隠れるようにして彼らを窺った。
『Z』といわれるグループは総じて柄が悪い。どれもこれもピアスをびっしりと付けた耳に立てた髪、服装はサイケな格好で、身体のあちこちにタトゥーを入れていた。金属バッドを片手に持ち、第一声からして凄む連中ばかりだ。

「聞いてんのかっ!ネコ!」
「うるせー。俺が大丈夫だと思ったから連れてきたんだよ。あいつだって、使いに出せる無印を探してただろ?」
「ヘッドをあいつ呼ばわりするんじゃねぇぞ!」
ネコの襟首を掴んで脅す。
その男の唇に素早くキスを落とした。
「ッ!?」
ぎょっとする男を更に煽るように軽い笑みを浮かべる。
「あんま煩く言うな。お前に襲われたってZに言ってもいいんだぞ。あいつはどっちを信じるかな?」
「…、ひ、卑怯だと思わないのか?」
男のひるんだ声に、勝利を得たようにネコが彼の手を振り払う。
「分かったらどけよ。ライス、行くぞ」
道を空ける男たちの間を通り抜けたネコがライスを手招きする。
何度も頭を下げながら彼らの間をすり抜けた。

恨めしげに睨む彼らを気にした風でもなくネコは進んでいく。
振り返っては頭を下げるライスとは正反対だ。

しばらく歩いてから、ネコが振り返りポツリと呟いた。
「Zがそんな話を信じる訳が無いのにな、あいつら馬鹿だよなぁ」
「…はぁ」
笑うネコに呆れた返事を返しつつ、意外にお茶目なネコの素顔を知る。
「『Z』ってグループは楽園じゃ一番でかいグループなんだよ。基盤もしっかりしてて、構成がちゃんとしてるから何かを頼みたい時や、任せる時は一 番だ。下っ端は馬鹿だが統率が取れてるしな」
「…俺、連れてきちゃって大丈夫なんですか?」
先程からの攻防を見ていると不安になってくるライスだ。
『Z』という人物に会った瞬間に殺されるのではないかとさえ思えてきた。
「俺がいるから平気だろ。それにお前、方向音痴じゃん。どうせ道なんて覚えてないだろ?」
あっけらかんと言われて、事実なだけにぐうの音も出ない。
実際、今来た道さえ全然分からないのだから仕方が無かった。
「…」
「不満なのか?なら少しは道くらい覚えろ」
ライスの鼻を掴んで左右に揺らす。
「痛、ッいたっ…」
泣き言をいうライスを可笑しそうに笑って、
「お前は裏切るなよ」
そう呟いた。


ネコの顔は笑みのままだ。
何気ない言葉の筈なのに。


唐突に、身体の芯から身が凍りそうな気分になる。
ネコに何があったのかは知らない。
ただ。
その言葉をサラリと言わせた誰かに。
冷たい怒りを抱く。


「俺は、…」
「何、マジな顔してんだ」
ふいに真顔になったライスを見て、更にネコの笑いが深くなった。
鼻を指で弾いて、大きく笑う。

「何でも真面目に受けるなよ。そこが好きだけどな」
笑ったまま背を向けて、先へと進む。
ネコの顔が見えなくなって寂しさを感じるライスだ。



どこまでがネコの本音かは分からない。
それでも。



笑みのまま、裏切るなと言ったネコが。
何故か胸に刺さって、抜けない棘のようにしこりを残した。





■━━━━━後記━━━━━━━■
2014.07.18




 ***6 『Zとネコ』***

Zの住処はライスの想像を遥かに超えていた。同じ洋館でもネコ達が住む洋館とは全くの別物で、荘厳の塊といってい い外観を備えていた。
廃墟が溢れる路地裏には似付かぬ美しさと威厳を持つその建物が目前に現れた時、思わず足を止めたほどだった。
これほどの敷地を持つ建物が何故遠くから目立たないのか不思議になる。それは単純に、周囲を囲うように倉庫や工場が隣接しているからに過ぎないが、まるで計画されてそう設計されたかのように周囲から隠されていた。


ネコが勝手知ったる我が家のように門を開き、中へと入っていく。
まるで不法侵入しているような気分になって萎縮するライスだが、突っ立って待っている訳にも行かず、足早に進むネコを追う。
エントランスを通り抜け、応接間に入ればこちらの存在を待ち構えるように腕組みして立つ男がいた。

ネコと同じくらいの身長だろう。
長い金髪に青い目を持つ男はまるで絵本から飛び出してきたように眉目秀麗の顔だった。
Zという荒くれを治めている男とは到底思えない見目の良さと、それに反するような服装の派手さだった。

「随分自信があるな、ネコ」
男がネコに歩み寄って、傍らに立つライスを軽く小突く。
「何しても許されると思ってんだろ?」
見目の良さとは正反対の口の荒さだ。眉間に寄せた皺が不機嫌である事を如実に語る。
ネコを間近で睨む男に釣られたようにネコも男に睨みを返した。
「信頼できると思ったから連れてきたんだ、そこまで無防備じゃない」
ネコの反発を鼻で軽く笑って聞き流す。
「お前の信頼ほど当てにならないものも無い。こんな役立たずそうな無印を連れてきて、交換条件を飲めとかほざくつもりじゃねぇだろうな?」
その言葉は全くその通りで。
「悪いか。こいつは意外に使えるぞ」
悪びれもせず、ネコがライスを押し付ける。
「痛っ!」
まるで物のように男の胸に突き飛ばされた。
「…ふーん…。全部ネコの一存な訳か。代わりにリンを保護してほしいって事だろうが、こいつがどうなってもいいのか?」
「え…」
言われた言葉の意味が分からずライスがネコを慌てて振り返る。
小さく笑いを浮かべたネコがますます混乱を深くさせた。
「別にいいぜ、取って食おうが売ろうが。男なんだ、自力で生きていけるだろうさ」
酷薄な言葉を冗談のように軽く言うのを聞いて、ライスの顔に不安が浮かんでいく。
「ネ、ネコさん…」
今にも逃げ出しそうな表情で縋るも。
ライスを見つめていたネコが笑みを消し、いつになく冷酷な無表情になった。

