【ファンタジー,俺様,王,人外,獣】

***1***

古から存在するその森は、非常に奥深く人の立ち入らない未開の地とされていた。
そうして、いつの時代からかジャングルの王を名乗る者が現れ、その得体の知れない地を統べるようになっていた。
幾度、戦になり人々の侵略を受けようと、其の度に彼らは逃げ帰る羽目になる。いつの頃からか、近隣諸国はその地を不可侵の領域とし、ジャングルの王には最上の敬意をもって接するようになっていた。


そうして、世襲でもなく武力によってのみ世代交代するその王は、この10年余り、一人の男によって統治されていた。


歴代のジャングルの王の中でも特に色濃く魔山の影響を受け絶大な魔力を誇るその男は、常に白熊の毛皮を羽織っていて、魔力が宿るとされる髪は腰丈まであり白銀の美しい髪の持ち主であった。
動物だけでなく『異』のモノたちも彼が来れば、たちまち道を開け、彼を恐れる。


人々はそんな彼を『白森王』と呼んだ。


**********************


白森王に会う人々は皆、口を揃えて同じ警告をする。
それはただ一つ、『彼の顔を決して見てはいけない』、この言葉だった。


ジャングルの王には敬意を払え。でなければ報復を食らう。
そう歴史に教えられてきた近隣国は、彼と謁見の場を設けるとき、必ず国を統べる者、もしくは同等の者を差し向けた。
そして、その敬意に応えるように、白森王も必ず自らが前に出て、彼らを持て成した。


初めて白森王を見る者はその異質な姿に驚くだろう。
大きな牙の生えた獣の面で顔を隠し、見えるのは彼の鼻から下だけだ。白熊の毛皮を羽織る体は平均的な男性よりも一回りは大きく、その背は優に180?を超す。手には太い獣の骨を加工して作られた鋭利な槍が握られており、やってきた人間たちを見て、地面にそれを易々と突き刺し固定した。
「黒狂狼の件か。人間」
頭を垂れ、挨拶を述べた隣国の王子に開口一番、そう聞いた。
「その通りでございます。白森王。供え物もお持ちいたしました」
言って、すぐに彼の従者たちが豚を数十頭、連れてくる。
それを一瞥した彼が、
「たかが狼のために用意がいいことだ」
笑って、切り株に腰掛け足を組んだ。獣の面の下から見えるのは、鋭そうな犬歯だ。
「狼退治の件、受けよう」
短く言った後、指を鳴らし傍に仕える『異』のモノに指示を出す。
「ヒューリットの王子。初対面だったな。顔をあげろ」
低い声が命令口調で言うと共に、香り立つ酒が彼の目前に運ばれる。
従者たちにも同様の物が出され、切り株に座ったままの彼が、盃を掲げた。
「我らの縁に」
言って、彼が獣の面を取る。


そうして、『彼の顔を決して見てはいけない』という忠告の意味を知った。


白銀の髪が白い獣の面と混ざり、同化する。
名高い細工師が作り上げた宝玉よりも、美しい光を反射する深緑の瞳が彼を見つめていた。
釣りあがった眉に、長い睫毛に縁どられた目は彫りが深く、通った鼻筋から唇に至るまで、どれを取ってもまるで作り物のように左右対称で完璧な形をしていた。


白森王は魔山から生み出された異質なる存在だという噂もあったが、あながち間違いでもない。彼の造形は神が作ったと言っても過言ではないほど勇ましくも美しく、そして緻密な計算をしたかのように整っていた。


生きて呼吸しているのが不思議なくらい整い過ぎた美貌に、息を飲む。
渡された盃を口元に運ぶのすら忘れ、呆けたように見惚れていた。それは彼だけでなく従者も同じで、みな放心状態だった。


「…ふむ」
男が呟くと共に獣の面を被り直す。


然程、意外な反応でもない。
獣の面はそのために被っているのであって、威圧感を演出するためでも何でもない。


呪縛から解かれたように息をする彼らを見て、盃を一気に飲み干す。
突き刺していた槍を引き抜き、軽々と手先で回転し、薙ぎ払った。


突風が吹き荒れると共に、供え物が一斉に崩れ落ちる。それとともに、彼の周囲に獣が集まり、『異』のモノたちが不思議な言葉を発した。
「狼退治か。腕が鳴る」
彼の言葉を号令にするように、雄叫びをあげる獣たちに、ジャングルの王の意味を悟っていた。


たとえ何があろうと決して手を出してはいけない、禁忌にも等しい存在、それが『ジャングルの王』だ。


背中で一纏めにされた白銀の髪が風に煽られ揺れる。
勇ましい白森王の存在感に圧倒され、無意識に頭を垂れる彼らだった。


***2***

白森王の狩りは勇ましく、体高2mはあろうかという白い獣の背に跨って木の枝を物ともせず森を駆け抜けていく姿は猛々しいものだった。彼の周囲を守るのは、同じく白い体毛の獣3頭で、常に白森王とは行動を共にする。
唸り声をあげながら周囲を威嚇する彼らを見れば、易々と白森王に寄ってくる輩はいないだろう。


一方、黒狂狼は人家のすぐ近くの平原から森を住処とする大狼のことで、群れを成して生活するイヌ科の動物である。群れのリーダーは通常の個体に比べ1.5倍ほど大きく、体高は1.5mほどはある大きな獣で、発達した四肢と頑強な顎を持ち、獲物を追う時は時速40kmほどの速度を30分近く継続して走れるといわれ、人々から畏れられていた。
とはいえ民家を襲うことはほとんどなく、彼らは基本的に固定のテリトリーでしか生息しないという習性を持つ。
彼らが民家を襲うようになってしまったのは、単に魔山から漏れ出る瘴気にあった。


通常、魔山から放出された瘴気は空へと昇っていくのが常だが、時に大地に降り注ぐことがあり、それは窪地だったり、水だったり、沼地だったりと一定の場所に溜まり場を作ることがあった。


そうして、魔山の瘴気にリーダーが侵されれば、群れ全体が『狂った狼』となり、生きるためでもなく、ただひたすら殺戮を繰り返すために村々を襲い、辺りを食い散らかす『狂気』となっていた。


白森王が引き連れる『異』のモノも類似の性質を持つが、全く別物で、形は様々だが、魔山の与えた影響が無機物なのか、はたまた全く新しい生命体なのかにより異なるが、いずれも固有の意思を持っているという点で共通点があった。
『異』のモノは、生物が狂った成りの果てではない。彼らは魔山を、そして『王』を守る、という使命を負っていた。
そして、凶暴な生き物となり果てた大狼の『狂気』も、白森王の前ではただの獣に過ぎず、村々を襲いながら南下していく『黒狂狼』の群れと白森王が遭遇した時、勝負は一瞬で着いていた。


