創世編,ゼン

目の前で無防備な背中が露わになる。
 見ている事に気が付いている筈なのに構いもせず羽織を脱いで白い肌を晒した。そのままこちらを振り返って、ゆったりと微笑みを浮かべる。
「セイン、僕を試してるだろ?」
「何で?」
 小首を傾げて歩み寄る様はあからさまにその通りで、誘う以外の何物でもない。
「この程度で堕落するような自制心なら獣と同じだ。王の器ではない」
 両腕で髪をかき上げて上半身をうねらせる。緩やかな動きに合わせ筋肉が浮き上がって色香を漂わせた。均整の取れた体躯にシミ一つない肌は上等な娼婦以上に誘惑的な肢体だった。

 薄暗い室内だというのにセインの瞳が爛々と輝く。
 それは奇妙な色を浮かべ僅かな光でも反射して七色に移り変わっていった。思わず視線を逸らすゼンだ。長時間、視線を交わすには強すぎる色だった。

 目を逸らした時点で負けを認めたような気がして、
「父のようにか?」
 自嘲に近い言葉が口を突く。
 間髪いれずに、
「死者を冒涜するな。自分の品位を落とす」
セインの厳しい言葉が返ってきた。
「特に君がすべき事じゃない。俺が言う分にはいいけど、ね」

 そう言って唐突に手を伸ばし、ゼンの背後にあるサイドテーブルから洋服を取った。視線を外したままのゼンを気にした風でもなく目の前で素早く着替えていく。
 胸元が大きく開いた肌触りの良さそうなシャツに、腰元で紐を縛るだけのゆったりしたズボンだ。そのラフな格好は乱れた髪とよく似合い、セインらしい緩さだった。

 床に無造作に置かれた皮袋を拾い上げて、
「行こうか。今日は一日、俺に付き合ってくれるんだろ?」
部屋の窓際で突っ立ったままのゼンをそう誘った。
 屈めばヘソまで覗けてしまう前の袷をピンで留め隠す。ピンに彫られた片翼のシンボルは魔国の象徴である。それまで魔国にはそういった物が存在しなかった。それはセインが王の座に就いて新たに作り上げた物だった。
 そのピンが胸元できらりと光ってゼンの視線を捕らえた。

 肩に袋を引っ掛けたセインがぼーっとするゼンを急かすように手を伸ばす。余った袖から覗く指先が頼りなく、唐突に抱き締めたい衝動に駆られる。
 それを堪えてセインの後を追うのだった。



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 即位した直後は大変な日々だった。
 前王を慕う者も少なからず存在しており、ゼンには常に護衛が張り付いていた。それらが一段落したのを見計らったようにセインがやってきた時にはふっと心が軽くなったくらい、気を張り詰めた日常が続いていた。

 最初の墓参りの後、まだ一度も前王の墓には行っていない。
 そこで涙を流して以降は泣く事のない日々だったが、セインの顔を見た途端に情けない事に溢れる涙を止める事が出来なくなった。
 可笑しそうに笑うセインが余計にゼンの涙を誘う。
 仕舞いには苦笑して、ゼンが泣き止むまでずっと傍にいて髪を撫でていた。

 今思い出しても、顔から火が出そうなくらい情けなくて恥ずかしい出来事であったが、当のセインはそんな出来事など無かったように翌日も平然とした顔で、いつもと同じ態度だった。

「セイン、どこか行きたい所でもあるのか?」
「行きたい所といえばギギナを隅から隅まで行ってみたいけど、それは不可能だろ?」
 長い前髪がセインの片目を隠す。
 人前に出る姿はいつもこれだ。魔族に対する反感は強く、それは魔国の和平を結んだ後でも変わらない。特にギギナではその感情は一層強くあり、魔族狩りは更に過激になり各地で頻発していた。

 片耳に髪を掛け、髪の間から覗く目は人間ではあり得ない異色の瞳で、遠目では誤魔化せても近くを通ればすぐにその異端さが分かるだろう。
 それでも、その正体に気が付いた町人が何も言わないのは隣を歩くのが即位したばかりの若い王だからに他ならない。
 セインに嫌悪の視線を向け、次いで王に形だけの礼を尽くした。

