【総受け,男前受け,冷血】

 ***61***

ダエンから受ける夕食の誘いは連日のようにあったが、サシェルの様子を思い出し行くのを躊躇うギエンだ。
断ると僅かに不機嫌な表情をするダエンは分かりやすい性格ではあったが、親友だからと言って何もかも束縛するのはまた違う話で、ダエンの不機嫌に気が付いていながら素知らぬ顔をしていた。

誘いは有り難いが、人の家庭にずかずかと踏み入っていいものではないだろう。
そう思って、その日もダエンの誘いを断ると、
「ギエン。僕に何か隠し事をしてない?」
案の定、不機嫌な顔で詰め寄ってきた。

ダエンがギエンの元へとやってくるのは大体、朝の魔術訓練の30分後くらいで、軽く汗を流したギエンが出掛ける支度や本読みをしている時間帯が多い。日頃のダエンは、そんなギエンの様子に遠慮してすぐに戻っていくことが多いが、その日は部屋の入り口に立ったままだった。
ギエンの答えを待つダエンに、心の中で溜息を洩らす。

昔と違ってダエンの性格が面倒臭い性格になったのは確かだ。
視線を返すギエンに、
「親友なんだから隠し事は無しだよ。街の警備が厳しくなったのもそうだし、ハバードと何かコソコソ話をしてて、僕には言ってない事があるだろ?」
そんな追及をした。
ハバードとコソコソなんてしていない筈だが、何をどうしたらそうなるのか疑問になって首を傾げる。
「何も隠してねぇよ」
紅茶を口に含み、何を言っているんだと返せば、ダエンがつかつかと歩み寄って来て、ギエンの気を引くようにテーブルに手をついた。
視線を上げるギエンと視線を合わせ、
「じゃあ、これは?」
「っ…!」
言うと同時に、ギエンの襟元を捲る。

咄嗟にその手を払いのけるギエンだ。
肩の噛み跡を服の上から押さえ、ダエンを睨むように見上げれば、ダエンからは同様の苛立った眼差しが返ってきて、
「僕は十分待った。ギエンが自分から言ってくれると思って。でも一向に何も話してくれないじゃないか。君がどんな15年を過ごしてきたか、そろそろ教えてくれたっていい頃だろ」
率直な想いを口にするダエンはある意味、昔のままだろう。

だが、昔とは違いそれが煩わしいと感じていた。
親友だからといって全てを強要されるのは違う。

それだけでなく、
「お前にそこまで言う義理はねぇだろ」
ギエンにとって、ダエンの存在は昔とは違う立ち位置になっていた。
何の疑いもなく親友として全てを受け入れるには抵抗があり、ダエンに悪意や敵意が無いのは分かってはいるが、腹の内を全てぶちまけるほど信頼してはいない。

「…義理とか、そういう問題じゃない…。僕は…」
「いいだろ、そんな話はどうでも」
ダエンの言葉を奪い取って、話を中断させる。不満そうな目をするダエンを見つめ、
「今、お前の親友としてこうして目の前にいるんだから、昔のことは関係ねぇだろ。それともお前にとって、過去の俺はそんなに大事なことなのか?」
静かに伝えれば、さすがのダエンも反論せずに口を閉ざした。

黙って視線を逸らすダエンを見て、小さく溜息を付く。

ダエンが一体、何を考えているのか分からず再び疑心が芽生える。それでなくとも、サシェルのことで頭を悩ませていたギエンとしては、煩わしいことは勘弁して欲しいというのが本音だ。

沈黙が続く中、
「…君が、過去を話してくれることで、僕は君ともっと分かり合えると思ってる」
ダエンが呟き、ギエンの右手を握った。傷跡を触りながら、
「辛い思い出でも誰かと共有することで、君も楽になる筈だよ。僕に何ができるか分からないけど、でも親友としてもっと頼って欲しい」
切実に、そう続けた。

その言葉は親身なもので裏など無い筈だ。
それでも、
「見くびるな」
ギエンから出た言葉は冷めた言葉で、握られた手を払って拒絶した。

傷跡を隠すようにテーブルの端に置いてあった手袋を嵌め、ダエンを見つめ返す。
「お前は何を知りたいんだ?俺の傷の詳細か?それとも獣人族にいいようにされてた事実か?そんな話をしたところで、何になる?なんの意味もねぇ」
「っ…!だけど、少しは」
「意味ねぇって言ってんだろ。もう帰れ」
「……!」
ギエンの拒絶に驚いた顔をしていたダエンだったが、話を終了させるように席を立つギエンの胸を押し返して、強引に座らせる。
「話は終わってない」
有無を言わせない口調で、ギエンの肩を強く押した。
「てめぇ…」
苛立った声を上げるギエンを静かに見つめ、
「ギエンが僕に過去を話せないのは君がまだその事を消化出来てないからだろ。僕に言ったからってその事実が変わる訳じゃない。だけど、親友なら一緒に乗り越える事が出来るじゃないか」
尤もらしく吐いた。
その強引な言葉に、呆気に取られていると、肩を押す力が強くなり痛みを伴う。
「ハバードはよくて、何で僕には言えないんだ」
唐突に出てくるハバードの名前に苛立ちが深まる。

「こないだからハバード、ハバード、うるせぇな!てめぇはハバードの何だ。俺がハバードと何を話そうと関係ねぇだろっ!」
「関係あるよ」
怒りを宿すでもない真剣な眼差しが真っ直ぐにギエンを見て、予想外の言葉を返してくる。
「…」
ダエンが何を言わんとしているのかさっぱり分からずにいた。

黙ってしまったギエンの襟を両手で掴み引き寄せたダエンが、顔を寄せ、
「僕がハバードを嫌いだからだよ」
らしくもなく鋭い目付きで、ハッキリと口にした。
ダエンがここまでハッキリと誰かを嫌いだというのは初めて聞くことで、その剣幕に驚いていると、
「君がハバードと話しているのを見ると腹が立つ。君だって昔は嫌ってた癖に。君らに何があった訳?」
鋭い目つきで詰問される。
「お前の、好き嫌いなんて」
「君が不在の間、僕がミガッドやサシェルを守ってきたんだぞ。なのに君と来たら、まるで僕が君から何もかも奪ったかのように被害者面で、挙句ハバードばかり特別かのように言う。おかしな話だと思わないか!」
「何、言ってやがる…」
掴まれた襟が首にくい込み息が苦しくなるのも気づかずに、間近にあるダエンの瞳を睨む。負けじと睨み返され、
「ハバードが君の為に何をした?何もしてないじゃないか!」
強い口調でそう返された。

確かにダエンの言う通りだ。
サシェルは元々貴族出身だから生活に困るということはないだろう。それでもダエンがいなければ、ミガッドやサシェルが今頃どうなっていたかも想像出来ない。今のように幸せそうに笑っていられるのもダエンのお陰とも言える。

とはいえ、
「…恩を着せるな」
それを押し付けられても困る。
「ハバードが俺の為に何をしたとかじゃねぇよ」
襟を掴むダエンの手を引き剥がすように手首を強く掴む。
「お前には感謝してる。その言葉だけじゃ足りないのか?お前の言う親友って何なんだ」
静かなギエンの問いかけに、
「…っ」
ダエンが息を飲んだ。

掴んでいた襟に力が入って小刻みに震え、
「…、僕は、…!」
歯を噛み締め呻くように口にする。
それから、その先の言葉を吐き出すこともなく、諦めたようにゆっくりと手のひらを開いていった。

伸びたシャツの合間からは、褐色の肌が見え鎖骨が浮き出る。それもすぐに、視線に気がついたギエンが襟元を正すことで、ダエンの視界から隠された。

「お前が何を考えてるのか、よく分かんね」
ギエンの言葉に、
「僕も君が分からない。昔は男に色目なんか使わなかったのに。今じゃまるで雌犬のように男を見ればしっぽ振って、そんなに抱かれたいなら僕が相手でもしようか?」
素っ気ない口調のまま、煽り言葉が返ってくる。
「ふざけてんのか!」
勢いで立ち上がったギエンがダエンに詰め寄って凄めば、涼しい顔でそれを聞き流すダエンだ。
「怒るのは図星?しょっちゅうキスマークを付けて、相手が誰だか知らないけど、そんなに節操のない身体だとは思いもしなかったよ」
「いい加減にしろっ!」
ギエンが握り拳を作り、そのままテーブルに振り下ろした。激しい音と共にカップが揺れ、2人を窺っていたクロノコが大きく体を震わる。
「てめぇは喧嘩でも売りにきてんのか!」
今にも殴り合いにでもなりそうな二人の気配に、パシェが不安そうに視線を送っていた。
対するダエンは冷静なままで、ギエンの剣幕にも動じず、
「僕はそんな君でも親友として受け入れてる。なのに君は僕を親友として見てくれないから言ってるんだ」
平然と、そんな言葉を堂々と言い放った。
「はぁ?!」
怒りを通り越して呆れてしまう。

何を言ってるんだと思って頭が痛くなり、額に拳を当てて小さく呻く。
ダエンは本気で言ってるのかと考えて、益々意味が分からなくなっていた。

「……」
長い沈黙の後、
「お前は、…たかが夕飯の誘いを断っただけで、親友扱いされてないって怒ってるのか?」
呻くように尋ねれば、
「たかがじゃない。君が断るのは何度目だと思う?かれこれ1週間くらい経つじゃないか!」
当然だと言わんばかりの勢いで言った。
「…」
真剣に言ってるのかと思って益々、頭を悩ませる。

恋人でもあるまいに、夕食を連日のように一緒に食べることが親友なのかと疑問になり、それが普通なのかも分からず、答えの出ない自問を繰り返す。
大体、若い頃とは違ってお互いに都合というものがあるだろう。特にダエンにはサシェルという妻がいる。
それなのに、ここまで『親友』に執着するのは、普通の域を超えている気がしてならない。
ダエンの思惑をどんなに考えたところで答えは出ず、頭の芯からうんざりしていた。

大きく深呼吸をした後に、
「…分かった。今日の夜に行く。それでいいな」
ギエンが折れて誘いに乗れば、ダエンが小さく頷く。
「ずっと断られたら不安になるのは当たり前だよ。ギエン、昔みたいに遠慮なんかしないでくれ」
ダエンの押し付けに近い言葉に、短く相槌を打って彼の肩を押す。
「俺はこれから出掛けるから、お前も早く行け。仕事だろ?」
胸の内に広がる、何とも言えない失望感を飲み込み、平常心を装えば、
「ギエン。君の親友は僕だよね?ハバードじゃない」
まだ、そんな言葉を言って不安そうに視線を投げてくる始末だ。
「親友は昔からお前だけだ」
投げやりに答え、この無意味な問答を早く終わらせたいと思っていると、
「…!」
唐突にダエンの手がギエンの胸の上へと置かれた。
「今の言葉、真意だと思って受け取るから」
真摯な眼差しでそう告げるのを、
「っ…、そうしろ!」
心底、面倒くさくなって強い口調で返した。

置かれた手が、シャツの上から鎖骨に触れ、首筋を撫でていく。
「…」
その触り方に何か別の意図を感じ、すぐに気のせいだと疑念を打ち消す。ダエンに限ってそんな訳が無い。

「じゃあ、また来るよ」
ギエンのそんな考えを知る由もなく、ダエンが何も無かったように笑みを浮かべ、いつも通りに笑った。
「あぁ」
返事をしながら、釈然としない気持ちになる。
昔からこんな距離感だっただろうかと記憶を探るも、15年も前の事だ。記憶は曖昧で、もしかしたらそうだったのかもしれないと思い直す。

ドアが閉まるのを確認して、小さく溜息を付いていた。
ふとハバードの顔を思い出し、出掛ける予定も無かったが、ダエンに言ってしまった手前もあって出掛ける準備を始めるのであった。


2021.10.13
1週間開けずに更新する予定だったんですが、予定が大幅に狂いました(汗)。
お待たせしてすみませぬ…(゚ω゚;A)
ほぼ言い訳なんだけど(笑)、こないだワクチン接種したせいか、腕痛(?)が全然取れず、キーボードの文字打ちがツライ状態が続いてました(笑)。色々進めたい話や設定もあったんだけど、全然予定通りじゃないです(;'∀')ハハハ‼

拍手・訪問いつもありがとうございます(*ノωノ)‼更新頑張ります(笑)。ホントこの1週間、記憶喪失(笑)

コメントもいつもありがとう(*´∀`)♥嬉しいです!
パシェはある意味仏並みに悟ってます(笑‼)。一番純愛系タイプかも?(笑)なんだそれ…(笑)
振り回されるのもまた総受けの醍醐味ですよね('ω')♥攻めが多くてスミマセン(笑)。

応援する!
    


 ***62***

「ギエン、泊っていくよね」
夕食後、当然のように言ったダエンの言葉に首を横に振って断る。
予定があることを伝えれば、ダエンが食い下がって理由を追及してきた。
「予定って?」
「…明日、ベギールク様の所に行くんだが、調べておくように言われたものを調べてないから、それをな」
仕方なく相手の疑問にさらりと答えて、
「クロノコもパシェに預けっぱなしになっちまうし」
大事な存在を付け加える。
「連れてくればよかったのに」
「意外にパシェに懐いてんだよ」
思い出したように小さく笑うギエンを見て、ダエンが意外そうに目を丸くした。
何か言おうと口を開く、そのタイミングで、
「連れてきてくれれば俺にだって懐くよ!」
ミガッドが子どものように拗ねた口調で口を挟んだ。
「…どうだろうな」
ギエンが片笑いで答えるのを、ミガッドが視線で咎める。不満そうに文句を零しながらそっぽを向いた。

その様子にギエンがくすっと笑って、
「可愛いやつ」
小さな声で呟いた。

そんな二人の様子を見ていたダエンの顔には、やや複雑な表情が浮かんでいた。
サシェルに視線をやって、彼女が特に気にしていない顔で紅茶を飲む姿を見て安堵する。

決して、ギエンの不幸を願っている訳ではない。
ミガッドに関しては、実の父親なのだから息子のように接して欲しいと思っていた。そう思いつつも、やはり二人が親しくしている様を目の当たりにすると、それをすんなりと受け入れられるだけの余裕はまだ無かった。
今まで父親としてミガッドを育ててきたのは、誰が何と言おうと自分だという自負がある。
ミガッドを渡したくないような気持ちと、ギエンの関心を自分に向けたいという気持ちが複雑に混ざり合い、一体どちらに対してやきもちを妬いているのか分からなくなる。


楽しそうにミガッドと会話しているギエンを見て昔を思い出し、唐突に。


二人っきりでゆっくりと話がしたい。
「っ…」
そんな考えが頭をもたげ、慌てて首を振った。
ぶわぁっと顔が熱くなり突如、浮かんだ想いを否定する。

食後に出されたケーキを飲み込むように口に含んで、紅茶で流し込む。
正面に座るギエンを見れば、ダエンを見向きもせず嬉しそうにミガッドと会話をしていた。

人の気持ちも知らずにお気楽なものだと苛立ちにも似た想いを抱き、静かにケーキを食べるサシェルに話しかければ、癒される笑みと共に柔らかな相槌が返ってきた。
昔からサシェルの優しい笑みは変わらなかった。初めて会った時に一目惚れした時と同じ儚く控えめな笑いと可愛らしい声は当時の想いを呼び覚まし、最近の気の迷いを正しい方向へと導く。