対峙した時『黒狂狼』の目は赤い光を放ち、正気を失っていた。目の前にいるものはなんであろうと食い殺さん勢いだったが、
「気の毒なものだ」
白森王の言葉に、跨っていた獣がその狂気に物怖じもせず突進していく。
彼が槍を薙ぎ払うだけで凄まじい風と共に生じた衝撃波が大狼たちを蹴散らしていった。空中にいくつもの紋章が浮かび上がる。それから獣に跨ったまま、物凄い早さで槍を投げ付け、それは防ぐ間もなく真っすぐに『黒狂狼』の額に突き刺さっていた。

大きな音を立て、巨体が崩れ落ちる。

獣から飛び降りて歩み寄っていく彼が、両手を広げ小さく唱えれば、空から光の矢が降ってきて、唸り声をあげて蠢く大狼たちを地面に縫い付けていた。
地面にうずくまるようにして息絶えた『黒狂狼』の体毛を優しく撫でながら、安心しろと囁く。
そうして、白森王が手を真っすぐ縦に切る。途端に眩い光が指先から溢れ出し、辺り一帯を白く染め、大狼たちを染めていった。周囲を取り巻く黒い瘴気が瞬く間に消えて、彼らの目に正気が戻っていく。
「去れ」
白森王の言葉に、頭を振りながら身を起こした彼らが礼をするように一声鳴いて、何度か振り返りながらその場を去っていった。


それをしばらく見送っていた白森王だったが、
「人間に伝えろ。旨いメシと新鮮な湯、そして褒美をよこせとな」
命令すれば、地面がぼこぼこと盛り上がりどこからともなく『異』のモノが現れ、白森王の耳朶からピアスを一つ受け取り恭しく口づけをした後、再び地面の中へと消えていった。


「人間か。久しぶりだ」
愛おしそうに黒い体毛を撫でる彼の口元には慈愛の笑みが浮かんでいるのであった。

***3***


「お許しください。白森王!」
白い羽織り物を着ただけの格好の男が、跪いて許しを乞う。大神殿の聖域と呼ばれるそこは、壁一面が純白に覆われ、床は汚れ一つない冷たい大理石だ。太い石柱が四方を支え、天井には優美な聖獣が描かれる。部屋の中心には清め場があり、湯気を立てる新鮮な水が竜を象った石像の口から流れ落ちていた。
「自分には将来を誓い合った恋人がいます!」
無機質な広い空間に、彼の声が響き渡る。
清め場の縁に腰を下ろす白森王は、あぐらをかくように足を自分の膝に乗せ、頬杖を付いた格好で、口元には愉快そうな笑みを浮かべていた。
白熊の毛皮を羽織り、獣の面をしたまま笑う男には何の邪気もないが、
「どうか、お許しを…!」
頭を垂れ恐怖に震えながらもそう叫ぶ彼にとっては、威圧的で恐怖の対象でしかない。

ましてや、あの不可侵の領域を支配する王だ。
その男に逆らおうというのだから、臆しない方がどうかしている。

「彼を愛しているのです。たとえ王の命令であろうと、これだけは出来ません」
頭を地面に擦り付け、思いの丈をぶつける男に対し、
「愛か。実に下らん感情だ。如何にそれが陳腐なモノか、実感させてやろう」
白森王の言葉は非常に軽いもので、笑い声を立てながらの言葉であった。

清め場の縁から立ち上がると同時に、彼が身に着けている装飾品が音を立てる。
白森王の格好は非常にシンプルでありながら、ジャングルの王らしい格好で、肩から羽織る白熊の毛皮は胸元で優雅なボタンで留められてはいるものの、中は剥き出しの素肌であった。首元に幾重にも付けた金色の首飾りと、腰に巻かれた皮ベルトが民族衣装のような姿で野性味を感じ、筋肉質の肉体が健康的に映る。
上半身が裸同然であれば、下半身も森人らしく、丈の短い布切れ一枚を纏っているだけの姿だった。もっとも下に何も履いていない訳ではなかったが、日頃は付けている膝当てとナイフ、履物を脱いだ姿は、見ようによっては無防備な姿だ。
「人間、お前に拒否権は無いぞ。俺の食事として提供されたからにはな」
歩み寄りながら獣の面を取る。
「どうか、どうか…!」
地面に伏せたままの男の顔を持ち上げて、
「大人しく食われておけ」
男の顔を覗き込むようにして言った。
間近にある美貌は、男の思考を真っ白にさせるほどの威力で、予め白森王がどんな存在か聞いていたとしても抗えない魔力がある。整い過ぎた顔は彼に一瞬で現実を忘れさせ、そんな彼を白森王は簡単に押し倒していた。
「王が言うには、君は国一の神聖魔力の保持者らしいな。以前、ゼノ卿の魔力は食ったことがあるが、やはり年寄りは淡泊で好かん。君はどうだ?」
言いながら跨って、反応を見るように男の肌に手を滑らせたあと、そのまま下半身に触れ、緩く握った。
白森王の顔に見惚れていた男が、びくっとして身体を震わせる。
「は、白森王…、だ、駄目です…」
戸惑いと期待を宿しながら拒絶の言葉を言う男の態度に、さも可笑しそうに笑った白森王が、自身の犬歯を舐めて獣の目をした。

彼の虹彩は明らかに人間のモノとは異なり、深みのある複雑な文様を描く。特に、瞳孔が縦長に狭まった時の表情は残忍な獣そのもので、その表情が余計に彼の容貌を際立たせ、見る者を魅了していた。
「好きなだけ抗え。生存本能の前では、感情なんてものは何の価値も無い」
赤い舌が唇を舐め、腹を好かせた獣のように獰猛な顔を見せる。そんな顔すら、白森王の整った容貌は見惚れる対象で、彼がどんな顔をしようが、何をしようが、彼の美貌からは目を逸らすことが出来なくなる。
それはどんな魔法よりも強力で、白森王の一番の怖いところはこういう所だろう。


************************


「っぅ…っぁ、…白、森王、…お止め、下さい…!」
濡れた音が響く中、男が熱に浮かされた声で拒絶していた。
ふっと鼻で笑って腰を揺らす白森王は先ほどと同じ態度で男に跨ったまま、服すら乱れておらず、白熊の毛皮を羽織ったままだ。下着を僅かにずらして相手のモノを受け入れたまま、上から高圧的な態度で見下ろしていた。
「俺の中でこんなに硬くしておきながら、君は一体、何を言っているんだ?」
「ア…、っ…、私には、…恋人が…、ッ…」
譫言のように繰り返す男の言葉に頷いた後、中を締め付け、動きを止める。
「っ…!」
息を呑む男の胸に両手を付いて、面白がるように顔を覗き込んだ。
「恋人がいてもいなくても、変わらんだろう?君はそんな言葉を言いながら、俺の中で何度イった?」
笑みを浮かべて問う言葉に邪気は無い。彼らの関係を壊したいとかでも何でもなく、純粋に国一の神聖魔力の味を堪能しているだけで、
「ふ、…ぅ…。…っ」
男が果てるのと同時に僅かに息を吐いた白森王が、瞳孔を細めて身体を震わせた。服すら乱していない白森王のその様に不思議と魅せられ、心を絡めとられる。

