【創世編,流血多,イリアス】

 ***1***


 「お前が…新しい王だと言うのか?」
跪いて恭しく頭を垂れる男に疑いの目を向けて再度訊ねる。周りを囲む家臣も同様の面持ちで顔を伏せたままの男を見つめていた。
「はい。新しく魔国を支配する事になりましたセインと申します。一度、直接お会いしてご挨拶をした方が宜しいかと思い参上した次第です」
柔らかな声と静かな口調はとても魔族のモノとは思えない。そして何よりも彼らを驚かしたのはその丁寧な口調であった。


「それで、…停戦したいと言うのか。勝手な、そんな話を何の見返りもなく飲み込めと言っている訳か?」
低い声が威嚇するように僅かに荒くなった。
猛禽類のように鋭く尖った目が、頭を下げたまま顔を上げない男の姿を観察する。
その鋭くも冷静な眼差しに家臣たちが震え上がった。

リーン国の王は40代半ばの男で何度となく戦場の前線に立ってきた勇敢な男だった。玉座にどっしりと座り落ち着いた雰囲気で相手の一方的な要求を批難する。
座っていても分かる長身と筋肉隆々の男が睨めば、普通の人間ならばたちまち逃げ出すだろう。
その屈強な見た目と明晰な頭脳は誰もが一目置く存在であった。周辺国ですら敬意を払って彼には接する。それだけの魅力と力がリーン国の王には備わっていた。

「それが双方に取って一番良い形かと思います。それともあなたはこれ以上の殺し合いをお望みですか?」
頭を垂れていた男がふと顔を上げる。
両目を布で隠した得体の知れない男が、敢えて口にした『殺し合い』という言葉を真に受けるのは愚かな人間のすることであろう。

相手は魔族なのである。魔族は平然と嘘を吐き、平然と裏切る生き物だ。
一方的に虐殺していようが『殺し合い』と口にし、まるで平和を愛すかのように振舞う。
ましてや停戦が守られる保障などどこにもない。

「証を見せてもらわねば考える余地すら無かろう。『殺し合い』という言葉には同意するが、魔国の弱体化が激しい今こそ潰し時だろう?」
はっきりと魔国が討伐対象である事を告げた王は、それだけ自分の国の軍事力に自信があった。またそれは如何なる時であろうと魔族に屈しないという意思表示でもあった。

言われた男の口角が僅かにあがる。
しばらくの沈黙の後、
「望むことなら何でもしてみせましょう」
あっさりと意外な言葉を口にした。

返答を聞いてどよめくのは周りの人々だ。
単身でリーン国に乗り込み、恭しく人間に頭を下げただけでも魔族として異質である。
それだけでなく、あくまで下手に出て何でもいう事を聞くとまで言ってのけたのだから彼らの混乱も深かった。

その潔さは逆に罠ではないかという警戒心へと結びついた。
皆が国王の次の言葉を見守る。
沈黙のまま、数分が過ぎたかもしれない。
王がゆっくりと口を開いた。

「望むことが私の納得という意味ならば、要求はいくつかある。まず得体の知れないお前の能力を包み隠さず全て話してもらおうか。前王をどうやって殺したのか、どういう意図で停戦を望むのか、対等な話し合いはそれからだ」
至極冷静な言葉だった。いきなり無理難題を突き付ける訳でもなく『対等な関係』を着地点に据えた王の言葉は彼の胸を大きく揺さぶった。

「それが望みならそうしましょう」
言いながら目を隠す布を解いていく。瞳を瞑ったまま膝立ちになった。


見た目は普通の人間そのものだ。
体格も身長も髪色も、至って普通の人間だ。
彼が魔族だと思えない理由はただ一つ、その見た目にある。
優男風の彼から魔族の威圧感は皆無だ。

その彼がゆっくりと瞳を開いていく。
最初、居合わせた者は彼の目が赤色かと錯覚した。
だがそれはすぐに間違いだと気が付いた。
城内の煌びやかな装飾の輝きが彼の瞳に反射して瞬く間に色を変えていく。
まるで白い宝石を光に当てた時のように甘く、鋭く、魅惑的な輝きを放った。


それを認識した途端、王を守るように立っていた何十もの兵たちがぐらりと傾ぎ立っていられなくなった。
そればかりか家臣たちでさえふらつくのを見て、王の眉間に皺が寄る。

二人の距離は決して近くは無い。
それでも、即座に脇にある大剣に手を伸ばし防御の構えを取った。
聖者が印を張って王の前に立ち塞がり、万が一の事態に備える。

「本気を出せばもっといけます。僕の中ではまだ3割程度でしょう。
申し訳ない事ですがこの力を完全に制御することは出来ません」
セインが苦い笑いを零して開いていた目を一度閉じる。
再び開いた時には先ほどのような衝撃はなく、軽い眩暈がする程度だった。

「僕自身、この力の正体はよく分かりません。対人間用の『惑わしの力』と僕は呼んでます」
説明する声に諦めが混じった。

その声音の変化も彼らの耳を素通りしていく。
人々の目を惹き付けるのは情事の最中かのように濡れた甘い瞳で、それが瞬きの度に気配を変えていく不思議さだった。
その異質な目に釘付けにならない人間はいないだろう。
そしてその呼び名の通り、惑わされる結果に陥る。

極上の宝石を埋め込んだような目は、いきなり見るには毒があり過ぎた。
兵士の一人がふらりと隊列を崩す。
それに気が付いたセインが再び布で目を覆えば、その場の異常は何も無かったようにすぐ回復した。

「その力でどうやって前王を殺す?対人間用ということは魔族にはあまり利かないのだろう?」
兵たちが動揺する中、大きな変化を示さなかった王の精神力は並ではない。そうでなければ大国の王はやっていけないだろう。

問われて即座に否定して笑った。
「魔族なら誰でも知っていることがあります。魔族の強さを決める最大のポイントは何かを」
言葉を切って、反応を待つ。
僅かにざわめくのを聞いて再び小さく笑った。
「障壁ですよ。自分を守る壁みたいなものです。魔族なら誰でも障壁を持つ。その強さが最終的に魔族の強さを決定付けるのです。
僕には絶対の守りがあり、それは最大の攻撃にもなります。前王より僕の方が僅かに障壁が強かったのでしょう。」
つらりと答えて周囲を驚愕させたのは言うまでもない。
返答になっているのか、なってすらいないのか。
人間には持ち得ないものを出されて説明された所で、何の理解も出来ない。

「…」
王が無言になるのもそれは当然のことであった。
そこに追い討ちを掛けるように、唐突に、セインが短刀を引き抜いて自身の二の腕を切りつけた。
赤い液体が溢れ磨き上げた床を汚していった。それを羽織っていた上衣で拭う。
傷付けた筈の腕を顔の前に掲げ、
「僕には高い治癒力があるので例え傷つけられても大した深手にもなりません。今あなたを守る兵が僕を殺そうとしてもそれは不可能だと思います」
恐ろしい警告を発して形だけの笑みを浮かべた。
「貴様ッ、愚弄する気かァ!」
隊を指揮する上隊統が持っていた槍の柄を床に打ち付け怒鳴った。金属音の鈍い音が静まり返ったフロアに響き渡る。それでもセインは小さく笑ったままだった。

リーン国の王はその笑みで、彼が人間に対し何の一欠けらも脅威に感じていない事を知った。
その気になれば人間との全面戦争もありえるだろう。
前王がそれをしないのはただ彼がそんな事に興味が無かっただけであり、前王にもそれだけの力は残っていた。
その彼を倒したというのだから目の前のこの優男もそれだけの力を持っているのは確実な事だ。
敢えて戦争でなく和平を申し込むと言うのだから、ここは素直に飲んでおいた方が利益が大きいようにも思えた。

「それで、一体何を叶えたいという?」
問う声は静かなものだった。
魔族が正直に答える訳も無い。分かりきった愚かな質問をしてしまう程には目の前にいる男に興味が沸いていたと言える。
見据える目に真剣な色が宿り、目を隠したままのセインの目を真っ直ぐに見つめた。


「魔族も人間も。謂われない恐怖から解放し虐げられる事のない平和な世界を叶えたいです」
淀みなく返ってきた言葉は、その内容に相応しく穏やかで優しさに溢れた声だった。


一瞬にしてざわめきが生まれる。

本気でそんな愚かな事を考えている者がいるのかと。
夢物語として思う者はいるかもしれない。だがそれを実現しようとする者はまずいない。
まして魔族の口から出た言葉とは到底思えない内容だった。
だがそれを茶化す事は誰一人しなかった。

静けさの中、
「それは不可能な事だ」
王の言葉が響く。
冷たく熱さえない声が変わらない調子ではっきりと告げた。

それは残酷であり、非情にも真実だった。
誰もが平和な世界などあり得はしない。
いつの時代でも人間は争い合う事で進歩してきた。
そして魔族はいつの時代でも人間と敵対しその存在を主張してきた。
特に魔族においては戦闘こそが本能であり、弱肉強食という自然の摂理の結果ともいえた。肉食種も多く同族同士の捕食関係も珍しいものではない。


そんな中で平和だけを抜き出し、求めることは現実をひっくり返してもあり得ないことであった。
「僕には可能だ」
そう断言した後すぐに、
「何て答えるほど僕も愚かじゃないですけどね」
ふっと笑いを零して付け加える。

隠された目が笑っているのかいないのか分からない。
だが。



王は彼のその望みが決して冗談ではないことを悟る。
恐らく。
本気の願いなのだ。


愚かなことに。
これが魔国の王であるこの男の本気の望みなのだ。



彼の小さな笑いが泣いているような気がして唐突にその想いに胸を打たれる。
何故そう思ったのかは分からない。
男の醸す雰囲気が、そう感じさせたのかもしれない。


「難しく考えることはない。魔族は長く人間と敵対関係に立ってきたから、この辺で一度親密になってみるのも悪くないと思ったまでです。よく考えて下さい」
そう言ってセインがふいに立ち上がり、深々とお辞儀をした。
「イリアス様ならきっと和平を結んでくれると信じています。僕の目に狂いは無い筈ですから」
名乗った覚えも無い名前を呼ばれ一方的な信頼を寄せた。


思わず息をするのを忘れて、セインを見つめる。
表現のしようのない衝撃を受けていた。


「そこまでの覚悟があるのか?」
王の低く唸るような声に、
「証を示すためなら何でもしてみせると言いました」
小さな笑みのまま答える。
何の恐れも抱いていない彼に、見守る人々が驚きの声を小さく発する。


彼には死の恐怖すら無いのか。
そもそも、そんな卑怯な真似はしないと思っているのか。
それほど。
王を、人間を信頼しようとしているのか。


混乱が深まっていく。
そして、救いを求めるように誰もがみな、王の次の言葉を待っていた。







2015.09.27
2へ続きます(´・ω・`;)。どこまで書こうかしらん…。リーン国王は立派な金髪!(*^▽^*)
金髪攻め、大好き!
攻め攻めはその後、戻る予定です!ちゃんと完結させます!ご安心を!





 *** 2 ***


王がした決断は酷く拍子抜けする内容であった。
もっともその戸惑いはセイン以上に周りを囲む人間たちの方が強いだろう。


王の要望は非常に簡単なことで1ヶ月間の滞在と、その間『人として生活すること』ただそれだけだった。
ただし、大きな首輪付きであったが。


じゃらりとした重みが肩に掛かる。
光沢を放つ天然石が贅沢に使われたその首飾りは冷たい感触をもたらすだけでなく、特殊な力を持っていた。その技術力に内心、舌を巻くセインだ。
指で滑らかな石の表面を撫でて、感触を確認するように強く擦る。

セインの力が完全に封じられるということはあり得ないが、それでも随分と強力な圧力で締め付けられている感覚を齎した。いつものような体の軽さもなく手が常に痺れたような感覚を伴う。
人間の対魔力技術は思った以上に早い速度で開発されているようで、王が『人として生活する』という言葉を使ったのも納得の技術力だった。
「凄いな…」
天晴れというべきか、思わず感心せずにはいられない。

これならば、どんな魔族でさえ能力を封じることが出来るのではないだろうか。
すべての魔族に同じことをすれば、人も魔族を認める世界がくるのかと思案して、すぐに愚かな考えだと首を振った。
「こんなもので平和が買えるわけもない」
第一、これだけの物を作るには相当の時間と労力、そして金が掛かる。
それに加え、セインが自らその首飾りを受け入れたのでなければ、そもそも首に掛けることすら出来ない。その上、自分の意思で自由に外せるのだから、その技術力は相当のものだが実用的ではないと言えた。


「お気に召されましたか?」
一人の男がノックも無く部屋へと入って、窓辺に腰掛けるセインにそう訊ねた。
「えぇ。眺めが美しくて過ごしやすい部屋をありがとうございます」
開けたままの窓から柔らかな風がセインの髪を撫でていく。開いた瞳がやってきた男を真っ直ぐに見つめた。
「客人として迎え入れる、これはイリアス様からの言付なので我々もそれに従うまでです」
手に提げていた籠をテーブルの上に置く。薄い布が掛けられた中には色とりどりのフルーツが盛られていた。
「毒は入っていません。ご安心を」
指で赤い実を撫で爪を立てる。丁寧な口調で笑顔のまま、柔らかな肌に刃を突き立て、消えることのない跡をくっきりと付けた。
それが魔族の行く末だと暗示して、立てた親指を離した。


あからさまな挑発を受けて、セインに顔に笑みが浮かぶ。
出窓から降りてそのまま男の目の前まで歩み寄った。セインより上にある目と視線を合わせたまま、傷付けられた果実を手に取り口にする。
跡の付いた肌に舌を当て見せ付けるように歯を突き立て、噛み切った。
茶色の目が男をジッと見つめたまま咀嚼する。零れる汁を舐めとって嚥下した。
「僕に毒は利かない。例えこんな物が首に付いていようと」
指で首飾りを掬って音を立てる。
もう一度口を付けて、今度は豪快に食べた。中心に残った種を手の平で握りつぶして、
「ご馳走様。大層美味でした」
男に笑みを向ける。

意外な事に、鋭い目付きでそれを見つめていた男がセインの食べっぷりを見て視線を和らげた。
「毒なんて入っていませんよ。滞在中はごゆっくりお過ごし下さい」
つと、セインの目に人差し指を立て、
「それなら、誰も魔族だとは思いもしないでしょう」
茶色の目をじっと見た後すぐに視線を外した。
「意外な拾い物ですよ」
セインが一度、大きく目を開いてから眇め、視線を外した男の顎を掴み自分へ向かせる。
「僕はこの忌々しい目で非常に不便な思いを強いられてきた。逆にこの技術には感謝していますよ」
指で首元を弄んで満面の笑顔を向けた。
「…大した、男だ。汚した床は掃除しておいて下さい」
そう言って背を向けた彼に、僅かな笑みが浮かぶ。
それを見逃さないセインだ。


少しずつで構わない。
ほんの一歩でも前進すればそれで良しだった。時間は沢山あるのだから。



*****************************************



男が言うように。
街に出ても何の違和感も無く受け入れられた。
いや、違和感無くは少し語弊がある。見知らぬ他人に突然声を掛けられて受け入れる人間の方が稀で、陽気に声を掛けてきたセインを遠巻きにそそくさと逃げていった。
それでも、それがセインにとっては非常に新鮮で真新しい経験になる。

今まで目を隠し盲目の振りで接したことはあっても、素顔を晒すことはほとんど無い。中には受け入れてくれる人もいるが、多くが恐怖に脅え殺意の目を向けた。
外見など、どうでもいいはずなのに目一つでこれだけ人の態度は違うのだ。それが不思議でもあった。魔族に生まれれば見た目など気にもならない。色々な種がいて当然であり、知能の違いはあっても皆同じ種族に変わりは無いのだ。

だが。やはりそこは魔族たる所以なのだろう。
目が異質なだけで人々を恐怖に突き落とす、それだけの事を過去にしてきたのである。それを棚上げして怖がらないで欲しいと願うのは虫が良すぎる話だ。
ただそれと同じように、人間もまた多くの魔族を殺してきた。だから対立が激化する。

「人を恐れる魔族もいるだろうに…。何故それが人間には分からないのか…」
ポツリと一人ごちる。
首にぶら下がる豪勢な飾りを一撫でして、街の一角にある店へと入っていった。

「クソガキがっ!服が汚れたじゃねぇかっ!弁償しろやッ!」
木製の扉を開けた途端に、セインの耳に怒鳴り声が飛び込んでくる。それと同時に小さな体がどすんと音を立てて床に転がった。間髪入れずに大の男が丸まった背中に蹴りを入れる。
あまりに突然の出来事に、固まったまま呆然とその事態を見つめてしまった。
周囲の客が脅えて遠巻きにその出来事を見て、声一つ立てない。