サシェルと会話をしていると時間がゆっくりと流れる気がして、唐突に早鐘を打っていた心臓が落ち着きを取り戻していった。

自分がギエンを誘うのは、あくまでも親友として当然のことをしているだけだと念を押す。
ミガッドと話す機会もないギエンのためであって、それ以上でもそれ以下でもない。
ずっと会えていなかった親友ともっと話したいと思う事も普通のことだと納得させて、自分の考えを正当化していた。


***************************


結局、その日は泊まらず食事だけしたギエンが、帰り支度をしていると、
「ギエン」
サシェルがそっとギエンの袖を引いた。
ミガッドとダエンが向こうで会話しているのを視界の端に入れながら、何用かと首を傾げていると、
「…今度はクロノコを連れてきてください」
恥ずかしそうな笑みを浮かべて、控えめにお願いした。
一瞬、目を丸くしたギエンが、
「ははっ!」
次の瞬間には破顔して笑いを零す。

最近では滅多に見かけない笑顔に驚き、視線を奪われていたサシェルの長い髪の毛をすくい、耳に掛けた。
「やっぱミガッドと似てるな」
頬に触れ笑みを浮かべるギエンは、
「…」
昔と同じように優しさに溢れていて、眩しいくらいだ。

ギエンを見て、昔とは変わったという人もいる。
冷たくなり、愛想が無くなったという陰口を耳にした事もあった。

それでもサシェルはそうは思わなかった。
ギエンは昔と同じだった。


胸が苦しい程に締め付けられ、服を小さく握り締める。
当時を思い出し、涙が溢れそうになって、
「っ…」
頬に触れるギエンの手をそっと振り払った。
「ミガッドは私の、息子ですから当然です」
平常心を装いながら顔を伏せ、感情を隠した。


ギエンと視線を合わせないようにして、溢れ出す感情を必死に押し殺す。
大声で叫びたいほどの強い想いを堪え、息を止めた。

この15年間。
ギエンのことを忘れた事は一度もない。

ダエンには感謝してもしきれないほどだが、それでもギエンを一時たりとも忘れた事はなかった。


ギエンに抱きつきたい。昔みたいに、彼に甘えたいという衝動を抑え、手を握りしめていると、
「ギエン!次来る時は絶対クロノコ連れてきてくれよ!で、泊まっていくなら俺の部屋にクロノコ置いてって!」
「あっ…!」
サシェルの肩を押し出すようにして身を乗り出したミガッドが勢いよくギエンに言う。

前に押し出されたサシェルが、トンとギエンの肩に顔をぶつけ、そのまま胸へと飛び込む形になった。
「…!」
咄嗟にサシェルを抱き抱えるように肩に手を回して衝撃を和らげるギエンだ。
「ミガッド、気をつけろ」
ギエンの咎める声を聞きながらサシェルの頬が赤く染っていく。
がっしりとした手を肩に感じて、心臓の音が聞こえてしまうのではないかと言うほど高鳴り出す。

ギエンの胸板は広くて暖かい。
抱き寄せられ、触れた手からゆっくりとした鼓動の音が伝わってきて、束の間の安心感を得る。

ギエンが確かに目の前にいて、本当に生きているのだと感じて、喜びに身を震わせていると、
「大丈夫か?サシェル」
唐突にギエンが顔を覗き込んだ。

はっとして慌てて身を離すサシェルだ。
「大丈夫です」
乱れた服装を正す振りをして、顔を隠すように背を向ける。
サシェルの態度を勘違いしたギエンが申し訳なさそうに一歩退いて距離を置いた。
「お前のせいだぞ、ミガッド」
小声でミガッドに言えば、
「何が」
サシェルの態度に何の疑問も抱いていないミガッドが不思議そうに訊ね返す。
一瞬の見つめ合いの後、
「…あんたのそれは癖なのかよ…」
ギエンがミガッドの髪の毛を乱暴に撫でるのを、諦めの口調で咎めるミガッドだ。
「あまりにも柔らかいもんでな」
ふふっと甘く笑いながら言う表情は、最近よく目にする顔で自分には度々向けられるものだということを知っていた。他の人にはあまり見せない笑みを平気で向けてくるギエンにありもしない幻想を抱きそうになるミガッドだったが、根本にある考えが違う事も重々知っていた。

ギエンには深い意図などない。ただ息子として接しているだけだ。
「…」
悪戯に妙な感情を刺激してくる男を見つめながら、心の中で諦めの溜息を付く。

ギエンに振り回されているのは自分だけではない筈だ。恐らく、ここにいる誰もが同じように 振り回されている。
それもまたこの男なら仕方がないことだと悟りつつあった。

別れ際に、
「ギエン、また来てくださいね」
サシェルが普段と全く変わらない様子でそう誘った。
「次はクロノコを連れてくるよ」
この間、突然泣き出した事件は気のせいだったのかと思うほどいつも通りの様子に安心して、ダエン家を後にする。


それぞれが抱く想いに何一つ気が付いていないギエンだった。


2021.10.20
いやぁ…今日はなんだか散々な日でした…(-_-;)。久々に残業で予定は狂っちゃうしヤレヤレです…。
もう二度と会社に行きたくない(笑)。

気を取り直して(笑)、ギエンの中でのウェイトは、多分、ミガッド>サシェル>ダエン かもしれない(笑)。というか、サシェルに関してはレディーファースト的な感覚は強いよね(笑)。何だかんだ、ギエンは女性には滅茶苦茶優しいタイプだと思います(笑)。まぁ元がタラシ、だとは思う(#^^#)!

いつも拍手ありがとうございます!(*ノωノ)むちゃくちゃ喜んでます♥(笑)。最近ちょっと更新遅れ気味なので、挽回したいなと思いつつ、7日間隔がデフォになりそうな気もしてます(笑)。

コメントもありがとうございますm(_ _"m)ペコペコ!疲れてる脳みそが癒されるぅ〜(笑)
腕痛はやはりそうなのですね?!寝返り打てないは良く分かる(笑)!私はまだ二回目が待ってます…ドキソワ…(゚ω゚;A)
爆発して下さる方もありがとうございます( *´艸`)笑‼‼‼ギエンが中々メインCPと引っ付かないので、やきもち焼かされてます(笑)。そろそろ引っ付けたいと思いつつ中々進まない…(笑)。
総受けの牽制関係はいいですよね♥私も大好物!(笑)色々羽目外しちゃいそう(笑)!程ほどに頑張ります♥(*´∀`)ハハハ!

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 ***63***

ギエンの活動範囲は比較的限られていたが、遠出をしない訳でもない。特にクロノコをペットにしてからは、一人で馬に乗って平原や小さな森に出掛けることもあった。
その日も馬に乗って城外へと出掛け、両親の墓参りをした後、途中にある森の中でクロノコと一息付いていた。
平原を抜けた先にあるそこは、森を割るような形で舗装された道路が真ん中を走り、隣街へと繋がっているが、誰でも森の中へと入れる開けた場所となっており、途中に馬が一頭通れるほどの獣道がいくつかあった。
その途中の木に馬を結んだギエンが、森の中を散策をしながらクロノコと森林浴を楽しんでいた。
元々は自然公園を生息地としていたためか、クロノコが嬉しそうに足元を飛び跳ね、ギエンの後を付いて回る。

森の中を進んでいけば、水の音と共に小さな川がギエンの視界に映った。
好奇心に惹かれ、そこを辿るように森の奥へと更に進んでいくと、木々がひしめく森で一際大きな巨石群が現れた。2,3mはあろうかという巨石が折り重なる石の合間から歪な形の木々が生え、空高く枝を伸ばす。どこからか湧き水が溢れ、岩の上にちょっとした小さな滝を作り出していた。

「…」
その光景は、山脈を思い出させた。
三度目の拠点となるエリアは、剥き出しの岩肌の合間にある森の一角にあり、同じように近くには小さな滝があった。

どこか懐かしくなって、転がる岩の上に腰を下ろす。
クロノコが元気よくジャンプして、蛇行しながら流れる小川に体を突っ込んだ。それからすぐに冷たい水に身を震わせ、慌てて水から抜け出す。
その様にギエンが笑みを浮かべていた。
「当たり前だろ?」
ギエンが座ったまま、手を差し伸べればクロノコが温もりを求めるように手のひらに顔を乗せて擦り付けた。
「ポプッ!ポプ!」
嬉しそうに鳴き声を上げて、小さな手をばたつかせる。

再度、水に全身を沈めて同じようにプルプルと震え、再びギエンの手のひらへと体を寄せた。
「ポプ!」
何が楽しいのか分からないが、可愛いのは確かだ。

大きな瞳を潤ませて喜びの感情を露わにするクロノコの様子にギエンが癒され、頭を撫でる。
「いつも部屋に閉じこもってばっかだから、ポプもつまんねぇよな」
その言葉に相槌を打つように、喉を鳴らしピョンピョンとその場で跳ねた。

小川付近に転がる小さな石の上を飛び移っていく。
ちょこちょことギエンを振り返って、同じ動作を繰り返していた。

緩やかな時間が過ぎていく。


その場所は生い茂る木々に遮られて日差しが入ってこないような場所で、陽が落ち始める頃には、薄暗く冷たい風が吹き始めていた。
「そろそろ戻らねぇとやばいかもな…」
空を見上げ、ざわめく木々に耳を澄ます。


そうして、ハッとしたように立ち上がって振り返った。
「っ…!」

全く気配を感じなかった自分を呪いたい心境だ。
すぐに臨戦態勢を取るギエンに対し、木に寄りかかったまま様子を見ていた男は、静かに腕を組んだままだった。
「いつからいた」
威嚇の低い声を出すギエンにルギルが方笑いを浮かべ、犬歯をチラ見せする。
「お前が本を読み始めたくらいか?」
「…」
半時ほどは経っていた事になる。

ジッと見ていた男に寒気がして、何を考えているのかと警戒していると、
「話をしようじゃねぇか。互いのために」
力で全てを解決してきたルギルが珍しくそんな提案をした。

だが、そんな言葉を信じるほど愚かでもない。
「てめぇと話すことなんかねぇよ。ザゼルの剣を置いて、寝床へと帰れ」
腰に下げていた小刀を引き抜いて警告すれば、ルギルが余裕の方笑いで応じた。

木に立てかけていた大剣の柄を掴み、ギエンに向ける。
「兄貴のじゃねぇ。族長は俺だ」
「っ…て、めぇ!」
怒りのまま飛び掛かるのは愚策だ。
ギエンの手元には小刀しかなく、剣の帯刀は騎士団や警備隊、一部の人間を除き基本的には許可されていない。
心もとない小刀を握り締めて、相手を睨んでいると、
「分が悪いよな?剣が無きゃご自慢の技術も発揮出来ねぇよなぁ?」
持っていた大剣を地面に突き刺し、柄に両手を乗せて嘲り笑った。


実際のところ、否定できないギエンだ。
ギエンの技術はあくまでも剣術あっての技術であり、魔術だけでどうこうのものでもない。
小刀で同じ事が出来るかと言ったら、小刀では戦い方が違う。その辺の騎士団なら問題ないかもしれないが、ルギルにそれが敵うとは思えなかった。

それだけでなく、ルギルが身に付けている装飾品に嵌め込まれた鉱石は見覚えがあるものだった。その独特の光沢を放つ石は、一般に精霊がこの世で最も嫌うと言われる鉱石で、事実その通りであることを身をもって知っていた。
この鉱石がある場所では精霊が寄り付かず、精霊魔術は勿論のこと、それを媒介にする黒魔術も使えない。

ルギルに拘束されていた3年間を思い出し、肌が粟立つ。
ギエンの足元にいたクロノコが、二人の気配を察したようにその場を離れ、岩の影へと身を隠した。

僅かに後ずさり逃げ道を探る。
精神魔術を掛けられないように注意しつつ、相手の動向を窺っていると、
「俺と来る気はねぇのか?」
ザゼルと同じ顔をしたルギルが刺すような視線のままそう誘った。
相手の言葉に仰天するギエンだ。
「っ…、3年間も、手枷を付けて好き勝手した男が何を言ってやがる!誰が自分の意思で行くか。行く訳ねぇだろっ!」
歩み寄ってくる男と距離を保つように後ずさる。
ルギルが片頬を上げて卑屈に笑った。
「っくく。よく言うぜ。お前が俺を見る度に襲い掛かってくるから、拘束せざるを得なかっただけじゃねぇか。てめぇの行動を棚上げすんじゃねぇぞ」
「棚上げだと!ザゼルを殺しておいて、何が」
「お目出度い奴だぜ」
「ッ…!」
ギエンの言葉を断ち切るように放たれた言葉は、心の底から呆れているかのように低い声で冷たく尖っていた。
「あの日。何があったか、知りたくねぇか?」
ギエンを手招くように手を差し出したルギルの顔は真剣なもので、話し合おうと言ったルギルの思惑を知る。

小刀を握る手に力が籠り、密かな動揺を悟られまいと気を張っていた。
「…そんな昔話をしたところで…、俺が心変わりするとでも思ってんのか?勘違いも程ほどにしろ。俺の生きる場所はここだ。てめぇらの所じゃねぇ」


無意識に唇を舐め、息を飲み込む。
頭の中を疑念がぐるぐると回り、浮かんだ言葉を否定していった。
ルギルが何を言っているのか、分からない。

心変わりするだけの、情報を持っているとでも言うのか。


睨み返すギエンの様子を見たルギルが溜息を付いた後に、更に大きく一歩、踏み出した。剣も持たずに無防備に歩み寄ってくる彼に殺意は無い。呆れた口調で、
「『また』人間どもに騙されてんのか?甘い言葉でも囁かれたか?15年もあって、助けにも来ねぇ奴らに何を期待してんだ?『また』いいように利用されて、裏切られ捨てられるだけじゃねぇか」
前髪をかき上げ、苛立ったように首を振った。

ずしりと。
言葉が圧し掛かる。

奴隷だった間に、何度も抗争があった。それは獣人族間のものだけでなく人間との争いもあった。
ザゼルが率いる部族は山脈では名の知れた族であり規模も大きい方だ。ひとたび抗争になれば負けなしの強さを誇っていた。
負けた族は新たな捕虜として囚われの身となる。それは獣人族だけでなく人間も同じだ。

ギエンはその度に、彼らと力を合わせ、脱出を試みていた。
それもやはり、厳しい現実の前では人間性を保つことすら難しく、昨日まで普通に脱出計画をしていた相手が、翌日には獣人族側に寝返っていることなどザラだった。
計画を密告され、手酷い体罰を受けるのはギエンだ。密告者には豪華な食事が与えられ、しばしの休息を与えられた。
同じ捕虜として捕まった中から、特別待遇を受ける人間がいるとなれば、人々は我先に裏切り行為をし始める。
獣人族の下僕のように、足元に媚へつらって、少しでも他者より優位に立とうとする者が現れ始めた。そうなると収拾が付かず、脱出計画どころではない。

中には、ギエンと同じようにそんな甘言には惑わされない者もいたが、多くが娯楽決闘の末に殺されるという無残な結末だった。

死とは誰もが受け入れがたいものだ。
少しでも生き永らえる可能性がある方を選ぶのもある意味、当然の成り行きではあった。


ついさっきまで親し気に会話をした人が、次の瞬間には殺意を抱いて向かってくる。


ギエンにとって、奴隷になってからの数年間は毎日がそんな状態で、人に対する絶望感が日に日に増していったのも、当然ではあった。


2021.10.24
闇落ちしそうなギエンです( *´艸`)笑。
いつも区切りがいい所を1話にしてますが、これは長くなるので、ちょこちょこ切っていきますm(_ _"m)☆彡

いつも拍手・訪問ありがとうございます(*´∀`)‼
応援する!
    