中に吐き出されたモノにようやく満足をして腰を上げる白森王だったが、男は違う。
まるで媚薬でも盛られたかのように、彼の肢体を、表情を見ているだけで下半身が熱を持ち、狂ったように猛々しくそり上がっていた。
再び立ち上がる男のモノを見て、白森王が笑って前髪をかきあげた。
「欲求の前では愛が如何に陳腐なモノか、よく分かっただろう?」
笑みを浮かべて言った後、身を起こす。その拍子に彼の太ももの付け根が剥き出しになって、黒い紋章が巻きつくように広がっていることに目を瞠った。この紋章は、彼と寝た者でなければ目にすることもない場所にあり、緻密な文様が筋肉で盛り上がる美しい太ももを捕えるように描かれ、彼が魔山の申し子だという話を思い出す。

「神聖魔力は、濃ソが好物の魔気だ。君のは中々いい。俺の中の神聖魔力にアレが喜ぶな」
言いながら男に背を向け、離れていく白森王には余韻も何もない。
遠ざかっていく背中を見つめたまま、たった今抱いていた身体に猛烈な独占欲が湧き上がっていた。
男が惚けたように見つめる中、今まで服を脱ぐということもしなかった白森王が羽織っていた毛皮を脱ぎ捨てた。腰のベルトと共に下半身を覆っていた布を取り、床へと落としていく。中に着る下着は肌の透ける素材のもので、筋肉で盛り上がった臀部が半分ほど露わになり、勇ましい身体に不釣り合いな色っぽさを醸し出す。

恋人の存在など、とうに頭の片隅へと追いやられていた。
後ろ姿だけで欲情させる白森王の気配に、当てられたように頭の中は彼で一杯になる。

そんな男には目もくれず、いくつも付けていた首飾りを外しながら、背中で編み込み一房に束ねていた髪の毛を解いた。

流れるように広がっていく美しい銀髪に、その余りの美しさに。
息をのむ。

彼の体内に溢れる魔力が白い光を放ちながら大理石の床に零れ、目がチカチカするような光を纏って神々しいばかりの姿だった。もし神が存在するなら、間違いなく彼がそうであろう。

ゆっくりと清め場に浸かり、濡れた髪を片手で纏めて身体の前へと流す。
「っ…!」
唐突に男を振り返り、清め場の縁に両腕を置いた白森王が獣の目で笑った。
「そんなに熱の籠った視線を送らずとも、気が向いたら次の機会をやろう。自分の魔力の高さを誇りに思うといい」
犬歯を剥き出しにして笑う顔は獲物を狙う獣のような鋭さで、それでいて、
「ふぅ…」
温かな湯の中、心地よさそうに息を吐く姿は先ほどの熱を思い出させるには十分過ぎるほど、魅惑的なものだった。
「…」
恋人がいるという拒絶の言葉は、最早出てこない。
白森王の前では、自分の意思がいかに軟弱でちっぽけなものか、思い知っていた。

それは絶望ではなく、甘い期待でもあり、
「人間。用は済んだ。下がれ」
長い髪をかきあげながら腕に顔を乗せて命じる彼の言葉を、高鳴る鼓動のまま聞いていた。
瞳を閉じてリラックスする白森王を脳裏に焼き付けるようにじっと見つめた後、命令通りにその場を後にする。


食事として選ばれた者たちは皆、彼との行為を『食われる』と表現するが、事実その通りで身も心も食われるような体験をさせられる。
それすら心地よいものへと昇華させ、信者を増やしてしまう白森王は、まさに天性の『王』ともいうべき存在だった。

***4***


白森王が森から出ることは少ないが、全く無い訳ではない。今回のように何かを依頼され、報酬を求めた場合、大概がそのままその国に数日からひと月ほど留まることが多かった。
白森王にとってはただの興遊に過ぎなかったが、接待する方としては細心の注意を払って粗相がないように気を遣う羽目になる。

その日も用意された客室のソファにどかりと大股で座り尊大な態度で寛ぐ白森王に対し、彼の正面に立ったまま対応するヒューリットの王子、ノントは緊張で表情を強張らせながら彼と会話をしていた。
「もし街を散策されるのでしたら、お召し物をご用意しましたので、そちらにお着替えなさった方が目立たずに済むかと存じますが、いかがされますか?」
「ふむ…」
ノントの後ろに控える男の両手には、綺麗に折り畳まれた状態の服が乗せられていた。
獣の面の下からそれを一瞥した白森王が、顎に手を置いて小さく唸る。
「君らはよくそんなにも邪魔な物を纏えるものだ。動き辛かろう?」
「…我々の世界では、極端に素肌を見せる格好はあまり好ましいものとは言えません。衣装を纏うことも個性の一つですし、相手への気遣いの現れでもあります」
「煌びやかな物に価値を感じるのは、人間特有の感覚だろう。俺は中身にしか興味は沸かん。
実際のところ、何を着た所で目立たずに済んだという経験は無いが、それが礼儀というなら、それに従おう。どの国でも主の指示には従うからな」
特別なのはヒューリットだけではない。まるでそう宣言されたかのように感じ、ノントが僅かに表情を曇らせた。
白森王にとっては、数ある友好国の一つに過ぎないのであって、今回は偶々滞在を決めただけだ。

ジャングルの王と交流を持つことは一つのステータスにもなっていて、国で言うなら強力な後ろ盾を得たようなものだ。何か有事の際には、ジャングルの王が仲裁に入ることもある。
彼の、そして魔山の強大な力の前では、互いに牙を抜かざるを得ない。それほど、ジャングルの王の決定は大きな干渉事の一つで、それ故に彼自身も特定の国だけを特別視したりはしなかった。

白い獣の面を付けたまま、目の前に運ばれた大量の食事を素手で掴み、大きく口を開ける。鋭い犬歯の合間から舌を出して、赤みのある肉の塊を迎え舌で口の中へと放り込んだ。
仮に、同じ仕草を他の者がしたら、間違いなく品がない所作だと罵られるものだったが、白森王がするその動作は、むしろ非常に『らしい』もので、大きな肉の塊も難なく噛み砕いて飲み込む姿は、食とは本来こういうものだと思わせる強い活力があった。

