【人間編,流血多,反乱,総受】

 ***11***


 
森の中で獣に遭遇する事は珍しい事ではない。
だが、今回は大人数での行動ということもあり、遠くで獣の気配があったとしても襲われるという事態にはならなかった。人間よりも獣の方が利口なのだろう。

そのまま森を抜け、街が見えてくると黙々と歩いていた彼らにも会話が戻ってきた。

「ねぇ、イーセン。バラスに家族はいるの?」
速度を落として横に並んできたリィネが馬を隣に並べる。反応を見るように、顔を覗き込みながら、
「住民はみんな避難済みって聞いたけど、連絡は取れてるのかしら?」
遠慮も無く訊ねてくる。
周りにいたナインやラックスが僅かに反応するのが分かった。二人とも心のどこかで疑っているのだろう。
イーセンの返答を聞き耳立てて待っているのが気配で分かる。
「両親はいないです。魔族に殺されたので」
はぐらかすことは出来ないだろう。両親がいないのも事実だ。物心が着く頃から既にいなかった。それがどういったものなのか、全く想像もつかないが嘘ではない。

「それじゃあ今回、参加してるのは復讐かしら?」
「そうですね」
会話を終わりにしたくて短い返答をするも、
「ここまで逃げて来たのに、もし親の仇を前にした時に大丈夫なの?恐怖に負けちゃいそうね」
相手にはその意図は伝わらず、逆に自尊心を刺激する言葉を吐いてくる。ある意味遠慮がないといえば遠慮がない。
不躾なそんな言葉を言われた所で何も感じはしないが、確かにその通りだ。
バラスの民を装った事自体が無理のある設定で、追及されればされるほど苦しくなっていく。
元々こういうことは慣れていないイーセンだ。

「…」
沈黙を勘違いしたリィネが小さな笑いを零した。
「悪気があって言ってる訳じゃないのよ。あなたを守ってあげられるのは私だけって言うのを伝えたかっただけなの」
僅かに速度を落としたイーセンの馬に、馬を寄せてくる。顔を寄せて、
「復讐したいなら手伝ってあげる。仇が目の前にいたら我慢できないでしょう?私はあなたの為に動いてあげる」
誘惑的な甘い声で小さく小さく、囁いた。

それはヒカリではなく、自分を優先的に動くという宣言に近い。
何のために…。

そんな疑惑と共にどう返答したものかと困っていると、唐突に横から手が伸びてきて肩口を引っ張った。
「リィネ。こいつに妙な事を吹き込んでんじゃねぇ」
ナインがイーセンの肩を無理やり後ろへ引いた。
「っ…!」
突然のことに馬から落ちそうになり、咄嗟に手綱を握り絞める。
その隙に、ちゅっと唇が口の端を掠めていった。
「!!」
「ちゃちゃ入れてくんな」
「…」
呆然とするのはイーセンだ。突然のナインの行動に驚きのあまり、咎めることも出来ず唇を手の甲で拭うしかない。
助け舟を出してくれたのは確かだろう。
「…」
ちらりとナインを窺う。
威嚇の表情を丸出しにしてリィネの顔を見つめていた。それを受けても、当の本人は全く気にしていない。それどころか沈黙するイーセンに視線を移し面白そうに口角を上げた。
「あらぁ。意外〜。でも今からでも簡単に奪えそうねぇ」
獲物に狙いを定めたように舌舐めずりするのを見て、
「…迷惑ですから止めてください。自分の身ぐらい自分で守れます」
イーセンがハッキリと断りの言葉を告げる。
それにすら笑みを深めて、
「私の力が必要になったらいつでも言ってね」
馬を走らせて元の場所へと戻って行った。

「…ナイン…、やり過ぎです」
視線を彼女に向けたまま咎めればナインが珍しくも苛立った口調で、
「気を付けろと言っただろーが。あの女は嫌な予感がする」
以前した警告を口にした。ナインがここまであからさまな非難を口にするのは初めてだ。

「何故そんなに嫌うんです?僕には普通の女性に感じる」
「あれが普通の女か?」
間髪入れずに否定されて、返す言葉が見つからなくなる。普通の女の人とは一体なんだろう。
「確かに彼女は少し男っぽい体格で勝気なところがあるけど…」
「イーセンの言う通りだ。見掛けで判断するのは良くないな」
ラックスが溜息混じりに賛同した。
それから、
「とはいえナインが警戒するのも分かる…。お前らがそういう関係なら、当然だと思う。
俺に警戒するのもそういう事か?」
全くの的外れの言葉を言って、イーセンを驚愕させた。
「僕と彼が、どこをどうしたらそうなるんですか。そんな訳ないでしょう」
力強く否定すれば、面白そうにナインが忍び笑いを零す。

「お前、俺が庇ってやったんだから少しは感謝しやがれ」
「頼んでませんけどね」
「本当に出来てたとはなぁ…」
ラックスが口内で呟く。

どう思われようがどうでもいいことだ。否定するのも面倒になって、ラックスの呟きを無視するのだった。



*****************************************


久しぶりの街の灯りは人々を明るくさせた。街人が彼らの正体を知って、歓迎の声をあげる。中でもとりわけ、聖者とヒカリの姿を見て、大きな歓声が湧き上がりあっという間に人だかりが出来た。人々が必要以上に近づかないように兵士たちが彼らを囲むように守る。
小さな子どもから老人まで表情を輝かせて彼らを見上げていた。手を振るヒカリは堂々としたものだ。生まれた瞬間からまるで祝福されるのが当然であるかのように、自然と対応していた。

「あれが光の使者様」
「まだ子どもだというのに、なんと神々しいことか…」
人々の感嘆の声があちこちから聞こえてくる。既に光の使者の噂はあちこちに広まっているのだろう。
「どうか魔族をこの世界から滅ぼしてください」
切羽詰まった女性の声が遠くからそう叫ぶ。その声に同調したように、街人が似たような言葉を続けた。


その日の夜は、酒場や街中が歓迎ムードとなりやや騒がしくなった。討伐隊の行く先々で街の人が歓迎の声を掛ける。中には酒や食事を奢る気前のいい連中もいて、一種のお祭り騒ぎとなっていた。
兵士たちはそのまま聖教院へと向かったため、大きな騒ぎには巻き込まれていないが、久々のベッドに真っ当な食事とあって彼らの表情も明るい。


今回も泊まる宿は3箇所に別れていたが、イーセンが泊まる宿として指定されていた場所は1Fが酒場となっており、2F部分に部屋がいくつか設けられている作りになっていた。
酒場で街の住民と盛り上がる彼らを尻目にイーセンがそっと抜け出す。

階段を登っていると、2Fの通路の薄暗い奥から男女の絡み合う気配がした。
こんな状況だ。羽目を外すことも必要だろう。
そう思って自分の部屋へと入ろうとして、ふとその相手と目が合った。鋭く獲物を狙うような緑の瞳は切れ長で美しい。その目が笑った気がして、
「…」
気付かなかった振りをしてそのまま部屋へと入った。
 



2020.08.10
1話を書いてるのが2015年なのでびっくりしました(-∀-`; )。既に5年も経ったのかと思ったら、2話が2019年だからまだ1年ですね!(^^)!ホッ‼‼‼(?)

もう少し更新速度増していけるよう頑張ります〜☆(笑)
いつも気合だけは十分(笑)。

まぁ色々他のことをやったりとかしてるとどうしても更新が止まっちゃうんですよね(笑)。
もう少し違う働き方をしたいと常々思う…( ノД`)…💦
    


 ***12***


 
妙なことばかりだと思う。
この世界に光の使者が誕生したことは完全に予想外の事態だった。そもそもあれは古くから伝わる伝承の類で、実際には存在しないものだと確信に近い考えでいた。そのため、噂を聞いてガラキ闘技場に行った時も、期待する気持ちとは裏腹に心のどこかでは半信半疑であった。

だが、間近で彼と接するとそれが本当である気がした。まず醸す空気が普通の人間とは異なる。
一見優し気で柔らかな空気であるのに、近づくと眩しくて、彼の周囲を重たい何かが渦巻いているように感じた。これが魔封じの力だとすると、弱い魔族であれば、文字通り力を封じられ「人間以下」にされるだろう。
魔族が常に纏っている障壁を中和しているのかもしれない。
自分には影響力は無いが、あの若さであれだけの圧力を持つのだから、もしこれが成長する力だとしたら今後、更に相当の力を身に付けて行くことが推測できる。

少年の顔を脳裏に描き、考え込む。
頭のどこか遠い所で警鐘が鳴った。下手したら唯一の『敵』になるかもしれない存在だ。今ならどうにかできるだろう。


「やるなら早い方が…」
思わず危険な言葉を口走りそうになって口を噤む。
その時、扉を叩く音が鳴った。

居留守を使おうと思って無視していると、部屋にいるのを確信している調子で再度、ノックが鳴る。その音が僅かに激しくなって、
「今開けます」
しょうがなく、扉に向かった。
木で出来た安普請な扉を開きながら、
「ナイン、何の用で…」
文句を言おうとして、思った位置に顔を無く言葉が止まった。

イーセンの驚きの顔を見て、彼女が艶やかな笑みを浮かべる。
緑の瞳が熱に浮かされて酒の匂いが充満した。

「あらぁ〜…。お邪魔します〜」
リィネが軽い調子でそのまま室内へと押し入ってきた。片手に酒瓶を持ち、千鳥足でふらりと歩きながらベッドに腰掛ける。
「何の用ですか。そんなに飲んで…。明日に響きますよ」
イーセンの言葉に、彼女がふわりと妖艶に笑った。
「貴方とお話したくて来ちゃったの〜。さっき、目が合ったのに冷たいのねえ」
「酔ってますね…。水を貰ってきます」
その場を去ろうとするところを、
「これ、貴方の荷物〜?」
ベッド脇に置かれた皮袋を拾い上げようとするのを見て足を止める。
「リィネ…!」
別に見られてどうこうではないが。
「いいじゃない〜」
結び目を解いて、開こうとするのを強引に手を引いて止めさせる。笑みを浮かべる彼女と見つめ合ったのはほんの僅かな時間だ。

緑の瞳といっても様々な色がある。リィネの瞳は深みのある青に近い緑ではなく、鮮やかな新緑の緑だ。生命力溢れる綺麗な瞳に、一瞬、気を取られ、
「…!」
掴んだ手を強い力で引き寄せられ、襟を掴まれていた。

「リィネッ…!」
そのまま襟を引き寄せられ倒れ込みそうになる。自分よりも体格がいいとはいえ、女性だ。押し潰しそうになって、ベッドに膝を付け無理やり崩れた態勢を立て直そうとした。その膝裏にするりとリィネの長い足が絡まり、視界が反転したかと思うと、
「ッ…!!!」
抵抗の間も無く見事なまでに組み敷かれていた。
「びっくりした顔もキュートねぇ」
いつの間にか上に圧し掛かったリィネが、男も顔負けの力でイーセンの動きを封じこむ。
引いた筈の片手は背中で固定され、もう片手は顔の横でがっちりと手首を掴まれていた。足を動かし払いのけようとして、無駄に終わる。片足は完全にリィネに絡めとられている状態で、相手の体重が圧し掛かり動きそうにもない。

「…何の真似、ですか」
無駄な抵抗を止めて相手の意図を聞けば、返ってくるのは笑みだ。
「貴方の目、ずっと見ていたくなるわ」
顔を近づけてイーセンの瞳の奥深くまで覗き込む。
相手の瞳に映り込む自分の姿まで見えるほど近くでまじまじと見つめられ、見透かされている気がするイーセンだ。

やはり、何か力が洩れているのだろうか。
リィネとそれほど接点があった訳でもない。どうしてここまで好意を寄せられているのか分からない。

更に近づいてくる瞳に気が付いて顔を背ければ、首筋を唇が這った。
「リィネ!」
声を僅かに荒げれば、耳元で愉快そうな笑い声が響く。
「いい加減にしてください!僕は遊びで討伐メンバーに参加してる訳ではないんですよ」
クスクスと笑ったリィネが、唇に人差し指を当て、長い指で緩く下唇を撫でた。
「何を焦っているの?初めてでも無いでしょう?」
伸し掛かったままのリィネが、下半身を刺激するように身体を揺する。
胸元を撫でてくる手に、珍しく焦りの感情が浮かんだ。背中に回された腕を抜こうとして、上に乗るリィネの重みで上手くいかずに終わった。

女性だが、やはり相当の力だ。
イーセンが力を使えば簡単に抜け出すことは出来る。だが、下階では他にも討伐隊のメンバーがいて、街には聖者がいるような状態で、下手に魔族の力を使うわけにはいかない。人間の振る舞いのまま、この危機を脱出する必要があった。

だが、色仕掛けは想定外でどう対処したらいいのかも分からない。
「リィネ!!」
願いを込めて名前を呼ぶしか出来ず、
「その表情、好みよ」
逆にそれが相手を喜ばせる。

上から見下ろすリィネの瞳に鋭利な色が浮かび怪しく光った。胸元を彷徨う手がすんなりと服の中へと入っていく。緩く刺激する動きに身を捩ろうとして、ふわりと何かが鼻腔をくすぐった。

深く甘い香りだ。
こんな香りが一体どこから。

そう思った途端に、急速に身体が熱を帯びていく。
「ッ…、何を、…」
「気付くのが遅いのねぇ」
香りが次第に強くなっていく。呼吸をするだけで深く沈み込むような鈍い刺激が頭の奥深くに響き、痺れていった。
「私が本当に酔ってる訳ないじゃない」
思考力を奪っていくその感覚に比例するように、身体はいう事を効かなくなっていく。
「リ…、ネ…」
指先が震え、言葉を紡ぐのさえ難しくなって力が抜けていった。

「私は欲しいモノはどんな手段を使っても手に入れるの。私と寝たら復讐なんてどうでもよくなるから安心していいのよ」
服が脱がされていくのを遠くでぼんやりと認識する。
力の入らない指が、濡れたベッドに触れ頭の片隅で匂いの元を知った。

いつの間にか媚薬を盛られていたのだろう。用意周到なことだ。これだけ濃厚な匂いなのだから相当強い物の筈だが、その中でも平然としているリィネの耐性力に舌を巻く。
半分、投げやりな気持ちになっていた。



2020.09.13

早い…。もうじき今年も終わりですね💦驚き…。

夏はどこに行ったんだろうってくらい夏があっという間過ぎです(笑)。

次回更新はそんなに空かずに出来る筈です!(^^)!
    