それから、
「そのくらい出来るだろ?無印で生きるっていうのはそういう事だ」
突き放す言葉を平然と吐いてライスを脅した。


懐に簡単に招きいれ、そして容易く切り捨てる。
それがネコの本性なのかと衝撃を受ける。


それと同時に。
『白猫』に入る気があるのかと訊いてきたネコを唐突に思い出した。
あの時の、ネコが。
そして、裏切るなと言ったネコが、脳裏を過ぎり浮かんだ疑問を振り払った。


「俺は…このくらい出来ます。今すぐ身を売れって言うなら、売ります!俺はネコの足手まといにはならないです!」
握り拳を作って力強く訴えた言葉は、力いっぱいの真意だ。
実際は足が震えての及び腰であったが気持ちだけは本当だった。

その意気込みを静かに聞いていたネコがゆっくり瞬きをしてライスに歩み寄っていく。


その動作に思わず身構えるライスだったが、
「冗談だ、馬鹿」
優しい声がそう言うのと同時に頭に軽く手が乗った。
「大した意気込みだよ。ザギヅがそんな事する訳ないだろ」
傍らで笑いを噛み締める男を横目に見て、頭を撫でた。
「ついからかいたくなる反応だろ、こいつは裏切ったりしないさ」
「確かにな」
ザギヅが笑いながらライスの背中を叩いた。
指に嵌めたゴツイ指輪が何度も骨に当たり鈍い音を立てるのも気にならない。
「っ何なんですか!俺は本当に怖い思いで、…決死の覚悟だったのに…!」
からかわれたと知り思わず怒りが沸く。


それ以上に。
安堵して涙が出そうになった。


「ライス、ここで生きていくならそういう場面に遭遇してもおかしくない。今からでも覚悟しておくに越した事はないぞ」
ふと。
真顔になったネコが静かにそう言った。
口元に親指を運んで甘く噛み、見せ付けるように舌で舐める。
流し目するようにチラリとライスを見て小さく笑んだ。
「時には自分の身体も武器にしないとな」
一瞬浮かべた妖艶な顔はいつもの卑屈な笑みに取って代わる。
それから、
「ヤられそうになったら、これで切り抜け。隙付いて股間でも蹴れば案外簡単だぞ」
為にならない助言を簡単に言ってライスを慰めた。

「なぁ、ザギヅ。」
振り返って同意を求めるネコが何だか意外で。
「アホらしい。お前を襲う馬鹿を見てみたいくらいだ」
そんな言葉を返すザギヅの冗談が更に意外な気持ちにさせた。

肩を並べて冗談を言い合う二人が友人のような気軽さだ。
ネコではない誰かがそこにいるかのようで僅かに混乱した。


「じゃあ、俺は行くから。後で迎えにくる」
ひとしきりライスには付いていけない話で盛り上がった後にネコが思い出したように言って唐突に切り上げた。
「あ、俺…」
突然の事に戸惑うライスに、顎でザギヅを示したネコが軽く拳を突き出して激励し、
「頼むわ」
一言残して去っていく。
「あぁ」
「ネコさ…!」
別れの挨拶もままならない内に姿が見えなくなった。


「あ、あの…。よろしくお願いします」
どうしたものか戸惑うライスが一応の挨拶を述べて頭を下げる。
ネコの去って行った方を見つめていたザギヅが振り返ってライスを見下ろした。

「お前、ネコから離れた方がいいぞ」
挨拶代わりの言葉にしては強烈な言葉だった。
先程の流れから冗談かと思うも、それにしては刺すような青い目だった。
「無印ならケセのようになるか、中立区に住むかしろ。でなきゃ痛ぇ目に遭う。特にお前のような奴はな」
冷酷な忠告だった。
親切心のように見えて、脅しのようにも思える。
男の鋭い眼差しからは判断出来ず、ただ突き付けられた言葉の意味に震えた。
「あいつが何で『ネコ』って呼ばれてるか…知ってんのか?」
唐突にされた質問の意図も分からず首を振るしかない。
ザギヅの目に僅かに哀れみのような色が浮かんだ。
「自由気ままに、ここのルールも何も関係なく一人で生きていけるからだ。あいつには『白猫』も『弟』も『無印』も必要ない。ただ集まってくるからリーダーしてるだけの事さ」


たった今、ネコと談笑していた男の台詞とは思えない冷たさだった。
「お、俺は違うと…思…っ!」
否定しようとして、
「ッつ…!」
胸倉を思いっきり引き寄せられた。
「忠告は有難く受け取っておけ。ネコに気に入られてるとか勘違いしてんじゃねぇぞ!あいつは無印なら誰にだってそうだ。だから『ネコ』と呼ばれてんだよ。肝に銘じておけ!」
荒々しく言って、突き放すようにライスを離す。


絵本に出てくる王子のような外見の男から発せられる激しい気質にライスは心底恐ろしいモノを感じた。
これが『血だまりの楽園』という場所なのだ。
ただの男ではグループを纏められはしない。

「来い。仕事を紹介する」
呆然とするライスに顎をしゃくって屋敷の奥へと促す。
重い足を引きずるようにして、男の後を付いていった。


自分の描くネコと、男のネコが食い違っている気がして釈然としない。
だが。
自分よりも遥かにネコを知っている男が言うのだから間違いではないのかもしれない。
何も知らされず連れて来られた状況を考えれば、『自由気まま』正にその通りで全てがネコの一存で動いているのだろう。
リンを最優先にするネコの気持ちも分かる。それが『白猫』の為に、そしてネコの為になるなら苦でもなかった。そうは言っても。

