【帝国編,流血多】

 ***1『待ち望む、モノ』***


 セインの仕事は専ら外交にあった。
 人間との付き合いは全てセインに委ねられており、方々からの招待や依頼などを担うのもセインの役目だった。凶悪な魔族の討伐などは下の者へ回す事もあったが、特にセインが気を配り人任せにしないのは他国との交流だった。
 なぜなら、それが人間に対する魔国の誠意そのものだったからだ。

 ところが魔族の中には人間を下に見る者の方が多い。
 セインに不満を抱く者はそれほど多くはないが、人間に必要以上に媚びるセインへの批判は決して少なくはなかった。もっとも、セインにしてみれば媚びている訳でもないが、同じ魔族からしたらそれは媚以外の何物でもない。魔国はもっと孤高的であり、支配的であるべきだという声が高かったのである。
 従って、ギーンズが抱く思想に一定の支持者が現れるのも普通の事だった。



 その日は珍しくギギナ国の王が訪れ、その為に城内は魔族の出入りが禁止になった。
 セインが人間と親しげに城から出てくるのを目撃する事は珍しくもないが、たかが人間の王というだけで出入り禁止まで言い渡された事は、ギーンズのような反対派には酷く屈辱的な行為でもあった。
 ギギナ国までセイン自ら見送る事も彼らの反発を招き、更に言えばセインがギギナから帰って来たのがそれから2日後だった事が尚更、反抗心を煽った。
 魔族の間でもセインが人間と色めいた関係なのではないかと疑問視する声は多い。
 魔国の王が人間の言いなりである事は、魔族全体のプライドを傷付け、裏切り行為だと見る仲間たちも少なくはなかった。

 ギーンズとの関係が決定的に壊れたのはこの時期だったかもしれない。それからというものギーンズは同じ思想を持つ者たちと徒党を組むようになった。



「あれは、どうにかしないと危ないぜ?」
 ひっそりとセインに耳打ちしてそう忠告するのはギザという名前の男だ。
 大きな肢体の持ち主でセインより遥かに上背がある男が屈むようにしてセインの目を見つめる。側頭部には真っ直ぐに天を向く鋭く尖った角が生えていた。
「そう思う?」
 僅かにセインの目が輝きを増す。
 それを見逃さないギザだ。
 伊達に長い付き合いをしてきた訳でもなかった。その長さで言ったらランゼットよりも長い。
「悪いやつだな」
 短く言ってセインの茶髪を掻き混ぜる。
「しばらく平和過ぎたな、城にいるのも退屈だろう?」
 ギザの言葉は的確だった。
 治安が安定し、セインが望むモノを手に入れてから随分と長い期間が経っていた。それは200年か300年か、それ以上経っているかもしれない。
 大きな争いもなくセインの希望する世界ではあったが、やる事と言ったら他国との関係調整と治安の調整くらいだ。些かのセインもこの大きな退屈を紛らわすのに四苦八苦していた。

 そして何よりも。
 魔国の必要性を以前ほど感じなくなっていた。


 人間との交流を地道に重ねてきたセインは、魔族を束ねる事に意味を見出せなくなってきたのである。
 それは世界が抱く魔族への嫌悪や恐怖心が和らいできた結果でもあった。長く続く魔国との和平関係は人々を平穏へと導き、魔族の容認という気持ちを導いた。

 魔族と人間という境界線を区切る事にどれだけの意味があるというのか、セインにとっての世界はそういう局面にまで達していた。

「僕に付いてこれる?」
 ギザの赤い髪を引いて顔を覗き込む。
 口端を片側だけ上げてギザが笑った。
「付いていけなかったらとっくにいないだろう?」
 ニヒルな笑いを浮かべて返ってきた言葉が可笑しくてセインにも笑いが起こった。
「一度壊して再構築しようか。人間との関係も」
 言って赤髪を引き寄せた。
 ギザの乾いた唇を舐め犬歯の生えた口内に舌を入れる。特に抵抗する事もなくギザから反応が返った。
「ん…」
 濡れる音が静かな場所に響く。
 それからしばらくして、口内を十分に堪能し満足したようにセインがそっと唇を離した。
「しばらくの間お別れだ。君の赤を見れなくなると思うと少し残念だよ」
 ギザの目を真っ直ぐに見つめ返して笑う。セインのその目は、いつもと異なる色だった。
 赤や青に変わり終いには色を無くす。周囲の光を反射し無限に色を変える宝石のように鮮やかな色彩を帯びて変色していった。

 不思議な事にいつもなら制御するその目もギザには通用しない。
 ギザの腐った躯にセインの半分を与えたせいかもしれない。それはもはや生前のギザでは無かったが、新しいギザの誕生でもあり、今となってはどうでも良い事実だった。



 そして。
 ギザの忠告から僅か10日後の事だった。
 ギーンズにいつかと同じように回廊でバッタリと会ったセインは、ギーンズがいつもと変わらない事に少し安心していた。
 男らしい顔に強気な黒い目がいつもと同じように鋭く光る。初めて会った時に比べ随分と大人になったものだった。懐かしい気持ちがして何気なく歩み寄った。
「久しぶりだね、ギーンズ」
 セインの言葉に、ギーンズが僅かに笑んだ。
「セイン、ちょっと話があるんだ」
 近寄るセインの腕を軽く引く。


 そして。


 深々と何かが胸を貫いていった。
 日頃は飄々としているセインだったが、この時ばかりは顔色を変える。何が刺さったのか悟るよりも先に息が詰まり呼吸が乱れていった。無意識の内にギーンズの腕にしがみ付く。
 荒い息を付くセインを満足そうに見つめていたギーンズが、ゆっくりと余韻を味わうように短刀を引き抜いていった。
「セイン…、」

 小さな呼びかけと共に、躊躇いもなく再度突き刺した。
 セインの心臓を目掛けて確実に。

 殺しにくる。

 骨が折れる音が響き、肉を引き裂いていった。何かが床に飛び散る音がおぼろげな頭に響く。
 それと同時にセインの意識が急速に薄れていった。
 ギーンズの唐突の行動に驚くと共に、その時が来たのだと知る。