「ふむ」
指を舐め、次から次へと移る手は躊躇いがなく、あっという間に平らげていく。美味しそうに食べるその姿は食欲をそそるもので、空腹でなくとも空腹を感じさせるほど、強い欲求を覚えるものだった。
シェフが彼の食事風景を見ることがあったなら、彼のために何だってするだろう。礼儀作法など、どうでもよくなる。それほど彼の食事は豪快で、シェフの冥利に尽きるものであった。

全ての皿を空にした後、唇を手の甲で拭ってゆったりと息を吐く。
獣の面で彼の表情を見ることは出来ない。唇しか見えない状態ではあったが、彼が出された食事に大層、満足していることは分かった。
最初から最後まで、沈黙のまま彼の食事風景に目を奪われていた彼らが、呪縛から解かれたように顔を見合わせる。
「ご満足していただけたようで何よりです」
「数々の持て成しに礼をしよう」
立ち上がった白森王が羽織っていた毛皮を脱ぎ、欲しいものは何かと彼らに問う。

彼の体躯に見惚れる男の手から服を受け取り、袖に手を通しながら、
「泉の水で作った魔法瓶を1つやろうか」
さらりと仰天させる言葉を言った。

白森王の魔法といったら、この世で右に出る者はいないと言われるほど絶大なもので、それがどんなものであれ、喉から手が出るほど欲しい希少なモノだ。彼が手を加えただけで、市場では高値で取引され、模造品が流通するほど効果が保障された代物だった。

彼らの欲の絡む目を見て、白森王があざ笑う。
「決まりだ。代わりにしばらく自由に滞在させてもらう」
「ありがとうございます。街のご案内は私がいたします」
ノントが恭しく頭を垂れる。

彼らが部屋を出ようとする所で、
「後ろの、君」
「?」
唐突に、白森王が彼らの内の一人を呼び止めた。
不思議そうに振り返るノントの視界に、獣の面を上へとずらす彼の姿が映る。
「ッ…」

彼らがハッとした時には既に遅く、白森王の整った顔貌に目を奪われていた。

深い虹彩を描く獣の瞳が、じっと一人の男を見つめる。
動きを止める彼らの最後尾にいた、まだ年若い男の顎を持ち上げ瞳を眇めたあと、
「!…ぅ、ンう?!」
食後の口直しでもするように、唇を奪う。

常人よりも背が高い白森王とまだ年若い彼との体格差は大きく、首の後ろを押さえつけて深いキスをする白森王の姿は、まるで捕食した小動物を貪るように圧倒的な存在感で、薄く開いたままの瞳は獣の目だ。
蛇に睨まれた蛙のように金縛りに合う彼を、しばらく貪り尽くす。
「…ぅ…、っ」
ようやく唇を解放する頃には、うっとりとした目で白森王を見つめていた。

一方の白森王は、満足そうな笑みを浮かべ濡れた唇を舌で舐め取っていた。
整い過ぎた美貌がするその性的な動作は、その場に縫い付けられ動けずにいた彼らの動揺を誘うもので、途轍もないモノを見てしまったと、興奮させられる。そんな彼らにはお構いなしに、
「君は聖職者か?中々純粋なモノを持ってるようだ。しっかりと鍛錬を積むといい」
指導するかのような声が冷静なまま言った。

獣の面を被り直し、
「…っ」
美貌が隠されたことで意識を取り戻す彼らを見て、歯を見せ大きく笑う。
「人間は、何とも欲塗れなものだ」
だが、と彼の言葉は続き、
「欲求こそ生物の本質だからな。嫌いじゃない」
唇を手の甲で覆ったまま頬を染める若い青年の肩をポンと軽く叩いた。


自由奔放で誰にも縛ることが出来ないのが、白森王という存在だ。
突飛な行動も、白森王がすることは全てが許される。

彼は人間であると同時に獣でもあり、そして世界を構成する自然そのものでもあった。
「では、また後ほど…」
ノントの言葉を聞いた彼が、犬歯を見せて笑った。


一度、素顔を見るとその欲求は高まり、何度でも彼の素顔が見たくなる。
今、その瞳はどんな色を宿しているのだろうと、その場の誰もが共通の想いを抱いたまま、部屋を後にするのであった。

***5***


彼の素顔を見た者は、例外なく金縛りに合う。
白森王にとって、それは見慣れた光景であり今更どうこう思う余地もない反応だ。

そのため、当初提案された素顔ではなく、用意された服装に黒い仮面を付け、街へと出掛けていた。
目元だけを隠すそれは、獣の面よりは目立たないだろう、それでも得体の知れない仮面を付けた男は、どうしたって街を一歩出れば目立ち、それだけでなく、その背丈は街行く人々より頭一つ高く隠れようが無い。

仮面をしてやってくるでかい男を見て、誰もが驚きを浮かべ動きを止める。
すぐ傍を歩く若い王と彼らを取り囲む護衛達に気が付いて、その正体に気が付き道を開けた。

「申し訳ありません。白森王。人払いをすれば良かったですね」
「別に構わん」
短く答えたあと、興味深そうに彼が足を止めて見下ろすのは小さな露店に並ぶ鉱物だ。
視界を完全に遮る偽物の面は目の部分に穴すら空いておらず、白森王がどうやって景色を得ているのかは彼らには分からない。
ただ、何の不自由さも感じられない動きから、仮面を外した時と同様の視界を得ていることが分かる。
「これはヒューリットの特産だな」
「さすがですね。こちらは、燃草石の加工品です。焼きを入れることで着火力を高めることができ、耐久度も上がります」
「石草原が多いそうだな。赤石も多いのは火事が発生しやすい反面、利点も多かろう」
「えぇ。資源には困りませんが、昔から我が国では水魔法が重宝されています」
「そういう国に限って水魔法士は生まれにくい。『異』」
「っ!」
唐突に、白森王が聞き取れない言葉を紡ぎ、すぐに彼の右手下にフードを被った小さな『何かが』空間を歪ませ現れた。

ここは王都だ。防衛魔法で不法な侵入を防ぐ守りの結界が施されている。
『瘴気』も『異』のモノも、容易には入れない仕組みの筈だ。

長い尾が黒いフードの下から見え、地面を一度、強く叩く。
威嚇するように赤く光る眼でノントと警戒する周囲の護衛達を睨み、聞き取れない異形の言葉を発した。

「ふむ。気に食わんとな。愛い奴」
白森王が笑って、フードを被った頭を撫でた。
「金貨が必要だ。不便なもので人間社会では物を買うには金がいる」
『−−−』
「小言か?こういうのも一興だろう?」
『−−−』
「これで我慢しろ」
しばらく小さなソレと会話をしていた白森王が自身の耳朶に触れ、耳飾りを一つ取る。それから彼に分け与えた。
ぶわっと彼から黒い靄が出て尻尾を強く叩く。言葉はなくとも喜んでいるだろうことは分かった。