一言くらい事前にあっても良かったのではないかという気持ちも芽生えていた。
ネコにしてみれば集まってくる一つの駒に過ぎず、偶々ケセに拾われたからリーダーとしての『ネコ』を知る機会を得ただけで、そうでなければ無印の 一人としての認識しかなかったのだろうか。
ふと、そんな疑問を抱く。

胸の内をざらりとした苦さが広がっていくのだった。






■━━━━━あとがき━━━━━━━■


2014.08.28




 ***7 『言葉の波紋』***

その晩、といっても時間にしたら未明の時刻だったが、迎えに来たネコはやけにあちこち汚れていた。
「喧嘩でもしたか?」
ザギヅの言葉に、ネコが口の端を擦る。
「まぁな」
どうでもよさそうに短く答えて、ザギヅの後ろに立つライスを手招きした。
「世話になった、明日また届けにくる」
そう言って帰ろうとするネコの手を素早く掴んで引き止めるザギヅだ。
「他に言う事があるだろーが」
「…」
間近にある切れ長の青い目が僅かに細まった。
ネコが観念したように、
「リンの事、早速対応してくれたんだな、助かったよ」
そうお礼を言って。

ポケットから小さな袋を取り出して手渡した。中から金属が擦れ合う音が鳴る。
「謝礼。足りないっていうんだろ」
片頬を上げてあくどい笑いを浮かべたザギヅがネコを引き寄せてネコの首に唇を押し当てる。
「ッ!」
そのまま噛み付いて小さな傷を付けた。
「…どうだかな。お前がこいつを預ける度に跡を付けられると思っとけ。交換条件っていうのは等価であるべきだからな」
明らかにムッとした表情になるネコだったが、
「これで等価ならいい。帰るぞ」
特に文句を言う事なく、うろたえるライスの首根っこを掴んで引きずるように連れて行く。
背後で見送っているであろう男を振り返るという事はなかった。

ネコはいつでもそうだ。
別れ際に振り返るという事は今まで知る中で一度も無かった。

ザギヅの言う言葉も、ある意味で当たっているのかもしれない。


ネコに引きずられるように歩きながら、ふと寂寥感に囚われる。
もし本当にそうなら。


それは寂しい生き方なのではないだろうか。



思わずネコを窺い見る。
いつも前を向く横顔が月夜に照らされて、そんな感情とは無縁のように凛々しかった。



*****************************************




「お疲れ?どうしたの?」
交換条件としてZの元で仕事をするようになって4日目の事だった。
久しぶりに『白猫』の溜まり場である洋館で寛いでいると、ケセがテーブルに腰を降ろしつつ顔を覗き込んだ。
その気遣いに何故か涙腺が潤む。

同じ無印というのもあって、ケセに対しては不思議な連帯感があり安心した。
「俺、いつまでザギヅさんの所で仕事すればいいんだろう?」
ケセの優しい顔を見ていると、つい愚痴っぽく零してしまう。
毎日よく分からない包みを包装し箱に詰めるだけの仕事だが。
得体の知れない物を扱っているという感覚が恐ろしい。あれが何なのか…、好奇心すら沸かなかった。

思い出したように深々と重い溜息を付くライスをケセが笑った。
「嫌ならネコに言えばいいじゃない」
何でもないことのように、さらっと言った。
「そ…、んな事、言える訳無いじゃないですか!ネコに迷惑掛かるし、ネコ、俺の事、嫌いになるんじゃ…」
徐々に小声になり、最後には消え入るように途切れた。俯いて両手で抱えるカップを見つめるライスの様子に、ケセが真顔になる。
目の前に腰を降ろして、
「ネコが何で嫌いになると思うの?」
珍しい程、静かで落ち着いた声で訊ね返してきた。
「…ネコ、足手まといは要らないと思って」
「本当にそう思ってるとしたら思い上がりもいい所だよ、ライス」
テーブルを中指で軽く叩く。
ケセのらしくない厳しい言葉に思わず顔を上げた。真っ直ぐの茶色の瞳が鋭くライスに突き刺さる。
「ネコの役に立ってる訳ないでしょ。それにネコは誰の手も必要としないよ」
躊躇いもなく吐き出された言葉はそのまま鋭い刃物のように胸に突き刺さる。事実その通りなのだが、ハッキリと言われて落ち込んでいた気分が更に深みへと落ちていった。
目に見えて落ち込むライスを見て、ケセの表情が和ぐ。
「ごめん、そういう事じゃないよ。リンの保護を自分たちでしようと思えば出来るって事。ネコはただ単にライスをZに会わせておきたかったんじゃないの?あそこは楽園では最大規模だし『白猫』とは友好関係だから、役に立つ事もあると思うよ」
そこまで言われてようやく相手の真意を理解した。
ただ文句を言われた訳では無かった。

「っ…何も考えずにすみません」
素直に謝罪するしかない。
ネコが本当はどういう意図なのかは分からないが、助けてくれたネコに対して僅かでも疑うような気持ちを抱いた自分が情けなくなった。
「俺も早く中立区に住めるくらい一人前になりたいです」
意気込んでケセに宣言する。それを大口開けて笑う相手だった。
「洋館に住めばいいと思うけど…。そんなに無印である事に拘らなくても平気だよ」
「でも…」
「あ、ネコ…」

ケセの呼びかけにライスが固まる。
「ッ!?」
唐突に誰かの手が肩に掛かって、飛び上がりそうな勢いで驚いた。
いつの間にか真後ろに立っていたらしい。ネコの忍び足の凄さに驚嘆するばかりだった。
「ライスがね、音を上げて」
「あ、あの!今日は何時頃行くんですか?!」
がばっと振り返ったライスが言葉尻を奪うように言葉を被せてネコに訊ねた。
「夕方には出ようと思ってる…けど、嫌なら別にいい」
二人の会話を聞いていたらしい。
素っ気無い言葉を返すネコだったが。