悲鳴すら上げず痛みに耐えていた少年が這い蹲って男に跪き許しを請うた。少年の懸命な謝罪を聞いていた男が下卑た笑いを浮かべ、床に付いた両手を踵で踏み付ける。更に地面に擦り付け、まるで靴底に付いたゴミを拭うように上下に動かした。
少年から声にならない悲鳴が上がる。
「何を、しておるんじゃッ!」
その悲痛な叫びに、一人の老人が杖を付きながら止めに入った。若い男もいるであろうに、口を噤んで誰も動こうとはしない。その老人の勇気も、
「けっ、しけた店だぜ。クソみてぇな奴しかいねぇ」
男にしてみれば、赤子同然だろう。
杖を足で蹴り、よろめいた所を腹めがけて殴り追い討ちを掛けるように蹴り飛ばした。
「ッ…ぐぇッ!」
無様な叫びを上げて吹っ飛んでいく様を仲間の2,3人が笑いながら眺めていた。
「格好わりぃな」

腰に短刀をぶらさげ獣の皮を羽織る。
彼らは人間の中でも性質が悪い部類だろう。山賊の類か、良からぬ部類なのは誰の目にも明らかだ。因縁をつけられた店に運が無かっただけの事であり、また死人が出ないだけでも幸いな出来事でもあった。

我が物の顔で店を滅茶苦茶にし、突っ立っているだけの店主の元へと行く。ナイフで彼の服を軽く裂いて、
「迷惑料だ。有り金を貰っていく」
下品な笑いで腰にぶら下がる袋を奪い取った。重みを確かめるように2、3度それを宙に放り投げて満足気に片笑いした。他にも標的が居ないか仲間が客の一人一人を値踏みするように見回す。
それから、ふと。

入り口に突っ立ったままのセインに気が付いた。
「盗った物を彼に返せ」
彼らの通り道を塞ぐように扉の前に立ったままだ。セインの言葉に彼らが顔を見回して大きく笑った。
「…随分と綺麗な兄ちゃんじゃねぇか。痛い目を見てもしらねぇぞ」
長いもさもさの髪の間から、恐らく魔族の牙で作られたピアスが見え隠れする。腕には蛇柄の腕輪がぶら下がり、まるで勲章のようにむき出しの二の腕には傷跡が残っていた。
その手がセインの頬をなぞり、唇、顎、そして首元へと降りた。
そうして首に掛かる、男が付けるにしては豪奢な首飾りを指で撫で、獲物を見つけたように舌舐めずりした。
「てめぇら、こっち来い。すげぇ代物だ」
男らが集まってセインを値踏みする。首飾りに視線を注いでいた男が、次いでセインの全身を嘗め回すように嫌な目付きで眺めた。

予想外の事態に巻き込まれている事に感謝すらするセインだ。
弱い者をいたぶり悦に入っている者など、人間だろうが魔族だろうが胸糞が悪いだけである。ましてや。
セインはこういう類の男が一番嫌いであった。男がセインに目を付けなくても懲らしめる気満々であったが、自分からやってくるとは好都合である。

そんな思いも知らずに、
「怖くて声も出ないってか?」
歪んだ笑いで嘲り、シャツの第一ボタンをナイフで飛ばした。
白い肌が露わになるにつれ、彼らの笑いに余裕が無くなり代わりに肉欲が入り混じる。
「に、逃げな…さい…」
しゃがれた老人の声が痛みに堪え、搾り出すように叫ぶ。
セインを取り囲む男の背中に小さな体がぶつかって、
「お兄さんっ、早くッ!」
少年が懸命に隙を作った。
男がぎらついた目で振り返り肘で彼を殴り飛ばそうとする、その瞬間。
セインの重たい平手が男の頬を殴った。
「ッ…!てぇ…」
体が傾いだだけで、男が倒れるという事は無い。

「…へぇ」
思わずセインから感心の声が挙がった。
浮かぶのは興味深そうな小さな笑みだ。それは男が立っている事に対してではなく。

イリアスがセインの首に嵌めた首飾りの威力に感心したのである。
通常であれば手加減したとはいえ、吹っ飛んでいっても可笑しくないレベルの力加減だ。それがただの『人間』のような平手打ちに終わったのだから、その凄さに驚く。

「お兄さんッ!」
気を取られるセインの耳に高い叫び声が届く。男がナイフを片手に飛び掛ってきていた。それを下から上に手を振り上げて叩き落とす。そのまま男の手首を取って捻り挙げた。
通常であれば成功するそれも、不発に終わる。

力が足りないのである。
圧倒的な力の差で捻り上げようとした手が上手く返せず、逆に手首を取られ木の扉に抑えつけられる羽目になった。
「この、クソがッ!」
セインの腹目掛けて男が膝蹴りを入れる。その衝撃は久しく感じたことが無いものだった。
「ぅン…ッ」
ずんと響く痛みに脳が覚醒し、セインの目が大きく開く。
思わぬ感覚に喜びを感じるセインは傍から見たら相当奇妙だっただろう。
「っ…なんだ、こいつ…」
蹴られたというのに目を見開いて笑みを浮かべる。それが気に障ったのか、別の男がセインの頬を叩いた。
「笑ってんじゃねぇっ!」
腰にしがみつく少年を弾き飛ばして、セインの髪を掴み扉に打ち付ける。腹を何度も殴り蹴り、暴行した。


そうして数分後。
彼らが息を切らして動きを止めると、静まり返った場にセインの小さな笑い声が響いた。
身を屈め耐えていたセインが小さく息を吸って、呼吸を整える。乱れた服を正し長い前髪を後ろに梳いた。それから、
「俺は人が好きだけど、君らみたいなのは虫唾が走るほど嫌いだ」
変わらぬ美しい声でそう宣言した。
憤る彼らが拳を振り上げるよりも先に手刀を放つ。先ほどよりも遥かに強く、そして目にも留まらぬ速さだった。呼吸する間すら与えず次の二手を隣の男に繰り出す。確実な一撃で人間の急所を突き、一切の抵抗さえ許さない。その急所を見抜く的確さは天性の才能でもあった。
彼らが倒れ伏すよりも前に三人目を倒し、無様に崩れる彼らを冷徹な目で見ろしていた。

呻く彼らの背中に足を乗せ片腕を取って捻り上げる。
「お前の利き手は右だろう?」
何の感情も宿らない声でそう言って。

「何、す…ッあああぁァア!」
まるで小枝を折るように、いとも簡単に腕をへし折った。
「て、てめぇッ!」
隣に蹲る男がギラついた目でセインを睨み飛び掛ろうとする、それも力が入らず立ち上がる事すら出来ずにただ握り拳を作るだけで終わった。
「何故かこういう連中は威勢だけはいい。それを良い行いに向ければいいのに…。本当に愚かなことだ」
奇妙な方を向く腕を見向きもせず立ち上がり、睨み付ける男の顎を靴先で上向かせた。
「たった一撃でこの様とはね。今度からは相手の力量を見て挑むべきだな」
助言ではなく嘲りだ。
冷笑を浮かべて、地面に這い蹲る彼の右肩に足を乗せた。
「や、やめ、ッろ…!」
その叫びを受けてもセインの動きに躊躇いはない。
「今まで痛ぶった人は数え切れないくらい居る筈だ。彼らも同じように『やめろ』と言った筈だよ」
そう言って、足に体重を乗せ力を篭める。

誰が見てもセインは本気だった。野蛮な彼らよりも、突如やってきた青年の冷徹さの方が遥かに不気味で怖い。見た目の涼し気な美貌とは裏腹の冷酷さは余計に彼らを震え上がらせた。
誰一人、止めに入る事が出来ない。

声を上げるのさえ憚れる中で、
「やめてっ!」
小さな体がセインの背中に飛び付いた。
「お願いっ!これ以上やめて!」
少年の悲痛な叫びはセインの動きを止めるには十分だ。


「『たかが』腕を折るだけだ。それでも辞めて欲しいと思うのか?殴られたのに?」
少年の唇を拭って、穢れない瞳を覗き込む。
「こんな酷い事はやめて!これ以上は無意味だよっ!」
セインの目を揺らぎ無い黒瞳が真っ直ぐに見つめ返し、そう答えた。セインの服を強く握って離そうとしない。その幼い少年の必死な姿に強い信念を感じてセインが小さく溜息を付く。
「…確かに無意味だね」
ついやり過ぎてしまうのは、自分が人間ではないからだろう。
少年の言葉に気付かされる。

殴られた体も、既に痛みは無い。
どんなに高度な技術をもってしても、セインの本来の能力を消し去ることは出来ないのだ。完全な『人』としての生活は土台からして無理な話であり、セインには到底理解できないことなのかもしれない。

「さっさと出て行くといい」
男の肩から足を降ろして、出口に顔を向ける。不安を取り除くように少年の柔らかな髪を撫でた。
「ッ…」
地面で呻く男が体を起こす。たった一撃だったというのに全身が痺れて動かないように緩慢な動きで震える足に力を入れ立ち上がった。
「てめぇ…っ、覚えて、ろ…ッ」
リーダー格の男が搾り出すように捨て台詞を吐く。茶色の目が男を一瞥しただけで何も返す言葉もない。そもそも眼中にすら無い。
それが男にも伝わって、歯が折れそうなほど激しい歯切りをした。
「ッ行くぞッ!」
掛け声を掛けて互いに支え合うようにし、彼らが去っていく。


扉が閉まり彼らがいなくなっても、店に明るさが戻るという事は無かった。皆そそくさと勘定をしその場を去っていく。
残った少年がセインに濡れタオルを渡して、
「ありがとう。僕はハイム。お兄さんは誰?この辺じゃ見かけない人だね」
明るい笑顔で声を掛けた。
「俺は、…セイン。しばらくリーン国に居る事にしたんだけど、あんな奴らがこの街には多いの?」
一瞬、驚きの表情をしたハイムがすぐに可笑しそうに笑った。
「どこだってそうでしょう?ここは首都なのだから色んな人が来て当然だよ」
「ハイム…、すまない」
二人の傍にやってきた壮年の男が弱々しい表情で少年に歩み寄って抱き締めた。
エプロンが油で汚れ、服は見るからに貧相な格好だ。何も出来ない己を嘆いていた。それでも目の前で息子が酷い目に合っても勇気の出ない男は父親失格なのかもしれない。そんな彼をハイムは暖かく迎え入れる。
「父さんが怪我したら、この店はどうなるの。僕は父さんが無事ならいいんだ。だから父さんは何もしなくていいんだよ」
満面の笑みで痛みなど何でもないように言って、父親の腹にしがみ付く。
痩せた体に疲労をこしらえて我が子を抱き締める彼を見て、セインは掛ける言葉を失っていた。


自分には父も母もいない。
子すら守れない父親の存在意義がセインには分からない。
それでも子を思う気持ちは本物なのだろう。

何故かそれが堪らなく愛おしくて、人であることへの強い憧れを抱く。
か弱いからこその情愛なのかもしれない。


その後、謝礼ということで色々とご馳走になった。セインが店を出たのは随分と後で、陽は既に沈んでいた。
扉を開けて外の空気を吸い込んでいると、一人の老人がセインに歩み寄ってくる。
いつから居たのか、彼がセインの姿を見つけてホッとしたように表情を和らげた。
「あの時、すぐに出て行こうと思えば出来ただろう?彼を救ってくれて…感謝しておる」
杖を地面に置き、恭しく頭を垂れた。突然の出来事に思わず目を見開いて、彼の行動に見入ってしまう。

最上礼を尽くして感謝を示す彼にそこまでされる理由が無い。
腕を引いて強引に立ち上がらせれば、
「見て見ぬ振りをしなかったそなたの行動は勇気ある行いだった」
嬉しそうに歯を見せて笑った。
「勇気があるのは、」
貴方だ。
その言葉が声にならず消えていく。


彼も自分が魔族だと知ったら手の平を返したように石を投げ、軽蔑するのだろう。
セインの行動は決して勇気のある行動ではない。
彼らに負けない絶対の自信があり、人間とは違って死なない確信があるからだ。

勇気がある訳ではない。
それでも彼は自分を人だと思っているから、そう感謝し褒め称えるのである。


どこまでいっても平行線のような。
そんな錯覚がして深い絶望感を抱きそうになる。

人と魔族は結局、交わることは出来ないのかもしれない。たった一つの些細な出来事でさえ、捉え方が大きく異なる結果となってしまう。


去っていく老人を見送って、重い足を無理やり引き剥がすように踵を返した。
「厄介な注文をしたな。リーン国の王ともなれば、このくらいはお見通しな訳か」
苦い想いを抱いて胸元を握り締めた。


『人として』
それが出来ていれば苦労などしない。
明確な境界線を突き付けられた気がして苛立ちを抱く。だが、セインの決意もそれだけの事で揺らぐほど甘くは無い。
握り拳を作って胸を叩く。それから大きく息を吸って、
「認めたくないなら、認めさせるまでだ」
更に硬い決意をしたように、強い一歩を踏み出した。





2015.11.02
少し優しげに…(?!どこが…)
若干、今暇なので、更新がんばってます(笑)。この頃のセインって結構好きだなぁ…。
そして恐らく3へ続く。…というか続かないと尻切れだよね(笑)。





 *** 3 ***

滞在は許されたセインだが、イリアスに会う機会は早々ない。かといって宛がわれた部屋に誰かが尋ねてくるということもなく、仮に来ても毎回嫌味を残して去っていく世話役の男くらいで、暇を持て余す形になっていた。

そのため、セインはハイムの店に行く機会も増えていた。
勿論、ハイムの店だけでなく城内や街を散策することもあるが、城内は極力出歩かないことにしていた。兵が疑念の目を向けてくることも理由だが、うろつく聖者が更に厄介で視線が合う度に殺意を向けてくる彼らを無闇に刺激することもない。


そうして街を出歩いていれば自然と顔見知りや知人も増えていく。
セインにしてみればそれほど珍しい事でもない。今までも身分を偽ってこうして人と交流を持つことはあった。ただ今回は相手の顔をしっかりと見る事が出来るという点が大きな収穫でもあり、楽しみの一つでもあった。


「お前ってどこかの寵姫なの?それ、いつもしてるけど」
十代の青年がセインの首飾りを見て、そう尋ねた。
昼時に手土産片手にやってきたセインを見て、建築途中の足場から颯爽と飛び降りた彼が籠から食べ物を取り出し、物凄い勢いで食事する。それから一息ついた頃にふと思い出したように尋ねた言葉は、他でも何度か訊かれた質問だった。
初めは戸惑っていたセインも今では決まった回答がある。
「亡き祖母の形見だよ。実の母を捜して旅してるんだ。これなら目立つだろ?」
首飾りを持ち上げて存在を主張する。単純な彼はウルウルとした目でセインを見つめ、
「…お前って、いい奴だなぁ」
感心したように言って次の瞬間には再びパンを籠から取った。
「な、いつもわりぃけど、これ貰っていいかな?」
2,3個小さなパンを掴んで布に包む。川辺で待つ兄弟に分け与えるのだという言葉をそのまま信じているセインだ。嘘だろうがセインには関係ない。彼が欲しいならあげるだけのことで、セイン自身は食べ物に困ってもいなかった。
「そう言うと思って、果物も持ってきたよ」
小さな黄色の実が籠の底に4,5個転がる。それを彼の手にばらまいて、籠を空にした。
「わりぃ…。こう言っちゃなんだけどさ、お前が寵姫のが俺は助かるよ。こうして食い物にありつけるしな」
率直な物言いに笑いが零れる。

「ハベーク!いつまでサボってんだッ!」
男の野太い声が彼を呼んだ。
「じゃ、またな」
包んだ食べ物を服の中に隠し慌しく去っていく。
手を振ってそれに答えながら、たった今言われた言葉を反芻した。
「寵姫ね…」
イリアスの厳つい顔を思い出して笑いを零す。
「ありえない」
ふっと笑って、セインもその場を後にした。



*****************************************


魔族は意外な場所に潜んでいることもある。
リーン国は大国であり、魔族が少ない大都市で有名であるが、それでも魔族がいないかといったらそうでもない。
時には魔族による惨殺死体が発見されることもあり、明らかに捕食されたような形跡が残っていることもあった。その為、兵による見回りもあり、彼らは常に魔族を警戒していた。
だが犯人が見つかることは少ない。獣と異なり知能の高い彼らはその分、隠れる能力も高かった。

だが魔族には魔族特有の気配があり、それを感じ取れるかはそれぞれだが、セインはよく鼻が利く方であった。特に獣に毛が生えた程度の魔族であれば気配を隠す能力も無く、すぐに分かる。
リーン国に滞在中、何もせず過ごすよりも彼らを見つけて対処する方が有意義である。
そうした考えに至ったセインは観光がてら街を歩きながら鼻を利かしていた。とはいえ、力を封じられている状態での感度は相当悪く、中々見つかるものでもない。それが逆にセインを燃え上がらせた。


「…へぇ」
道端を歩く、どこでも見かけるようなヒゲの長い小動物の背中を捕らえ、暴れる小さな体を抑え付ける。長い耳が左右に揺れキューキューと悲しげな声で叫んでもがいた。
「可愛いのに…」
手の中で暴れる獣の体に顔を近づけ、毛の薄い腹に鼻を付け匂いを嗅ぐ。

明確に分かる、血の匂いだ。
その匂いがただの動物のモノではないことは容易に推測できる。

キューキューと鳴くそれが唐突に小さな口を開けて噛み付こうとした。先ほどまでは無かった鋭い牙がガチガチと音を鳴らして獰猛な獣へと姿を変えていく。8本の犬歯と6本の指を持つ特徴的な姿だ。よく都会に出没するタイプの魔族で特に女や子どもが襲われやすく被害報告の多い種でもあった。
「悪い子だ」
セインの舌が腹を撫で毛を濡らす。腹部の柔らかな肌を甘噛みして、緩く力を篭めた。捕食する筈の、獣が。