 その事件はセインの力をもってすれば何て事ない事件だった。
 いくらでも同じような経験がある。
 笑って話せる過去にだってなる。
 それでもセインが抵抗もせず殺されたのは、この状況に新たな変化を感じたからだった。
 ギーンズの采配に僅かな期待もしたし新しい魔国の誕生に胸が躍った。


 刺され、死んでいくというのに胸が躍るとは不思議なもので、セインの退屈はそれだけ深いものでもあった。



 足元から崩れ落ちていく。
 ギーンズに抱かれるように。


 白い身体が力を失っていった。






2014.11.26
そろそろ話数をちゃんと整理させたいです(^_^;)意味わからないことになってて申し訳ない…!
このシーン、何度も別アングルで書きたい(笑)。思惑やら見方を変えて何パターンも書きたい心情です。(え?)
ギーンズとのラブラブはどこへ消えたのだ…!夢落ちでもいいから、何か書きたい…Σ(゚皿゚)!!




 ***2『手に入れた、カタチ』***



 セインがピクリとも動かなくなって、漸くギーンズの振り下ろす手が止まる。
「死んだか」
 確認するように呟く顔は至って冷静で、何の後悔も苛立ちも焦りも浮かんではいない。
「本当に殺したか?」
 影からひっそりと見ていた男が背後から歩み寄ってそう訊ねた。
「…あぁ。心臓を破壊したからな。完全に呼吸も止まってる」
 血まみれの手を服で拭って、動かないセインの頬を慈しむように撫でた。
「イータスは仲間を集めてくれ。ランゼットやギザ達が帰ってきたら戦いになる。その前に頭の腐ったセイン派の老害どもを皆殺しにしよう。魔国を奴等から奪い取り、正しい形へ戻すんだ」
 ギーンズの決意の篭った声にイータスが強く頷く。
 死体を意図的に避けて、慌しく去っていった。

 それと入れ違いで、背の高い男と髪の長い美女が連れ立ってやってきた。
「無事やったのか…。さすがのセインもお前が相手だと油断しまくりだな」
 ひっそりとした呟きにギーンズが顔を上げる。その血塗れの姿を見て、男が一瞬たじろいだ。
「ヨイルは誰にも見つからないように死体を処理してくれ。俺は城内に残るセイン派を殺してくる」
 短剣に付いた血を払って鞘に収めた。
「リリナ、来い」
長い髪を持つ美しい彼女を呼んで引き寄せる。
「セインが憎いなら今それを返すんだな」
 短く呟いた。セインの無残な姿を見ても表情一つ変えることなく、緩く首を横に振る。
「私はあなたに付き従うだけです」

 セインを親友だと言ったその口で。
 何の悲しみも篭らない赤い瞳が。
 傍らに立つギーンズを見上げて静かな声でそう言った。


 まるで人形のようなリリナが僅かに恐ろしく感じるギーンズだ。彼女の得体の知れなさはセイン以上に不気味かもしれない。
 それでも。
「…行こう。新しい魔国の誕生だ」
 リリナの肩を抱き踵を返す。長い回廊を進んでいく中、二人が背後を振り返るという事はなかった。



*****************************************



 城の回廊から裏手に入り、裏門を潜って外に出る。
 ヨイルには空間を歪め外部から存在を認識させないという得意能力があったが、それを使うまでもなく、誰一人として出会う事なく城の外へと辿り着いた。
 城の正面が活気付いた街並みなら、裏門はまるで正反対だ。何も無い荒野が広がり、重く黒い雲が立ち込める。赤いむき出しの大きな岩が彼方此方に転がり、道という道は存在しない。そこは常に薄暗く不気味な気配のする場所で、それが本来の魔国の姿でもあるといえた。

 明るい南側を好まず敢えて北側に住む者も多いくらいだ。セインの築いた魔国をどうしても受け入れられない魔族が多いのもある意味、本能だった。
 だが、ヨイルはセインの作り上げた世界が好きだった。暖かく、それでいて冷たい。それはまるでセインそのもののようで、そこに馴染めば馴染むほど、もっと奥を知りたくなる魅力があった。
 セインの持つ甘さと、セインが隠そうとする魔の部分がこの国全体に顕れているようで、余計に好奇心を刺激する。

 もっと近づきたいのに近づけない。
 その地位をヨイルには与えず、常にのらりくらりと逃げるセインにまどろっこしい想いも抱いていた。


 ずり落ちそうになるセインを担ぎなおす。死んだ身体はやけに重くヨイルの両肩に圧し掛かった。
 遺体を包んだ布は真っ赤に染まり、彼が歩く度に赤い跡が地面を汚していく。

 仮に誰にもバレずに死体を捨てたとしても城内が異変を察するまでそう時間は要しないだろう。
 だが、ギーンズとリリナ、それに集まった仲間たちがその頃には残った者たちを皆殺しにしている筈だった。まして主力であったランゼットとギザが不在なのだから容易い事である。戦闘向きの魔族はみなギーンズ側に付き、勝利は既に見えているようなものなのだ。
 これが魔国を統治する王の宿命なのだろう。世代交代はいつの世でも必ず起こる。

 セインにもその時がきたのだ。


 背中の重みを感じながら、僅かな寂寥感に囚われた。



 城からしばらく歩き木々が生い茂る森に辿り付く。
 黒い毒々しい森がまるでその先を隠すように広がっていた。獣一匹すらおらず、小さな鳴き声さえ聞えない。先程から騒がしく上空を飛び回っていた黒獣さえいなくなっていた。
 ここならどんな死体も1日あれば骨になる。
 ヨイルが死体を地面に放り投げた。

 その拍子に、布で隠していたモノが姿を現す。
 白い面に柔らかな髪の毛が掛かり、まるでまだ生きているかのように瑞々しくヨイルを誘う。
 思わず屈んで頬に掛かる髪を払うヨイルだ。
「セイン…」
 今まで共にあった存在が今はただの肉塊だ。それが不思議でしょうがなかった。
 ずっと魔国の王として崇め、憧れてきた存在だ。若くして魔国の王になり、魔族を統率する姿は輝いてみえた。ギーンズがそうであったように、ヨイルを城内へと招いたのはセインだ。以来、ずっと兄のように、そして父のように慕ってきたのである。
 だがヨイルとギーンズが決定的に違うのは、その力の差だった。セインがヨイルに向ける視線とギーンズに向ける視線は根本的に違うもので、いつでもヨイルを落胆させた。