何故だか不思議と胸が暖かくなった。
ネコはちゃんと相手を思いやる心を持っている人だという事を今更のように再確認する。
当たり前だ。

そうでなかったら無印を匿ったりなんてしないだろう。
ザギヅのたった一言で、何をぐらついていたのかと疑問になるくらい、愚かな考えだった。


「俺、行きます」
「どうせ後2日で終わりだ。リンの状態が良くなればこっちに移すから」
その言葉に驚くのはケセだ。
「リンをここに住ませるんですか?だってドクターの助手は」
「しばらくは無理だろうな。犯人が捕まれば別だろうが…。」
溜息混じりにそう言った。
「ワンが面倒見るって張り切ってるし生活自体は問題ないだろう」
ネコにとっても妹のようなものなのかもしれない。
いつもは鋭い黒目が僅かに和らいで遠くを見つめて言う。
「お前らも気を付けろよ。シノが言うには俺への当て付けらしいから」
唐突にそんな恐ろしい事を言ってライスを震え上がらせた。
「ワンじゃなくネコに恨みを持つ人間の線が高いんだね」
ケセがいつもの軽い口調で頷く。
「俺が憎いなら直接くればいいものを…」
「ネコ、捕まらないじゃん」
即座に突っ込みを入れるケセを睨んだ。
「俺だって暇じゃないからな。ライスはしばらくは俺と一緒に行動しろ」
両肩に肘を乗せたネコが顔を覗き込んで、そう命令した。
「ッ…!」
間近にあるネコの整った顔に思わず動揺して、
「どうせ、道も分からないですしね」
卑下した言葉が咄嗟に出る。


何故かニヤリと笑うネコだ。
嫌な予感がしていると。
ネコの手がするりと肩から下半身へと滑り落ちてくる。それと同時に抱き締められるような格好になって、
「ぁ、…のッ…、」
言葉を失う。
「ちょッ…!!」
吐息が耳に掛かる位置に唇がありドキリとしていると。
下部をやんわりを触られてようやく硬直が解けた。
「ネコさッ…!ちょっとっ!!」
ネコを剥がすように暴れて絡まる腕を抜け出す。
息を荒げて睨むライスを可笑しそうに見るネコは本当に人が悪い。
「お前、マジでヤられるぞ」
笑いながら言う言葉とは思えない怖い台詞だ。ライスが身震いして自分を守るように両肩を抱き締める。
「ハハっ!冗談だよ」
声を立ててネコが笑う。
珍しいモノを見るようにケセがネコを見つめるのにも気付かずに、笑っていた。




■━━━━━あとがき━━━━━━━■


2014.09.19




 ***8 『大切なこと』***

「犯人の目星は付いてるんですか?」
今日もネコの後ろを付いて行きながらの道中で、ここ数日間、疑問だった言葉を口にした。
転がるダンボールをジャンプして避けたネコが軽く視線を投げてよこす。
「楽園での犯罪で犯人が捕まるって事は少ない。目撃者がいればまだ違うが、リンに関しては用意周到だろうな」
返答を聞いて具合が悪くなってくるライスだ。犯人は野放しで、今ものうのうと誰かを狙っているのかと思うと恐ろしい物を感じた。
その思いが顔に出たのか、
「気にしたら切りが無いさ。でも、本当に俺が標的ならいつか向こうから来るんじゃないか?」
冗談を言うのと同じ笑みで言った。

ポケットに手を入れたまま木箱に飛び乗る。
「仲間が警戒していればこれ以上の被害は出ないだろ」
硬い皮靴が乾いた音を立てる。
ネコが箱から箱へと飛び移りながら道を進んでいく様は小さな子どものように無邪気で、『白猫』のリーダーとは思えない重圧の無さだ。
「お前もついでに守ってやるから心配すんな」
振り返ったネコが冗談交じりの言葉でそう付け加える。
ネコの言う『仲間』とは『白猫』の事であって『無印』は入っていないのだろう。それでも嬉しい言葉だった。
自然とライスにも笑みが浮かぶ。

それを見たネコが唐突に無言になった。
何も無かったように前を向いて、黙々と進んでいく。


ネコとの会話はいつも先が読めない。唐突に言葉を止めたり、話題を変えたりと主導権を握るのはネコのように感じる。その癖、人の話を聞く時は黙り込んでいる事が多く、何を考えているのかよく分からない所があった。



距離が遠いように感じて、ネコの背中を懸命に追い掛ける。




その広い背中が、左右に分かれる突き当たりで立ち止まり振り返った。
「なぁ」
呼び掛けの声が低く、僅かな躊躇いを含む。
ネコにしては珍しい歯切れの悪さで、一瞬の迷いが黒い瞳に浮かんでいるのをライスは見逃さなかった。
「お前さ、帰るなら帰っても別に構わない。今日はこれから繁華街に行くから、そのまま…」
何を言ってるのか分からなかったライスだが、繁華街という単語を聞いてすぐに言いたい事を悟る。
ネコはライスがどういう経緯で来たのか知らないのだ、ただの迷子だと思っているのだろう。

「帰りませんよ。俺は」
ハッキリとネコの提案を突っ撥ねる。突然そんな言葉をいうネコに行き場の無い憤りを感じて、無意識の内にネコの胸を拳で叩いていた。
僅かに後ろによろめいたネコが驚きの表情をほんの一瞬だけ浮かべる。
それから何を思ったか、唐突にライスの胸を同じように拳で突いた。