 ***13***


どうでもいいことだ。
人間と寝たところで何かが減る訳でもない。

一人の人間が狂い死ぬか、廃人になるかだけの話で、こうなってしまってはリィネには悪いが、自業自得だろう。
行為の後、すぐに死ぬわけでもないし、足が付く恐れもない。

それでも、先ほどと同じように近づいてくる唇を無意識に避けた。
「ぅ…」
イーセンが諦めの気持ちで緩い抵抗をしていると、ふとリィネが動きを止めた。


じっと耳を澄ませて扉の方を振り返る。
その直後、タイミングよくドアを叩く音が聞こえた。

その力強い叩き方は男のものだ。
鍵を閉めた記憶は無い。日頃はどうでもいい男の存在がこの時ばかりはやけに有り難い。
今度こそという思いを込めて、相手に届く訳もない名前を呼んだ。
「ナ、イン」

二度ノックした後、軋んだ音を立てて木の扉が開くと同時に、入ってきた男が大きなうめき声を上げる。
「っ…なん、だ、これ…」
推測通りにやってきたナインが、腕で口元を覆ってすぐに事態を察した。
険しい表情になって、イーセンに馬乗りになっているリィネを睨み付ける。
「っち。邪魔な男…」
舌打ちをしてイーセンから離れたリィネがずかずかと室内へと入ってくる男と対峙して、
「取り込み中なの分かるわよね?」
臨戦態勢を取った。そのリィネの態度もお構いなしに突進するかの勢いでナインが歩み寄っていく。
そのまま距離を詰め、リィネに容赦ない攻撃を繰り出した。
「っ…、仲間に手を挙げる気?」
対するリィネも額に青筋を立て反撃を繰り出す。ナインを捕まえようとした手を払われ、逆に囚われそうになって、拳で返した。
ナインは人の動きをよく観察しており、リィネの戦い方もよく知っていた。相手に捕まりさえしなければ、十分に勝機があるのが分かっていた。一方リィネはナインの戦い方を知らない。どちらかといえば、飛び道具がメインで接近戦は得意ではないだろうという事くらいだった。

それにも関わらず、ナインはリィネの攻撃を巧みに避け、お互いがお互いに攻撃が出来ずに終わるという状態が2,3分は続いた。

「リィネ、いい加減に手を引け。どうなっても知らねぇぞ」
ナインが脅しの言葉を掛ける。
「なんですって!私があんたなんかに…!」
最後まで言うよりも早く、ナインが手を軽く横に払う。

瞬きする一瞬の間に、小さく細長い物がリィネの左目の下へ3本、刺さっていた。
1mmにも満たない程細い針だ。
「次は本気で目を狙う。さっさと部屋から出て行けよ」
「…こんなもんでやれるとでも?」
「俺の動きを追えなかった癖によく言う。今と同じものが飛ぶとも限らないぜ?」
片笑いを浮かべて、腰に手を伸ばす。

リィネにとって僅かでも距離を取ったのが悪手で、ナインに攻撃のチャンスを与えたようなものだった。
「…」
大きく溜息をついたリィネが唐突に肩の力を抜く。
「分かったわ。出ていくわよ…。
何よ、ちょっと遊んでただけじゃない…」
ぶつぶつと文句を零し、部屋のドアへと向かった。
「ちょっとじゃねぇよ。手を出すなって言っただろーが」
距離を置いたまま見送ったナインが、彼女が出て行った途端に荒々しく扉を閉める。その勢いのままドアに鍵を掛け、窓を全開にした。

「ッ…くせぇ…」
部屋に充満する匂いにやられているのは何もイーセンだけではない。
「てめぇも隙を見せてんじゃねぇよ。忠告しただろ!」
ベッドで乱れた格好のまま力が入らないイーセンを蹴り落とす。濡れたシーツを丸め部屋の隅へと放り投げた。
シャツの襟ぐりで鼻を覆ったナインがせき込む。

「っ…」
窓際まで行って、大きく二度三度と息を吸い込んだ。
「大丈夫かよ」
蹴り落したイーセンを気遣うように振り返る。それからバツが悪そうに背を向けた。

「っふ…、大丈夫に、見えますか?」
余裕のない返答だ。それもその筈で、理性が飛びそうになるほどの昂ぶりをひたすら気力で抑え付けていた。浅い呼吸を繰り返して何とか熱が通り過ぎるのを耐えるしかない。
「…どうしてそう警戒心が無いんだか…。最初からリィネに狙われてただろうに…」
背を向けたままのナインが、窓枠に両肘を掛け夜空を見上げて言った。雲一つない空に星が輝き、ひときわ明るい天体が夜の街を明るく照らす。

「今のお前には何を話しても届かなそうだけどな…。
俺は昔からヒルガノから脱出したかった。悪い国じゃねぇ。ただあの閉塞感に耐えられなかった。クソみてぇな育ての親に、情報統制された小さな世界。対岸に魔国が見えるって噂を聞いた時は、初めて視界が開けた気さえした。世界はこんなに広いもんなんだって思い知ったよ。俺がヒルガノを飛び出した理由は至極単純なもんだ」
その当時を思い出したように、細く長い、憂鬱な溜息を夜空に吐く。窓枠に腰かけて、イーセンに視線を戻した。

「それ…、で…、今は満足、ですか?」
ちゃんと話を聞いていたイーセンが、途切れ途切れの質問を返す。
「あぁ。はるばるこんな所まで来て、まさかの光の使者にも会えるとは予想もしてなかったしな。あの当時は、考えも付かねぇ」
「そう…」
「俺が9番目の拾い子だという話はしただろ?
まだ成人にもなってねぇ頃…、ヒルガノでどうにも出来ない自分の人生を呪うような日々を送ってた。その頃に、見知らぬ男が言ったんだよ。『自分の力で世界を変えろ、乗り越えろ』って。その言葉があるから今の俺がいる。
あれからずっと、その言葉が俺の行動原理だ。討伐隊に参加してるのも、世界を変えるにはまず自分が動かないと駄目だと思ったからだ」
やけに真剣な眼差しだった。
背後で光る明るい天体がナインを照らす。

「いい、話です、ね…」
歩み寄ってくるナインを見上げたまま、
「こんな状態で言うのも、…なんですけど…」
イーセンが感想を口にすると、
「そろそろ俺の理性も限界だ」
予想外の言葉を口にしてイーセンの身体を抱き起こした。
「っ…!」

「気を紛らわせるためにマジな話をしてみたけど…、俺もだいぶあれを浴びてんだよ。お前ほど酷くねぇけど」
ごりっと固い何かが押し当てられる。その熱量に背筋がぞくぞくとして、身体が条件反射を返した。
「ナ…インっ、…!」
去った筈の危機が再びやってきた気がして、腕を持ち上げ彼の胸板を押す。
そのまま抱き込められ、首筋を強く吸われた。
「う…ぁッ…」
たったそれだけの、僅かな刺激で脳が甘く痺れるのを感じるイーセンだ。この熱をどうにかしたい、その想いが急速に膨れ上がり、どうにか理性を保とうと気を張る。

今、理性を失ったら…。
間違いなくナインを狂わせるだろう。
それこそ、獣のように快楽を貪るだけの修羅場になる。

「だ、めだ…、ナイン!」
制止の声は何の役にも立たず、ナインの手が脇腹から下へと緩く下りていく。その感覚に息を殺して耐えた。
「俺は男に興味はねぇから安心しろ。互いの熱を発散するだけの行為だ」
首元に顔を埋めたまま囁くナインの声は、案外にしっかりとしていて、熱に浮かされる訳でもなく冷静さを保ったままだ。その冷静さが快楽に流されそうになるイーセンの理性を繋ぎとめた。

そうは言ってもナインを殺してしまうかもしれないという思いが頭の片隅でよぎる。
どんなに人の姿を装ってみても、本質は変わらない。

自分の身体が毒である事を重々知っているが故に、身を捩り逃れようと小さな抵抗を繰り返す。その努力も虚しく、昂ぶった下半身に僅かに触れられただけで、
「っ…!!」
ナインの胸に置かれた手がずるりと床へと落ちた。
「…、マジか…」
小さくナインが呟く。抱き寄せたままの身体が小刻みに震え、手の中に熱いものが吐き出された。それでもイーセンの熱が冷めるという事はなく、未だ昂ぶったままだ。

「ッ…、ナ、…イン」
名前を呼ぶ声が甘く掠れ、鼓膜の奥をくすぐる。
既に理性を無くしつつあるイーセンの黒い瞳に別の色が宿り、水が揺らぐように異なる色が現れては消えた。

耳元で求めてくる熱い声にナインが歯を強く噛み締める。目を眇めて深く静かにゆっくりと息を吐き出した。
それから、
「イーセンッ!!」
突然、大きな声を張り上げた。

名前を呼ばれ、ハッとするイーセンだ。
「俺はこんなふざけた事に流されたりはしねぇ!」
ハッキリとしたナインの声に、意識が覚醒した。
流されそうになった気持ちに喝を入れて、
「わか、って…る」
短い言葉を返す。
「言っただろ。互いに冷静になるためだけの行為だ。しっかりしろ」
顔を合わせないのは互いに気まずくなるのを避けるためだろう。
抱きしめたままナインが言う言葉に頷いて答える。


随分と優しい男だと頭の片隅で思う。
熱に浮かされたまま、無理やりやればいいだろうに。この状況だったら多くの男がそうするだろう。それもせず冷静になれと促す、今までにいないタイプだった。

どちらかといえば突発的に蹂躙された記憶の方が多い。
見た目の柄の悪さに反比例する意外性だと、少し奇妙に思って笑いが出た。

こんな状況だというのに、笑うことで先ほどまであった焦りが和らぎ、僅かに冷静さを取り戻した。
「笑うとはいい度胸だな」
ナインの含み笑いに、ふふ、と声を洩らす。

理性を保っていられれば大丈夫だ。
自分の体が毒だとしても、触るだけでどうにかなる程強いものでもない。血にしろ、精液にしろ、体内に取り込みさえしなければ問題ない筈だった。

ナインの言葉を信じることにする。
不思議なもので、相手の事を信頼した途端に、先程まで身体の中で荒れ狂っていた熱が落ち着いていくのを感じた。


思わぬ収穫でもあった。
素性の知れない人間が集まる討伐隊のメンバーで、ナインという男は信用するに足りる男だと。
そう実感したのだった。
 



2020.09.20
ナインといちゃいちゃ楽しい!(^^)!笑

この話、結論は決まってるんだけど(;'∀')、どうしようか悩んではいます(笑)。
    


 ***14***

「…」
翌日、二人揃って集合場所である聖教院前に行くと、ラックスが呆れの表情をした。
何も言わなくても何を言いたいのか分かる顔だ。そのすぐ隣で、リィネが不愉快そうな表情を浮かべ、横を向く。
敢えて何も言わずに彼らに合流した。