 乾いた血が付く唇から首筋、そして鎖骨へと手を滑らせる。冷たい肌がまだ生きているかのように滑らかで柔らかい。

 破れた服から覗く血塗れの白い肌に思わず喉が鳴る。


 人間に何度抱かれた身体なのだろう。
 良からぬ事を想像し、すぐにそれを打ち消そうとするが一度描いた映像はそう簡単に消せはしなかった。
 確認するように、血だらけの胸に手を当て鼓動を確かめる。風に揺れて木の葉が擦れ合う静かな森の音が返ってくるだけだ。

 
 高嶺の花が今、目の前に転がっている現実に。
 乾いた喉が鳴る。
 

 肌蹴た服を開き、乾き切っていない血を胸へと擦りつけた。力ないセインの唇にそっとキスを落とし、味見する。
 何の反応もない身体は死んだ体だった。大した面白味も無い。セインの苦痛の表情さえ引き出す事が出来ない。それでも一度抱いた思いは簡単に消えはせず、こんな状態だというのに非常にヨイルを興奮状態にさせた。

 
 セインの存在を探るように何度もキスをして、動かない身体を蹂躙する。そしてセインの中で果てるのと同時に、今まで抱いていた蟠りも全て溶けるように消えていった。







2014.12.2
うん。ぐろい?!(o゜ー゜o)?
いあ、いあ、いあ。。。配慮してこの次の話までセットでアップしたかったんですが、間が空きそうだったので、これのみアップしておきます(笑)。 死姦じゃないから〜(^_^;)。人からするとそう見えるだけで、セインは生きてるからぁ〜(´・ω・`;) あうあう。

    


 ***3『深部の、ケモノ』***


 セインの身体はまるでゴミのように森に捨てられた。埋葬されるという事もなく剥き出しのそのままだった。体中に付く血さえ無ければ眠っているように安らかな顔だ。たった今あった出来事さえ無関係のように美しいまま、そこに捨てられた。

 ヨイルの姿が無くなってすぐ、血の匂いに惹かれた生き物たちが集まってきていた。形を持たない不定形の胴体を持つモノたちが匂いを辿るように地面を探り回る。
 意思があるのかすら分からない彼らが唯一、生き物である事を示すように無数の足が地面を伸縮した。そしてその源を発見したように物凄い速さでセインに群がっていった。体内への入り口を探して体を弄くり回す。その内の数匹が入り口を発見したように柔らかな唇に半身を押し付けた。中へと潜り込もうとして、身体を震わせた直後のことだった。

 何かに弾かれたように黒い物体が四方へと弾け飛んでいった。宙に浮いたそれらが地面に叩きつけられあっという間に霧散する。影形もなくなる程の力で彼らを滅殺したにも関わらず、セインはぴくりとも動かない。もし仮に目撃していた者がいたとしたら、何が起きたのかすら分からないだろう。消えた得体の知れない生物たちでさえ、それは分からなかった筈だ。それほどあっという間の出来事で、そして静かに終わった。


 静けさを取り戻した森が再び呼吸を始めたのはそれから数刻後だった。
 陽が落ち闇がやってくる。生い茂る草がざわめき立ち黒い樹木がまるで触手を伸ばすように不気味な影を広げていった。


「ふふ…」
 唐突に。
 
 セインの指がぴくりと動く。
 まるで森の目覚めを察したように、乾いた口が小さく開き明るい笑い声を零した。
「ギーンズ…、本当にやるなんて…」
 喋る度に鮮血が溢れ出す。それもすぐに皮膚から中へと吸収されていった。致命傷の筈の傷は既に無く、確実に破壊されていた筈の心臓すら何も無かったように鼓動していた。
 ゆったりとした動作で上体を起こす。
 その顔にはかつて浮かべた事もない程、冷め切った笑みが乗っていた。
「退屈は病だ。お前には俺が理解できない。そして俺にもお前が理解できない。だから楽しい。
 再び愉しみを与えてくれたお前には感謝しないと」
 血に汚れ破れたコートを払い捨てる。肌に付く乾いた血を擦って『消した』。


 日頃は小さく痩身に見えるセインの体が、この時ばかりは大きく見える。適度に付いた筋肉からは年相応の男らしさが窺え、穏やかで柔和な気配は皆無だった。
 少年じみた言動は鳴りを潜め、代わりにあるのは大人の男だ。
「お前の描く理想がどこまで求められるか楽しみだよ。なぁ?」
 青い鳥が上空からやってきて、一度旋回した後セインの肩に止まった。その言葉に答えるように高い声で囀る。
 それを見つめゆっくりと笑みを象っていく顔は、どこまでも純粋で綺麗だった。何の悪も知らないような美貌でセインが笑みを零す。

 それは紛れもない魔族の証でもあった。


 口角を上げてうっそりと微笑む姿は天使のように美しく。
 そしてその気配は大気が溶けるほど毒々しい。

 伊達に何百年と王座に君臨し続けてきたわけではない。
 気配だけで弱者を屈服させる強制力が彼の周囲を取り巻いていく。生い茂る草が頭を垂れ、四方へと広がっていった。


「行こうか。新しい時代への第一歩だよ」
 そう言って立ち上がる。
「ッ…、!」
 そうしてすぐ異変に気が付いたように苦悶の声を上げた。
 脱ぎかけのズボンを見下ろし呆れのため息を付く。
「犯ったな…」
 だらしがなく開くズボンの前を締め、らしからぬ舌打ちを零す。
 冷たいモノが尻の間を伝っていき濡れた感触を齎した。その気持ち悪さ以上に、死姦されたという事実に腹を立てる。
「犯人を見つけて殺そうか?」
 顎に手を置いて思案する。
 セインの放つ気配が更に残酷に尖っていくのを咎めるように、肩に止まる青い小鳥が膨れ上がって耳たぶを突いた。
「僕はかなりムカついてるけど、それでもやめろって?」
 毛を逆立てた小鳥の首を撫でながらそう問いかける。小さな鳥が答えるように小さく鳴くのを聴いて、
「なるほどね。分かったよ」
ふっと笑ったセインから殺気が消えていく。