ドンという鈍い音がして、息が詰まるほどの衝撃を受ける。
「うっ…」
後ろに飛ばされたライスに文句を言う隙さえ与えず、
「そんなに弱いくせに、ここで生きていけると思ってんのか」
いつになく荒い口調でライスに訊ねた。訊ねるというよりは、罵ると言った方が近い。
ライスを壁まで押しやり完全に逃げ場を奪ったネコが、鳩尾に拳を押し付ける。
「お前、襲われた事だって無いんだろ」
耳元で囁くネコの声は決して甘いモノではなく苛立った低い声だ。
「ッネ、…コっ!」
鳩尾を圧迫されて苦しい息が出る。
吐き気を伴う痛みからネコを押しのけようと懸命に暴れるも虚しい空回りに終わった。そればかりか空いた手でライスの利き手を封じたネコが、
「力ずくの支配は殴られるより残酷だ」
低い脅し声で、静かにそう言った。

間髪入れず首に熱い刺激が走る。ネコが冗談抜きの力で首に噛み付いていた。
「ッ…!」
「腹が立ったか?」
冷ややかな声が嘲るように問う。歯を立てた場所を撫でるように優しく舐めて軽くキスをした。
腹部を圧迫していた手がシャツのボタンを外しに掛かる。ネコの手付きが優しくなるにつれ纏う気配が色めいたモノへと変わっていった。


思わず身震いするライスだ。
「ネコ、本気でそういう気ですか?」
抑え付ける手が小さく震え僅かに力が緩む。それを敏感に察する。
それでも、
「本気だと言ったら?」
身を寄せるネコが変わらない声音で低く返した。その言葉を証明するように、動きが大胆になっていく。場所も構わずに本気でそれをしようとしているのだと知る。


「話を…っ!」
制止の声も聞かず行為を進めようとするネコに痺れを切らす。
その行為にでなく。話すら聞こうとしない態度に腹が立っていた。
「いい加減にッ…、しろッ!」
「ッ…!」
怒鳴るよりも先だったかもしれない、ライスがネコの足を思いっきり踏み付けて強引に中断させる。
皮製の靴とはいえ利き足で踏んだのだから、さすがのネコも痛みのあまり動きを止める。その一瞬を逃さずにネコの胸を突き飛ばして、すばやく距離を取っていた。

よろめくネコが痛みで目を眇めながら意外そうにライスを見つめる。
そのネコに向かって握り拳のまま怒鳴った。
「俺はネコが思ってるほど弱くない!」
ネコの黒い瞳が驚きに見開く。それから罰が悪そうに顔を背けた。
「邪険な態度をすれば俺が去るとでも?俺はもうここで生きるって決めたんだ!帰る場所なんてどこにも無いっ!」
目を合わせないネコに大股で歩み寄り、顎を掴んで強引に向かせる。
「ネコ…、心配してくれるのは分かるけど、こういうやり方は納得しない。ネコはいつだって強引過ぎる。ちゃんと思ってる事を言って欲しいんだ!」
ライスの渾身の言葉に、ネコが表情を変えるという事は無かったがその黒瞳だけは正直だった。どこか痛みを湛えた目が、見詰め合う事に耐えられないように伏せられる。


それが無性に悲しくて。
「っ…」


ライスは咄嗟にネコを抱き締めていた。
突然の事で小さく震えた身体を抱き込み、首筋に顔を埋める。
「俺を信じて欲しい」
切実な想いだった。信用されていないという事では無い。
頼りない自分も自覚していた。それでも、ネコの支えになれるという事を信じて欲しいという想いだった。

日頃なら冗談として笑い飛ばしそうな言葉をじっと大人しく聞いていたネコが、そっとライスの背中に腕を回す。
「お前には負けるよ」
観念したように小さな溜息を漏らした。


僅かな沈黙の後、
「…俺がここに逃げてきたのは10年以上前の事だ」
静かな声でぽつりと語り出す。ライスは一言も聞き漏らすまいと静かに耳を傾けていた。
「当時の俺は弟を連れてここに来たんだが、どんな奴が来ても逃げ切る自信があったし守りきる自信もあった」
自嘲気味に空しい笑いをする。
「それから数年経った頃だ。楽園に慣れてきた俺は食料を確保する為に、弟を置いて市場に出掛けてたんだ。あの事は今でも後悔してる…。守れるなんて、思い上がりもいい所だった…」
当時を思い出したように言葉に詰まった。
ライスの耳元で大きく息を吸い込む音がした。それからゆっくりと息が吐き出される。
「…住処に帰ったら弟が倒れてたんだ。痣だらけの身体を見てすぐに暴行されたって知った。壁は血だらけでガラスの破片もそこら中に散乱してて…、余程、抵抗したんだと思う。あの時の弟は本当に痛々しくて、物も禄に食べる事が出来なかった。俺が触る事すら嫌がって、明るくて素直だった弟が…、あれから全くの別人になっちまった」
ふと、抱き締めていた身体を離す。
ライスの顔を見つめて、
「お前は昔のあいつに…、ちょっと似てるよ」
独り言のように呟いて小さく笑みを浮かべた。
「今じゃお前も知っての通り『赤虎』のヘッドをやってるが、俺としてはあのくらい威勢がいい方が安心してる。
とにかくあの事件の後、弟が立ち直るまで容易な事じゃなかった。
だからお前にはそんな想いをさせたくなかったんだよ、どうせ初体験なら野蛮な暴漢より俺の方がマシだろ?」
ライスの頬を撫でながらそんな事を言う。顔は笑っているが言葉は本気なのだろう。

どうしたらそんな馬鹿な結論になるのか分からなかった。だが、気持ちが分からない訳でもない。

ネコを引き寄せて抱き締める。
「ネコのせいじゃないよ。もし俺がそんな目にあっても、それは絶対にネコのせいじゃない。それだけは確かだ。それに弟がちゃんと立ち直れたなら俺だって大丈夫だよ。
こないだザギヅさんの所に行った時に覚悟を決めたんだ。ここで生きるには必要な事だってネコ、言っただろ?」
慰めるように頭を撫でる。ネコからの返答は無かった。