代わりに白森王の手には、金貨が詰め込まれた革袋がずっしりと乗る。
呼ばれたそれが、恭しくお辞儀をして瞬く間に消え失せた。

「店主。並んでいる鉱物、全て買いたい」
「じょ、冗談でしょう?!」
突然、声を掛けられた主人がぎょっとして後ろにいる男を窺い見れば、彼が神妙な顔で頷き、
「白森王。お金は私が払います」
そう提案した。
「貴方は我々の客人ですので、このくらいさせてください」
「払いたいなら構わんが、高いぞ?」
「いえ、こう見えても王族の息子。私にお任せを。
店主。いくらです?」
「…」
青ざめた表情で沈黙する店主はあまりの事態に頭がついていっていない。一つずつ秤に乗せ計算して、更に青ざめた。
今にも卒倒せん勢いで、
「金貨換算ですと、120枚です。ど、どうされますか?」
これほどハッピーな出来事も無い筈の店主が伺う。
「百?計算違いではなくか?」
「え、えぇ、実はこちらは希少な燃草石でして、カモフラージュさせて頂いてますが、等級で言いますと最上級となります。それ以外にも故郷香、黒光源、白草石、…」
挙げられるそうそうたる名称に眩暈を覚えたように揺らぐノントを見て、白森王が大きく笑った。

「だから言っただろう?」
犬歯を見せて笑う白森王にこんな時だというのにドキリとさせられるノントだ。
一度言った言葉を覆しては男が廃ると言わんばかりに、気合を入れて、
「今すぐ、金貨120枚持ってこさせて下さい」
護衛の一人に指示する。
戸惑う彼を追い立てるように重ねて指示を出そうとした所で、
「ははは。君の心意気は伝わった。ここは素直に俺が払おう」
白森王が金貨の入った袋から、一枚弾き飛ばし、商品棚の上に綺麗に落下させる。
120枚だなと呟き、すぐに連続で弾いていった。その様はさながら手品師のようで、弾かれた金貨が整然とテーブルの上へと並んでいく。
「燃草石は貴重でな。森では採れない」
「貴方の使い道が分かりませんが、何に使うのですか?」
ノントの尤もな疑問に、ニッと笑い、たった今購入した一つを舌の上に乗せ、
「勿論、食すに決まってる」
至極、当たり前のことのように言った。
「!?」
ぎょっとするのは、ノントだけではない。
護衛隊や店主まで仰天し、彼を見る。
その目の前で、一粒、金貨いくらとも言える高級素材をボリボリとまるで飴細工のように簡単に噛み砕いていた。
「燃草石は上等品ほど、口の中で熱く溶けて美味い。炎の精度も高まるし美味で一石二鳥だ。人間には食えないだろうが」
舌を出して粉々になった赤い破片を見せる。小さな炎を揺らめかせながら舌の上で踊るそれを、難なく飲み込んで、おったまげる面々を大きく笑った。

「今ならヒューリットを滅ぼせそうだな。息を吐いたら炎を吹きそうだ」
「や、やめてください」
恐ろしい冗談を言って、ノントを揶揄っていた。

露店で足を止めては気になったものを買い食いする白森王は気軽なもので、身分を隠そうにも隠しきれない。初めに白森王が目立たないようにするのは無理だと言ったのも納得の注目度で、横を歩くノントの正体も必然的にばれ、余計に注目を浴びていた。
羨望や好奇の視線が集まる中、警戒を一層強める護衛の彼らに反するように、全く気にしていない態度で道を進む白森王が、串焼きを口に含んだまま、
「…やはり来たか」
世間話の相槌を打つように呟く。
「っ…!」
ノントを守る護衛が剣を引き抜くよりも先に、白森王の魔法が発動していた。

一瞬の眩い光の後、円を描く白い光が彼らを取り巻く。その淡く暖かな光は瞬く間に巨大な円となって、
「なんて、ことだ…」
空に大きな魔法陣が浮かび上がっていた。
辺りを包み込む白い光が選別するように、数人の怪しい男たちを宙へと引きずり出す。
フードを被った男たちが何事かと手足をばたつかせながら空中でもがく様を見つめる白森王は、観劇でも見ているかのように平常なままで、串に残った最後の一欠けらを犬歯で引き抜き、強く嚙み砕いた。
「つきまといも大概にしろと前にも言っただろう?本当に『聖光信教』は懲りない」
引きずり出された彼らを空中で一纏めにし、白森王が彼らの元へと歩み寄る。
彼の聖唱に応じて現れた白い鎖が、白森王を睨みつける男たちを拘束していった。言葉を封じられた彼らが口をパクパクと動かして抗議するのを、笑み一つで静め、
「羞恥の刑だな」
犬歯を見せ残忍に笑った。
青ざめる彼らを見回し、当然の報いだとあざ笑ったあと、何事かと注目の視線が集まる中、彼らから杖を取り上げ、聖光信教の紋章が入る高貴な服を引き裂く。首をぶんぶんと振って抗う彼らの必死の抵抗も虚しく、魔法の力で触れもせず易々と下着一枚にして、磔にした。
「数時間後には解ける拘束魔法だ。行いを悔いるといい」
白森王が手を振れば、宙に優美な発光文字が浮かび上がる。そこには、白森王に対し、不道徳な行いをした罪、と記載されていた。
白く発光した鎖が形状を変え、彼らの身体を拘束する蛇の姿に変わっていた。細かな光の粒子を零しながら空中で彼らを磔にする大蛇の姿は、まるで最上級の精霊を見ているかのように美しく芸術的なもので、見物人が見世物を見たときのように拍手を送る。

「付きまとう度に同じ刑に科す。帰ったらお前らの教主にそう伝えろ。信者がいなくなるまで続けるぞ」
反論しようと藻掻く男たちだったが、白森王の魔法で口を開くことも出来ずに終わっていた。顔を真っ赤にして呻くのを愉快そうに口角を上げ見つめる。
それから、すぐに興味が失せたようにその場を去る白森王だったが、
「よ、よろしいんですか?仮にも聖職者の方を…」
ノントが呼び止めるように追いかければ、どうでもよさそうに手を振った。
「構わん。彼らは魔山を欲しくて、俺が人間の国に来るといつも沸いてくる連中だ」
「魔山をですか?!」
畏れ多い言葉にノントが目を丸くする。
「俺を手に入れれば、魔山を手に入れられると思っているらしい」
「白森王を!?」
そんな馬鹿なと驚くノントを見て、大きく笑った。
「君は父親には似てないな。随分と純粋に育ったものだ。
誰もが俺に好意的だと思ってるようだが、来訪先で毒を盛られるようなことも驚くことではない」
「そんな!」
本気で憤る様を無言で見下ろした後、思案するように犬歯を舐めた。
僅かに空を仰ぎ、
「所詮、無駄な願望だ」
なんてことないように呟いた。
「魔山は偉大なる自然の神。手に入れようなどと願うことすら烏滸がましい。俺が裁定者であれば、そんな不逞な奴らはすぐさま八つ裂きにしてやるが、そういう訳にもいかないんでな」
言葉の激しさとは裏腹に笑った。