 それからはいつもと同じセインだった。


 獣道すら無い森の中は進むにつれどんどんと暗くなり、ほんの先さえ見えないほど深い森へとなっていった。
 このまま森を突き進んで抜ければ大きな岩山に辿り着く。そこを超えて更に南に向かえばギギナよりも南に位置するバラス国に着く。
 それは魔族でさえ選ばない危ない道のりだったが、セインがそれを知らないという訳ではない。ただ単にその道が馴染みのある道であり、目的地へ近いからそこを選んでいるだけの事である。
 もっともセインの目的はバラスに行く事ではないが、久しぶりに休暇でも貰った気分で世界を巡る計画であった。しばらくはランゼットの小言に悩まされることもない。魔国の王である必要もなく、魔族である必要も無い。
 当分は人間の振りをして有意義に過ごすという『壮大な』目的だった。それは想像するだけで楽しく、心が浮つくほど興奮する計画でセインにしてみれば誰にも、何にも束縛されない完全なる自由と言える。大いに自分勝手に振る舞い好き勝手に遊んで、自由に彼方此方へと飛び回れるのだからこれ以上の幸せも無いだろう。

 魔族である事を自覚してからずっと平和な世界を求め続けた。魔族である事、そして人間である事、その両者の均衡と対等な関係がどうすればうまく成り立つのかをずっと模索してきたセインだ。それらを二の次にして、自分の欲求だけを追求できる期間というのは初めての体験かもしれない。

 その足取りは軽やかでハイキングでもしているかのように楽しげなものだった。


「ランゼットは元気かな?」
 セインの周りを飛ぶ鳥が軽く円を描いて小さく鳴く。
「ふーん…。思いのほか冷静か…つまらないな」
 再び鳥の囀りが森に響いた。
「ふふ。何がそんなに可笑しいの?ランゼットの冷静さ?
案外あの男は食えないよ。ジリアはそうやって笑うけどね」
 セインの前髪を引っ張って、抗議するように軽く突く。
「はいはい。ギザには言ってあるから。
 ん?僕の支持者も無事?まぁ結界が消えた瞬間に察知しただろうさ。ギーンズに易々殺されるほど愚かでもないだろう。ギーンズは知らないのさ、彼らの底を。所詮、まだ子どもなんだよ」
 まるで小言をいうランゼットのように小鳥が飛び回って、煩く囀った。


 それを片手で捕まえて胸元に引き寄せるセインだ。
「しっ。静かに…」
 耳を澄ますように警告の声を発する。
 先程まで笑っていたセインが打って変わって真面目な表情になる。
「森の主がお目覚めだよ」
 セインの囁くような声にジリアと呼ばれた小鳥がぴたりと動くのを止める。


 不気味な静けさの中、木の葉を踏みしめ歩を進める音だけが辺りを木霊する。
 それからしばらくして、地鳴りの音と共にどこからともなく不気味な声が大気を震わせた。

 《またお前か》

 脳に直接響くしゃがれた声は生き物の声とは思えないほど複雑な音が絡み合っていた。
 木々がざわめき、突風がセインの体を襲う。地面から生える根がセインを逃さないように足に絡み付き、物凄い速さで首元まで伸びていった。
 胸元に抱く小鳥共々セインの動きを封じこめる。

「ここを通させて貰っていいかな?」
 完全に身動きが出来ない状態にも関わらずセインの声は暢気なものだった。
 伸びる枝がセインの全身を調べるように、彼方此方を探り服の中へと入っていく。そうしてすぐに何かに気が付いたように動きが止まった。

 生い茂る木々が道を作るように折り曲がっていき、ぽっかりと空いた空間を作り出す。異世界への入口のように広がる漆黒の闇から黒い衣装を纏った男が姿を現しセインの目の前までやってきた。
 特に驚く様子もないセインだ。
「騒がせて申し訳ないね」
「ここは私の領土だと常々言ってるだろう?お前が魔国を作ろうとそれに変わりは無い。タダで通す訳が無かろう」
 目を喪った男がセインの位置を正確に把握して問い掛けた。
「でも主様は通してくれるだろ?」
 ふっと笑ったセインに男がニヤリと笑った。
 それと共に、
「っちょ…っと、どこ触ってる…」
セインから苦情の声が上がった。
 まるで生き物のように伸びる枝がセインの臀部を撫で太股に絡みついたからだ。
「ふむ。なるほど」
 男が何に納得したのかすぐに悟るセインだ。
「今の僕はそんなに余裕が無いんだよね。主様が快く通してくれるのを期待してる訳だけど…」
 セインの言葉など素通りで、
「お前がヤらせてやるとは珍しいな」
目前まで歩み寄った男が鼻を付けて体を嗅いだ。
「随分と血を喪ったようだ。死んだ振りでもしたか?」
 可笑しそうに笑った。
「死体のお前じゃ、さぞかしヤリ甲斐が無いだろうに」
「ぅァ…っ!」
 動きを拘束する木々の締め上げがきつくなってセインの口から悲鳴が上がる。
 それを愉快そうに聞いて、
「今首を撥ねればさすがのお前でも死ぬと思うか?」
当の本人にそう訊ねた。

 とんでもなく恐ろしい事を訊ねられているというのに、セインが余裕の笑みを浮かべて男の顔を見つめ返す。無い筈の目を見つめて、
「さあ、どうだろうね。多分死なないだろうね」
自分の事だというのに興味が無さそうに答えた。
「面白そうだ、試そうか」
 主と呼ばれた男が満面の笑みを浮かべた。
 間髪をいれず、どこからともなく現れた太い枝が大鎌の形へと変化する。セインが何か言う間さえ与えず、真っ直ぐセインの首目掛けて横に薙ぎ払った。