ライスだって不確かなのだ。絶対など、どこにも無い。
ネコの抱く懸念を拭い去る事は出来ないだろう。


それでも少しは納得したのか、ネコはそれ以上は何もしようとしなかった。
その後、茶化すでもなく。
大人しいネコとどう接したらいいのか分からず、しばらく抱き合ったままだった。




■━━━━━あとがき━━━━━━━■
2014.10.10




 ***9 『近く、遠く』***


お互いに無言のまま道を進む。
路地を曲がりまた曲がり、その繰り返しが続く。そうして突き当たりを曲がった時、視界が一気に広くなった。狭いアスファルトの道に新鮮な空気が流れ込む。

清掃されたアスファルトに落書きのされた壁がアンバランスな雰囲気を醸し出す。ここから広がる混沌とした路地裏と、健康的な街との狭間に立っているようだった。

道の両端には樽が整然と並んでいた。そこから歩く事、5分ほどで繁華街が目前に現れた。

久しぶりに見る繁華街は明るくて健康的だった。道行く人々に活気の溢れる掛け声が掛かる。思わず顔を上げるライスだ。
タイルの敷かれた道路に壊れていない電灯が立つ。そんな些細な事に小さな驚きを感じていた。それだけライスが『血塗られた楽園』の生活に馴染み始めている証でもあった。


「逸れるなよ」
ネコが小さく言ってライスの袖を引く。
「あ、うん」
気を引き締め直すライスだ。ネコの後を大人しく付いて行った。
ネコの歩みはスムーズだ。あの路地裏ですらネコが道選びに躊躇うという事は無い。

改めてネコに感心していると奥まった所にある小さな喫茶店に入っていった。店番に硬貨を渡して、店の隅にある布で仕切られた一角に身を滑らせる。そこには既に先客がいたが、気にした風も無くネコが手を差し出した。

彼こそが、会いに来た目的の人物なのだろう。


「久しぶりだな、今月の上がりはどうだ?」
軽く握手をして拳を互いにぶつけ合う。ネコの問い掛けに男がニヤリと笑った。
「上がりはいいよ。今回の出来に上客も満足さ。先に渡しておく」
言ってアタッシュケースをネコに渡す。白い紙に包まれた何かがぎっしりと詰まっていた。思わずぎょっとするライスだ。
それを察したのか、
「そいつは?新しい子分か?お前が連れてくるなんて初めてだな」
男が見定めするようにライスの全身を見回した。
「別にいいだろ」
特に否定もせず取り合う気もないらしい。指で包みを確認していたネコがカバンを椅子の横に置く。それから真剣な眼差しで、
「最近の状況は?」
男にそう尋ねた。
ライスを観察していた男がネコに視線を移す。
二人の関係を特に詮索するつもりもないらしく、
「芳しくないね」
短く答えてカップを口へと運ぶ。一口飲んで、軽く息を抜いた。

「FG地区は半年以内に消滅するだろう。特にF地区は数日内に掃討されるそうだ」
「冗談だろっ?!」
さすがのネコも驚きの余り声が大きくなる。男の人差し指がネコの唇に触れて黙るように咎めた。
「確かな情報だ。今後10年内に『血塗られた楽園』は完全に消滅する。いよいよ上も本気でゴミ掃除するつもりって事さ」
「…10年って、…住んでる人間はどうするんだ?」
諦めろというように両手をあげた男が降参のポーズをした。
「奴らがどうするかなんて分かりきってるだろ。」
刺すような目をネコに向けてじっと見つめる。
「どうせあそこは落ちぶれた旧主の墓場だ。現主にすれば瓦礫の山でしかない。人間も何もかもひっくるめて、な。」
「…FG地区に警告しておくよ、あそこは孤児院もあるんだ。また新しい場所を見つけてやらないと」
参ったように首を摩るネコに、男が残念そうに見つめ小さく頷いた。

カップに残った飲み物を一気に飲み干して、

「俺がお前に忠告出来るのはこれが最後だ。危ない雲行きになってきたから俺も高飛びさ。

ネコ…、お前に会うのも最後だと思うが、逃げるな ら早く逃げろ」
急ぐように男が席を立つ。手を差し出す男に、
「今まで無理をさせた。ありがとう」
がっちりと握手をして引き寄せる。男の頬に口付けて小さく耳元で何かを囁いた。
僅かに驚く男が似つかない笑顔で、
「お前に会えた事を誇りに思ってる。達者でな」
そう言って肩を叩いた。
それから思い出したようにライスを振り向いて、

「ネコをよろしくな」
男が笑みを浮かべて言う。ライスがしっかりと頷いたのを見て、布の向こうへと去って行った。

「何を勘違いしてるんだ、あの馬鹿は」
ネコの文句にライスが小さな笑い声を立てる。

ふと真剣な顔になったネコが、
「本当に…、俺と来るのか?」
再度、意思を確認するように訊ねた。
「しつこいよ!」
笑いながら言い返すライスの足を軽く蹴るネコだ。僅かに頬を膨らませてソッポを向く。
「あそこ、いつか無くなるぞ。それでも俺と、来るのか…?」
独り言のように小さな声で呟くネコが。