 魔国の王と歩く事は自身を酷く危うい立場にさせる。
 それにも関わらず、ゼンはセインにした宣言通り『魔国の王』を他の国の客人と同様に、むしろそれ以上の態度で接した。道に入る時には腰に手を添えて誘導し、兵が安全を確保した道を選び取る。
 自分が王だという事を隠しもせず、敢えて人々の視線に晒す事でセインを客人として守った。

「ギギナに来るのは二度目なんだよ。一度目は数十年も前だけど本当に酷い世界だと思ったものだ」
 高い石塔を見上げていたセインがポツリと言った。
 白い塔は時の流れで汚れ、建築当時の純白の美しさは無い。塔の天辺から乾いた鐘の音が2,3度鳴り、時刻を知らせた。
 懐かしいモノでも見るように目を細めてその鐘に耳を傾ける。

 そのセインの周囲で突然弾ける音がして、ゼンがハッとして周囲を見回した。
 辺りには数人の子どもが石を片手にセイン目掛けて投げ付ける。石を向ける相手が自国の王だと知った大人が慌ててやってきて、子どもを止めようとした。

「セ…っ!」
 呼びかける声は途中で止まる。
 少年らの投げた石はセインに当たるまでもなく、空中で粉々になって地面にすら落ちる事なく風に流されていった。
「俺は結構好きだよ。こういう子どもが」
 軽く視線を送るセインの目が青く光った後に紫へと変わる。そして鮮血のような赤になり残忍な輝きを宿した。
 小さな笑みを浮かべて言う台詞は慈愛に満ちた言葉であったが、その綺麗過ぎる尖った美貌にはあまりに不似合いでゼンの背筋に寒気が走る。
 それはその場に居合わせた人々、誰もが感じた恐怖であろう。

 人間とは異なる、異質な存在である『魔族』。
 彼らに優しさなど存在しない。
 飽きたら殺すだけである。

 それが魔族の本質であり人々に根付く意識だ。
 その意識の通り、セインのその笑みは美しくも残酷な姿だった。
 震える子どもを抱き締めた大人がセインから守るように彼を睨みつける。それを見つめるセインは先ほどと同じように笑んだままだった。

「セイン…」
 思わず小さな声で呼び掛けてしまう。
 本当はそうでは無い事を知っているのに、何故セインが醸す空気は時にこうも残酷で冷たく苦しい想いを抱かせるのか。

 ゼンのそんな動揺を無視して、セインはつかつかと固まる彼らの元へと足を進めた。
 そうして。
 事態を見守る町の人間を気にもせず。

 子どもを守るように覆い被さっていた大人の首を掴み、まるで小動物の首根っこを掴み上げるように軽々と宙に持ち上げた。
 突然の行動にぎょっとするのは当人たちだけではない。暴れる男が、刃物を取り出してセイン目掛けて幾度と振り下ろす。周りの人々がそれに加勢するようにいくつもの石を投げた。

 それらの攻撃全てがセインにしてみれば素通りで、ナイフに至っては弾かれたようにどこかでへ呆気なく飛んでいった。
 そうして彼らが息を切らして攻撃を止めると、無表情に一点をじっと見つめていたセインが唐突に彼を地面に降ろす。喉元押さえて呻く父親の元へと少年が駆け寄って、セインを憎々しげに睨み付けた。それは少年だけではない。周りの住民がみな同じようにその父親のために、少年のために、隣の誰かのためにセインを強い目で睨んだ。

 ふっと。
 
 セインの顔に笑みが乗る。
 手を伸ばし、咄嗟に目を瞑った少年の髪を柔らかくそして優しく撫でて髪を掬った。
「自分よりも大きなモノに歯向かおうとする気概は大切な事だ。どんな状況でもそれを忘れてはいけない。
そして、危険を顧みずに子どもを守ろうとする大人がいる事に驚いてもいる」
 成り行きを見守っていたゼンを振り返り見つめて、
「これが君の国なんだ。ゼン」
笑みを浮かべて優しく言った。
「俺は君に、とてつもなく期待している。忘れないで欲しい」