 ***64***

当時の底なしの虚しさを思い出し、歯を噛み締め、震えるほど強い力で拳を握る。
ルギルの言葉を払うように眉間に皺をよせて、強く相手に視線を返した。
「お前と一緒に行った所で何が違うって言うんだ。拘束してた相手によくそんな言葉を言えるな」
刺すような鋭さでハッキリと拒絶を口にした。

その強い眼差しは、長い奴隷生活でも変わることのないものだ。
鮮やかな蒼い瞳が絶望に淀む事もなく、宝石のような美しさを保ったままで、それこそがザゼルやルギルがギエンに惹かれた大きな理由でもあった。

「俺と一緒に来りゃ、お前には確かな地位をくれてやる。お前が俺に襲い掛かったりさえしなけりゃ、こんなことにはなっちゃいねぇよ」
「ザゼルを殺した奴が何を言ってやがる!俺はお前を永遠に憎む。お前を殺すまではな!」
「…ギエン」
一歩、更に踏み出し、名前を呼んだ。
「一緒に来れば、本当の事を話してやる。だが、来ないなら言わねぇよ。獣人族にとって重大な事だからな」
ギエンを迎え入れるように両手を広げる。
その姿は、
「…!」
ギエンの心をかき乱すに十分で、ザゼルの面影をルギルの中に見出していた。

性格は似てない癖に、どうしてこうまでザゼルによく似た容貌なのかと、ルギルを見るたびに思う。まるで目の前にザゼルがいるような錯覚がして、惑わされるなと自分自身を叱咤した。

手に持っていた小刀を仕舞い、無防備に両手を広げる彼に歩み寄って、
「…馬鹿を言うな」
大きな手を払い除けた。

それが合図のように、2人のぶつかり合いが始まる。

ギエンから繰り出される拳を避けたルギルが、
「それが答えかっ!ギエン!!」
予想していたように声を張り上げた。
物凄い勢いで容赦なく腹目掛け飛んでくる蹴りを、飛びのけて避けるギエンだ。
まともに彼と打ち合えば力負けするのは分かりきっていた。ハバードのような特殊な技術がある訳でもない。

攻撃を避けながら、じりじりと地面に突き刺さったままの剣を目指す。
そんな思惑も彼には読まれていて、
「偶には肉弾戦といくかァ?!血が騒ぐなぁ!ギエン!」
犬歯を剥き出しにしてギラついた瞳で言った男は、血に飢えた獣のような獰猛さだ。
「っち!」
凄まじい力で連打され、ガードをしても身体ごと後ろへと押しやられる。

一際、大振りに振り出された拳をしゃがんで避け、すぐに胸へと打撃を繰り出せば、脇腹へと応酬を食らっていた。
「っぅ…ぐ、…ッ!」
よろめきながら距離を保ったギエンに対し、ルギルは口元の血を拭いながら余裕の笑みを浮かべて立つ。


二人の殴り殴られの応酬が繰り広げられ、20分が経過する頃には互いに息を乱し、とっ掴み合いとなっていた。
暗くなればなるだけ、夜目の利くルギルに対し分が悪くなっていくギエンだ。

「本当に、来ねぇのか!人間を選んで、また裏切られたらどう生きる気だ!救ってくれる兄貴はもういねぇぞっ!」
間近で睨み大声で怒鳴るルギルの剣幕に、
「てめぇも一緒だっつってんだろっ!」
負けじとギエンが怒鳴り返した。胸倉を掴み、力いっぱい頭突きを食らわせれば、
「ッ…!」
さすがに堪えたのか、ルギルが呻きながら2,3歩後ずさった。

痛みがあるのはギエンも同じだ。
「ぅ…、く…」
堪えるように頭を振って、ルギルの足が止まっている隙に剣を奪いに行こうと走り出した所で、
「兄貴を殺したのはッ…、お前だぞッ!」
絞り出すように放たれた言葉に。

ピタリと、足を止めた。
「…っ、な、に…!?」
ルギルの言葉が頭の中を何度も木霊して、胸の奥深くに突き刺さる。それが楔のように心だけでなく身体を縛り付け、地面に縫い付けられたように動けなくなった。

手が凍りそうなほど寒い朝の日の、冷たいザゼルの身体を思い出し、身の毛がよだつ。
「何を、言って…、やが、る…」
震える身体を抑えられず、ルギルを振り返る顔は、驚愕のあまり目を大きく見開いていた。

頭を抱えるようにして大きく溜息を付いたルギルが、静かにそんなギエンを見つめていた。
深い金色の瞳は、兄のザゼルと同じく何の躊躇いも無い。強い獣の瞳が、真っすぐにギエンに突き刺さり、静かに告げた。
「獣人族の名誉の為に…、伏せていた。族長が、人間のせいで死んだとあっては末代までの恥だ。
お前は利用されただけだ。それでもお前のせいで死んだことに違いはねぇ」
「でたらめを…っ!」
「ギエン。俺ら獣人族は人間と違って言葉を違えたりしねぇ。分かってんじゃねぇのか?」
「っ…!」
歩み寄ってくるルギルを見上げれば、ザゼルを葬った時と同じように何の感情も浮かべることなく静かな表情をしていた。
突き付けられた事実に頭が真っ白になって、ただ視線を返すしか出来ない。

ギエンの首筋に両手を掛けたルギルが、
「兄貴の仇は…、お前だ」
死刑宣告のように、静かにそう言った。


重く伸し掛かったその言葉は、ギエンの心を破壊する。
視界がぐるりと反転し、崩れそうになるところを抱きかかえられ、そんな事にも気付かず目の前にある男の服を握り締めていた。
「嘘を…、付くな…」
かろうじて吐き出した言葉は弱く、震える小さな声で、
「俺はそれでもお前を尊重してきたんだぜ。兄貴の大事な奴だ。俺にとっても…」
続く言葉は、ギエンの耳には入ってはいなかった。

ガタガタと震え出して、ルギルにしがみつく。
深く傷つき勢いを失っていく身体を抱きしめたルギルが、ギエンの耳朶に唇を落として、
「…ギエン」
ザゼルと同じ声で甘く名前を呼んだ。
「俺と一緒に来い。俺らの関係をやり直そう。俺らは似た者同士だ」
耳から首筋へと唇が伝っていく。首元のボタンを外し上着を脱がされ、それでもギエンは呆然としたまま為すがままで、ただ相手の唇を受け入れていた。

抵抗する力すら失った身体を、太い木の幹に押し付けたルギルが、そっとキスをする。
互いの傷を舐め合うように優しいキスから、深く繋がるキスへと変わっていった。ギエンの身体に触れる手が熱を帯び、気配を変えていく。
「ッ…、…ザゼルを…、俺が…」
ギエンが虚ろな眼差しで呟き、ルギルの服を握り締めていた。

獣の匂いが懐かしく、虚ろの中でザゼルの気配を全身で感じていた。
無表情の中にある感情を読み取れるようになったのは、いつ頃からだろう。時折見せる小さな笑みが、誇らしくもあった。
自分に厳しく規律を何より重んじるザゼルだったが、人間を恋人にするには相当の批判があった筈だ。それでもギエンを人間の奴隷ではなく、獣人族の仲間として受け入れた。

それが原因なんだろうかと、与えられる刺激の中でぼんやりと思う。


ザゼルの匂いを強く感じさせるこの男に、このまま付いていくのも悪くない。
ルギルの言葉が本当なら、ルギル自身が相当複雑な感情を持て余していたに違いなかった。
いや。
ルギルが言うように獣人族は言葉を違えたりはしない。

これは15年の期間で経験してきたことだった。
人間が次の瞬間には裏切り、異なる言葉を吐くのとは違い、彼らは一度した約束を違えたりはしなかった。

ギエンを獣人族に売った彼らが、あっさりと殺されたのは契約違反があったからだ。
それだけ獣人族にとって言葉の縛りは強い。


人の社会で生きるよりも、楽かもしれない。
そんな事をぼんやりと思っていると、
「っ…!」
トンと肩に衝撃が走り、耳元でクロノコが滅多に無い大声を上げた。


ハッとするギエンの目前に巨大な二層の魔術陣が浮かび上がる。
「この、魔獣がッ…!」
展開された魔術陣を見たルギルが、大きく後ろに飛びのき両腕で顔をガードする、それと同時に、強い風の刃が巻き起こって彼に襲い掛かっていった。
「ッ…!ポプ!」
ギエンの呼び声に、全身で大きく息をしたクロノコがギエンの肩から飛び降り、守るように彼の前に出た。両腕から血を流し、目をギラつかせて息を切らすルギルに威嚇の声を放つ。

再度、陣を繰り出そうと小さな口を開き、
「魔獣如きがっ!」
「ッ…よせッ!」
ギエンが止める間も無く、ルギルに空高く蹴り上げられていた。
重力で上から落ちてくる所を容赦なく張り飛ばされ、そのまま激しい音を立てて木に打ち付けられる。
ぐったりと、木の根元で痙攣するクロノコは全身から血を流し、息も絶え絶えだった。
「ッ…、ルギルッ!」
襲い掛かろうとするギエンにさっと手を翳し、
「…結局、こうするしかねぇのか」
残念そうに言うと同時に、精神魔術が発動していた。

星の光しか届かない暗闇の中に、赤い陣が浮かび上がって辺りを照らす。

完全に意識になかったギエンだ。
「っう、…!」
真向からそれを受けて、足止めさせられた。

腕からだらだらと流れる血を、脱いだシャツで拭ったルギルがやれやれと溜息を付く。
「小さくても魔獣だな。この精霊封じの中で、これだけ精霊を集めるとは大した親和力だぜ」
すぐに血に染まるシャツを強く引き結んで、特に出血が酷い箇所を止血した。
「クソ、野郎…っ!」
「魔獣はあの程度で死なねぇよ。どうせお前を今すぐ連れ帰ることは出来ねぇしな、他の男の匂いをプンプンさせるお前にマーキングして帰るとするか」
「ッ…!」
ぞくりと肌が粟立つ。

ルギルの深い金色の瞳が光り、獣の気配が一層濃くなった。
それは本気の獣人族が見せる姿で、筋肉が隆起し彼の身体を覆う獣の毛がざわめく。犬歯がより尖り、獣の匂いが強くなった。
「っぅ、…く!」
ロスに教わった内容を思い出し、精神魔術を解こうとする。

今振り払って逃げたところで、クロノコを連れて逃げ切れるのかという不安がよぎった。
その弱気に付け込むように、
「ギエン。怪我したくねぇなら、大人しくしな。魔獣を殺されたくはねぇよな?」
ルギルが犬歯を剥き出して言った言葉に、抵抗を諦める。
「…好きに、しろ」
犯られるだけの話だ。今まで散々そんな目に遭ってきたのだから、100回が101回になったところで大差ない。
それよりも早く済ませて、クロノコを治療してやる事の方が先だ。

そんな想いでいると、
「たっぷりと俺の匂いで染めてやる。二度と他の男と寝れねぇように」
「ッ…!」
まるで呪詛のように耳元で囁いて肩に噛み付いた。

身体を擦りつけて匂いを付けていく。
「く…」
否が応でもザゼルを感じ、身体は簡単に反応し始めていた。見境の無い身体だと罵ったダエンの言葉も尤もだと頭の片隅で思う。
こんな身体を誰よりも疎んでいるのはギエン自身だ。それでも熱を宿せば、後戻りはできず、流れに身を任せるしか無くなる。

暗い森の中で、二人の絡み合う音が響いていた。
クロノコが震える足で必死に身を起こし、繋がる二人を見て、よろけながらその場を離れていった。
それに気が付かないルギルではない。
だが、打ちひしがれたように闇の中へと消えていくクロノコを見て、片笑いを浮かべ、既に淫らな表情を浮かべるギエンに、自身のモノを更に深く突き立てた。
「っぅあ、…ッ…!」
わざと焦らしながら、キスをして、更に快楽へと堕落させる。ギエンの自制心が無くなり、朦朧となってからが、むしろ本番ですらあった。


ギエンの声が聞こえないくらい遠く離れた所で、クロノコの足がようやく止まる。

「ポプ…」
大きな瞳から大量の涙を零しながら、全身を激しく震わせた。
背中がぼこぼこと膨れ、荒波が立つと共に、皮膚と同じ色の大きな翼が生え出てくる。
木々のざわめきに紛れるように、クロノコが宙に浮き、飛び立った。

向かう場所は既に決まっていた。


大事な、ギエンのために。


2021.10.28
クロノコがメインCPや…(*'V’*)♡健気で可哀想や(笑)!
ギエンは、まぁ、強いから平気(笑)。ウン(笑)。

コメントありがとう〜( ^)o(^ )‼ルギルをメインCPにすると、=洩れなくギエンは闇落ちです(笑)。まぁこれもまたハッピーエンド…カナ💕(笑)
応援する!
    