『魔山』の詳細なところは、誰にも分かっていなかった。
聳え立つ大きな山は大陸全域に跨っていて果ては無い。その先に何があるのか、それすら分からない。近づけば深い霧に視界を阻まれ、強い瘴気の毒が人々の侵入を拒む。
古の森と呼ばれるジャングルの獣たちですら近づくことは出来ず、唯一人、『ジャングルの王』だけが深部へ入ることが許されていた。

『魔山とは一体何なのか』
その質問を白森王にすることは、彼の禁忌に触れるのではないかと口を噤む。
白森王とて到底、人間とは思えない存在だ。彼が『異』のモノだと言われれば間違いなく信じるだろう。
だからといって、彼は恐ろしい存在ではない。

「取って食いはしないから、安心しろ」
考え込むノントの表情を見て、怯えていると勘違いして笑う。
『魔山』の正体も、彼の正体も、考えるだけ無駄なことなのだ。


ただ確実に言えることは、白森王の魔法は絶大であること、そして、白森王を打ち負かそうなど愚かなことを考えることがそもそもの間違いということだった。

彼にぎこちない笑顔を返しながら、思考を止めるノントであった。

***6***

白森王が来訪してから1週間ほどが過ぎたころ、ノントは珍しい人物に呼び止められていた。
「ウィーネド様。こちらの回廊にいらっしゃるのは珍しいですね」
「実はノント王子にお会いしたくて、取次に向かうところでした。丁度お会い出来てよかったです」
「私にですか?」
意外な回答に目を見開くノントの目の前で、ウィーネドと呼ばれた青年がやや困ったように眉を下げて曖昧に頷いた。
彼は国一の神聖魔力使いとも呼ばれ、常にあちらこちらで引っ張りだこなほど人気者だ。清めの儀式を欠かさずに行い、神殿では将来の地位も約束されていると言う。
そんな彼が、自分に何の用かと疑問に思うまでもなく、
「白森王が滞在されているとお聞きしたので、…」
歯切れ悪い口調で言う言葉をすんなりと受け入れるくらいには状況を把握していた。

彼と寝た者は大抵がそうだと聞く。

以前と人が変わってしまうというと大げさだが、事実、それに近く、
「ノント王子では彼を満たすことは出来ないでしょう?」
どこか見下すような口調でそう言った彼の言葉に、苦い笑いを返すしかなかった。

彼は国一の神聖魔力の保持者だ。無下にすることは出来ず、何を馬鹿なことをと笑い飛ばすことも出来ない。
「どちらにご滞在なさっているのですか?直接、お顔を拝見したいと思っています」
裏の意図が見え透いて感じ取れるその言葉に、
「…彼は特異な立場のお方なので、身の回りの世話は全て私に任されております。会いたいと仰る方も多く、皆さんの要望を答えていたら切りがないのでご遠慮ください」
さり気なく彼の要望を断れば、珍しくも目じりをつり上げ、苛立ちを露わにした。
「貴方のように苦労知らずの王子では満足に世話出来ないでしょう?白森王がお困りになっていたらどうするんですか?」
尤もらしい追及をし、痛いところを突かれた思いにさせられる。

事実、侍従の仕事をしたこともなければ、執事のような仕事もしたことがない。
とはいえ、その立場上、接待は慣れていた。

白森王の存在に惑わされ、正常な判断が出来ていないのはどちらだと言うのは簡単だが、それをする訳にもいかず、
「仰る通りです。ですが今のところ、彼から苦情は来ていません」
笑顔でそう返すノントは童顔の見かけに反し、大人であった。
対するウィーネドは諦める気配もなく、
「…私は白森王に会いたい。彼にもそう伝えてくれれば分かります」
一つに束ねていた長い黒髪を払い、鋭い口調で言った。

絹糸のように繊細な髪が魔力の高さを思わせる。
静かに微笑めば柔らかな印象を受ける甘いマスクも、今は戦に行く前のように鋭く男らしい顔をしていた。

彼の有無を言わせない態度を見て、やはり少し性格が変わったと実感していた。
婚約者がいる筈の男をここまで執着させる白森王の存在力に驚嘆と同時に納得をして、小さく頷く。

ただ彼の強引な要望を簡単に飲み込むようでは、一国の主にすらなれないだろう。
ノントが思案する素振りをした後、
「白森王に伝えておきますね。またご連絡いたします」
反論を許さない口調で言い切って、お辞儀をする。
まだ言い足りない彼の横を通り過ぎ、強引に話を終了させれば、さすがにウィーネドも諦めたように追いかけてはこなかった。


歩を進めるほどに苛立ちが募るノントだ。
「王になられる立場であられるノント殿下に対し、あのような態度は神殿屈指の魔法士様と言えど、見過ごせません。神殿に苦情を…」
一歩、後ろに下がって付き従う側近の一人が提言した言葉を、手を掲げることで黙らせる。
「大丈夫です」
穏やかな態度でそう答えながらも、とんだとばっちりだと憤慨していた。
文句を言われる筋合いは無いだろう。
実際、白森王を独り占めしている訳ではなく、そんなつもりも毛頭無ければ、何の他意も無い。
そうであるのに、白森王に謁見したいという人物が多すぎて、いわれのない苦情を受けることが続いていた。

白森王の持つ魔法の力と、彼の後ろにある魔山の存在は、目を眩ませるほど眩しいもので、今まで幾度も人の欲深い場面には遭遇しているが、改めてその恐ろしさを実感していた。

「しかしどの方も白森王、白森王と彼に夢中ですな」
護衛の一人が言う言葉にすんなりと頷く。
「彼をもし我が国に引き込めれば、」
「滅多なことを言わないで下さい」
続く言葉を強く否定し、
「彼は中立な立場のお方です。我々の利益で利用するような言動は侮蔑になります」
失礼な言葉だと窘めれば、大きな身体を丸めて素直に謝罪した。
「すみません。王子」
昔からよく知っているその男に悪気はないと分かっていた。
思ったことはすぐ口から出てしまう性格で、黙っていればいい男なのに口を開くと馬鹿なのだ。そのせいで彼女を頻繁に変えていることも知っていた。

足早に回廊を進み、庭へと出る。
白森王が滞在する塔の周辺警備を強化した方がいいかもしれないという思惑もあり、城内警備を取りまとめる男がいるであろう場所へと向かえば、
「…、」
丁度、曲がり角の向こうから目的の人物の声がして、勢いのまま角を曲がり、視界に飛び込んできた光景に目を疑った。