 先ほどと同じ赤い目が違う気配を浮かべてゼンを映す。 
 美しい宝石のような深紅が光を宿して七色に煌いた。

 その美しさに、優しい笑みにぞくりとして、背筋を何かが駆け上がっていく。


「町の人々にも謝罪をしたい。驚かせてすまなかった。
魔族を嫌うのは結構、俺に石を投げるのも結構。ただ一言伝えたい」
 ぐるりと周囲を見回して静まる人々の顔を一人一人見つめて語りかける。
「人間にも色々な人がいるのと同じように、魔族にも色々な魔族がいるんだ。それを知っておいて欲しい。ただそれだけなんだ」
 静かな声で放たれた言葉は誰かに強要するようなものでもなかった。
 先ほどの残忍さとは打って変わったような優しい空気がセインの周りを漂う。


「魔族がっ…何を言ってやがるっ!偉そうにっ!」
 その空気を破るように群集の誰かが叫ぶ。

 飛んできた石を代わりに受けたのはゼンだった。
 セインを守るように背中に隠して両手を広げる。

「王の前で無礼な態度はよせ。彼を誰だと思っている」
 静かな声の恫喝は年若い王にしては威厳溢れ力強いものであった。
 静まり返る彼らをぐるりと見回して、
「大事な客人として招いている魔国の王だ。礼儀を弁えろ」
セインをそう紹介した。

 ゼンにしてみれば何気ない言葉だろう。
 だが人々にしてみれば『魔国の王』という言葉は重みが違う。
 一瞬にして総毛だった彼らが顔色を変えたのをいち早く気が付くセインだ。

「また君は余計な事を…」
 セインの小さな苦情も。
 一斉に頭を下げた人々の阿鼻叫喚の声に掻き消されてしまう。

 それはそうだろう。
 彼らの中にはまだ記憶に新しい。
 先代魔国の王が殺され、新王になったという出来事は人々の間にも入ってきていた。
 そして1年ほど前の出来事だ。何日も続いた大地の揺れと爆音の正体が彼らの王権争いにあった事は言うまでも無い。異常な雨が降る事もあり、その頃、魔国から魔族が逃げてくるというおかしな事態にまで発展していた程、凄まじいものであった。

 人々を恐怖で支配することは簡単である。
 先ほどまで歯向かってきた人々が牙を抜かれたように平伏するのを見て、セインの目に悲しみが宿った。
「ゼンはこうやって、いつも無神経に俺の楽しみを奪い取る」
「…僕のせいか?」
ゼンのやや弱った声が小さく問い返す。
「こんなもの、俺は望んではいないのに」
呟く声は頭を伏す彼らにも聞こえた筈である。それでも彼らが頭を上げるという事はなく。
「ゼン。この埋め合わせは必ずして欲しいね」
 世間話をしながら、仕方が無さそうに二人がその場を後にする。
 彼らの陽気な会話は町の人々に場にそぐわない奇妙な印象を与えた。

 人間と同じ姿で。人間と同じ声で。
 人間とはまるで異なる目を持つ魔国の王。
 その魔族の中では異質な彼の存在は人々の心に鮮明に残った。

 それでも、彼の放った言葉が彼らに深く浸透するのはこれよりもっと後の事であり、まだまだ魔族を受け入れるには早すぎるのであった。







2015.09.15
セインは本当にお久しぶりです(^▽^)ノ 拍手、ありがとうございますっ!
更新を待っててくださる方がいらっしゃったようなので、意気揚々と更新してみました(笑)むふふ。
この頃のセインはちょっと冷たくて残酷で割と怖い事を平気でしてしまう所があります(?v? )かわいー。
今ほど余裕もなくて、やるべき事がある、でもそれが出来なくて、ややもどかしい想いがあるのかもしれない?
ついでに、力の出し惜しみもしないので、気に食わない魔族は平気でやってしまう、そんな凶暴さを持ってます(笑)。
その内、ゼンとの出会い編も書きたいなー(*^3^*)。いつかチューくらいさせたい。させたい、させたいー!