何とも子どもっぽくて。
本来であれば危機感を抱くべき状況なのに笑ってしまうライスだ。


それが余計にネコを不機嫌にさせたのは言うまでもない。




*****************************************




それからネコが向かったのはF地区と呼ばれる場所だった。繁華街からは僅か30分程度の距離にあるそこは他の路地裏に比べ子どもが多く、また4,50代の年配者も多かった。
「あっ!ニコだー!」
まだ6,7歳の子どもがネコの存在に気が付いた途端、勢いよく飛び掛り抱き付く。それを易々と受け止めて少女の髪を撫でた。
「元気にしてたか?マザーはいる?」
「ニコー!聞いてー、トムったらね、私の髪がおかしいって言うの!」
ネコの質問に答えることなく、少女が無邪気に文句を零した。
金色と茶色の混じった斑柄の長い髪を引っ張ってネコの目の前に翳す。傍らにいるトムと呼ばれた少年が彼女の髪を手で鬱陶しそうに払った。
「そんな汚い色おかしいじゃねーか!普通じゃねーよ、バーカ!」
「馬鹿って言う方が馬鹿なんだもん」
舌を出して痴話喧嘩する二人に苦笑するネコだ。トムの頭に手を置いて、
「好きなら好きって言えよ、男ならな」
ニッと笑えば、火が付いたように顔を赤くする少年だ。
「だだだ、誰が…!」
「あんた、私の事好きなのぉ?」
「ふ、ふざけんな!バカ女!」
ネコをそっちのけで口喧嘩を始める二人を見て、諦めたようにその場を離れる。
ライスを手招きして、小さな聖堂へと入っていった。

石組みの壁にはヒビが入り今にも崩れそうな雰囲気の建物だった。建物全体を支えるように立つ大きな柱は部分部分で欠けていて、見ているだけで不安になるような状態だ。それでも土台はしっかりとしており、見た目以上の頑強さで子ども達を守っていた。
ネコが中へと入った途端、存在に気が付いた子ども達の声が甲高くなる。教鞭を握る老婆が彼に気が付いてにこやかに微笑んだ。

子ども達が長椅子を掻き分けるようにやってきてネコに群がるのを意外な思いで見つめるライスだ。
「授業中だったんですね、お邪魔をしてしまって申し訳ないです」
ネコの敬語は何度聞いても慣れない。
ライスが傍らで大人しくしていると、
「無印の方?ニコが友達連れてくるなんて珍しいわ」
彼女がライスをちらりと見て、本日2度目の台詞を呟いた。
路地裏では彼女ほどの年配者は珍しい。恐らく最高齢じゃないかと勝手に推測してしまうライスだ。とはいえ、彼女に覇気が無いという訳ではない。明快な喋りにハッキリした滑舌、そして何より笑顔が素敵な老人だった。

「これ、重いので気を付けて」
ネコが差し出すのは先程受け取ったアタッシュケースだった。
「とても評判が良かったですよ。彼女たちも日に日に技術が上達してるみたいだ」
ネコが後ろで騒ぐ子ども達を振り返る。マザーがカバンの重さを確認して僅かに驚いた。
「重いでしょう?今回は随分と売上が良かったみたいです」
「いつも街にあの子達の作品を売ってきてくれて有難う。ニコのお陰で、こうして生きていけるのよ」
にっこりと微笑む彼女からは後光が差しているかのように穏やかで愛に満ちた空気だった。ネコが釣られたように小さく微笑む。
それから僅かに表情を暗くして、
「大事なお話があります、ちょっとよろしいですか?」
そう切り出した。

それが何か、すぐに悟るライスだ。
こんなに幸せで穏やかな空間なのに。


数日内には軍がやってきて全てを滅茶苦茶に破壊してしまうというのだから、悲しい事だった。

いや、楽園の全てが平和で穏やかな訳ではない。
この幸せな空間は極ほんの一部でしかなく、犯罪が蔓延し違法な物が渦巻いている世界なのだからそこを正常にしようという思考も正しいものなのかもしれなかった。

住んでいる人間を視野に入れているのならば。



ライスの表情が暗くなっていく。
ネコがそれを横目に見つめていた。





■━━━━━後記━━━━━━━■
2014.10.16




 ***10 『小さな変化』***


「G地区が無くなるってデマじゃなくか?」
F地区に行ったその足で、そのままザギヅの所に来たネコがした警告はそれだった。というのもG地区はZの敷地で、ついでに言えばF地区もZの敷地であった。
「F地区にある孤児院の代わりの場所を探してるんだが、いい場所ないか?」
ネコの本題に、ザギヅが呆れの溜息を返す。
「お前、俺のエリアが2箇所も無くなるってーのに随分と勝手な言い分じゃねぇか」
顎を持ち上げて乱暴に離す。かなり苛立っている証拠だった。
「悪い…俺も焦ってて」
「…まぁ、いい。この際それは目を瞑るとして…。
何でこいつも一緒なんだ。あぁ?!こんな大事な話の時にっ!」
隣で大人しく話を聞いていたライスを親指で差して牙を剥いた。


かなり、どころではなく相当苛立っているようで、ザギヅにしては珍しく感情的な物言いだ。
「なんでって成り行きで、急いでたから…」
ネコの歯切れの悪い言い訳が余計神経を逆撫でしたようで、
「ふざけんなよ?」
ネコを睨み付けたままライスの肩を手の平で突き飛ばした。
「す、すみませんっ!俺が付いてきちゃったんです!」
後ろに転がりながらライスが慌てて謝罪する。それを冷酷な目で見下ろすザギヅだ。
それからネコに視線を移し胸倉を掴む。
「ここがどこか分かってんのかっ?てめぇのエリアじゃねぇんだよ。

無印をホイホイと俺のエリアに連れて来んじゃねぇぞッ!」
目の前で凄むザギヅの剣幕に驚くネコだ。こんなに感情的なザギヅを見るのは初めてかもしれなかった。


いつもしれっと冗談を言い合う関係なだけに、何が琴線に触れたのか分からない。
いや。ライスが原因なのは分かっているが滅多に怒らないザギヅなだけに驚いたのだった。

「本当に悪かったよ。こいつは信用できるし方向音痴だから、つい…」
「…『つい』?ついだと?
てめぇ…。ヘッドの住処がバレる事がどれだけ危険か分かって言ってんのかっ!」
胸倉を掴んだままのザギヅが感情を持て余したようにネコを揺さぶって問い直す。その激情にネコが困惑の表情をして戸惑いを露わにした。
「ッ…、お前、マジでムカつくぜ!」
ネコを放り投げるように突き放してライスを再び指差す。
「孤児院は俺の方でどうにかする。お前はこいつ連れて帰れ」
打って変わったように静かな声でそう指図した。