捕食される。

その恐怖を感じて獣の鳴き声が一瞬で止まり、小さく震え出す。手の中の体がすぐに大人しくなって牙を仕舞った。

「もう人間を襲わないって約束できる?」
セインの舌が震える獣の体を舐めて小さな瞳に口付けを落とした。
「約束できるなら解放してあげる。人間が狩りやすいのは分かるよ。でも君なら他の生物でも生きていけるだろう?」
優しい問い掛けを大人しく聞いていた獣が小さく頷いて瞬きを返した。円らな瞳が涙で潤み、真摯な視線をセインに向ける。
「そう?信じるよ」
掴んでいた体を地面に降ろして呆気なく彼を解放した。戸惑いを宿した獣がセインをジッと見つめた後、一度牙を剥き出しにしてすぐに走り去っていった。暗闇へと消える後姿を見つめる茶色の目に落胆の色が浮かぶ。
「本質は変えられない…か」
唇を開いて舌に付いた毛を手の甲で拭った。汚れを払うように唇を何度も擦って上を向き大きな溜息を付く。
「…」
彼が人間を狩るのも分からなくも無い。魔国で同族を捕食することを考えればこちらの方が遥かに楽なことだ。それでも人間より狩りやすい生物がいて、擬態の体とはいえ十分腹を満たすことはできる。


彼らは物足りないだけなのだ。生物としてより大きな獲物を欲するのは当然の事ともいえる。結果として人間と対立しようがそんな事はどうでもいいことなのだ。

狩られる人間が弱すぎるせいなのか、頭を悩ませる事でもあった。一々首を突っ込んで彼らを駆逐する理由もない。彼らも生きているのだから、ある意味で仕方の無い事ではあった。

だからといって。
見て見ぬ振りも気持ちが悪いもので、犯人が分かっているのに野放しにするようなものである。
再び溜息を付いて踏み入れた道を更に進んでいった。

案の定というべきか、奥に進んでいくと女性の甲高い悲鳴がセインの耳に届いた。声の元へと駆け寄れば、若い女性が足から血を流して倒れている。周囲を見回しても人は無く、獣一匹すら見当たらなかった。
「大丈夫ですか?」
セインの呼び掛けに驚きの悲鳴を挙げて振り返り、相手が人間と知って緊張を解いた。
「何かに…、やられたみたい…」
視界から隠すようにふくらはぎを布で押さえて痛みに呻く。布があっという間に真っ赤に染まるのを見て青ざめていた。
「お願い…、聖者様のところへ、…連れて行って」
ポロポロと涙を零して救いを求める女性を放っておける訳も無い。大方、犯人は分かっているだけに自分の甘さに苛立ちを覚えていた。

セインを小馬鹿にするように。
一噛み、頂いたのだろう。

噛まれた傷跡は恐らく見るも無残な状態の筈だ。立ち上がることも出来ない彼女を宥めて背中におぶる。滴り落ちる血が悠長な時間など無いことをセインに知らせていた。
来た道を急いで引き返し、人気の溢れる大通りに出れば彼女が左方向を指差す。
「…まっすぐ行くと、聖教院がある…、ので行って頂けますか?」
動いてもいないのに痛みのあまり息を切らしてそうセインに頼む。

聖教院という言葉に回れ右したくなるセインだったが、こんな状態の女性を誰かに預けて去る訳にも行かない。街を行き交う人々も忙しそうにセインの横を通り過ぎていく。時折売り子が立ち止まって、気遣いの視線を投げてくるくらいだ。

「助かり、ます…」
小さな声で謝礼した彼女が唐突に意識を失った。
ずり落ちそうになる華奢な身体を背負いなおして目的地へと走った。


聖教院。
それは人間ならば誰もが知っている、ホレトス教の信仰の場である。一都市に一箇所以上設置されており、光の王国から派遣される高宗な聖者が必ず一人は在住している。それだけでなくその国の兵も数十人はそこで寝泊りし居住するよう義務付けられており、何か困ったことがあればすぐに対処できるよう配備された市民の為の施設である。
通常の人間であれば聖教院を毛嫌いする謂れは無く、仮に入りたがらないとしたらそれは魔族である疑惑が非常に高まるだろう。そのくらい人々にとっては馴染みがあり親しみのある施設だった。

たどり着いた施設に門は無い。
荘厳な建物でも無い。とはいえ、3階建ての横に広がる石造りの建物はそれなりの威圧感があり、古びた外観が余計にセインを圧迫した。街のど真ん中に突如出現するその大きさだ。圧倒されない方がおかしい。
塀のように植えられた樹木が建物の四方を囲み庭には花畑が広がる光景はどこぞかの貴族の屋敷に迷い込んだかのような気持ちにさせる。
開けっ放しの扉をくぐり、中へと足を踏み入れた。


実際のところ、セインが聖教院に足を入れたのは初めての体験であった。
ホレトス教の大本である光の王国とは極力距離を置いているセインだ。好き嫌い以前に関わりたくないという直感がある。魔族のことを心底嫌っている光の王国と関わって何の益があるというのか。
魔国の王となった今でも、その気持ちは変わっていない。
代替わりした旨の書簡は送っても、今後一切訪問する気もなかった。


それがこんな形で、無関係とはいえ光の王国の息が掛かった聖教院に足を踏み入れなければいけないとは、今までの信念は何だったのかと自分を罵倒したくなる。
とはいえ、人命は第一だろう。

近くにいた聖者を呼び、彼女を引き渡す。
そのまますぐに立ち去ろうとした所、
「お待ち下さい」
背中の裾を引かれて引き留められた。
「彼女が目を覚ました時、恩人がいないと悲しい想いをするでしょう。あなたも一度助けたのなら最後まで見守るべきです」
にっこりと爽やかな笑みで、無理やり自論を押し付けた。
「…僕は急いでて」
「あぁ、その首飾り。もしかして魔国からの客人ですか。皆様大騒ぎですよ」
セインの言葉を完全に無視してふっと手を伸ばす。それが首元へ届く前にセインが体を逸らした。
「…失礼な態度を取る方ですね。あなたは人間に対してそういう態度で接しているのですか?」
灰色の目が鋭く光り、露骨に避けたセインを軽蔑の色で見つめる。
「初対面でいきなり首を触ろうとする人の方が無礼でしょう?」
セインの返答は無視して彼女の傍らにしゃがみ込んだ。食われた足を覆っていた布を取り、両手を掲げる。口内で何かを呟き、懐から薄い紙を取り出して、空で文字を切って息を吹き込んだ。描かれた字が紙へと吸い込まれ赤く染まっていく。それを丸めて抉れた肉に押し付けた。
何度かそれを繰り返し、最後には傷口を細長い布で幾重にも巻き固定する。

全てが終わって彼が一息付く頃には、全身から疲労が漂い、汗だくの有様だった。
「見苦しい所をお見せしました。
処置が遅かったら彼女は死んでいたでしょう。魔族とはいえ人の命を助けたのだから礼を言います」
軽く会釈して右手を差し出す。その手を取ろうか迷って僅かな逡巡の後、自分も右手を出した。出した手が掴まれることなく、相手の手はそのまま首元へと移動する。
今度は甘んじて受け入れるセインだ。
「握手をしないのは失礼では無いんですか?」
セインの言葉に、
「あなたが先ほどした無礼な態度を返したまでです。それに私は握手を求めてはいない。手を出しただけだ」
首飾りを観察するように持ち上げて飾りである石を撫でた。それからくいっと引いてセインを引き寄せる。
「本当に魔族なのか疑問になりますね。王の仕掛けた盛大な悪戯みたいだ」
間近にセインを眺めて、顔の隅々までまじまじと確認した。
「…」
セインが放つ無言の批難などまるで意にも介せず、
「私はモノイと言います。ベルジーの聖教院を担当しております。何か魔族のことでお困りがありましたら、私をお尋ね下さい」
すっと離れて深々とお辞儀をした。

その変わり身の速さに呆気に取られるセインだ。
魔族を相手に、魔族でお困りとは何事だと言いたくなる。
それを懸命に我慢して無言を返せば、モノイと名乗った青年が嫌味な笑みを浮かべた。

「あぁ、失礼。あなたが魔族でしたね」
今、気が付いたように付け加えた。
パッと懐に手を入れて、セインに向かって唐突に粉を振り掛ける。空気中を舞う細かな粒子を吸い込み小さく咳き込んだ姿を見て、目を丸くした。
「…首飾りのせいか。ある程度の魔族であれば何らかの異変は生じるものだが、まるで人間そのもののような反応だ」
「僕で色々と試すのを止めて貰えますか?」
こほこほと咽せて、男に文句を零す。
何かの実験をするように反応を見ては感心する男に苛ついた態度を隠さずに見つめれば、モノイが益々興味深そうに目を広げた。
「…何なんですか?」
服に付く白い粉を叩いて問う。モノイがじっとセインを見つめたまま、納得がいかないように口を閉ざした。
セインの質問には答えずに意識を失ったままの女性の元にしゃがみ込む。細身の外観に似つかない筋力で彼女を横抱きし持ち上げた。
「帰りたいのなら、どうぞお帰りを。ただ先ほど言ったように一度手を貸したのなら最後までいてあげるのが優しさだと思いますよ。本当に急いでいるのなら留めませんが」
今度は真剣な眼差しで言った。
「…」
踵を返そうとして、ふと思い留まる。

自分が聖教院に居たくないと思うのは魔族だからだ。
人として生活しろといった王の言葉の通り、人間であれば聖教院という場所に何の抵抗も抱かないだろう。
それに。

確かに女性の容態が気になるというのもあった。聖者の男の態度を見る限りは安心していいのだろう。それは推測は出来るものの、実際に元気な姿を見ないことには落ち着かない。それだけでなく、犯人を知っているのにみすみす見逃したようなものなのだから、僅かながらの自責の念もあった。

セインの動向を待っていた彼の背中に付いていく。一瞥する目が小さく笑った気がして、珍しくも苛付くセインだった。





2015.11.20
ふー…。やや日が空きがちですみませぬ…。就職の方、なんとなく?めどが立ちそうです。多分…。
内定貰えそうな感じではあります(笑)。

さてさて。聖者の一人、登場ー(^▽^)。
なんだかんだと、セインも魔族なのでやや光の王国には抵抗感があります(笑)。
聖者との絡み…どうしましょうね(*^ー°)ふふ。





 *** 4 ***


彼女が目を覚ましたのは陽が沈んでからだった。

血の気の戻った顔がセインの顔を見て安堵の表情を浮かべ、弱々しい声で礼を言った。
すぐに起き上がろうとしてうめき声を上げて、再びベッドに沈み込む。
「無理をしない方がいいよ。今、聖者様を呼んでくるから」
安心させるように優しく言ったセインが立ち上がろうとした所で、肩に置いた手を唐突に掴まれ動きを止める。女性の華奢な手がセインの指を緩く引き、
「本当に…ありがとう」
はにかんだ笑みを浮かべた。

相手が何を求めているのかすぐに悟るセインだ。緩く絡まる指がほんのりと熱くなる。
彼女の不安を取り払うように、
「すぐに戻ってくるから、大丈夫」
微笑んで彼女の手をきゅっと握った。


セインの笑みに合わせて彼女の長い睫が揺れて笑む。
白い美貌に朱が走って華やかに気配を変えた。

一連の動きで、思わずどきりとするセインだ。
人間の女性と触れる機会はそう多くは無い。意図した訳でもないが、セインの交流は基本的には男の方が多く、ましてや人間の女性のようにか弱い存在を相手することは初めてのことかもしれない。

握った手を離すタイミングを逸して、意味も無く見詰め合う羽目になる。
相手の瞳に戸惑いが宿ったのを見て、慌てて指を解いた。

静かに扉を閉め回廊に出ると、閑散とした静けさが落ち着きを取り戻させる。
らしくない動揺を無かったことにして、モノイの元へと急いだ。

聖堂に着けば人々と聖杯を交わすモノイをすぐに発見した。彼の元へと近づいて目覚めた事を伝えれば、セインの顔を見つめていた男が何故か僅かに驚きの表情を浮かべた。
「すぐに行きます」
短く答える言葉は丁寧だ。柔和な表情を浮かべており、初めに対応した態度とはだいぶ違う。

様子を伺っていた人々をぐるりと見回して、持っていたグラスを一息で飲み干し軽く上へ掲げた。
「実りの日はやがて訪れます」
その言葉に合わせるように祈る人々に一言告げて、その場を後にする。


明るい光が差し込む回廊を並んで歩きながら、知らず足が急ぐセインだ。
その様子を横目に見た彼が、
「人間は珍しいものですか?」
面白そうに訊ねた。
「…別にそうでもないですよ」
下らない喋りには付き合うつもりもない。軽く視線を投げて素っ気無く答えれば男が意味有り気に相槌を打った。その反応に引っ掛かりを覚えて、彼に目を向ける。意図を問うようにじっと見つめれば嫌味の笑いを浮かべた。

「何が可笑しいんですか?」
僅かにトーンの下がったセインの声に気が付かなかった訳でもない。モノイがくすくすと笑いを零して、
「いえ、別に。あなたは大層綺麗な顔ですから、魔族でなければさぞかし好意を持たれるだろうと思いまして」
誤魔化しのような物言いで唐突にそう言った。


何故、この男はこうも神経を逆撫でするような言い方をするのか。
チリチリと焼けるような胸の痛みを感じて、セインの中に見えない炎が立つ。日ごろであれば感じることのない感情に自分でも驚くが、どうにも抑えられない苛立ちだ。
首飾りを指で一撫でして気持ちを抑え込む。

感情の起伏がいつも以上に激しいのは、魔族の力が多少なりとも封じられている影響かもしれない。頭の隅でそんなことを考えて、モノイの存在を思考から消した。
セインのそんな努力も虚しく、
「無闇に人の心を刺激しないようにお願いします。その顔じゃどんな言葉でも誑かしだ。
淫売じゃあるまいし」
中性的な声が落ち着きつつあったセインの思考を揺り動かし、モノイという存在でかき乱された。

「っ…!」
思わず。


相手の胸倉を掴んで壁に押し付けていた。
もしこれが常のセインであれば大惨事であっただろう。壁が破壊されずに済んだのは一重に首飾りのお陰であった。そのくらい激しい感情であり、モノイが避ける間すら与えない咄嗟の行動だった。

すぐに自分のした行為に驚き、モノイから飛び退いて距離を置く。胸倉を掴んだ手を抑えるように片手で握り締めて2,3度浅い呼吸を繰り返し、落ち着かせるように大きく息を吸い込んだ。
それから、
「すみません」
短い謝罪の言葉を搾り出すように吐き出した。


壁に背中を預けたままのモノイが冷静な目でセインを見つめる。
軽く咳をして一瞬、驚きの表情を浮かべはしたものの、特に何も感じていないような素振りで乱れた襟を正して、セインの元へと静かに歩み寄った。口内に広がる血の味を飲み込み、感じている痛みを微塵も悟らせない態度で、
「あなたはたった今、人を殺していた可能性がある事を自覚していますか?」
そう問うた。
怒りでもなく侮蔑でもない。彼に浮かぶのは真剣な色だ。
「そんなことで、人との和平を望む?笑わせないで貰いたい」
鷹の目のように鋭い目がセインを見据えて容赦のない言葉を吐く。

セインの心を深く切り裂き、楔のようにその言葉が突き刺さって脳裏を何度も巡っていった。


所詮、理想論だ。
そう突きつけられて、息が詰まる。


事実、その通りであった。
人であれば死ぬ可能性のある行為をしてしまったのだから。
自分の感情すら制御出来ないのであれば、語る資格すらないのではないか。

腕を掴む手が小刻みに震え、セインの嘆きを言葉以上に顕す。揺れ動く感情を制御するように、瞳を閉じてじっと動きを止めていた。
ようやく震えが収まる頃、顔を上げたセインには強い眼差しが宿っていた。


「貴方に酷い事をしてすまない。今ここで二度とこんな過ちは犯さないと誓う。
俺は確かに魔族として幼いし、感情の制御も出来ていない子どもだ。差別的な言葉を言われれば、人と同じように怒ったりもする。ただ…」
一度、言葉を切って静かに話しを聞くモノイの顔を見つめた。
「間違いを訂正しておく。
必要であれば、魔族であろうと人であろうと殺すよ。絶対の正義を振り翳す訳ではないが、人が常に正義だとは思っていない。俺は自分の理想の為なら、殺す事に躊躇いは無いという事を知っておいて欲しい」
先ほどのような揺らぎは無かった。

見詰め合ったまま、数瞬が過ぎる。
モノイがふと視線下げ考え込むように一点を見つめた。それから再びセインを見つめる。特に変化も動揺もない変わらない目だった。
「私の言い方が悪かったですね。謝ります。
魔族だと思うとつい言葉に棘が混じってしまう。私も聖人にはまだ程遠いという事でしょう」
真摯な目がセインを見つめたまま、ぶれる事すらなく謝罪した。