 それは物凄い力だった。
 軽い一振りのように見えて、凄まじい突風が横なぎに吹き荒れる。先程の比でない力が辺りの物全てを吹き飛ばしていった。太い木の枝が激しい音を立てぶつかり合って弾け飛ぶ。突風に煽られて、生い茂る木の葉がみな飛ばされ遠くへと運ばれていった。

 僅かな沈黙の後に、
「なるほど」
短い納得の言葉が男から出る。
「よく分かった?」
 それにセインの声が被った。

 先ほどと変わらぬ姿で笑みを浮かべるセインの後ろは見るも無残な状態だ。深い森は上下真っ二つに切り裂かれ、元の姿が想像できないほど丸ごと抉り取られていた。巨木が地面に薙ぎ倒され、まるで玩具のように粉々に破壊されている。
「興ざめだ」
 小さく呟いて鎌を仕舞う。
 同時に破壊された筈の森が命を吹き返し、倒れた巨木から小さな芽が一斉に咲き乱れた。凄まじい速度で成長していくのと共に、セインを拘束する木の枝が力を失って地面に落ちる。
「今の行為と代償に通る事を許可する」
 短く言ってセインに背を向けた。
 それからふと思い出したように振り返り、
「この先に泉があるだろう?そこに立ち寄るといい。お前にプレゼントをやろう」
ふっと悪巧みを浮かべたような笑みを乗せてそう勧めてきた。
「本気で首を取りにくるなんてね、嫌な奴だ」
 小さな文句は相手に届いていた筈だが、何の言葉も返ってくる事なく男の姿が大気に溶け消え失せた。

「大丈夫だった?」
 胸に抱く小鳥を覗き込む。小鳥を守るように張られた薄い膜が光を零して消える。どうやら意識を失っているだけのようだ。先程の突風と耳をつんざく音にやられたのだろう。
「多少は遠慮したって事か。最も、そうでなきゃ僕が許さないけどさ…」 

 既にいない相手に愚痴を零しつつ、小さな鳥を丁寧に抱き直して男の言う泉へと向かうのだった。





2014.12.22
さて、これ、続いちゃって平気?(^_^;)普通に私は楽しんでますが(笑)、冷静に考えると若干、ぐろいのかなぁ?
セインの事はあまり詳しく書いてないけど、やっぱり王なのです(笑)。その力と言ったら他者を寄せ付けないほど絶対の力なのだ!でも滅多に本気にはならない(笑)。そこがセインたる所なのだ!(?さっぱり意味が分からない…)
    


 ***4『甘く、フカク』***


 以前来た時も感動を覚えたセインだが、変わりない美しさはまた更なる感動を生んだ。
「あいつはムカつくけど、こういう所は立派だよ」
 乳白色の水を掬って落とす。森の中にぽっかりと現れた泉はまるで人工物のように綺麗な形を為してそこにあった。丸みを帯びた石が泉を囲み、その隙間から新鮮な水がどこからか湧き出し、泉をいつでも美しく保つ。
「気に入ってる服だったのに、こんなにしちゃって…」
 目を覚ましたジリアに文句を零しつつ、ボロボロになったシャツを脱ぎ捨てた。
 翼で視界を隠したジリアが地面に落ちた服の中に潜りこむ。服の中でもぞもぞと動いた後、完全に沈黙した。
 それを見つめていたセインが、何かを思いついたようにニヤリと口角を上げた。
 足首に巻いてある紐を解いて赤黒く汚れた靴を後ろに放り投げる。そして足の指で脱いだ服を持ち上げ、隠れたジリアを引きずり出した。
 小さな悲鳴を上げて更に隠れようとするのを足で押さえつけて、
「もっと見せてあげようか?」
完全に嫌らしい笑みで、挑発の言葉を投げた。
 ズボンの紐を引いて緩んだウェストに手を掛ける。そのまま躊躇いもせず手を離した。重力でずるりと脱げ腰骨から太ももが露わになる。叫ぶジリアに追い討ちを掛けるように、丈の短い下着の裾を指先でたくし上げた。
「ふふ、中々面白い光景だね」
 ストリップショーのようにゆっくりと焦らしながら服を脱いでいくセインに、ジリアが狂ったように暴れてもがき出す。終いには涙さえ浮かべて声高く鳴き叫んだ。

 その叫びを聴いて煩そうに目を細めたセインが、唐突にジリアの拘束を解いて溜息を零した。
「からかって悪かったって。そんなに泣く事もないだろ。初心な乙女でもあるまいに」
 肩を竦めて、文句を零すジリアには見向きもせず泉に足を突っ込んだ。3,4人が入れる程の大きさで、底は見えない。それでもセインは気にする事なく、足で水を掻き混ぜ弾く。
 怒って後頭部を突くジリアを手で追い払って、
「この泉は精気を養う効用があるんだよ。勿論美容にも効くし、ジリアもどうだい?」
先程までの意地悪な態度とは打って変わって、非常に優しい笑みで誘った。
 瞬時に大人しくなったジリアがセインの頭に腰を降ろす。
「あいつも、中々憎い男だよ。森の命を吸いながら、かたや森に命を与えてるんだから。その上、弱った生き物たちをこうして助ける訳だ。大した生命力だよ」
 そういうセインの視界には水浴びをする小さな獣がいた。体を震わせて水を飛ばし、セインをちらりと見た後、飛び去るように森の奥へと消えていく。あれも大人になればさぞかし凶暴な獣に育つ事だろう。あんなものが悠々と歩き回っている森を管理しているのだから自ずとその関係性が分かる。

「はぁー。少しは癒されるね」
 バシャバシャと激しい音を立てながら水の中へと身体を埋め、感嘆の溜息を洩らす。
 冷たすぎず熱すぎず、程好い温度の水は身体の疲れを取るには丁度いい。水を肩に掛け全身を解すように温めて天を仰ぐ。