メンバーは大体揃っている。
ヒカリと聖者の一人、リリアンが談話しながら聖教院から出てきた。
「次の街へ行きましょうか」
柔らかな表情で集まった面々に伝えるのはリリアンだ。ヒカリの肩を軽く押すようにして、促す。
ヒカリと聖者の仲はかなり良好で、ヒカリがまだ少年というのもあり、聖者は親身になってヒカリの面倒を見ていた。
ヒカリも聖者に気を許しているのが分かる。安心して身を寄せている様を見ていると、それが当然であるのに、不思議と悔しいような気持ちが芽生えた。
属性でいったらヒカリはやはり『そちら側』なのだろう。


いや。


そちらもこちらも無い筈だと思い直してヒカリから目を逸らそうとし、
「…!」
目が合ってニコリと微笑まれた。
驚き、どう返したらいいか迷った結果、不自然に見つめ合う羽目になる。

軽く会釈して顔を逸らせば、隣に立つラックスが笑いを堪えるように口角を歪めていた。タイミングが悪く妙な場面ばかり見られている気がしてくるイーセンだ。
相手の表情に気付かなかった振りをして前を向けば丁度、一行が歩を進め始めた。
ヒカリと聖者の集団は前の方へと行き、小さな背中しか見えなくなった。

聖者もいて、光の使者もいる。
各国の優れた兵たちに加え、選ばれた討伐隊、そして何より、光の王国が後ろにある。
だが、万が一にでも。

この討伐が失敗した場合はどうすべきなのか。ふと頭を過る。
たとえ人間の手でなくても、ギーンズを殺すべきなのか。


ギーンズを育てたのは他でもない自分だ。
強くなるために、指南役を雇った事もある。一人では寂しくないようにし、刺激になる仲間を集め、切磋琢磨できるようにした。

魔族を拾った事は何も彼が初めてではない。
だが、あそこまで大切に育てたのはギーンズが初めてだった。

進む先が徐々に離れ、相手の考えている事が分からなくなってきても、やはり家族みたいなもので、大事な存在には変わりなかった。小さい頃からギーンズを見てきたのも相まって、彼の我儘は多少無理があっても受け入れて来た。それがたとえギーンズからの暴力であっても同じだった。
だが、ギーンズのした事は決して許されることではない。

あれは魔族崇高でも何でもない。只の理由なき暴力だ。


以前、老人が言った言葉を思い出す。
『世界は見ている』と。


光の使者が誕生したのも、そういうことなのかもしれない。
多くの人々が切に願った。
魔族の滅亡を、魔国の討伐を。
そして、その願いが光の使者を生み出した。

世界は常に目に見えないバランス関係の上で成り立っているのではないかと、ヒカリを見ていると思う。
自分が統治している間に光の使者は一度も誕生したことはない。
旧王の時代でも、自分が知る限りでは光の使者は存在しなかった。


そう考えると、ホレトス教の理念にも一定の信頼性はあるのかと思いたくなる。

世界の調和のために生まれた存在。
ヒカリ自身は、そんな自分をどう捉えているのだろう。

遠くにある背中を見つめたまま、そんなことを思うのだった。



*****************************************


「…今日の宿の部屋割り、ナインと一緒らしいですね」
部屋割りの番号が発表された途端、ナインと顔を見合わせるイーセンだ。
昨日の今日で随分と気まずい思いをさせられるものだと思っていると、
「てめぇら出来てんだろ?同室にするように勧めといたから感謝しろよ」
ニヤニヤと下品な笑いを浮かべた男が、背後からそう言った。
「昨日、俺が割り当てられた部屋行ったら、そこの彼氏に追い出されちゃってさ〜。こんな時だっつーのにお盛んなことで」
傍らに立つもう一人の小柄な男がイーセンとナインを交互に見て、品の無いジェスチャーをした。
「やだねぇ。いくらイイ女がいねぇからって男は無ぇわ。てめぇらのお蔭でこっちは野宿する羽目になった訳」
男の台詞にちらりとナインを窺う。

本当は男に興味が無い筈だ。こんな挑発をされて切れるんじゃないかと思っていると、
「わりぃ事したな」
謝罪の言葉を口にしたのを見て、驚いた。
「…」
ナインのこの、らしからぬ達観した対応は何なんだろうか。

荒くれ者の風情でありながら、中身は驚くほど紳士的だ。それでいて決して穏やかではない一面もある。人間的に言ったら癖のある人間だろう。だが、酷く人間臭くて、魅力のある存在でもあった。

あまりそういう感情を抱くことのないイーセンだが、僅かに胸の内が熱くなる。

「っけ…。つまんねぇの。張り合いがねぇ。…兄貴、行こうぜ」
「見掛け倒しだな…」
ナインを見下して、兄弟が去って行く。

それを余裕の無表情で見送るナインだ。苛ついている訳でも何でもない。本当に何も感じていない顔だった。
イーセンの視線に気が付いて、片眉が僅かに上がる。
「何見てんだ」
語気強めに問い掛ける台詞は、ナインらしい。

機嫌が僅かに悪くなったのは先程の件ではなく、自分が顔を見ていた事に対してだろう。
「別に」
興味の無い振りをして、視線を逸らす。


ナインの意外な一面を見る度に、不思議な思いに囚われるのだった。



*****************************************


その日の夜は少し奇妙な事があった。
二人の部屋にヒカリが聖者を伴って訊ねて来たのである。

「夜遅くにすみません。中々話す機会が無いので、話をしたくて来ました。今大丈夫ですか?」
ヒカリの言葉にぎこちなく頷きを返す。
腰掛けていたベッドから立ち上がって二人を出迎えれば、
「僕らは大丈夫ですので、座ってて下さい」
ヒカリがいつもと変わらない笑みで言った。

常人では考えられない程、強い精神力だ。
大役を授かってこれから戦地へ行くというのに、ぶれない視線が真っすぐに見つめてくる。
まだ少年の年頃で、恐怖を感じないのだろうかと疑問になるほど、ヒカリはいつも通りだった。

「討伐隊の皆さんとはどうですか?」
後ろに聖者を二人連れ、立ったまま静かに問いかけてくる。
質問の意図が分からずにいると、
「全員、大した主義主張もねぇから、別にどうもねぇな。魔国をぶっ倒すっていう目的だけは一致してるから関係はいいんじゃねぇの」
ベッドに膝を立てたナインが答えた。
「聖者の中には派閥争いがありますからね」
昼間に起こったちょっとした騒動を気にかけているらしい。

何事にも温厚なリリアン派と、厳しい対処で有名な強硬派のイサック派がいて、どっちがどうだという言い争いが突発的に起こり、あと少しで暴力沙汰に発展する事態になっていた。前の方にいる集団が騒ぎ出したと思ったら、あっという間にその輪が広がり兵士全体に沸き起こっていた。

止めたのは当の本人たちだ。
別に当人同士が不仲という事は無い。むしろ関係は良好でお互いにお互いを認め合っていたが、外野はそうでもなく、常にどこかでどっちが優れてる、どっちが次期上等位に相応しいと醜い言い争いをしていた。

「醜い所を見せましたね」
ヒカリの後ろでイサックが小さく会釈して謝罪をする。傍らに立つもう一人の聖者はイサックと同じような容姿で黒目に黒髪の小柄な男だ。
まだ十代だろう。鋭い目付きでおよそ聖者らしからぬ雰囲気を持っていた。両手を身体の前で組み、呪の形を保つ。
一見して、警戒態勢なのが分かった。

「お二人は魔族に対してはどう思ってるんですか?」
唐突に、ヒカリがそんな言葉を口にした。
笑みを顔に乗せたまま、後ろでは警戒態勢の聖者がいて、訊ねる台詞では無いだろう。
驚くイーセンに対し、ナインは無表情のままだ。

この訪問はどういう意図があるのか。
そればかりが気になってしまう。

聖者の中でもかなり力のある一人、イサックが一緒に来て、何故この質問なのか。

そんな事を思っていると、
「俺は別にどうも思ってねぇな〜。侵略前は街に魔族がいる事もあったけど、いきなり襲ってくる訳でもねぇし、奴等も普通に生活してるだけだしな」
ナインが何の抵抗もなくそう答えた。
「魔国の侵略でこんな被害を受けてもですか?」
ヒカリは変わらず微笑を浮かべたままだ。
「それは別だろ?街に住んでる魔族に罪がある訳じゃねぇ。魔国は昔から全く別次元だろ?」
「僕のいた村にはいないですが、魔族も人と同じように街に住んでいたと聞きますね」
ヒカリの言葉に、
「…魔国の侵略で、活発化した魔族が多いのは事実です。それが魔族の本性でしょう」
イサックが初めて口を挟んだ。
無表情のまま、魔族は悪だと伝えてくる。
「実際、魔族に襲われたという報告は後を立たない。魔国に近づけば近づくほど、その件数は増えていく。リーン国や周辺国からの要請も多く、各地の聖教院もですが、王国は今人手不足で大変な状態です」
「本性ねぇ…」
ナインがどうでも良さそうに呟いた。

「で?そんな事を話しに来たのかよ?俺からすりゃ魔族が何だろうが本性だろうがどうでもいい。魔国をぶっ潰せば終わるっつーんならそうすりゃいいだけだ。今まで大人しかったんだから、魔国を潰せば大人しくなんだろ。それだけ」
「…呆れた男だ」
イサックの呟きをヒカリが笑って聞き流す。
「色々な考えがあって当然だと思うので気にしないで下さい。
僕のいた地域には魔族はいないので、皆さんが頭に描く魔族像っていうのがどういう存在なのか知りたいだけなんです。魔国を滅ぼそうというのに、肝心の魔族が僕には分からないので…」
何の曇りもない瞳で笑みのまま、そう言った。誰かに媚を売るでもない。

ヒカリは他人の意見に染まっていない真っ白な存在だ。だからこそ、光の使者に選ばれたのかもしれない。

それは不思議な感覚だった。
魔族に偏見もない人間が、唯一、魔族の力を無効にする力を持つ。
そして、魔国を討伐する使命を担うとは、何とも奇妙なものだった。

「イーセンはどんな考えですか?」
同じように微笑みを浮かべたままのヒカリが柔らかな雰囲気を背負ったまま、訊ねてくる。
どちらも救いたい。常にその想いで生きてきた自分にとって、それは難しい質問だった。

長い沈黙の後、
「人間に善悪があるのと同じように、…魔族も同じ、そういう事なんじゃないですか?いい魔族がいて、悪い魔族がいる。それだけの事だと思います」
そう返す。

魔族も人も垣根のない世界、それが理想形だろう。
魔族でも人間でも関係ない。

「魔族の本性を分かっていない台詞ですね。いい魔族なんていない。魔族に優しさなんて無い。飽きたら殺すだけ。この言葉を知りませんか?それが魔族です」
イサックがふっと笑いを零し全否定する。
「僕もイーセンの意見には好感が持てます。理想論でも、僕はそういうの好きです」
ちらりとイサックを見た後、ヒカリが若者らしい言葉を言った。
「僕の力がそういう方面に使えるなら、そうしたい。無益な争いはしたくないですから」
「ヒカリは魔族の本性を知らないからそう言うんですよ。常に我々のように魔族退治をしていれば、彼らがいかに残酷で醜い存在か分かりますよ」
溜息の混じった諦め声でイサックがヒカリに苦言を呈する。
「くれぐれも魔族に気を許したりしないでくださいね。いくら魔封じの力とはいえ、普通の攻撃で死ぬことだってあるんですから」
ヒカリの肩に手を置き、ぐっと引き寄せる。

聖者にとって、ヒカリは大事な宝だろう。

今まで伝説でしかなかった、光の使者だ。
魔封じの力が手に入れば、今までの勢力図は大きく塗りかわる。

これが終わっても、いつまた強大な魔族が誕生するとも限らない。
下手な事で失う訳にはいかないのだろう。


「ではそろそろ失礼しますね。飛鳥竜が借りられることになりましたので、明日にはサミュエル王国に入れるかと思います」
サミュエル王国と聞いて全身に神経が行き届く。その後、すぐに光の王国へ向かう筈だ。
光の王国は足を踏み入れた事が無い。
どんな場所か、どういう国なのか全く未知数で予測できない事ばかりだ。

油断はできない。

そう思っていると、
「今日はよく寝て下さい。お二人の邪魔をしてすみません」
ヒカリが笑みでそう付け加えた。
「…いや、…」
否定の言葉を最後までいう暇なく、扉が閉まる。

「…」
「…完全に誤解されてるな」
ナインが呟く言葉が余計に神経を逆撫でした。
「面白がってるでしょう?」
「まぁな」
いつもならもっと言い返してきそうなものなのに、軽く返されて終わる。それどころか早々にシャツを脱ぎ出したナインがベッドに潜り込み、
「俺はもう寝る。お前も寝ろ」
そう言って、サイドに置かれていた灯りを消した。
「…、おやすみなさい」