「な…っ、何してるんですかっ?!」
ノントの叫び声のような悲鳴に、彼が顔を向ける。

鉄柵に右手を絡め、体重を支える白森王が片足を開いて、大柄の男を受け入れていた。
「ノントか。見てわかる通り、交尾に決まってるだろう」
平然とする白森王に対し、相手の男は貪ることに夢中でノントの声すら届いていない。白森王の首筋に牙を突き立て、甘噛みしながら腰を振っていた。

ガーデンに植えられた美しい花々と対比するように、浅ましい行為をする二人に目が剥けそうなほど驚き、愕然とするノントと他二人だ。
「こ、こんな所でいい加減にしてください。人の目もあるんですよ!」
誰でも行き来できる往来の場所で、こんな破廉恥な行為をしているとは思いもしない。遭遇した立場にもなってくれと切実な想いで叫べば、白森王が明るい声で笑った。
「もうじきイクから待て」
その言葉の通り、白森王を抱く彼が荒々しい獣の唸り声を上げて、彼の獣の面をずらす。
「む…、っ…」
ドクドクと中に大量の精液を吐き出しながら、露わになった白森王の顔に覆い被さって深いキスをした。
甘んじて受け入れる獰猛な獣の目が僅かに恍惚の表情を浮かべていた。小さく身体を震わせ、瞳を眇める白森王の表情は、人を狂わせるに十分なほど整い過ぎた容貌で、
「っ…」
視線を逸らす機会を完全に逸していた。

数秒ほど、彼らの濃厚な絡みを見せつけられ、彼の中からモノが引き抜かれる瞬間まで視線を奪われる。
犬歯を見せ、快楽に小さく震える唇がこの世のどんな甘い果実よりも美味しそうに見え、ふらりと彼の元へと歩み寄りそうになる。
無意識に足が出そうな所で、
「それで?どうした?」
すっとズレた獣の面を被り直した白森王が常と変わらない態度で訊いた。

「っ!」
瞬間的に意識を取り戻すノントだ。危なかった自分を自覚し、良かったと心の底から安堵の溜息を洩らす。
白森王の後ろで気まずそうに後ろを向き、服装を正す男を見て、
「ヨギラ殿に用が合ったんです。まさか任務を放り投げてこんな事をしているとは思いもしなかったですけど」
チクリと嫌味を言えば、彼が慌てて振り返り頭を下げた。

「この御方の香しい匂いに耐えられず。申し訳ない」
彼は所謂、獣族という種で頭には大きな獣耳が付き、手の甲は獣特有のふさふさの毛に覆われていた。大柄な体に太い骨格、大きく開いた胸元にはたてがみが生え、口元は白森王と同じように鋭い牙が生える。

獣族の起源は判明していない。彼のように狼の特徴を持つ者もいれば、山猫の特徴を持つ者もいる。人とは身体の作りが根本的に違う彼らだが、魔山が作り出した『異』のモノとは別種の、魔山の影響を受けた人に近しい者と言われ、昔から人類とは上手く共存していた。

鼻を鳴らし照れる彼に軽蔑の視線を送り、
「発情して我を忘れるようでは困ります。しっかりしてください」
厳しい言葉を送れば、面目も無いと萎れていた。
「君も人のことを言えた口か?」
前屈みで文句を言うノントの姿を見て、口角をあげて揶揄る白森王は邪気の無い笑いを浮かべていた。
「白森王!貴方も気を付けて下さい!」
顔を真っ赤にして怒るノントに笑いを返し、
「仕方なかろう。目の前で発情されては、手伝ってやろうというのが親切心だ」
あっけらかんとそんな言葉をいう始末であった。

頭痛の種が多すぎると頭を抱え、萎れて耳を垂らす彼を手招く。
「白森王。私は彼に用があるので、彼を借りますね」
「今なら抜くのを手伝ってやるが、いいのか?」
「結構です!」
揶揄半々の声音で提案する彼の言葉を強い口調でバッサリと切り捨てれば、尚更面白そうに笑っていた。
「後ろの二人も、しっかりと教育した方がいいぞ。俺に見惚れて主を守れませんじゃ話にならんだろう?」
同じようにぼんやりと白森王を見ていた彼らを一瞥して、文句と動揺を返す三人を尻目に笑いながら去って行った。

まるで嵐のようだとどっぷりとした疲労感に襲われる。
それでも、脳裏には彼の姿が焼き付き、当分はその幻影に悩まされるだろうと冷静に判断する。
そんな自分が容易に想像でき、しっかりしろと自分を戒めるのであった。

***7***


白森王が森から出ると必ず議論になる事柄がある。
それは魔山に纏わることで、瘴気に関しては何度も質問として挙がる内容だった。
「俺に聞いてどうする?毎回、どこでも同じ回答をするが、魔山は自然の産物で、瘴気はコントロール出来るものではない」
「では何故、魔山は畏れられているのですか。実際、魔山に手を出せば報復を受けるというのは有名な話でしょう?」
「自然界のことだ。俺が図り知れることじゃない。そもそも…」
言葉を切った白森王が、居合わせた神官の面々を見回す。
「報復するのは魔山ではなく、ジャングルの王だ。魔山を守るのが我々の使命だからな」
牙を剥きだしにして答える白森王の声音は真剣なもので、彼の強い信念を表す。それに対し、神官が返す言葉はあからさまに戸惑いの宿った疑問で、
「しかし、魔山は、」
そこまで言ったところで、何度も言わせるなと白森王の低い声が疑問を切り捨てた。
椅子に座って足を組む彼が、苛立ちを宿したように肘掛を指で叩き、延々と続く不毛な議論に嫌悪を示す。
見えない彼の怒気に怯えたように皆、口を噤み顔を見合わせた。ここ数日間、一緒に過ごしたノントですら彼の怒りに触れないように静かに縮こまっていた。

「勘違いしている人間が多いが、魔山は自然の山だ。俺は偉大な自然に敬意を示し、『自然の神』と呼ぶが、魔山は君らが思うような意思がある訳ではないぞ。瘴気に関しても、『異』に関しても、自然現象の一つだ」
言い切る白森王だが、事実、矛盾があるのは確かだった。
『異』のモノは人間の指示は一切訊かず、魔山のために、白森王のためにいるかのような存在だ。それをただの自然産物というには無理がある。
「人間はすぐに欲深く権利を主張する。今も瘴気を話題にしながら、いずれ魔山を解体したいと思っているのだろう。そうして領土を広げ、自然を破壊し、一体、何を手に入れたいんだ?」
「それは、誤解です!」
ノントの言葉にちらりと彼を一瞥したあと、牙を見せ嘲るように笑った。
「俺が瘴気を消せると言ったら飛び上がって喜ぶ筈だ。そうして魔山を研究したいと言いながら、魔山を平地にし枯れ山にする。あれだけの山だ。資源も豊富だろう」
「っ...違います、白森王!我々にそんな想いはありません!」
「じゃあ、なんだ?瘴気の何が問題なんだ。病で人が死ぬのも然り、魔山も瘴気も自然の当然の結果だ」
「白森王!」
ノントが言葉を重ねようとした所で、彼が何かに気が付いたように手を掲げた。
「…」
耳を澄ます白森王に、全員が何事かと顔を見合わせる。
そうした緊迫感の中、唐突に彼が立ち上がり、
「言ってる傍からこれだ。俺がヒューリットにいるからか、魔山の防御ががら空きだと思っている不逞の輩がいるな」
自分の手のひらを広げ、忌々しげに握りこぶしを作った。