その態度があまりに予想外で、つい。
「身体を売って必死に生きてた少年がいたよ。そうしなきゃ生きられない人だって大勢いるだろう?」
人間に、言うつもりもないしょうもない昔話をしてしまう。沈み込んだ空気をかき消すように鼻で笑って、どうでもいいことだなと付け加えた。

「私が浅はかでした。傷つけてしまいすみません」
神妙な顔で素直に謝罪するモノイが奇妙で思わず見入ってしまう。
それに気が付いて、
「私だって自分が悪いと思えば謝りますよ。そんなに意外な事ですか?」
セインの目を覗き込むように歩み寄ってきた。

目の前まで来た男に、緩く首を振って答えた。
彼も一人の人間なのだ。血も涙もない冷血な男ではなく、強い意思で人々を守るために存在する立派な思想の男だった。嫌味の奥に隠されたその本質に気が付いて、モノイという男の存在がしっくりと型に嵌る。

そんなことを思っていると顎を唐突に掴まれ、瞳の奥まで覗き込まれた。
「不思議な色だ。まるで、…」
最後まで聞くこと無く、咄嗟に振り払う。軽い瞬きをして見詰め合っていた視線を切り替えた。そうしなければ良からぬ何かが起きそうな気がした。それだけでなく。

心の奥まで覗きこまれた気がして思わず身震いする。


セインが咄嗟にしたその態度に何の文句も返ってはこなかった。
「魔族が人として生きるのは大変でしょう。我々には理解できない苦労があるのかもしれないですね」

すっと背を向けて何も無かったように歩み始めた。
振り返る事も無く回廊を進む背中に黙って付いていく。


その後、彼女の部屋に辿り着くまで互いに一言も発することは無かった。





2015.12.03
何かラブラブになりそうな予感でやばいなぁ…。。。ヾ(・ω・`;)ノぁゎゎ
セイン、別に同性愛者じゃないです(笑)。BLサイトで何を言ってるんだって感じだけども…(笑)。
まぁ、この世界、同性でも別に…って感じの意識のが強いかなぁとは思うけど、
特にセインは魔族で、人間社会では生きてきてないからあまり物事こだわりない(笑)。
元がアレだし…同性でセックスしようが、だからなんだっていう…(^^;)。
とはいえ、率先してやろうとは思わないし、むしろやりたくないっていうスタンス(…なんだ、それ。汗)

あ。そうそう、私事なんですが、内定貰いました(^▽^)ノ
次の職場、実は前回比で更に+30分くらい(片道2時間弱?)となるので、更新がまたしても読めないです(笑)。
しかも仕事が今まで超楽だったんだけど今回はちょっと分からないので、
しばらくへばってるかもしれないです(≡ε≡;A)...ぐぅ…。

そういえば。BXBサーチ、閉鎖しちゃったんですね(‘・O・‘:)結構すきだったのになぁ。非常に残念…。




 *** 5 ***


彼女の名前はその美貌に相応しく、華やかで繊細な花の名前と同じであった。
長い黒髪が、些細な動きに合わせて流れるように肩から零れ落ちる。その一連の動作に見惚れていると、軽い咳払いが隣から聞こえた。
「あなたは本当に節操がない方だ」
モノイの短い揶揄も慣れたもので、ここにユーリアを運んでから1週間近く経っていた。

怪我した足から血がにじむことはあっても流れ出るということは既に無く、特に大きな後遺症も出ていない。順調に回復していく彼女に喜ぶと同時に、不思議な技術だと聖者の力に感心する。
そんな事を考えながら、剥き出しの白い足に自然と目がいった。

「もう2,3日もすれば自由に歩けそうだね」
セインの言葉に彼女が微笑む。そっと手の平を取って、
「お礼に、食事でもどうですか?もしご迷惑でなければ…」
はにかみながらそう誘った。ふっと合わさった視線がすぐに外される。セインの目が一瞬、モノイを見て再び彼女の黒目を見つめた。
満更でもなさそうな表情で、何故か言葉を選ぶように思案する。
躊躇いを宿す唇が薄く開いて言葉を発することなく閉じられた。

「はっきりしない態度ですね。女性からの誘いを断る男なんて見た事が無い。食事くらい行ったらどうですか?」
モノイの言葉に背中を押される。
「俺でいいなら喜んで」
彼女の手を取って迷いなど無かったように笑みを浮かべた。自分の大胆な言動に恥らったユーリアがセインの言葉を聞いて嬉しそうに下を向く。
その一瞬の隙にセインが何か言いたげにモノイをじっと見つめた。

『余計な事をするな』
視線の鋭さがそう告げる。

何が気に入らなかったのかモノイには分からない。だがその真剣さをからかう必要も無く素直に頷いてセインの言葉に答えた。

モノイに見せた鋭さを微塵も感じさせずに、柔らかな雰囲気をまとったセインがユーリアの髪を優しく梳いた。それは特に女性だけに見せる姿で無いことを既にモノイは知っている。とはいえ、これだけの美男にそうされれば勘違いしても当然だろう。
一々行動を咎める気はさすがに無いが、人間が小動物を愛でるのと同じような感覚なのだろうかと疑問を覚える行動でもあった。セインの思惑が分からずに思わず視線を送ってしまう。

不躾に見たつもりもなかったが、視線に気が付いたセインから返ってきた眼差しはやや険の混じったもので、無言の批難を食らう。
内心でやれやれと呆れつつ、視線を外して部屋を出て行った。

二人っきりになった所で疚しい何かが起こる訳でもない。
仮に何かが起ころうとモノイには関係の無い事でもあり、またセインがユーリアに危害を加えるつもりもない事は分かっていた。
「魔族と人間か」
二人が恋人同士にでもなったらそれはそれで新たな扉が開けたようで面白い事件ではあるが、あまり喜ばしい事でもない。素直にその関係性を認められるかといったら、どちらかといえば嫌悪の方が先に立つだろう。
その理由をモノイは十分把握していた。魔族に対する根っからの否定が拭えずにいる。セインという男に多少の好感は持てても、人間の世界にずかずかと魔族が入ってくることはやはり好ましい事ではなかった。


「さっさとこんな期間、終わればいい」
扉一枚挟んだ向こうにいる男に、聞こえる訳もない愚痴をぽつりと零す。
王の定めた1月が過ぎた後、彼はどうするのだろうか。
こんなことをした所で一体何が掴めるというのか、イリアスの考えている事が分からずにいた。それは彼の側近も同じであろう。

たかが魔族だ。
知りたいことなぞ何もありはしない。

扉に寄り掛かったまま、近い将来、王の回答を聞いて意気消沈するであろうセインを脳裏に描く。特に何の感情も沸いては来ず、しばらく虚空を見つめたままそうしていた。

それから唐突に身を起こし、その場を後にする。
考えても仕方の無い事を頭から完全に消し去って、聖堂で待っているであろう信者の下へと急ぐのだった。



*****************************************



ユーリアの笑顔はセインの胸を暖かくし、幸福感をもたらすものだった。はにかんだ笑みや優しい空気は昔知り合った彼によく似ていて、失くしてしまったモノを思い出す。
それと同時に。


愚かな自分の過ちに激しい罪悪感もよみがえるのだった。
「あのタイプは苦手だな」
自分の心に嘘をつく。言葉に出せばそれが真実になるのではないかという甘い期待も虚しく、胸の内はざわりと波立ち、苦い感情を宿した。
首元にぶら下がる飾りを指ですくう。

これを付けてからというもの、感情の制御が上手く出来ずにいた。魔族である自分が日頃いかに感情に乏しかったか思い知るくらいには想いを持て余していた。
魔族であるという事はそういう事なのだろうかと思って、人との違いを再確認する。


それとも。


人としての生が終わったあの時に、感情も一緒に捨ててしまっただけなのだろうかと自問した。



「馬鹿らしい…」
寒い訳でもないのに二の腕を摩って、首を緩く振った。城へ戻ろうかと思い、立ち止まっていた足を前進させようとして、ふと一筋の風が耳の横を通り過ぎていった。
後ろを振り返ろうとして。


突如。
大きな爆発音と共に悲鳴が響き渡った。
それと全く同時に災害を知らせる鐘が、けたたましい音で喧騒とした街中に警告を発する。

賑やかで平穏な街が一変し、悲鳴が上がった方向から人々が一斉に流れ込むように逃げてきた。そちらを見つめたまま突っ立っているセインの肩に誰かが激しくぶつかりながら逃げていく。


黒い煙が上がり、崩壊していく建物の合間に。


毛むくじゃらの獣が、姿を現した。
「魔族だッ!!あんたも逃げろっ!」
駆け寄ってセインの両肩を掴んだ男が叫ぶ。女子供が悲鳴を挙げながら横を駆けていくのを見て、ようやくセインも事態を察した。


こんな街中で、擬態していた魔族がよく姿を現したものだと逆に感心する。
その正体を知りたくなって、人々が逃げる方向とは逆に駆けて行った。ぶつかりそうになる人々を巧みに避け目的の場所へと辿り着けば、そこには既に先客がいて幾人かの兵が獣の周囲を取り囲んでいた。
石造りの家が破壊され、所々で火の手が上がる。平穏だった街の一帯は瓦礫の山となっていた。

何かに怒っている獣が太い尻尾を振り回し瓦礫を吹き飛ばす。地割れしそうな音を立てて毛むくじゃらな足を地面に叩き付けた。
そして大きな口を開き牙を剥き出しにして、咆哮を発した。それと同時に耳をつんざく音が居合わせた彼らを襲う。その激しさに立っていられなくなったのはセインとて例外ではなかった。鋭い音は形を保っていた家を破壊し粉々に吹き飛ばすほどの威力だ。
両耳を塞いで血反吐を吐く彼らに命があることの方が予想外なことであり、セインを驚かせた。

一先ず、この獣をどうにかする必要があるだろう。

付いた膝を起こして立ち上がる。
実際の所、首飾りをした状態でどこまで力が出せるのか分かってはいなかった。
ただ。
どうしても、そうしなければいけない。首飾りを外す事無く。『人間として』これをどうにかしなければ、この先の和平など絶対にあり得はしない。


「動ける者は退け!」
蹲ったまま立ち上がることの出来ない彼らから剣を抜き取って、瓦礫の山で暴れる獣に向かっていく。こちらに気が付いた獣が再度咆哮しようと口を開く前に、その横っ腹目掛けて飛び込んだ。


「ッつ…ぅ…!」
金属のぶつかり合う音と指先から前腕を襲う痺れが目算の甘さを知らしめる。
鋼のように頑丈な体表は硬く刃物すら通らず、素肌を覆うように生え揃った剛毛に剣を滑らせただけだった。
小さな虫でも払うように大きく盛り上がった毛むくじゃらの腕を振り回す。それを避けようとして、思い留まるセインだ。咆哮だけであれだけの威力なのだから、腕を振り回した風圧もそれなりのものだろう。
後ろで蹲り、もがき苦しむ人間の存在を思い出して、動けなくなった。

めきめきと音を立てて、太い腕が腹に刺さる。
「っく…ァッ!」
1秒にも満たないような動作がゆっくりと視界に映り、突き刺さるような鈍く重い痛みが長く続いた。

セインが思う以上に獣の力が強い。
首飾りさえしてなければ大した事が無いような怪我も治りが鈍くなっている。日頃は遮断されている痛覚も鋭く脳を揺さぶった。


人の身体はこんなに柔らかく、痛みに弱いのかと。
こないだの喧嘩の比ではない鈍痛を受けて声に鳴らない悲鳴をあげた。
そのまま後ろに弾き飛ばされ、崩れた家の外壁に背中からぶつかり崩れ落ちる。


その直後。
二度目の咆哮が鳴った。


それを直撃して思考が途切れ、一瞬の空白が開く。
「っ…は、ぁ、…ッぁ」
咳き込みと共に大量の血が溢れ出て、それが予想外でどこか呆然とそれを見つめていた。意識が朦朧として霞が強くなっていく。


それでも。
不思議と死の恐怖は全く無い。
どうしたものかと空ろに考えていると、
「…げろ…」
小さなうめき声が遠い耳に届いた。

ふっと。
視界がクリアになるセインだ。


「…逃げろ。俺が食い止める隙に、…行、け」
血をだらだらと垂らしながら力の入らない足で立ち上がった兵がそう言った。
胸に幾つもの勲章が光り、彼が隊長である事を知る。剣を引き抜き、自分よりも遥かに大きく圧倒的な強さを見せる獣に向き合って、セインを気遣った。
それを見て、胸が熱くなるセインだ。


立っている人間は彼一人で、辺りは死体だらけだった。
二度目の咆哮で全員、耐えられなかったのだろう。




和平がとか。
そういう問題ではないのかもしれない。
首飾りを外す決意をして、首元へ手を伸ばす。


その時。


唐突に、獣が白く発光してセインの動きを止めた。
突然のことに驚いたのはセインだけではない。獣が見えない紐でも外そうともがくように手を振り回す。
どこから現れたのか、彼の頭上に白い一角の大きな水生生物が身をくねらせ空を舞っていた。薄青に輝く滑りとした肌から光溢れる液体が零れ、暴れる獣を濡らしていく。
「害なす獣は浄化されよ」
聞き覚えのある澄んだ声が、絶望に淀んだ空気を切り裂いていった。咆哮を上げようとする口に四方から飛んできた鎖が掛かり、怒りに満ちた唸り声だけが辺りに響き渡る。

声の方向を見れば、法衣に身を纏ったモノイと数人の聖者、そして鎖を抑え付ける数十人の兵たちがいた。まるで歌でも口ずさむように詠唱して獣から抵抗する力を奪っていく。
濡れた獣から鋼のような体毛が抜け落ち、爛れた皮膚が露わになっていった。


それを見逃す彼らではない。裸同然となった柔肌に刃物を突き立て引き裂いていく。飛び散る贓物など慣れたもので、大量の血が溢れ辺りを汚していった。それでも彼らの攻撃は留まることはない。首をかっきり、目玉を抉り出し、天を向く鋭い角をへし折って、完全に息の根を止め沈黙するまで、攻撃は続いた。

それは非常に残酷で一方的な嬲り殺しであった。



セインはただ静かに。
事の顛末を見つめていた。

どちらが悪いという単純な話でもない。
命の数で言えば、人の犠牲の方が遥かに多い。


相手は魔族なのだから徹底的に留めを刺すのも当然の思考であった。
得体の知れない相手を前にした時、自分でもそうするだろう。



「っは…っ」
小さく咳き込んで血の匂いを吐き出す。
充満する魔族の気配に背筋がぞっとしていた。


全てが終わったあと、彼らにあるのは不気味な沈黙だった。
兵たちが血で穢れた剣をふき取り、瓦礫の山に生存者はいないか捜索する。死んだ兵たちを見回って運び出していった。


セインが受けた傷も既に癒えていた。鳩尾を摩ってなんでもない事を確認した後、自分を守ろうとした隊長の下へと行こうとして、
「大丈夫ですか?」
モノイに声を掛けられ足が止まる。
「えぇ。いいタイミングで助かりました」
「『人として暮らせ』それが王の命令ではありませんでしたか?」
こんな時にまで、そんな事を言う。
セインの行動を見ていたのだろう。モノイの常と変わらない目をじっと見て、真意を探った。

「首飾りを取ろうとした事は謝る。けど、彼を救うにはそれしかないと思ったんだ。告げ口したければ王に言えばいい」
モノイの返答を期待してはいなかった。どんな言葉であろうと大した価値も無くなっていた。

何か非常に疲れた気がして、これが自分の望むものなのだろうかと自問する。人間を守る為の力なのか、弱い魔族を守る為の力なのか、一体何の為に和平を望んでいるのだろうかと。
そう思うと胸の内に震えが走って、死んでいった多くの者が脳裏を駆け巡っていった。



何も答えないモノイに背を向ける。
彼らと共に死体を片付けようと足を踏み出したところ、唐突に肩を引かれ、
「な、っ…に」
抱き締められていた。


暴挙への文句は途中で途切れ口内へと消えていく。
相手のした行動に頭が付いていけず、されるがままになっていた。
「辛いのならそう言えばいい」
するっと襟足を撫でた手が肩を更に強く抱き込む。
触れ合う体が温かくて、モノイの首筋から香る優しい香りがふっと鼻をくすぐった。
腰に回る手が異様に熱く感じて、自分の身体が冷え切っている事をようやく自覚するセインだ。

血を喪い過ぎたのだろうか。
どこか遠くでそんなことを考えていると、
「矛盾が生じるのは当然の事だ。貴方が求めているのはそういう事なのだから」
耳元でモノイの声がそう諭した。
「っ…」
当然の事だと言われ、胸の内の苦々しさが僅かに消化される。
返す言葉が見つからず沈黙していると、
「城に戻って、ゆっくりと休むといい」
身体を離したモノイがセインの頬に柔らかな布を当てて、濡れた頬を拭った。
「そう、する…」

自分が泣いている事に気が付かなかったセインだ。
「っン…」
魔族の匂いに噎せて、小さく咳き込む。口元を手の甲で押さえたまま、地面を流れる鮮血を避け瓦礫から瓦礫に飛び移った。