背を向けたナインの背中に声を掛ける。短い返事が戻ってきて、仕方なくイーセンも灯りを消した。


ヒカリ自身は少なくとも害の無い存在だ。彼がこれから先、一体何色に染まっていくのか、気になるのだった。
 



2020.10.03
サクサク!進むよう頑張ってます(笑)
    


 ***15***

魔国の王を討伐してくれ、と言う。
それと同時に、矛盾する想いをぶつけてくる。

魔族とは一体何なのだろう。
魔国の王はどういった存在なんだろう。
彼らの苦悩を間近に見る度に、その想いが強くなる。


無事にサミュエル王国に入り、その夜は盛大なパーティが開かれた。
討伐隊のメンバーが飛鳥竜の大きさに大騒ぎしたのは本当に最初だけで、その背に乗った後には皆黙々と口を噤んだ。頬を撫でる風が冷たくて心地よいというよりは、その飛翔の高さに生きた心地がしないというのが正直な所だろう。
聖者は慣れたものだが、多くの者が必死に手綱にしがみ付くという有様だった。訓練された飛鳥竜が暴れるということは無く、それはそれは静かな飛行ではあったが、慣れない者にしてみれば僅かな振動ですら、飛鳥竜の呼吸ですら墜落するのではないかという恐怖を呼び起こす程の緊張感だった。


1時間後に地面に足を降ろして、ようやく安堵の表情が浮かぶ。
彼らの関心は直ぐにサミュエル王国の煌びやかな王宮へと移った。屋根の丸い宮殿がいくつも点在し、豪華な噴水が水しぶきを上げる。今までの城とは少し趣の違う王宮に、彼らのテンションが一気に上がった。
光の王国が近い事もあり、兵士たちがいつも以上に賑やかさに世間話をしていた。
大きな浴室も用意され、ゆっくりと湯船にも浸かれると知り、今にも駆け出さん勢いで盛り上がっていた。


晩餐会では豪勢な食事が運ばれ、貴族たちが集まっていた。上品な振る舞いの人々が集まる中、討伐隊の中でも柄の悪い何人かが野蛮人そのものの有様であちこちへと行っては一口サイズの食べ物を摘まんでは食べ歩いていた。
だが、特に誰かが文句を言うわけでもない。そういうものだと諦めているかのように、一瞥し存在しないものかのように振る舞った。
もてはやされるのは専ら共にいる聖者とヒカリ、そして各隊を率いる隊長たちだ。一地方で雇った彼らは信用度で言ったら無いに等しいものだった。
聖者が共にいるからヒカリを安心して任せられる、それだけに過ぎなかった。

「ヒカリ殿、今宜しいでしょうか」
外のベンチで空を眺めていたヒカリの元に一人の男がやってくる。
隣に腰かけて、ほっとしたように小さく息を吐いた。
「貴方が生まれて本当に良かった。我々には光が必要です」
「…」
突然やってきた男が誰なのか、知っていた。つい先ほど、王から紹介を受けたばかりの男だ。
「イーノ様はまだ年若いのでこの重圧に耐えられず、日に日に弱っていくばかりでした。先代が亡くなられたばかりというのもあり、余計お辛そうでした。同世代の貴方に会って少し明るくなられたように見えます」
ヒカリを見て優しく笑う彼の目じりには細かな皺が入っていた。壮年に差し掛かる男は、若き王の世話係だ。黒の革手袋を外し、
「手を、触っても宜しいですか」
唐突にヒカリにそう訊ねた。

弱っているのは王だけではないだろう。
綺麗に整えられた髪に白髪が混じる。皺ひとつないスーツを着こなす男が僅かに儚い笑みを浮かべ、疲れた目で切願するのを無下に断る理由もない。
「こんな僕の手で良ければ…」
ヒカリが膝の上に組んでいた手を差し出す。その手は苦労を知らない手ではなかった。年の割には無骨ながっしりとした手で傷も多い。
「ありがとうございます。ヒカリ殿」
大切なモノでも扱うようにそっと手を重ねた後、ぎゅっと握り祈るように目を瞑った。

しばらくそうした後、ふと空を見上げ、
「ヒカリ殿は魔国の王がどんな方かご存知ですか?彼がギギナを攻め落とすなんて、まるで悪夢を見ているようで、未だに信じられません」
昔を振り返るようにぽつりと零す。
「魔族とは…、そういう存在だと聞いています。裏切る事を何とも思わない、最初からそのつもりだったのだと…」
ヒカリの言葉に項垂れる。ほつれた髪が一筋、ひらりと額に掛かった。
握った手に力が籠る。それすら無意識のようで、
「本当に…、そうでしょうか?」
訊ね返す目は強くヒカリの言葉を否定していた。
「昔、まだイーノ様が5,6歳の頃です。先代が彼のためのプレゼントを悩んでいたのですが、その時にイッカクキツを魔国の王から頂いたのです。以前からイーノ様が絵本を見る度に欲しがっていた生き物で、滅多に人里に姿を現さないんですが、探して捕まえてきてくれたんですね。ところが人に慣らす目的で飼ってた彼自身に懐いてしまって、彼からイッカクキツを引き離すのが大変だったんです」
当時を思い出したように小さく笑う。
「そんな彼が、本当に侵略なんてするでしょうか?サミュエル王国は元々光の王国と親しいので、あまり魔国とは交流がありません。ですが、…セインに、…彼に何かがあったのではないかと…。そう思うと不謹慎な事ですが、彼が無事なのかと心配になってしまいます」
握る手がカタカタと小さく震えていた。

セイン。

それが魔国の王の名前なのかと、今更知った。
そして。
それは、これから討伐する相手の名前だ。

「…」
何度同じような話を聞いただろう。
ヒカリの中で、魔国の王という存在が曖昧でよく分からなくなる。

残虐非道で恐怖の象徴のような男なのか、それとも今、彼がしたように穏やかで優しく慈愛に満ちた男なのか。

どれが正しいセインなのだろうか。

「…彼に足らなかったのは時間だけだと聞いています。魔国を強くするための時間、それだけだと。そのために同盟を結び、私たちと偽りの信頼を結んできたと…」
聖者から聞いた話を彼にも伝える。
「…そう、ですね。彼ほどの魔族なら、誰かに殺されるという事は無いでしょう。
目的のために手段を選ばない、やはりそういう事なのかもしれません。それが魔族ですから」
多くの王が、彼と同じように頷いた。

「ヒカリ殿の力で必ず。平和な世界を取り戻してください」
きゅっと手を握り、離れて行った。

手入れの行き届いた庭園に一人残され、物思いに耽る。


『魔国の王、セイン』

出会う王、それぞれがそれぞれの想いをぶつけてくる。
年代問わず、皆が彼を信頼していた。
何故、長年培ってきた信頼を裏切ったのだろう。

裏切って、ギギナを侵略して何を得たのだろうか。
バラスでは拮抗状態で、世界を手に入れるのが容易な状態とはいえない。
彼は一体何がしたかったのかと、止めどなく疑問が溢れる。

こんな気持ちのままで、魔国の王を討伐出来るのだろうか。
魔族に襲われた経験も無ければ、話した事すら無い。
街中で普通の人々と同じように生活しているという話を聞いても、いまいち想像が出来ないでいた。

昨晩、話をしたナインとイーセンを思い出す。
全員と話をしたが、魔族に対しては無関心か、憎悪のどちらかが多く、好意寄りの意見を言った二人は珍しい方だ。聖者に至ってはほぼ8割が否定的で、別にそれ自体をどうこう思うわけではないが、それが全てとも思えなかった。実際、街の平和を昔から守ってきたのは聖者の方々の努力と犠牲のおかげだというのはよく分かっている。それでも、魔族が完全な悪かと言われると、何の疑いも無く頷くには何も知らな過ぎた。

経験のない自分がもどかしく、歯がゆい想いを抱く。
色々な世界を見ていればもっと広い視点で、様々な事を考えることが出来たのではないかと思うと、悔しい思いを抱いた。
「ヒカリ」
呼ばれて、ハッとする。
気付かぬ内に膝の上で握り拳を作っていた。
それをそっと開き、
「…イーセン」
やってきた相手の顔を見上げる。

褐色の肌に、黒い瞳はやけに憂いを帯びていた。薄汚れた羽織物が穴だらけで、着ている服はボロボロだ。持っている荷物も少なく長旅の末の格好であることが容易に分かる。
「隣に座っても?」
自分よりも年上の筈なのに、初対面の時からやけに低姿勢で接してくる姿は妙な違和感として残っていた。
何故?
話すたびにその思いが沸き起こる。

ふわりと、彼が音も無くベンチに腰かけた。
途端に、例え様のない圧力を感じるヒカリだ。


イーセンは、あのバラスの民らしい。
僅かに高鳴った心臓が煩く音を立てる。
命からがらに逃げ出してきたという話をどこかで聞いた。バラスは混乱し大変らしいと聖者が口々に話していたのも知っていた。
バラスの話題は避けた方がいいんだろうか。
そんな事を思って、何を話すべきか分からず、ちらりと隣を窺う。
すると、向こうもこちらを見ていて、その黒い瞳とかち合った。

途端。
ビリビリと指先が痺れ、舌先が何の前触れもなく甘みを感じた。胸が締め付けられる感覚がし、思わず身を固めるように芯に力を込める。

それは不思議な感覚だった。
今まで誰にも感じた事のない奇妙な身体の反応にびっくりし、相手の腕を掴む。
いきなり腕を捕まれたイーセンが驚いた目をして息を止めるのが分かった。

「あ…、すみません…、僕ってば…」
時間にして僅か数秒程度だったろう。
やけに長い時間そうしていたような錯覚がして、慌てて手を放す。
「大丈夫ですか?具合が悪そうだ…」
イーセンの気遣いの言葉に首を緩く振って無用な心配を掛けまいと笑みを返す。
「ちょっと、突然、びっくりして…」
ヒカリの言葉に、イーセンが理由を訊ねてくることは無かった。
その代わり、
「一人で頑張り過ぎないで下さい。僕らは光の使者を支えるためにいるんだから」
唐突にそう言ってヒカリの頭を撫でた。

「あ、…ありがとうございます」
その言葉が重荷になるということはない。

『光の使者』

それ自体も、特別なものには違いないだろうが、自分にとってはそれほど特別な事でもなかった。
ただ魔族のどんな力も無効にする力だ。
何となく身体がそれを知っているだけで、どんなものかはよく分からないというのが正直な所だが、それを除けば普通の人間と何ら変わる所は無い。

「犠牲が…」
ぽつりと。
「少なければいいです」
思わず本音が零れる。

頭を撫でていたイーセンの手が止まる。
見上げるヒカリの目に、儚い笑みを浮かべた彼が、
「そうですね」
小さく頷いた。

何度か見た表情だ。
今まで会った王たちが浮かべた表情も、同じ顔だった。
皆、同じように憂いている。

僕だけがこれを止めることが出来る。


魔国の王がどんな男であろうと。
そして、魔族がどんな存在であろうと。

魔国の王を討伐し、必ずこの世界を明るい世界へと変えてみせると、固く決意するのだった。



2020.12.06
何か…気が付いたら2か月ほど経ってました…(;^ω^)。
最近、珍しく二次に嵌ってたんですが、そのせいかな…???(笑)

もう今年も終わりだし、何だかワープしてるみたい…(;'∀')笑

この話も少し端折り気味に頑張ります(-_-;)。端折るな(笑)。
1話1話が長すぎるのかもしれない…。でも長くなっちゃう不思議(笑)。以前は割と1話が短いですよねぇ…年のせいかなぁ(;^ω^)。

拍手ありがとうございますm(_ _"m)また何か男前受け書くかもです…(笑)。年齢層高めでいこうかと(笑)。
    


 ***16***

サミュエル王国から光の王国までは非常になだらかで穏やかな道筋だった。広く、真っすぐに整備された美しい石畳の道路がどこまでも伸びる。両サイドには街路樹が植えてあり、サミュエル王国と光の王国の関係性を現すかのようだった。

ゴミ一つ無く犯罪の気配もない穏やかな道を進んでいく。騒々しい行商人も無く、騒がしい観光客がいる訳でもない。一般道であるにも関わらず、神聖な通路かのように、礼儀正しく静かな道が続いていた。
次第に、光の王国が近づくにつれ、緑が溢れ、水の流れる音がそこかしこから聞こえてくる。街路樹が色とりどりな花々へと変わり、水のせせらぎ音が心を浄化していく。
まるで世界の惨事など嘘のように、夢心地な場所で、
「綺麗だなぁ…」
誰かがそう呟いた。
自然と歩く速度も遅くなり、心が無意識に安らぎを求める。