「『異』」
「っ…!!」
唐突に、『異』のモノを呼び出す白森王に神官がざわめき立ち、一斉に席を立った。
「白森王、こんな場で…っ!」
「人間。先ほども言っただろう?我々は魔山を守るために存在する。どんな場だろうと関係ない」
席を立つ白森王からは、白いオーラが滲み出ていた。
それは周囲を威圧するに十分な光で、
「ゲートを開け。世界の理も分からぬ痴れ者を殲滅する」
冷ややかな声で言った言葉に、全員が恐れをなしたように静まり返った。

彼が宙に翳した手が青白く発光し、何も無い空間から骨で出来た巨大な槍を喚び出す。
『−−−』
現れた2,3の異のモノがすぐに頭を垂れ、杖を翳せば、すぐに光の輪が現れ、扉を象っていった。
ゲートと呼ばれるその光は、遠隔地であろうと目的の場所へと移動できる異空間魔法で、白森王がその光の中へと入れば、吸い込まれるように存在がその場からかき消えた。

異空間魔法は白森王と『異』のモノしか使えない特殊な魔法だ。それを目の前で目撃し、誰もが口をあんぐりと開けたまま、驚愕の表情で立ち尽くしていた。



*******************************


彼が戻ってきたのは早く、それから1,2時間もしない内のことだった。
人々の凄惨な予想に反し、彼は消えたときと同じく素肌に白熊の毛皮を羽織ったまま、返り血は一滴も浴びてはいない。

「議論は済んだか?」
突如現れた白森王に腰を抜かす重鎮たちを見て問う白森王は涼しい顔で、本当に戦闘があったのか疑問になる静かさだった。
唯一、異なることといえば彼の右手首に赤い紋章が浮かび上がっていることくらいだろう。

だが、集まった面々は神殿に従事する高官たちだ。感知能力は通常の人間よりも遥かに高く、白森王の纏う凄まじい魔気の強さに、腰を抜かしていた一人が蒼白顔になったと思うや否や卒倒した。
「バジラニス様っ…!」
「誰か、医者を呼べ!遮断魔法を!」
老人の蒼白顔に騒然となって場が慌ただしくなるのを不思議そうに眺めていた白森王が、つかつかと部屋の中央に置かれた椅子に腰掛ける。
「ノント。議論を続けるか、終了するか」
唐突に話しかけられ、彼は恐れをなしたように身体を大きく震わせた。
強張る体で白森王を振り返れば、獣の面をしているにも関わらず彼が真っすぐに自分を見ていると分かる。

白森王は恐ろしい存在ではない。
その筈なのに、この騒ぎの中、平然と椅子に腰掛ける彼を見て、『不可侵の森を支配する王』という意味を改めて実感していた。
彼を人間と同列に考えてはいけないのだ。

「終了します」
短い答えに、白森王が小さく息を吐く。
「謝罪しよう。別に脅しのつもりではない」
彼が立ち上がると共に、右手を翳し空を切る。高い天井から白い小さな光が振ってきて、美しい煌めきが部屋を満たした。
本来であれば、それは精神を落ち着かせる魔法であったが、
「…なんと、…恐ろしい」
腰を抜かした重鎮たちが心を落ち着かせるということはなく、一様にブルブルと震えていた。
「部屋まで送ります」
部屋を出る白森王の後を追い縋るように横に並べば、彼が小さく口角を上げ、
「君も無理する必要は無いぞ。こういうことは慣れてるからな」
そんな言葉を言う。短い付き合いではあるが、事実、気にしていないのだろう。
それでも黙って聞いている訳にはいかず、
「神官様は貴方の力が強すぎて戸惑っているだけですので気を悪くなさらないで下さい。私が後でフォローしておきます」
思ったことを言えば、さも可笑しそうに乾いた笑い声を上げた。
「君は意外に強かだな」
「えぇ」
「その戸惑いは理解できる。何故、魔山を守るのか、人間には分からないだろう」
度々出る単語に、沈黙するノントだ。

『人間』

人間か否かで言えば、獣族は人間の部類に入る。
八重歯よりも鋭い牙を持つ白森王が『普通の人間』かと言ったら否で、特徴的には獣族のそれに近い。
そして、『異』のモノが人間かと言ったら紛うことなく否である。

「貴方は、」
問うのを躊躇う言葉であった。
「『異』のモノなのですか?」
震え声で訊ねるその言葉に、白森王が唐突に立ち止まりノントを壁に押し付けた。口元に笑みを浮かべ、試すように獣の面を上へとずらす。
「ッ…」
現れる素顔に息を呑むノントを見る瞳は獣の目で、虹彩はまるで宇宙を宿しているかのように深く、独特な模様を描いていた。
「君はどう思う?」
瞳孔を細めて問う顔は人間離れした美貌で、白銀の睫毛が獣の瞳をより残忍に見せる。
彼の整い過ぎた容貌は、どう見ても人間のものではない。
「私、は…、」
それでも、その独特な瞳も目を奪われる美貌も見惚れるに十分で、
「…」
惚けるノントを見た白森王が小さく笑って、獣の面を被り直した。

「俺は自分が何者かは知らん。魔山を守る。それが俺を象る全てで、それ以外はどうでもいいことだ」
「象る、全て…」
復唱しながら、白森王の言葉は何一つ理解できないものだった。

葛藤も何もなく、自分の素性すら気にもせず、彼が抱く理由無き信念は、どこからきているのだろうと頭の片隅で思う。

白森王の何かが。
彼を彼たらしめる何かが致命的に狂っている気がして、白森王ではなくその背後に別の意思を感じ、寒気を呼び起こす。


思わず両肩を摩り、彼をちらりと盗み見る。
本当に、魔山に意思は無いのかと、自然の産物なのかと、漠然とした不安と共に思うのであった。

不穏になってきました(*^-^*)ムフ


2022.09.19
以前、白森王は「陽」しかないと書きましたが…、さてどうでしょうね(*^-^*)♡。実はとっくに闇落ち済みだったりして(笑)