そのままモノイを振り返ることなく、軽快な足取りで去っていった。


その後姿を見送った後、剣を地面に突き刺し支えにするように寄り掛かって立つ男に歩み寄った。
「ジャラディオ。無事か?君が偶々いて助かったというべきか、不運と言うべきか…」
セインとのやり取りを見ていた男が無理した片笑いを浮かべて応じる。耳から流れる血を袖で拭き取り血だらけの顔を拭った。
「あれか?変わった、魔族っつーのは…」
苦しげな息を吐いて訊ねる男に、モノイが呆れたように視線を送って懐から小さな瓶を取り出し渡す。
「とりあえず飲め。重症だ」
だらだらと流れる血が平気な面をしている男の深刻さを物語る。彼が何の疑いもなく一息でそれを飲み干して、モノイを可笑しそうに見遣った。
「お前もいい加減、認めたらどうだ?」
「何を」
面倒くさそうにモノイがジャラディオの顔を見つめながら他に怪我は無いか確認するように身体を触った。
「あれは本気だった。魔族とか人間とか関係なしに…本気で守ろうとしていたぞ」
厚い胸板が咳き込んで大きく震える。大量の血をモノイにぶっかけそうになって肩を押しやった。地面に吐き出して何度か咳をする。

荒い息をついて、僅かに乱れた呼吸を整えた。
「無理をするからだ。その様じゃ私がやった守も破けたんだろう?」
懐を探ってぼろぼろになった紙を取り出し粉々に破り捨てた。
「新しいのを用意するまで、安静にしていろ」
労わるように肩を叩く。

呼吸の合間に男が笑って、
「彼も相当無理をしているように見えたが、…さすがの回復力だ。時に魔族が羨ましくなる」
彼が去っていった方へ視線をやって感心した。
小さく舌打ちして嫌悪の表情を浮かべるモノイだ。
「当然だろう。あー見えて魔国の王だ。リーン国に代々伝わる封呪の飾りをもってすら魔族の力を完全に消し切れないのだから、並大抵の魔族ではないだろうさ。だから油断できないのだよ。到底信じられる存在ではない」
「そんな国宝とも言うべき貴重な物まで持ち出して、イリアスは本気なのか?」
「私が知る訳が無い。王の考えることはいつだって突飛だろう?」
素っ気無く答えたモノイの返答を聞いて、ジャラディオが思案するように宙を見つめた。
「封呪の飾りか…もし伝え通りなら王家には、」
「滅多な事を口にするな。こんな場で」
いつにないきつい口調で咎められ、ジャラディオが口を噤む。
「まぁ、俺には関係のない事だからどうでもいいさ」
重い足を引きずるようにして、歩き出す。

怪我を感じさせない力強さで死体を運ぶ兵たちに指示を出して、事態の片付けに加わった。
その様を見て、少し安堵するモノイだ。
ジャラディオは国でも1,2を争う頑強な男だ。こんな事で亡くすには惜しい男であり、まだまだこの先、若い世代を引っ張っていって貰わなければ困る存在だった。
生きていた事が本当に奇跡というような状況ではあったが、彼が言うようにセインのお陰もあったのかもしれない。

そう思って既にここにはいない男を無意識に探してしまう。



流す涙が。
人と同じで。


むしろ、静かな悲嘆は繊細で美しく、彼の穢れなさを強調するようだった。
突き刺さるような深い想いを間近に見て、胸が締め付けられなかったと言ったら嘘になる。



認めたくもない魔族の存在が。
こじ開けるように胸の内へと入ってきて、勝手に居着く。



「どうかしている…」
思わず吐き捨てて、穢れた大地を浄化する為に詠唱の準備を始めるのだった。





2015.12.31
…これ、年末に書く内容ですかね…(^^;)ごめんちゃい。
新年にアップしなかっただけ良しとして下さい(笑)。

いよいよ、いちゃいちゃしてきた…やばい…(笑)。
ボロボロにやられるセインも新鮮で美味しいです(*^▽^*)ノ
こういうの滅多に無いから、ハァハァ息切らして、参ってると最高。←鬼畜(笑)。

さて。今日で2015年は最後です(^▽^)ノ年末楽しみましょう!




 ***6***


翌日のセインがいつも通りかといったらそうでもないが、特に気が立っているとかそういう訳でもなく人々への配慮を忘れたりはしなかった。


ただ。
どうしても気分が晴れず、その日は一日中、宛がわれた客室に篭っていた。
何をするでもなく窓からぼーっと景色を眺める。
流れる雲や飛んで行く鳥を見るでもなく、窓枠に腰掛け遠くを見つめたまま物思いに耽っていた。

外出することの多かった異人が珍しく城内にいる事は人々の意識を向けるには十分だ。それだけでなく、何もせずにずっと虚空を見つめるその姿は、下を歩く人々の注目を集めた。とはいえ、声を掛ける者は誰一人いない。彼らがどういった想いでセインに視線を投げているかはそれぞれだったが、そんな人々の心情もセインの意識の外にあり、今のセインにとっては関心の無い事であった。


陽が傾きつつある午後の時分にその静寂を破るノックの音が響く。
セインが応対する前に扉が開き、世話役のリガートが部屋へと入ってきて、腰掛けたまま視線を投げるセインの目前まで来て止まった。
「先ほど街人から貰った物ですが、余る程頂いたので差し上げます」
ずいっと顔の前に差し出した物は淡いピンクと白色の混じった手の平大の果物だった。
「街の子たちにも分けたのですが、一人で食べるには大きかったようで兄弟たちと分け合ってましたよ。私には兄弟がいないのであーいう場面を見ると和みますね」
受け取ろうともしないセインの手を取って強引のそれを乗せる。
ずっしりとした重みで僅かに手が下へと落ちた。
その重みを見つめたまま、
「僕は結構です。腹を空かせている他の者にあげてください」
セインが緩く口を開く。その覇気の無さにリガートが目を見張った。
「…」
突っ返された物をセインの横に置いて、考え込むように無言になる。
それから、外を見つめるセインの顎を掴み強引に自分へと向かせて、
「考え込むくらいなら初めから和平など提案しなければいい。その程度のものだと思われるだけだ。何も考えて無かった訳でもあるまい。それを変えたくてここにいるのだろう?」
強い眼差しでそう告げた。
「っ…」
その強引な言葉にハッとさせられるセインだ。


諦めようと思ったわけでも、決意した想いが揺らいだ訳でもない。
ただ目的が見えなくなりそうで、揺らいでいた。
どちらも守りたいなど所詮おごましい事なのである。それを重々自覚はしていた。
そこに譲れない『絶対の正義』があれば迷うことなど無くなる。それが何なのか、知りたくて考えていた。

だが、結局そんなものは存在したりはしないのだ。
主観が入ればそれだけ正義は揺らぐ。

どこかに偏った想いがあれば傾いた正義となり、それはただのエゴに過ぎなくなる。



そもそも、和平を望む事自体がただのエゴであり、身勝手な理想だった。そのために多くの犠牲を要する事も分かっていた事だった。
現にセインはその手で同族を数え切れないほど、葬っている。旧王を殺したのも自分だ。
血塗れの自分が今更、崇高ぶった所で何の説得力も持たない。


その事実に行き着いて、それでも叶えたいと思う理想なのだから、絶対の正義など必要ではなく、自分がしたいからするだけの事なのだと結論付く。


欲しいのは。
完全無欠な平和の世界ではない。


「そうですね。僕がしたいようにします。
正直に言えば、あんな残酷な殺され方をしたのを見て気持ちが揺らがなかったというのは嘘になる。それは彼が魔族だから加担しているのではなく、ひとつの生き物だから感じる嫌悪感だ」
リガートの言葉を素直に受け入れて、心情を吐露する。
セインの言葉を表情も変えずに聞いていた男が間髪入れずに問い返した。
「仲間が何人も殺されて同じ事が言えますか?駆けつけた兵に親しい間柄の者がいたとしてもおかしくはない。殺された者を見て平静を保てる方が異常な事だ。
そこをどう思っているのですか?結局のところ、あなたの心は魔族主体の思考なのではないですか?」
怒りの感情が含まれる訳でもない、純粋な問い掛けだった。
セインの目が真っ直ぐにリガートを見つめる。

揺らぐ事もないその瞳には一切の動揺もなく、ただ静かにその言葉を受け止めていた。


「そう感じたのなら、そうなのかもしれない。僕には分かりませんよ。ただ、人も魔族もどちらも救いたい、それだけだ。そのために魔国を掌握し、人との和平を望むんだ。
僕の統治する魔国で人間による不条理な殺しは許されない。逆も然りだ。僕の統治から外れた魔族にはそれ相応の罰を下す。
ただ人間ばかりはどうにも出来ない。彼らが彼らなりの統率をしてくれなければ、平等な世界は成り立たないんだ」
「…」
じっと聞き入っていたリガートが大きく息を吸って軽く息を吐く。
髪をかきあげて、視線をセインの横に移した。
「揺らいでいないのなら結構。
折角、頂いた物なので召し上がって下さい」
そう言って特に追及することなくあっさりと去っていった。
彼がただの世話役なのか、それとも王と言葉を交わすだけの地位にいるのかさえセインには分からなかった。
彼に熱心に説いた所で、何の意味もないのかもしれない。


その想いが通じてなくても、ただ前に進むだけだった。



*****************************************



「具合はどうですか?」
翌日、ユーリアの元へと行ったセインの顔を見て、バツが悪そうに声を掛けてきたのは既に馴染みの顔でもあるモノイだ。
「僕は問題ないですよ」
セインの短い返答に小さく頷いて、
「なら良かった」
聞こえるかどうかの小声で答える。
その変化に驚いて、相手の顔をまじまじと見つめてしまうセインだ。
「…なんですか」
モノイの目が僅かに細まって、心外そうに問い返す。
それからふいっと顔を背けてユーリアが休む部屋へと向かった。
「もう歩けるようになったので、貴方が街まで彼女を送ってあげて下さい。私は用がありますので。他の病人もいますしね」

すなわちそれは。
セインがここに足を運ぶ理由が無くなるという事を意味していた。

わざわざモノイの顔を見に聖教院に来る必要もない。
小憎らしい皮肉も聞かずに済む。


そう思って、いまいちスッキリしないセインだ。
あと少しで掴めそうな気がするのに、中々掴めないモノイとの関係性に中途半端さを感じ、物寂しさを覚えてしまう。
二人を繋ぐのはユーリアという存在であり、それが無ければ気軽に訪問する関係性でもない。

モノイの言葉に相槌を打つでもなく、無言のままそんな事を考えているとすぐに部屋の前へと辿り着いた。
「私に言っておくべき事はありますか?」
くるりと振り返って唐突に問う。最後の別れのようなその質問は、返す言葉に詰まるものだった。
しばらく見詰め合ったまま、言葉を考えあぐねる。

結果、
「…ユーリアを、救ってくれて助かりました。礼を言います」
出た言葉はそんな有り触れた台詞だった。
セインの言葉にモノイが口角を僅かに上げる。
「それはこちらの台詞ですよ」
軽く頭を下げた後、意味もなく視線が絡み合った。


これがこの男と会う最後なのかもしれない。
そう思って相手の灰色の目を見つめていると。


「セイン」


名前を呼ばれ、ハッとした。


驚き目を見開く様をモノイが可笑しそうに笑った。
そのまま扉を開け、室内へと入っていく。


モノイに名前で呼ばれたのは初めての事で呼吸が止まる。
言葉を返す機会を逸して、もどかしい想いを抱く羽目になった。細身の割にはしっかりと鍛えられた背中を見つめるセインの耳にユーリアの明るい声が届く。


ユーリアと優しげな笑みで言葉を交わすモノイを見て、ようやく本当の姿を見つけた気がしていた。






2016.1.31
…うん。マイ時間が全く持てずにいます(;´艸`)。土日、やりたい事の4,5割程度しか出来てない…。
やっぱり通勤時間?!通勤時間が悪いの?!
何とか有効活用する方法ないですかねぇ…orz。

そんなで。そろそろエロいセインを入れたい所ですが無いです。残念な事に無いです(´-ω-`;) 。





 ***7***


ユーリアが歩けるようになってから早いもので1週間が経とうとしていた。
あれ以来、聖教院には足を運んでいないが、ユーリアとの関係は続いており、時折一緒に食事を取ったり、出かけたりとまるで人間のように生活していた。
それが予想外に楽しくてセインはやや浮かれ気味でもあった。初デートに勤しむ若者のように軽い足取りで城を出るセインはある意味、お気楽な魔族だ。
城内の兵たちが反感を覚えても仕方の無いお気楽さではあったが、誰一人それを口にする者はいなかった。

彼を自由に行動させる事は王の直々の命令でもある。
したいようにさせる事が彼らの任務でもあった。いや、そもそも魔族の存在自体を無かったことにして見て見ぬ振りをした。


その日、セインはハイムの所に居座っていたが、既に馴染みの客の一人であった。
「セインはいつまでここにいるの?」
カウンターに座るセインの横に腰掛けて、ハイムが覗き込む。
コップ一杯の酒で入り浸るセインはかなり迷惑な客であったが、ハイムはそんな事を気にしたりはしなかった。
「祭りの前には出て行くよ」
「花蝶祭りの事?あと2週間もないよ?寂しいな…」
頬杖を付いて足をばたばたと上下に動かす。
真っ直ぐにセインの目を見つめたままそう答えるハイムは、純粋無垢な少年そのものだ。
自分の感情を伝えることに何の躊躇いもない。
「また遊びに来るよ」

セインの言葉を信じていない訳ではないが、それが社交辞令に近い言葉なのをハイムも分かっていた。セインの言う『また』がいつなのか、むくれた表情でセインをじっと見る。
「急いで帰る必要が無いなら花蝶祭りを見て帰ればいいのに。凄く綺麗だよ」
引き止めるハイムの言葉は非常に嬉しいものではあったが、苦笑を浮かべたセインが癖の無い黒髪をすくって慰めるように撫でた。
「必ずまた来るからさ。どうしてもやらなきゃいけない事があるんだ」
「…そっかぁ…。分かったよ」
だだをこねつつ最後には笑みを浮かべてセインを後押しする。
ハイムは将来、さぞかし立派な若者になるだろう。まだ少年だというのにそう予感させた。

しばらくカウンターに突っ伏したまま無言だったハイムが唐突に顔を上げてセインを見上げた。
「モノイ様とは会った?」
突然出てきた名前にぎょっとして、目線で聞き返す。
何故、そこでモノイの名前が出てくるのか、そう思っていると、
「モノイ様を知らない街人なんていないよ?聖者様にはみんな世話になってるんだもの」
首にぶら下がる小瓶を持ち上げて揺らした。
細かい金色の砂が小さく揺れて光を零す。
「魔族除けのお守り。魔族なら追っ払ってくれるんだよ」
「…へぇ」
「折角なんだからセインもモノイ様に授かってから旅立つといいんじゃないかなぁ。モノイ様は聖者の中でも凄く力のある立派な方なんだって。みんな言ってるよ」
興奮したように頬を染めて口早に言うハイムに押されたように相槌を打つしか出来なくなる。
自分が魔族なのだから、魔よけになっていない気もしたが、弱い魔族はそれだけで寄ってこないのかもしれない。何も知らないハイムにわざわざ言う事でもない。
「でもモノイ様、討伐隊に選出されちゃったからもう旅立っちゃうかなぁ」
「討伐隊?」
思わず鸚鵡返しで言葉を止めてしまう。
「うん。西の外れに凄い強大な魔族がいるらしいんだけど、村人が毎月生贄を捧げる事で被害を食い止めてたんだって。要望がどんどん酷くなっているらしいから今回討伐する事になったんだよ」
「…」
色々な危惧が脳裏をよぎってあっという間に通り過ぎていく。
「何でそんなに知ってるの?」
描いた危惧があり過ぎて、口を付いた質問はそんな疑問だった。
ハイムが可笑しそうに小さく笑う。
「だって、ここは街の中心にある酒場だよ?いろんな話が入ってくるよ。それにジャラディオ様が帰ってきたって事はその為の準備って事だもの」
「…いつ…、出るとか分かる?」
問う声が僅かに低くなる。
セインのその声音に、ハイムが一瞬怯え、すぐにいつもの様子に戻った。
「分からないけどそう遠くない筈だよ。花蝶祭りには帰ってくる筈だもの」

その言葉を聞いていても立ってもいられなくなる。
席を唐突に立つセインにハイムが驚き、釣られて立った。その頭を優しく撫でて、
「ごめん、ハイム。俺、行かなきゃいけない」
慌しく言って駆け出した。


木製のドアが音を立てて閉まる。
「あーぁ…。行っちゃった…」
ぽつんと残されたハイムが小さく呟く。彼の父親が微笑んでハイムの手を握った。
「みんな無事に帰ってくるよね?」
先ほどは浮かべなかった不安そうな顔で父を見上げて問う。
「必ず帰ってくるさ。イリアス様も出られるのだから」
皺のある顔が絶対の安心を浮かべて笑った。
「そうだね」

扉が軋みを立てて開く。一人の少年が入ってきた。
「あ、いらっしゃいませ」
明るい声で対応するハイムに先ほどのような影は無かった。



*****************************************



セインが急いで戻った先は城だった。
確かにいつもと雰囲気が違うのは感じていたが、そんな事を一言も告げないリガートにやや苛立ちを抱く。
自分は部外者だ。だが。
「リガートッ!」
宿舎に飛び込んで叫ぶ。
着替え途中の兵や食事を取っている者達が何事かと声の方を見て、相手がセインと知って固まった。
肝心のリガートが見つからず、人々の突き刺さるような視線など気にもせずその場を後にする。
城内を探し回って、ようやくその姿を発見したのは30分後の事だった。