骨の髄までうっとりとさせられていると、鐘の音が遠くから鳴り響いた。


試練の鐘だ。


光の王国に、足を踏み入れた者は誰もが口にする。
あの国は試練の国だと。


近づけば近づくほど、鐘の音はその数が増えていく。止むこともなく延々と聖歌が流れ、そこかしこで鐘の音が響く。
短時間であれば何と美しいことかと感動するに違いない。
だが、これが何時間も続くとなれば話は別だ。

光の王国に入国し2時間ほど進んだ頃には、討伐隊の多くが甲高い金属音にげんなりしたように耳を塞いでいた。

光の王国は円形構造になっており、外側から修行者が住む一般居住エリア、次に修練層と呼ばれる聖者見習い層が住む地区エリア、そして最後に王族居住区があり、その中核に聖教院本堂があった。本堂周辺は多くの貴族や高官が住み、各地に白い獣が鎮座する。王族の居住エリアもそこになっており、選ばれた聖者や特権階級の者たちがそこに住んでいた。
それぞれのエリアからは許可が無ければ移ることは出来ず、観光にやってくる外部の人間たちは修行者が住む一般居住エリアがせいぜいで、稀に修練層まで来ることが許される程度だ。
今回、討伐隊のメンバーのみが中核エリアまで行くことを許可された。途中の国々で貸し出された兵たちは光の王国の中へ入ることは許されず、一般居住エリアから光の王国を囲むように生い茂る豊かな森林エリアを真っすぐに走る林道を通って、リーン国へと向かう事となった。

光の王国自体が自然に囲まれた要塞のような国である。
まずサミュエル王国から続く聖道と、リーン国へと続く光道以外は全て豊かな森に囲まれており、聖者の施す術があちらこちらに巡らせてある森だ。一般居住エリアからリーン国へと繋がる林道だけが唯一、一般人でも問題なく通り抜け出来る公道だ。
光の王国に用が無い限りは、サミュエル王国からリーン国へと抜ける道を使うのが一般的で、まず光の王国に入った時点で、一度検問がされる。

そんな中、討伐隊のメンバーが中核エリアまで許可されたのは本当に特別な事で、修練層に辿り着いた頃には、派遣された聖者も含め、全員の身体検査が入念に行われた。
武器の類は全てエリア門番となる聖者に回収され、国を出る時に返却されることとなった。不満を洩らす者は有無言わず足を踏み入れる事を断られ、一ミリの譲歩もない。

リリアンとイサックが慣れた手つきで持っていた札や刀を手渡していく。
法衣の合わせを開いて、持ち物を全て渡していった。
身軽なイーセンは楽だ。手荷物を手渡し、武器が他にない事を確認されると容易に中へと通される。一方のナインは物凄く嫌そうな顔で、腰に巻いた飛び道具を彼らの手の上へと渋々、置いた。ポケットの中まで探られ、荷物を根こそぎ奪われていく。終いにはブーツまで剥ぎ取られ、素足になっていた。
「…」
「笑いたきゃ笑え」
イーセンの横へと来たナインが不機嫌を露わに言う。
「…いえ、別に」
含み笑いで答えれば、背中を軽く膝蹴りして、舌打ちをする。
皆、一様に不服そうに自分の姿を見下ろしていた。

「本堂に向かいますので、お静かにお願いしますね」
全員が準備を終えた頃、リリアンが集まった彼らにそう伝え、先頭を歩いて行った。
ここからは馬は禁止となる。
鐘の音も無く、子どもの騒がしい声もしない。白い石造りの建物が並ぶ中、ひたすら静寂があった。
時折、聖者を引き連れ高貴な方が道を行くのを見かけるくらいだ。

一行が進む右手にホレトス教の象徴でもあるシンボルが付いた背の高い建物が見えた。一際大きなその建物が目的地ではないようで、一体それが何なのか、ふとイーセンの気を引く。
あれだけの大きさだ。何か重要な建物には違いない。

そう思っていると、中核エリア全体に鳴り響くように一際大きな鐘の音が一鳴りした。


進むにつれ周りにあった住居が減っていく。
更に進んだ先に、一直線に伸びる広大な通路が現れた。街路樹が植えられ、白い石像が立ち並ぶ。その先に横幅の広い階段があり、純白に輝く聖堂が姿を現した。左右には噴水があり、もやが立つように白い巨大な獣が見守っていた。

一瞬、どきりとするイーセンだ。
彼らの出す白獣は、聖者の力の塊のようなもので、それぞれ聖者により特徴は違う。実際のところイーセンはその本質は分かっていなかった。経験から浄化能力に長けた獣が多い事は知っていた。

この白獣は守る白獣だろう。
果たして魔族は対象なのか、対象だとして上手く素通り出来るのか。

光の王国に入国した際の白獣は難なくクリアした。小さな獣で、門番の足元に大人しく座っていた可愛らしい獣だ。今、聖堂の左右に立つものは5メートルはあろうかという獣だ。訳が違う。

揺らめく白い光が鎮座したままの白獣から立ち込める。
やってきた彼らを一瞥した。


平常心が一番の対処法だ。自分の擬態は恐らく魔族の中でも随一だろう。
人間の振りをしなくても、人にしか見えない事には自信があった。

3段階に分かれた階段を上がっていく。
リリアンが聖堂の入口に控える兵にお辞儀をし、中へと入っていくのがちらりと視界に映った。それに従うように、後を追う面々が同じ仕草で扉の中へと入っていく。

危惧したような事態にはならず難なく白獣の横を通り抜ける。そのまま建物の入口の敷居を跨げば、安堵の溜息を付く暇なく、ぱっと明るい照明がイーセンの目に刺さった。長い回廊が続き、通路を煌々と白い灯りが照らす。

赤い絨毯が敷き詰められた通路を進むと豪華な飾り扉が現れ、討伐隊の面々から感嘆の声が上がった。
「すげ…。売ったらいくらになるんだ?」
一人が目を輝かせて呟く。
「そういう冗談はこの場ではお止め下さい」
すかさずイサックが苦言を刺す。じろりと発言主を睨み、法衣の合わせを正した。

3メートル以上はある巨大な飾り扉はあくまでも飾りだ。案内係が隣に備え付けられた扉から彼らを中へと招き入れる。

中はドーム型の講堂となっており、吹き抜け状となっている高い天井はステンドグラスではなく隙間なく装飾が施された石造りの天井だった。二階、三階部分に傍聴席があり、更にその上の階に突き出た部分があり、そこが演説場となっていた。

再び、甲高い鐘の音が場に響く。
ホレトス教の教主がやってきた合図で、リリアンが立っていた彼らに、跪いて両手を背中の後ろに回すように指示した。勿論、討伐隊の面々の中には反発した者もいたが、彼らは傍らにいた兵たちに即座に刃を突き付けられて、強制的にその姿勢を強いられていた。

一階部分は謁見の場となっており、一切の机や椅子の類は無い。見上げる事すら許されず、毛足の長い柔らかな絨毯の上に膝を付くしかなかった。
頭を垂れる対象はその場にいた聖者たちにも及び、立っている事を許されたのは、場を守る兵たちだけだ。


4階部分のせり出た部分から当代ホレトス卿が杖を片手にやってくる。
立ち止まり、床に杖を一度大きく打ち鳴らし、両手で体の前に杖を付いた。
「遠方からはるばるご苦労であった。このような扱いを強いる事を許して欲しい」
まずそう述べて、彼らに配慮の言葉を掛けた。

顔を上げる事は許されていない。
声の調子から、5〜60代だろうと推測する。だがその纏うオーラは常人のそれではなかった。
後光を差すとはよく言ったもので、直接見ていないにも関わらず、ホレトス卿が現れた瞬間に空気が震え、明るい光がその場を制した気がしたイーセンだ。

これが光の王国を治めるホレトス卿かと身震いする。
その威圧感は今まで会ったどの王よりも質が違った。光の王国に対する絶対の自信と誇りだ。自分こそが神の、世界の代弁者だと言わんばかりに、絶対の自信に満ち溢れた凄まじい生命エネルギーを放つ。

もっと。
昔に出会っていたら、この男を滅ぼしていたかもしれない。
この圧倒的な存在感に神経を逆撫でされる。

「今世界は混沌に満ちている。これも全て魔族という存在を今まで、許してきたからに他ならない。各国の王たちはその事を後悔しているだろう。だが、悲観する事はない。過ちは誰にでもある。
世界は我々に手を差し伸べ、ここに『光の使者』を授けて下さったのだ。今こそ、皆で手を取り合い、世界に蔓延る悪、魔族を殲滅する時が来たのである!」
声高らかに演説した。

兵たちが一斉に拍手をした。
今は二階、三階の傍聴席は空だ。だがこれが唱導の場になると大きな拍手が溢れ、賛美の声に包まれるのだろう。
今まで光の王国と交流してこなかったことを後悔すべきなのか、それとも交流しなくて正解だったのか、分からない。だが、背筋を冷たいものが走る。
光の王国に根付いている魔族嫌悪の感情は、そう易々とどうこう出来るものではないと改めて実感するイーセンだった。



2021.01.02
やばいですね…(;'∀')。明後日からもう仕事です…
私の楽しい休み…( ノД`)…

さてさてセインの話も年始早々アップ出来て幸先がいいです(笑)。
気が付いたらもう16話で、あぁーうぅーって感じですね(笑)。
25話くらいで…おわ…終わるのかな?…(笑)??
何気なく書いてた「対等」が40話とかいっちゃったんで、そうならないようには気を付けます(゚ω゚;A) ハハハ(笑)。
    


 ***17***

15分程の演説の後、討伐隊の面々はホレトス卿の姿を見る事も叶わず、特別に泊まれる事になった部屋へと各々が案内されていった。

「イーセン殿はこちらとなります」
リリアンが最後の一人となったイーセンに部屋のドアを指し示しながら、柔らかな口調で言った。
扉を開け、中へ入ろうとする所で、
「イーセン殿はバラスターの方ですか?」
唐突に、笑みのままのリリアンが訊ねる。
それを、
「違います」
間髪入れずに否定した。

バラスターは反ホレトス教を指す。各地でホレトス教に対し反対運動をしている一派の事で、ホレトス教に比べたら圧倒的に人数も少なく心配する必要も無い程、小さな団体だ。
それでも迂闊に誤解されることのないように答えたイーセンの言葉に、
「では、魔族崇拝の方ですか?」
被せるようにリリアンが問うた。
「ッ…そんな訳無いでしょう」
一瞬の動揺が走る。

何故、そんな質問が出るのか。

家族を殺され命からがらにバラスから逃げてきた、バラスの民だ。
イーセンの強い言葉に、リリアンが小さく笑う。
「大変、失礼致しました。
光の王国には良からぬ輩も多く入ってきます。中には聖者の首を狙う者もおり、敵は魔族だけではありません。聖者の高官ともなれば、不当な輩の賞金狙いになったりもします。名の売れた聖者を殺したとなれば武勇伝にもなりますからね」
両手を腹の前に組んだリリアンが礼儀正しい姿勢のまま、真っすぐにイーセンを見つめてそう言った。
無言で見つめ返すイーセンと視線を絡めたまま、数秒が経つ。

それから笑みを浮かべ、
「貴方は、バラスの民にしては冷静すぎる」
核心をつくようにハッキリとした口調で疑いの言葉を掛けた。

ドアに掛けたままだった手が僅かに揺れる。
開きかけの扉を閉め、リリアンと向かい合った。
「それは個人の性格に寄るのでは?僕は元々感情の起伏が乏しい人間です。バラスからすぐに逃げてしまったという事もあり、現状を知りません。そのせいでそう感じるのではないでしょうか」
イーセンの言葉に、リリアンが僅かに頷きを返す。
「それも考えられますね。なら現状のバラスの状態をお教えしましょうか」
一歩、前に踏み出し試すように伝えた。
イーセンの目が僅かに見開かれる。
「やめて下さい。僕は魔国を倒したい、その想いでここにいます。貴方に…、ましてや光の王国に害を為そうなど考えもしない」
イーセンの弁明に対し、
「…」
リリアンが食い入るようにイーセンの瞳を見つめた。
それから、諦めたように息を軽く吐く。
「確かにそうですね。貴方からは本気が伝わってくる。聖者を狙う不届き者なら今襲ってきてもおかしくは無いですしね。ただ…」
言葉を切り、イーセンの肩に手を置いて、
「バラスの民は教徒の中でも特に熱心な者が多い事をご存じないですか?」
そう告げた。
後ずさったイーセンの背中が扉に当たる。それすら気付かず、目の前で笑みを浮かべるグレーの瞳を見つめた。
「それに、バラスの民は喧嘩早く激情家が多いです。確かに性格もあるでしょうが、貴方からはバラスで生まれ育った生粋の臭いがしない」
「…」
リリアンの刺すような視線と見つめ合う。