 ***65***

夜遅くになっても帰ってこないギエンを心配したパシェは、あり得そうな場所を訪問し、ギエンの居所を探っていた。それでもギエンの居所を知る人物がおらず、最終的にはハバードに相談していた。

パシェの話を聞いたハバードが一瞬、真面目な顔をしてすぐに心配し過ぎだと笑い飛ばす。事が大きくなっても困るのはギエンだと伝え、何かあったら連絡すると言って追い返されていた。
ハバードの言わん事も分からなくもない。いい大人が夜にちょっと帰ってこないくらいで大騒ぎしては、それこそ何の問題も無かった時に恥でしかない。

これ以上、事を荒げるべきではないと判断したハバードの真意を読み取って、落ち着きなく部屋でギエンが戻ってくるのを待っていた。


一方、知らせを受けたハバードはいつでも出られる支度をしていた。
パシェの心配も尤もだ。ギエンに会うために獣人族が街に現れたことを知っているだけに、ただの外出ならいいがと心のどこかで引っ掛かりを覚えていた。
ギエンを探しにいくべきか悩み、腰かけたまま灯りを見つめる。闇雲に探したところで見つかるものでもないだろう。仮に最悪の事態があったとしても、明るくなってから出兵した方がまだ安全で確実だ。

そうして15分ほど経った頃、一先ず西の森付近の警戒を強めるかと腰を上げた所で、扉にぽこんぽこんと何かが当たる音がし、嫌な予感がした。
扉を開くと、
「…!」
足元で小さな鳴き声をあげたクロノコが傷だらけの姿で、助けを求める。
悪い想像の方が当たったかと舌打ちをして、全身に乾いた血が付くクロノコを拾い上げた。
「大丈夫か?」
柔らかなタオルで包み込むと、翼を折り畳んだクロノコが急かすように小さな手で服を引っ張り、悲痛な声を上げる。

急かされているのを感じ、壁に掛けてあった戦闘用の上着と外套を手に取って簡易宿所を飛び出していた。
すぐに馬に乗り、本宅に向かう。
着くと同時に、
「ユギ!付いてこい」
一番信頼出来る家臣の一人を呼び付け、一緒に来るように指示した。
「ハバード様、こんな夜更けにどうされたのですか!」
心配して駆け寄ってくる兵たちに裏門の開放と人払いを指示しながら、松明を手に取って再び馬に飛び乗った。そのまま、後ろを振り返る事なくあっという間の速さで駆け出して行った。


パシェの事前情報で今日のギエンの予定は把握している。
クロノコが指さす方向とそれらを照らし合わせ進んでいくこと1時間後、森の入口へと辿り着いていた。

ハバードの胸から抜け出したクロノコが翼を広げ右左と蛇行しながら、森の奥へと繋がる獣道へと入っていく。後に付いて森の中を進んでいくと、馬が一頭、木に繋がっていた。
「…」
この先にギエンがいるのは間違いないだろう。

馬を降りて、松明片手に進んでいく。



ハバードが森へと入った頃、
「…!」
ギエンを抱くルギルもまた、耳をそばだて人の気配を感じ取っていた。人間よりも遥かに五感の優れた獣人族の耳は遠くの僅かな葉の動きも聞き取っていた。ましてや静かな夜には音がよく通る。
「…今度は助けに来たってか?」
既に自我の無いギエンに深く口付けをして、大きく身震いをし、大量の精液を挿入したまま吐き出した。
「ぅ、…ァあッ…」
ギエンが掠れた甘い声を上げ、長く続く射精に身体を震わせていた。

美しい蒼色の瞳は、ぼんやりとルギルを映し込んで快楽に蕩けきっていた。淫らに唇を開き甘く惚けた表情は、見る者の理性を狂わせるほど妖艶な色気を纏って、ルギルを更に狂暴な獣へと変える。
「っは…、変わんねぇ…、な…!」
余裕のない声で呟いたルギルが、感情を抑えるように犬歯を剥き出しにして歯を噛み締めた。
射精しながら、更に奥に狂暴なモノを突き立て、
「−−…ッぁア!」
ギエンが達するのを見て、ずるりと自身のモノを引き抜いた。
「っ…、く、…」
ダラダラと先端から流れ落ちるモノをギエンの身体にかけ、乱れた服ごと汚していく。荒い呼吸を繰り返す胸にも精液を塗りたくって、濡れた手で愛おしそうに首筋を撫でた。

「ン…、ァ…」
尻の狭間から白濁としたモノが流れ落ちる度に、ギエンが身体を震わせて快楽に溺れた声を洩らす。均整の取れた引き締まった肉体が余計に淫らな身体を強調し、色気を倍増させていた。
酷く肉欲をそそる姿態に、ルギルが獣のような息遣いをする。平常心を取り戻すように大きく呼吸を繰り返して、荒い息を鎮めた。

ギエンの額に手を置き、乱れた髪をかきあげる。
日頃は鋭い眼光を宿す瞳が、今や多幸感を宿して潤み、甘く見つめ返してくるだけだ。
「お前は俺のものだ。誰にも渡さねぇ」
ギエンの肩にキスをして、名残惜しそうに身を離す。


冷えた風から守るように腰に巻いていた毛皮を掛け、身を整える。
地面に突き刺したままだった剣を手に取り、
「煩わしい人間どもめ」
ルギルの気配が、ガラリと変わり殺意に満ちていった。


二人が対峙したのは、それから僅か10分後のことだった。


十分な距離のある状態で、相手の殺意を感じ取るハバードだ。
「火を放て」
そう指示すると共に、後ろで控えていた彼が素早い動作で弓を引く。連射して炎が辺り一帯を照らし、一気に暗闇が明るくなった。

「…」
火の明かりに照らされ映し出された大柄の男を見て、持っていた松明を地面に突き刺すハバードだ。
動けそうにないギエンを一瞥し、傍らに立つ男に鋭い視線を送った。

その視線を真向から受けたルギルが同じようにハバードを鋭く睨みつける。
殺意を宿した金の瞳は獰猛な獣のモノで、精神の軟弱な者なら足が竦んで動けなくなるほど恐怖を呼び醒ますものだ。

だが、ハバードは違う。

冷静な目で状況を確認し、静かに後ろで控える彼に伝えた。
「ユギ。足手まといだ。陽が昇るまでに俺が帰らなければ兵を出せ」
「はっ!」
特に口答えせず、素早い動作でユギが引き返していった。
それを見たルギルが方笑いを浮かべて、
「賢明な判断じゃねぇか。軽く捻り潰してやるから安心しな。貴様を殺して、すぐにあの男も殺してやるからよ」
舌舐めずりして、品なく笑った。
「ギエンを返してもらおうか」
ルギルの挑発を聞き流して言ったハバードの言葉に、
「くくっ。返して貰うとは笑止!とっくに手遅れだぜ」
ちらりとギエンに視線をやって、目で促した。
「昔から俺のもんだ。見りゃ分かんだろォ?俺の匂いで満たされてる」
ギエンを見なくても、とても戦力になるような状況ではないことは把握していた。
「獣が。随分とふざけた真似をしてくれたな」
剣を持つルギルを物ともせず、ハバードが歩み出す。

その動きに、ルギルが僅かに目を見開いた。


大剣を握り直し威嚇するように構えるも、ハバードは鋭い視線を送ったまま、歩みを止めることも無く、
「名を名乗れ」
ルギルの言葉に、
「はっ。誰が獣に名乗るか」
鼻で笑って答えた。
それと同時に、飛び出しルギルの剣とかち合った。


互いに敵意の感情しか持ち合わせていない。
視線を交わした瞬間から、抱える感情はただ一つ、殺意だ。


木から木の間に移りながら、剣と拳のぶつかり合いが始まる。
大剣を容易く操るルギルの剣の腕は騎士団のトップレベル、もしくはそれ以上に匹敵する技術であったが、
「っ…!?」
丸腰のハバードが身体一つで悠然と向かってくる様は、驚愕にも値するもので、
「貴様…、何者だ…?」
思わず呟いていた。

ルギルの動作が遅い訳ではない。それ以上にハバードが速く、そして力強い。
振り下ろした剣を避けたハバードの繰り出した蹴りが脇腹に入り、僅かに揺らいだところを止まらぬ速さで拳が鳩尾に入った。
態勢を立て直す隙すら与えず、追撃するハバードは非常に冷静で何の熱も宿してはいない。黒い瞳が淡々と相手の動きを見切り、確実にダメージを与えてくる。

それは戦闘慣れした人間の戦い方、というよりはどれほど鍛錬を続けたらこれだけの技術が身に着くのかというほど常人離れした動きで、動きの簡略化と予測の速さは化け物じみたものだった。
あらゆるパターンを瞬時に計算し最適な解を導く様は、まるで一つの美しい術式を見ているかのようで、相手の技量の高さに舌を巻く。
下手したら剣を握ったギエンよりも上かもしれないと思い、侮れない相手だと気を引き締め直す。

人間と同じ戦い方では駄目だと、腹を括る。
唸り声を上げ、牙を剥き出しにした。
「…っち!」
ハバードが飛びのくのと同時に、ルギルが獣独特の大きな咆哮を発した。
衝撃波と共に吹き飛ばされた木の葉が巻きあがり、所々に放たれた炎が風に煽られ影が揺らぐ。
それは獣人族特有の咆哮で、耳の奥で深く木霊する低い唸りにも近い声は耳から脳にダメージを与え、聞いた者を威圧する。

全身の神経が痺れ、通常であれば僅かでも動きを止めるものだが、ハバードが止まったのは本当に極一瞬のことで、すぐに次の動作に入っていた。
「ッ…!馬鹿なっ…?!」
離れた直後には再び、接近されてルギルから驚愕の声が出る。
「下らん技だ」
ハバードから出る言葉は冷淡なもので、この男には全く通じないと知った。

こんな人間は初めてのことだ。
精霊封じをした事が、自分の首を締めているという事はあるにしても、これだけ丸腰の人間に押されるのは生まれて初めてで、焦りの感情を覚えていた。

金の瞳が光り、獰猛な顔になる。
ハバードの拳を真向から腹部に受け、その肩に噛みつこうとする、捨て身のそれすら腕でガードされ、金属質の音が響いた。
歯に衝撃が走り、口を抑えて離れるルギルだ。
「ッ…!人間如きが…ッ!」
憎々し気に呟き、殺意に満ちた瞳が相手を睨みつけていた。

ハバードが着る戦闘用の服は特注品で素材自体が非常に頑強な生地で作られており、また中地の一部に鋼が仕込まれ、剣の使い手が相手でも対応できるようになっていた。
ベルトで固定された袖だけでなく、服の各部分が同様の仕様になっていて、靴の踵にも鋼が仕込まれている。生身の打撃だけでもハバードほどの技術であれば相当のダメージを与えられるものだが、それ以上の威力を与えることが出来、筋力差があろうと何ら影響しない。
正に体格差の激しい、対獣人族用の戦闘術とも言えた。

「相手が俺だったことが運の尽きだな」
炎に揺られるハバードの精悍な顔が、勝利を勝ち誇るでもなく何の感情も宿さずに言った。

明らかに劣勢であることを認めざるを得ないルギルだ。
興奮するでもなくただひたすら冷静な姿に、珍しくも汗が流れ落ちる。


これだけの強さだ。
その存在を知らない訳が無い。
相手の異常な強さに、ふと思い出していた。

王家に代々仕える武術特化の家門、ハン家の存在を。


「…そうか。ハン家だな?」
ようやく、相手の正体に合点がいく。
「王家を守る憎たらしい二大家門の一つじゃねぇか」
魔術特化のゼク家でなかったことが幸いなのかどうかは、ルギルには判断できない。だが、十分過ぎるほど厄介な相手であることは確かだろう。

それでも、人間相手に尻尾を巻いて逃げるなどプライドが許さなかった。
「調子に乗るなよ、人間。星の満ちる夜だったら、貴様なんぞ相手にもならねぇ」
暗闇で光る金色の瞳が、獰猛な色を浮かべる。
「好きにほざけ。どうでもいい」
それを歯牙にもかけず、ハバードが踏み込んだ。先ほどよりも遥かに早く、鋭く。

「ッく…」
ルギルから苦悶の声が漏れ、相手の拳を剣で捌こうにも、ハバードの方が上手で巧みに弾いて迫ってくる。そのまま木の幹に追いやり、
「…っ!」
心臓目掛けて真っすぐに拳を突き刺した。


間一髪でそれを避けたルギルだったが、メキメキと骨の折れる鈍い音が響き渡り、噛み殺した呻き声が上がった。衝撃で木の葉が上から落ちてくる間もなく、確実に命を取りに来る二手目がやって来て、
「…ッギエンが、死ぬぞッ…!」
咄嗟に、苦悶の声で叫んでいた。

「ッ…何?」
動きを止めた一瞬の内に、ルギルがその場から離れる。暗闇へと身を隠しながら、
「今、俺を殺したらギエンの心は死ぬ。俺に聞きたいことがある筈だからな」
言いながら自嘲するように笑い声を上げた。
「残念だったなァ?人間。お前らがどんなに足掻こうと無駄だ。ギエンは俺を選ぶ。あいつに必要なのは俺だからな」
最後には高笑いするように言って、闇の中へと消えていった。


しばらくの間、闇の中をじっと見つめていたハバードだったが、足元にやってきたクロノコに気が付き、拾い上げる。
「よく頑張ったな。帰ったら治してやるからな」
頬を撫でて、不安そうな顔をするクロノコを慰める。
それからギエンの元へと行って、
「…」
奴隷生活の一部を垣間見た気がしていた。


掛けられた毛皮を燃やし、代わりに持ってきた外套で身体に付く汚れをふき取る。
手酷く抱かれたものだと思っていると、
「…ふっ…」
小さく身じろいだギエンが甘い声を上げた。

ハバードの手に気が付いて、閉じられていた目が開いていく。火の柔らかな灯りに反射して、宝石のように美しい蒼がぼんやりとハバードを映した。
まだ情交の最中かのように、熱を宿したまま蕩けた瞳は、その思考まで蕩け切っているのがよく分かる。
呼吸すら甘く、しどけないギエンの姿態は男女問わず劣情感を誘う色気を纏っていたが、
「ギエン。しっかりしろ」
頬を軽く叩いて意識を呼び醒ませるハバードは常と同じで、その黒い瞳には憂慮の色が宿っていた。

何度か叩いた後、
「…ハバ…ード…?」
漸く正気に戻ったギエンが、掠れた声で訊ねた。それが現実なのか分からないかのように、ぼんやりとした目でハバードを見つめ、安堵の笑みを浮かべる。
「立てるか?すぐ傍に馬があるから、そこまで行けるか?」
無理やり立たせれば、ずっしりと重く圧し掛かり、覇気の無いギエンを引きずるように連れて行った。

朦朧としたままのギエンを何とか馬に乗せ、顔を隠すように上着を被せる。
それから落ちないように抱き締め、馬を走らせた。道中、クロノコがギエンの肩で心配そうに鳴くのを大丈夫だと慰め、馬を急がせるのだった。


2021.11.03
ハバード登場(笑)。ハバードは鬼つよです(笑)。この世界だと一番強いんじゃないかなぁ〜。ちょっと特殊なレベルで強キャラ設定です(笑)。
ギエンもね、強キャラ設定なんだけど、やっぱり右手を潰された過去はでかいと思う…(;^ω^)。あれがなきゃ手に負えないレベルだと思うけど(剣術限定)、まぁ受け故の受難ですな( *´艸`)‼だって、ノーマル男の男前、強キャラが無理やり系の上、快楽堕ちって中々難易度高い(笑)。

(ネタバレありのため、伏せます)余談はともかく今回、意外に萌え〜より、ギエン大丈夫かと心配してる方のが多い…?ですが、ハバード来たのでもう安心です(笑)。
え?メインCPハバードです(*'V’*)。ネタバレはあれかなと思い言ってませんでしたが、ハバードがメインCPです(笑)。ダエンを期待していた方、ゴメンナサイ(´ω`*)💕
結構初期からハバードを好きと言って下さる方がいたので、「お、おおぉ?('ω';)!」的な感じでちょっと驚いてました(笑)。ハバードメインだよ〜と宣言したかったですが、ネタバレになるので自重(笑)。
こう考えるとハバードは結構包容攻めだよね〜('ω')。ルギルはギエンの中でザゼルを越える存在がいないと思ってるけど、身近にいるんだな、これが(笑)。

ギエンを心配してる方がいるかもしれないので、次回更新早めに出来るよう頑張ります〜( ^)o(^ )ノ

コメントもありがとうございます(´ω`*)💕
あ、そうだ、ポプ(笑)。ポプはクロノコの中でも特殊でギエンの為なら何でも出来ちゃう(笑)☆彡多分間近でロスの精神魔術を見てるので精神魔術も使えると思います(ハハ!