「リガート!」
応接間から出てくるのを見つけて駆け寄る。
「何故、俺に討伐隊の話をしなかった?」
いつもの敬語はどこに捨ててきたのかと言うくらい、素のセインだった。
握り拳で前のめりに問うその姿勢にリガートが目を丸くして呆気に取られる。それから可笑しそうにクスクスと笑い始めた。
「っ何が、可笑しい!」
セインの剣幕を気にもせず笑いを零して、
「珍しいくらい取り乱してるので、つい…申し訳ありません」
手で口元を押さえて笑いを押し込めた。
「先日、同族の事で非常に嘆いていたようなので言いませんでした」
「ッ…だから、聞いたのか。どちらの味方なのかと」
「そういう訳ではありません。純粋な興味ですよ。
討伐メンバーに参加したいのなら参加すればいい。ただ…。
同族をその手で殺す事になりますよ」
そう言った最後には射るような目で告げた。
「っ…」
「討伐が、貴方にとって不条理な殺しに映らないとは限らない。その時、どうされるんですか?躊躇わずに殺せますか?それとも、魔族を守るために人を」
「リガートッ!」
声を荒げて相手の台詞を遮る。
セインを試すような物言いを真っ向から否定して、
「俺は魔族を守る為に人を殺したりはしない。茶化すのはやめろ」
強い言葉でそう断言した。
その様が意外でリガートが表情を変える。

「出立は明日だと聞いています。中には既に発っているものもいるとは思いますが、今から支度すれば間に合うでしょう。ここから西に行った外れの村にあるジュエリ湖近辺の洞穴だそうです」
ちらりと首飾りを見て、
「今の貴方がどれだけ役に立つのかは分かりませんが、一歩兵にはなるんではないですか?」
そう付け加える。
随分と見くびられたものだと憤るのは簡単だが、実際にその程度の価値しかない。彼らにとっての信頼度は一歩兵よりも低いだろう。

「行くに決まってる」
吐き捨てるように言って背を向ける。


リガードと話した後、セインが向かったのは聖教院だった。飛び込むように中へと入り目的の人物を探す。
いつもならすぐに見つかる彼を中々見つけることが出来ずに焦燥感を覚えた。荘厳な気配を醸す聖堂内で静かに祈りを捧げる数人の人がいる。勝手に聖堂の奥へと行く訳にもいかず、両手を合わせる一人の老人に歩みより肩を叩いた。
祈りを邪魔された男が険悪な表情で顔をあげる。今にも文句を言おうとして、相手がまだ若い男と知ると表情を和らげた。
「何用か?」
一瞬、自分の行動を後悔するセインだ。たまたまいないだけで、そこまで必死にモノイを探す意味が無いかもしれない。
とはいえ、言いたいこともろくに言えない状態でこのまま会えず仕舞いは勘弁だった。
老人に彼の所在を聞けば指を立てて、セインの後ろを指差す。

バッと振り返るセインの目にいつもと変わらないモノイの姿が写った。
これから魔族を討伐に行くというのに落ち着いた雰囲気でゆったりと歩み寄る。不安など一切感じさせない態度はらしい姿だった。
視線を投げるセインにすぐに気が付き、一瞬目を丸くする。歩み寄ってきて言った言葉はいつもの厭味でもなく。
「お元気にしてましたか?」
ありふれた、そんな言葉だった。
「…」
素直に頷くのも癪な気がして言葉に詰まる。その顔を見てモノイが笑いを深めた。
「何か用があってきたのでしょう?貴方が何の用もなく来るとは思えませんから」
半分当たりで半分外れの問いを素直に訂正する必要も無い。
「討伐隊に選ばれたんですね。策でもあるんですか?」
「そんな事を聞きに?」
口元に手を当てて笑う。
そんな笑い方をするのが不思議で、呆けるように見つめてしまう。
それを見咎めて、
「策なんてあったら魔族狩がもっと捗るでしょう?そんな事は言うまでもなく分かっている筈。何故あえてそんな質問をしたんですか?」
笑っていない目が詰問した。

セインの目をじっと見て問う、その視線の鋭さに捉われた。

心の奥底を見透かされた気がして、無理やり本音を引きずり出される錯覚に陥る。目の前に迫るモノイを拒絶出来なくなって、瞬きもせず見つめていた。


自分の目が、七色の輝きを宿す時も相手にこういった心境を齎すのだろうか。
そんなどうでもいい事を頭の片隅に考えて、出そうになった言葉をかろうじて飲み込む。

「またその顔だ」
首筋にひやりとした手が当たってハッとするセインだ。
摩るように首飾りを撫でた後、首の後ろに手が掛かる。


「心配せずとも。討伐は上手くいきますよ。私がいるのだから」
耳元に唇を近づけて声のトーンを落とす。
「あなたは安心して人間ごっこでもしていればいい」
冷徹な声がそう囁いた。


「ッ…」
久しぶりに聞く嫌味な物言いに苛立ちを抱く。
「心配で来てみれば…っ」
感情を押さえ込み搾り出すように吐き出す声は小さく震える。
モノイの肩を押し返して、
「何度も言わせるのはやめろ。俺は本気だ。俺だって出る」
そう突き付けた。
その態度も予想の範囲内だったようで、
「言いたい事があるのなら最初からそう言えばいいでしょう。あなたは怒らなければ本音すら言えないんですか?ずかずかと入ってくる癖に、こちらが歩み寄れば逃げるのは何故なんですか?」
冷静な目のまま、一歩足を踏み出した。
上からセインを見下ろして、揺れる瞳を覗き込む。


言われた意味が分からなくて、動揺するセインだ。
それは、いい意味なのか。
それとも裏があるのか。


「何、…」
絡み合う視線を無理やり剥がし、モノイの胸板を押し返す。
「逃げてなんかいない…。人は皆、魔…が嫌いだろう?逃げてる、のはそっちじゃないか…」
「私が逃げてると?」
間髪入れずに返ってきた言葉に、反論を封じられて訳が分からなくなる。


モノイは歩み寄ろうとしているのかと、混乱する頭で必死に探った。
一体、いつ。
そうさせる要素があったのかセインには皆目検討も付かないが、
「貴方なら討伐に参加すると確信してましたよ」
先ほどの強引さが嘘のように身を退いて柔らかな口調で言った。

「お互いに命を預ける身だ。多くの人を守れるよう祈りましょう」
言って聖堂の中央へと向かっていく。
ステンドグラスから差し込む鮮やかな光がモノイの純白のローブに映り美しい絵柄を浮き上がらせる。
彼から光が舞い上がる錯覚がして、奇妙な感覚に陥った。


モノイが。
人間が魔族を受け入れようとしている。


その事を頭が認識できず何度も自問を繰り返した。


「信頼を裏切ったりはしない」
遠ざかるモノイの背中に呟く。
聞こえてはいない言葉を胸に刻み込んで、その場を後にするセインだった。






2016.3.1
もしかして1ヶ月ぶり…orz あぁうー;
モノイとラブラブしてます。王ともラブラブさせたいっす…(^^;)。
ユーリアとはラブラブさせないのでご安心を(笑)。(当たり前だっ!)





 ***8***


セインが討伐隊に参加するのを知った時、兵たちにざわつきが起こった。
小隊を組んでの進行ではあったが、最後尾に加わったセインに警戒心が起こるのも無理はない。前を歩く羽目になった彼らは生きた心地がしなかったが、それも到着までの2日だけの我慢であり、先に出立した仲間たちと合流することですぐに解消された。

ジュエリ湖から2番目の近さにある街に拠点を構える。城下街とは異なり自然の豊かな街だ。少し歩けば森があり、川が流れる。野生動物が出没することも珍しくはない場所だった。
街人たちは彼らを歓迎し、食事や場所を提供した。日頃はお目にかかる事も無い王の姿や高尚な聖者の集団に目を輝かせて敬った。とはいえ間近に拝むということは無い。彼らの周囲は常に兵に囲まれ、中でも屈強な護衛達が取り囲んでいた。
セインですら接近することは許されず、遠巻きに久しぶりに見る王の姿を追っていた。
時間さえあれば見ているにも関わらず、彼と視線すら合うことはない。

彼らはどういった評価をしたのか。
そろそろ結論が出ていてもおかしくない。
端から和平を結ぶ気など無いのかもしれない。


想い人の姿を追うように遠くを見つめるセインに、突如後ろから声が掛かる。

振り返れば、いつぞやの隊長がにこやかな笑みで立っていた。
「あの時の礼が遅くなった。お陰でこうしてこの場にいられる」
あまりにフレンドリーな態度にぎょっとするセインだ。
自分が魔族だと知らないのかと疑問を抱き即座に否定する。

彼はモノイとの交流もあり、親交が深い方だ。
ましてや王にも一目置かれる隊長の身分で、魔族だと知らない訳がない。

「僕は何もしてませんよ。現に負傷の身なのでしょう?」
問い掛けに、大柄の男が腕をぐるぐる回して首の骨を鳴らした。
「やはり分かるものか」
見た目は健常だ。だがあの時にあれだけの傷を負って、治っている訳がない。いくらモノイの力が凄かろうと人間の回復力の限界だ。見えない傷が身体の内部に残っているのはすぐに分かった。
「まだ名乗っていなかったな。俺はジャラディオだ。普段は国境付近の隊を仕切っているんだが、魔族討伐の時には大概呼び戻されて、こうやって参加している」
「…僕は」
「セインだろう?聞いている」
言葉を奪い取られて、差し出しかけた手が止まる。
それだけでなく。


「本当の名は無いのか?」
不躾にそんな事を聞かれて、手を中途半端に出したまま固まった。
目を見開いたまま動きを止めるセインを笑って、
「そんなに驚く事か?
セインはシャリク地方の伝承から取っているんだろう?欲で穢れた地を10日で浄化し草花溢れる楽園に変えたとされる聖人の名前だ」
軽くそう言った。

シャリク地方はそれほど有名な地でもなくリーン国から近い訳でもない。ましてや誰もが知っているような伝承でもなく小さな村に伝わる些細な言い伝えだった。

それをずばり言ってのけた男の知識の深さに舌を巻く。
「…よくご存知ですね」
事実、その通りだった。セインという名前にもそれなりの意味がある。ただ適当に名乗っている訳でもなかった。

セインは偽名であったが本名でもあった。
かつての名前は人間であった過去と共に捨てたもので、自分とは別人のものだ。


「それほど珍しい名前でもないでしょう?セインという名前は人間でも有り触れた名前だ」
特に関心もなくそう答えれば、
「誤魔化す必要は無いだろう?」
止まったままの手を握られて、無理やり握手させられる。
笑みを浮かべる男に邪気はなく、ただの純粋な疑問のようだった。

「…安直で恥ずかしいですね」
思わず本音が零れてしまう。
「そうか?いい名前じゃないか」
顔に皺を寄せて満面の笑みを浮かべたジャラディオがぎゅっと強く手を握る。

40代前半頃の精悍な顔に子どもっぽさが乗った。
その笑みが嬉しくて僅かに高揚するセインだ。


2,3言、話した後、ジャラディオが去っていくのと入れ違いのように、別の男が来て、
「ジャラディオ様は人間の中でも高位なお方だ。魔族風情が易々と言葉を交わしていい方ではない。王の好意でここに居られるだけなのだから身を弁えたまえ」
厳しい口調で言うだけ言って去って行った。

会った事もない男に突然の暴言を吐かれ腹立つよりもただ驚くだけだ。
それも魔族である自分にこうまでハッキリと告げた男は今までいない。その事が新鮮で、男の後姿を見送る。

後ろに一纏めした長い黒髪、長身で黒衣に身を包んだ姿は兵の中でも一際目立つ存在だ。恐らく彼もそれなりの地位にある男だろう。それでもジャラディオを上に立てる程なのだから、確かに男が言うように軽々しく言葉を交わしてはいけない相手なのかもしれなかった。

だが。そんな事に何の意味があるというのか。
全て取り払ってしまえば地位など意味が無く、死んでしまえばただの肉塊だ。
同じ一つの生という意味で全てが等しく同じ価値でしかない。
魔族もそれは同じだ。


『不条理な殺し』と発言したリガートの意識の高さに、今更気が付くセインだ。
今回の討伐に関しては人間側でしか物事を見ていない。
『不条理な殺し』にならない事を祈るばかりだった。



*****************************************



場所が提供されるとはいえ、全ての人が宿に泊まれる訳ではなく野宿組も数十人はいた。セインも当然、野宿組であり木に寄りかかったまま夜を過ごすという状況だったが、さほど珍しい寝方でもなく大きな支障は無かった。

翌日にはすぐ出立し、目的の洞穴へと向かう。
馬に乗ったままの王たち一群は最後尾に移り、先頭は名も無い兵たちとなった。聖者の集団の半数は隊列の真ん中を歩き残りの数人は王の前に付いた。
モノイは彼らとは別に先頭に近い位置にいるセインよりも1小隊後ろにいた。

薄暗い森林に入り腰ほどある草を分け、奥へと進んでいく。
途中で廃村となった小さな村を通り過ぎ、森を抜けジュエル湖から一番近い村へと差し掛かった時、一人の青年が村からやってくるのが遠目に見えた。

一人の男の子を抱かかえ、ゆったりとした歩みで近づいてくる。
目も覚めるような青い髪が風も無いのにゆらりと揺れ、黄色の瞳が彼らを見遣る。汚れた服を纏い、ボロボロのシャツにあちこちが擦り切れたズボンという奇妙な出で立ちだ。

兵たちが疑問を抱き、一斉に防衛の姿勢を取る。


警戒を抱くよりも早く彼が一歩、足を踏み込む方が先だった。


抱えられていたモノが宙に舞う。
途端。


鋭い風が吹き抜けていった。
目にも留まらぬ速さで前衛にいた兵たちを軒並みに切り裂いて、辺りに鮮血が飛び散った。
朝日を浴びて煌くジュエリ湖の美しさと赤い滴がゆっくりと空を舞い、セインの視界を流れる。分断され崩れ落ちていくモノが何か認識するよりも先に、男の動きの方が圧倒的に早く、
「あぁ。来たんだ?」
残忍な行為には不似合いな柔らかで明るい口調の声がそう言った。


ボトボトと何かが地面に落ちていく。

陽の光を背中で背負う男が、鎖で繋がった鎌を手元に引き寄せ真っ赤な液体を振り払った。返り血を浴びて汚れたのは男だけでなくセインも同様だった。目の前にいた人はみな死に、既に人の形を成してはいない。

逆光を浴びて顔の見えない男が笑ったのが分かる。
セインの中で激しい警告が鳴り響いた。

男が踏み出すよりも先に後ろへと飛び退き、状況を判断しようとした。

その動作よりも速く、
「…ッ!」
男がセインの間合いに易々と滑り込み髪を鷲掴んだ。

「セインッ!」
緊迫した声で名前を叫ぶのが遠くで聞こえる。
嫌な予感がして、そんなバカなと打ち消すも、
「何それ。ままごとでもしてんの?」
セインの首に巻かれた飾りに歯を当てて舐めた男がそう貶した。
「お前が人間の味方をしてるって前々から風の噂で聞いてたけどさ。俺としてはまさかって思ってた訳だよ?なぁ?」
予感が確信に変わって、髪を掴む男の手に爪を立てる。
空いている足で男の腹を思いっきり蹴り飛ばした。

「って。マジでままごとかよ?力でも封じられてんの?」
「なんっで…、ここに」
加減無く蹴ったにも関わらず大した打撃も与えられず、最悪な相手と巡り合ったと焦りが湧き上がる。


人間の街で擬態して暮らしているレベルの魔族ではなく、むしろ魔族を狩って楽しむような男だった。
到底、このメンバーで勝てる気がしない程度には彼の事をよく知っていた。


「っハイラ…ッ、どういう意図で…、ぅ…ッ」
問い掛けが小さな呻きに変わる。
セインの口に手を突っ込んで、舌を掴んだ。
「ん…っ、ぅ」
「…意図って考えりゃ分かるだろ?」
口内を指で掻き混ぜられ苦しい息が洩れる。
その姿を見下ろしていた男が興奮したように下唇を舐めた。
「この際、ごっこのお前でいいや。
いつもすかした顔してるお前を絶望にぶち込んだらさぞかし愉快だろうさ」
濡れた指でセインの唇を擦った男が残忍な本性を剥き出して笑った。殴ろうとしたセインの腕を絡め取り背中で固定する。
「、…っなせ…!」
暴れるセインをやすやすと押さえ込んで、優しげな笑みを浮かべる。一見優男のその微笑みは不気味でその場にいた兵達は怯え動きを止めたままだ。

そんな動揺の中、
「——」
短い詠唱がセインの耳をさらりと掠めていった。それを認識するより先に、二人の周りに突風が吹いて、下から上へ体が浮き上がる。
男の力が緩んだ一瞬の隙に横っ腹に蹴りを入れて拘束から抜け出す。大した打撃にはならなかったが、続く攻撃のきっかけにはなり、剣を抜いた兵達が一斉に飛び掛かっていった。蹴られた勢いで傾ぐ男の首を目掛けて剣を振り下ろす、何も無いところから炎が上がり、切り付けると同時に男の全身が火に包まれた。