「それで?」
訊き返すイーセンからは先ほどのような戸惑いは一切無くなっていた。
「僕が仮にバラスの民でないとして、何か問題でも?魔国を倒す意思でここにいる。この討伐隊は力とその意気込み、それで十分な筈だ。先程お伝えしたように、貴方に害を加えるつもりも無い」
「…」
「問題無ければ、僕は失礼します。おやすみなさい」

それ以上、追及するつもりは無いらしい。
イーセンが一度閉めた扉を開き、部屋の中へと入って行った。
リリアンの目の前で扉が静かに閉められる。

「…読めない男だ。何かボロを出すかと思ったが…」
くるりと踵を返す。
仮にバラスの民で無かったとしても、イーセンが言うように問題は何もない。こんな討伐隊の面々だ。素性を偽って参加している者などいくらでもいるだろう。

ヒカリと話している時に、殺意がある訳でも怪しい素振りがある訳でもない、ただの優男だ。
「気のせいか」
やはり取るに足らない問題かと思い直し、礼拝をするために聖堂へと戻っていった。



翌日。
討伐隊のメンバーは早朝から叩き起こされ、聖堂前へと集合させられていた。
ナインがイーセンの隣で眠そうに盛大な欠伸を零す。それからイーセンの肩に肘を乗せて、
「何だか慣れない雰囲気でよく寝れなかったな」
小声でそう囁いた。
「今日もこんな朝早くから追い立てられるように出発だぜ…。光の王国っつーのはどうかしてるぜ」
珍しく愚痴を零すのを、気持ち半分で聞いていた。皆同じような心境だろう。
「余程部外者を入れたくないようですね」
「聞いた話じゃずっと昔に、ホレトス卿が襲われる事件があったらしい。その時の教訓で光の王国はずっとそうらしいぞ」
同じようにラックスが朝からどっぷり疲れた調子で情報を付け加えた。
「何だかんだ、ホレトス教に反感を持ってる層は一定数いるしな」
言いながら、何気ない動作でイーセンの顎を持ち上げ目の下を親指で摩った。
「っ…」
突然の行動に目を開けたまま動きを止めるイーセンに、
「睫毛。お前、いつも寝不足っていう割にクマも何も出来ないな。体質なのか?」
不思議そうに訊ねた。
「何事かと…」
ラックスの突然の行動に驚いたのは、イーセンだけでなくナインも同じだ。
何故か動揺して、半笑いを浮かべていた。
「お前って…男もイケる口?」
終いにはそんな事を言って、
「ハァ?何言ってやがる」
ラックスを切れさせた。
「いや…、咄嗟の行動がさ…。女にする動作だろ、それ」
「…睫毛を取っただけだろうが。何が悪い」
二人がどうでもいい言い争いを始め出す。
「いやいや、おかしいだろ、今の行動は…」
「ハァ?醜い嫉妬はよせ。こいつに興味なんかねぇ!」
イーセンとナインが付き合っていると誤解しているラックスが、思いっきりイーセンの肩を突き飛ばして、大きな声で断言した。

ラックスの声で周囲にいた者がさっと三人を見る。
「…二人とも…」
そばで聞いている方が恥ずかしいだろう。最もこの程度の事で羞恥など感じもしないイーセンだが、二人の子供じみた言い争いに、何故こうなったのか不思議でならない。
喧嘩する程仲がいいとはこういう事かと首を傾げる。

「撤回しろや」
「アァ?」
互いの胸倉を掴み合って、間近で眼飛ばしあう。

「もう二人が付き合ったらいいんじゃないですか?」
イーセンが呆れたように言うのを、
「何言ってやがる!」
「ざけんな!」
息ぴったりに反論を返してくる二人だ。

やはり仲がいいというやつだろうか、と二人の顔を交互に見つめた。
「あほらしい。付き合ってられん」
バッと掴んでいた手を振り払ってラックスが背を向けた。
「妙な誤解をすんな。俺は心底、イーセンには興味ねぇ。安心しろ」
ナインに冷静な声で言ってその場を去って行く。

ナインが伸びたシャツを手で直しながら、
「言うほど、切れる事か?男がイケる口でも別にいいだろ?」
ヒカリの傍で聖者に混ざって談笑し始めたラックスを見ながら呟いた。
「…確かにそうですね」
ナインが言うように、言うほど切れるような内容でもない。いつも冷静なラックスらしくない態度は疑問を抱かせる。

だが、どう思うかもやはり人それぞれという事なのだろう。
男同士の恋愛を蔑視する層はいくらでもいる訳で、ラックスも心のどこかで嫌悪しているのかもしれなかった。
「ラックスがどうだろうと、僕にはどうでもいいですけどね」
すぐに興味を失せたように視線を外したイーセンをナインがジッと見る。
「お前は明らかにどっちでもイケる口だもんな」
「…そういう貴方もでしょう?」
見つめる視線に、視線を返して軽く笑う。
ナインの伸びたシャツを引いて、
「男に興味がないと言いながら、僕には興奮する訳だ」
こないだの夜を引き合いに出して、そうからかう。
「ハッ!馬鹿らしい」
挑発には乗ってこないナインが、シャツに掛かる手を剥がし再度、襟元を正した。
「ありゃ不可抗力だ」
「男は大体いつでもそう言う」
ラックスにしろナインにしろ同じだと小さく笑った。
「…言ってろ」
ナインが付き合っていられないというかのようにポケットに手を入れる、それと同時に聖者の号令が掛かった。
集まった彼らに伝えられるのは今後の計画についてだった。

リーン国までは馬で5日以上は掛かる。そこから更にリーン国を抜けるのに5日は掛かる計算だ。早急に前線と合流したい彼らとしてはロスタイムもいい所で、そこで光の王国からそのまま、飛鳥竜に乗ってリーン国の首都に入り、そこからは黒の沼と呼ばれる最短距離でリーン国を抜けるという計画が持ちあがっていた。
元々光の王国はリーン国が前線に兵を出している関係で、リーン国の後方を守るために兵力を貸すという状態になっており、その部隊をそのまま駆り出し、聖者を補充する形が最も合理的な動かし方だと結論づいた。
途中で別れた部隊とはバラスの首都で後から合流する事になり、討伐隊の面々が口を挟む間も無く決定が下される。

「まじか…」
誰かが呟く。
もう一度、あの竜に乗るのかと。げんなりとした表情なのは一人や二人ではない。
それも前回よりも遥かに長時間に及ぶ。しかもその後は、あの悪名高い黒の沼だ。通り抜けた者は何らかの精神を病むとさえ言われるいわくつきの場所だった。
特別な用が無い限り近づく者は誰一人いない。その名の通り黒い沼が延々と続くエリアで、聖者ですら不用意には近づかない。そんな所を通るのかと、既に今から気が重くなる話だ。

朝早くから無口気味だった討伐隊の面々が更に無口になる。
ヒカリの変わらない様子が、救いでもあった。



2021.01.31
お久しぶりのセイン(笑)。ギリ1か月経つ前に更新出来て良かったです(笑)。
最近どっぷりギエンばかり更新してたので頭の中がギエンの世界観になってて我ながら「アレ?アレ?」みたいな状態になってました(笑)。

次回いよいよリーン国(^_-)。
25話で納めてみせます( ^)o(^ )☆彡笑
    


 ***18***


「酔ってるんですか?」
具合の悪そうなナインに声を掛ける。無口で黙々と歩く姿は珍しくは無いが、飛鳥竜から降りてからは、顔色がいつも以上に悪かった。
「いや…」
言いながら覇気が無い。強がっているがやはり乗り物酔いをしているのだろう。
時折口元を覆って、眉間に皺を寄せていた。
「軟弱ねぇ」
リィネが横から口を挟んで二人の間を割って入った。イーセンの肩に腕を回してナインの肩を押す。
いつもなら何かを言いそうなナインもこの時ばかりは無言だ。

相当、気持ちが悪いようでリィネに押し出されるままふらりと傾いだ。
「大丈夫か?」
ラックスまで心配の声を掛けにくる有様で、それを迷惑そうに手で払う仕草をする。
具合が悪い時にわらわらと人が集まってこられても困るだろう。
嫌そうな表情を楽しむように、
「大変ねぇ〜」
リィネが言葉とは裏腹の笑顔で言う。

そうこうしている間に、集団はリーン国の王城へと辿り着いていた。
途中、飛鳥竜で乗り継ぎながら休憩や野宿を挟みつつ2日程度だ。予想以上にロスタイムは無く、順調に事が進んでいた。

見慣れた城の外観は以前と変わらない。だが、兵の数がいつも以上に増え、聖者もあちこちにいた。
他の国との大きな違いは、城の規模にもあるが、一番は無機質な印象だろう。無駄な装飾も無く、豪華な庭園があるでもない。緑に囲まれる代わりに多くの兵が周囲を守っていた。
城壁にも守りの呪が施され、あちこちに聖者の痕跡が残る。
自動発動の迎撃装置が一定の間隔で配備され、強大国としての側面が全面に表れていた。

イーセンは腹を括っていた。
リーン国で身分を偽るのは難しいだろう。誤魔化すには馴染みが深すぎた。またあの鋭い現王イリアスに、それが通じるとも思えない。
バレる事自体に問題は無い。それがどこでバレるかが重要で、少なくともイリアスとの関係はザクドルと同じような事態にはならないだろうことは推測できた。


ふと。胸が痛む。
イリアスが仮にそうだとしても、それはリーン国と魔国の関係性が他とは格別に異なるからであって、ザクドルの想いは全ての者の代弁に等しい。
どんなにもっともらしい事を言った所で、許されはしないのだろう。

そんな事を考えていると、城内から数人を引き連れて男がやってくる。
ヒカリと聖者の所までやってきて二三言、話を交わした後、唐突に討伐隊の面々を見た。それから彼らを招き、付いてくるように指示した。

ぞろぞろと後を付いていく。
見慣れた城内は、彼らがどこに向かっているのか容易に分かった。他の国では無かった対応で、着いて早々、そのまま王との謁見の間に連れて行かれる。
「休む間も無いな…」
少し調子が良くなったのか、ナインが小声でイーセンに囁いた。
「…そうですね」
抜け出す間も無い。
ナインに相槌を打ちながら、ここにいる全員が敵になる可能性を頭の中で描く。

重厚な扉が軋んだ音を立てて開く。
赤い絨毯が一直線に玉座まで敷かれ、煌々とした明かりが煌びやかな間を照らす。
数十人の兵が王を守るように整列し、開いた扉に視線を送った。
「光の使者殿が到着されました」
彼らを連れて来た男が扉の傍で頭を垂れ、玉座に座る男に言った。

玉座と扉の距離は10メートルはある。
だが、光の王国の厳重な警備を考えると、リーン国の王は随分と無防備であった。
立ち上がると同時に、
「ご苦労であった」
まだ20代後半の年若い王が威厳のある低い声で言う。傍らには『イリアスの奇跡』とも呼ばれる真王イリアスがいた。
リーン国は代々、イリアスの名を引き継ぐ形で王位を継承している。同じイリアスの名でも初めて会った時のイリアスとは別人だ。

その彼が。
真っすぐにイーセンを見つめた。

一発で素性がばれた事を悟る。
顔を伏せ、素知らぬ顔をすればイリアスが何も無かったように労いの言葉を発した。
現状のバラスの状況を話し、後々光の王国から派遣されている聖者達も集めて、均衡状態にあるバラスの防衛線の突破口を探る会議を行うことになった。
寄せ集められた討伐隊はそのまま、泊まる事となり解散となる。

「ナイン、良かったですね」
体調のすぐれないナインに声を掛ければ、
「酔ってねぇって」
相変わらず認めない態度で部屋のドアを開ける。
それからふと思いついたように、イーセンを振り返って、
「夜まで時間あるからどっか行くか?」
唐突に誘ってきた。
相手の意図が分からず、無言を返す。
「…そうは言ってもこの物々しい空気じゃ難しいか」
イーセンの表情を読み取ったように、言った言葉を撤回して、
「討伐が終わって落ち着いたら、一緒にどっか出掛けようぜ」
そう言い直す。
「そうですね」
返事をしながら、珍しい事もあるものだとナインを見て思う。
「じゃあまたな」
そのまま扉が静かに閉まった。
体調不良で気弱にでもなっているんだろうかと、僅かに心配になっていた。