応援する!
    


 ***66***


翌日のギエンは、暑苦しさで目を醒ましていた。

がっしりとした腕が肩に掛かり背中へと回る。自分がいるのが誰かの腕の中だと知り、
「っ…!」
慌てて飛び起きようとして、すぐに顎髭に気が付いて気が抜けていた。

「…」
腕枕されたまま、しばらくハバードの寝顔を見入るギエンだ。昨日の記憶を探り、何となくハバードを見たような気がして、あれは夢じゃなかったのかと不思議な気がしていた。
「…来て、くれたのか…」
思わず寝息を立てる寝顔に問いかける。
頬に触れようとして、
「…」
気配に気が付いたようにハバードが目を開いた。
「っ、…重てぇ!」
ハバードが口を開くよりも先に言って、肩に掛かる重たい腕を押し退ける。
ギエンの胸元で寝ていたクロノコが、押しつぶされそうになり小さく悲鳴を上げて抜け出してきた。
「ポプ…!無事だったか」
黒い瞳を輝かせてギエンを見つめる元気そうなクロノコの様子に安堵するギエンだ。
痛々しい姿は見る影もなく、ギエンの肌にモチモチの頬を擦りつけてポプポプと喉を鳴らしていた。
「うちの治療師に治させた。…昨日のことは覚えてるか?」
ハバードの台詞に、身を起こしたギエンが僅かに眉を顰めた。
「…お前が助けに来たのは覚えてる」
短い沈黙の後、静かに答えたギエンに、そうかと相槌だけ打った。
同じように起き上がろうとして、
「いててて…」
唐突に、悲鳴を上げる。腕枕をしていた腕を抑え呻く様に、ギエンが素っ気ない視線を返して、
「慣れねぇことするからだ」
ふっと鼻で笑った。
それから、
「俺の服は?勝手に脱がしやがって」
下着一枚の自分の姿を見下ろして、ハバードに問いかければ、
「お前、もっと俺に感謝しろ」
ハバードが明るい苦笑をして答えた。
「昨日は大変だったんだぞ。お前の身体を洗って、寝室まで引っ張ってきて、酔っ払いより性質が悪い。服の一枚、二枚で文句言うな」
実際、2〜3時間程度しか寝ていない状態だ。
呆れたように短い髪をかいて溜息を付くハバードに、
「虚栄くらい張らせろ。お前には情けねぇ所ばっか晒してんだからな」
率直な言葉を返すギエンの耳が赤く染まる。
「なるほど?まぁ何だろうと構わんがな」
面白がるように笑って、ギエンの服を手渡した。
「…」
不思議そうな顔をするギエンに、
「昨日、パシェに届けさせた。あいつにも礼を言っておくといい。昨夜、帰ってこないお前を心配して俺の所にまで来てな。あの様子だと、色々探して回ってたに違いない」
そう説明する。
「…パシェにも迷惑掛けたな」
「そう思うなら、何か美味いもんでも食わせてやれ。喜ぶ」
言って、寝台脇に置かれていたチェストから服を引っ張り出し、光沢のある上質なシャツに手慣れた動作でタイを結び、珍しく優雅な服装に着替えた。
それから部屋のドアを僅かに開き、朝食を持ってくるように伝える。

室内をキョロキョロと見回すギエンだ。
大きさで言ったら、ギエンが自室として利用している客室と同等くらいだ。随所随所に年代物の家具が置かれ、足元には毛足の長いふかふかの絨毯が敷かれている。寝台のシーツは肌触りの良い生地で、上掛けも同様の柔らかな質感で夢見心地になる触感だ。
壁には有名な絵画が飾られ、室内のどれもが高級品であることが分かった。

「…お前の部屋か?」
食事に招かれたことはあっても、室内に入るのは初めてで、物珍しそうに見回すギエンに、
「いくつかある俺の部屋の一つだな。ここは邸宅の中でも奥まった位置にあって、使用人もあまり行き来しない場所だ。人払いしてるのもあって、静かでいいだろう?」
説明した後、
「しばらくゆっくりしたければ、ここにいればいい」
そう薦めた。
「…」
思わずハバードの顔を見上げるギエンだ。

昨日、ハバードの前でどんな醜態を晒したのかは覚えていないが、それだけ気を遣わせる何かを晒したのは確かだ。
「…」
ルギルが言った言葉を思い出し、胸が締め付けられる。


緩慢とした動作で着替えていたギエンが、シャツを羽織ったまま動きを止めるのを見て、
「ギエン」
ハバードが静かに呼びかけ、注意を自分に向けた。
「なんだ?」
言葉や態度はいつもと変わらないギエンだったが、何も感じていない訳がない。
「俺にこれ以上、晒す恥なんて無いだろう?気にすることはない」
ハバードの慰めなのか何なのか分からない台詞に、
「なんだ、それ」
笑いの含む言葉を返すギエンの顔には、安堵が宿る。


自分の肩に鼻を付け匂いを嗅ぎ、何度かそれをした後に、
「ハバード。俺、大丈夫か?あいつの匂いが染み付いてないか?」
唐突にそう訊ね、ハバードの目の前まで歩み寄ってきた。

鮮やかな蒼い瞳にはやや戸惑いが浮かび、真剣な目だ。
ギエンの珍しい態度に内心で驚きつつ、昨日の事を考えると無理もないと思っていた。肩を引き寄せ、ギエンの首筋に鼻を付ける。

小さく肩を震わせたギエンに、
「そうだな。確かに匂いがするな」
そう答えれば、衝撃を受けたように大きく全身を揺らした。
その様子に笑い声を上げて、
「我が家で使ってるラロレシュナの香りだ。この高貴な香り、間違いない」
断言した。
「ふざけんな、お前!本当に大丈夫か?」
それでも、不安を口にするギエンに、
「お前、昨日も散々言ってたぞ。身体の隅々まで洗ったから平気だ。ついでに全身、清木液で洗い流したから、お前は今、ハン家的には禊をした状態ってやつだな」
クンクンと首筋を嗅いで、からかうように言った。
「っ…!クソ…」
言われた言葉に小声でぼやく。体の隅々が具体的にどこまでを指すのか、口が裂けても聞けないギエンだ。耳が赤くなり、羞恥の余りハバードの肩に顔を押し当てる。

ギエンの後頭部に手を置いたハバードが、
「ほら。俺の匂いを嗅いでみろ」
自分の首筋を晒してギエンの鼻先に付けた。
何かと思いつつ、そっと匂いを嗅げば、心が落ち着くような深みのある香りがした。静かな老木を思わせる清々しさと、柔らかでありながら、それでいて芯の強い印象を受ける香りだ。それはまるでハバードそのものかのようで、鼻から脳まで響く芳香に頭が蕩けそうになる。
思わずハバードの背中に手を回し、匂いを嗅いでいると、
「お前も俺と同じ匂いだから安心しろ」
ギエンの行動を笑って、そう付け加える。
「また不安になったら、俺の匂いを嗅げばいい」
「…そうか、同じ匂いか」
安堵の呟きを洩らして、大きく香りを吸い込んだギエンの顔には小さな笑みが浮かんでいた。

ギエンが瞳を閉じて匂いを嗅いでいると、丁度、朝食の準備が出来た事を知らせるノックが鳴り、ハッとしたように身を離す。


二人が何も無かったようにテーブルについて食事を取った。
それは、ダエン家で取る食事の時間とはまた別物で、静かで心が落ち着くものであった。レースのカーテン越しに柔らかな日差しが入ってきて、窓からは鳥の囀りが聞こえてくる。日頃の喧騒など無縁の世界のように感じ、ギエンにとって非常に心地良い時間となった。

音も立てずに食事を進めるハバードを見て、やはり由緒正しき血統の持ち主だと改めて感じていた。
恐らく無意識なのだろう。
本宅に戻ると、身に着いた所作が自然と出てしまうのか、簡易宿所のハバードとは別人のように優雅な姿は、不思議としっくりきて何の違和感もない。

「悪かったな…」
パンを千切りながら、ギエンが言えばハバードが可笑しそうに笑い、
「ギエン。勘違いするな」
口元をナプキンで拭った。
相手の言葉を待っていると、
「俺がお前を助けたくて行動しただけだ。お前が謝る理由はどこにも無い」
ハーブティーの入ったグラスを器用に回しながら、馬鹿な事を言うなと言った。
「俺は言ったよな。二度と同じ過ちは繰り返さないと。だからお前はただひたすら俺を信用しろ。迷惑だとかそんな下らないことは気にするな」
ハッキリと伝えられた言葉に、言葉以上の想いを受け取っていた。
ハバードには助けられてばかりだと、心のどこかで思って小さく礼を言う。
聞き取れるかどうかという小さな声に笑ったハバードが、テーブルの端にいるクロノコを持ち上げて、
「礼ならこいつに言え。こいつが来なければ助けられなかったぞ。ボロボロになりながら俺の所に駆け込んできたんだ。魔獣じゃなきゃ死んでたな」
「ポプッ!」
クロノコが誇らしげに鳴いて、見せびらかすようにメリメリっと翼を出す。
「…お前…」
ギエンが驚いていると、傍に飛んでいき肩に圧し掛かった。
「いつから飛べるように…」
ギエンの頬に顔を擦り付け、喉を鳴らして喜ぶ。その体を撫でながら、
「お前もありがとうな」
小さな身体に口付けを落として、優しい笑みを浮かべていた。

仲良く朝食を取るギエンとクロノコを見ながら、ハバードはひっそりと安堵していた。
何があったのかは知らないが、今回のことでギエンが負った傷は深いだろう。それでも、ギエンが言うつもりが無いのなら、無理に聞き出すつもりも無かった。


「何か気晴らしでもするか?」
食後にハバードが言った言葉に、
「お前、仕事は?」
ギエンが意外そうに訊ねる。ハバードが自分のために仕事を休んでいるとは思いもしない。
「お前を放っておけなくてな、休みを取った」
さらりと返された言葉に、驚きの余りハバードの顔をまじまじと見つめていた。
ギエンの驚きように小さく笑って、残っていたハーブティーを飲み干す。
「そんなに意外でもないだろう?お前は俺を何だと思ってるんだ」
立ち上がって、扉に付く鈴を鳴らす。
やってきた使用人に食器を下げるように伝え、
「街に出掛けるか、それとも…」
大型の飾り棚からボードゲームを取り出しニヤリと笑みを浮かべた。
「久々に戦略ゲームでもやるか?」
「…悪くねぇな」
相手の笑いにあくどい笑みを返し勝負に乗るギエンは、全く普段通りだ。
シャツの襟を正して、
「昔、よく授業でやったよな。どっちが勝ち越しか覚えてるか?」
ハバードを見て訊ねた。
テーブルの上に地図を広げ、駒を配置していくハバードがチラリとギエンを見て、
「確か同点のままだな。あの後、お前は特級で卒業しただろ?勝ち逃げされるよりはマシだが、丁度、最終試験で勝負することになってて、決着付かず腹が立ったのを覚えてるな」
駒の一つを指先で回しながら、そう答えた。
「よく覚えてんな」
ギエンの視線が、ハバードの手元へと移る。
武骨な指が駒を器用に弄ぶのを見て、何故か奇妙な気持ちにさせられた。
「…」
その感覚を振り払うように、自軍の駒を並べていく。

「先攻決めるか」
言うと同時にコインを弾き、
「表」
手の甲に乗せた。
「はずれ。裏だ」
ハバードが勝ち誇った笑みを浮かべた。
「先攻の方が有利だからって勝ちを確信するには早ぇーだろ」
ハバードの態度を可笑しそうに笑って、ギエンが視界隠しの衝立を置く。

戦略ゲームは文字通り、地図上で自軍の駒を動かし相手の陣地を取る戦略シミュレーションゲームだが、駒にそれぞれ特色があり、どう配置したかが重要になってくるゲームだ。プレイヤーそれぞれが交互に駒配置をし、相手の配置で戦略を変えていく。

昔、散々プレイしたゲームなだけに未だにルールをよく覚えていた。
「準備出来たぞ」
ギエンの声に、
「長年、お預け状態だった勝負にようやくケリが付く訳か」
ハバードが目を輝かせて言った。
「ふっ、馬鹿らしい」
答えるギエンの目にも強い光が宿る。

集中して頭を使う思考ゲームはギエンをいい意味で立ち直らせていた。
それだけでなくハバードの存在それ自体が、ギエンを奮い立たせる。ハバードは旧友でも何でもないが、友人どうこう以前に昔から互いを高め合う存在として認めていた。
いがみ合いながらも、ハバードの実力とその根底にある努力は知っているギエンだ。
一緒にいるだけで心が落ち着くのを自覚する。


途中、昼食を挟んで一日中、勝負に夢中になる二人だった。


2021.11.06
個人的に匂いを嗅ぎ合う二人が萌えポイントです(笑)。
マニアックでスミマセン…(*´∀`)ノ💕
あとルギルにマーキングされて気にしてるギエンが好き('ω')笑!
こっからはむちゃくちゃ甘々にしていきたい(笑)!あくまで希望(笑)。私のサイト見回しても甘々はそんな無い気がするので無理かもしれないです(;^ω^)笑。

ハバードメインCP(ネタバレ有のため、伏せます)喜びコメントありがとうございます〜(#^.^#)ムッフぅ💕
甘々目指します‼(笑)が、期待せず…(笑)‼

次回は、キリがいいのでセインの方更新予定です〜!ちょっと色々未定なのでもしかしたら時間開くかもです(笑)。一応お知らせ!('ω')ノ

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 ***67***

ギエンが城の客室へと戻ってきたのは夜も遅い時間で、一日中ハバードと過ごしたギエンは、妙にスッキリとしていた。
実際のところ気持ちの整理も付いており、ルギルに言われた言葉も素直に受け止めていた。

獣人族は嘘を言ったりはしない。
彼らの間にある何らかの争いに知らぬうちに巻き込まれ、ザゼル殺しの加担をさせられたのは事実なのだろう。
ザゼルの仇をルギルだと思っていた自分を笑い飛ばしたい気分でもあった。憎むべき相手を唐突に失い、そればかりか自分が彼の死の一端を担っていた事実に、今までに無いくらい気分が滅入りそうになる。
それでも、くよくよと悩むということはなかった。

あの日に何があったのか、ルギルともう一度、話をする必要があると思っていた。それと同時に、ザゼルが死んでから今までのルギルの心情を考え、すぐに無駄な考えはやめようと思考を止める。


既にザゼルはいない。
今更、過去を振り返ったところで、何一つ変わったりはしない。


「ギエン様。ご無事で何よりです」
冷水の入ったグラスを置きながら、パシェが安堵の声で言った言葉に頷きを返す。グラスの水を一口飲んだギエンが、唇を指の背で拭い視線を上げた。