「うぁあ…ァ、…ぁッ!!」
悲鳴が上がる。

炎から逃れようと、もがく男を追い掛けるように兵たちが一斉に襲い掛かっていった。


やれる。
その一瞬の緩みが、彼らに生じる。


ふっと、逃げ惑う男の動きが止まり、
「ッ…!逃…」
セインの言葉が言い終わるよりも前に、彼が小さな鎌を横に振り払った。男を包む炎が大気に霧散し瞬く間に消える。
鋭い金属音と共に風圧が起こり、土埃が巻き上がった。


静まり返る中、セインが危惧したような事にはならなかった。咄嗟に張られたモノイの結界が紙一重で兵たちの首を繋いでいた。
セインの視線の先に顔の前で両腕をクロスさせ身を守るように構えるモノイが映る。片膝を地面に付いて息を乱す姿はいつにない苦しげな様だった。法衣が切り裂かれ露わになった肌には小さな傷がいくつも出来ていた。


「モノイ…」
その姿に気を取られる。
魔族の力とぶつかりあって、防ぎきれなかったものが跳ね返って出来た傷だ。モノイの結界の方が僅かに劣る。その事実をすぐに悟るセインだ。
それに気が付いたのはセインだけではない。

そして。
今一番の邪魔者が誰なのかも。


鎌を弾かれのけ反った男が思わぬ妨害をした人間を見やる。
優しげな風貌に不釣り合いな獣のような目が一直線にモノイに向かった。


セインは声が出なかった。叫ぼうとして世界が緩やかになる。
どうしようもない焦りが沸き上がって、かつての『赤』が蘇った。

火の海に包まれた世界で何も出来なかった自分が。
二度とあんな無力な想いをしまいと誓ったはずなのに。


人とは何と無力な存在なのか。


モノイに向かっていく男が緩やかな視界を横切っていく。
それを阻止しようとして、
「ッモノイ…ッ!!」
伸ばした手が空を切った。


喪う訳にはいかない。
モノイが人間だとかそんな事はどうでもよくて、ただ彼を喪いたくなかった。
その切実な想いも虚しく、ハイラがモノイ目掛けて鎌を振り翳した。




2016.4.3
さて…またしても1ヶ月ぶりです。ごめんなさい…orz。
でもでも、多分次回更新はそんなに間が空かない…予定…。
といいつつ。今週、すでに残業みっちりの予定で、土曜出勤だしホントやだーって状況です(^^;)。

速くGWにならないかな…。今の行事が終わったら少しは楽になる…筈…orz。

この状況で続く状態ですみませんー!!





 ***9***


緊迫した一瞬。
誰もが目を瞠った。

ハイラの空間が一本の鋭い矢で切り裂かれ、かろうじて避けた男の肩を貫く。
モノイよりも遥か後方にいる馬上の人間が放った一矢は人の力とは思えぬ威力と速さで魔族の動きを止めた。

「ッ…!人間がっ…!」
傷を負わせた相手を鋭く睨み付けて、犬歯を剥き出しにし歯軋りをした。甲高い嫌な音が立ち彼の激しい怒りを表す。全身から殺意を放つ男に怖気づく事もなく、続く二発目が飛んできた。凄まじい威力で空気を切り裂き、一寸の狂いも無くハイラの額目掛けて向かってくるそれを、忌々しげに睨み付け身を仰け反らせて避けた。
弾き落とすには強すぎるその攻撃に警戒し、正体を見極めようと後方へと退く。
「なんだ…、あいつ…」
無表情のまま馬上で狙いを定める王を異常なモノでも見るように見つめ、すぐにセインに視線を向ける。
傍らに立ち何もできずにいる兵には眼中もくれず、手に持つ鎌をくるくると回しながらゆったりとした歩みで引き返していった。

僅かに安堵の表情を浮かべるセインの目の前まで戻ってきて、
「一番の足手まといはお前なんだな、セイン」
ふっと笑って揶揄の言葉を放った。
「…」
ハイラの意図が読めずにいると唐突にハイラの姿が掻き消え、気が付いた時には目前に迫る。
「ッ…!」
上がりそうになった声をかろうじて飲み込んだセインの太ももを鎌でざっくりと切りつけ、痛みで緩んだ一瞬の隙に鎖が腕に巻き付いていた。
それだけでなく両腕を背中で拘束され、後ろから抱き込むように抑えられ身動きを完璧に封じられる。
「な、ん…」
「なんで?」
優しい声が甘く耳元で囁いた。
顎を上に向かされ、耳朶に唇が触れる。
「お前が一番の足手まといだからさ」
愛しいモノを愛でるように、剥き出しになった首を鋭い爪が撫でていった。

数メートル先に片膝を付いたままのモノイが、そしてそれより遥か向こうに狙いを定めたままの王がいる。

意図が読めずにいるのは誰もが同じだった。人間相手に魔族を人質に取ってどうするというのか。
何も出来ずにいる兵たちがどうすべきか分からず身構えたまま二人に注目していた。

「衆人環視の中でお前をいたぶり殺すのも悪くないよな。お前が大事に想う人間の本性ってやつを見せてやるよ」
そう言って突如、シャツを引き裂く。
「っ…ハイ…ラッ!」
白い肌に一筋の傷が付き赤い血が溢れ出る。ヘソまで裂けたシャツが風に煽られ捲れ上がった。片肩が露わになって均整の取れた身体が剥き出しになる。
「風の噂で和平を結ぶって聞いて何の冗談かと笑ったけど、お前もほんっと馬鹿な男だよなぁ。まさかその為に魔族を殺しまくってたとはね…」
右肩から左脇腹に掛け、肌をなぞるように鎌を当てる。じわじわと傷を付けて、肌から溢れる血を意外そうに見て、黄色の目が獲物を捕らえたように眇められ煌きを宿す。

「人がどんなに醜い生き物か分かってる?」
しばらくの沈黙の後、そう言って唐突にセインの胸をまさぐった。
「っ…!」
ぎょっとしたのはセインだけじゃない。その場にいる全員が何をする気かと目を瞠る。
「ハイラっ!ふざけた事を、するなっ」
「そんなにふざけた事でもないさ。こういう環境でするのも悪くない」
本気でするつもりなのか、相手の動きが留まる気配は無く指の動きが大胆になっていく。
「ッ…冗…だっ…」

その時。

「ッぁ…!」
抗うセインの右肩に、一本の矢が突き刺さり貫通した。
その矢は後ろにいる男を捉える事は出来ずセインを苦しめるだけに終わったが、まるで予測していたように背後から愉悦の声が高らかに上がった。

「はははッ!セインッ!いい加減、悟れよっ!」
大きく笑って、肩に出来た傷口を指で抉り痛みを与える。
「この隊列を見て何も気付かないのか?」
視線で前を指し、心底おかしそうに高らかに笑い出した。
「さっき、お前が名前を呼んだ男。あいつがあそこにいるのは後方支援がギリギリ届く範囲だからだ。かつあいつは前も後ろも守れる。お前だって分かるだろ?馬上の奴の周囲だけ異様に守りが硬く、最悪の場合には全員ただの身代わりさ」
現実を知らしめるように耳元で囁いた。
「お前を含む前方は全員、捨て駒だよ。駒が死んでいく隙に魔族を殺す。それが人間の戦い方だ。お前は知らないだろうが、俺は人間と何度も戦ったから奴らのやり口はよく分かる。
奴らは魔族以上に…、」
ハイラが言葉を切ると同時に、再度一本の矢が飛んできてセインの右頬を掠めていく。

「卑劣だ。平気で仲間を捨て駒にする。お前が思う以上に冷酷で残忍だよ。お前だって魔族狩を見たことがあるだろ?あれが真っ当な行為だと思うか?ただの殺しだ」
ハイラの言葉を裏打ちするように。
何の躊躇いもなく、イリアスが次の矢を構えるのがセインの目に映った。


鋭い痛みが走って苦しい息が洩れる。
それが肩の痛みからきたものか、切り裂かれた胸の痛みのせいなのか分からない。


ただ。
どっちがどうとか、そんな事はどうでもいい事だ。


「俺が、変えたいと思う、だから変える。それだけだ」
ぽつりと零すセインの言葉に、
「…常々、疑問で仕方がねーけど、お前のその余裕はどこから来るんだ?」
ハイラがイラついた声で訊ねた。
胸からヘソへ、そして腰へと手が流れ、首筋に鋭い犬歯が当たる。

ざらりとした舌の感触が首筋を這って甘噛みした。

「今のお前を殺すのなんて容易な事だ。奴らよりも先に殺してやろうか?」
噛んだ顎に力が入り皮膚を圧迫する。犬歯がゆっくりと食い込んでいくのを感じた。
その行為にセインを焦らしていた想いがふっと消え冷静が戻る。


ハイラの言葉に。
思わず笑ってしまうセインだった。


嘲るつもりもなければ、同情を買うつもりも無かったが、あまりに愚かな言葉を吐いた男につい笑いが零れてしまう。
それは純粋に嘲笑だった。


「殺せるとでも?たかがお前程度が本気で殺れると思ってるのか?」
首に掛かっていた重みが消え、ハイラが顔を上げる。セインの言葉に激しい苛立ちを抱いて、胸に置いていた爪を斜めに勢いよく引き下ろした。
先ほどの比でない血が飛び散って、だらだらと流れ落ちる。
それでもセインは笑みを浮かべたままだった。
「俺は目的あってここにいる。今、それが失敗に終わっても最終的に目的が叶えばいい。それが何十年先だろうと何百年先だろうと、俺にとっては大した時間じゃない」
「意味、わかんねーことをッ…!」
再び爪を立てて、傷ついた肌を抉る。
「ッ…、つ…」
呻くセインを見て歪んだ笑いを浮かべた。傷口に爪を立て深く切りつけていく。流れる血が増えれば増えるだけ勝利を確信して、ハイラの笑みが深くなっていった。
その笑いは自信の無さの現われにも近い。それを見透かしたように、
「殺せる訳がないだろう?身体が限界を越せば、無意識に力を使うだけ。こんなモノで俺の力を完全に封じる事なんて、出来やしないんだ」
首飾りの存在を主張するように首を振って、飾りがぶつかり合う澄んだ音がハイラの神経を揺さぶった。
「負った傷は1秒もたたない内に癒えて、その代わりのように辺り一帯は何も無くなる。お前は何があったかも分からずに死ぬだけだ」
「ッセ、イン…ッ!」
憎々しげに名前を叫ぶ。突き立てた爪が小さく震え食い込んでいった。
「そうなって欲しくない。だから…。
お前は退け」
痛みで呻きながら、囁くようにそう言ったセインに。
「人間!人間!人間!!俺らの仲間はどうでもいいのかっ!奴らが何だっていうんだっ!」
激昂した勢いのまま爪を胸に突き立てた。第二関節まで指が埋まって、人間であれば致命的な傷を付ける。
「分かってないな、セイン!奴らにすればお前も。ただの魔族だ!俺ら諸共死ねば、丁度いいだろうさ!お前の価値はその程度だ!」
唸るように叫んで怒鳴った。突き刺さった指を勢いよく引き抜いて、血に濡れた指をセインの顎に掛ける。
視線の先に弓矢を構えたままの王を捉えさせて、
「自分は安全地帯で真っ向から戦いには来ない。それが人間だ。少しでも隙を見せれば、集団で羽をもいでいく卑劣な奴らに味方するって言うのか?!」
怒鳴って煽る。

周囲にいた人間にその言葉が届かなかった筈は無い。だが、誰一人、声を荒げて反論したりはしなかった。
それが余計にハイラを苛立たせた。

「馬鹿な事を言ってないで俺と一緒にこいつらをぶっ殺そう。王国乗っ取って、俺らの安全地帯を作ればいいじゃないか」
激しい剣幕が突如、柔らかなものになり、顎を撫でる手から獰猛さが消える。
「俺と来いよ」
恋人にするような態度で誘い掛ける男に。

「答えなんて言わなくても分かるだろう?」
セインが応じる訳もなく。


顎に掛かる手が小さく震えた。
「後悔…、するぞ。セイン」
彼が搾り出すように言った。全身に力を漲らせ、気を張り詰めていく。
力が溢れていき、足元から風がふわりと上がって砂埃が立ち上がった。
「っハイラっ…!」
セインの咎める声も彼には届きはしない。

鎖から抜け出そうとして。



トンっと軽い衝撃が背中を襲った。
何が起こったのか分からず、身をよじらせる。


それはセインだけでなくハイラも同様だった。
突然の背後からの攻撃に振り返ろうとして、見えない糸で全身が縫い付けられたように動けなくなる。
黒い光が一閃し、視界が宙を舞った。
耳元でごとりと鈍い音がした。それが何か認識する間もなく。
意識が途切れ、暗黒が訪れる。


それは時間にしたら僅か1秒にも満たない短い間だったが、その一瞬の間に全てが起こり、そして一瞬で全てが終わった。



糸が切れたように力を喪った身体が崩れ、セインに圧し掛かるようにして地面に倒れこむ。何が起こったのか分からず呆然とするセインの身体を噴出した赤い色が汚していった。


刀を仕舞う音が静寂の中、響く。一筋の風が男の長い黒髪を撫でていった。
「魔族風情が知ったような口を。イリアス様が前線に出ない訳がなかろう。そう思って甘く見ているから殺されるのだ」
黒い刃が鞘へと収まり、辺りへ放たれていた禍々しいオーラが瞬時に消える。全身を黒衣に包んだ男が、両手を拘束されたまま地面に転がるセインに軽蔑の一瞥を向けた。
言葉以上にモノを伝えてくる目だ。

セインが生きている事は男にとっては不本意な結果だろう。
その感情を読み取るのは容易な事だった。


その二人の間を、一人の少年が割って入る。
「大事無いか」
中性的な声がセインに向かってそう訊ねた。

目も覚めるような白銀の髪に美しい紫の瞳だ。彼が普通の人間と違うのはすぐに分かった。いくら不意打ちとはいえ、魔族の背後をそう易々と取れる訳も無い。それだけでなく、一太刀目でハイラの動きを封じた事を考えると、普通の太刀ではありえない攻撃だった。

第一。


今しがた、彼をイリアスと呼んだではないか。


そう思って、からくりが解けるセインだ。
重い身体から抜け出し、少年の前に跪いて敬いの姿勢を取る。痛む傷を堪えて挨拶の口上を述べようとして、
「良い。我に非がある。顔をあげよ」
制止された。
セインよりも遥かに年下の風貌の彼が、年不相応の落ち着いた声で命じる。醸し出す雰囲気は数多くの経験を積んできた老君のようだった。
その違和感に気を取られ見つめていると、蹄の音が近づいてきた。大きな体が影を作り、セインを覆い尽くす。馬上から飛び降りたイリアス王が膝を付き、セインに対し礼を尽くした。
「騙して申し訳なかった。我はイリアス・ギール・ウ・ジェラル。こちらは真王イリアス・ギール・フル・ジェラル。我らは二人で一王だ」
少年をそう紹介して、セインに真実を告げなかった事を詫びた。

真王と呼ばれた少年が実質の王位継承者なのだろう。
少年に見える姿も実際は異なるのかもしれなかった。人であるのに人とは少し違う彼が、真の王だと言われて納得がいく。
魔族と会うのに何の対抗策もしない王はいないだろう。
ましてや千年以上の歴史ある大国が、そのような愚かな事をする訳が無い。


してやられた気分で不愉快になるどころか逆に愉快だった。
腕を捻って拘束する鎖から抜け出す。そうこうしていると、
「大丈夫でしたか?セイン」
モノイの呼び掛けが耳に届いた。
ボロボロの格好のモノイが疲れた表情でセインを気に掛ける。それが不思議で小さく笑いを零した。
「僕は大丈夫です。モノイ…君の方が、」
ふっと手を伸ばされて、言葉が不自然に途切れた。

触られる前に飛び退いて距離を取る。

一瞬。
眉を顰めた彼にしまったと思ってモノイが何か言う前に、
「僕の血は毒だから」
慌てて弁解した。
胸からだらだらと流れる血を袖で拭き取って牽制する。
ハイラの血なのか自分の血なのか分からないほど血塗れな状態だったが、誰にも触らせる訳にはいかない。

とはいえ。
確かに出血が酷い。
治癒の力が無くなっている訳ではないが、回復力は格段と遅くなっておりやや危険信号が灯っていた。
それでも力の暴走レベルではなく体がしんどいだけで、いずれ回復が追い付くだろうと推測して重い身体を奮い立たせる。

セインのそんな思惑を読み取った訳はないが、
「首飾りを外して構わぬ」
真王が静かな声でそう言った。
「そなたの願い、叶えよう」
紫の瞳が瞬きする事なく真っ直ぐにセインを見つめ、さらりと放った。怯えや軽蔑、負の感情が一切混じらない美しい紫が胸の奥深くまで射抜く。
「っ…」
心が揺さぶられ大きな荒波が立って、全身を駆け巡り震えが走る。