 そうして、しばらくの後に、
「…血を全部喪えば、僕でも死ぬんだろうか?」
唐突の投げ掛けをした。

 それがあまりに唐突の疑問で、ジリアが体を震わせて足を滑らせる。
 小さな音を立てて泉の中へと落ちるのを驚きの顔で見つめるセインだ。
「何を慌ててるんだ」
 翼の重みで溺れるジリアを両手で掬い上げて、その青い瞳を覗き込んだ。何か言おうと嘴を開き、そして何も発せずに終わる。
 ジリアの戸惑いを直に感じて、
「僕が死ぬ訳ないだろ」
安心させるように笑った。
「そもそも血を全部喪うという事態すらあり得ないのだから、ふと思っただけだよ。
 今だって喪ったのは2割程度だ。僕は自分の体をちゃんと把握してるからね、コントロールだって出来る。ジリアが心配する事はないよ」
 人間の言葉で言うなら、『でも…』、そう言った疑問だろう。
 ジリアのつぶらな瞳がセインを真っ直ぐに見つめ、瞬き一つしない。
 返答に詰まるセインだ。

 どう言ったらいいのか思案していると、
「そもそも血すら流させない男だ。安心しろ」
唐突に第三者が二人の間に乱入してきた。
 振り返るセインの視界には、いつからいたのか腰を降ろして二人を眺める森の主がいる。
「着替えだ、必要だろう?」
 どうやらプレゼントとはこの事で、彼の傍らには折り畳まれた服が置かれていた。
「へぇー。随分と気前がいいね」
「極上品だ。人間の世界ではまず手に入らないだろう。お前が散々痛ぶったゲボク草から採取した繊維で丁寧に編み込んだ一品だ。あいつらの悲鳴が聞こえるだろう?」
「…僕が、いつ、痛ぶったって?
馬鹿言うな、大地を抉り取って森を破壊したのは自分じゃないか」
 ジリアを地面に降ろして、主の下へと泳いでいく。
 彼のいう『一級品』を手にとって広げた。

 男のいうような悲鳴は聞こえなかったが、それがいかに丁寧に手間を掛けて作られた物かは一目で分かる。細く均一の太さの糸が交差して寸分の狂いもなく織り込まれていた。柔らかな触り心地はさぞかし着心地もいいだろう。
「…確かにね、上等品だよ。これだけ編むには相当の素材が必要だったろ?主様が編んだの?」
「私に掛かればちょろいものさ」
「ちょろいって…」
 思わず失笑するセインだ。
 その軽い言葉を一体どこで覚えたのか。

 それに。
「このデザインは何なの?ちょっと意外というか古風を感じないんだけど…」
 作ったというその服装はフードが付いており、袖は無く胸元が大きく開いた形をしていた。ウェスト部分は両端から布を寄せボタンで留められ、そのままサイドへと流れ長く布が余る。腹と背中部分は短くカットされ、確実に素肌が丸見えになるだろう。
 シンプルな素材でありながら、斬新なデザインにセインが目を見開く。
「僕にこれを着せたいと思った訳?」
 セインの僅かに軽蔑の混じった表情を心外そうに見つめて、
「都ではこういった物が流行りなのだろう?私も人間の世界には研究を重ねておるのだ。お前も魔国を出て都会に行くならこのくらいのファッションセンスを持った方がいい」
真面目に答えた。
「これが最先端ねぇ…」
 セインの信じていない呟きに、
「要らないなら裸で出て行けば良い」
脱ぎ捨てた服を突風で引き裂いて、他に選択肢は無いと脅しを掛けた。

 その強引さに呆気に取られるセインだ。
「…僕に、こんな破廉恥な格好をしろと」
「洗練された、と言え。破廉恥とは何だ、誰もお前の腹になぞ興味無かろう」
 セインの素肌に爪を伸ばして胸部をなぞる。
 ピンクに色づく胸の突起を弾いて、
「身体には興味あるが、な」
悪どい笑いを浮かべた。
「はぁ?」
 呆れるセインを尻目に、男が泉に手を差し入れた。
 
 その途端、
「っな…ッぁ!」
セインが驚愕の声を上げる。
 羽を休めていたジリアがその声に驚いて小さく鳴いた。
「ここは『私の』泉だ。何を驚いている?」
 乳白色の水が蠢いて身体を弄り回す。
「こういうのをっ、悪趣味と、いうんだっ!」
 セインの言葉を丸っきり無視して、探るように指を動かしていった。
 形を変え、熱を変えて、『水』がセインを襲い掛かる。
「…ぁアッ!」
 水が大きな音を立てて跳ね上がった。易々とセインの秘部を押し開き中へと侵入していく。
「傷は治せても、残留物は消せまい。ついでにサービスだ。中も浄化してやろう」
「っ…!」
 文句の代わりのように睨み付けるセインだが、
「ぁ、…ン!」
口から付いて出るのは堪えきれない甘い声だ。
 柔らかく形を変えて、的確に性感帯を突いてくる。長く太く、細く短く、巧みに蠢くモノに翻弄されて力が抜けていった。

 服を持つ指が小さく震えて地面に落ちる。男の腕を掴んで、
「図に、…っ乗るな。やらせて、やってるんだからな…っ」
そう警告を発した。
 艶やかな唇が小さく喘ぎ、赤い舌が甘く震える。
「ぁあ、…っ」
 背を反らせて襲ってくる波をやり過ごす。
 余裕を無くしていくと共に、セインの瞳が色を変えて本来の姿を現していった。
「お前を犯った男はつくづく愚かだ。その顔が最高にそそると言うのに」
「んン…!」
 緩く開いた口に指を突っ込んで、喘ぐ舌を捉える。
「放…、っせ…」
 濡れた音を立てる熱い口内を指で犯して、セインの歯をなぞった。
「私は無理やり犯したりはしないさ。これは只の浄化だよ」
「…ッ、当たり、前だ。少しでも、前に触れてみろ。この森を吹き飛ばす」
 快楽に揺らぐ目を眇めて、そう強気に宣言する。
 それは脅しでなく本気の言葉だった。セインにはそれだけの力があり、抵抗しようと思えばそれを実現するだけの余力もあった。
 ただ男のいう浄化にも一理あり、自分の中に吐き出された誰の精液かも分からない穢れを落としたいという思いがあったのも事実だった。