室内の柔らかな照明の中、ギエンの整った顔がパシェをじっと見つめる。
蒼い瞳に宿る光が揺れて、
「…っ」
まるで泣いているように見え、ドキリとするパシェだ。
「心配掛けたな。お陰で助かった」
答えるギエンはいつも通りだ。椅子のひじ掛けに肘を置き頬杖を付いたまま、長い足を組んで座る姿は、尊大でいてそれがしっくりくるほど高貴で、勇ましい。
それでいて入浴後の緩く開いた襟の合間からは褐色の肌と浮き出た鎖骨が覗き、薄ら開く唇は甘い吐息を吐くのではないかと錯覚するような色気が溢れ出ていた。

ギエンが無意識に醸す、いつも以上に凄まじい艶やかな気配に、動揺を悟られないように自制するパシェだ。
仕え始めて2ヶ月ほどが経つ。ギエンの色気には慣れたつもりであった。
時折、酷く煽情的な色気を放つ時はあった。それでも、これだけの気配をさせることは今まで一度もなく、今夜のギエンは特に酷いものだった。
仕えてきた主に対し欲情した経験など一度も無かったが、ギエンに対してだけは自分の理性がちっぽけなモノに思えてくる。色気に当てられ簡単に反応する自身を抑えることが出来ず、強く腕を組み意識しないように視線を逸らせた。

今日、一日中一緒に居たハバードはこのギエンを見ても何も感じないんだろうかとふと疑問になっていた。

沈黙のまま数分後、
「お疲れでしょうから、よくお休みになって下さい。ロス様には明日もお休みになると伝えておきます」
既に用は無いと知り、ギエンに背を向けドアへと向かう。
その背中に、
「助かる。今度、どこか飯を食いに行こう。行きたい所を考えとけよ」
笑いを含んだ言葉が掛けられた。
後ろ髪を引かれる思いで、
「お休みなさい」
別れの挨拶をして、ドアを開く。

扉が閉まる直前に、
「ポプ。来いよ」
ギエンの優しい声が、クロノコをベッドへと誘うのが聞こえた。

それを酷く羨ましいと感じるパシェだ。
今のギエンを慰めることが出来る立場にいない自分を残念に思う。それでもクロノコが居てくれて良かったと心底思っていた。そしてハバードの存在にもこれ以上にない程に感謝していた。


***************************


翌日、ギエンの朝を妨げる者はいなかったが、珍しく昼頃にダエンがやって来て、ギエンを驚かせた。
「朝、来たんだけど追い出されちゃったから昼休憩に来たよ。丁度直ぐ傍まで見回りしてたしね」
腰に提げた剣を外しながら室内に入ってくる。食事中のギエンを見ながら、
「一昨日はハバードの所に泊まったんだって?珍しいね」
唐突にそう切り出した。
傍らで静かに立っているパシェに視線を送るギエンだ。
一昨日、探し回っていたという話は聞いていた。ダエンの所にも行ったのだろう。その後、ハバードの所に泊まっていたという事になったのかもしれない。そう思い、事実ではあるだけに、否定するのも馬鹿らしくなって、
「まぁな」
短くそう答え、食事を進める。
つかつかとギエンの元までやってきたダエンがテーブルに手を付いて、
「最近、僕の家には泊まりたがらないのに?」
ギエンの意識を向けるように、置かれたティーカップの縁をなぞった。
「お前、ふざけんな」
その手を払い除けるギエンだ。手袋をしたままの手で口を付ける部分に触られた事に文句を返せば、懲りないダエンが小さく笑った。
「だって、おかしいよね。ギエンがいきなりハバードの家に泊まるなんて。城の客室に住む君がまさか簡易宿所に泊まった訳じゃないだろ?ハバードの本宅に泊まったってことだと思うけど…」
カップを持ち上げて、断りもなく縁に唇を付ける。
「なんで?」
柔らかな口調で問い掛けるダエンの目には一切の笑みも浮かんではいなかった。
「…」
ギエンがダエンと視線を交わせたのは僅かな時間で、すぐに皿の上に乗る肉へと視線を移していた。
「別にいいだろ?俺がハバードの家に泊まる事の何がいけねぇ?」
また面倒臭いことを気にしてやがると思いながら肉を咀嚼していると、
「ギエン」
やけに静かな声で呼び掛けられ、何かと視線を上げた。
「君は僕に言った筈だよね。親友は僕だけだって。その言葉に嘘は無いよね?」
真剣な目で訊ねてくる。
カップに残る紅茶を飲み干して、
「まさか、ハバードに恋心でも抱いてる訳?」
「は…?」
余りにも頓珍漢な言葉を言って、ギエンを驚愕させた。
「何でそんな話になる?」
「だってさ、君さ。親友の僕の家には泊まらない癖に、ハバードの家には泊まるんだろ?」
その言い草に呆れ果てて、ナイフとフォークをテーブルに置き、食事を中断した。

しっかりと説明しないとダエンには伝わらないのかもしれない。
言葉を選ぶように髪をかき上げ、ダエンを見据える。
「常識的に考えろ。お前、既婚者だろ。ハバードは別に妻帯者でもねぇし、何の問題もねぇだろうが」
はっきりと言った言葉にダエンが納得するということは無く、
「ハバードだって似たようなものだろ?彼にだって婚約者がいる。僕と何が違う?」
そう突きつけられ、唐突に現実を見せ付けられた気分になっていた。

ダエンの言葉に苛立ちが募るギエンだ。
何だかんだ言いながらハバードもそのうち結婚するんだろう。その事自体は非常に目出度いことだ。彼ほど立派な男の血を次の世代に残せることは誇らしいことだった。
そう思いながら、ハバードも遠い存在になっていく気がして、
「…」
ふと、ルギルの必死な顔を思い出していた。


切羽詰まった声で一緒に来いと叫ぶルギルが、自分にとって最も近い存在なのかもしれないと思って自嘲する。
ルギルが言うように同じ傷を舐め合う似た者同士だ。何故ルギルが自分に執着するのか分からずにいたが、ザゼルの仇としてルギルをずっと憎んできたのと同じように、ルギルも自分に執着することで兄を失った悲しみを癒そうとしていたのかもしれない。


無意識に腕組みをして、苛立ちを抑えるように強く腕に力を入れる。
「お前は毎回、…」
言おうとした言葉を飲み込み、
「分かった。なら、明日は空いてるか?」
渋々と了承の言葉を返した。
「ギエン。僕は別に無理強いしてる訳じゃない。ただハバードとコソコソされると蔑ろにされてるようで腹が立つだけ」
「お前が言わんとすることは分かる。俺がお前の家に泊まんねぇのはサシェルのことを気にしてるだけだ。お前がどうこうじゃねぇし、ハバードがどうこうでもねぇ。
そこまで言うなら泊まるのは構わねぇけど、俺がサシェルを寝取ったとしても文句言うなよ」
「っ…ギエン!」
「元旦那を招待するってことはそういうことだ。分かってんだろ。誘ったのはお前だからな」
驚きを浮かべるダエンを一瞥して、止まっていた食事を再開させた。
そんなことは起こらないが、あれだけサシェルを熱愛しているダエンだ。このくらい言っておけばさすがのダエンも納得するだろう。
そんな思惑も、
「ギエンはそんなことしないだろ?じゃあ、明日ね。クロノコを連れてきてくれたら、みんなが喜ぶ」
あっさりとダエンが引き下がり、笑みを浮かべた。
「ギエンだって、ミガッドと喋る機会がもっと欲しいだろ?」
止めのようにそんな甘言を吐いて、ギエンを束縛する。
「そうだな」
答えながら、今まで父親として接することが出来なかった15年という空白の月日をもっと埋めたいという思いが湧き上がる。
ただミガッドはそれを望んではいないことも分かっていた。彼にとっての父親はダエンだ。埋めるべき空白の期間も無いだろう。
僅かに感傷的になっていると、
「じゃあ僕はそろそろ行くよ。昼食の邪魔をしてごめん」
すっきりしたように言ったダエンが、テーブルに立てかけた剣を手に取って腰に携えた。その姿は皆が頼りにする警備隊長に相応しく、騎士団とは違った意味で凛々しい。
「あぁ、またな」
何故かハバードに対抗心を燃やすダエンを面倒臭いと思いつつも、感謝しなければ、と気持ちを入れ替え、軽く手を振って見送るギエンだった。


20201.11.17
拍手、訪問ありがとうございます(*ノωノ)!更新遅くなりました!
今月の私は記憶喪失です…(゚ω゚;A) いつの間にか11月中旬だし、何だかどうなってるんでしょ…💦
そういえば完全にどうでもいい話ですが、私の最大の黒歴史は親に設定メモを見られた事…(笑)。髪色とか性格とか色々書いてたメモ帳を普通に読み上げられ、ギャーーーーーーとなった苦い記憶…(;´艸`)あぁ穴があったら入りたい(笑)。
そんなで安心して引き篭もれる執筆部屋みたいなのが欲しいです(笑)。というかリモートワークしたい(笑)。そこに引き籠りたい(笑)。

ギエンは多分、ポプを抱っこして寝てると思う(笑)。

あ。拍手文追加してます☆彡良かったら押してくれると励みになります(*´∀`)💕笑→

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 ***68***

その日の夜、珍しくギエンはハバードに会いに行っていた。
夕食後に出掛けると言ったギエンを驚きつつも特に深くは追求せず、薄着のまま出ていくギエンを見送っていた。

簡易宿所の前で待ち伏せするギエンを見たハバードが浮かべた表情はパシェと同じく驚きの顔だったが、すぐにいつもの顔に戻り、
「どうした?なんかあったか?」
連絡も無しに訪れたギエンに理由を訊ねた。
それに対し、
「用がなきゃ来ちゃいけねぇのか?」
ギエンが腕を組んだままぶっきらぼうに答える。鍵を開けたハバードがその物言いに笑った。
「確かにな。入れよ」
ギエンを招き入れて、中へと通す。

通りすがりにハバードから香るのは湯上りの匂いだ。
匂いを嗅ぐギエンの反応に小さく笑い、
「飯食ってないなら作るが、どうする?」
鍋を取り出しながら言った。
「食ってきた。お前の顔を見に来ただけ」
サラリと答えたギエンの言葉に驚き、思わず顔を見る。言った当人は特に気にも留めず、一段高くなっている床に腰を下ろし座っていた。
火を起こし茶を入れる仕度をしながら、ギエンの気配を窺うハバードだ。
こないだの件からまだ3日も経っていない。表面上はいつも通りでも、やはりまだ本調子では無いのだろうと心配していると、
「お前と俺は友人じゃねぇよな?」
唐突にそんな言葉を言った。
「…」
茶葉を土瓶に入れながら、なんと答えるべきか迷う。

ギエンが言うように、友人ではないだろう。
視線を移せば、青い瞳とかち合ってその強さに驚いた。ギエンが求めているのは、適当な言葉ではない。本心の言葉だ。
「友人かどうかはそんなに大事なことか?」
「っ…」
僅かに目を見開くギエンに、
「お前は俺に会いに来たんだろう?友人だろうが、ただの顔馴染みだろうが、どうでもいいんじゃないか?」
冷静な声で言って、煮立った湯を土瓶に注いだ。
強い香りが室内を充満し、ギエンの元まで辿り着く。

「そう、だな…。ダエンがやけに親友を強調するもんだからよく分かんなくなっちまって。ダエンが親友ならお前はなんなんだって思ってな。
俺はお前といると…、なんつーか気が楽になる。でもお前は親友じゃねぇよなって思ったんだが、確かにどうでもいい事だな」
ぽつりと考え、考え口にするギエンの物言いは珍しいものだった。いつもはハッキリと言葉にすることが多いが、僅かに躊躇いがちに本心を口にする。
ハバードが無言のまま耳を傾けていたが、唐突にごそごそと戸棚を漁り出した。
何かと視線を送るギエンに、
「お前にやる」
棚から取り出した小さな木箱を放り投げた。
「確かに俺とお前は友人じゃない。だけどな、友人じゃないから縁が無い訳でもないだろう?」
渡された木箱を開けて、意外そうに目を丸くするギエンを見て、
「俺と一緒にいて気が楽になるならまた今日みたいにふらっと来い。そういう関係だと思えばいい」
箱の中に入った装飾品を取り出しながら言った。
「こないだ、ラロレシュナの匂いを随分気に入ってたみたいだからな。うちの御神木から僅かにしか取れない希少商品だぞ。身につけられるように加工して貰った」
「お前…、まじで」
ネックレスの留め具を外し、呆気に取られるギエンの首に手を回した。首の後ろの短い毛を指で払い、慣れた手付きで金具を留めるハバードに苦笑を返す。
「行動が突飛すぎでついていけねぇ…」
ギエンの言葉に、笑って答えるハバードだ。
「邪除けだと思っておけ。ラロレシュナは浄化作用が強く土の精霊が宿りやすいらしい。天然木材だからな、香りも持続するし多少は獣人族除けにでもなるんじゃないか?」
適当なハバードの言葉に笑った。
「お前が言うように、友人とかそんなことはどうでもいいことかもしんね。俺はお前のこと結構、気に入ってる」
笑みを浮かべて首に掛けられたネックレスの飾りを指先ですくって眺めた。加工された装飾品は黒い塗装と彫りによる複雑な模様が施され、光沢のある石のような外観だ。手触りはつるりとしていながら木のぬくもりを感じるもので、チェーン部分は丈夫そうな金属で出来ていた。
ペンダントトップに鼻を付ければ、以前嗅いだ時と同じ芳香がして気分が上がる。
ハバードの襟首を引いて引き寄せ、以前したように首筋に鼻をつけた。
「同じ匂いだな」
鼻を擦り付けて心地よさそうに匂いを嗅ぐギエンに苦笑しながら、
「お前はツンデレ猫か」
呆れた声で茶化す。鼻で笑ったギエンが、
「俺が猫ならお前はマタタビだな。この匂い、すげぇ好み…」
うっとりとした声音で囁いた。
「ハバードのこういう所、まじで誤解されるだろ。ロスがお前に懐くのもそういう所か?」
抱きつくようにハバードを引き寄せ、クンクンと匂いを嗅いでいると、火に掛けられていた鍋が吹き零れ激しい音を立てた。
「おっと…」
慌ててギエンから離れるハバードだ。火力を調整しながらギエンに視線を移し、
「気に入ったようで何よりだ」
ペンダントを指で弄るギエンを満足そうに見つめた。
「あぁ」
片膝を付いたギエンが前髪をかきあげ、口角を上げる。ゆっくりとした瞬きをした後、瞳に親愛の笑みを乗せて、やんわりと笑った。
「大事にするよ。ありがとう」

その表情は、ミガッドに見せる優しい表情とはまた違うものだ。蒼い瞳が鮮やかな艶を宿し、明るい光を放つ。嬉しそうに笑うギエンに、
「…」
ハバードの黒い瞳が驚きを浮かべていた。

僅かに見つめ合った後、すぐに何も無かったように、鍋に手あたり次第に具材を放り込む。
以前、夕食として出されたものと同様の物を作り出すハバードを見て、ギエンが小さく笑う。
「楽でいいぞ」
答えるハバードにも笑みが乗る。