ネコに冷たく接するザギヅは珍しいが、全く無い訳でもない。
「ザギヅ、素直に謝る。住処に連れてきた事は本当に悪かったと思う。今後は気を付ける」
乱れた襟を正して、尻餅付くライスに手を差し伸べる。どうしたらいいのか分からずにいるライスにジェスチャーで何も言うなと制して、手招きした。
静かに帰ろうとするネコに、
「…シノから連絡があって、A地区の該当場所を見張らせてたんだが。
リンの行動がよく把握出来る建物はどちらも『赤虎』のメンバーが住んでたそうだ」
そう告げた。
ハッとしたように振り返るネコにザギヅのまだ怒っている青い目が突き刺さる。
「もっともそいつらはもう死んでるから尋問も出来ねーし何の証拠にもならんけどな」
「死んでるって…なんでだ」
「さぁな、あいつらも新しいグループと揉めてたようだから、トラブったんだろ」
興味もなさそうにザギヅが言って背を向ける。
「…助かる」

お互いの情報提供で貸し借り無しだと言いたいのだろう。
一応の礼を言って足早にその場を去った。




*****************************************



洋館に帰ってくるまでのネコはずっと無言だった。疲れたように入り口に置いてあるソファに腰掛けて考え込む。明りも点けず一点を見つめるネコは怖いものがあった。

ライスが心配そうに隣を窺う。
その視線に気が付いて、唐突にソファから立ち上がった。


「何か飲むか?今日は振り回して悪かったな」
珍しい謝罪で、僅かに驚いた。
疲れた表情のネコが心配になる。一日中歩き回って、手に入れたのは嫌な情報ばかりの散々な日だった。


「…俺、全然平気だよ」
ライスのその言葉が。


いたく気に入ったようで。
「そうか。特別にレモン汁で何か作ってやるよ」
首を軽く傾げて優しく微笑む。とても満足そうな笑顔に、思わず心臓が高鳴るライスだ。

日頃はふてぶてしいネコだが、たまに無自覚でこういう仕草をする。
自分の方が遥かに頼りない筈なのに、ネコを守らなければという訳も分からない使命感に燃えた。



「ネコ、帰ってたんだ」
ケセが二階から降りてきて明かりを点ける。
「リンはまだ安静にしてなきゃいけないみたいだから、こっちには移せなかったよ。代わりにシノがどうにかしておくって言ってたよ」
ネコの目の前まで来てふと顔を覗き込む。
「何かあったの?」
心配そうに訊ねるケセに沈黙を返すネコだ。どこまで言うべきか思案しているようで。
無言のネコを不思議そうに眺めていたケセが訳を問うようにライスに視線を送る。
ネコが言わない事をライスが言う訳にもいかず、ただ視線を返すしかなくなった。


少しの静寂の後、
「『赤虎』がリンを襲った犯人かもな。今日、ザギヅが言ってた」
そうネコが告げた。
他の話は言うつもりは無いようで、ライスも今は言うべき事ではないと知る。
「そっか…。
ユウキがそんな事、するかなぁ。今まで『白猫』のメンバーを狙ってたのに、いきなりリンを狙うって何か釈然としないよ」
ぽつりと呟くケセに、ネコも同じ気持ちなのだろう。
納得していない顔で首の後ろを触った。
「犯人は『赤虎』じゃねぇってあいつら言ってたけどな…。弟の考えは別にあるのかもな」
「ユウキが本気で『白猫』を殺りに来てるなら、ちゃんと対策しないと取り返しが付かない事になるよ。ユウキはそんなに無計画じゃない」
その言葉に、どきりとしたのはライスだけではないだろう。


ネコが再び沈黙した。

二人の話を見守っていると、二階からワンやアオイが騒々しく降りてくる。シノを除く主要メンバーが揃うのは久しぶりの事で、
「ネコ…!俺の所に来た褐色肌のやつら、返り討ちにしてやりましたよっ!」
ネコの姿を発見したアオイが意気込んで駆けて来た。
「褐色の奴らじゃ分かる訳ねーだろ」
ワンの呆れた突っ込みも目を輝かせるアオイには届いていない。
健気な犬のようにネコに誉められるのを待っていた。

「そいつは心強いな」
ポンポンと二度、肩を叩く。
ネコの言葉に感激したように、
「でしょう!俺、頑張りますからねっ!」
力強く言って一人で何度も頷く。それを見るネコにも笑みが浮かんだ。仲間に癒されるネコにライスも自分の事のように嬉しく感じていた。

「あっ!こいつ、こないだの無印!
何、ネコの隣をちゃっかりキープしてんだ!クソヤローっ!」
見掛けの雰囲気には不釣合いの罵り言葉を吐いて、ライスを押しのける。
その勢いに呆気に取られていると、ネコが慰めるようにライスの頭を軽く撫でた。
その行動が逆に反感を買う。
「あー!ネコっ!何でこんな奴を甘やかしてんですかっ!無印なんか何の役にも立たないっすよ!」
耳元で大声で怒鳴る。

思わず耳を塞いだネコが、
「とりあえず飯にでもするか?」
そう言って場を纏めれば、誰一人文句をいう事なく賛同した。

食事といっても大した物でもない。
パサパサのパンに具が入らない質素なスープ、干した肉にほんの少しの野菜が添えられる。後はフルーツがメインだった。
それでも、みんなで囲む夕食は美味しいもので。


いつになく和やかで明るいものだった。





■━━━━━あとがき━━━━━━━■

10話以内に終わらなかったですね(^_^;)。次のページに続く…(笑)
2014.10.17

『拍手する』




 *** 11話へ →***