「ぁ…、う…ッ」
 美しく色を変えていく目が濡れて蕩けていく。甘い色が混じっていつも以上に神秘的な色を浮かべていた。
「随分と淫らな顔で誘ってくれるものだ」
 唾液で濡れた指がセインの唇を拭って、更に淫らにさせる。

「ジ…リア!向こうに行ってろっ!」
 珍しい命令口調に、ジリアが翼を懸命にはためかして飛び去っていった。
「健気なものだ。目のない私と違い、可愛いあの子が今のお前を見たら狂ってしまうかもしれんな。お前の目で」
 惑わしの力と呼ぶセインの目が男の顔を見つめた。
 気配と森の力で世界を見るこの男にはまるで無意味だ。

「んァッ…、この、っ変態…!」
息を切らしながら吐き出されるセインの罵り言葉も。
笑いを浮かべる男には素通りで、むしろ逆効果でさえあった。





2015.01.04
新年早々、これでいいのかぁ〜?いいのだぁ(*ノωノ)!BLサイトだものぉ。
という事で、この話以降のセインは若干、破廉恥な服装…(バシッ)、では無いので期待できません(笑)。ちゃんとした効用(?)もあって、おそらく普通の素材に比べて防御力高いです(笑)。ついでに下に別の服着るので、ヘソが丸見え、お背中丸見え、とかそういうハシタナイ格好ではありません(ノд`@)残念ー!(笑)
    


 ***5『その、ヒ』***



「全く。本当に強引だ」
 足元の草を蹴りながら、乱暴に歩みを進めるセインが何度目か分からない言葉を吐き捨てた。それに賛同するようにジリアが周囲を飛び回る。
 セインの愚痴は止まる事を知らない。かれこれ1時間は続いていた。

 泉での一時はそれなりに効果があったようで足取りは先ほどよりも力強く、暗い道だというのに全くの迷いが無い。顔色も良くなっていた。
「色々用意して貰って感謝はしてるけど、」
 足元から頭まで全て用意された物なのだから、そう文句も言えない立場である。
 セインが破廉恥だと苦情を言ったことが奏したのか、中着も用意して靴から何までフルセットだ。その上どれも普通では手に入らないほど丈夫な素材で出来ていた。枝に服を引っ掛けても破れるという事は無く、そのお陰もあってか思った以上に早く森を抜ける事になりそうなくらいだ。
 有難さを自覚はしているものの、それとこれとは別問題である。
「大体、あれが持て成しの態度か?どう考えても違うよ。
…ジリアもそう思うだろ?!」
 枝を手で弾いて簡単に手折り、行く手で唸り声を上げる獣を追い払うように振った。飛び掛ろうとしたそれが、小さく身震いして横へと飛び退く。尾を巻いて暗闇へと去っていくのを見向きもしない。

 そんな出来事さえ眼中に無く、
「え…?ランゼットが来るって?」
ジリアの報告を聞いて頬を膨らませた。
「しばらく一人で放浪してろって伝えてよ。あいつが来ると色々面倒なんだ。世話してくれるのは楽だけど、小言が煩すぎて大いに楽しめないだろ?」
 肩にとまったジリアが、セインの耳をくすぐって同意を示す。
「そうなんだよ。本当に困った奴だ。ランゼットはいつまでも子どもなんだから…」
 言った後、唐突にジリアが飛び上がった。木々の間を抜け上空まで上がった後、再びセインの元へと戻ってくる。
 小さく囁いて、羽を休めるように洋服のフードの中へと潜り込んだ。
「…もうじき森を抜けるからそれまで寝るってどういう神経だ…。まったく。

 君もランゼットと変わらず子どもだよ」
 愚痴に返答は無い。
 どうやら本当に寝てしまったようで、僅かな暖かみを背中から感じるだけだった。
 深々と呆れの溜息を吐くセインの口元は笑みを浮かべたままだ。

 それからは黙々と、歩みを進めていった。



「ジリア、起きて。着くよ」
 歩き続けて3時間ほど経った頃だ。ジリアを起こすようにフードを揺り動かす。
 目の前に広がるのはあたり一面の茶色だ。あれほど深かった森は微塵もなく、草一つ生えていない岩肌がむき出しの地にいた。
 緩急のある山々が連なって行路を遮る。正しい道を知らなければこの山を越える事は出来ないだろう。緩やかな坂が続いていると思えば、突然それが絶壁へと変わる。その為の道具を持っているなら別にしても身軽な格好での山越えはまず不可能である。
 また時期によっては木すら生えていないこの岩山では猛烈な日差しに晒される事になる。反対に寒い時期であれば激しい風と寒さに襲われ、山越えの攻略には余程の時間を要するだろう。

 フードから顔を出したジリアが小さく震えた。
 森の深々とした気配から一転して、そこは寒々とした無機質な場所だった。
「いい時期だね。時刻も丁度いいから朝日が拝めるよ」
 観光するかのように明るく言うセインだ。事実、彼にしてみればそのままなのだからその通りなのだろう。

 目の前に広がる坂道ではなく右に迂回してから山道を登っていった。途中で分岐する小山をよじ登り、再び緩い坂道へと出る。幾度かそれを繰り返して、今度は切り立った岩山に辿り着いた。
 僅かな出っ張りに足を掛けて、横へと移りながら断崖絶壁を上へと登っていく。
「ランゼットはまだ諦めてないの?しつこいなぁ…」
 筋力がそれ程あるようには見えないセインだが、息一つ乱さず軽い動作で次から次へと足場に移っていく。ジリアと会話しながらの動作は、まるで歩いているのと変わらない程いつも通りだ。
「ほんとにいつまでも雛なんだから」
 フードに潜ったまま話しかけてくるジリアに呆れた言葉を返す。
「僕がどこにいるとか伝えてないよね?」
チチチと背中から短く鳴くのを聞いて、セインが安堵の溜息を付く。
「僕から連絡するから羽伸ばししてろって言っておいてよ。
 ランゼットのあの心配性は治した方がいいと思わない?」
 一瞬の間が空いた。
 それはジリア自身がセインをやたらと心配する方だからだろう。