宛がわれた部屋へと戻れば、まるでイーセンが戻ってくるのを察したようにノックが鳴った。
扉を開けば、見知った顔がイーセンを見上げる。
「イリアス…」
リーン国は物々しい空気になっていたが、活気が無い訳ではない。
昔から度々、大きな危機に晒されることはあった。その度に乗り越えてきた国だ。歴史の長いリーン国には他の国にはない強靭な対応力があるといえた。
それにはやはり真王イリアスの存在も大きいのだろう。


昔よりもやや人間らしくなったと思う。
初めて会った頃の真王イリアスはもういない。だが彼は通常の人間とは異なり、成長が非常に遅い存在であった。あれから百何十年後に子どもの姿のまま亡くなり、次の王位継承者であるイリアスと一緒に生まれた双子が、また真王となった。
これはいわゆる、リーン国に古くから掛かる呪いの一種であり、昔リーン国が犯した大きな罪の代償でもあったが、その呪いも時の流れと共に次第に薄まりつつあった。
現在では、真王でも以前よりも成長するようになり、『イリアスの奇跡』と呼ばれるほど人々にも認知される存在となっていた。

初めて会った頃と同じ顔の真王イリアスが、
「其方は本当に酷い男だ」
開口一番、そう罵った。
「分かってる」
否定する気もない。
所詮、エゴの結果だ。

「ヴォルディオの事は聞いたか?」
室内に入るでもなく、立ったまま質問をしてくる真王イリアスに、やや戸惑いを感じ、
「えぇ」
短く返事をした。

未だに認めたくはない。
ヴォルディオは大切な存在だ。

イーセンの表情を食い入るように見つめていた真王イリアスが、
「付いて来るといい」
顎をしゃくる。
後ろを振り返らずに、歩み出す真王イリアスの後を訳も分からずに付いていく。

明りの煌々と照らされた回廊から、次第に薄暗い場所へとやってきた。
扉を幾つも開き、どんどん下へと降りていく。
途中の石壁に掛かっていたランタンを手に取って、更に階段を下がって行った。明りも何も無い空間に、白い法衣を身に付ける真王イリアスが何のためらいも無く、イーセンを先導する。

あれだけの事があったというのに、絶対の信頼を寄せるその自然な行為に胸が詰まる思いに駆られる。
申し訳ない気持ちでイリアスの背中を見つめていると、唐突に足を止めた彼が、
「入れ」
目の前の小さな扉を軽く開いてイーセンを招いた。

中は白い明るさに溢れ、暗さに慣れた目が一瞬、眩む。
いくつもの守りの結界が張られ、部屋の中央で眠る人物を囲っていた。
「っ…まさか…」
イーセンの驚きの声に、真王イリアスが小さく頷く。
結界の張り巡らされた中へと入り、イーセンに向かって手を差し伸べた。

自分よりも一回りほど小さな手だ。
それを握って進み出れば、思った通りの人物が横たわっていた。
「ヴォル…、ディオ」
自然と、彼の頬を撫でる。

あの時に。
何故、彼なら大丈夫だと思ってしまったのか。


どんなに強靭であろうと、彼も人間だ。
眠っているかのように静かな姿に、様々な想いが溢れ出す。ゼンの血を引き継いだ大事な末裔だ。何代もずっと見守ってきた。
ゼンの魂が、ギギナと共に代々、彼らの血筋の中で生き続けているのを感じていた。

動かない手を取り、大切なモノを見つけたように抱き締める。
イーセンの静かな慟哭に、
「其方の気持ちは当に分かっていたが…」
真王イリアスが人間らしい笑みを小さく浮かべ、
「ヴォルディオは深い傷を負って、眠っているだけだ」
「…!」
イーセンの喜びを含んだ驚きに、笑みが深まった。
「あの時、ヴォルディオは最後まで城に残って兵達と戦おうとしていたんだが、我々が辿り着いた頃には既に激しい戦闘状態だった。傷を負ったヴォルディオを連れて帰るのが手一杯だった。残った兵達は皆、戻ってはこなかったが、最後まで前を見据えていた彼らは主君を守る事が出来て本望だろう」
「…俺の、…」
「其方のせいではなかろう。ヴォルディオも百も承知だ」
ヴォルディオの白い面を撫で、顔に掛かる前髪を横に流す。
真王イリアスも友としてヴォルディオを案じているのがよく分かる。
「魔国の新王が執拗にギギナとヴォルディオを狙っているようだったから、こうして死んだことにしている訳だ。これだけの守りの結界だ。万が一があっても早々破られはしない。尤も。
リーン国に足を踏み入れさせはしないが」
強気に言った後に、ふとイーセンの顔を見て、
「一番大切な人間なのだろう?」
ずばりとそう言ってのけた。

「っ…、ヴォルディオは…、そんなものではない」
答えながら、この感情をなんと形容すればいいのか分からなかった。大切は大切だろう。
それはイリアスも、他の人間も同じだ。皆大切な存在だ。
「ありがとう…イリアス。何と感謝すればいいのか…」
「そんな言葉は不要だ。其方は魔国の新王を倒すためにここまで来たのだろう?期待している」
初めて真王イリアスに会った時と同じように、期待していると言った声が強く躊躇いが無い。
いつでもリーン国の王はぶれない信頼を迷いなくぶつけてくる。

「裏切ったりはしない」
答える言葉も強く真っすぐだった。

イリアスが満足そうに笑みを浮かべる。
「満足するまでここにいるといい」
言って部屋の四隅に置かれた椅子に腰を下ろした。

ヴォルディオの手を握ったまま、イーセンも寝台の傍に置かれた椅子に腰を下ろす。
鼓動を確認するように大きな胸板に額を付けて、愛おしそうに口付けを落とすのだった。




2021.03.21
ヴォルディオとセインは両片思いってやつかしら…(*´〜`)?
でも引っ付く事は無いのだ〜(笑)

ぶっちゃけ、ヴォルディオが死ぬことによってセインの中での感情が一区切り付く、というのはあったんだけど(笑)、まぁ死なないで済むならそれに越したことは無い、というのが私のモットーなので(笑)、ヴォルディオにはこれからも長生きして貰って、ゼンの魂を後世に残してもらわないとね(笑)。なんちゃって(笑)!
まぁその前にヴォルディオは子どもがいる設定だから血筋は途絶えないんだけど…(笑)。

沢山の拍手、ありがとうございます(*^^*)‼‼‼
更新頑張っていきます〜☆彡(笑)
    


 ***19***


翌朝、ドアから出てきたイーセンを見てナインが言った一言は、朝の挨拶でもなく、
「随分機嫌がいいな?ぐっすりと眠れでもしたのかよ」
眉間に皺を寄せ、そんな言葉だった。
対するナインは寝不足が一目で分かる目の下の隈だ。昨日の体調不良をまだ引きずっているらしい。
「そういうナインは具合悪そうですね。大丈夫ですか?」
セインの言葉に益々、不機嫌になり舌打ちを打ってそっぽを向く。
「腹立つ」
二人で揃って歩きながら、集合場所へと向かう。

城の外へと出れば雲一つない青空が広がるいい天気で、既に集まっている討伐隊の面々は、みな疲れが吹き飛んだように元気になっていた。
昨日の食事とふかふかのベッドで十分、休養を取ったのだろう。
「俺だけ不調かよ、クソどもが」
彼らの様子を見たナインがまたしても口内で小さく愚痴った。
それを横目に見たイーセンが笑いを零す。
「乗り物に弱いなんて意外な一面ですね。今日これから黒の沼地入っていきますけど、大丈夫ですか?」
「…怖ぇこと言うな」
「冗談です。ナインは平気ですよ」
特に根拠もないのに断言するのを胡乱な顔で見つめるナインだ。

黒の沼地はその名の通り、一面が黒い沼地状になっている地域を指す。もっとも、それだけであればただの沼地だが、実際は沼ではない。

無念の死を遂げた魂がその地に留まり、黒い怨念をまき散らす曰くつきの土地だ。
窪地になっているその場所は、おぞましい怨念の吹き溜まりになっており、遠くから見ると黒い沼のように見えることから付いた呼び名で、何故その場所にそのようなモノが出来上がったのかは解明されてはいない。
巷によると魔族が関与しているとか、呪われた土地のせいだなどと噂されていた。
イーセンも何故、そこがそうなるに至ったのかは知らなかった。だが、遥か昔に大きな戦争があり、数千万もの人が犠牲になったという話は古い昔に聞いたことがあった。
大地が真っ赤に染まり、血の川が出来上がったという。その跡地が黒の沼地だと言われていた。

中に入った者はみな一様に、その恐怖体験を語る。
聖者ですら、よほどの緊急時で無い限りそこを利用することはない。精神が狂う者さえ出るほどいわくつきの地で、まず通り抜けるのに2日ほど掛かることも、その要因となっていた。

定期的に清浄化の対象地域とされていたが、未だにその効果はなく古くから姿を変える事なく存在していた。


ナインが憂鬱な溜息を洩らす。
「ナインなら大丈夫ですよ。そんな繊細な男じゃないでしょう?」
イーセンの言葉に、ふざけんなと真面目な言葉が返る。
体調不良もあり、精神がやや不安定なようで怒りっぽくなっていた。

不安に思うのは誰しも同じなのだろう。
リーン国から合流した聖者たちにも、どこか落ち着きのない空気が漂う。
聖者にも位があり、その位は一重に能力で区分けされていたが、駆り出された聖者の多くが地位の低い者たちで、いうまでもなくリリアンやイサックはその中でも抜き出た実力者で、当然、集団をまとめ指揮を取るのはその二人だった。

ヒカリが二人の聖者に守られながら、一人ひとり声を掛けながら何かを手渡していく。
討伐隊の面々にもそれを渡し歩き、イーセンたちの元へとやってきた。

「僕の力を閉じ込めたお守りです」
言って手を差し出す。
まだ若いヒカリの手には、四角い形をした小さな石のような物が二つ、乗っていた。
ナインがそれを受け取り、光にかざすように空へと向け覗き見る。
何の変哲もない石ころのように見えるその物体はほんのりと白い光を放ち、触れた指から光が手のひらへと伝わっていた。
「すげぇな…!本当に光の使者様なんだな…!」
ナインの失礼な言葉に、ヒカリが小さく笑う。
「聖者様が言うにはちゃんと浄化効果があるそうなので、それを身に付けているだけでもだいぶ違うとのことでした」
そう言うヒカリの襟元にも同様の石が加工され、留められていた。
「僕は、犠牲を一人も出したくないです」
ヒカリの言葉に、
「誰かが死んだとしても、それはヒカリのせいじゃない」
条件反射のように答えていた。

思わず口を付いて出た言葉にハッとして、視線を向ける二人を見遣る。
僅かな沈黙が流れ、
「ありがとうございます」
ヒカリがイーセンにお礼を言った。
「…」
ナインが無言を返す。現実的に考えて、犠牲が一人も出ないということはあり得ないだろう。
それが分からないメンバーではない。

「イーセンもどうぞ」
ヒカリの言葉に、イーセンが手を伸ばす。


ヒカリの手のひらにある何の変哲もない石に、指先が触れ、
「っ…いたっ…!」
唐突に鋭い痛みを伴う電流が走った。

悲鳴をあげるヒカリに対し、イーセンは指を引っ込めたまま驚きの表情を浮かべていた。


原因をすぐに悟るイーセンに対し、ヒカリは全く理解できずに不思議そうに首を捻る。
「…、大丈夫でした?僕は静電気を帯びやすい体質で…」
無理のある言い訳だろう。

完全に、ヒカリの力を舐めていたともいえる。
イーセンは魔族の中でも特に人間らしい風貌で、気配もおよそ人間のそれと遜色ない。その油断が招いた一瞬の、出来事だった。

バレたかと内心でイーセンが戸惑う。
それをおくびにも出さずに、今度は完全に人間の気配でヒカリの手のひらから石を受け取った。
微弱ながら流れていた魔族特有の障壁を完全に封じ、人間の振りをしたイーセンに、
「いえ、びっくりしました」
特にヒカリが気が付いた様子は無かった。
魔族なら、その石を持つことすら出来ないのかもしれない。


石を掴んだ指先から鋭い痛みが全身を巡り、内部で爆発を起こすようにヒカリの力が侵食していくのが分かった。
想像以上に強い力だ。

あながち、どんな魔族の力も無効化するという伝説も本当かもしれないと思うイーセンだ。
障壁を纏わない身体がヒカリの力に負けそうになり、ふっと身体の力が抜けそうになる。ヒカリの力と、魔族の身体を何とか調和させ、無理やり共存させた。

イーセンのそんな苦労を知る由もないヒカリがニコリと笑んで、
「沼地に入ったら僕の力を聖者の方が増幅し結界化してくれるとのことなので、安心してください。誰も犠牲を出さずに通り抜けますので」
力強い言葉を放った。