冗談などを言い合いながら、緩やかな時間を過ごす二人だった。



************************



翌日、ギエンは約束通りクロノコを連れてダエン家へと来ていた。
ミガッドとサシェルがクロノコを見た途端に目を輝かせて、ギエンに歩み寄ってくる。ミガッドが素早い動作でクロノコをギエンの肩から奪い取って、モチモチの肌を伸ばしたりしていた。
「ポプっ」
小さく鳴きながらも嫌がりはせず、意外に伸ばされたり潰されたりするのをお気に召したようで、されるがままだった。

いつも通り、夕食をご馳走になる。
ダエン家の食事も近頃は慣れたもので、和気あいあいと食べる食事も楽しいものだった。何よりクロノコと楽しそうにしているミガッドを見るのは、癒される。

すっかりと家族の一員のように過ごし、宛がわれた客室で寛いでいると、
「ギエン、今いいかい?」
ダエンが遠慮がちにノックした後、室内へと入ってくる。
「あれ?クロノコは?」
ベッドに腰掛けるギエンの傍にクロノコがいない事にすぐに気が付いて、キョロキョロと室内を見回して訊ねた。
「さっきまでミガッドの部屋にいたんだが、今日は一緒に寝るから貸せって言って奪っていった」
その時の様子を思い出したように笑みを浮かべて、
「サシェルもすっかりクロノコに夢中だな」
そう付け加える。
「…サシェルもいたんだ」
ダエンの呟きに、
「いや…、ミガッドの部屋にクロノコを連れて行ったら丁度居てな」
言い訳のように状況を説明するギエンだ。するべき言い訳もないのに、変に気を使う羽目になる。

何を言ってるんだかと自分の行動をひっそりと笑っていると、
「親子水入らずで、偶にはいいと思うよ」
ダエンが気にしていないとアピールするように言った。
表情は硬く、気にしていないということは無いだろうと推測する。

歩み寄ってくるダエンを見上げていると、
「こないだ、ギエンの為に買っておいたんだ。今日はそれをしてあげようと思って持ってきた」
手に持つ遮光性の瓶をギエンの目前に差し出した。
「古傷に効くらしいよ。白魔術でも古傷は治せないだろ?君、ぱっと見る限り傷跡が多いから」
瓶を開けば、植物の独特な苦さの感じる匂いがふわりと上がる。その中に清涼感のある匂いが混ざり、鼻を抜けて気分がスッキリとする香りのものだ。
「昔から傷跡とかに使用していた天然オイルらしくて、神経痛とかにも効果があるみたいだいから君の古傷にもどうかなと思って」
意外な贈り物に驚き、礼を言う。
そのまま手のひらを手に取ったダエンが、ギエンの右手にそれを垂らした。
「っ…」
冷たさに一瞬、身体が震える。
惜しみなくたんまりと塗り込んで、右手をマッサージし始めた。
手のひらから指の関節まで丁寧に塗りこめられ、心地良い気分になってくるギエンだ。手の疲れが取れ、すっきりしてくる。
「背中もやってあげるよ」
僅かに眠気がやってきたところで、何気なく言ったダエンの言葉に驚き、目が覚める。
「何で知って…」
「そんなに大きな傷に気付かない訳ないだろ?君が何も話してくれないから今まで訊いてないだけだよ」
指と指の間に、ダエンの指が入りぎゅっと握られる。オイルで指が滑る感触にギエンが小さく肩を震わせた。何度か握り込むダエンは常と同じで、ただ普通にマッサージをしているだけだ。
「いや、背中は…、大丈夫だ」
あまり人に見せてもいいものでもない。醜い傷跡だ。背中の古傷を気にし出すと、途端に疼くような痛みが走る。
ギエンのそんな考えを知りようもないダエンが、
「背中は自分では出来ないだろ?やってあげるよ」
親切心でそう言った。
「…」
それでも渋るギエンに、
「それとも何?背中に触られるだけで感じちゃう訳?」
やや怒った表情のダエンが嘲りの言葉を口にした。
「お前、馬鹿にすんな。そんな訳ねぇだろ!」
ばっとシャツの襟を開く。ボタンを外して潔くシャツを脱いだ。
「凄い傷…」
胸や脇腹に走る傷にダエンの視線が流れ、
「この傷だらけの身体で、…ギエンが生きてて本当に良かったよ」
小さく呟いた言葉は紛れもなく本心だろう。
「…」
さすがのギエンもその言葉を疑ったりはしなかった。

肩を押され、寝台にうつ伏せになる。
背中に冷たいものが流れ、傷跡に沿うように右肩から左脇腹へと指が流れていった。
暖かい手のひらがマッサージをしながら傷跡を辿る。背中の窪みから脇腹へと指が行き来する度に、
「…!」
ギエンが息を止める。
その度にじゃらりと音を立ててネックレスが首筋を滑り、ダエンの目を引いた。
「…このネックレス、どうしたの?前はしてなかったよね?ギエンがネックレスなんて珍しい」
「あぁ」
頷きながら、またハバードの名前を出したら面倒な事になるんじゃないかと思いつつ、
「ハバードに貰った」
素直に答えれば、ダエンがへぇと短い相槌を打つ。
暖かな手が脇腹に触れ、
「っ…!」
くすぐるように下から上へと撫でた。
「ハバードも珍しいね。まるで見せつけるようにさ。君のことは僕の方がよほど知ってる」
言いながら、オイルで滑る手がぬるりと背骨の窪みを撫で上げ、
「ダ、エンっ…!」
ギエンが声を張り上げ、大きく身体を震わせた。
「て、めぇ!」
「脇腹とか昔から弱いだろ。背骨がこんなに弱いとは知らなかったけど…」
うつ伏せのギエンの上に座るような姿勢でマッサージしていたダエンが、右肩を手のひらで押さえて、圧し掛かる。
左手で傷跡にオイルを塗り込みながら、
「この傷はどうしたの?ハバードも知ってるなら僕にも教えてくれよ」
回答を強要した。
「ふ、ざけん、…っ…、お前、強引だぞ!」
「そうかな?」

決してそんなつもりでマッサージを始めたダエンではなかったが、高級そうなネックレスを見せつけられて苛立ちが募っていた。
それだけでなく、
「ッ…!」
ビクビクと小さく震え息を飲むギエンの姿に、嗜虐心を煽られ余計に嫌がることをしたくなる。
「理由を教えてくれたっていいだろ?」
傷跡へとオイルを追加しながら、ギエンの胸元へと手が伸び、
「…ぃッ…、ダエン!いい加減に…、しろ!」
際どい嫌がらせをした。

二人の攻防が繰り広げられ、しばらくの後、
「討伐に、行った時…っ、騎士団の仲間に切り付けられた傷だ…」
観念したようにギエンが呟いた。
それを聞いたダエンのマッサージの手が止まる。
「これが原因で、獣人族に捕まったようなもんだな」
苦い声で答え、
「満足したか?」
ギエンの問いに、ダエンが申し訳なさそうに頷いた。
「ごめん。ギエン。さぞかし痛かっただろうに」
言いながら首筋に唇を落とし、
「!」
キスをした。

これは親友の範囲なのかとギエンが混乱していると、マッサージを再開した手が左脇腹に触れ、そのまま上へと移動していった。
「っ、待、…」
制止の声を言う前に、
「ンぁッ…、…ゥっ…く」
触れてもいないのに立ち上がる部分に指が触れ、オイルで滑って刺激を与える。
「て、めぇ!」
文句を言おうとした所で、
「ッ…!」
「背中を触られるだけでも十分、感じちゃってるじゃん」
ダエンが耳元で揶揄り、意図的に胸の突起に指を滑らせた。
「てめ、…どうかしてるぞ!親友同士がすることじゃねぇ…!」
ギエンの苦情を笑って聞き流し、
「そうかな?親友でも別に抜き合いっこくらいするよね」
平然と言って、振り返ろうとしたギエンの半身とシーツの狭間に手を差し入れる。そのまま下半身に触れ、
「ほら、やっぱり感じてる」
「っ…!」
既に硬くなっているモノを握った。
「ダ、エン…、やめろ」
握りしめられると本能的に腰が引ける。抵抗の力が緩くなり僅かに腰を上げれば、形を確かめるように服の上からなぞられ、
「ぅ…、ンっ」
ギエンから甘い声が漏れた。
「こっち向いて。抜いてあげるよ」
緩く刺激しながら言ったダエンの言葉と共に、硬いモノが背中に触れる。
「っ…お前、…!…親友相手に、おっ立てる奴がいるか…!」
文句を言えば、僅かに驚きの表情をしたダエンが小さく笑った。
「これはただの生理現象。女性に欲情するのと同じで、ギエンが男とも寝ると思ったら君もそういう対象になっただけ。やらしい体の君が悪い」
「はぁ?!何言ってや…、ァ…、っく…!」
きゅっと握りしめられ、苦情も止められた。
緩い服の中へと手が入り、濡れた下着の上から擦られ、頭が馬鹿になるギエンだ。
「てめ、っ…本当に、いい加減に…」
言いながら、正面を向かされ間近にダエンと見つめ合う。
「ギエンのイク顔、見せて」
「…っぁ」
ダエンのモノと自分のモノを擦り合わされ、何をしているのかよく分からなくなっていく。親友とは一体何なのかを考え、これもダエンがいうように親友の範囲なのかと頭が混乱していた。
ただダエンの言った言葉がミガッドと同じで、やはりこの二人は似ていると頭の片隅で思い妙な納得をしていた。

見つめ合ったまま、容易に昂ぶっていく。
ほんの数日前にルギルに抱かれた感覚が呼び覚まされ、唐突に欲情に溺れたギエンの瞳が一気に甘く蕩けていった。
「っ…!」
見つめるダエンの息が荒くなり、無意識に唇を舐める。猛烈にキスをしたくなり、何を考えているんだと自分を諫めていた。
互いの息遣いが聞こえる中、濡れた音が室内に響く。

「っふ…」
鼻に掛かった声を上げたギエンが、イク寸前に顔を隠すように横を向き瞳を閉じる。
息を殺したまま、背を逸らせ小さく震えていた。前髪が目に掛かり、余計に煽情的で危険な色香を纏っていることを知らないのは本人だけだ。
「っく…」
同じようにダエンが、刺激でというよりはギエンの表情に誘われるように果てる。
互いの白濁としたモノが混ざり合い、手を汚すのをオイル拭きとして用意しておいたタオルで拭き取った。
「すっきりした?」
冷静になっていくダエンに対し、ギエンは未だに欲を宿した瞳でダエンを見つめていた。
「…あぁ」
熱の宿る声で返しながら、身体の疼きは抑えられないほど昂ぶっていた。

ルギルに抱かれたい。
猛烈にそんな愚かな考えに囚われ、緩く頭を振って追い払う。

オイル塗れになったシーツに手を滑らせ、
「信じらんね」
平然としてるダエンに文句を言えば、
「気持ち良さそうにしてた癖に」
そんな言葉が返ってきて返す言葉を失うギエンだ。
「くそ…お前、二度とマッサージはさせねぇからな」
悪態を付くしかなくなる。
それをダエンが笑って聞いていた。


2021.11.21
拍手・訪問ありがとうございます!!
前回、モバイルのTOP更新し忘れたっぽい汗。PC用のTOPは日付間違えてるし、色々お疲れ状態(笑)
今日は今日でもう眠くて死にそうです(笑)。

何かと親友で縛ってくるダエン(笑)。ツボ(笑)。
総受けサイトなのでガンガンCPしてきます〜( ^)o(^ )満腹〜☆彡

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 ***69***


朝方に、何かが頬を叩く感触がして目が覚める。
目の前にクロノコのつぶらな瞳があって、急速に頭が覚醒するミガッドだ。昨夜、ギエンから奪い取ったクロノコが柔らかな手をミガッドの頬にかけたまま、小さく鳴いた。
そのまま急かすように扉の所まで駆けて行って、ドアを小さな手で叩く。
「…分かったよ」
クロノコの言わんとすることをすぐに察する。閉められたカーテンから差し込む光は明るく、起き出してもおかしくない時間帯だ。
ギエンの朝が遅いことは知っていたが、我慢して貰おうと腹をくくる。

クロノコを導くようにドアを開いて、ギエンが昨夜寝泊まりした客室へと向かえば、ドアを開くまでもなく寝入っているのが分かった。
念のため、ノックをした後に、ゆっくりと扉を開く。僅かな隙間からクロノコが飛び込むように室内へと入り、寝台まで駆け寄って行った。そのまま、大きくジャンプして上掛けにくるまるようにして寝入るギエンの胸元へと飛び込む。

何気なく、クロノコを追いかけるようにして室内へと足を踏み入れたミガッドだったが、その選択を後悔したのは僅か数分後だ。

ミガッドの視界に上掛けからはみ出たギエンの足先が映り込む。そのまま寝台を回り込めば、
「…ん」
クロノコを左手で抱き込んだギエンが柔らかな感触に甘い息を吐いた。暖かな温もりを得るように抱き寄せ更に身を丸める。その拍子に首元のチェーンが音を立てて、褐色の肌を滑り落ちていった。
男らしい首筋から色気が漂い、ドキリとさせられるミガッドだ。
誘われるように寝台に腰掛けて、寝入っているギエンの顔を覗き込む。
日頃は鋭い光を宿す瞳も今は静かに閉じられ、乱れた髪が乱雑に顔に掛かっていた。ゆったりとした呼吸を繰り返すのが何故か不思議で、ギエンの呼吸を確かめるように手の甲を鼻先に近づける。

未だに父親だと言われてもピンとこないでいた。
本当に同じ血が流れているのか、不思議になるくらい似ていない。髪色や肌色だけでなく、通った鼻筋に、はっきりした眉は力強く男前で、サシェルに似ている自分とはまるで正反対だ。
どちらかといえば、女性的な顔立ちに近いミガッドは繊細な印象を見る者に与えがちで、昔はよく容姿を弄られることが多かった。それがコンプレックスであった時代もあったが、今となってはさほど気にしてはいなかった。それでも、ギエンを前にすると僅かに羨ましい想いにさせられる。

ギエンの目に掛かる前髪を払い除け耳に掛ければ、整った顔立ちが露わになった。
その男前の顔が、決して女性的な訳でもないのに情欲を誘う。ギエンを起こしに行くダエンが悪戯心を起こすのも分からなくもないミガッドだ。
ギエンの薄い唇は、淡い桜色で無性に触れたくなる色で、唐突にあの夜を思い出し、尚更その欲求が高まっていた。
その欲求を誤魔化すように、首に掛かるチェーンを指先に引っ掛けて、引き上げる。
ペンダントヘッドに指を滑らせ、艶やかな輝きを放つそれの材質を確認するように目を凝らした。洒落た模様が施されたその飾りは高級な石のように見え、誰の贈り物なんだろうと気になっていた。
ギエンが自分で買うとは思えない。かといってギエンの様子を見ているに女性からのプレゼントは考えにくいと思ったところで、思い当たる人物がいなかった。
まさか父親であるダエンかと思い、すぐにその考えを否定する。ダエンにこの類のセンスがない事は分かっていた。
そうしてふと、訓練長が珍しく休みを取っていたことを思い出す。
少なくともこの2年間で突然休みを取ったことは一度もない彼の休みに、訓練生たちがざわついたのは言うまでもない。それだけ珍しいことにも関わらず、翌日には何の説明も無く普段通りだったことも、どうしたのかとざわついていた。
「まさか、ね」
指先で飾りを弄んでいると、
「っ…!」
クロノコがミガッドの指を威嚇するように軽く噛んだ。
「ぅ…!」
歯が無いクロノコが噛んだところで痛みも無いが、驚いたミガッドの手が反動でギエンの顎を殴る。
「痛っ…て…」
眉間に皺を寄せたギエンが何事かと呻き声を上げ、瞳を開いた。
「…」
その美しい蒼い色に驚き、見惚れるミガッドだ。