 心配する必要が無い事も勿論分かっていた。
 それでもセインにはそうさせる、ある種の才能があった。


「なるほど…。君も僕が子どものように思える訳か。僕より遥かに子どもなのに」
 すぐに沈黙の意味を察したセインの言葉に棘が混じり、声の質が僅かに下がる。

 切り立った崖を登りきったセインが大きく息を吸ってゆっくりと吐き出した。
 月明かりに照らされた平地は見通しが良く澄み切った空気が漂っていた。息を吸えば新鮮な空気が喉の奥を通り抜け体の隅々まで染み渡っていくような錯覚を呼び起こす。
「僕は結構ここが好きだ。人間の街を一望できてまるで空を飛んでいるような気さえする」
 切り立った崖に立ってこれから目指すバラスを見つめたまま囁く。灯りで煌く街の光はまだ遥か遠くのように見えた。
 眼下を見つめたまま、
「昼にでも付けばいいね」
同じように街を見つめるジリアに囁く。
 ジリアが短く鳴いて羽ばたき、セインの周りをくるりと周回して再び肩へと降り立つ。それを大人しく聴いていたセインの眼差しが一気に鋭くなった。
「そういう事を言うわけだ…。

 君を猛烈に苛めたくなってきたね。さっきの比じゃない程に」
 セインの機嫌が予想以上に悪い。

 思わず弁解するジリアだ。首を何度も突いて囀りを零す。
 
 それを冷笑を浮かべたまま聞き流したセインが、
「僕は別に怒ってない。君が僕を唆したんだからな」
そう呟いた。
 セインが言わんとする事が分からない。問い掛けるように首を伸ばしてセインを窺い見る。
「確かに君は飛べるからここから一直線に街を目指せばあっという間だろう。でもね、迂回ルートを選んでいるのは僕が飛べないからじゃない。ジリア、君の為だよ」

 本来なら。
 その平地から続く道を昇り降りしながら山を越えていくべきである。


 薄らと邪悪な笑みを浮かべたセインが次に取った行動は本当にジリアの肝を冷やすものだった。叫び声すら出ずセインのフードに絡みついたジリアを物凄い風圧が襲い掛かる。彼女が飛ばされずに済んだのは一重にフードの中にいたからだ。

 何の前触れも無く、まるで道を歩くように崖から飛び降りたセインは小さく笑ったままだった。
 登った以上の高さから遥か下を目掛けて物凄い速さで落ちていく。途中に突き出す岩石を諸共せず、むしろそれはセインに触れる前に粉々に砕け散って進路の妨害にすらならなかった。
 数百メートルをあっという間の早さで落下し剥き出しの地面が目前へと迫りくる。
 足が硬い地面に触れる前に、セインの周りを囲むように現れた障壁が地面を抉り取りながら全ての衝撃を吸収した。
 ふわりと、柔らかなクッションの上に足を置いたように静かに地面に着地する。
 当然の事ながら、それが人間であったなら確実に死んでいただろう。

「楽しかっただろ?大分近道になったよ」
 フードに手を突っ込んでジリアを両手で包み込む。小さく震えるジリアを抱き締めて、いつになく優しく包み込んだ。
「冗談が過ぎたかな。これに懲りて僕を子ども扱いしないように」
 ぽっかりと穴の空いた地面から軽くジャンプして抜け出したセインが睦言を囁くようにそう忠告した。 
 涙ながらに訴えるジリアを抱き締めたまま、
「はいはい。僕が悪かったよ」
 反省など微塵もしてない軽い謝罪を返す。
 
 緩やかな坂道を下りながら、後は長閑な道を抜けるだけだった。
 囀り続けるジリアの声は半分もセインの耳に届いてはいない。
「うん、そうだね」
 空返事をしながら目前まで来たバラスに心を奪われていた。
 特にやりたい事がある訳でもなく、バラスに行くのが初めてな訳でもない。それなのに逸る鼓動は抑えられず、セインの足取りが知らず速くなる。

 胸に抱かれたままのジリアにもそれは伝わっていた。



 全面一色だった岩肌に緑色が混じり始める。
 それからしばらくして轍の付いた一本道に辿り着いた時、
「僕は自分が思う以上に人間が好きなのかな」
ぽつりと零した。
「人間の国に来たんだと思うと何だか嬉しいね」
 手の中で大人しくなっていたジリアを見つめて話しかけた。
 

 セインの髪はいつもと異なり黒髪に変化していた。
 ジリアの見ている目の前でセインの容姿に変化が生じていく。

 白く美しい肌から、褐色の肌へ。
 その目もやんちゃで無邪気な色を浮かべる甘い茶色から闇を思わせる漆黒の黒へと変わる。

 長めの髪を耳に掛けて不敵に笑えば、造形は同じだというのにまるで別人のようだった。
「中々似合うだろ?今日から僕はバラスの民族だ。知り合いに会うと面倒くさいしね」
 ジリアが渋るように手の平を突いて身を震わせる。抗議するジリアを無視して、斜め分けの前髪を上へ掻きあげた。
 気障な動作で流し目を送り、
「あんまり煩いと焼き鳥にするぞ」
男っぽい言葉で脅してジリアを更に怒らせる。
 美しい鳴き声を聞きながら轍に沿って歩くセインは先程の態度とは間逆に上機嫌そのものだ。
 特に魔族だと疑われる事もなく無事バラスに入国する。
 


 後々、その日の事を何度も思い返す事になるとはまだ思いもしない。
 セインがこの選択を後悔する事になるのは、それから僅か1年後の事であった。





2015.01.26
すみません、ちょっと色々あって間が空いてしまって申し訳ない…。
そして次回は何を書くか全く未定だったりしてorz。セインの続きを書く予定ではありますが、どの時系列か、もしくは全然違う物書いてるかもしれないです(笑)。
そう、もうじき拍手が記念すべき回数なので、何か要望募集するかもしれないです(^▽^)ノその時には是非!(笑)
拍手、訪問、本当にありがとうございます(* v v)。
    


 新しい始まり完