まだ15〜6歳だというのに、なんと勇ましい事か。
怖気もなく、何の不安もなく、言い切った。

「すげぇな…。具合悪かったけど、良くなってきたわ」
ナインが感心したように呟く。
ヒカリの強い言葉は、どんな人間の不安も吹き飛ばす力があった。備え持つ魔封じの力だけでなく、ヒカリという存在がまさしく人々の道を照らす光そのもののようで、
「安心しました」
イーセンもナインに同調するようにそう返していた。


実際の所、魔族であるイーセンにとってそれがどんな悪影響を及ぼすのか計り知れないという懸念があった。
それでも。
それ以上に、ヒカリのその言葉は希望に満ち溢れ、どんな苦難があろうと乗り越えられるという気がした。


『光の使者』


誰が初めにそう言い始めたのかは知らない。
だが長い年月、受け継がれた言葉にはそれなりの意味があるのだろう。


目の前で穢れない笑みを浮かべる少年を全力で守りたいと思う。
例えそれが自分にとって敵になるかもしれない存在だとしても、今失うには勿体ない存在だった。


「じゃあまた後で会いましょう。僕は聖者の方々と先頭で皆さんの道を作りますので」
この先に苦難など無いかのように明るい声で言って、手を振って去って行った。

「まじですげぇな…見習わないといけねぇ」
ナインの呟きに、
「えぇ…」
イーセンが呆然とした口調で相槌を打つ。

「守られているのは僕らかもしれないですね」
その言葉に、
「…だな」
ちらりとイーセンを見たナインが呟き、気合を入れるように両頬を叩く。

丁度、集まった集団が進み始めた。
黒の沼地では馬は利用できず、徒歩で進むことになる。

ヒカリに貰った石を皮袋に入れ、ナインと並んで歩み始めるのだった。




2021.05.28
およそ2か月ぶり…汗。すみませぬ(笑)。
ギエンが終わってからこっちを更新しようかなーと思ったんですが、ギエンも結構長引きそうなので、この辺でセインを一度更新しなければという使命感(笑)。
何故なら私も、何を書こうと思ったか忘れてしまうからです( ^)o(^ )オイ!笑

ちなみに、この話はどっちかというと暗い話です(;'∀')。
ハッピーエンドは期待せず読んでください(笑)。ハッピーエンド期待で、読むとアレかも…(;^ω^)!

拍手ありがとうございます‼更新、あまり開かないようにきをつけます(笑)‼
    


 ***20***

どこからともなく不気味な声が響く。
それは耳元から始まって、頭の後ろ、背中、終いには頭の中で囁き、見えない何かに身体を引っ張られ、足元が沼に沈み込んでいくような錯覚に囚われる。
何の準備もせずにこの沼地に来ると、多くの者がこうして気力を奪われ、生気を吸い取られていく。

聖者が先頭で集団に結界を張り、道を作っていた。討伐隊の面々はその作られた道を進むだけだったが、何人かが音を上げ、息を切らしていた。

「ナイン、大丈夫ですか?」
イーセンの言葉に、ナインが平静を装って手を顔の前で振った。
歩みは全体的に鈍い。
この調子だと今日の夜は誰一人、熟睡できずに終るだろうことが目に見えて分かっていた。ここまで来ると後は体力の問題で、一番先頭にいるヒカリは大丈夫なのだろうかと不安になる。

少なくとも彼は人間にとって、唯一の希望の存在だ。
弱みを見せる訳にもいかず、辛い立場だろうと思い、遠くに見える背中を見遣った。

「後ろが詰まるだろう?さっさと歩け」
寝不足もあってか重い足取りで進むナインに後ろから声が掛かる。その声は力に満ち、聞いた者を奮い立たせるような力を持つ。
こういう時に意外に強いのはラックスだ。
煩わしそうに耳の横を手で払って、
「こんなものはただの幻聴だ。どうってことない」
足を大きく踏み出し地面にドシっと音を立てる。

大した精神力だと感心させられた。
強がってもそうそう出来る事ではない。

この沼地は心の奥底を引き摺りだし、その人間の弱味を剥き出しにする沼地だ。
どれだけ清く正しく生きようと、奥底に眠る負の感情には敵わない。何時間、何十時間にも渡る精神攻撃に耐え抜くのは、相当の訓練が必要な筈だが、
「お前らは、揃いも揃って口ばかりの軟弱者だな」
余裕の笑いを浮かべて、腰に下げた剣に手を置いた。

ラックスの言葉に、討伐隊の面々が一斉に彼に鋭い視線を送ったのは言うまでもない。
「てめぇ、ぶっ殺すぞ」
「何様だ、お前」
方々から非難の声が上がり、ラックスを追い越そうとする者もいた。

「最初からそのくらいの意気込みを見せろ。まだ先は長いぞ」
鼻で笑って彼らを益々煽った。


思わずラックスに視線を送っていると、
「あーいうタイプがお前の好みじゃねぇの?」
ポロリとナインが口にする。
「…僕がいつ。そんな気配を醸しましたか?」
イーセンの言葉に、ナインがクスっと小さく笑う。それはナインらしからぬ笑いだ。
「別に?」
揶揄る余裕はあるらしい。

心配して損をしたとイーセンが視線を外す。


ドロリとした黒いモヤに足を突っ込んだ。
足元からは赤黒い液体が飛び散り、あちこちに目玉や臓腑が飛び散っていく。

他の人間には見えないだろう。
この沼の本当のおぞましさは。


無数の手が絡みつき、足元から腰、胸元に縋りつき、助けを求める悲鳴を上げ続けていた。
それを掻き分け、進んでいく。

彼らが何なのかは知らない。
だが、既にこの世には存在しないモノだ。

無数の意思さえ、この土地に残るただの残滓でしかない。
ゴリゴリと不快な音を立て、ぶちゅっと何かが足元で潰れた。

これもまた、ラックスが言うようにただの幻聴、幻覚の類に過ぎないのだろう。


素知らぬ顔で歩み続けて更に4,5時間ほどたった頃だ。
空が暗くなり始め、闇がやってくる前に、集団は足を止め野営の準備を始めた。


火を山のように焚き、聖者の張った結界の中に寄せ集められる。
四方に杖が置かれ、炎とは違った眩い明かりが暗闇の中を照らした。


「決してこの外には出ないで下さいね」
リリアンの言葉に、皆神妙な顔で頷いた。
外からは化け物のような唸り声と、女の囁くような笑い声が聞こえ、何とも不気味な様相だ。一寸先すら闇で何も見えず、ただ不気味な物音だけが響き渡っていた。

今、自分がどこにいるのかさえ分からず、方向感覚すら無くなる。
聖者がいるからこそ渡り切れるのであって、独断で渡り切るのはまず不可能な、正に呪われた土地で、あまりのおぞましさに顔を終始歪める者さえいた。

そんな中、温かな食事が配られ、彼らの張り詰めた精神もやや緩和する。
久しぶりに全員が一か所に寄り集まり、各々会話をしていた。


「イーセン。貴方の顔を見てると元気が出るわぁ〜」
最近は近づいてこなかったリィネが、イーセンの肩にもたれかかるようにして囁く。
彼女の大きな身体がずしりとイーセンの肩に乗り、重心が右へと傾いた。
「まーた何を企んでやがる」
ナインの言葉に、
「失礼な男ね。貴方には興味ないから安心しなさいよ」
スプーンを投げて抗議した。
「うわ、汚ねぇな!このクソ女!」
手で払い除けて、地面に落ちたスプーンを投げ返した。

目の前でスプーンの投げ合いが繰り広げられ、これは一体何なのかと呆れて食事を再開する。
「お前ら、いい加減にしろ。目ざわりだ」
ラックスがうんざりした風に言えば、
「そういえば、ラックスは故郷で待ってる子とかいるのかしら」
唐突に、ナインとのやり取りに興味を失せたリィネが身を乗り出して目を輝かせる。
「…関係ねぇだろ」
一瞬の無言の後、つっけんどんに答える言葉には含みがあり、いつものラックスの物言いからは考えつかない言いようだ。
「ふーん」
リィネが面白がるのを、
「黙れ。そんなんじゃない」
皿に残る料理をかき集めるようにして口の中へと放り込んだ。

これは遠まわしに誰かがいるということだろう。
ニヤニヤと笑いを浮かべるリィネとナインを見て、
「…お前らには関係ないことだ。放っておけ」
嫌そうに顔を顰めた。

「ラックスの故郷はモザナですよね?どの辺なんですか?」
イーセンの言葉に警戒の色を浮かべ、
「首都」
短く答える様は、それ以上の追及を拒むものだ。
「僕はそんなに信用できないですか?」
「当たり前だろ。見ず知らずの人間に何で住んでる所を言わなきゃいけない」
はっきりとした言葉は逆に好感が持てる。

ラックスならではの言葉だろう。
こんなことで防衛したつもりなんだろうかと悪戯心が湧き上がる。

モザナはそれほど大きな国ではない。
この件が終わったら遊びに行くのも悪くない。

思わず口角を上げる。
口元を隠しひっそりと笑う様は、日頃のイーセンからはかけ離れた気配で、
「…」
ナインがちらりとイーセンの顔を横目に窺った。

各々が会話を楽しんでいると、
「皆さん、大丈夫ですか?」
ヒカリがリリアンとイサックを連れてやってきた。
まるで神話に出てくる偉大な人物のように後光が差し、周囲を取り巻く幻聴が消えていった。

物凄い制圧力だ。
聖者がヒカリの力を欲する訳だと思う。
これがどちらの力によるものかは不定かだが、彼らの力が合わされば相乗効果で勢力図を大きく塗り替えることは間違いない。

生存を脅かすヒカリの存在に、イーセンが屈するという事はなく、
「おかげで助かります」
ヒカリの純粋な目を見て言った。
イーセンの言葉に、リリアンがふと視線をよこす。じっと見つめた後、
「貴方、よくそれで耐えられますね」
「…?」
つかつかと歩み寄り、座っていたイーセンの頭に手を置いた。

その手を払うよりも先に、強い光と共に熱い風がイーセンを取り巻く。体中にまとわりついていた手のようなモノがあっという間に消え、背中に圧し掛かっていた黒い怨念が吹き飛んだ。
「…」
人間にはそこまで詳細には見えない筈だ。

「身体が軽くなった気がします」
素知らぬ顔で礼を言うイーセンの言葉に、
「どういたしまして。貴方は負の感情に取りつかれやすいらしい」
法衣の襟元を正した後、イーセンの前髪をすくった。
「…」
長い前髪に隠れた瞳を覗き込み、探りを掛けてくる。
「まだ、僕を疑ってるんですか」
ぱっと顔を逸らせて、彼の手から逃れれば、
「いえ。ただそれだけ取りつかれていて、平然としている貴方を不思議だと思っただけですよ」
胡散臭い笑みでそう答えた。
地面を漂う黒い影くらいは見えても、人間にはそこまで見えないものだと油断していた。リリアンほどの聖者なら形くらいは見えるのかもしれない。

リリアンと無意味に見つめあう。
その空気を破るように、
「この調子なら問題なく抜けられそうなので良かったです。明日の夜にはバラスに着けそうですね」
ヒカリが世間話のように柔らかな声で言った。

いよいよバラスに着く。
それは最終の目的地では無いが、一つの目的地には変わりない。集まっていた面々がシーンと静まり返った。

緊張感が生まれ、みな一様に神経を尖らせる。


ヒカリの強さが不思議でならないイーセンだ。
不安が無い訳がない。それなのに、一切の不安も感じさせず、
「皆さんの力で、日常を取り戻しましょう」
夜だというのに眩しい笑顔で力強く言った。

ヒカリの言葉に、弱音を吐く者など誰もいない。
すぐに同意の声や威勢のいい掛け声があがった。

討伐隊の全員に接点があるでもない。
それでも、彼らをまとめ一体感を持たせているのはヒカリだと改めて思う。

この小さな身体のどこにそんなパワーがあるのかと、神々しい笑みを見て尚更不思議になっていた。

見つめていると、ヒカリと目が合ってニコリと微笑まれる。
彼が、自分の正体を知った時に。

果たしてどんな反応を示すのか、やや気になるのだった。



2021.07.27
2か月経っちゃったよ〜(;^ω^)‼まぁセインシリーズは「さくっと」をテーマにしてるから(?してるってことで笑)、サクッと進む筈。バラスもギギナもサクッと進む筈です(笑)。なぜなら26話完結を目指しているからです(笑)。
でもなんで26話だったのかもよく分からないです(;'∀')。26話どっから来た…?30話でもいいと思うんだけど…?(笑)

次回は1か月以内に更新してみせる…!(^^☆乞うご期待!(笑)
    


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