日頃から見慣れている目なのに、鮮やかな蒼い色がギエンの容貌に花を添え、整った顔立ちがより色っぽく艶を増す。
「ミガッド…?」
朝一番の掠れた声が心地よく耳に響き、突然のことに動揺していた。
「殴られた気が…」
言いながら半身を起こすギエンのシャツが肩からずり落ち、左肩が剥き出しになる。筋肉の付いた男らしい肩は、決して柔らかな女性の肩ではなく同性の男のモノだ。それにも関わらず、肩から鎖骨、シャツの合間からチラリと見える胸筋の膨らみが朝から目の毒で、視線のやり場に困っていた。
「お前、殴ったか?」
そんなミガッドの様子に気が付く気配もなく、しどけない格好のままのギエンが問う。
萌え袖で顎を摩りながら、クロノコを引き寄せた。
「ごめん、ちょっとびっくりして…」
視線を逸らせたまま答えれば、
「…」
僅かな沈黙が返ってきた。
膝を立てたギエンがクロノコを抱きかかえ、
「何だ?やらしいことでもしてたか?」
ニヤリと片笑いを浮かべて言った。
「は…?!ハァ?!何言ってんだよ!冗談言うな!何で俺が…!」
睨むように見つめて抗議すれば、途端にギエンが可笑しそうに笑い出した。
「ムキになんな。余計怪しいぞ」
乱れた格好で悪戯顔を浮かべるギエンは腹立たしいほど色気に満ちていて、それが余計にミガッドの感情をぐちゃぐちゃにさせていた。
「本当に違うって!」
声を大にして否定すれば、
「へぇ?」
首を傾げ、流し目を送ってくる。
「っ…!」
これが無自覚なのだから、心底、ギエンという男が憎らしくなってくるミガッドだ。寝台の上でクロノコを抱き締めたままリラックスしているギエンは、まるで行為の後かのように、警戒心が無い。

朝から無駄に刺激してくる男に苛立ちを深めていると、
「怒んな。冗談に決まってるだろ」
笑ったギエンが身を乗り出して、クロノコをミガッドの肩に乗せる。
いつものようにさり気なくミガッドの髪の毛を混ぜた後、
「…!」
何気ない動作でクロノコの頬にキスを落とした。

その動作に、心を奪われる。
まるで自分がキスされた気がして、ギエンに対する劣情をまざまざと自覚させられていた。

肩の上で喜ぶクロノコの声をどこか遠くで聞きながら、カーテンを開けに歩き出すギエンの背中をぼんやりと眺めたまま、どんなに頑張ったところでギエンを父親だと思うことは一生無いだろうと確信にも近い思いを抱く。
カーテンが開くと共に明るい陽射しが室内に差し込み、
「天気がいいぞ」
振り返って笑みを浮かべたギエンが眩しくて、目を眇めていた。


ギエン・オール。
今まで、彼の偉業や人となりを耳にしたことは数えきれないほどあった。ただ、それもどこか遠い世界の話のようで、感慨深くも無ければ関心も持てずにいた。
それが今となってはまるで正反対で、彼を知れば知るほど欲深い好奇心が強くなっていた。
「また一緒に出掛けような」
歩み寄って来たギエンがクロノコを片手ですくいあげ、そう誘う。それに関心の無い体で頷けば、日差しを背にしたギエンが柔らかな笑みを浮かべた。

心の中で、ギエンのタラシっぷりに悪態を付く。


ギエンが、やけに輝いて見えるミガッドなのだった。


2021.12.04
12月とか恐ろしい…(゚ω゚;A)
更新お待たせ(?)しました(笑)。拍手ありがとうございます!(^^)!嬉しい限りです!(笑)

コメントもありがとうございます‼いつもお返事が遅くなりスミマセン…
コメントをくれた方は何を書いたか忘れてしまっているのでは、と思うくらい遅くてスミマセン…(笑)
拍手のお礼文やら何やら、少しでも楽しんでいただければ幸いです(#^^#)ノ
コメント嬉しいのでまた下さい(笑)!
あまりギエンの今後とか書くと色々ネタバレになるので、極力自制してます(笑)。

というかもう70話なことに戦いてる汗。ヤバいね…(笑)

応援する!
    


 ***70***

ダエン家を後にしたギエンは、真っすぐに城へと戻っていた。途中でホル・ミレの店へ立ち寄ろうか迷い、すぐにルギルと遭遇した前回を思い出して考え直す。それと同時に、全身にまとわりつくようなルギルの気配を感じて、背筋を震わせていた。
ネックレスの位置を指で直しながら、香りを確かめて気持ちを落ち着かせる。
その内にこの感覚も忘れるだろうと思いながら、自室代わりに使用している客室のドアを開けば、意外な人物が椅子に腰かけ、ギエンの帰りを待っていた。
「ロス、こんな時間に珍しいな」
傍らに立ったままだったパシェがすぐに紅茶を入れる準備を始める。それを視線で見送りながらロスの目の前に腰を下ろせば、
「朝からお出かけでしたか?体調不良と伺っていたので心配していたんですが、その必要は無かったみたいですね」
変わらぬ表情のまま、そう言った。

遠回しの嫌味なのか、ただの感想なのか表情から読み取れず、僅かに困惑していた。
相手の真意を読み取るようにロスの顔をじっと見つめた後、小さく謝罪する。
「ダエンに誘われてて、ちょっとな」
言いながら上着を脱いで、ひじ掛けに乗せた。
「警備隊長殿ですか。以前からの友人と聞いてます。今でも仲が良くて羨ましいです」
社交辞令を口にするロスに、小さな方笑いを返すギエンだ。
「僕には同じ年頃の友人はいないので、本心で思ってますよ」
「悪い。そういう意味で笑った訳じゃない」
「…ギエン殿がお元気そうで良かったです。貴方は丈夫そうなので、体調不良と聞いて驚きました」
さらりと言われた言葉に、視線を返せば、ロスの顔に小さな笑みが乗っていた。
案外、嫌味でもなんでもないのかもしれないと思い、自分の疑り深さを笑う。

そんな事を思いながら紅茶を飲んでいると、
「折角なので、魔術訓練もしますか。あまり期間を空けるとまた忘れてしまいそうですから」
その言葉を聞いて、パシェが席を外す。
それを見送ったロスが、テーブルの上に置かれたギエンの指に手を重ね、嵌めていた手袋を脱がすように、人差し指で手袋の袖口を捲った。
「っ…そうだな」
答えながら、さりげなくロスの手を払うようにして手袋を外す。
ギエンの僅かな動揺に気付かないロスではなかったが、特にその事を口にしたりはせず、ギエンの人差し指を手に取って、
「いつも片腕とかですが、もっと難易度を下げて指だけにしてみましょう」
視線を絡めながら言う。

ロスとの訓練を初めて既に20日ほど経つが、目に見えた成果は出ていない。ほんの僅かに指が動かせるようになった、かもしれない、その程度のもので、ロスが方向性を変えるのも尤もな話だ。
実際のところ、先日、ルギルに掛けられた精神魔術は全くと言っていいほど解ける気がしていなかった。今更手遅れで、もうルギルという存在自体に抗えない気さえしていた。


ロスと視線を合わせたまま数秒間の後、僅かに頭に霞が掛かる。術を掛けられたのを知り、そのままロスの青い瞳を見つめ返す。
「ギエン殿は、精神魔術に慣れ過ぎです。
範囲が少ないほど術のレベルは下がりますが、逆にここまでピンポイントだとかける側の難易度は上がります。指1本というのはかなり複雑な術が必要になりますからね。
それにも関わらず、なんの抵抗もなく受け入れるのはどうかと思いますよ」
ロスがため息混じりに苦言を呈する。
「抵抗も何も、」
「僕の技術が凄いのは分かりますけど、それにしても簡単に掛かり過ぎです」
動きを封じられた指先を撫でられ、ギエンの目に驚きが宿る。撫でる指が右手の傷跡から、袖を捲り手首の跡を辿っていった。
「ロ、…ス」
くすぐったいようなゾワゾワする感触に視線を落とせば、
「僕を見て」
視線を外すなと指示されていた。

澄んだ青い瞳を見ていると、再び頭がぼんやりしてくるギエンだ。
魔術訓練の初日に掛けられたのと同種のものだと頭のどこかで認識しつつも、ロスが言うような抵抗がなんなのか分からず、青い瞳を見つめるしか出来なくなる。

「貴方が僕に対して警戒してないのは分かりますが、その気の緩みをどうにかしない限り僕の魔術を解くことは出来ないです」
手首を掴まれ、その直接的な感覚に意識が僅かにより戻された。
「そんなに精神を丸裸状態にされると」
「ッ…?!」
ビリビリっと触れた部分から痺れが走り目を見開く。ギエンの驚きを冷静な目で見つめたまま、
「僕は悪さをしたくなる」
静かに言った。
「…!」
途端、何かに支配された気がして、
「うぁ…ッ、……ァ」
背筋の神経を下から上へ舐められたような快楽が走り、頭の中で光が弾けた。一瞬で全身を駆け巡った甘い痺れに声が抑えられず、
「ン、…ッぅ、…!」
瞬間的に欲情させられていた。
小さく震えるギエンから、淫らな気配が立ち込め気品溢れる容姿と相俟って、より妖艶さを増す。
衝動を堪えるように首飾りを左手で握りしめ、ロスを強い目で見つめ返していた。
「好き勝手、…っ、するな…!」
「口で説明しても分からないでしょうから、実践したまでです。僕を信用し過ぎでは無いですか?」
「っ…、それの、…何が、悪い…」
「僕をそこまで信用するのはハバード様の紹介だからですか?」
ギエンの首元に視線を動かしたあと、そう訊ねるロスの声音は冷淡なもので、
「ンッ…ァ、…て…めぇ!」
より刺激が強くなり、ギエンを苛立たせると共に昂らせていた。
ギエンの様子を見つめるロスは常と変わらぬ涼しい顔のままで、その言葉もただの世間話かのように軽い。それでも、内包する嫌味は隠しきれず、さすがのギエンにも伝わっていた。
「妬けますね。僕もハバード様に御神木の飾りをおねだりしようかな。ハン家は土の精霊の加護が厚いのでゼク家としては羨ましい限りです。ギエン殿は御神木の価値を御存知ですか?」
「知るか!」
勢いで返すギエンに、
「御神木の飾りは貴族ですら中々手に入らない貴重な物です。あの土地を何千年と見守ってきた大樹ですから、手を触れることすら易々と出来ない代物なんです」
淡々と答えたあと、ギエンの人差し指に指を絡めて、軽く握る。
「ロ、…ス!」
戸惑いの声を小さく笑って、
「早く僕を振り払わないと、貴方の中にどんどん侵入しますよ」
視線を絡めたまま言った。
「ッ…!」
心臓を鷲掴みされた気がして、鼓動が跳ね上がる。同時にチリチリと敏感な部分に痺れが走って、息を詰まらせた。
蒼い瞳が揺らぎ、葛藤を宿す。歯を噛み締めて小さく呻くギエンに、
「貴方は、僕の大事な思い出を簡単に壊していく」
ポツリとロスが呟いた。
「何、言って…」
問う言葉も途中で途切れる。握られた指から強い力が這い上がっていくのを感じて、身構えるギエンだ。
それでも、
「く…ッ、…ァあ…っ!」
見えない何かが全身を舐めていく感覚に甘い悲鳴を上げる。口元を手の甲で押さえたまま数秒ほど震えた後、鋭くロスを睨んだ。
「ハバードのことで、俺に八つ当たりすんじゃねぇ!」
握った指が僅かに動く。

ギエンにとってのハバードが明確にどういう存在なのかは分からない。ただギエンが無自覚のままハバードに絶大な信頼を寄せていることは分かっていた。

ハバードの存在がギエンにとって、ひとつの鍵になることは間違いないだろう。


鮮やかな蒼い瞳が怒りの感情とは別の色を内在させて、ロスを見つめる。抑えられない快楽を宿す瞳があまりにも淫らな色で、箍が外れそうになり自分を律する。
爽やかで清らかなギエンとの思い出が、まやかしのように感じるロスだ。
それでもロスの表情はいつも通りで、
「精神魔術が得意な相手に対し、いかに無防備か分かりましたか?」
淡々と言った後、掴んでいた指を外した。

切り替えるようにギエンの顔の前で手を払い、意識を入れ替える。
途端にギエンの体が軽くなり、高鳴っていた鼓動が落ち着いていった。

改めてロスの魔術の凄さを実感していた。
ルギルのものとは比較にならない強制力で、思わず額に手をついて呻く。
「っ…、マジで八つ当たりするな」
弱った声で2度目の台詞を呟くギエンに、ロスが小さく笑い声を上げた。
「ギエン殿がまるで赤子のようなので」
その言葉にギエンが深々とため息を付く。
「お前、…俺のこの状態、どうするつもりだ」
ロスが珍しく苦笑を零して、
「僕はそろそろ別の仕事がありますので、ごゆっくりどうぞ」
素っ気なく言って席を立つ。
「っち…、少しは年上を敬え」
「敬っていますよ。僕はハバード様の次にギエン殿を尊敬してますから」
嘘くさい笑みで言った後、綺麗なお辞儀をするのを胡乱な瞳で見つめるギエンだ。
そのまま出ていくのを見送った後、自分の身体を見下ろして何度目か知れぬ溜息を付く。
「ッ…、くそ…」
してやられた気分になりながら、熱を冷ますために浴室へと向かうのであった。


2021.12.11
遅くなりました(笑)。今週眠気がやばくて全然進まなかったです(笑)。
いつも訪問、拍手ありがとうございます(*ノωノ)‼
ギエンを好きになってくれると嬉しいです(笑)。
ギエンは、ロスの手のひらの上で転がされてます(*'V’*)♡その内、料理されちゃうかもね(笑)

コメントもありがとう‼
ですね、ですね!( *´艸`)‼
ぶっちゃけ、総受けあってのBLだと思ってます(冗談です笑!純愛派に怒られちゃう笑)
個人的にBLになっちゃうほど、受けに魅力がある=その他大勢を惑わすほど魅力がある=総受けになるのも当然よねェ( ^)o(^ *)とか思ってます(笑)ハハ

さりりさん(#^.^#)お久しぶりです〜!
丁度ロス絡みの話を書こうと思っていたところに、ロスとの絡み希望だったのでイイタイミングになりました(笑💕)少しでも楽しんでもらえたら嬉しいです(´ω`*)ムフ!
癒されると仰って頂けると大変有難いです(*ノωノ)キャ!また是非、訪問してやってください(笑)‼

そういえば、ロスが何故か割と人気っぽい…?(笑)

応援する!
    


*** 71〜 ***