『願いを叶える』
その言葉が何を意味するのか分からないセインではない。

知らず震える手を首の後ろに回し、1ヶ月近く共にあった首飾りを外す。
重みが消えると同時に、胸の内が爽やかになって心を揺さぶるあらゆる事象が透明の壁でも張られたように静かになった。頭の中がクリアーになり物事がハッキリと明確に映る。
視界の端から端まで神経が行き届いて、背後まで見えるようだった。

呼吸が唐突に楽になって体がふわりと宙に浮く。
流れ出ていた血が七色へと変わってセインの体内へと吸い込まれるように戻っていった。

ゆっくりと息を吸って静かに吐き出す。
その頃には負った傷は既になく完全な身体に戻っていた。


「大した…力だ」
傍らにいたジャラディオが感嘆したように小さく呟く。
その光景を見た誰もが思った事だ。
それは醜くおぞましいものではなく、光溢れる非常に美しい光景だった。
妬みや憎悪、嫌悪を呼び覚ます事なく、むしろ感動に相応しい神秘さで七色の反射が鮮やかに人々の目に焼きつく。

魔族が。
そんな感情を抱かせる事なく。
静かに始まって静かに終わった。


見守る人々の目にゆっくりと瞳を開くセインが映る。いつもの平凡な茶色が、魔族の目に変わっていた。
その異様な色もこの状況下では何の違和感も無く、それこそが相応しい色で逆に清々しい想いをもたらした。
思わず見蕩れる周りの視線に気が付いて、視線の意図を誤解したセインが小さく謝罪して瞳を隠すように前髪を振って俯いた。
「大丈夫ですか?」
モノイの質問には答えずに、肉塊となった男の側にしゃがみ込んで身体に手を当てた。
「昔の仲間だった。
何の感情も抱いていませんが、弔いをしてもいいですか?」

セインの目を正面から捉えていながら惑いもしない真王が、その言葉を聞いて数秒間、身動きせずジッと視線を返した。
小さく頷き、その場を離れる。

彼に拒否権はない。
なぜなら、彼は人間だからだ。

魔族が悪だろうと、魔族のするやり方に口出しする権利は無かった。


実際の所、胸が痛む訳でもない。それほど親しい関係でもなく、利害の一致で一時的に行動を共にしていただけだ。
それでも人間の死を悼むのと同じように、魔族の死もそうすべきである。
死んで当然の者などいない。それは魔族であろうと同じだ。それを遠まわしに伝え、通じた結果でもある。

もっともその思考はセインが魔族だからであり、人間から見れば真反対の結論になる。

この男は死んで当然の存在なのだ。
これだけの犠牲を出しておいて、生かしておく価値など無い。

矛盾する二つの想いを共存させて、飛んでいった首と体を揃える。感情を映さない黄色の瞳を閉じさせて、小さな声で何かを呟いた。
呼応するようにセインの周りに光が発生して茶色の髪がふわりと舞う。当てていた手から円を描いて光が強くなり、物凄い力で押し潰されたように地面が揺れた。

「セ…イ…」
躊躇いの呼び掛けが途切れる。
地面が抉られ浮き上がる石が小さな粒へとなり、大気へ溶ける。

セインがいた場を基点として綺麗に円を描いて地面が削り取られていた。
「死体を残すのは死ぬより惨めな事です」
静かな声で言うセインの周りには何も無かった。服すら残らず、存在そのものが消えうせていた。

小さく笑んで立ち上がり、裂かれたシャツを脱ぐ。汚れていない部分で身体に付いた血を拭き取り始めた。
その圧倒的な力を目の当たりにして、誰も口を挟んだりはしなかった。

ただ、一連の動きを刺すような目で見ていた男がいた。
「今、この場で切り捨てる事が出来たらさぞかし世界が平和になるだろうに」
素知らぬ顔で身体を拭くセインに対し、黒い刀身を撫でながら殺意を露わにして呟いた。
「それが出来ないから指を銜えて見ているんでしょう?貴方の力で僕を倒す事は出来ない。それを察している筈だ」
全身を黒衣で包んだ男の正体を既に分かっているセインだ。

その殺意の根幹に在るモノも。

「ホレトス卿にどうぞよろしくお伝え下さい。挨拶に伺っておりませんから。僕に敵意は無い。牙をお納め下さいとね」
唐突にそう言われ男の眦が更にきつくなった。
「魔族風情がいい気になるな。我々光の王国は決してその存在を認めたりはしない」
小さく詠唱すると共に黒いオーラが沸きあがって、一瞬で姿が掻き消える。彼のいた場所に一枚の紙切れがひらりと風に揺られて地面に落ちた。
任務も終わり自分の国へ帰ったのだろう。

普通の聖者とは異なり、戦闘専門の聖者である。使う能力も違えば戦闘力も違う。
モノイが防御と治癒、付随する攻撃を主にするのとは違い、彼らが注力するのは殺しの技術だ。多くが剣術を使い特異な術を使う。街に溢れる白い聖者とは正反対の殺し専門部隊だ。


二人のやり取りを見ていた真王やイリアスが何も言わずに背を向けた。
その場でぐったりとしている兵たちに指示を出して、埋葬の準備を始める。
幸いにも湖が近く清めの水に困るということは無い。

「セイン。誰も貴方を責めたりはしない」
モノイが通りすがり際に静かにそう言って、水を汲みに行った。
それを意外な想いで振り返って見送る。

散らばったモノを集めようとして、ジャラディオに制止され仕方なく止める。
結局、手伝う事も叶わず、ただ湖の畔で彼らの動きを見つめるしか出来無くなった。


埋葬は大事な儀式だ。
魔族の手なんか借りたくはないだろう。


たとえ和平を結ぼうとその事実は覆せないものだった。

ハイラの叫びが胸を木霊する。
それでも。


希望の方が勝っていた。




2016.5.18
あれれ…何か日付、おかしくないですか?前回更新から1ヶ月以上経っている…?!
そんな馬鹿な…?!

ちょっと内容が暗いので、色々どうしようかなーと躊躇いながらの更新でした(゚ω゚;A) 。
結構オブラートに包んでます(笑)。
個人的には別にそこまでグロくない仕上がりかなーと思いますが、
BLとしてどうでしょうねぇ…(;´艸`)う、うぅ…。
いあ、考えるまい…(笑)。

次回はあまあま予定…なので、付いてきて下さい…〜う。うぅ…。
まぁセインの方は読んでいる人が少なそうなので、多少路線からはみだしてても、いっかなー的な(笑)。
え?駄目?(´-ω-`;) ?




 ***10***


血塗れになった地は翌日にはすっかり綺麗に浄化されていた。
何もなかったように瑞々しい草花に付く水滴が朝の陽射しを反射させる。砂利で作られた小道に血の跡一つ残っておらず、閉鎖されていた村へと向かう蹄の跡がいくつも残っているだけだ。

湖の畔で木に寄り掛かったまま、一直線に伸びるその砂利道を見つめるセインに柔らかな笑みが浮かぶ。活気のある村人の気配を感じて、胸を撫で下ろしていた。


昨日の出来事は、悪ではない。
そう思って殺した男の存在を胸に刻む。彼が悪であろうと彼の死を忘れてはいけなかった。
抉られた胸元に触れ、何の傷も残っていない肌を撫でる。傷跡すら残らない身体は魔族としては誇らしい事ではあるが、虚しさを抱かせるものでもあった。この傷と同じように、昨日の出来事も消えてなくなってしまう、そんな恐れを抱く。
実際の所、どんなに悲しい出来事を胸に刻もうと、刻が経てば風化し遠い記憶となってしまう。憎い相手だろうと大事な存在であろうと長い刻を生きるセインにしてみればどちらも同じ事だった。
想いや記憶が風化しないようにする事は、思いの他難しいことなのである。

今こうして抱く思いも百年後、抱いていられる保障はない。


人間と和平を結び魔族も人も平等に暮らせる世界を望むようになったきっかけとなった事件も今となっては遠い過去の一つになりつつあった。当時の強烈な想いも激しい絶望感も、以前に比べ薄れている。
記憶とは残酷なもので、自分で意識しなければあっという間に零れ落ちて無くなってしまう。
喪った命の重みは同じであるのに、無常な時間の流れにセインも逆らえずにいた。


「セイン」
感傷に浸るセインの背中に聞き慣れた声が掛かる。
モノイが片手に袋を持って立っていた。兵たちは皆、朝方一番に発っている。モノイも一緒に帰ったのかと思っていただけに残っていた事に、驚きの表情を浮かべた。
「一緒に帰らなかったのですか?」
そう訊ねるセインに小さく相槌打って、袋を広げる。
「村人から朝食を頂いたのでどうですか?あと着替えを…」
パンを取り出し、袋の奥から軽い素材のシャツを掲げた。セインのボロボロの格好を見下ろして、
「その格好では街へ戻った時に恥ずかしいでしょう?」
皮で出来た柔らかなベルトを手渡して着替えるよう催促する。
自分を見下ろして苦笑するセインだ。当然の如く、換えの服など持ってはいない。昨日の血に塗れたズボンに、シャツは羽織っているだけの状態という出で立ちだった。
「ありがとうございます」
素直に受け取って赤黒く穢れたシャツを脱ぐ。後髪を軽くかき上げて新品のそれに袖を通した。さらりとした肌触りが心地よくて小さく息を吐く。そのままズボンに手を掛けて、唐突に動きを止められた。
「いくら私が人間だからって、多少の恥じらいを感じて欲しいものです」
「え…?」
意味が分からなくて聞き返す。一瞬、呆けた顔で見つめた後、視線を逸らせたモノイの反応でようやく意味が繋がるセインだ。

相手の奇妙な反応に笑いを零す。
「人間だからという前にモノイは男でしょう?何を恥じらうんですか」
するりとズボンを脱ぐ。ズボンの下に履く丈の短い布地から白い太ももが露わになった。傷一つない長い足は決して女性の足ではなく、適度に筋肉がついた男の足だったが、思わず見てはいけないものを見たように背を向けるモノイだ。
その行動を気にもせず、肌にこびりつく血の跡を脱いだ服で擦り落とした。貰ったズボンを身に着け、腰元をベルトで留める。
「着替え終わったのでどうぞ」
背中に声を掛けるセインの口元は笑ったままだった。
「…当然の礼儀を尽くしたまでですよ」
振り返ったモノイが言い訳めいた言葉で言うのが可笑しくて声を立てて笑う。
ひとしきり笑った後、ようやく自分をじっと見つめるモノイに気が付いた。

「…なんですか?」
ふっと違和感を感じて、自分の首元を探った。
首飾りを外した後、再びそれを首に付けているセインだ。今の自分は人間に何の影響も及ぼさない目の筈である。
それなのにモノイの目がやけに慈しみに満ちた色を浮かべていたため、その色に見入ってしまった。

奇妙な見つめ合いが続く。

長く感じたその時間はほんの数秒だったかもしれない。
その視線に音を上げたのはセインが先だった。

「勘弁、して下さい。俺はペットじゃない」
素っ気なく言ってモノイの脇を通り抜けようとして、二の腕を掴まれる。
「そんな顔で笑うのを初めて見たから。気を悪くしたのなら謝ります」
顔を見られたくなくて俯くセインを引き寄せ覗き込んで謝罪する。気恥ずかしい表情を浮かべるセインを見て驚くモノイだ。

その顔が余りにらしくない表情で。
つい。

抱き締めたくなって理性をフル活動させる。何て表情を浮かべるのかと心の中で罵倒して、衝動を捨てるように掴んでいた腕を離した。

一呼吸のあと、
「街へ戻りましょうか」
突然、平静な彼に戻ってセインを誘った。その声音の静かさが余計にセインを動揺させた。敵意しかなかったモノイの垣間見せる好意にどう接したらいいのか分からなくなる。
「…そうですね」
短く答え平静を装って、モノイの背中について行くのだった。



*****************************************



「セインッ!」
城に戻ったセインが一息ついたあとに向かったのはハイムのいる酒場だったが、驚いたのは飛び込むように抱き着いてきたハイムではなくカウンターに平然と座る一人の少年の存在にだった。
「イリ…」
呼びかけが最後まで出ずに終わったのは、それが秘められた事だと知っているからだ。
「ハイム。彼がいつも話している新しい友達?」
セインに気が付いた少年が席を立つ。少年から滲む気配に品が漂い、只者ではない空気を醸した。質のいい靴が歩く度に床に当たり音を立てる。
「僕はイリノア。ハイムから色々聞いているよ」
目の前まで来て手を差し出した。白いその手を戸惑ったまま握る。形だけの自己紹介をして、ハイムをちらりと窺えば何も知らない彼が無邪気な笑みを向けた。
二人の仲がそれで問題ないのなら、セインがいう事でもない。ましてや立場を秘密にせざるを得ない気持ちというのもわからないでもないセインだ。


人間の振りをしたいセインと。
平民の振りをしたいイリアス。

どちらも同じ事だ。


一つの納得をして、二人の会話に参加する。
奇妙な感じではあったが、久しぶりのハイムとの会話を楽しんだ。



帰り際、何故か一緒に城まで戻る事になり、自分よりも下にある目線に戸惑いを覚え意味もなく視線を泳がせた。
「人間の街はどうだ?」
隣からの問いかけにドキリとして、歩みが僅かに緩くなった。それを見過ごす真王でもない。
「貴方にはどう見えますか?首飾りが無ければ僕は人間にはなれない」
偽ることなく本音を言えば、イリアスが小さく笑う。
「至極当然な事。人にはなり得ないのだから」
先ほどまでいた男とは別人の顔で、セインを見上げた。人の容姿にしては突飛な彼が言うと自虐のようにも聞こえる。
若者特有の澄んだ紫の瞳が瞬きせずセインに刺さって、答えに窮した。何を求めての質問なのか考えて、
「僕は人になりたい訳ではない。魔族と人が隔たりなく交流出来る、そんな世界を作りたい」
もう一度、答え直した。

「…」
風が吹いてイリアスの白髪を撫でる。

見つめ合っていた視線が外され、前を向く。
「求め続ければ…、叶うやも知れん」
小さな声でぽつりと関心も無く呟いた。


「街は魔族への嫌悪に満ちておる。其方が魔族だと知れば忽ち人は去っていくだろう」
カツカツと風を切りながらイリアスが前を見据えたまま言った。それは純粋に事実を伝えているだけだ。
「だが、残る者もいる。その数を増やしていけば良いだけの事」
城に近づくにつれ活気が無くなり、兵の数が増えていく。イリアスの存在を知らない兵たちが見知らぬ人間を見るように少年を観察した。それから共にいるセインを監視する。
魔国の王を客として迎え入れている事を知っている兵たちに緊張が起こった。全員がセインの容姿を知っている訳ではないが、城に近づくほど、セインの存在を知っている兵たちは増えていく。
警戒の色で見つめる幾つもの視線を受け流し、門前まで来ればイリアスがくるりと背を向けた。
「我はここからは入れぬのでな。話が出来て良かった」
見ただけで分かる仕立てのいい高級な羽織りが彼の動きに合わせて揺れ動く。
「我も其方の描く理想とやらを見たくなった。期待している」
セインを見返り悪戯な笑みを浮かべて、和平を結んだ理由をさらりと告げた。

「ではまた会おう」
短い別れの言葉を残して来た道を戻っていく。


彼がこの後どこへ行くのか、別ルートで城へ戻る道があるのかセインには分らなかったが、自分と話をする為に一緒に歩いて来たというのは分かった。

実際のところ、なぜ彼が和平を決めたのかその理由がわからなかったセインだが、案外事は単純で遠いイリアスが実は身近にいたのかと知る。ハイムとモノイと、街の人々と。
色々な部分が判断材料になって、結論に至ったのかと彼の態度で知った。


彼が王である事を隠して平民の世界に紛れ込むのと同様に、セインが魔族である事を秘して人間とどう接するのかを見ていたのかもしれない。
そう思って、やはり食えない人間だと悟る。もし彼にその気があれば、暗殺を企んでいてもおかしくはない。
魔国の王を殺せるチャンスはそう転がってはこないのだから。

とはいえ。そんな疑いは微塵も抱いていないセインだ。その危惧感は人間の方が強い筈で、現にイリアスが身分を隠していたのもそこにある。セインという存在が得体が知れなかったからだ。
そして彼が真王を名乗った時点で、信頼を勝ち取った事を意味していた。

自分の身分を明かし姿を晒す事で、セインの誠意に答えた結果となっていた。


思わず楽しくなって足取りが軽くなる。部屋へと戻って飛び込むようにベッドに沈み込んだ。
そのまま心地よい眠気に誘われ、夢の世界へと落ちるのだった。



2016.7.10
らぶらぶ("^ω^)・・・?
セインに関しては体の関係がどうしても持てないからもやっとしますね(笑)。
いちゃいちゃで、やや強引なプレイをしたい・・・(笑)。
まぁ真イリアスの方はやや特殊なので、割と結構いい所までセインを押せる、とは思うけど、
そういう関係では無いのですよねぇ(ll?∀?)ぴやー…。
そしてモノイ。どうなることやら…。

というか10話目なことに驚き。どうしよ。
ネクストページにつながる事を視野に入れてなかったので、
HTMLの構成上の問題が生じそうでちょっと不安(笑)。






 ***next『未定』***